続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2012年1月  五輪イヤーですけど

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◆2011年12月21日(水)
 朝は京都のホテルで原稿書き。
 ツイッターでも少しつぶやきました。昨晩、全日本実業団対抗女子駅伝の原稿を書いているときに、リザルツの審判長の欄に今野美加代先生の名前がありました。地元ネタをあまり見つけられなかった取材でしたが(七十七銀行・名取英二監督ネタくらいでしたでしょうか)、これは宮城らしいネタだと思ってつぶやきました。それで今いるのが京都ですから、今野先生、河野信子選手、藤田信之監督とつながるわけです。
 全日本大学女子駅伝も今野先生が審判長だったぞ、というご指摘をいただきましたが、これは申し訳ありませんが取材に行ったことがない大会です。ということもありますし、普通、審判長が誰かというところまで注目しません…よね、メディアは。

 ホテルをチェックアウトして大阪に。もうすっかり関西にも慣れて、JRは新快速の方が早く着くということも計算して電車に乗りました。車内では座ることができませんでしたが、取材ノートを見返してところどころアンダーラインなども引き、50行原稿の構成を練りました。
 記者発表会場の大会本部ホテルには12時前に到着。荷物をクロークに預けて食事に行きました。隣のビルのカレー屋さんです。食事の後に隣のスタバで原稿書き。1時間ちょっとの時間ですが、なんとか50行原稿を書きました。寺田にしたら奇跡的な速さですね。要推敲ですけど。
 すっきりした気持ちで野口みずき選手の会見に臨みたかった、ということが筆を進ませたのかもしれません。

 1:30から記者発表。招待選手のメンバーはほぼ予想通り。一連の取材でだいたい把握していました。意外だったのは堀江知佳選手(ユニバーサルエンターテインメント)の参戦です。横浜国際女子マラソンで力を出し切らなかったということでしょうか。名古屋ウィメンズでなく大阪国際女子を選んだということは。
 1:48頃から野口選手の会見が始まりました。
 今回は一問一答を紹介できませんが、聞いていて本当に気持ちの良い会見でした。10月の実業団女子駅伝西日本大会のときもそうでしたけど。
 まずは福士加代子選手との対決を聞かれたときに何と答えるのかが、注目されていました。「私は相手が強ければ強いほど燃えてくるタイプ」とキッチリと答えていました。相手に関係なく自分が頑張るだけ、という答え方もできたと思うのです。実際、そう考えるタイプの選手も多いと思いますが、本心を言わないのはプラスにならないと野口選手は考えているのかも。というか、聞かれたことに正直に答える、という人間としての姿勢でしょうか。
 福士選手が全日本実業団対抗女子駅伝レース後に大阪国際女子出場を表明したとき、「家政婦のミタ」の視聴率を上回りたいと言って記者たちを笑わせたようです。それを野口選手も記事で読んでいたらしく、「トークでは彼女の方が上ですが、主演の座は譲りません」と、ユーモアを交えながら話していました。
 思いが真剣であればあるほど、ユーモアで包むことができます。その人の性格にもよると思いますが、野口選手は以前からユーモアのセンスたっぷりの選手です。三重県つながりの正井裕子選手(日本ケミコン)からも、それを裏付ける話を聞いたことがあります。寺田も真剣に取材しているときほど、ダジャレ等を思いつきます。ふざけていると思われたらいけないので、あまり口にはしませんが。
 とにかく変に自分を飾らず本心を話す。トレーニングについてもそうですし、目標についてもそうです。自身の心情もストレートに出しますし、わからないところはわからないと言うのですが、一生懸命に答えを見つけようとしている様子が伝わってきます。
 以前、廣瀬永和監督が話していましたが、野口選手にはオリンピック金メダリストとしての変なプライドはまったくありませんね。夢は金メダルを取ることでない、からかもしれません。この件はいつか、しっかりと書けたらいいな、と思っています。

 野口選手の会見終了後は全日本実業団対抗女子駅伝の80行原稿と30行原稿を、会場だったホテルで書かせてもらいました。2時間半くらいだったと思います。これも寺田にしてはかなりの速さです。決して、手を抜いているわけではありません。それなりに面白い記事にできたと思っています。ツイッターでもつぶやきましたが、野口選手の話を聞いて、こちらも前向きな気持ちになれたからだと思います。

 九州新幹線さくらに初めて乗りました。さくらは陸上界で有名な佐倉ではなく、鹿児島県の桜島のさくらでしょうか。先日来、“朗(郎)”のつく九州男児のことをネタにしてきたので、そのまま九州に行きたくなりましたが岡山で降りました。姫路を過ぎて10分くらいで眠ってしまったので、あやうく、乗り過ごすところでした。


◆2011年12月22日(木)
 山陽女子ロードの前日ですが、午前中はホテルで仕事。5泊出張ですので色々とやることを抱えています。13時くらいに外出して、Tコーチとばったりお会いして一緒に駅まで行きました。駅ビルに行ってお土産を購入。岡山限定販売のお茶のセットにしました。1つは白桃で、もう1つは葡萄のお茶です。誰へのお土産かは企業秘密ということで。
 そのあとに松屋で昼食。その後で駅地下街のスタバに。原稿を進めましたが、まだ本文には取りかかれなくて、データを整理している段階です。

 16時から大会本部ホテルで記者会見です。地元の新聞、テレビ関係の記者が多かったようですが、大阪からも読売新聞・佐藤記者、朝日新聞・原田記者(全日中800 m入賞者)、産経新聞・細井記者、関西テレビ(大阪国際女子マラソン主催)・島本プロデューサーらが来ていました。東京からは寺田だけかもしれません。テレビ解説の増田明美さん、有森裕子さんの姿も。
 会見の一問一答はこちらに記事にしました。

 会見後は開会式。約1時間かかりましたが、会場の外で天満屋の篠原コーチと色々とお話ができて有意義でした。坂本直子選手の話題が多かったですね。全日本実業団対抗女子駅伝では6区で区間2位。4人を抜きました。「久々にああいう顔で走っている坂本を見た」と篠原コーチ。坂本選手自身も会見の中で、この1年は良い練習ができてきていることを話していました。
 もちろん、6区ですからまだ全盛時と同等とはいえないのでしょうが、大阪国際女子マラソン、少し期待できそうな気がします。
 あとは、重友梨佐選手の良いところもお聞きしました。生粋の岡山選手です。
 こちらからは、中村友梨香選手に頑張ってほしいとお伝えしました。2008年の名古屋国際女子マラソン優勝時の日付の入ったユリカトランパスを、将来価値が出ると思って今も持っていますからね。
 地元ネタもありました。桃太郎スタジアムがネーミングライツでカンコースタジアムになったのですが、カンコーって何かを教えていただきました。学生服のカンコーでした。そして「天満屋に寄って、買って帰ってくださいね」と薦めてくれたのが、天満屋女子陸上競技部監修 天満屋オリジナル リカちゃんストラップです。こちらからも購入できます。なかなか可愛らしいのですが、男子が持ったらまずいですよね。プレゼントをして喜ぶ人がいないか、ちょっと考えます。

 開会式のあとは歓迎パーティーですが、会場に入るのは遠慮して、外に出てくる方たちと色々と話をしました。岡山ですが京都関係のネタが多くありました。
 京都といえば西陣織です。今日は佛教大の森川賢一監督に挨拶をしました。ちょっと確認したいこともあったので。その際、近くを通りかかったH監督が、森川監督と親しそうに話し始めたのです。H監督のチームに佛教大出身の選手がいたかな…などと考えましたが、聞けば森川監督のご実家が以前、西陣織をされていて、そこで学生時代のH監督がアルバイトをしていたことがあったのだそうです。
 世間は狭い、と思いましたが、ひょっとすると陸上つながりで紹介されたのかもしれません。機会があったら確認しておきます。

 京都といえば小崎まり選手も宇治高の出身(実家は大阪府)。明日の10kmに出場されますが、7月に生まれた長男の学叶(がくと)ちゃんをを連れてきていました(山陽新聞記事参照)。森岡芳彦監督にお聞きしたら、遠征の時はチームで面倒を見ることが多いそうです。会見からもわかると思いますが、小崎選手は本気でトップレベルに戻ろうと頑張っています。そういう選手を実業団チームがどうサポートできるか。赤羽有紀子選手の例がありますが、ちょっと違うケース。新しい試みです。

 京都といえばワコールですが、三原幸男コーチが先日の全日本実業団対抗女子駅伝の3区に関して、面白いネタを話してくれました。ワコールの福士加代子選手が13位から猛烈な追い上げを見せて、何人かの選手を引き連れる形で前にいる選手たちを吸収し、2位集団を形成しました。そのときに一緒にいた杉原加代選手(デンソー)、清水裕子選手(積水化学)、吉川美香選手(パナソニック)は、4月の陸連ボルダー合宿で一緒だった選手たちだそうです。区間順位は杉原選手が1位で清水選手が2位、福士選手3位、吉川選手4位でした。
 昨日のうちに聞いていたら、このネタを原稿に上手く取り入れられたかもしれません。あっ、違いますね。一昨日の夜です。3区の記事は京都の烏丸四条あたりで書きました。うーん。残念ですが仕方ありません。何かの機会に生かします。

 京都といえば立命大もそうですが、OGの加納由理選手は今大会は欠場になりました。資生堂の弘山勉監督によれば、肋骨の疲労骨折をしているとのことです。全日本実業団対抗女子駅伝では1、3、5区の主要区間ではなく、アンカーの6区に出場して区間8位でした。駅伝前の火曜日に疲労骨折が判明して、痛み止めを飲んで出場したそうです。「大阪国際女子マラソンは難しくなったので、駅伝で頑張って名古屋ウィメンズマラソンというスケジュールにしました」

 10kmの部が人見絹枝杯で、ハーフマラソンが有森裕子杯と、地元の五輪メダリスト2人の名前が冠された大会で、その有森さんご自身が来場されています。イベントなどはもちろん、開会式やパーティーにも参加されて、選手たちとの記念撮影に応じたりされていました。大会のプログラムを見ると、かなりの地元企業が協賛しています(選手のベスト記録やシーズンベストが記載されていないのがちょっと不親切ですが)。開会式では岡山県知事、岡山市長らも挨拶していました。地元メディアもかなり力を入れているようです。何よりも天満屋という強豪チームが地元にあります。レースは明日ですが、盛り上がっている大会だな、という印象です。


◆2011年12月23日(金・祝)
 初の山陽女子ロード取材でした。
 スタジアムに近いホテルに泊まっていたのですが、やらなければいけない仕事があって、競技場に着いたのは9時ちょっと前(決して寝坊ではありません。朝の6時半には起きました)。スタートは10時ですが、すでに記者室はいっぱいでした。座席数が少ないと聞いていたので、これは覚悟していたことです。
 10時にハーフマラソンがスタート。この写真はレース前の野口みずき選手(シスメックス)と坂本直子選手(天満屋)です。2人ともベテランですから、スタート前に過度の緊張感は見えませんでした。2003年の大阪国際女子マラソン、同年のパリ世界陸上、2004年のアテネ五輪とともに戦っていますから、2人にしかわからない部分というか、俗にいう気心が知れた部分があるように見えました。
 これはスタート。野口選手が飛び出しました。リラックスムードから、このレースをしっかりと位置づけていることがわかる雰囲気に一転しました。
 レースの記事はこちらに書きました。テレビ放映は地元だけだと思ったので、レース展開を中心に書きましたが、BSで全国放送があったようですね。優勝した赤羽有紀子選手(ホクレン)や野口選手のコメントを紹介した方が、深い部分までわかると思います。時間があったら書きますが、ちょっと厳しいかな、という状況です。
 会見が行われたのが野口選手と赤羽選手。それなりに時間をとってくれたので助かりました。あとは表彰式の前後で伊藤舞選手(大塚製薬)、坂本選手、京セラの新原監督、シスメックスの廣瀬永和監督らの話を聞きました。

 レース後は記者室で記事を書きました。報道やチーム関係者にリザルツは配ってくれたのですが、5km毎の通過タイムが出ませんでした。数時間後に岡山陸協のホームページに掲載されましたが、できれば現場で出してほしいデータです。寺田に限らず多くのメディアが、今日の場合はそれなりの文字数の記事を出します。野口選手が先頭集団から後れた後、どのくらいのタイムで走ったかを具体的に入れたいという声が、記者たちの間からあがっていました。
 昨日も書いたように、この大会を盛り上げようとする地元の頑張りはすごいと思いました。5km毎のタイムなど微々たる部分ですけど、今回のようにメンバーが素晴らしいときは、重要になってくると思います。

