続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2013年10月  九州一周駅伝ファイナル

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◆2012年10月28日(日)
 朝8時に赤間駅のホテルを出発。ホテルを出るとすぐに駅なのですが、駅から歩いてくる女性に見覚えがありました。よく見たら野尻あずさ選手。「なんで西日本大会に?」と状況がよく飲み込めなかったのでちょっと慌てましたが「富山の選手の応援なんです」と野尻選手が説明してくれました。
 野尻選手、3月の第一生命退社後は大きなレースには出ていませんが、市民レースなどには出始めているそうです。別のある方面からも、リオ五輪に向けて意欲満々と聞いています。レース後には福士加代子選手や嶋原清子さんと写真に収まってくれました。

 レースは宗像市役所のモニターで観戦。携帯電話の回線で送られてくる映像らしくてかなり粗いのですが、西日本大会になって毎年取材に来ている記者によれば、「年々良くなっている」そうです。音声が入らないので、後方の展開などはわかりません。増田明美さんの解説も聞けないのは残念です。
 しかし、福岡陸協の記録配布が速いので助かります。短い距離の区間になると、前の区間の記録が出るのはその次の区間にずれ込むのが普通ですが、この大会はどんなに短くても次の区間中に出ました。素晴らしい!

 レース後の取材はまず、優勝したワコールの永山忠幸監督、3区で11人抜き&区間新の福士加代子選手にお話を聞きました。ワコールは5区の高藤千紘選手も区間新で、長い距離の2区間がしっかりとした布陣になりました。あとは1区の選手が上位でつなぐ走りができれば、全国でも優勝候補に加わります。

 その後は天満屋のエリアに移動して、武冨豊監督のテレビインタビューを隣で聞き、その後中村友梨香選手と重友梨佐選手に話を聞きました。
 重友選手の話の中に何度も“○○を刺激として”というフレーズが出てきました。以前からそうだったのか、今の重友選手だから多かったのか。大阪国際女子マラソンのときの取材ノートを見返してみたいと思います。
 中村選手は1区で区間3位。今季ほとんどレースに出ていないことを考えたら、試合に強いところを見せたと言えると思います。本人にはそういった感覚はないようで、「手応えは特にありません」

 次は5区で区間賞の快走を見せ、ワコールの優勝を決定づけた高藤千紘選手の話を聞きました。入社3年目。1年目から全日本の5区に抜擢されたので長めの距離に強い選手と思っていましたが、中学1年までは短距離が専門だったそうです。
 高藤選手は9月の全日本実業団1万mでも32分52秒84の自己新。そのときが博多の森で今回が宗像。“福岡で強い選手”だと思ったら、筑紫女学園高の出身でした。地元に錦を飾り続けています。7月に北海道(網走)でも自己新を出していますけど。
 筑紫女学園高出身で3年目ということは、早大の紫村仁美選手が1つ上で、第一生命の田中華絵選手が2つ上。超豪華なラインナップです。華もありますね。
 ワコールの三原コーチは新潟出身ですが、高藤選手が今季自己新を何度も出すなど安定しているのは、30kmやハーフなど長い距離に取り組んだ結果だと教えてくれました。

 高藤選手取材後は、嶋原清子さんの写真を撮らせていただくことができました。12月上旬出産予定。そしたら現役復帰ですね。

 その後数人の選手と3人の監督の話を聞いていたら、伊藤舞選手がお弁当を食べ終わったので話を聞きました。駅伝の走りに加えて3週間後に出場する横浜国際女子マラソンのこと、今回のマラソン練習のこと、伊藤選手の成長のことなど。
「河野監督は犬伏(犬伏)コーチが出られたシドニー五輪の後は、(直接指導する)選手と一緒にオリンピックに行けていません。私がリオに連れて行きたい」

 今回取材することはできませんでしたが、4区区間賞は新人の曽我部真実選手(キヤノンアスリートクラブ九州)でした。松山大が全日本大学女子駅伝初出場(2008年)のときの1年生で、大学3、4年時はキャプテンを務めてチームを引っ張ってきた選手。
 松山大は以前から中四国地区ではそこそこ強くて、世界陸上2大会メダリストの土佐礼子さんを輩出したチーム。曽我部選手は松山大が、名城大コーチだった大西崇仁氏を監督に迎えて駅伝部を創部して(2007年)勧誘された1期生になるのだと思います。

 松山大は全日本大学女子駅伝初出場の2008年が18位(曽我部選手は4区12位)、2009年が11位(4区8位)、2010年が4位(5区5位)と、3年目まではチームも曽我部選手も順調でした。当時から本気で日本一を目指して頑張っていました。
 しかし曽我部選手は昨年(4年時)お母さんを亡くし、一時チームから離れていました。9月の日本インカレでは3000mSCで4位となりましたが、完全に復調したとはいえなかったようです。ジュニア日本新&学生新で松山大1年生の高柳恵選手が優勝したレースです。3位も松山大の山岡礼奈選手。フィニッシュ後の映像では、それほど嬉しそうではありませんでした。
 迎えた1カ月後の全日本大学女子駅伝。松山大はどの選手も自己新をマークしていて、大西監督は選手を決めかねていたようです。最終的に決断したのはオーダー提出直前。前日練習後に選手を発表するシーンを、テレビ番組で見ました。
「1区は紀薫(としか)」と言ったあと、しばらく言葉が出てきませんでした。4年生でキャプテンの曽我部選手を外すことに複雑な感情があったのでしょう。

 涙を流した曽我部選手ですが、2時間後?の記者会見には毅然とした態度でコメントをしていました。レースでは4年間苦楽を共にした4区の矢野麻利亜選手の付き添い。その間、どういった気持ちでいたのかはわかりません。どういった気持ちで卒業したのかも。
 実業団女子駅伝西日本大会の4区はつなぎの区間ですが、区間賞は、曽我部選手が強い気持ちで入社後の半年間を過ごしてきたことを示しています。レース後のコメントはキヤノンアスリートクラブ九州のサイトに載っています。断定することはできませんが、昨年の経験が今回につながっているような気がします。
 それにしても、キヤノンアスリートクラブ九州のサイトは丁寧に活動報告や選手・スタッフのコメントを紹介していて良いサイトですね。今季の曽我部選手は1500mを中心に出場して、今大会1週間前には3000mで自己新をマークしています。
 今後が楽しみな選手が実業団駅伝にデビューしました。

◆2012年11月2日(金)
 男女の東日本実業団駅伝前日取材。最近は彩の国 実業団駅伝という愛称に。
 14時から熊谷スポーツ文化公園陸上競技場の会議室で女子の監督会議です。13:30くらいに到着しましたが、寺田は会議会場には入れないので公園内のファーマーズレストランくまどんでカレーライスと薩摩いもとかぼちゃの天ぷらを食べました。
 佐倉アスリート倶楽部の五十嵐コーチと堀コーチが、書類を広げて熱心に打ち合わせをしていました。ちょっと挨拶。五十嵐コーチは亜大OB、堀コーチは順大OB。大学駅伝強豪校の練習法ムックで記事にさせていただきましたが、強化スタイルがまったく違う大学の出身です。いろんな考えが融合して、新しいスタイルができる。実業団チームとは、そういうものだと思います。
 というか、順大出身の監督のチームが、必ずしも順大に似たスタイルかといったら、そうでもないのです。その辺は指導者の考え方ですね。

 競技場に戻って女子の監督会議終了後に第一生命・山下佐知子監督(鳥取大OB。“トリダイ”)、積水化学・野口英盛監督(順大OB)に取材しました。新谷仁美選手のいる3区で「分差がつく」(山下監督)、「1分から1分半の差がつく」(野口監督)と、ともに新谷選手が今回のメンバーのなかで抜きんでた力を持っていることを認めていました。

 パナソニックの倉林俊彰監督には電話取材。3区に起用した松山祥子選手について聞きました。プログラムには関西大出身とありますが、昨年の全日本大学女子駅伝のメンバーに入っていませんし、記録集計号の昨年の日本リストにも名前が見つかりません。
 聞けば薫英女高では5000mで15分44秒29で走っていたとのこと……そういえば、全国都道府県対抗女子駅伝で名前を見た記憶が。大学2年のときに陸上部はやめて、その後は市民ランナー的に走っていた選手だそうです。野尻あずさ選手に似たパターンですね。
 倉林監督が高校時代の走りを覚えていて、「やめたと聞いて気になっていた」そうです。大阪の知り合いを通じてコンタクトを取り、関西大にも了解を取ってスカウトしたそうです。情報のアンテナの張り方がしっかりしていたということでしょう。陸上関係者はよく“縁”と言いますね。
 入社後に1万mを32分27秒23で走っているそうです。5区の加藤麻美選手よりも前半区間タイプですか? と質問しました。
「1人でも先頭に立って押して行けるし、遅れていても前を追いかけられる選手です」
 一度挫折した選手がもう一始めるときは、相当な覚悟をもって取り組んでいます。将来的にはマラソンの日本代表を目指していると聞きました。楽しみな選手が現れました。

 男子の監督会議後には日清食品グループ・岡村高志コーチ、富士通・福嶋正監督、コニカミノルタ・酒井勝充監督、カネボウ・音喜多正志監督にお話を聞きました。
 柏原竜二選手の欠場について「ニューイヤー駅伝だったら出していた」と福嶋監督は話してくれたので、そこまでひどくない故障だと思います。
 木原真佐人選手の欠場は、世界ハーフマラソンで他の選手たち同様体調を崩し(食あたり)、帰国後になかなか体調が上がらなかったため。清水大輔選手も9月末にぎっくり腰をやった影響で、エース区間を外れました。大西選手も故障がちとのこと。

 今日は日本の陸上界にとって重要なことを決めたいと思って、コニカミノルタの迎忠一コーチの意見をお聞きしました。
 コニカミノルタの酒井勝充監督と、東洋大の酒井俊幸監督。酒井勝充監督はニューイヤー駅伝優勝6回、酒井俊幸監督は箱根駅伝優勝3回。どちらも日本長距離界の名監督なのですが、陸上界で“酒井監督”という言葉が会話の中に出てきたとき、どちらの酒井監督なのか特定できないという問題があるのです(“渡辺監督”もそれに近い状況ですが)。
 会話中に“酒井監督”と出てきたら、「どちらの酒井監督ですか」と確認すればいいだけのことですが、それができないこともあるのです。
 そこで2人と関わりの深い迎コーチに、どう区別して呼んでいるのかをお聞きした次第です。迎コーチにとって酒井勝充監督は自身の現役時代の指導者で、酒井俊幸監督は学法石川高(“ガクセキ”)の同級生で実業団選手時代はチームメイト。2人を呼び分けているに違いありません。ところが……
「酒井(勝充)監督は“酒井監督”です。選手の時も今も監督ですから。酒井(俊幸)監督は“酒井さん”です。同級生ですけど、今は東洋大の監督ですから“酒井さん”なんです」
 立場上、現役時代のように呼び捨てにはできないということでしょう。
 しかし、これでは、陸上関係者が2人を区別する参考になりませんね。質問する相手の人選を間違った、という気がしますが…。