 個人的に調べたのが、赤羽選手の優勝タイムの1時間09分16秒が“全日本実業団対抗女子駅伝1週間後の日本最高記録”かどうか。歴代記録を見ると山中美和子選手(ダイハツ。現コーチ)の1時間08分54秒と、橋本康子選手(日本生命)の1時間08分55秒が、12月に出た記録として見つかりました。2つとも2001年の12月16日です。
 2人とも駅伝には出ていなかったかもしれない、という可能性を考えて10年前の成績を調べました(パソコンに入っています)。ダイハツは出場していませんでしたが、日本生命は14位。橋本選手が1区で区間賞を取った年でした。橋本選手はその後世界陸上のマラソン代表になりましたが、やっぱり強かったのですね。森岡芳彦監督(現ノーリツ監督)にも改めて脱帽しました。

 記事を14時頃にサイトにアップして、天満屋本店に向かいました。本店ではなく岡山店かもしれません。とにかく天満屋の中心的な店です。昨日、篠原コーチが教えてくれた天満屋女子陸上競技部監修 天満屋オリジナル リカちゃんストラップを購入するためです。
 ただ、天満屋は岡山駅からちょっと離れています。歩ける距離ですが、競技場とは駅をはさんで反対側。5泊分の荷物がありますから、競技場からバスで岡山駅に行ってまた歩くのはきつそうです。タクシー使っちゃおうかな、とか考えながら競技場に近いバス停に行ったらなんと、“天満屋行き”のバスがちょうど来ました。岡山のバスルートは駅ターミナルが終点ではなく、天満屋前のターミナルが終点なのです。恐るべし天満屋。

 ということで天満屋に行き、1階の受付で「天満屋女子陸上競技部監修 天満屋オリジナル リカちゃんストラップはどこの売り場で買えますか?」と聞いたら、すぐに4階の紳士小物ステーショナリー売り場だと教えてくれました。行ってみると、ありました。こんな感じで、他のストラップとは違う場所に、目立つように置いてありました。
 購入する際に「これって売れていますか?」と女性の店員さんに質問。取材ではありませんが、このくらい聞いていいでしょう。「発売当初はかなりの数が売れましたし、今日も山陽女子ロードがあったのでいくつか売れましたよ。先日の駅伝のときも売れました」と店員さん。なるほど。天満屋の選手がテレビに映ると売れるようです。ということは、次に売れるのは1月末の大阪国際女子マラソンですね。坂本選手と重友梨佐選手が出場予定です。

 岡山は国体、全日本実業団と来ていましたが、天満屋に行ったのは初めてです。いい思い出づくりになりました。
 昨日の記者会見取材のとき、その前日の夜に岡山入りしたことを話すと、後楽園とかに行ったかどうかを聞かれました。寺田の場合仕事を抱えていることが多いので、その土地の観光スポットに行くことはめったにありません。
 その代わりにこうやって、“その土地でしか味わえない陸上競技”を感じるようにしています。ほとんどがこちらの勝手な思い入れなのですが、実際に観光に行くよりも安上がりですし時間もかかりません。
 天満屋から岡山駅までは歩いていきました。近かったです。駅前の地下街を歩いていると、こんな広告がありました。岡山県の美作が建国1300年みたいです。美作といえば美作高が陸上界では名門です。女子やり投で日本記録を出し、オリンピック代表だった松井江美選手や、走高跳でインターハイ3連覇、日本選手権にも優勝した山本寿徳選手が有名です。西暦でいうと713年の建国ということですが、どういういわれがあるのでしょうか。今度、岡山のSP記者に聞いておきます。


◆2011年12月24日(土)
 京都といえば全国高校駅伝。その前日取材でした。2年ぶりです。
 今日一番優先したのは仙台育英高・清野純一監督のコメントを取材することでした。開会式後に記者たちに囲まれているところに合流することができました。地元記者が多かったようですが、全国紙(通信社)記者の方の姿も。
 どうして清野監督かというと、優勝候補筆頭とうことに加え、27歳と年齢が図抜けて若い監督だからです。優勝すれば最年少優勝監督になる、という話も聞きましたが、確かな筋が確認してくれたところによると、これは違いました。大会初期の頃に24歳の優勝監督がいたとのことです。しかし高校生の28分ランナーを育てた最年少指導者、という点は間違いないと思います。
 それでも、この若さで強豪校を率いるのは並大抵のことではありません。渡辺高夫前監督が築き上げたチームを引き継いだので“ゼロからのスタート”ではありませんが、苦労がないわけはありません。トレーニング方法や環境は引き継ぐことができても、指導者としての人間力は引き継げないからです(西脇工高記事参照)。

 清野監督の話を聞くのは5年ぶり。今日はカコミ取材でしたし、質問しても「この人誰?」と思われそうなので、他の記者たちとのやりとりを聞いているだけでした。時間があれば挨拶して話も聞けるのですが、レース前日にそれは無理な話です。
 区間配置の意図やレース展開の話が中心でしたが、ある記者から「監督4年目ですが、指導者としてのこだわりはなにか?」という質問が出ました。それに対して清野監督は「こだわりがないのがこだわりかもしれません」と答えました。さらに突っ込む記者に対し「20歳台(の指導者)にこだわりを求めないでください。その場しのぎですよ」と返していました。
 これは半分は本音ではなかったかと思います。“その場しのぎ”は大げさな言い方ですが、どう対処するのがベストなのか? と自問するケースは多々あったと思います。
 そもそもスポーツの指導に方程式はないのですから、指導者が最善と思えることをそのときどきで判断していくしかないのです。もしも指導者のマニュアルがあるのなら、それをデータベース化でも書籍化でもして、誰がやっても選手が育つことになります。指導者と選手は人間同士の関係ですから、そんなものではないでしょう。
 しかし、“こだわり”ではないかもしれませんが、何かしらの強い意思がないと、トップレベルの選手たちに向き合うことはできないと思います。監督を引き継いだ後、優勝はありませんが駅伝も個人も全国トップレベルを維持していますからね。間違いなく“何か”は持っているはずです。

 開会式終了後に前日記事を書きました。夕食は四条河原町で。


◆2011年12月25日(日)
 2年ぶりの全国高校駅伝取材でした。今年から前日の席取り(座席に社名を書いた紙や名刺を張り付けること)が禁止になりました。大阪の記者に聞くと、昨年問題になったということです。当日しか来られない社もあることと、昨年からプレスルームが変わって席が少なくなったことで、座れない社が出てきたのです。
 ということで、早起きをして7:55に西京極に着きました。8時に受け付け開始ですが、プレスルーム前はすでに30人以上が列を作っていました。来年以降、いたちごっこ的にどんどん早く行かないといけくなるかもしれません。長距離の有名学生選手は大学3年時に、卒業後の進路が決まります。高校生は2年時だそうです。それと似た感じになっていくかも。

 女子のレース前に静岡新聞の寺田記者(同じ名字です)と話をしていて、山梨学大附属高の萩倉史郎監督に注目したいと思いました。静岡県の中学教員時代に、全国中学駅伝の女子で5回優勝した指導者です。御殿場中で1997年から99年まで3連勝し、富士岡中で2007年と10年に優勝しています。そして今季から山梨学大附属高女子の監督になりました。
 教え子の何人かは他県の強豪高に進んで強くなりました。須磨学園高に進んだ田顔朋美選手(元富士銀行)が最初で、現在は勝又美咲選手(第一生命)、永田幸栄選手(豊田自動織機)が活躍しています。西脇工高3年生の勝亦祐太選手もそうです。
 女子のレース終了後、上位チームの取材に行くか、萩倉監督(山梨学大付属高は13位)の取材に行くか迷いましたが、山梨学大附属高のテントに自然と足が向きました。萩倉監督はまだもどって来ていませんでしたが、偶然にも須磨学園高のテントが隣にあって、同高前監督の長谷川重夫豊田自動織機監督がいらっしゃいました。これは千載一遇のチャンスです。萩倉監督の特徴をお聞きしました。
 どういう経緯で2人の間につながりができたのか。これが面白かったですね。ある年の全国都道府県対抗女子駅伝の前日か前々日の調整練習で、田顔選手の練習を見て「すごいですね」と長谷川監督が声を掛けたのが最初だそうです。その後、萩倉先生の教え子が須磨学園高に進むようになりました。
 萩倉監督も戻られてきて、ちょうどそこに田顔朋美さんが挨拶に来ました。こんなチャンスはありません。3人の写真を撮らせていただきました。
 もちろん話も聞かせていただきました。地元の記者たちよりも長く聞いていたかもしれません。静岡時代には学校の垣根のない練習会も開催されていて、佐藤悠基選手(日清食品グループ)や堂本選手(佐久長聖高→日大)、福士選手(西脇工高→日体大)らもそのメンバーだったそうです。
 “高校生の走りのリズム”のことなど、理解が追いついていないかもしれませんが、寺田なりに面白いと感じた点も多くありました。記事にできたらいいと思っているのですが、前橋に行く前に書けるかどうか。

 男子のレース後は2位の倉敷高の取材に行きました。専門誌2誌の高校駅伝別冊付録では大きく取り上げられていません。要するに前評判はそれほど高くなかったということ。実際、上位チームには当たり前のようにいるインターハイや国体入賞者が、倉敷にはいません。そんなチームがどうして2位に入れたのか。
 アンカーでキャプテンの日下粛基選手、1区区間3位の徳永照選手、そして勝又雅弘監督と話が聞けたので、ネタはばっちりです。ただ、話の多くは1区の徳永選手に足の痛みが出たこと、それでチームが一丸となったことになりました。当事者としたら、そこが一番のポイントだったのでしょう。レース直前にエースにアクシデントが起きたのですから、そこに神経が行くのは当然です。取材にも流れがありますから、それを強引に違う方向にもっていくのはよくありません。
 実際のところ、「2番に入れるチームではなかった」(勝又監督)というチームが、持っている以上の力を発揮できたのは、そこがポイントとなりました。
 ただ、個人的には“トラックの入賞者なし”という部分も捨てがたいと思ったので、その辺を少し突っ込ませていただきました。こちらの記事に、少しはその成果が表れています。
 記事には書けませんでしたが、勝又監督の現役時代の成績をお聞きしました。岡山日大(倉敷の以前の校名)が最初に全国高校駅伝に出場した際に3区を走り、日大では4年時に箱根駅伝10区を走って総合4位(区間順位は教えてもらえませんでした)。NEC・HEで3年間実業団選手としても活動されたそうです。山陽新聞の記事に出ていますね。
 記事の見出しにもしましたが、倉敷の2位は岡山県勢最高順位、2時間05分13秒は岡山県最高記録です。岡山のSP記者こと朝日新聞・小田記者に教えてもらいました。「美作が建国1300年ってなんで?(23日の日記参照)」と質問しようかと思いましたが、取材中は控えました。後で聞こうと思っていたのですが、忘れてしまいましたね。前橋(ニューイヤー駅伝取材)か大手町(箱根駅伝取材)で聞いておきます。

 九州学院の禿雄進監督と西脇工・足立幸永監督のコメントは、すでに他のメディアによる取材が終了後だったのですが、テレビインタビューや応援団への挨拶などで聞くことができました。
 仙台育英は12位、佐久長聖は17位と若手監督にとっては厳しい結果となりました。長野県は女子の長野東が8位入賞。同県初の男女同時入賞のチャンスだったのですが、入賞常連の男子の方が入賞を逃してしまいました。こういう不運がたまにあります。
 高見澤勝監督は、両角速前監督(現東海大監督)から引き継いで1年目。コメントは別の記者経由で聞くことができましたが、自身も選手も経験不足だったことを敗因に挙げていたそうです。ただ、「皆さんが思っているほど落ち込んではいませんよ」と話していたそうです。捲土重来を期待しましょう。


◆2011年12月29日(木)
 今日は箱根駅伝の第1次区間エントリーがありました。ご存じのように4名の交替がレース当日朝に認められているので、“第1次”とした方が親切ではないかとずっと思っていました。箱根以外の駅伝は前日に行われるものが唯一の区間エントリーですから、箱根だけは区別して表現した方がいいでしょう。
 それほどこだわりがあることでもないので、次に書くときは忘れているかもしれませんが。

 各校の顔触れですが、驚かされたのは早大の5区に山本修平選手、駒大の2区に村山謙太選手と、両1年生がエントリーされたことです。
 早大の渡辺康幸監督は11月に取材した際に「佐々木(寛文・3年)に一度は登らせたい」と、過去2年間山の準備をしながらも実現しなかった佐々木選手の山登りを一番期待していました。しかし、佐々木選手がダメだったときに備えて、「2〜3人は準備している。誰が走っても前回の猪俣(1時間21分14秒・区間9位)くらいでは行ける」と話していました。その1人が山本選手だったのは意外でしたが。
 今日の各紙の記事(スポニチ)を見ると、猪俣選手よりも少し上の走りを期待しているようです。大会が近づいてくると指揮官も選手もトーンが上がってきますから、当然のことです。

 それよりもビックリしたのは、駒大ルーキー村山謙太選手の2区エントリーです。日本インカレ5000m優勝者ですし、全日本大学駅伝の2区で区間3位ですから、箱根の2区を走っておかしくない選手です(“全日本の2区は箱根の2区”という言葉もあります)。しかし“駒大の2区”というところに驚きがあるのです。
 実際、数多く出ている展望記事の中でも、村山選手2区に言及しているものはなかったと思います(全部の記事を読めているわけではありませんが)。前回2区は撹上宏光選手でしたし、今季の出雲と全日本大学駅伝では窪田忍選手が最長区間を走りました。バトルトークでも大八木弘明監督は窪田選手を“エースとして”評価していましたから、窪田選手で決まりと多くの記者が思っていたようです。
 某ライターにも話を聞くなどして色々と区間配置を考えましたが、2区が窪田選手に代わる可能性は低いという結論になりました(村山選手がケガをしていたら別ですが)。

 村山選手はまだ、20kmやハーフを一度も走っていない選手です。公式ガイドブックに記録が載っていませんから間違いないでしょう。20kmの距離は未知数ですし、出雲の1区で失敗していますから安定感も?です(出雲のあとは安定していますが)。
 というのが周囲が考える常識ですが、それを覆す材料が出てきているということだと思います。実際、練習では1番だ、という話も聞こえていますから。
 もう1つ考えられるのは、“2区はつなぎの区間”という駒大の考え方があります。ここで大きなリードを奪うのでなく、他校のエースに離されなければいいという考えです。ただ、大きく崩れたら意味はないので、やはり村山選手が“2区も走りきれる”と判断されているのでしょう。
 いずれにしても、あれだけのスピードランナーが、23.2kmの距離と後半に上りが続く2区を走り切れたらすごいですね。スピード派とスタミナ派、と分類する考え方が当てはまらない選手なのかもしれません。日本インカレ5000m1年生優勝が瀬古さん以来でしたが、そのくらいの素材という可能性もありますね。

 第1次区間エントリーでは“サプライズ”に映った村山選手と山本選手の起用ですが、2〜3年後に今度の箱根駅伝のリザルツを見たときに、違和感なく見ることができているかもしれません。今後もしっかりと結果を残せば、誰もサプライズの起用とは思わなくなりますから。


◆2011年12月30日(金)
 今日は休日モードでしたが、メールソフト(Outlook Express)が昨晩から受信ができなくなっていて、その復旧作業にかなり時間を費やしました。2〜3時間はかけたと思います。年内に書きたい原稿の数を考えると、ちょっと痛かったです。
 夕方に買い物に出て、セラミックヒーターを購入。現在使っているものの加湿機能が故障してしまったので、買い換えようと考えました。20年近く前に購入した機種です。最新製品に換えれば節電にもなるでしょう。
 メーカーはもちろんパナソニック。しかもナノイー機能付きです。プラス4000円かかりましたけど、大事なところです。吉瀬美智子(きちせみちこ)さんがCMをしているからでは決してなく、パナソニックが陸上部を持っているからです。倉林俊彰監督にはよく、取材にご協力いただいています。宮城では吉川美香選手と加藤麻美選手にも話を聞かせていただきました。
 そういえば中日新聞も吉瀬さんをCMに起用していますから、陸上界と吉瀬さんはつながりがありますね。それがなんだということではなく、吉瀬グッズが出ないかな、ということです。一応、東京中日スポーツの川村記者(ときどきランナー)にはお願いしておきましたが。
 それはともかく、新しいセラミックヒーターのおかげで、今晩は快適です。

 原稿を書きたいところですが、頭が冴えてきたら高校駅伝で1つ思い出しました。一覧表のリザルトを見ていて気づいたのですが、九州の高校に“郎(朗)”のつく選手が多いのです。もちろん男子です。
 これは12月に入ってにわかに脚光を浴びたネタです。福岡国際マラソンで鹿児島県出身の永田宏一郎選手がラストランをした際に、「九州のファンは僕のことを覚えてくれていて名前で応援してくれました」と話してくれたのが発端でした。旭化成の瀬戸口賢一郎選手(鹿児島県出身)、競歩の森岡紘一朗選手(富士通・長崎県出身)と、“郎(朗)”のつく九州男児が陸上のトップクラスだけでも3人もいました。鹿児島県出身の向吉三郎記者(西日本新聞)もいます。九州では“郎(朗)”がつく名前はメジャーではないか、という仮説を立てました。
 それをアスレティックアワードの際に森岡選手本人に質問してみたところ、「よくわかりませんが、そうでもないような気がします」という返事でした。当事者がそういう印象を持っているのですから、それを尊重すべきだと考えました。

 ところが全国高校駅伝のリザルツを見ると、九州の高校で“郎(朗)”のつく名前の選手がやけに多いのです。3位の九州学院5区が近藤修一郎選手、9位の鳥栖工3区が井上孝太朗選手、23位の鹿児島実4区が片平啓史郎選手……と数えていったら、7人もいたのです。九州の8校で7人。これって、すごく高い確率ではないですか?
 富士通にたてつく気は毛頭ありません。競歩界を敵に回す度胸もこれっぽっちもありません。しかし、森岡選手の説(正確には印象です)には異を唱えざるを得ないでしょう。九州男児で“郎(朗)”がつく名前はメジャーです。

 明日のニューイヤー駅伝前日取材の予習も少し。実業団駅伝はいくつも展望を書いていますのでやらなくてもなんとかできると思いますが、そこは貧乏性というか、小心者というか。それにしても、1年前の佐藤敏信監督(トヨタ自動車)のレース前日コメントを読み直したのですが、完璧でしたね。以下のように話していました。

「できれば3区でトップに行きたいですけど、1・2区の展開が読めません。1区にはネームバリューのある選手がいますし、2区はHondaの選手(ジェイラン)も強い。3区の高林で優勝争いをするチームといれば、という気持ちです。5区は力からいったら(外れた)浜野で行きたかったのですが、10日前くらいにふくらはぎの張りが気になる状態になってしまいました。走れている菅谷の出来が良く、菅谷にしました。前回の7区も区間5位で、向かい風が吹いても走る選手です。アンカーの熊本はスプリント力もありますし、10日前の10km走で3番手で上がってきました。高卒新人の2人も不安はありません。宮脇は(日体大よりも条件が厳しい)八王子で28分20秒台で来ていますから。実績や名前でなく、調子の良い選手を入れた結果のベストオーダーです」

 実際、3区の高林選手が区間賞でトップに立ちましたし、5区の菅谷選手が抜かれましたが後半で盛り返して優勝の伏線となりました。1区の宮脇選手も区間4位と好走しましたし、アンカーの熊本選手がラスト勝負で競り勝ちました。外国人区間でジェイラン選手(Honda)が強いことも予想しています。
 レース展開も読み切っていましたし、自分のチームの状態も正確に把握していたということです。
 明日もしっかりと取材をしたいと思います。京都ネタは…。


◆2011年12月31日(土)
 早起きをして山陽女子ロードのコメントを記事に書きました。坂本直子選手と伊藤舞選手と野口みずき選手。サイトにアップするところまで持っていく時間がありませんでした。
 9:20に自宅を出て群馬に移動を開始。東京駅につながっている大手町まで、小田急&地下鉄で1本で行くことができます。本数は少ないのですが。その車内では全国高校駅伝の萩倉史郎監督のコメントを見直したり、全国中学駅伝の成績を整理。新幹線は1本待って自由席に座ることができ、高崎までの50分で書き上げようと思いましたが、残念ですが半分ほどしか終わりませんでした。これは年を跨いでの執筆になります。

 高崎駅で朝日新聞・小田記者と増田記者と一緒になりました。小田記者は岡山のSP記者の異名をとります。山陽女子ロードで岡山に行った際に見かけた美作建国1300年の広告が気になっていました。美作といえば陸上界にとっても馴染みの深い土地です。どうして建国1300年なのか気になっていました(来年ではなく2013年ですけど)。
 前橋で質問する予定でしたが、そこまで待てないでしょう。高崎の駅待合室で小田記者に質問しました。すると小田記者は「それに答える前に言うことがあるんです」と切り返してきました。なんの蘊蓄(うんちく)が語られるのかと思いましたが、自身の思い出話でした。でも良い話ですから書きます。
 美作は岡山県の北部になるのですが、毎年、高校の新人戦は美作で行われていました。ほとんどの大会が県南(岡山市とか倉敷市だと思います)で行われていたので、県陸協がバランスを考えて美作で開催していたようです。「県内で唯一、泊まりで出場した大会でした」と懐かしそうに振り返ります。
「美作で忘れられないのは高1秋の新人戦です。4継の3走を走ったんですが、ライバルのT高校応援団の目の前でバトンを落としてしまって拍手をされてしまいました」
 T高校の応援はよくないぞ、と思いますが、もう20年前のことですから時効でしょう。小田記者の高校が進学校で、その辺のやっかみもあったのかもしれません。
 小田記者はその後脚を痛めてしまい、リレーにはその後出場できなかったといいます(専門は砲丸投です)。つまり、最後のリレーが美作だったという苦い思い出の地でもあるのです。しかし、その経験があったから、朝日新聞で健筆をふるう今の小田記者があるわけで、小田記者の思い出す美作の風景は灰色ではなく、鮮やかな秋色に染まっているのかもしれません。
 肝心の建国1300年ですが「日本の制度が変わったのがその頃で、備前から独立したのが713年なんです」と教えてくれました。こちらのサイトにも説明がありました。だったら最初から自分でネット検索をしろよ、と言われそうですが、人生はそういうものではないでしょう。岡山出身の小田記者の口からそれを聞くことに意味があるのです。それが世の中だと思いますね。今回のように思わず良い話を聞けたりしますから。

 前日取材は、頑張りました。監督会議で承認されるとすぐに、毎日新聞事業部の小池さんが区間エントリー表を配ってくれますが、それを奪い取るように受け取ります。つねに3番以内でもらっているのが寺田です。開会式が始まる前と、開会式後に主要チームの監督たちにの話を聞きます。といっても3〜4チームが限度ですが。
 選手には、TBSの取材ルームがあって、そこで話を傍聴することができますが、3箇所で同時に進行するので判断が難しいところです。
 取材で仕入れたネタはTBSサイトのコラムに書きました。
 最初は優勝争いをするチームの3区と4区が、どこも若手とベテランという組み合わせで、両方が頑張ったチームが勝つ、というテーマを考えていました。トヨタ自動車が宮脇千博選手(20歳)と尾田賢典選手(31歳)、コニカミノルタが宇賀地強選手(24歳)と松宮隆行選手(31歳)、旭化成が岩井勇輝選手(29歳)と堀端宏行選手(25歳)、日清食品グループが保科光作選手(27歳)と佐藤悠基選手(25歳)です。
 迷ったのが保科選手の年齢でしたが、話を聞くと「新旧で分けたら“旧”ですね」と言ってくれました。7人のメンバーの中では最年長なのだそうです。岩井選手も同じようなことを言ってくれました。2区の白石賢一選手とともにチーム最年長でもあります。
 しかし、2人の話を聞いてチーム内の若手とベテランという組み合わせ方よりも、“3区の新旧対決”という視点の方が面白いのでは、と感じました。岩井選手と保科選手には役割があって、そこを紹介することで、優勝候補2チームのレースビジョンが見えてきて面白いと判断しました。