◆2013年2月9日(土)
 明日は延岡西日本マラソン。オリンピックや世界陸上の代表選考会ではありませんが、この大会でデビューしたり、この大会をステップとした選手が最近また、目立ち始めています。中本健太郎選手、黒木文太選手の安川電機勢、そしてSUBARUの小林光二選手。
 中本選手は初マラソンが2008年の延岡で2時間13分54秒の3位。その年の北海道で2位となり、翌年の東京でトップ集団で走りました。その後はテグ世界陸上10位、ロンドン五輪6位、2時間8分台が2回。日本を代表して世界と戦う選手に成長しました。
 後輩の黒木文太選手も初マラソンが2011年延岡で7位、2時間14分37秒でした。2度目が昨年の東京で先頭集団で走って2時間12分10秒の11位。そして2カ月前の福岡で川内優輝選手に先着する快走です(2時間10分08秒の5位=日本人3位)。
 黒木選手と並んで勢いがあるのが小林光二選手。昨年の延岡で初マラソンを2時間12分52秒で走り、10月のシカゴでは2時間10分40秒(14位)です。小林選手はびわ湖で世界陸上代表入りに挑戦するそうです。

 代表選考マラソンはご存じの通り5km毎が15分00秒の設定。世界で戦うにはそのくらいのハイペースに対応する力が必要という判断からです。それに対して延岡は優勝タイムが2時間11〜12分台で、5km毎は15分30秒の設定です。中間点通過が例年1時間5分30秒くらい。
 5km15分ペースは“それほど速いわけではない”ので、付いて行ける選手はかなりの数がいます。記憶に新しいところでは昨年のびわ湖では大学3年生の出岐雄大選手が30kmまで頑張って、初マラソンで2時間10分02秒の好記録をものにしました。
 2011年東京での初マラソンで2時間09分03秒で走った尾田賢典選手などは百戦錬磨で、満を持してという感じでしたし、出岐選手、藤田敦史選手、藤原正和選手ら学生で結果を残した選手は駅伝やトラックで実績がありました。藤原選手は1万mジュニア記録保持者でした。
 やっぱり初マラソンで2時間8〜10分台前半で走る選手は、それだけの準備ができていました。

 しかし、後半でつぶれる選手の方がはるかに多いというのが印象です。つまりオーバーペースで走っている選手の方が多い。仮に30kmを1時間31分30秒で通過して残りを16分00秒、17分00秒、7分30秒(=5km17分00秒)だったら2時間12分00秒のフィニッシュになります。
 つまり2時間13分かかったら、最後は17分半とか18分かかっています。それでマラソンを走り切れたという気持ちになれるかどうか。

 川越学監督門下の選手たちが、先頭集団につかないレースが多いのは、皆さん記憶にあると思います。嶋原清子選手、尾崎朱美選手らが代表格で、その2人が東京国際女子マラソンの終盤でメダリストを抜き去るシーンは鮮烈でした。
 先日の大阪国際女子マラソンでも渡邊裕子選手(エディオン)が先頭集団についていくことを決めたのはレース当日の朝です。渡邊選手は実業団女子駅伝の3区をしっかり走っていますし、1万mも32分27秒89ですから、他の指導者だったら迷うことなく17分00秒の集団に付かせたはず。
 大阪の2日前に川越監督に“川越スタイル”の理由を聞きました。
「ぎりぎりの走りをして、(結果的に失速して)記録が残らなかったらかわいそうです。良い練習ができてきましたし、調子も良いのでなおさらそう思います。最低限自己新は出させたい(渡邊選手の自己記録は初マラソンだった昨年名古屋の2時間29分20秒)。若いのでチャレンジさせるという考え方もありますが、若いからこそ成功体験をさせたいのです」
 川越監督は失敗した後の練習への影響を考えているようでした。そこでマラソンへの苦手意識が刷り込まれると、その後のマラソン練習に積極的に取り組めなくなる可能性も出てくるのでしょう。
 嶋原選手に代表されるように、じっくり時間をかけて育った選手が世界で戦えるようになるケースもあります。
 ※渡邊選手が先頭集団に付く判断をした経緯などは、陸マガ3月号に書きました。

 男子に話を戻すと、15分00秒ペースのマラソンで失速するリスクを覚悟で走るか、延岡で確実に走りきって、その後のマラソンにつなげるか。
 もちろん、初マラソンから15分00秒ペースに挑戦しないと意味がない、と考える指導者も多いです。それをやるべき選手も多い。高岡寿成選手が15分30秒で走っても走りがおかしくなるだけだったでしょう。今月の東京で初マラソンに挑む佐藤悠基選手や木原真佐人選手もそう。この2人は2時間5分ペースの外国人に付く可能性もあるかもしれません。もちろん、藤原新選手もですが。
 川越門下でも1万mが31分台の加納由理選手は初マラソンから、17ペースで走っています。
 “強い選手”だけなら15分00秒ペースのマラソンだけで良いと思います。でも、出岐選手にはなれるのはごく少数です。意思が鉄のように強ければ、15分00秒ペースで失敗しても、くじけずにしっかり練習できるでしょう。でも、人間ですから、どこかで影響されてしまいます。

 代表選考レースは当たり前ですが、世界で戦う選手を選ぶためのマラソン。それに対して延岡は選手を育てるためのマラソンといえます。
 要は選手の適性をしっかり見極めましょう、という平凡な結論なのですが、延岡の前日でもあるので、ちょっと書いてみた次第です。


◆2013年10月26日(土)
 最近は競技記事以外の日常ネタはTwitterに書いてきましたが、5日間の九州取材が実現したので、期間限定でもと思い日記を再開します。
 台風を上手く避けることができたので昨晩のうちに空路九州入りして博多に泊まり、今日、鹿児島線で宗像入り。実業団女子駅伝西日本大会の前日取材です。14時の監督会議前に宗像(むなかた)市役所に到着。
 最初に会ったのはイケメン代理人のグッシーですが、続いてキヤノンAC九州の衞藤道夫監督、エディオンの川越学監督。エディオンの宗像マネジャーには、木村文子選手のケガの状態を教えてもらいました。全日本実業団の100 mHで転倒し、救急車で運ばれたところまでしか把握していませんでしたから。骨など深いところは大丈夫だったようですが、本格的な練習は再開できていないそうです。
 報道受付では毎日新聞事業部の方にご挨拶。今年も実業団公式ガイドのお手伝いをさせていただきます。

 14時から監督会議、15時からの開会式。その前後で話が聞けた選手は伊藤舞選手(大塚製薬)、木崎良子選手(ダイハツ)、野口みずき選手(シスメックス)。大塚製薬は後ほど河野匡監督のお話しも聞きましたが、伊藤選手も「故障者がなく、良い状態でこの大会を迎えられた」と強調していました。
 野口みずき選手は昨年のこの大会も良い状態で臨みましたが、そのときよりも良い練習ができたと言います。ダイハツは木崎選手が1区に回ったのは、モスクワ世界陸上後に1カ月休んだ木崎選手がまだ本調子でないこともありますが、3区の岡小百合選手と5区の坂井田歩選手の状態が良いからみたいです。
 取材できたネタはだいたい、展望記事に書きました。

 指導者では衞藤道夫監督(キヤノンAC九州)ら数人。衞藤監督は気さくに話してくれる指導者の一人です。今月、キヤノンのレーザープリンターを購入したのも、「キヤノン製品を持っています」と言うと同監督が喜んでくれるからですね。
 今回は競技成績でもキヤノンAC九州に注目しています。今季、城戸智恵子選手や青木優子選手が5000mでかなり良いタイムを出しています。「今シーズンの自己新率は何割くらいですか?」とうかがうと「8割くらい」とのこと。この数字はすごいと思います。
 大物新人が入って強くなったというより、以前から在籍していた選手が強くなったという印象です。城戸選手は高校卒業後1年間、パン屋さんでアルバイトをしていたという選手で、2009年の創部当時からのメンバーです。

 残念なニュースはユニクロの萩原歩美選手が欠場すること。島田健一郎コーチによれば2週間前の昆明合宿中に左足小指の付け根を痛めたとのこと。骨に異常はなかったそうですが、歩くのにも苦労する状態のようです。
「(違和感など)自分の状態の見極めはできる選手なんですが、“私が”という気持ちが強すぎたのかもしれません」
 来年は千葉県に拠点を移すユニクロ。山口県でお世話になった人たちへの感謝の気持ちを、最後にしっかりと全国大会を走ることで示したいのはやまやまでしょう。順位で全日本実業団対抗女子駅伝に出場できる8位は難しくなりました。「2時間23分を狙います」と島田コーチは厳しい表情。

 夕方には赤間のホテル(3年連続同じホテル。たぶん他にありません)に戻って仕事。17時を過ぎてもまだ明るかったので、一昨日までの盛岡とはずいぶん日の長さが違うと実感しました。ホテルの椅子に背もたれがないので駅改札横のカフェに移動(たぶん他にありません)。20時で閉店だったので、徒歩5分くらいのところにあるショッピングセンターに移動して、自販機コーナー前のフリースペースで21時半まで仕事。勉強している高校生が2人いて、一緒に頑張りました。


◆2013年10月27日(日)
 九州取材2日目。8:20には実業団女子駅伝西日本大会発着点の宗像市役所に到着しました。ちょっと仕事があって例年のようにスタート前取材ができませんでしたが、スタートの写真は間に合って撮ることができました。
 レース中はいつものように宗像市役所のホールでテレビ観戦。といっても、携帯電話回線で送られてくる映像ということで、鮮明ではありません。選手のバストアップ映像になってナンバーがわかり、チームがわかります。全身映像でユニフォームもなんとか判別できるのですが、似たような色使いのチームは怖いですね。
 昨年までは毎日新聞の田内記者が福岡陸協速報室をチェックして中継順位、区間順位などを読み上げてくれていましたが、今年は寺田もiPhone持ちになりました(大分インターハイ翌日に町田で購入)。自分で福岡陸協速報をチェックしました。
 ちなみにiPhoneはデータ通信専用に使っています。カフェライターにはデータ通信のワイファイルーターは必需品でしたから、そこにはしっかり投資していました。番号ポータビリティでソフトバンクiPhoneを購入すれば、ほんの少しですが安い月額料金で維持できるので変えた次第です。
 つまりガラケーとiPhoneの2つ持ち。電話取材がスマホでできるか、ということです。ガラケーからスマホに変更したTBS・K園ディレクターとは違います。

 レース結果は福岡陸協記録室に。ダイハツが予想通り強くて大会新で3年ぶり3度目の優勝。ですが、4区間で区間賞というのは驚きました。1区で木崎選手、3区で岡小百合選手、5区で坂井田歩選手、6区で出田千鶴選手。2区で3位に後退しましたが、3区でトップに再浮上。4区で2位に後退しました、5区で再度トップに。1位でタスキを受け取った6区を除けば、区間賞を取った選手の区間すべてで、1位に立ったということです。
 区間賞を取ったチームが1位に立つケースは、前半区間ではよく見られる現象ですが、後半ではどのくらいの割合でしょうか。2〜3割ではないでしょうか?? 今大会が後半まで接戦だったことを示しています。区間賞を4つ取っても2位との差は36秒ということでも、それがわかります。

 記録表を見ていて驚かされたのは、ダイハツが区間賞を取れなかった2区と4区は、ともに九電工が区間賞を取っていること。そして、2区のチェピエゴ選手、4区の陣内綾子選手がともにトップに立っています。
 つまり今大会は、区間賞を取った6人全員がトップを走ったわけです。これって、めちゃくちゃ珍しい現象ではないかと思うのですが。