 今月のテーマである“京都といえば”ですが、カネボウの高岡寿成コーチも京都出身です。京都生まれで洛南高から龍谷大と、純京都コースで育ちました。京都ネタの締めをしてくれるのはこの人しかいないでしょう。と思っていたのですが「京都はそこまで強くないですよ」と言います(京都の関係者にかなり配慮した言い方でした)。最初は謙遜しているのかと思いましたが、そう言われると、あまり強い選手を思い出せません。
 これは男子の話です。高岡コーチと、99年セビリア世界陸上代表だった高尾憲司選手(宇治高出身)、渡辺共則選手、あとは……と言葉に詰まりました。現役では松岡佑起選手が頑張っていますけど。女子は全国都道府県対抗女子駅伝が行われていて多くの選手が頑張っていますが、男子は全国高校駅伝が開催されている割にいまひとつなのです。
 文化放送のホームページに箱根駅伝の都道府県別のエントリー選手が掲載されていましたが、確かに京都は少ないですね。5人だけです。兵庫や長野、宮城、福島、千葉、埼玉、静岡、岡山、広島、熊本といったところは10人を軽く超えていますから。という話をすると「新庄兄弟は京都の中学出身ですけどね」と注釈は付けてくれました、高岡コーチが。
 ……書いていて思い出しましたが、“京都といえば”シリーズは長距離に限った話ではありませんでした。時節柄どうしても長距離に意識が行ってしまいましたけど。明るい話題を見つけた方がいいですよね。ということで、高岡コーチに締めの話題を期待していたのですが、“京都といえば”シリーズは延長するかもしれません。

 2011年の裏アスリート・オブ・ザ・イヤー投票とか、印象に残った取材なども書きたいのですが、年明けに持ち越します。


◆2012年1月1日(日・祝)
 今年もニューイヤー駅伝取材で1年がスタートしました。
 8時前に群馬県庁に到着。少しデスクワークがあったので、スタート地点に行ったのはスタート直前でした。2時間6分台の犬伏孝行コーチ(大塚製薬)と高岡寿成コーチ(カネボウ)が近くにいたので、写真が撮れるかなと思ったのですが、角度的に2人が重なってしまって上手く撮れませんでした。選手に付き添っている最中でしたから、やらせ写真はお願いできません。しかし、今年はマラソンの2時間6分をテーマに考えていることがあります。形になったら報告いたします。形にならない可能性もありますが。
 朝日新聞・増田記者(全日中入賞者。早大競走部OB)の写真を撮りました。増田記者のフェイスブックに投稿するのが義務みたいになっています。全国高校駅伝で写真を載せなかったら増田記者ファンから抗議が来ました。というのはウソです。ちなみに寺田もアカウントは持っていますが、フェイスブックまで手が回りません。唯一やっているのがこの、増田記者の写真投稿です。特に意味はありませんが。
 スタート場所に行く前に西日本新聞の向吉三郎記者に挨拶をしました。鹿児島県出身で“郎(朗)”の付く九州男児の1人です。愛犬家記者としても知られ、愛犬の名前はシロー。お兄さん2人は一郎と二郎かと思って質問したのですが、さすがに違いました。ただ、上のお兄さんは“郎”がつくそうです。「九州は“郎(朗)”が付く名前は多いですよ」と話してくれました。

 レース終了後は優勝チームの記者会見があります。記事に使える話がたくさん出た良い会見だったと思います。会見後に白水昭興監督のぶら下がり取材を少し。
 その後で閉会式会場に行くともう、選手たちは着席していて取材ができませんでした。指導者の方たちは会場の後方で見学されているので、話を聞くことができます。3位の旭化成・宗猛監督、4位のトヨタ自動車・佐藤敏信監督と話を聞くことができました。
 トヨタ自動車・安永コーチ、日清食品グループ・岡村コーチ、カネボウ・外舘トレーナーらにも補足的な取材をさせてもらいました。不調だったトヨタ自動車4区の尾田賢典選手(区間19位)や、カネボウ3区の木原真佐人選手(区間36位)の情報を仕入れるわけですが、2人とも結果が悪かった背景が見つけられていないようです。“駅伝の怖さ”でしょうか。
 例年だともう少し、記事にしないチームの指導者の話も聞けるのですが、今日は取材に広がりを持たせることに失敗しました。ちょっと原稿を書くことを意識しすぎたかもしれません。
 閉会式終了後に選手個々の取材となるわけですが、接触できる人数は限られます。例年のことなのですが、ニューイヤー駅伝はこの辺の取材が大変です。以前にも書いたかもしれませんが、同じ実業団駅伝でも女子は閉会式まで少し時間があるんですね。優勝チーム会見後に、少し離れている閉会式会場への移動や、応援団への挨拶の前後で選手の話を聞くことができるのです。
 どう立ち回って選手の話を聞いたのかは、企業秘密とさせてください。

 選手取材終了後に、引き揚げるところのコニカミノルタ酒井勝充監督とばったり。酒井監督は実業団連合の強化委員長ということで閉会式に出席されていて、閉会式中に話を聞けていませんでした。これはラッキーでした。
 ラッキーは重なって酒井監督の話を聞き終わると、佐藤悠基選手が引き揚げていくところでした。TBSのJ・田中ディレクターも一緒になり、駐車場まで歩きながら萩倉史郎監督のことなどを聞かせてもらいました。全国高校駅伝の取材のとき、萩倉監督が週末に練習会を開催されて、そこに佐藤選手も参加していたのです。聞けば中学の顧問の先生が長距離が専門ではなく、通常の練習も萩倉監督のメニューを基本的に行なっていたとのこと。良い情報をゲットできました。

 ツイッターで少しつぶやきましたが、今日は“良い駅伝”でしたね。上位チームの多くが、自分たちがやりたかった駅伝に近いものができたのではないでしょうか。
 日清食品グループは昨日のTBSコラムに書いたように、他チームのスピードエースが集まる3区で保科光作選手が踏ん張って、エースの佐藤選手が4区でトップに並び(痙攣もあって最後は7秒差をつけられましたが)、新人の高瀬無量選手が期待に応えて5区でトップに立ちました。
 2位のコニカミノルタは狙い通りに3区の宇賀地強選手でトップに立ち、4区も1位をキープ。後半区間も優勝争いをした(と言っていいと思うのですが)結果の2位でした。3位の旭化成も2区で遅れる展開は織り込み済みで、3区以降で追い上げて3位に入りました。両チーム監督の話には反省点も出てきましたが、トータル的にいえば“日清食品グループに勝つ力がなかった。今の力はほぼ出せた”という評価です。
 4位のトヨタ自動車だけが、4区の尾田選手が予想外の不調でした。5区の熊本剛選手も区間13位でしたが、流れの中で行く予定だったので、展開的にあの走りになってしまったそうです。そこを除けば3区の宮脇千博選手が区間賞でトップに並びましたし、6区の新人の大石港与選手が区間2位、アンカーの高林祐介選手が区間1位。特に高林選手は区間2位に31秒差で、「30秒差くらいなら高林で行ける」という佐藤監督の昨日のコメント通りになりました。
 3位の旭化成を筆頭に九電工、安川電機、トヨタ自動車九州と九州勢が4チームも入賞したのは、九州復権を印象づけました。九電工は18年ぶりの入賞。青年監督だった綾部健二監督も43歳になりました。Hondaも日本人だけで8位ですから力を出し切ったのではないでしょうか。地元のSUBARUもチーム最高順位タイだそうです。目標は8位入賞でしたが、奥谷亘新監督(西脇工高OB)の初陣としては上出来ではないでしょうか。トヨタ紡織も榎木和貴新監督の初陣ですが、11位はまずまずです。NTNは2区のワウエル選手が区間賞で3位に上がって見せ場を作りました。13位でしたが、北岡幸浩選手を欠いたことを考えれば踏みとどまった方では?

 個人成績も期待された選手がそれに応えました。3区では宮脇選手と宇賀地選手が区間新。旭化成の岩井勇輝選手も区間3位で15人抜きを見せ、宗猛監督も評価していました。4区の佐藤選手も区間新。故障からの復帰戦だった高林選手も、前述のように7区で区間賞です。この5人は1万mでロンドン五輪の代表争いをするメンバーですし、日本記録を狙っている選手もいます。
 マラソン代表を狙う選手では松宮隆行選手(コニカミノルタ)が4区で区間2位。後半の粘りなど、同選手らしさが戻ってきました。テレビではびわ湖と報じられたようですが、びわ湖に出るのは弟の松宮祐行選手で、隆行選手は東京に出場します。堀端宏行選手が同区間3位で宗猛監督も「マラソン選手らしい駅伝の走り」と高く評価していました。堀端選手はびわ湖です。そして福岡国際マラソン(日本人2位)に出た今井正人選手(トヨタ自動車九州)も、1カ月でしっかりとつくってきて5区の区間賞。東京かびわ湖かは決めていないそうですが、どちらかには出場する意向です。

 もちろん勝負事ですから残念な結果に終わったチームや選手も少なからずいたと思います。9位の中国電力は2001年から続いていた連続入賞が途切れてしまいました。富士通は現行の区間編成になった2009年以降1位、3位、2位とベストスリーを続けていましたが、今回は藤田敦史選手を欠いたこともあって10位でした。
 個人では前述の尾田選手や木原選手のほか、松岡佑起選手(大塚製薬)が1区で区間24位と、1万mの五輪B標準突破選手らしからぬ走り。大塚製薬・犬伏コーチとカネボウ・高岡コーチにとっても、つらい正月になってしまいました。それらの選手と指導者にとっては最悪のスタートとなった2012年ですが、このあと彼らがどこで、どう再起をしてくるか。それも今年の注目点です。


◆2012年1月2日(月)
 箱根駅伝往路をテレビ観戦。もちろん取材モードです。
 東洋大の強さ、速さは驚異的でした。2区の設楽啓太選手は全日本大学駅伝で酒井俊幸監督から名指しで奮起をうながされていましたが、見事に立て直してきました。そして3区の山本憲二選手(4年)の区間歴代4位(区間2位)、4区の田口雅也選手(1年)の区間賞と驚かされ続けました。この2区間を見て、東洋大全体の仕上がりの良さといいますか、調整に成功していることがわかりました。このまま行くな、と思いましたね。
 柏原竜二選手(4年)が区間記録前後で走るのは前提です。テレビ中継では多少不安のあるような実況ぶりだったので、そうなのか? と思いましたが、終わってみれば区間新でした。
 東洋大は前回自校が出した往路記録を約5分更新。これだけ箱根駅伝が盛んになっている時代でこの更新幅は信じられません。往路2位の早大も往路記録に2秒と迫りました。相対的な部分ですけど区間順位だけを見たら、1区の大迫傑選手以外はそんなに“稼いだ”印象はないんですよね。これはコンディションが良かったこともあると思いますが、上位校のレベルが上がっているからとしか考えられません。
 明大は予想通り鎧坂哲哉選手(4年)が2区を走りませんでしたが、鎧坂選手を欠いた往路で3位というのは予想以上です。2区の代打である菊地賢人選手(3年)が1時間8分台で走ったことがまず、チームに勢いをつけました。そして4区、5区の連続区間2位で地固めをしたという感じです。

 東農大の5区の津野浩大選手がふらふらの走りで1時間46分49秒でした。最終エントリー後に体調不良が生じて、走れないことは覚悟の上での出走だったと記事で読みました。母校のタスキを途切れさせない、という思いはあっぱれでしょう。
 ただ、人として見たら素晴らしいことですが、競技者として見たら体調不良は低レベルと言わざるを得ません。競技者としてダメだったぞ、という評価をしなかったら津野選手に対して失礼……だと思うのですが、そういうことを書いたらいけないですかね。迷います。
 体調の悪い中、1時間46分も頑張り続けた精神力はすごいと思います。テレビで映し出されているのもわかっているでしょうし。すごいことですよね。

 レース後の各監督コメントが文化放送サイトに掲載されました。現地に取材に行けない寺田にとっては本当にありがたいです。というか、ファンにとってもありがたいですよね。新聞記事では断片的なコメントしか載せられません(それでも、効果的に載せるのは各記者が頑張っているからです)。これからも是非、続けてほしいと思います。

 箱根駅伝往路テレビ取材後は、昨日のニューイヤー駅伝原稿にとりかかりました。夕方までにメインの90行原稿を書き上げました。夜に50行原稿と60行原稿も。要推敲ですが。
 ところで昨日のレースは、3年前や昨年のような秒差の争いになりませんでした。日清食品グループの力が上だったことが一番の理由ですが、上州名物の風が弱かったことも多少は影響したかもしれません。個人的には今回のようなレースの方が、各選手が思いきり力を出せていいと思うのですが、これも意見が分かれるところかもしれません。


◆2012年1月3日(火)
 早起きして8時に大手町に。箱根駅伝取材です。いつもの読売新聞本社ビルが建て替え中のため、隣のサンケイビルに大会本部やプレスルームが移っています。初めてということで受付を探すのに少し苦労しましたが、問題なくたどり着きました。部屋はしっかりとした広さがあり、モニターも大きいので双眼鏡なしで取材ができます。今年初めて会う方も多いので新年の挨拶をしながらテレビ取材に入りました。

 レースは6区も東洋大の市川孝徳選手(3年)が区間賞。復路でブレーキが起こるとしたら6区が一番可能性が高…くもないですか。6区は悪くても1時間1分台では下りますね。とにかく6区で差が広がったことで、東洋大の総合優勝は普通に(?)確実になりました。
 さらに7区で設楽悠太選手(2年)が区間新。まさか佐藤悠基選手(東海大→日清食品グループ)の記録を破るとは思っていませんでした。駒大の上野渉選手(3年)を1分近く引き離しましたから、この時点で東洋大の総合優勝はほぼ確実になりました。
 さらに8区の大津顕杜選手(2年)も区間賞。全日本大学駅伝で区間賞の高瀬選手(駒大)や、高校時代に実績のある志方文典選手(早大2年)を抑えました。この時点で東洋大の総合優勝は間違いなく確実になりました。
 どの大学も今日は総合優勝はあきらめて復路優勝を目標にしていたようですが、復路も東洋大が4つ区間賞を取り、駒大に2分19秒差をつけて制しました。昨日の往路新に続いて復路新。往路で大差をつけても安全運転をしないで、前半からそれなりのペースで入ったことが復路新を出すことができた一因です。

 昨日の往路終了時点で2位は駒大と予測しました。9区の窪田忍選手が区間賞を取り、予想通りにそこで2位に浮上しました。
 駒大の敗因は…と言っていいのかちょっと迷います。個人的には“しっかりと2位を勝ち取った”という印象でした。往路は多少の計算外だったとしても、復路で計算通りに2位に上がってきましたから。11時間00分38秒は駒大最高記録だそうです。
 が、9分02秒差はやはり完敗ですね。とにかく敗因は、東洋大が強かったことです。東洋大さえいなければ優勝して、“駒大、スピード駅伝が開花! 来年は大会新確実”とか新聞に見出しが躍っていたと思います。
 東洋大以外は上位校の取材はできませんでしたが、各記事からの情報を総合すると駒大に“勝ち取った2位”という雰囲気はなかったみたいです。大八木弘明監督は、2区と3区が良くなかったと話したそうです。2区の村山謙太選手は1時間09分04秒(区間9位)ですから、期待を下回ったのは事実でしょう。3区の油布郁人選手は区間12位。途中で痛みが出たみたいです。
 しかし、2区と3区がどう好走しても9分差はひっくり返せなかったと思います。“流れ”が変わればどう転ぶかわからないのが駅伝ですが、さすがに今回の東洋大が動じることはなかったでしょう。

 明大は10区の鎧坂哲哉選手(4年)が早大を抜いて3位。49年ぶりですか、3位以内は。鎧坂選手で流れを作っての3位ではなく、他の選手たちが流れをつくっての3位は、完全に予想外でした。12月のトークバトルで西弘美監督が「早稲田には勝ちたい」と話したからか、テレビの実況ではそこが強調されていました。あれは半分ジョークだと寺田は受け取ったので、そこまで強調したらいかんだろうと思っていました。それがあにはからんや…。お見それしました。
 人気の東京六大学です。今後ますます、有望高校生が集まる可能性が大きくなりました。2年後には優勝を争うチームになっているかもしれません。

 前回優勝の早大は4位でした。チーム状態が悪いなかよく踏みとどまったな、という印象です。早大の記録も決して悪くありませんし、3位に入れなかったのは明大の予想以上の健闘があったからです。
 しかし違った意見も当然あります。八木勇樹選手と三田裕介選手という中心4年生2人が出場できない時点で負けていた、という見方です。その2人と矢沢曜選手、中山卓也選手は、高校時代の実績が高かった4人です。今回出場したのはそのうち矢沢選手1人。客観的に見たらそこが最大の敗因です。その論調の記事も出ると思います。
 しかし寺田は11月に矢沢選手と三田選手に、彼らの学年が苦しみながらも頑張ってきた様子を取材しています。敗因は4年生だという認識はあっても、なかなか書けないところです。などと言っているから「批判精神がない」とか言われるのでしょう。
 “4年生のときに勝てなかった”彼らが卒業後にどう頑張っていくか。そこは注目したいと思っています(富士通・尾崎貴宏選手にも頑張ってほしいです)。

 5位の青学大はチーム最高順位です。箱根駅伝に復帰した09年こそ22位でしたが、その後は8位、9位、5位。しっかりした4年生が卒業して苦しくなるな、と思った翌年もきっちりと結果を残してきます。チームの“姿勢”がしっかりと後輩たちに受け継がれているという印象です。そういうチーム作りに成功しているのだと思います。
 東京六大学ではありませんが人気大学の1つ。上位に定着しそうな雰囲気がありますね。
つづく予定

 レース後の取材は当然、東洋大を一番に考えました。レース後の共同会見、金栗賞会見、東洋大のカコミ取材をサンケイ会館で行いました。総合の大会記録を8分以上も更新した東洋大のスピードと、それを可能にしたチーム力を探ろうと思いました。こちらの記事にまとめました。
 箱根駅伝の他社用取材は陸マガが少しあるだけなので、自分の判断で自由にできます。それでかえってどの大学の取材に行くか、何を取材に行くか悩みました。2〜4位の上位校の取材に行くか、下位校で話題性のある大学に行くか。
 明大は3位と大健闘しましたし、49年ぶりの3位以内、五輪標準記録を突破している鎧坂哲哉選手と話題も多いです。5位の青学大・原晋監督のチーム作りにも興味がありました。下位では3年ぶり出場の順大が、予選9位から本戦7位と信じられない躍進ぶり。中国新聞・中橋記者についていけば、誰が全国都道府県対抗男子駅伝に出場するかわかります…というのは冗談です。

 閉会式会場のドームホテルに場所を移す間に順大と東海大の両監督への取材を優先しようと決めました。まずは監督会議後に順大・仲村明監督へ取材。予選会9位の大学が7位です。史上初めてというケースではないようですが、普通でいえばあり得ないことです。順大の“伝統”と“調整力”は今井正人選手が4年生の頃に、取材させてもらったテーマです。今回もそういった部分が発揮された結果ではないかとあたりをつけて、突っ込ませてもらいました。
 仲村監督は5年前の優勝監督です。そのときの心境との違いを聞きたかったのですが、「どちらが嬉しいか」という聞き方をしたのは失敗でした。仲村監督は「その場、その場の立ち位置でやらせてもらっていますから」という答え方をしてくれましたが、指導者にとってはそれが当たり前でした。チームが強くて優勝したときと、チーム力が落ちて予想以上の成績を残したとき。その2つを比べてどちらが嬉しいとか、比較できるものではありません。1つ勉強させてもらいました。
 仲村監督には別の記者が「2年間出られなくて、もうダメだと思ったことは?」と質問しました。これはわかりきった質問です。「出てやろうと思ってやっています。出られないと思ってやる指導者はいません」と仲村監督。なんて当たり前のことを聞くんだ、というニュアンスを込めて答えていました。
 寺田もそんなこと聞くなよ、と内心思っていましたが、その記者は前述の仲村監督コメントを引き出すために、自分が嫌われてもあえて質問をしたのかもしれません。記者には自分を格好良く見せることよりも、大事なことがあるわけです。楽ではありません。

 監督会議後に閉会式。閉会式後には東海大・両角速監督に話を聞きました。就任1年目は12位でシード落ちと、つらい結果に終わりました。ただ、選手層が薄いことはレース前からわかっていた、と言います。出雲は4位、全日本大学駅伝は7位と健闘しましたが「距離と区間の少ない駅伝はごまかせても、箱根はごまかせなかった」と話してくれました。「出雲や全日本に出ていく力があるのは元村、早川、村澤くらい。それ以外の選手が2つの駅伝に合わせたことで、復路で苦しむと思いました」
 一連の駅伝は新監督にとって洗礼の場となりました。豊田自動織機の長谷川重夫監督も、須磨学園高から実業団に指導のステージを変えましたが、今季は全日本実業団対抗女子駅伝で12位と失敗しました。山梨学大附高の萩倉史郎監督も、中学から高校に転身した今季は13位でした。失敗とは言い切れませんが、成功とも言えない結果です。そして佐久長聖高から東海大に移った両角監督もシード落ち。1年目の大物監督が失敗した一番の理由は、新しいステージでの“勝手”がわかっていなかったからでしょう。その辺を萩倉監督が話してくれているので、そちらの記事も早く書きたいのですが。
 両角監督も「(シード落ちは)自分の経験不足が一番大きい。自分自身の甘さや、気づいていない点が多かった」と分析していました。「でも4月で1年経ちますから」と、手応えも感じている様子でした。

 取材はそこで終わり、と思ったのですが、東洋大がまだ残って取材を受けていました。この頃には東洋大記事のイメージがかなりできていたので、山本選手にトラックの記録のことをどう思っているかを聞くことができました。
 取材終了後は東洋大の原稿書き。


◆2012年1月8日(日)
 谷川真理ハーフマラソンの取材に。初めて行く大会です。荒川河川敷がコースでスタート&フィニッシュは新荒川大橋近くの広場。最寄り駅は東京メトロ南北線の赤羽岩淵駅。歩いて10分もかからなかったので助かりました。
 これが堤防の上から見たスタート&フィニッシュ地点です。数千人が参加する大会だと思われますが、東京マラソンなどと違って“手作り感”が残っている大会でした。消防庁の人たちが出ていたので自治体も協力しているのですが、変に仕切っている感じがないので、家族の人たちもスタート直前まで近くで応援ができます(付き添いも)。
 少し写真を撮ってきました。かなりの数のメーカー・ブースが出ていました。飲食店テントも多く、久しぶりに甘酒をいただきました。朝原宣治コーチが大好きなみたらし団子も買ったのですが、ビニールパックの蓋が開いてしまって…。他の市民レースのパンフレットも置いてありました。メインスポンサーはアミノバイタルでした。フィニッシュ後の川内優輝(埼玉県庁)は気さくに記念撮影に応じていました。男子ハーフマラソンの表彰。優勝は徳本一善選手(日清食品グループ)で川内選手が2位。女子の優勝は吉田香織選手
 平塚潤さんや西田隆維さんらがチャリティー・オークションを行いました。正確に書くと平塚潤さん、早田俊幸さん、砂田貴裕さん、西田隆維さん、徳本選手、吉田香織選手、早川英里選手という豪華メンバー。もちろん、谷川真理さんも。みなさんトークが上手でした。

 川内優輝選手が出るということで、取材はかなりの数が来ていました。正確に数えませんでしたがテレビは4台くらい(もっとかも)、ペンは15人くらい。運動部だけでなく社会部の記者まで来ていた新聞社もありました。社会面に取り上げられるようになったらすごいことです。オリンピック・イヤーだな、という雰囲気が伝わってきます。
 これだけの数だと仕切りがしっかりしていないと混乱するかな、と思いました。例年ここまで取材が殺到することはないでしょうから、その辺の対応が少し心配でしたが、実際はまったく混乱しませんでした。フィニッシュ後の川内選手に記者たちがついて行きましたが、強引な取材をしようとする社はありません。着替えをする部屋(?)の外で待っていて、川内選手が出てきたところでカコミ取材に。
 川内選手も短時間ならと協力してくれて、最初にテレビ用のインタビュー、次にペン記者たちによるカコミ取材とスムーズに流れました。

 今日の取材テーマは東京マラソンで2時間7分台を出すためには? というあたり。なにがなんでもそこを、という感じではなく、取材の流れの中で上手く聞けたらいいかな、というスタンスで臨みました。その成果はこちらの記事に。
 記事でも触れましたが、取材中に「ええーーっ?」と驚かされたのは、高校の合宿の練習内容です(実際は声は出していません)。1日50〜60km走るというので、「高校生とは別メニューですよね」と確認したところ、高校生もそのくらい走るというのです。さすが、高松仁美選手(走幅跳元日本記録保持者)を生んだ春日部東高です。
 記事に書けなかったネタでは、箱根駅伝の話題がありました。3年前の関東学連選抜チームでチームメイトだった3区の梶原有高選手の応援に行ったことは、スポーツ報知の記事で知っていました。1月3日の裏表紙面にドーンと出ていました。新聞かテレビからの依頼に応えて沿道応援に出たのかと思っていましたが、そうではなかったようです。報知の記者が偶然、川内選手を見つけたみたいです。すみません、記事でも少し触れていましたね。
 触れていなかったのは全国都道府県対抗男子駅伝の話題でした。昨年は埼玉県チームに招へいされましたが、7区で区間41位で順位を9つ落としてしまいました(埼玉は37位)。その悔しさをバネにしようと思った川内選手が、東京マラソンに埼玉県のユニフォームを着て出場したエピソードは有名です。しかし今年は招へいされなかったそうです。
「去年の印象がよくなかったことと、箱根駅伝で活躍した学生に比べたら僕は弱いと判断されたのだと思います。1区で区間2位の服部君や、7区で区間新を作った設楽悠太君、2区で活躍した設楽啓太君と揃っています。悔しいですけど、今年はマラソンでしっかり走って、来年以降、都道府県駅伝でもリベンジしたいと思います」
 中国新聞・中橋記者が喜びそうなコメントですね。