 昨日の展望記事は、前年の1〜5位で書いたのですが、3位のノーリツ、5位の九電工が健闘しました。2位の大塚製薬と6位のキヤノンAC九州の躍進は、なんとなく予想できていましたが、ノーリツと九電工には驚かされました。
 ノーリツは高卒1年目の岩出玲亜選手が、木崎良子選手と最後まで競り合って区間2位という素晴らしい快走。今回、高卒1、2年目の若い選手を起用したチームがいくつかありましたが、区間上位はノーリツくらいだと思います。強豪の豊川高出身の選手ではありますが、見事だったと思います。
 順位こそ下げましたが、大ベテランの小崎まり選手も3区で区間6位と健在ぶりを示しました。全員が崩れない走りでアンカーにつなぎ、大卒2年目の津崎紀久代選手が6区で区間4位。1人を抜いて3位と健闘しました。
 この写真でわかるように3位のノーリツから6位のキヤノンAC九州までは50mくらいの差。2位の大塚製薬から7位のワコールまでも43秒という大混戦でした。大塚製薬の河野匡監督に全国の展望を聞かせていただいた際に「西日本で2位でも喜んでいられない」と話していました。
 昨日の展望記事の見出しは、珍しく的中しましたね。
 できなかった取材が1つありましたが、これは電話でなんとかできます。永山忠幸監督と廣瀬永和監督に、しっかりと話を聞くことができたのでホッとしています。公式ガイドの特集記事用の、今日一番の仕事でした。

 取材後は東郷から博多に鹿児島線で出て、博多から特急で佐世保に移動。長崎県は4年ぶりでしょうか?
 佐世保は初めてですが、駅を出たら目の前が港だったので、ちょっと散歩。軍用の艦船が停泊していて、佐世保が以前は軍港だったことを思い出しました。港には恋人たちの姿もちらほら。ミュージカル「シェルブールの雨傘」を思い出しました。悲しい恋(人生)の物語です。
 フェリーの待合室に丸テーブルが3つあったので、1時間半ほど高校生たちと一緒に原稿書き。売店に佐世保バーガーが売っていたので購入してホテルに持ち帰って食べようと思っていたら、知らないうちに閉店になっていました。
 佐世保に行ったら佐世保バーガーを食べるように誰かから言われていたので、その気になっていたのですが。気を取り直してホテルに向かっていたら、佐世保バーガーの看板が。路地を数10m入ったところのカフェ(レストラン?)を見つけ、雰囲気が良かったので入ってみました。
 プロ野球の日本シリーズを見ながら佐世保バーガーをいただきました。
 気さくに話しかけてくれるママさんとマスターだったので、地元の方が九州一周駅伝が終わってしまうことをどう思っているか聞いてみました。
「ずっと続いていた駅伝がなくなるのは残念。年間行事として、楽しみにしていたのに。競技人口が減ってしまわないかも心配」
 とマスターが話していました。ところどころ訂正させていただいた部分もありましたが、驚くほど当を得た言葉で、さすが九州と思いました。
 明日は9時に佐世保市役所スタートです。


◆2013年10月28日(月)
 九州取材3日目。悲願の九州一周駅伝取材が実現しました。
“まだ見ぬ大会”という表現をときどき使ってきました。取材に行ったことのない大会はいくつもあるのですが(全日本大学女子駅伝とか、出雲全日本大学選抜駅伝とか)、そのなかでも九州一周駅伝は早く“既知の大会”としたいと思っていました。今年が最後のチャンスとなり、テンションが一気に上がって来てしまったわけです。
 もちろん、寺田1人が「取材したい」と言ってできるものではありません。今回の取材に関しては主催の西日本新聞社のひとかたならぬご厚意があって初めて、実現しました。こんな個人サイトの日記ではありますが、感謝の意を表したいと思います。

 ということで胸躍らせて第2ステージ出発点の佐世保市役所前に。
 道すがら目に入ってくる佐世保の景色は、山並みも近くに見えて、神戸に似た良い雰囲気の街です。好きになりました。
 スタート地点では西日本新聞社の方数人にご挨拶。
 移動は基本的には選手収容バスに同乗させていただきました。JR九州の赤いバスが2台あり(収容バス)、中継後に上位チームと下位チームに分乗して移動します。
 バスの中で走り終わった選手に取材します。中継所近くに駅がある場合はバスに乗るとは限りませんし、下位チームから区間賞獲得者が出た場合など、取材ができなくなることも。そこはなんとかするのが新聞社ですが、大変なことは間違いありません。
 選手収容バスは中継地点に先回りするバスなので、レースは残念ながら見ることはできません。それでも、大会の雰囲気は感じられます。

 沿道の応援の数は少ないです。数年前まで毎年取材に行っていた中部実業団対抗駅伝(岐阜県下呂市)は今大会よりももっと人口の少ない場所を走りましたが、実業団対抗ということで会社が応援団を繰り出しますし、沿道の家からは8〜9割の人が応援している印象がありました。
 九州一周駅伝は平日の午前中ですから、多くなる方がおかしいでしょう。学校は授業中、職場は仕事中です。これまで、その辺を正確に把握していませんでした。選手が走って行く先々で、その地域の人々の盛大な応援を受けるものとイメージしていました。中継所も、近所のが数十人見守っているだけ。

 話を聞いた選手からも、そこまでこの駅伝が浸透していなかったことがわかりました。
「あっ、やっているんだ、くらいの認識でした」と話す選手もいましたし、「高校時代は、高校駅伝しか興味がなかった」と言う選手もいました。「家の近くを通らなかったから」「学校の授業があって直接見ることはできなかった」というのも当然です。
 なかには「小さい頃から九州一周駅伝のことは意識していて、一度走ってみたかった。最後にメンバーに選ばれて、自分の仕事をしたかった」(福岡2区の野本大喜選手)と、強い思いを持っている選手もいました。
 丸山文裕選手も「旭化成に入社して九州一周駅伝の重要性を認識しました。この大会でしっかり走らないと、九州の選手たちになめられる」と話していました。

 取材規制は特になく、選手に迷惑をかけない範囲であればOKのようです。
 沿道の人垣が少ないので、中継所の写真を撮ることができました。これが1区の選手を待つ2区の選手たち。実業団駅伝、学生駅伝に比べると、緊迫感はありません。
 トップ宮崎の1区・足立知弥選手から2区・白石賢一選手への中継。中継した選手たちは本当にすぐに、バスガイドさんの指示で収容バスに向かいます
 宮崎の2区・白石選手から、3区・丸山文裕選手への中継。3区まで3連続区間賞です。福岡の4区・加藤泰智選手(トヨタ自動車九州)から5区・西恭平選手(九電工)への中継。全員旭化成の宮崎が同じユニフォーム同士のタスキ中継が続いたのに対し、福岡は全部のタスキ中継が異なるユニフォームの選手の間で行われました。2強の宮崎と福岡の一番の違いがここにあると感じました。
 6区がフィニッシュすると、これも本当にすぐに閉会式が行われました。優勝した宮崎の森賢大選手が、スポンサーからカップを受け取っていましたが、全チームが出席していたわけではなかったような気がします。

 コメント取材ができたのは宮崎の1〜3区の3選手。収容バスの中で話を聞くことができました。これは記事にしました。
 福岡も1区の野本選手、4区の加藤選手、5区の西選手と話を聞きました。野本選手は拓大から安川電機と、モスクワ世界陸上マラソン5位の中本健太郎選手と同じですが、学生時代に関東インカレ2部ハーフマラソン優勝の実績があります。
 学生時代なら中本選手よりも明らかに上ですが、考えてみたら中本選手より実績が下の実業団選手はいないかもしれません。そのくらい、中本選手は学生時代は結果を残していません。
 加藤選手はここ2年間、トヨタ自動車九州の2区を走っている選手です。そのあたりの話をしました。
 西選手は区間賞。福岡出身(大牟田高)ですが、明大・西弘美監督と血縁関係はないそうです。
 
 4区は熊本の井上尚樹選手(青学大4年)が区間賞で、バスに乗ったとしても2号車でしたし、どうやらバスには乗らずに移動したようでした。6区は早大→九電工と進み、今は地元で塾の講師をしている朝日嗣也選手(国分教育ゼミ)が区間賞を取りました。
 明日の第3ステージは9時に鳥栖市役所をスタートします。


◆2013年10月29日(火)
 九州取材4日目。グランツール九州第3ステージを取材しました。
 スタートは鳥栖市役所。今日は収容バスではなく、取材車に乗ることができたので、スタート風景も見ることができました。高校生のブラスバンド演奏は振りもついていてノリノリでした。
 1区(10.4km)は渡辺竜二選手(トヨタ自動車九州)の飛び出しで始まりました。好調だと聞いていましたし、グレートノースランに藤原新選手(ミキハウス)らとともに出場していました(6位・1時間02分58秒)。トヨタ自動車九州が2位となったニューイヤー駅伝を欠場していたことも思い出しました。
 29分56秒で大幅に区間記録を更新。これは話を聞かないといけないと思い、久留米中継点で西日本新聞の山上記者とともに取材車を降りました。渡辺選手は収容バスに乗らないということだったので、本人の了解をもらってその場で取材に。
 グレートノースランの成績は本人としては不本意だったそうですが、今季成長できた点として「気持ちがすごく充実している。苦しいところでもう一度頑張ろうと思えるようになった」と話していました。
 ビックリしたのは旭化成で活躍された渡辺共則さんがお兄さんだったこと。12歳違いで、竜二選手は四男なのですが辰年の2番目ということで竜二と命名されたそうです。共則さんは2時間9分台の記録を持ち、北海道マラソンを2005年、06年と2連覇した選手。「自分も適性はマラソンが一番ある。兄を超えていきたい」と話していました。
 この冬はトヨタ自動車九州の駅伝も楽しみですし、渡辺竜二選手の初マラソンも楽しみです。

 スタート地点は佐賀県鳥栖市ですが、第1中継地点は福岡県久留米市。フィニッシュは熊本市ですから、第3ステージは3県をまたいで走ります。九州一周駅伝でも同じ日に3つの県を走るのはこの日だけ。
 個人的にも昨日が初めての佐賀県取材でしたが、同じ日に3つの県で取材をするのも初めてのような気がします。
 渡辺選手への取材を終えると、すぐにタクシーで久留米駅に。2→3区の第2中継には間に合わないので、電車(JR九州)で大牟田駅に移動して3→4区の第3中継所に。大牟田高のある大牟田市です。
 陸マガ編集部にいた頃には何度か、ライターとカメラマンに取材に行ってもらうために段取りをしましたが、自分が来たことはありませんでした。思いがけない形で大牟田の地に立つことができ、ちょっと感動でした。
 大牟田駅から中継所の大牟田市役所までは徒歩2、3分。宮崎4区の堀端宏行選手(旭化成)たちがアップをしていました。

 4区(20.2km)への中継でも福岡がトップ。2位が長崎で、堀端選手は3番目でタスキを受け取ると、7km過ぎで長崎の木滑良選手に追いつきました。しかし10km過ぎで木滑選手に引き離されてしまう展開。表情も苦しそうでした。モスクワ世界陸上を途中棄権した堀端選手が万全でないのは確かですが、木滑選手の好調ぶりが印象的です。区間賞は木滑選手で60分58秒、堀端選手は区間2位で61分21秒。
 中継後は収容バスで移動しながら堀端選手と木滑選手に話を聞かせてもらいました。この区間は浜田安則さん(鹿児島)が58分39秒の区間記録を持っています。1976年に出した記録で、今も残る区間記録としては最古のもの。今回更新されなかったことで、永遠に区間記録として残ることになりました。
 中継所では堀端選手も付き添いの選手と、1km平均2分54秒ということを話していました。レース終盤では76年に区間2位(58分49秒)だった宗猛監督から「昔の俺はもうゴールしていたぞ」と発破をかけられたそうです。そのあたりの話は西日本新聞に載ると思います。
 木滑選手はハーフマラソンマラソンは3本走ったことがあるそうですが、九州一周駅伝では初めての20km区間。この冬のマラソン挑戦を考えてのことです。今年2月の延岡西日本マラソンでは28kmまでペースメーカーも務めています。
「世界陸上代表選手と20kmでどこまで戦えるかと思って走りました。堀端さんは本調子ではなかったと思いますが、自信になりました。マラソンの手応えはまだありませんが、ウチのチームは松村(康平)さんや小林(誠治)さんがマラソンで成功されています。一緒に練習しているので、イケルのかな、と思っています」
 渡辺選手、木滑選手と2人、この冬の初マラソンが期待できる選手が第3ステージで快走しました。

 まだ2日目ですが、「これが九州一周駅伝取材か」と感じられました。久留米−大牟田間を電車で移動して取材したこと、3県をまたがって取材したこと、そして九州メディアの熱い取材を目の当たりにできたこと。
 4区も西日本新聞社の取材車に乗せていただきましたが、動きがアグレッシブですね。前と真ん中の座席に記者が4人(寺田も入れて)、後ろの座席にカメラマン1人が乗って取材をしていたのですが、まずは3位を走る堀端選手を撮り、次にトップの福岡の前に出るために先回りしました。そこでまた車を止めて2位の長崎を待ち、木滑選手が堀端選手を引き離すシーンを撮っていました。
 すでに12〜14kmという地点でしたから、そこから中継点までに1位の福岡の前に出るのは大変です。これまでも何度か、駅伝取材車に乗ったことはありますが、フィニッシュや中継点に選手よりも先に着くことを優先するのが普通です。ところが西日本新聞取材陣は、3位の世界陸上入賞選手の走り、2位争いもしっかりと撮り、なおかつ中継点にも間に合わせるという離れ業に果敢に挑戦していました。
 脇道を使って先回りするわけですが、畑の中の農道が行き止まりだったり、住宅街の細い道では犬が飛び出してきそうになったりするハプニングも。愛犬家記者として有名な西日本新聞・向吉三郎記者は気が気ではなかったようです(愛犬の名前はシロー)が、玉名(熊本県)の第4中継所にはしっかりと先回りできました。これが九州男児の取材か! 最後に一緒に取材ができて本当によかったです。


◆2013年11月16日(土)
 日体大取材帰りのファミレスで書いています。
 最後の開催の九州一周駅伝取材で勢いをつけて日記を復活させようとしましたが、九州取材4日目を最後に途切れてしまいました。忙しくなってしまったからですが、九州取材最終日で面白いネタが多くあって、文章にするとけっこう時間がかかりそうでした。九州取材の総括もしたかったので、1時間半か2時間かかりそうで、それで時間が取れなくなって中断してしまいました。
 そういうときは、その日の日記を後回しにしても、その日毎に書いていかないとダメですね。前田和浩選手以外の日本代表記事も書きたかったし、変に欲をかくと書けなくなってしまうということです。

 九州一周駅伝4日目ネタで一番面白かったのは1区で駒大2年の井上拳太朗選手が区間賞を取り、6区では日体大OBの谷永雄一選手が走ったことです(区間8位)。
 井上選手はこの時期の九州一周駅伝に出ているということは、駒大の全日本大学駅伝メンバーに入っていないということです。言ってみれば駒大二軍ですが、井上選手はこの日の区間賞でアピールができたのではないでしょうか。
 近年、九州一周駅伝に出た駒大選手で箱根駅伝に出た選手はいないそうですが、井上選手はもちろんあきらめていません。2日目の1区では区間6位。鎧坂哲哉選手に2分離されました。しかし、大八木弘明監督に報告すると、電話越しに怒られたそうです。「『そんな走りをさせるために九州一周駅伝に出したわけじゃない!』と言われました」。つまり、大八木監督も二軍選手の消化試合と考えていないということでしょう。
 九州一周駅伝に行ったから取材できたネタです。

 面白かったのは同じ日の6区に、今年の箱根駅伝で優勝した日体大10区の谷永選手が出ていたことです。区間8位ということから練習していないことがわかりました。高校の先生になって、男子の練習も見れば、女子の練習も見る。教員1年目だから上に監督がいるのかと思ったら、谷永選手がいきなり監督を任されたそうです。自分が走る時間はほとんどありません。
 箱根駅伝の後に実業団から誘いもあったそうです。「悩みましたが、日体大に入ったのは先生になりたかったから。私立高校の先生はタイミングもあることだから」と、教員の道を歩み始めました。同学年の福士優太朗選手(ヤクルト)とは、歩む道は別々になりましたが、ラインで連絡を取って励まし合っているそうです。
 難しい立場でも箱根を目指す選手と、優勝して箱根を卒業した選手が同じ日に走る。九州一周駅伝ならではエピソードでした。

 谷永選手を取材したバス車内では、1年ぶりに永田宏一郎選手に再会。小森コーポレーションを退職して、地元の鹿児島で非常勤講師をしています。来年からは正規採用だそうです。
 前日の第3日4区(大牟田−玉名)では、鹿児島県の浜田安則選手の持つ最古の区間記録が更新されず、永遠に区間記録として残ることになりました。その話を永田選手にすると、鹿児島県では鹿児島県一周駅伝が盛んで、その駅伝でも浜田さんの区間記録が(複数?)残っていて「“浜田ロード”というコースもあるんです」と教えてくれました。
 浜田さん、恐るべしですね。
 その永田宏一郎選手も、全日本大学駅伝1区の区間記録が今年も更新されませんでした。2000年に出した全日本大学駅伝最古の区間記録です。
 全日本大学駅伝と九州一周駅伝がリンクするのですから、九州取材は面白いですね。

 九州取材から戻ったのが10月31日。東日本実業団駅伝になだれ込みました。熊谷では例年のことですが、男女同時開催ということで選手、指導者とものすごい人数に話を聞きました。2泊しましたが、ホテルとカフェでは「岩手県女子短距離が躍進した理由」(陸上競技マガジン12月号)を頑張って書きました。陸マガに500行原稿を書くのはいつ以来でしょうか?
 岩手県女子短距離企画については、改めて書きたいと思います。

 その翌週は箱根駅伝展望用の取材。九州取材前というか、九州に出発する日に明大の八木沢元樹選手を取材。その原稿を5日に書き、週末には法大と専大をはしご取材。坪田監督を法大で取材するのは初めてでしたし(試合会場やコニカミノルタでは何度も取材)、伊藤国光監督を専大で取材するのも初めてでした(カネボウ監督としては、これも数限りなく)。
 週明けには東海大に行きました。両角速監督を東海大で取材するのも初めて
 ちなみに東海大の小池主務と、専大の宮坂主将は佐久長聖高の同学年。大迫傑選手、代田選手、矢野圭吾選手の学年です。2人から面白いエピソードをたくさん聞くことができました。1年上の村澤明伸選手の学年が強力で、全国高校駅伝に優勝しました。その下の学年ということで苦労もあったそうです。どこかで記事にしたい学年ですね。

 ということで昨日は横浜国際女子マラソン。
 選手それぞれに、この大会に思い入れがあります。その辺を記事にしたかったのですが、現時点では2人だけ。明日のスタートまでに追加できればいいのですが、ちょっと難しいでしょう。
 今日は日体大に行って、柿原選手の1万m神奈川大歴代2位を見ました。レース中に大後栄治監督に「スピードの神奈川大を見に来ました」と申し上げましたが、その通りになりました。柿原選手のコメントも、それを裏付けるものでした。
 あとはデンソー勢をしっかりと取材。高島由香選手の話が良かったですね。これはTBS全日本実業団対抗女子駅伝のコラムに書く予定です。
 スズキ浜松AC勢も15分40秒台が3人。スズキ浜松ACの女子長距離部員は5人。そのうち4人のベスト記録が15分40秒台。駅伝なしでこれはすごいことです。里内正幸監督にお話を聞きたかったけど、時間がありませんでした。どこかで取材したいと思います。
 ユニクロも15分40秒台が2人。島田選手は「800mの選手だよ」と鈴木秀夫監督が教えてくれました。
 法大原稿の見直しをこれからやって、箱根駅伝もう1冊の増刊「100人の証言」の60行原稿が明日中に2本。東海大は手直しが必要ですが、これは月曜日でいいのかな。
 明日は横浜国際女子マラソン取材後に、実業団駅伝地区大会の原稿もあります。

 久しぶりにテンションを極限まで上げないと乗り切れません。異常な集中力というか、ライターズハイというか。自暴自棄かもしれません。それで、こんな長い日記を書いてしまいました。


◆2013年11月17日(日)
 今日はもちろん横浜国際女子マラソンの取材です。
 寺田にとっては“もちろん”ですが、昨日、日体大では「明日は上尾ですか?」と2回くらい聞かれました。陸上界には色々な立場の人が、色々なスタンスで関わっているということです。それらをまとめていく陸連は、本当に大変だと思います。実際まとめるのは不可能なのですが、異なる立場の人のエネルギーを良い方向に持っていけたらいいですよね。

 話がそれました。
 今日もたくさんの選手、指導者を取材をしました。具体的にどう動いたかは明かせませんが、沿道にも行き、今の携帯電話機種で初めてワンセグを見ました。温かくてよかったです。
 沿道には朝日新聞・K重元陸上競技メイン担当の姿も。Twitter用に写真を撮っていました。書くまでもないことですが、横浜国際女子と福岡国際は朝日新聞の主催で、実際の運営もかなりの部分を同社事業部が行っています。今日は歴代の陸上競技担当記者が勢揃いしていました。
 大会の招聘担当はH川さんですし、大阪からはO田記者、名古屋からはI本記者、そしてメイン担当はM田記者。元事業部のグッシー(今日はハマグッシー)はどういう形で関わっているのか正確にはわかりませんが、沿道でも閉会式でも姿を見ました。
 というか、かなり諭されました。ドバイマラソンに関係することで取材を申し込んだら、「その前にこっちの記事を書くべきでしょう」という感じで。まあ、いつものことですし、この日記が再開しているのはグッシーのプッシュがあったからですが。
 レース後には事業部のK谷さん(女性。元福岡のメイン担当記者)とも久しぶりに再会して、旧交を温めているところをダイハツ林監督に見られて言い訳をするはめに。
 話がそれました。

 いきなりまじめな話をしますと、今大会は“浪花節マラソン”になってしまうかな、という危惧がありました。人生模様に焦点が当たる選手が多いように感じていたのです。レースが始まってペースメーカーの設定が5km17分20秒と聞いて、状態が良い選手が少ないことが判明して、懸念が現実になりそうでした。
 人生模様にスポットが当たること自体は、良いことだと思います。選手は競技者である前に人間ですし、選手の人生が充実して初めて競技力が向上します。寺田も、どちらかというとそちらの取材の方が好きです。
 ただ、エリートマラソンである以上、それだけではちょっと物足りないというのが個人的な思いです。