 取材後は前述したチャリティー・オークションまで会場に残っていました。その後、地下鉄で駒込に出て昼食と原稿書き。駅前にカフェはありませんでしたが、ちょっと歩いたらドトールがありました。箱根駅伝の東洋大ではありませんが、川内選手における“スピード”も、どう書いていいか難しいところ。2時間かけても要書き直し状態でした。


◆2012年1月10日(火)
 松が明けてしまいましたが、正月の2大駅伝取材の日記で紹介し忘れたことをいくつか書きたいと思います。
 まずはニューイヤー駅伝。元旦の日記に
 例年だともう少し、記事にしないチームの指導者の話も聞けるのですが、今日は取材に広がりを持たせることに失敗しました。ちょっと原稿を書くことを意識しすぎたかもしれません。
 と書きましたが、プレス工業の上岡宏次コーチと話ができたことは、プラスアルファの部分でした。上岡コーチは西脇工高OB。東海大では目立った成績を残せず、卒業後はアルバイトをしながら走っていました。かなりの苦労人です。そこで実業団入りが認められる走りをして、日産自動車、エスビー食品で競技生活を送りました。2004年のニューイヤー駅伝では、当時の最長区間である2区で区間2位の実績を残しています。初マラソンだった2007別大の前日に、少し取材させてもらったことがありました。
 こちらにも上岡コーチの記事がありました。重い病気をされていたとは知りませんでした。
 そういえば小川博之選手も日清食品グループ、JAL グランドサービス、八千代工業と移籍しましたけど、日清食品グループの最後の頃に結核で苦しんだと箱根駅伝公式ガイドブックの記事で初めて知りました。こういった病気のことはなかなか伝わってきません。活躍しない期間が続くと“力が落ちているな”と考えてしまいますが、安易に決めつけたらいけないですね。

 ニューイヤー駅伝のレース後には、大晦日に書いたTBSコラムが良かったよ、というお言葉とメールをいくつかいただきました。記事中で紹介した内容の多くが実際のレースで見られたという指摘です。3区の岩井勇輝選手(旭化成)と保科光作選手(日清食品グループ)の役割を紹介したことや、5区でトップに立った高瀬無量選手に触れていたことなどが、良かったと受け取ってもらえたみたいです。
 これらは書き手が頑張ったというよりも、選手が頑張った結果だと思います。期待されていた選手たちが、その期待に応えた走りをしたから、展望記事で触れた内容の多くが現実になったということです。
 意外性が大きい駅伝というのは、期待された選手の多くが走れなかったことの裏返しでもあるように思います。もちろん、意外な結果になることも駅伝の面白さですが、それが頻繁に起こるのはどうかと思います。“良い駅伝”だったと元旦の日記に書きましたが、期待通りの快走が続く駅伝は面白いと思いますね。
 もちろん、選手個々が予想以上の結果を出して、それを契機にトップレベルに定着する、ということは望ましいことです。

 ニューイヤーと箱根の両駅伝では、オリンピック・イヤーのスタートということも意識して取材をしていました。その点で収穫は箱根駅伝取材の際、日本の陸上界を牽引するミズノトラッククラブの中村哲郎監督に、今年の目標を聞くことができたことです。「シドニー五輪の5人がこれまでの最多出場ですから、それ以上のオリンピック代表を出したいですね」と話していました。
 シドニー五輪時には400mの田端健児選手、110mHの谷川聡選手、走高跳の吉田孝久選手、ハンマー投の室伏広治選手、女子では走高跳の今井美希選手が出場ています。現在のMTCはこのメンバーたち。5人は行けそうな気がしますが、どうでしょうか。

 連休が開けて予定が明日(11日)、明後日(12日)と続けて入りました。頑張り甲斐のある取材です。


◆2012年1月17日(火)
 この1週間は陸マガ増刊の大学駅伝決算号(2月2日発売)の取材と原稿書きに時間を割きました。全部で9ページ担当します。5ページ分は昨日が締めきりでした。某大学のチームものと、その大学の2区を走った選手の人物ものです。人物ものは取材したネタを上手く反映させて書けたと思います。難しかったのがチームもの。取材をして面白いと思ったのに、載せられないネタが出てしまいました。これは永遠の課題かもしれませんが。
 ただ、記事のテーマはしっかりと出せたと思います。以前に取材したネタが多くなりましたが、今の箱根駅伝ファンに紹介するのは意味のあることだと思っています。チームの基本方針がコロコロ変わるわけではありません。その年のチームにどう応用したか、というところを毎年記事にするのではないでしょうか。
 もちろん、基本方針を大きく変えたのであれば、それはそれで面白い題材になりますが。

 今日は決算号の最後の取材でした。埼玉県のある大学の監督に取材をしました。記事はチームものでも、監督の人物ものでもありません。今回の箱根駅伝の特徴といえる“あること”がなぜ実現したか、というテーマを編集部から与えられて、その答えを記事にします。そのために何人かの指導者の取材を、この1週間でしてきました。
 今日の取材で難しいと思ったのは、前年とのトレーニングの違いを書くことです。というのは、同じメニューでもそれに取り組む選手の気持ち次第で、良いトレーニングにも悪いトレーニングにもなるからです。特に駅伝など組織として見た場合にいえると思うのですが、個人でもそうかもしれません。為末大選手がツイッターで以下のようにつぶやいていました。

daijapan 思いですね。重要な順に、思心体技と感じています RT @suguru112210: @daijapan 為末さんこんばんは。 スポーツでは、心技体のバランスが重要だと思いますが、心技体以外で為末さんがアスリートとして大切だと思うことはありますか!?
daijapan どうしてもしたいという衝動(思)が全ての根源で、その為に自らを律する(心)という順だと思っています。そもそも心もそういう意味かもしれませんが RT @reopapa25:思と心は似ているところがあると思うんですが具体的にどう解釈されてるんですか?僕は、【思】は目標。【心】は精神


 ただ、そこだけを書いたら読者にはピンと来ないと思ったので、原則だけでなく、応用編的なところも突っ込ませてはもらいました。具体的に練習メニューのこなし方がどう変わったか、というところです。一般の箱根駅伝ファンが対象の雑誌なので書き方が難しいのですが、そこをなんとかするのが仕事です。前向きに頑張ります。


◆2012年1月18日(水)
 昨日は某大学監督取材がありましたが、取材前の雑談時に福島県の話になりました。ツイッターにつぶやきましたが藤田敦史選手を皮切りに、佐藤敦之選手、吉田真希子選手、小野富美子選手、大橋忠司選手らが話題に。
 熊田君がツイッターで返信してくれて女子400m福島県記録の変遷が判明しました。84年の秋田インターハイで小野冨美子選手が出した54秒12を、01年8月25日の東北選手権決勝で53秒88に更新したのが吉田真希子選手。吉田選手が53秒20まで短縮した記録を04年6月13日のアジアジュニア選手権で52秒88に更新したのが丹野麻美選手(現姓・千葉選手)です。小野選手のベスト記録は高校時代のものですが、東女体大でもそれに近い記録(54秒35)を出していますし、日本選手権にも優勝しています。

 しかし、改めて福島県の女子400 mの系譜を見て、壮大なロマンを感じました。
 小野選手の存在は、福島県の女子ロングスプリンターにとって絶対的な存在だったのだと思われます。その記録を17年後に更新したのが当時25歳の吉田選手です。吉田選手はその年の5月に400 mHで日本新を出していますから、400 mの福島県記録を更新して不思議はないのですが、そこにいたる吉田選手の足跡を見たら“不思議はない”では片づけられません。
 吉田選手は高校時代は800 mが中心で、福島大に入って1995年の地元国体のために400 mHに重点を移し、その予選で転倒して……と、20ページくらいの記事が書けるドラマがあります(福島国体10周年スペシャル 10年前の転倒参照)。
 もちろん、そこには福島大の川本和久監督が関わってきます。そして吉田選手の記録を更新したのが、やはり川本監督門下の丹野麻美選手です。日本の400mHのレベルを大きく引き上げたのが吉田選手なら、400mの日本記録を1秒以上も短縮したのが丹野選手。やはり20ページ以上の記事が書ける選手です。

 “福島県女子400 mの系譜”を考えていたら思いつきました。この話を上手く紹介できれば被災地を元気づけることもできるのではないか、と。現在活躍している福島県選手の頑張りは報じられていると思いますが、長い期間にわたって続いている福島県選手の頑張りを紹介することも意味があると思うのです。先人の頑張りを、何人もの選手が引き継いでいる。そういった歴史を福島の人間が紡いできたのなら、自分たちも頑張れるはず。そんな気持ちになれるのではないでしょうか。
 男子長距離が長い期間にわたって頑張っているのは有名です。「円谷幸吉の系譜」というタイトルの連載を、地元紙がやっていたと思います(震災前かもしれませんし、全国紙の地方版だったかもしれません)。世間的に注目度が低い種目でもそういった歴史があると知ったら、なお頑張れるような気がするのですが……ひょっとして、そういった記事はもう出ているのでしょうか。


◆2012年1月19日(木)
 大阪国際女子マラソンまであと10日。野口みずき選手(シスメックス)が本日、ボルダー合宿から帰国しました。成田で乗り継いで伊丹空港に着いたところで取材に応じて、その記事がネット上にも出ています。テレビのスポーツニュースでもやっていて、関西テレビ事業部のMさんやサンスポ大阪のT記者、スポニチ大阪のT記者らが映っていました。取材光景を見ると、いよいよだなという気分になってきます。身が引き締まりますね。
 記事で野口選手のコメントを読むと、まずまずの手応えがある様子です。
 ただ、本当に大丈夫なのかどうかは、陸マガ2月号の記事にも書いたように、レースが終わるまではわかりません。そこに関して最近、ちょっと悩んでいるのです。レース前の取材でトレーニングについて聞くことに意味があるのかどうか。
 実際に一部指導者から「意味はない」という意見が出ています。
 でも間違いなく、報道という視点では意味があります。その選手がどういうトレーニングをしてレースに出場しているのか、どんな心理状態で走っているのか。心理状態もトレーニングに左右されるところです。結果の善し悪しに関係なく、そこを知ってレースを見ることで観戦の面白さがまったく違ってきます。
 極論すれば、競技的に意味はないのです、レース前にトレーニング内容を話すことは。しかし社会的には意味は大きいと思います。そもそも報道とは、そのために存在するのですから。スポーツ界が一般社会から遊離してしまわないために報道は必要です(行き過ぎた報道はよくありませんが)。
 だったら悩むなよ、と言われそうですね。いや、本当にその通りです。

 アルバカーキから帰国した嶋原清子選手も、成田までは野口選手と同じ飛行機だったそうです。この2人の共通点は………………大阪国際女子で30歳台日本最高が狙えることでしょうか。2時間23分くらいですかね…と思って調べたら、2時間21分49秒でした。レベル高っ!
 ちなみに高橋尚子さんが2002年のベルリンで出した記録です。あのとき30歳台だったとは…。そのイメージがありませんでした。
 2時間21分49秒がどのくらいのレベルかという説明は必要ないかもしれませんが、野口選手が03年の大阪国際女子で出した国内最高記録が2時間21分18秒です。でも今回、ペースメーカーのハーフ通過が1時間11分台の設定ですから、そこを目指せるペースですね。やれないことはないでしょう。高岡寿成コーチが日本記録の2時間06分16秒を出したのは32歳でしたし、33歳、34歳と2時間7分台を出しています。30歳台で記録を出す方法を聞いておきます。
 というのは、本当に意味がないかもしれません。30歳台で記録を出すためのルートは10通りはあると思うので(10万通りある?)、どのルートを選ぶかは選手の置かれている状況によって変わってきます。“競技人生の流れ”は十人十色です。
 嶋原選手は今回が引退レース。アルバカーキでマラソン練習をするのも最後ということです。平田真理コーチのブログに嶋原、最後のアルバカーキ練習が載っていました。
 引退レースで2時間21分台を出したらすごいですね。引退レースVは、佐々木七恵さんがロス五輪後の名古屋国際女子でやっていますが、2時間21分台はホント考えられません。