 実際問題として、レースはレベルが低い結果に終わりました。救いは、日本人トップの野尻あずさ選手が新しい練習スタイル、競技スタイルを試していて、そのことを詳しく話してくれたことです。これで記事は浪花節一色に染まらずにすみます。
 繰り返しますが、浪花節の方が個人的には好きです。
 その証拠に今日一番良かったと思った取材は、原裕美子選手の話を聞くことができたことです。2005年のヘルシンキ世界陸上6位入賞者ですが、2010年の北海道優勝を最後に、座骨神経痛などに苦しんで普通の走りができなくなっていました。
 今年、佐倉アスリート倶楽部をやめ、地元の栃木に帰っていましたが、ランニング関係の仕事をしたいとAASPランニングクラブ(元佐倉アスリート倶楽部の阿部康志コーチが運営)の仕事に携わるようになりました。
 8月に東京に出てきて、と同時に走る方も少しずつ復活してきて、今は本気で上のレベルを目指しています。もうダメと思われていた選手が頑張っている姿を見て、話を聞くことができるのは本当に記者冥利に尽きます。

 横浜の記事は陸マガに書きます。ページ数がちょっと心配。上尾に…。


◆2013年11月23日(土)
 滋賀県は草津のホテルです。国際千葉駅伝を取材したその足で、明日のスプリント学会のワークショップとトップアスリートセミナー(の取材??)のために関西に来ました。大阪近辺のホテルはどこも満室で、西は姫路、東は草津にしか空室がなかったのです。
 ところが草津駅に着いたのが22:45で部屋に入ったのが23:40。駅から徒歩15分ということで慎重に歩いたのですが、見事に道に迷いました。最後まで空きがあるホテルというのも頷けます。

 国際千葉駅伝の日本チームのキーワードは昨日の会見で佐藤悠基選手が話した「当たって砕けろ」だった気がします。ブレーキ気味だった選手も含め、そこは徹底されていたように感じました。安全策ではなく、ケニアに挑戦する姿勢ですね。それで失敗もありましたが2位を確保したのですから、個々の課題はあるにせよ合格点だったと思います。

 取材は“国際千葉駅伝の取材”をしっかりやりました。その上で実業団駅伝に向けた取材と段取りもそこそこやり、箱根駅伝に向けた取材もこそこそやるのがこの大会です。陸マガ次号のマラソン企画用の取材もそそっとできたのはラッキーでした。
 スタート前にはトヨタ紡織・榎木和貴監督と話ができました。どこかの大会で「今年のトラックはいまいちですね」なんて言ってしまいましたが、先週の中部実業団対抗駅伝はトヨタ自動車に快勝。昨年の優勝より価値がある勝利だったように思いました。チームが良い雰囲気になっているのが、外からでもわかります。

 取材が一通り終わった後には電話取材も1本。九州の某実業団監督に電話をしました。
 九州で思い出しました。今日も九州一周駅伝の話題を某大学監督とさせていただきました。東日本実業団駅伝でもしましたし、横浜国際女子マラソンでもしましたし、横浜2日後の町田での打ち合わせでもしました。九州一周駅伝はずっと引っ張れそうですね。

 横浜国際女子マラソンといえばA新聞事業部のH川さんが今日も姿を見せていました。早稲田スポーツF谷さん(宮澤智に似ているという意見あり)の姿も。今日の取材中にF谷さんと話をしていたら、偶然H川さんが寺田の隣に来てハタと思い出したことがありました。
 2人とも湘南高校の出身だということは知っていたので、紹介しました。いつかこういうシーンも実現するだろうと思っていたのですが、そしたらH川さんも早稲田スポーツに在籍していたことが判明。すごい偶然です。というか、今までなぜ黙っていたの?
 A新聞といえばグッシー(元イケメン仕掛け人)ですが、今日は特にネタはありません。
 マヤカ監督とも最近必ず会いますね。「今日も会ったね」と毎週言い合っている感じ。5区で勝利を決定づける走りをしたモクア選手の通訳を半分していただきました。半分は自力です。
 千葉県出身の渡辺康幸監督の姿も。箱根駅伝のオールドファンにはなつかしいシーンでしょう。

 17:45までプレスルームで原稿書きをした後、モノレールで京葉線の千葉みなと駅に。西宮(兵庫県)までの往復切符を買いました。明日のスプリント学会のワークショップとトップアスリートセミナー(の取材??)の後、再び千葉県に取って返すからです。
 明後日の午前中は、海浜幕張で富士通の藤田敦史コーチの取材。その日の夜は前橋で犬伏孝行コーチの取材。そして水曜日には高岡寿成コーチの取材です。マラソンの2時間6分トリオが続くとはなんという偶然……なわけはありません。


◆2013年11月24日(日)
 草津から今津へ。朝から韻を踏んでいて、今日も良いことがありそうな予感がしました。
 今津(兵庫県西宮市)では大阪ガス・グラウンドでスプリント学会のシャン・コーチのワークショップに。取材になるのか、学会参加になるのかよくわかりませんでしたが、取材になりました。
 午後は北海道のT野ライターと一緒に大阪市内に移動して、アスリートネットワーク主催のトップアスリートセミナーに。こちらも取材になりました。

 セミナー会場は岡本依子さんのテコンドー道場でした。最寄り駅からの道もスマホに地図を表示できていたのですが、昨晩草津で迷った教訓を生かし、早めに確認することに。佐川急便(SGHグループさがわ)の営業所の前を通ったら若いお兄ちゃんが作業をしていたので道を教えてもらいました。
「この区画の裏ですよ」と丁寧に教えてくれました。山本亮選手と同じくらい爽やかな好青年でしたね。佐川急便の社員教育がいいのかも。(山本亮選手と同じくらい)アイドルが好きなのかどうかは聞きませんでしたが。
 お礼を言いながら立ち去るとき、「ニューイヤー駅伝は佐川急便を応援しますよ」と声をかけました。いきなり駅伝と言われてビックリしているようでしたが。

 セミナーの様子はこちらに記事にしました。後編も書く予定です。午前中のワークショップと併せて取材して良かった、と思った点が2つあります。
 1つはシャン・コーチの指導したドリルのこと。ワークショップ後のカコミ取材では、江里口匡史選手、福島千里選手、桐生祥秀選手の3人とも、日本のやり方との違いを口にしていました。そういう質問の仕方だったこともありますが、“いつもとは違いますね”という雰囲気でした。
 ただ、ドリルは見た目的には、既視感のあるものが多かったのです(既視感という言葉の使い方が正しくないかも)。その辺が、セミナーの朝原コーチの話で寺田の中でも上手く整理できました。
 もう1つはシャン・コーチのスタンスです。ワークショップでは個々のメニューを丁寧に指導していましたが、こちらの記事にあるように「日本のコーチは分析ばかりしているのでは?」という疑問も口にされていました。あれ?っというコメントだったのですが、これもセミナーでの同コーチの話を聞いて納得できました。

 今日、シャン・コーチの通訳を務めたのは鷲谷修也さん。見た目が高校球児っぽかったのでもしやと思って、IDの名前を望遠レンズで確認したら、鷲谷さんでした。清田浩伸監督のブログに何回か登場していたので、ピンときました。
 駒大苫小牧高野球部でマー君の同級生だった球児ですが、その後アメリカに渡り、向こうでドラフトにもかかり、帰国後は上智大で陸上部に入り、縁あってジャマイカにも留学した経歴の持ち主です。江里口匡史選手とも同学年。シーズン前のジャマイカ訪問時にも、通訳をしてくれたのだそうです。
 ワークショップとトップアスリートセミナーの2つを取材したことで、色々な意味で理解度が深まりました。先月の盛岡取材といい今日の西宮&大阪取材といい、オフになってからのトラック&フィールド取材は良い感じです。


◆2013年11月29日(金)
 福岡国際マラソンの前々日取材でした。
 10:30発のANA便で福岡入り。搭乗口に行くと、自身のフェイスブックで福岡国際マラソン取材を表明した中日スポーツ川村庸介記者に会いました。福岡国際マラソンを走る予定もあったのですが、取材になったという報告を市民ランナー仲間にしたのだと思います。時代を象徴している気がしました。
 機内では瀬古利彦DeNA総監督のお姿も。福岡国際マラソン4勝の瀬古さんと同じ飛行機で福岡に向かえるとは。福岡と瀬古さんのことは「平和台の坂」で書かせていただきました(高岡トシナリ・コーチにも触れています)。

 機内ではニューイヤー駅伝の陸マガ用展望記事を書いていました。福岡空港に着いて30分で、ネットなどで情報を確認して送信。
 ここ数年、編集部からの要望で注目チームを表にして◎とか▼とか付けているのですが、どのチームを出すかものすごく難しい判断になります。ピックアップするのは5チーム。コニカミノルタ、トヨタ自動車九州、日清食品グループを3強としたので、その3つは迷いませんでしたが、残りの2つをどうするか。
 東からDeNA、トヨタ紡織、トヨタ自動車、中国電力、九電工、旭化成……どこをピックアップしたか、もう忘れています。

 会見の様子はこちらに記事にしました。藤原新選手と川内優輝選手の舌戦については各メディアが記事すると思ったので、そこは省きました。この舌戦ですが、選手が始めたというよりも、司会のアナウンサーの方が誘導していました。
 川内選手の「岐路のレース」という部分の詳細は、短い記事では紹介できないだろうと思ってしっかり書きました。
 川内選手の弟の鴻輝選手がサンモリッツで、藤原選手と一緒に練習したという部分は各メディアに出ています。明後日のレースでの川内兄弟対決についてコメントを求められると、藤原選手は「鴻輝君に来いとは、僕はひと言も言っていません。よほど兄への反発心が強いのでしょう。兄に認められるような走りをしてほしい」と話していました。

 ちなみに鴻輝選手と川村記者も、3月のびわ湖で対決したライバル同士。そのときは後半失速した鴻輝選手を、川村記者が逆転して勝っています。
 会見前に2人が話していたので「ライバル同士の写真を」と撮影許可をもらおうとすると、川村記者が「(5000mで)14分台を出しそうな選手とはライバルにはなれませんよ。記者最速も2時間23分台を出されてダメなんですから」と取材を拒否。はなから勝負をあきらめているところが、アスリートらしくありません。一橋大の後輩はこんなことを話していたのですが…。

 各メディアでも寺田的でも書いていないのが、瀬古さんが質問された「11年間2時間6分16秒の日本記録が破られていないのはどうしてか」ということについての日本3選手の答えです。これは陸マガ次号に書く記事とも若干重なる部分ですので控えました。
 でも1つだけ、やりとりを紹介しましょう。
 瀬古さんが「松宮君なんか27分40秒で走っているんだから」と振ると、松宮選手は「そういうところを踏まえて瀬古さんにご指導いただければ」と返したところが面白かったです。瀬古さんの隣には、コニカミノルタの酒井勝充総監督も座っている状況でした。後から聞いたのですが、旭化成の宗猛監督も大ウケされていたとか。

 会見後には日清食品グループの諏訪トシナリ・コーチとも少し話をする機会がありました。東日本実業団駅伝を欠場した高瀬無量選手が復活しているようです。村澤明伸選手も状態が上がって来ているそうです。陸マガ記事を書く前に知っていれば…。