 そんな感じで寺田も盛り上がっています。こうして書くと、野口選手や嶋原選手ら取材をした回数の多い選手に目が行きがちだと、自分でも思います。その選手に関する知識があると「今回はどうなんだろう」と興味を持ちやすくなりますから、当然といえば当然です。
 でも、新しい選手が出てくることも楽しみにしています。陸マガ編集部にいた頃は、“青田刈り”的に新しい選手を見つけることが仕事でした。中学生や高校生の取材自体、そういう性格を持っています。
 今もその名残はあります。自慢ではありませんが川内優輝選手を2009年の福岡国際マラソンで取材した記者は、寺田だけとは言いませんが、それほど多くなかったはずです。2カ月後の東京で4位になった後にはビジネスのオファーもしました(日本人1位になる前の年です)。福岡で取材をしたときに“この選手は強くなる”と確信したので、ある会社に話を持ちかけて、その交渉役をやったのです。「公務員ですからダメです」と断られましたけど。そういえば昨年11月の横浜国際女子マラソンのときに吉富純子選手を取材した記者もほとんどいなかったと思います。
 思い出しました。シドニー五輪選考会の2000年名古屋国際女子マラソンは高橋尚子さんが優勝しましたが、一般参加の土佐礼子選手が高橋さんに続きました。ケガから復帰して五輪切符を確実にした高橋さんが注目を集めましたが、土佐選手ももちろん取材しました。こんな選手っぽくない選手は珍しいな、と思いました。昨日のことのように覚えています。


◆2012年1月21日(土)
 今日は14時から川内優輝選手の共同取材でした。駒沢公園のジョギングコースが取材地点に指定されていました。雨でどうなることかと思いましたが、カフェテリアに移動してのカコミ取材になりました。今日はいくつか、川内選手の考え方を推測して臨んだ項目がありましたが、実際は違っていた点もありました。やっぱり、推測だけで選手のイメージを膨らませるのはよくないですね。
 今日の取材はWEBでは記事にできないのですが、色々と面白いことを聞くことができ、本当に有意義な取材になりました。ただ、いつかは個別取材をして、徹底的に突っ込みを入れたい選手です。

 川内選手の取材後には、同じ世田谷区であるプロジェクトの打ち合わせをしました。実現できるかどうかはわかりません。でも、絶対に実現させるつもりでやります。実現すれば寺田にとって数少ない、オリンピックイヤーらしい仕事になりますし。
 ビジネス上の話でしたが、それを抜きにしても有意義な話し合いでした。最初にしっかりと話し合いをしておくことは重要です。そういえば東洋大も前回の箱根駅伝で敗れた後、徹底的に話し合いをしました。酒井俊幸監督は“議論”という言葉を使っていましたね。
 酒井監督は35歳と若いのですが、言葉の選び方は慎重でかつ的確な指導者です。以前、取材中に「レースは戦場です」と言った後に、「戦場という言葉は適切ではありませんね」と言い直しました。歴史的なことや社会的なことも考えて、“戦場”という言葉を安易に使ってはいけないという認識なのでしょう。そういった言葉の選択をする監督です。
 その酒井監督が話し合いではなく“議論”という言葉を使いました。そのことからも、東洋大が前回箱根駅伝後に、徹底的な話し合いをしたことが伝わってきます。それに関連した記事は大学駅伝決算号(2月2日発売)に書きました。

 一昨日の日記で2000年の名古屋国際女子マラソンで2位になった土佐礼子選手の印象を、“こんな選手っぽくない選手は珍しい”と書きました。選手らしいぎらぎらした部分がまったくなかったのです。杉森美保選手(現在は佐藤姓。夫君は佐藤敦之選手)のような“マネジャーと間違われる”キャラとも少し違います。誤解を恐れずに書くのなら、ほんわかした天然系の雰囲気の選手で、田舎の純朴なお嬢さんという感じでした。
 対照的なのが川内選手です。市民ランナー的なスタイルで、ある意味実業団選手よりも背負っているものが軽いのですが、勝負や記録に対する執念はすさまじいいものがあり、ぎらぎらしています。今日の取材中にも、現在のエリート育成システムに対する意見を聞かせてくれましたが、こちらがドキッとするくらいの鋭さを感じさせる言葉でした。
 では、土佐選手の気持ちが強くないのかといったら、そんなことはまったくありません。強豪ではない松山大出身でしたが、実業団入りした後の覚悟はそれはもうすごいものがありました。陸マガ2月号で野口みずき選手のリハビリ・トレーニングの様子を記事にしましたが、土佐選手の故障中のトレーニングもすごかったと聞いています。良いときよりも、逆境の時にその選手の気持ちの強さが表れるようです。

 これも一昨日の日記で、嶋原清子選手が大阪国際女子マラソンで引退することを書きましたが、引退で思い出したのが昨年12月の防府マラソンで引退した油谷繁コーチ(中国電力)です。嶋原選手とは同郷(山口県)で同学年。2人は土佐選手とも同学年……おおっ、酒井監督も同学年ですね(なんという偶然)。
 何度も書いていることですが、油谷コーチは2001年のエドモントン世界陸上、03年のパリ世界陸上、そして04年のアテネ五輪と3連続5位入賞。すべて日本人最上位です。21世紀の日本マラソン界を牽引し、支えてきた選手でした。中国電力が日本のトップチームに定着できたのも同コーチの功績が大きかったと思います。上に尾方剛選手、下に佐藤敦之選手と強烈な個性の2人にはさまれて、いぶし銀的なイメージもありましたが、それでもなお輝き続けました。油谷コーチも、とてつもなく気持ちの強い選手だったということです。
 引退レースはもっともっと注目されてよかったはずです。寺田も何度も取材をさせてもらいました。福岡国際マラソンとか取材に行くレースだったら、大々的に取り上げていたと思います。全日本実業団対抗女子駅伝と同じ日でしたから、どうしようもありませんでした。
 そういえば、日本記録保持者の高岡寿成コーチ(カネボウ)も引退レースは途中棄権でした。21世紀を代表するマラソンランナーが2人ともとは。何かあるのでしょうか?


◆2012年1月22日(日)
 今日は全国都道府県対抗男子駅伝を自宅でテレビ観戦。
 取材ではありませんが、取材時と同じようにメモはしっかりととります。通過タイムだったり、何km地点で抜いたりといったことです。選手のインタビューもなるべく書き取ります。後々、役に立つこともあります、たまにですが。その辺を計算してのことというよりも習性ですかね。

 一番印象に残ったのは兵庫県のアンカーを走った竹澤健介選手(エスビー食品)です。テレビでは“日本を代表するランナー”という紹介の仕方しかしていませんでしたが、昨年の不調は陸上ファンなら皆知っています。日本選手権は欠場しましたし、秋のエコパや日体大でも走れていなかったのを直接見ています。エスビー食品なのでニューイヤー駅伝にも出ていません。肩書きで走れてしまうケースもありますが、駅伝で大事なのは肩書きよりも実際の調子です(肩書きで書くから展望記事が外れるのです)。“どうなんだろう?”と見ていました。
 26秒差を逆転して優勝テープを切ったのは想定の範囲内ですが、宮脇千博選手(トヨタ自動車)と宇賀地強選手(コニカミノルタ)の2人を上回って区間賞を取ったのには驚かされました。宇賀地選手は最初に突っ込んだ影響もあったのかもしれません。宮脇選手はその辺の情報が不足していました。
 毎日新聞の記事には
昨春、右すねを疲労骨折し、「ちゃんと走れるようになったのは年明けから。レース勘もなく不安だった」
 という記述がありました。すねの故障は知っていましたが、レースには出ていたのでそこまで不安があったとは知りませんでした(試合に数多く出られるようになったのは一度、取材してみたい点ですが)。
 完全復活といえるのかどうかは微妙ですが、期待できるところまで戻ってきたのは確かです。2年前もこの大会で区間2位と好走し、日本選手権に優勝しました。佐藤悠基選手、宇賀地選手、高林祐介選手、宮脇選手と激戦が予想されていた今季の1万m戦線に加わってきそうです。もちろん学生選手にも期待しています。

 その他で目についた選手を何人か書いておきます。3区では出口和也選手(旭化成)が茨城県初の区間賞。中国新聞の記事(区間賞、今年こそ 18都府県が未獲得)の記事にピタリとはまる快走でした。昨年の日本選手権前の取材で、宗猛監督が推していた選手です。ひょっとすると、今季大化けするかもしれません。
 3区では三田裕介選手が区間3位で2位に浮上したのが目立っていました。調子が上がらず箱根駅伝出場回避を渡辺康幸監督に申し出たという記事を読みましたが、3週間で立て直してきたのはさすがというべきなのか、プレッシャーがなければ走れるということなのか。学生では蛯名聡勝選手(帝京大)が区間6位で2番目。箱根駅伝2区区間賞の出岐雄大選手(青学大)を抑えましたが、蛯名選手も箱根駅伝は当日のメンバー変更で出ていません。どういう事情なのか、今度中野監督にお会いしたら聞いておきましょう。
 若倉監督イチオシの濱崎達規選手(小森コーポレーション)が区間4位。小森コーポレーション日本人記録の更新が期待できそうです。たぶん、秋葉啓太選手の28分19秒94だと思います。

 7区では東洋大勢も頑張っていました。OBの若松儀裕選手(日清食品グループ)が区間4位で2位に上がりましたし、北島寿典選手も区間5位で6人抜き。現役では大津顕杜選手が区間8位で、最後は宇賀地選手に競り勝ち3位でフィニッシュしました。箱根駅伝は8区でしたが最初の5kmを14分35秒とハイペースで入った選手。ひょっとすると今季、トラックでも活躍するかもしれません。
 7区の学生トップは駒大の窪田忍選手で区間6位。トラックのスピードの切れでは同じ駒大でも油布郁人選手や撹上宏光選手、村山謙太選手の方が上だと本人も国際千葉駅伝のときに話していましたが、押していく走りで27分台を出せたら、それも素晴らしいことだと思います。


◆2012年1月25日(水)
 午後の3時13分に携帯が鳴りました。ディスプレイを見ると岡山のSP記者です。「どうもー」といつものお気楽な口調で出ました。
「野口さんが、大阪欠場です」
「えっっっっえええええええーーーーー」

 ものすごい大声を出しました。ここ数年で一番驚いた声だったと思います。
 ちなみに、SP記者の声もここ数年で一番落胆していたかもしれません。今日の朝日新聞朝刊で「元女王・野口、はい上がった」という見出しで、5段の大作記事を世に出したばかりです。寺田も陸マガ2月号に野口選手の記事を4ページ出したばかりですから、相通じるものがあったのかもしれません。
 まったくの予想外というわけではないのです。こういったことになる可能性も、頭の片隅にはありました。それにもかかわらず大きな衝撃を感じます。公平な立場で選手たちに接する記者でも、残念と思う気持ちになるのは普通でしょう。でも、残念という言葉が適当なのかわかりません。SP記者や、オランダまで取材に行った浪速の硬派記者に、記者のこの感情をどんな言葉で表現するのが適当か聞いておきます。

 気がついたら寺田のところにも欠場のFAXが届いていました。しかし、故障の程度がどのくらいひどいのか、情報がありません。17時から廣瀬永和監督が、大阪で取材に応じるということだけです。そこで判明すると思いましたが、我々は、どういうことになっても全てを受け容れるしかない、と思いました。
 軽傷なら名古屋ウィメンズマラソンに出場するかもしれません。その反対で、ロンドン五輪出場はあきらめる、という話が出てくるの可能性もあります。よくないケースとして、野口選手陣営が判断を先送りにして、世間やメディアが過剰に反応するということも考えられました。本来なら静かに見守るべきところをあれこれ書き立てたり、最悪、寮とかに押し掛けたり。
 それでツイッターに「今後のことをすぐに判断できる状態とは限りません。名古屋出場どうこうと騒がずに、見守りたいと思います。」と書きました。世間への影響があるとは思えませんが、何もしないよりはいいかな、と。

 しかし、17時前後に共同通信が名古屋ウィメンズマラソン出場の方向という記事を配信しました。野口選手の気持ちがそれで固まっているのなら、我々が気を揉む必要はまったくありません。ヨシっ、という感じです。
 その後、廣瀬永和監督の一問一答の記事が出て、経緯や軽傷であることがわかりました。何より、主催者経由で出た野口選手の以下のコメントで、しっかりと前を向いている状態であることがわかりました。
「大阪に向けて調整してきましたが、帰国直前に痛めてしまいショックでした。しかし、少し休めば良くなる程度の症状なので気持ちを切り替え最後の選考会である名古屋に向けて頑張ります。私は諦めません!」
 これで我々も“行けるぞ”というトーンの記事を書けます。