◆2013年11月30日(土)
「頑張れトシナリ!」
 と福岡で言える幸せをかみしめた一日でした。

 今回の福岡出張はホテルがどこもいっぱいで、3連泊ができませんでした。昨晩は大濠公園駅近くのホテルで、今日と明日は天神駅近くのホテル。朝は6時半に起きて昨日の日記を書き、サイトの更新をして、2時間6分トリオの原稿に取りかかりました。朝食を挟みながら、まずは取材ノートの読み返しと記事全体の構想を練ります。
 11時にチェックアウトして、大濠公園(正確には違うかも。とにかく平和台競技場の外側の公園)に沿った明治通り沿いに、天神の方に歩いていました。時間的に、大濠公園の方に走っていく選手がいるかもしれないと思っていたら、旭化成の佐々木悟選手、白人選手とすれ違いました。
 濠がもう少しで終わるところで走ってきたのが、日清食品グループのモグス選手と諏訪利成コーチ。「頑張れトシナリ!」と声をかけた次第です。
 諏訪コーチとは昨晩も少しお話しができたのですが、国近友昭選手(当時エスビー食品、現DeNAコーチ)、諏訪選手、高岡寿成(トシナリ)選手が、アテネ五輪代表を懸けて激闘を展開したのは2003年なので、あれから10年経ったのですね。

 あのレースは本当に忘れられません。高岡選手がその1つ前のレース、2002年のシカゴで2時間06分16秒の日本記録を出し、V候補の筆頭でした。しかし、38kmでスパートしたにもかかわらず国近選手と諏訪選手を振り切れず、平和台競技場を前に引き離されました。国近選手が2時間07分52秒で優勝し、諏訪選手が3秒差で2位。3位の高岡選手も2時間07分59秒で3位という激闘でした。日本選手3人が2時間7分台を出したのは初めてですし、その後もありません。
 実は諏訪コーチとすれ違う前に、高岡選手に残されていた最後の戦意をくじいたという「平和台の坂」を写真に撮っていました。諏訪選手は結果的にアテネ五輪代表に選ばれて本番でも入賞するので敗者というイメージはないのですが、福岡のレースでは2位と敗れたわけです。10年前に敗れた2人のトシナリとつながりが持てた朝でした。

 14時過ぎまで大濠公園に面したカフェで原稿を書き、今日からのホテルにチェックインして荷物を置き、昼食は天神のカレー屋さんで。ここも福岡国際マラソンゆかりの店です。
 大会本部ホテルの西鉄グランドホテルに移動して、取材は何もしませんでしたが、ロビー原稿を頑張りました。

 福岡は2人のトシナリゆかりの場所ですが、2人のアツシにもゆかりの場所。藤田敦史選手が2000年に2時間06分51秒の日本歴代2位(当時の日本記録)で優勝しましたし、佐藤敦之選手が2007年に2時間07分13秒の日本歴代4位で北京五輪代表を決めました。2人とも福島県出身。国内日本人最高記録が藤田選手で、国内日本人歴代2位が佐藤選手です。
 何度か書いていますが、月曜日と水曜日で2時間6分トリオ全員の取材をさせていただきました。その原稿を福岡で書いていたわけです。夕方、明日のテレビ解説で福岡入りしている藤田コーチが本部ホテルに来たので挨拶しました。
 明日が引退レースとなる佐藤敦之選手にはまだ会っていませんが、昨日、川内優輝選手が佐藤選手の引退について話していました。
「僕が今、頑張れているのは、2010年の東京マラソンで佐藤敦之さんが目の前にいらして、藤原新さんが2秒前にいたから。そのメンバーの方が引退されるのは感慨深いものがあります」
 実は川内選手、高岡選手の引退レース(2009年東京)も、藤田選手の引退レース(2013年長野)も一緒に走っています。しかし、2人とも引退レースは途中棄権でした。
「でも、国近さんの引退レース(2010年福岡)も一緒でしたが、5kmで後れてしまわれたのですが、粘って2時間20分で走りきりました」
 じゃあ、佐藤敦之選手は川内選手と一緒に引退レースを走る日本最高記録を出せる可能性がある? という質問には「……」と答えに窮していた川内選手でした。

 2人のトシナリと2人のアツシを、福岡で話題にできるのは幸せなことです。


◆2013年12月1日(日)
 今日は福岡国際マラソンの取材でした。早起きして昨日の日記を書き、2時間6分トリオの原稿を250行まで書き進めました。9時過ぎに朝食に行くと、マラソンに出場するR誌編集トップのT氏がいました。毎年のように福岡でお見かけする元箱根駅伝ランナーです。
 母校の東海大が9月の日体大長距離競技会で好記録を連発し、箱根駅伝予選会も3位通過しましたが「箱根はそんなに簡単じゃない」とおっしゃっていました。実は陸マガの箱根駅伝増刊号箱根駅伝2014 完全ガイドで東海大を担当したのですが(明日発売ですか?)、両角速監督も同じことを取材中に話していました。「あの2大会は作られた記録だから、箱根駅伝という舞台で1人で走れるかどうか」と。
 でも、日体大の好記録続出で、昨年の予選落ちで自信を失っていた東海大が自信を取り戻したのは確かです。その辺を起点にストーリーを展開させました。

 10時半に平和台に着きました。雨の福岡国際マラソンはいつ以来かな、などと考えていたら、スタート時には雨があがったようでした。
 レース結果は皆さんご存じのとおり。マサシ選手が2回目のマラソンで優勝しました。昨年の福岡は38kmで途中棄権。その晩に大会ホテルの前で会ったときに話したことなどもありますが、その辺は陸マガ記事に生かせるかと思います。
 35km以降でギタウ選手以下に約2分差をつけました。世界的に活躍できる選手になるのではないか、と感じましたし、一緒に走ったある選手もそういったことを話していました。その一方で、ケニア選手で今回のタイムではちょっと、という厳しい意見も出ていました。今後のマサシ選手に注目しましょう。

 昨年優勝のギタウ選手は、1年前と比べると明らかに準備不足だったそうです。9月の全日本実業団1万mは途中棄権。「そこから努力してここまで走った。すごく頑張ったと思う」と坂梨博監督。もう少し詳しい話も聞きましたが、その辺も書けるでしょうか(これは自信がありません)。

 レース後の取材はまあまあ上手くできました。ボイスレコーダーを会見場に残して川内優輝選手のぶら下がりをした後に、佐藤敦之選手の話を聞くことができたのがラッキーでした。福島のテレビ局と新聞社が取材に来ていてくれたおかげですね。もちろん、中国新聞の小山記者にも感謝です。
 寺田としては中国電力のビッグスリー(尾方剛、油谷繁、佐藤敦之)が全員引退したので、中国電力のあの時代は何だったのか、というのが取材のテーマです。2時間6分トリオの特集記事を書いて、中国電力トリオを書かないというのはおかしいですからね。
 今回の陸マガは“2時間5分台を出すために”、というテーマなので2時間6分トリオに焦点を当てますが、国際大会の成績なら中国電力トリオの方が上です。
 佐藤敦之選手は次のように話してくれました。
「あの人たちにできるなら自分もできると思って頑張りましたが、異様な空間だったかもしれませんね」
 このテーマは今回だけで取材しきれるものではありませんし、尾方監督と油谷コーチにも取材をしないと書けません。今日は今後の取材の取っかかりでした。

 その後も電話をしたり、大会本部ホテルに行ったりして取材を頑張りました。
 大会本部ホテルでは諏訪利成コーチと談笑するR誌のT氏の姿も。2人は東海大の先輩後輩です。T氏の頬がこけていて、マラソンを走るとここまで変わるのか、と思いました。単に光線の具合でそう見えただけかもしれません。
 夜はスポーツナビの原稿を頑張って書きました。


◆2013年12月7日(土)
 月曜日(2日)に2013年の流行語大賞が発表されました。「じぇじぇじぇ」「倍返し」「今でしょ」「お・も・て・な・し」の4つです(ヤフー記事)が、寺田的には断トツで「じぇじぇじぇ」ですね。
 「倍返し」は実業団女子駅伝西日本大会で永山忠幸監督が取材中に使われていましたし、「お・も・て・な・し」の2020年東京オリンピックは仕事に関わってくるところなので捨てがたいのですが、10月の盛岡取材中に何度も「じぇじぇじぇ」と叫んでいた人間としては、迷いはありません。

 陸マガ記事用の盛岡取材は10月23日と24日でした。23日は盛岡駅のカフェで藤沢沙也加選手(セレスポ)にインタビュー取材後、岩手大で練習とリレーメンバーの集合写真撮影、田村友紀選手と盛岡誠桜高2選手のインタビュー、夜に岩手大・清水茂幸部長のインタビュー。
 「じぇじぇじぇ」を何度も叫んだのは、盛岡三高→盛岡誠桜高→盛岡一高とハシゴ取材した24日です。

 最初は午前中、場所は盛岡三高でした。菊池勝彦岩手陸協強化部長(国体では岩手県監督)に3年後の岩手国体に向けた強化策をインタビューしました。
 かつてのインターハイ100 mチャンピオンですが、もう県陸協の要職に就く年齢。光陰矢のごとしを実感しながら、顔写真(陸マガ12月号をご覧ください)を撮らせていただいていたときです。

菊池先生「陸マガの高橋編集長は元気ですか。彼とは大学の同期で…」
寺田
「じぇじぇじぇ!」

 2人とも筑波大ということは認識していましたし、肉体的に共通点が1つあったので、同学年だったら面白いなとは思っていたのですが、まさか本当に同学年同士だったとは。ただ、肉体的な共通点は口にできませんでした。

菊池先生「編集長とは沖縄で会ったことがありましたが、2人とも白髪ばかりになってしまいまして…」
寺田「その話題は避けていたんですけど…」


 菊池先生には震災後の岩手県の現状や、復興と並行とした国体強化ということを話していただきました。

 次は盛岡誠桜高でした。盛岡三高からは歩いて行ける距離です。途中で昼食を済ませ、学校の前の池を眺め、昨年までの盛岡女子高にお邪魔しました。
 村上亮先生は国士大で400 mが専門だったと(400 mHだったかもしれません)、やはり顔写真を撮らせていただきながら雑談していました。

寺田「国士大といえば田村高校から国士大に移られた下重庄三先生を、昨年取材させていただきました」
村上先生「下重とは同期ですよ」
寺田「じぇじぇじぇー!」


 村上先生からは土橋智花選手とのエピソードをいくつか話していただきました。胸にジーンとくるものもあり、村上先生のお話を聞けなかったら、あの記事は書けませんでしたね。最後の締めの一文も、村上先生との師弟関係を考えていたら思いついたものです。

 最後は盛岡一高でした。盛岡誠桜高から盛岡一高へも歩いて行けます。盛岡三高→盛岡誠桜高→盛岡一高と1日でハシゴ取材した陸上記者は日本で初めて……だったらいいな、と思いながら晩秋のみちのくを歩きました。
 ちなみに岩手大と盛岡一高は道路一本を挟んで隣接しています。
 盛岡一高では荒川沙絵選手と川村知巳選手にインタビュー。ここでも撮影中の雑談で面白いエピがあるのですが、九州一周駅伝取材中にそのエピを西日本新聞のムコ吉記者(愛犬家陸上記者)に話したら「大人げない」と言われたので伏せておきます。
 2人の後に藤井雅史先生に取材。着任2年目ですが、盛岡一高の今季の躍進は目を見張るものがあります。出身高校は盛岡三高、大学は福島大とうかがったので、だったら誰と近いのかと考えました。

寺田「吉田真希子選手とは同じ頃に…」
藤井先生「僕が1学年後輩です」
寺田「じぇじぇじぇーーっ!」


 まさか後輩とは……やっぱり指導者(教員)になると、それっぽくなるんですよね。指導者になっても若々しいのは東洋大・酒井俊幸監督くらいでしょうか(吉田真希子選手とは福島で同学年)。でも、最近はそれっぽくなっています。
 ただ、ホクレンの太田崇監督、法大の坪田智夫監督とコニカOB監督は皆若いですね。本家の磯松大輔監督も。

 こんな感じで「じぇじぇじぇ!」を3連呼した盛岡取材の2日目でした。書くまでもないことですが、「じぇじぇじぇ!」は寺田の心の中の叫びであって、実際の取材中にそんなことは言っていませんので念のため。
 4つの流行語のなかでは、一番印象深いということです。


◆2013年12月9日(月)
 昨日は長崎で男子1万mWの日本新が出ました。岩手大の高橋英輝選手が39分06秒87と、森岡紘一朗選手の39分07秒87を更新しました。高橋英輝選手の1万mW日本新写真(※岩手大提供)
 鈴木雄介選手の20kmW日本記録(1時間18分34秒)のときの10km通過(38分43秒)よりも遅いのですが、競歩界の雰囲気的に1万mWはそこまでエネルギーが集約されないような気がします。年間の流れとか、大会の盛り上がりとかで。
 普通であれば五輪種目以外は記録を狙いやすいのですが、森岡選手が以前、自身の1万mW日本記録を破るのは簡単ではない、というニュアンスのことを話していました。本人的にはかなり状態の良いときに出した記録だったこともあるようです。
 その森岡選手も昨日のレースに参加していましたが44分19秒32で5位でした。地元・長崎の大会ということで、ホスト的な役割もあったので、万全ではないけど出場したのでしょう。推測するに。
 盛岡を拠点にしている高橋選手が、森岡選手の地元で快挙を達成した……とか書きたいわけではありません。事実ですけど。

 高橋英輝選手といえば岩手大。陸マガの特別リポート 岩手女子短距離が躍進した理由の取材で岩手大グラウンドにお邪魔しました。
 この企画はそもそも、盛岡一高と盛岡誠桜高が岩手大のグラウンドで練習している、という話を岩手大の清水茂幸先生からうかがって、企画として専門誌で行けるんじゃないかと発想しました。台風が近づいているタイミングでしたが運良く天候が持って、10月23日に撮影取材ができました。そのときはカメラマンも兼務しました。
 ただ、いかんせん素人カメラマンです。暗いなかでの撮影は大変でした。照明を点灯してくださってなんとかなりましたが、かなりのプレッシャーです。余裕あればトラックで練習していた競歩選手にもう少し神経がいったのですが…。あとで清水先生から「高橋も歩いていたよ」と言われて、しまったぁと思いました。そして昨日も、あのとき高橋選手を撮らせてもらっておけば、と悔恨の念にさいなまれました。
 でも、過ぎてしまった時はどうしようもありません。
 ただ、9月の日本インカレで同学年の西塔拓己選手と競り合った高橋選手は、しっかりと見ていました。競り負けてフィニッシュしたときの悔しそうな表情も。2月の日本選手権20km競歩で取材できたら、その辺を突っ込ませてもらいたいと思います。

 岩手大の日本記録は高橋選手が初めてではありません。2002年に吾妻武昭選手が39分27秒89を出しています。11年前ですが当時から、競歩と短距離は岩手大の得意種目でした。ただ、当時の練習と今の練習は大きく違うと言います。
 10月の取材の際に清水先生が次のように話してくれました。
「吾妻もオリンピックに出したいと思って指導していましたが、今考えたらオリンピックに行ける練習ではありませんでしたね。20kmで勝負できる練習は僕のなかでできていなかった。しかし、ある女子選手との出合いが、僕を指導者として成長させてくれました。彼女は岩手大のグラウンドで平気で3万mを歩くんです。『先生、もっと歩かせて』と言ってくる。そこから練習が大きく変わりました。今はこのくらいだったらケガなく練習できる、というところがわかっているので、吉田(琢哉・盛岡市役所)や高橋は平気でやっています」
 清水先生のこの話は、先週の金曜日に取材した小出義雄代表の考え方とも通じる部分があります。
 その辺の話はTBSの実業団女子駅伝サイトのコラムに書きました。明日、掲載される予定です。


◆2013年12月14日(土)
 クイーンズ駅伝in宮城の前日取材をして20時にTBSサイトの前日コラムを書き上げました。
 3回までにユニバーサル、デンソー、積水化学と触れてきました。最後のコラムは純粋な展望記事なのですが、天満屋とダイハツに少し多く触れられたら、と思っていました。ダイハツは“3D”の1つとして紹介していましたが、天満屋はレースが近くなって「あるかもしれない」と思い始めたんです。
 1区候補の翁田あかり選手は、全日本実業団、日体大長距離競技会と秋になって絶好調。区間賞候補です。重友梨佐選手は過去3年間続けて5区区間賞。3区候補の小原怜選手もスピード型で、長い距離のリズムも良いと武冨豊総監督が期待してきた選手。5区でトップに立つ可能性も十二分にあると思いました。
 重友選手の3区はちょっとビックリしましたが、ダイハツ・林清司監督と重友選手のコメントが上手く記事の展開に合いましたね。

 21時過ぎまで大会本部ホテルでロビー原稿にいそしんだ後、宿泊ホテルに移動しようと外に出たら雪でした。そういえば今日の取材中に、主催の毎日新聞記者の方が、「明日の朝〇時に中止するか判断する」という話をしていましたが、まさか本当に雪が降るとは思いませんでした。
 万が一中止になったら、選手や指導者の1年間の努力はどうなるんだろう? 延期になってもテレビで中継できなかったら、会社の経営陣はどう考えるんだろう? 気が気ではありませんでしたが、天候ばかりはどうしようもありません。
 途中でごま味噌野菜つけ麺を食べました。そういえば、かつてのイケメン・マラソン仕掛け人の姿が仙台にありません。まだルルグッシーか。

◆2013年12月15日(日)
 今日はクイーンズ駅伝in宮城の取材でした。
朝起きたら晴れていて、ホテルの窓から道路の雪がそれほどではないことを見たときは、胸をなで下ろしました。

 9時半にホテルを出て、10時前に宮城野の陸上競技場に。11時半から地元中学生・高校生を対象に陸上競技教室が開催されました。宮城県出身の堀籠佳宏さん(富士通)が中心となり、高平慎士選手と塚原直貴選手のメダリスト2人が協力して進めていました。

 駅伝の結果はこちらに。デンソーが初優勝しました。2位に2分04秒差と、考えられる最高の結果です。
 本命のユニバーサルエンターテインメントは1区で出遅れましたが、6区の中村萌乃選手が区間記録に3秒と迫る快走で2位に。天満屋が3位で、やっぱり来たか、という感じ。
 ダイハツが4位。2区、3区に課題を残しましたが、木崎良子選手が5区で区間新とさすがの走り。
 積水化学は5位。3区の清水裕子選手の区間賞でトップに立ちましたし、5区の井原未帆選手も区間3位で2位をキープ。6区が区間22位で、あと1枚が足りなかった感じです。
 ビックリさせられたのは6位の九電工。2区の陣内綾子選手、4区のチェピエゴ選手が強いのはわかっていましたが、3区の加藤岬選手、4区の黒木沙也花選手がともに区間5位。上位の流れをキープし続けのチーム最高順位は見事でした。

 取材はこのチームとこの選手を、と考えたものはなんとかカバーできました。1人では実際はできないのですが、なんとかしました。
 取材が終わってみて気づいたのですが、今年は区間賞選手を全員話を聞きました。1区の森唯我選手(ヤマダ電機)と3区の清水裕子選手(積水化学)、5区の木崎良子選手(ダイハツ)は陸マガの個人もので当然、取り上げます。
 2区の小泉直子選手と4区のワイリム選手は優勝したデンソーのメンバー。2位のユニバーサルはベテランの那須川瑞穂選手に話をしてもらいましたが、閉会式後の混戦取材の最中に運良く接触できたので、パパッと話を聞かせてもらいました。

 1区の森唯我選手はテレビでも伝えられた通り、一度会社を辞めて戻ってきた選手。
「自分が走って感動を伝えるのは、選手でないとできない」
 2区の小泉直子選手は前回も区間賞でしたが、中日本予選はメンバー入りできませんでした。
「駅伝で初めてメンバーからも、補欠からも外れて、すごい悔しい思いをして、そこから必死に頑張ってきました」と涙ながら話しました。
 3区の清水裕子選手TBSコラムの第3回でも紹介したように、1500mから距離を伸ばしてきた選手で、3区に抜擢された最初は区間17番でした。
「まさか3区で、自分が区間賞を取れるようになるとは思ってもいませんでした」
 4区のワイリム選手は前回の区間6位がよほど悔しかったようです。
「今日の区間賞で絶対に取り返すと思って走った」
 5区の木崎良子選手「駅伝では一番良い走りができた」としながらも「優勝したかった。駅伝は今日で…」。続きはここでは書けません。
 6区の中村萌乃選手は優勝候補チームのアンカーの意地を見せた形です。
「時計はつけないので具体的なタイムはわかりませんが、最初はわりと抑えたつもりが突っ込んだみたいです。2位は見えませんでしたが、最低でも3位になりたいと走って、3位になった瞬間に2位が見えたので、やっぱり2位に行きたいと思って」
 意地の激走ですか? と聞くと「意地の激走です」と答えてくれました。

 取材は大変ですが、いくつものドラマを間近に見て、多くの選手の思いに触れることができ、充実した気持ちで仙台を後にしました。


◆2013年12月23日(月・祝)
 今日は山陽女子ロードの取材に行ってきました。
 午後に大阪で仕事が入ったので、昨晩のうちに岡山入り。有森裕子杯ハーフマラソンは10時スタートなので、フィニッシュ後1時間半くらい取材をして、13時半くらいの新幹線に乗りました。大阪〜岡山間は自腹ですが、こういうチャンスは生かさないと。
 と言いながら、昨日の全国高校駅伝は行かなかったのですが。原稿を抱えて行けなかった、という方が正しいです。ホテルも予約してあったのですが、一昨日にキャンセルしました。
 女子の豊川高は1時間6分台、しかも純国産チームでした。男子は4チームがトラック決戦。大激戦で、本当に面白いレースだったと思います。
 ちなみに、牽制したりしてレベルがちょっと低い接戦には、“混戦”という言葉を使います。レベルが高い接戦は“激戦”と書きます。
 高見澤・佐久長聖も初入賞ですから、ひと言聞きたかったですね。嶋原清子さんの感想を。
 10年連続3位以内の森政芳寿監督にも。実業団女子駅伝上位3チームのエースが興譲館高出身ということの感想も、うかがいたかったです。
 かなり悔しいです。

 ハーフマラソンの結果は岡山陸協サイト山陽女子ロード成績に出ています。赤羽有紀子選手や野村沙世選手、渡邊裕子選手のコメントは寺田ツイッターで紹介しています。

 日本人2位の4位はノーリツの岩出玲亜選手。ホームストレート50m付近のトラック外側から見ていたのですが、で1時間9分台でフィニッシュしてビックリしました。
 実業団女子駅伝西日本大会は、1区で木崎良子選手と競り合って区間2位と大健闘でした。しかし、全日本実業団対抗女子駅伝は1区で区間12位と、今ひとつでどうしたのかな、と思っていました。その1週間後ですからビックリしたのですが、次の瞬間に「ジュニア??」と気づいて記者室に駆け戻り、記録集計号でジュニア日本最高記録(非公認種目)を確認しました。
 藤井裕美選手(デオデオ。今のエディオン)が2002年の全日本実業団ハーフマラソンで出した1時間10分05秒でした。秦由華選手(三井住友海上で渋井陽子選手と同期)がリスボンで1時間9分台を出して、下り坂コースですが当時はその辺の規定がなくて道路日本最高でした。
 岩出選手は豊川高出身で、昨年全国高校駅伝の1区を走った選手。昨日の後輩の全国高校駅伝優勝から勇気をもらったと話していました。レース中も思い出しながら走っていたそうです。
 全日本実業団対抗女子駅伝の1区でよくなかったと書きましたが、タイムを見ると区間賞の森唯我選手(ヤマダ電機)には38秒差をつけられましたが、区間2位の坂井田歩選手(ダイハツ)とは22秒差。それほど悪かったわけではありません。繰り返しますが、高卒1年目です。
 ノーリツの森岡芳彦監督にその話をすると「でも、本人は区間賞を目標にしていたんですよ。緊張があったんじゃないですか」という情報をいただきました。長い距離が得意で将来はマラソンをやりたいとノーリツに入社したそうです。高校時代はケガに苦しんだようですが、志の高い選手なのだと思います。
 豊川高の森安彦監督も今日、会場に姿があったと聞きました。森監督と森岡監督の関係や練習の違いも紹介できたら面白いのですが、これはまた、別の機会に。

 大阪で打ち合わせ中にIM記者から着信。これは岩出選手の記録がジュニア日本最高なのか、ジュニア日本記録なのか、という問い合わせだと思って折り返したのですが、先週の全日本実業団対抗女子駅伝の話でした。デンソーの水口侑子選手に関する問い合わせ。水口選手は杉田正明監督(かつての二枚目助教授)の三重大出身ですが、その辺の話しでした。
 ちなみに岩出選手も中学は三重です。水口選手は高校は岐阜ですね。
 山陽女子ロードで自己新、日本人3位となった野村沙世選手(第一生命)は大阪国際女子でマラソンデビューしますが、やはり岐阜県出身です。
 中部圏が熱くなってきました。


◆2013年12月31日(火)
 大晦日なので2013年を振り返りたいと思います。
 時間は1時間しかありませんのでパパッと。23時には前橋で毎年年越しをしている店に行きますので。元群馬県高校チャンピオンゆかりのお店です。

 ということで2013年の寺田的十大ニュース。ランク付けはしません。

●福士加代子選手のアスレティック・アワードでのスピーチ
 これは本当に感動しました。感動にも時間的に長さのある感動と、瞬時の感動があると思いますが、瞬時の感動としてはここ数年で一番だったと思います。30歳を過ぎた福士選手の前向きな姿勢に、個人的にも勇気づけられました。取材で一緒に仕事をしてきた仲間は現場を離れたり、社内でポジションが上がったりしますが、寺田は何も変わりません。それでいい、それで行くしかない、と思いながらも、心の片隅に本当にいいのかな、という思いが少しはあったのだと思います。そこをスッキリさせてくれたスピーチでした。
 日本の陸上界的にも、2020年東京オリンピックに向かう号砲? ホイッスル? になったように感じました。以前にどこかで書いたと思いますが、寺田的には2020年に活躍してほしいのは、今のトップ選手たちです。予算を投入するのはジュニア世代になると思いますが、個人的な思いとしては、今頑張っている選手たちが、年齢の壁を越えて、そうすることで世界のレベルに近づいて、2020年に活躍する。ジュニア世代が強くなるのはある意味当たり前です。地元オリンピックを競技寿命を延ばすチャンスにできたらな、と思うのです。澤野大地選手が頑張っていますが、末續世代ができなかったことを、今のトップ選手たちに託したいという気持ちです。

●九州一周駅伝の取材
 これも本当に感動しました。2日目から4日目までの3日間でしたが、これが九州一周駅伝か、というシーンの連続でした。取材バスや西日本新聞さんの取材車に乗せていただき、時には取材した後に電車で選手の先回りをしたり。大牟田にも行けましたし、最古の区間記録が永久に残ることになった浜田安則さんの偉大さもわかりました。
 全日本大学駅伝のメンバー入りできなかった駒大選手や、日体大の箱根駅伝優勝テープを切った谷永雄一選手の今を取材できました。渡辺共則選手の弟さん(明日ニューイヤー駅伝を走るトヨタ自動車九州の渡辺竜二選手です)や永田宏一郎選手にも会えました。
 福士加代子選手のスピーチが瞬間的な感動なら、九州一周駅伝取材は歴史を踏まえた上での感動、自分の長年の思いを実現した感動、という感じです。

●棒高跳、山本聖途選手の活躍
 競技的には一番価値があったと思います。世界陸上の順位は福士加代子選手の銅メダルが上で、陸連のアスリート・オブ・ザ・イヤーも受賞しました。世間体にはそれがベターだと思いますが、その種目の歴史的な流れのなかでの頑張りという視点が寺田のなかでは強いので、山本聖途選手です。世界陸上の跳躍種目で過去最高順位です。人材の集まりやすい長距離、短距離ではない種目という点も、すごいなあ、と感じる理由です。

●競歩勢の活躍
 男子20kmWの鈴木雄介選手の日本記録2連発&日本人初の1時間18分台は、モスクワ世界陸上のメダル候補と言える活躍でした。本番ではダメでしたが、代わって西塔拓己選手が6位入賞。世界陸上最年少入賞でした。世界陸上後も、高橋英輝選手が活躍し、ジュニアの松永大介選手も期待できる歩きをしています。
 盛り上がる競歩を同時代に取材できることを実感しています。

●新谷仁美選手のモスクワ世界陸上1万m5位入賞
●中本健太郎選手のロンドン五輪に続くモスクワ世界陸上入賞
●盛岡取材(岩手県女子短距離特集の取材)
●桐生祥秀選手の10秒01を目撃
●山本凌雅選手の三段跳高校生初の16mを目撃
●小出義雄監督のトレーニングに同行取材できたこと
●全日本実業団対抗女子駅伝優勝のデンソーの一連の取材
●日本インカレで独自の取材ができて記事も書けたこと

 今日はニューイヤー駅伝の前日取材。3強の取材は外せませんが、4区のネタはかなり書いてきたので、3強とTBSコラムで触れられなかったチームを中心に取材しました。開会式前後で頑張りました。
 午前中は敷島の陸上競技場に。競歩OBのミズノT氏と、東洋大OBのミズノT氏がいたので、「2月の日本選手権20km競歩を盛り上げよう」と話し合いました。
寺田「東洋大・酒井俊幸監督に箱根駅伝レース後に競歩の取材を申し込んだら、ちゃんと対応してくれるかな」
両T氏「もちろんですよ!」
 正確な言葉までは覚えていませんが、こんなニュアンスで、2人の東洋大OBが保証してくれました。
 来月は大阪国際女子マラソンも頑張ります!


ここが最新です
◆2014年1月11日(土)
 2014年がスタートしました。
 長距離関係者の多くがそうだと思いますが、我々陸上メディアの人間もニューイヤー駅伝と箱根駅伝が終わるまでは年が明けた感じはないですね。寺田は箱根駅伝の原稿が少ないので多少はお正月の雰囲気を感じていますが、新聞記者や他のライターは膨大な原稿を書くので大変です。
 今日、陸マガ2月号が届きましたが、その前の速報号と合わせてよくこんなに書けるな、書き分けられるな、と感じました。ちなみに、表紙は3区の設楽悠太選手。速報号が5区の設楽啓太選手でしたから、初の兄弟表紙独占です。
 その点、寺田が担当したニューイヤー駅伝の記事は4ページですから。TBSのコラムがなかったら、ビジネスとして成り立たないでしょう。

 個人的なことはともかく、ニューイヤー駅伝と箱根駅伝の世間からの注目度の格差を縮めないと。レベルが低い方が注目されることは陸上競技に限ったことではないのですが、それにしても差がありすぎます。
 箱根駅伝の方が人気が出やすい理由は大きく言って2つあると感じています。1つは大学の卒業生の数の方が、企業の従業員よりも圧倒的に多いこと。これが、箱根駅伝の人気が上がるプレ段階で大きな役割を果たしました。
 もう1つは20km区間の方が、テレビで駅伝の面白さを伝えやすい、ということです。レース展開をじっくりと追えるので、逆転シーンを臨場感たっぷりに伝えられます。VTRなどで選手の背景もじっくりと伝えられるし、大会の歴史も紹介できる。
 テレビで人気が出たらあとはもう、雪だるま式に人気が膨らんでスポーツの枠を超えたイベントとして定着しました。ツイッターでも数日前につぶやきましたが、スポーツ界側がコントロールできないほど巨大化しています。
 付け加えるなら学生スポーツは学生ナンバーワンが世間から注目されるのに対し、実業団スポーツは世界で戦うことで初めて評価される。駅伝や個人種目の日本一ではあまり注目されず、オリンピックで活躍してやっと評価される。それが当然だとする声も陸上界にはありますが、理想は日本一もしっかりと評価されて、それが世界で戦うモチベーションになることです。

 明日は女子、来週は男子の全国都道府県対抗駅伝が開催されます。この2つの駅伝と高校駅伝は距離が短く、テレビでじっくりとレース展開を紹介するのが難しい駅伝です。全チームのタスキ中継を映すので、気がついたら次の区間のレースがかなり進んでいる。
 タスキ中継も箱根駅伝が選手の表情のアップを映せるのに対し、47チームが雪崩をうって中継する駅伝は表情までは追えません。繰り上げスタートもありません。
 箱根駅伝復路を男子駅伝を主催する中国新聞の小山記者の隣で見ていたのですが、「7区への中継に繰り上げスタートを設けて、それを各県の知事が応援するシーンをテレビで映したら盛り上がるのでは?」と提案しました。「でも、繰り上げは中学生選手に教育的に良くないことなので」と撤回しましたけど。
 それでも例年10%前後の視聴率が取れるのは、コマーシャルの入らないNHKということも大きいのですが、都道府県対抗(高校は都道府県代表)というコンセプトが視聴者を惹きつけるからだと思います。

 ということで、陸上界的には明日の全国都道府県対抗女子駅伝が新年最初のビッグレース。実業団、大学、高校、中学のオールスター的な選手が集います。
 区間エントリーを見ると群馬と三重と岡山が前半は強そうです。大阪は高松姉妹がどこまで実業団・高校の上級生選手たちに対抗できるか。千葉も勢いに乗るかもしれません。地元の京都はマイナス要因(石橋麻衣選手の欠場)を、どこまで駅伝のエネルギーに変えられるか。
 東京の第一生命勢(勝又美咲選手を見るのは久しぶりです)、静岡のスズキ浜松AC勢も注目しています。
 神奈川も高校生が強いので、優勝争いに絡むかもしれません。出水田眞紀選手のお母さんが名ランナーだった田村有紀さんということは有名ですが、お父さんもかつて東洋大のエースだったと、東洋大OBのスポーツ報知・竹内記者から聞きました。

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