 名古屋ウィメンズマラソン出場も、個人的には良いのではないかと思っていました。野口選手の全マラソンは以下の通りですが、初マラソンは2002年の名古屋国際女子マラソンです。“動物的な勘”で大阪国際女子出場を決めましたが、“初マラソンから10年”という節目で復活する、というのもドラマチックで野口選手らしいかな、と。
回数 年月日 大会 順位 記録 備考
1 2002/3/10 名古屋 1 2.25.35. 初マラソン歴代2位(当時)
2 2003/1/26 大阪 1 2.21.18. 国内最高記録
3 2003/8/31 パリ世界選手権 2 2.24.14.  
4 2004/8/22 アテネ五輪 1 2.26.20.  
5 2005/9/25 ベルリン 1 2.19.12. 日本記録
6 2007/11/18 東京国際女子 1 2.21.37.  
7 2008/8/17 北京五輪   dns  


◆2012年1月27日(金)
 今日は「うーん」とうなり続けた1日でした。
 朝はしっかりと起きて予定通りの新幹線で大阪入り。車内では最近の大阪国際女子マラソン関連記事と、過去の福士加代子選手の記事に目を通しました。4年前の福士選手初マラソン時の記事は昨日のうちに読んでいたのですが、今日はその他の記事にも目を通しました。結果的に、この1年の福士選手の取り組みへの理解度が深まりましたし、今後、取材でどこを突っ込んだらいいのか、という部分も見えてきました。
 これは「よしっ」という感じでしたが、「うーん」と考え込んだのが、今日の記事をどうするか。寺田的陸上競技WEBに1本何か書きたかったのですが、“これを”という視点が思い浮かびません。横浜国際女子マラソンのときは堀江知佳選手と永尾薫選手の、ユニバーサルエンターテインメント・コンビ(こちらに記事)で行けると感じて会見に臨むことができたのですが。
 1つ思いついたのが、スピード派の福士加代子選手に対し、スピードがない嶋原清子選手と野尻あずさ選手がどう挑むか、という記事です。ペースメーカーが16分50〜55秒ペースで設定されていますから、スピードのある選手に有利かな、というのが一般的な見方です。でも、マラソンのスピードはトラックのスピードとイコールではありません(箱根駅伝のスピードも同様です)。そこを嶋原選手と野尻選手がどう考えているか。
 ただ、これは共同会見では突っ込みにくい内容です。スピードがないと決めつけて質問するのもよくありません。ハイペースの先頭集団でいっぱいになるまで走るのでなく、余裕を持って離れて後半勝負というのも1つの方法ですが、レース前にそれを明言するかといえば、言いにくい部分だと思います。
 今日の記事をどうするか。「うーん」と頭の中でうなり続けて大阪入りしました。

 13時15分くらいに大会本部ホテルに到着。クロークに荷物を預けて会場に入るともう13:30くらいでしたが、そこから会見が始まる30分間で頑張りましたね。ミズノの方には今大会でミズノ・シューズを使用する選手が誰なのかを確認。別の某メーカー営業の方にも話を聞き、某新聞社の記者に紹介。山口衛里さんには重友梨佐選手のあることを確認しました。小幡佳代子さんも久しぶりにお会いして挨拶。東京マラソンの関係者には、女子にペースメーカーがつく可能性があるかを質問。まだ最終決定ではありませんが、可能性としてはあるそうです。

 14時から記者会見。北京五輪金メダリストのディタ選手(ルーマニア)、福士加代子選手(ワコール)、ラストランの嶋原清子選手(セカンドウィンドAC)、野尻あずさ選手(第一生命)、重友梨佐選手(天満屋)が出席。会見自体はそれなりに盛り上がったのですが、寺田が意識したスピードのある選手とない選手の違いを上手く記事にするのは難しそうでした。
 野尻選手は「私の自己記録からすると(ペースメーカーの5km毎16分50秒は)速いペースですが、」と話していますが、ついて行く気は満々でしたから、早めに後れて盛り返す云々と聞ける雰囲気ではありません。この取材だけで野尻選手をスピードがない部類に入れて書くのはダメですね。
 その点嶋原選手は「私よりスピードのあるランナーは前半から余裕を持って行くと思いますが、私は42.195kmをふんだんに使ったレースをします」と話していますから、たぶんペースメーカーには付いていかないでしょう。でも、目標は優勝ということでぶれていません。嶋原選手に会見後に話を聞けたら記事にできたかもしれませんが、会見後の取材は禁止事項ですからどうしようもなかったですね。
 会見後の監督取材はワコールの永山忠幸監督のカコミに加わりました。福士選手の今季の練習の流れや4年前との違いについて話をしてくれたので、福士選手の記事であれば書けそうでした。いえ、間違いなく書けました。でも「うーん」となったのは、陸マガの記事に使えそうなネタだったからです。記事にはできませんが、以下の永山監督コメントから福士選手が良い状態であることは伝わってきました。
「勝つべき選手が勝たないといけない、という使命感でやってきました。(中略)日曜日にはマラソンの神様がきっと微笑んでくれると思っています。状態は本当に普通です。特別良くもなく悪くもなく。普通なら彼女本来の力が発揮できるでしょう」

 取材終了後は某新聞事業部の方たちとお茶をして、その後ロビーで原稿書き。ただ、その時点ではまだ、スピードのある選手とない選手という視点で記事が書けないか考え続けていました。会見の一問一答にする手もありますが、この大会は例年、公式サイトに一問一答が載ります。同じことはあまりやりたくありません。
 そうこう考えている間に、某社大阪のT記者とは「寮に押し掛けるなど強引な取材をしたらいけないな」ということを話しました。廣瀬永和監督会見時に野口みずき選手の欠場コメントが配布されましたが、会見前は同選手の本人のコメントが必要だから強引な取材をしろという会社の意見もあったそうです。特に名古屋ウィメンズマラソンに出場するかどうかは記事にしたいところ。しかし、取材現場の人間としては、長くつきあうことを考えたらそれはできないと先輩記者と話していたそうです。もちろん寺田も同じスタンスです。

「うーん」と迷っていた本日の記事は結局、会見の一問一答に決めました(こちらに記事)。公式サイトは省略した分量だったような記憶がありました。だったら、全部を掲載したら意味があるかな、と。17時過ぎに公式サイトを見ると案の定、会見の全部ではなくて3分の一くらいの掲載でした。
 記事を書くのに2時間くらいかかったのですが、その間に面白い情報を2つ入手できました。1つは清水裕子選手(積水化学)がペースメーカーを引き受けた理由です。福士選手と接点があったからですが、その経緯がものすごく面白いものでした。もっと早くその話を聞いていたら、間違いなく今日の記事にしていたと思います。
 もう1つは佐藤由美(資生堂)選手とすれ違った際に、明後日のレースが現役ラストランとなることを確認しました。資生堂のブログを見て、そういうことだろうと判明していましたが、本人の確認をとらないと書けません。昨年12月で35歳になったベテラン選手。資生堂が駅伝で優勝した年だったと思いますが(違ったかな)、西葛西のファミレスで取材をさせてもらいました。
 資生堂でチームメイトだった嶋原選手とは同学年かな、と思って弘山勉監督に確認すると、同じ学年というだけでなく、生年月日(12月22日)でまったく同じだと教えてくれました。これも鳥肌が立ちましたね。同じ資生堂で10年近く、チームメイトとして選手生活を送った生年月日が同じ2人の選手。しかし、競技生活はまったく対照的でした。
 学生時代から15分20秒台のスピードがあった佐藤選手と、中距離出身でもそこまでスピードのなかった嶋原選手。嶋原選手がマラソンに進出して24回もマラソンに出場しているのに対し、佐藤選手はトラックで日本代表に何度かなっています。佐藤選手はマラソンには進出せず、今回が2回目だそうです。その2人が同じマラソンを現役ラストランに選びました。2人の競技人生が交錯する様は、数奇としか言いようがありません。

 ということで、「うーん」と迷い続けた1日でしたが、なかなか充実した1日でした。


◆2012年1月28日(土)
 大阪国際女子マラソン前日ですが、その前に昨日の日記のテーマ?だった「うーん」というのは、先日の順大取材の際に仲村明監督が発した言葉です。9位とぎりぎりで通過した箱根駅伝予選会後に、選手たちが本戦の目標を5位にしたいと言ってきました。そこで仲村監督は「うーん」と躊躇したのだそうです。結論としては選手たちの決定を尊重し、実際に7位と大健闘しました。この記事は大学駅伝決算号(2月2日発売)に書きます。
 そのときから「うーん」が寺田の中でマイブームになっています。

 ということで今日は大阪のホテルで目覚めました。午前中はホテルの部屋で仕事。10:45からは関西テレビの福士加代子選手(ワコール)の特集を見ました。最初のシーンが昨年5月のカージナル招待1万mでした。30分54秒29と自己2番目の記録。日本新は逃しましたが5年ぶりの30分台であり、9年前の自己記録に迫りました。どちらも高く評価されてしかるべき快挙です。
 しかし福士選手が狙っていたのは日本記録の更新。その一点だけでした。フィニッシュして記録を知らされた福士選手は声を出して泣き出しました。レース後はいつも笑顔を見せるのが福士選手ですから、このシーンは衝撃的でした。福士選手の1万m日本記録更新に懸ける思いの強さは、これまでの取材で理解していたつもりです。いえ、理解できていたからでしょうか。この涙の意味は大きいぞ、と思いました。
 永山忠幸監督が練習方針を4年前とは変更したことも、なんとなくはわかっていましたが、今日の特集を見てはっきりとしました。番組では他にも色々な情報が盛り込まれていて、とても参考になりましたね。

 テレビを見た後に大会本部ホテルに移動。徒歩で20分くらいの距離なので歩いて行きましたが、大阪城のジョギングコースを歩いていると、ついさっきまでテレビで見ていた福士選手とすれ違いました。もちろん走っていました。いつもの笑顔を向けてくれたのですが、なぜかドキッとしましたね。

 ジョギングコースにはセカンドウィンドACの嶋原清子選手と川越学監督もいらっしゃいました。川越監督には今回のマラソン練習で嶋原選手らしさが、どう表れていたかをお聞きしました。
「調整力ですね。レースが近づくにつれて調子を上げてきました」
 昨日の会見ではペースメーカーに付かない可能性を示唆していたような気がしました。
「そのときの感覚で決めますが、余裕がないと後半に勝負できません。嶋原らしく、後半追い込む形にできればいいと思います」
 13年間指導してきた選手が引退する。監督はどんな気持ちになるのでしょうか。
「明日は無事に完走してくれたらと思います。尾崎(朱美)がラストランで完走できませんでした(低温のため)。今度こそ完走してほしい。やめるのではないか、というのは結婚した頃から感じ取っていました。(自分も)1年以上かけて心の準備をしてきた感じです。明日はセレモニーみたいなものでしょうか」
 どんなふうにフィニッシュを迎えるのか気になるところです。
「最後は泣いちゃうかもしれません」
 女の涙も意味が大きいですけど、男の涙にも思いがこもっているでしょう。

 昨日、明日のレースで引退する嶋原選手と佐藤由美選手の生年月日がまったく同じだと書いたところ、某雑誌のY編集者からメールが来ました。なんと、佐藤選手と1秒差の大接戦をしたといいます。意地で勝ったみたいですね。メールを引用しましょう。
K記者とのライバル対決が勃発した東京マラソン2010。
42kmを過ぎた最後の直線で、ふと視界に入ってきたのが資生堂の佐藤選手でした。
「ここで負けたらもう二度と勝てないぞ」と思い、痙攣寸前の脚を必死で動かして、
何とか一歩だけ先にゴールすることに成功しました。
佐藤選手がその後マラソンを走っておらず、
しかも今回が引退レースというのは寂しいものがありますが、
振り返れば95年に京産大の木村泰子選手がブレイクしていた頃から活躍しているわけですから、
競技者としてのキャリアは相当ですよね…(当時、僕は中学生でした)。
何かの縁で(?)東京で肩を並べて走れた時は、感慨深いものがありました。
明日も頑張ってほしいものです。
 嶋原選手との接点とは対照的ですが、人間、不思議なつながりがあるものです。

 大会本部ホテルでしばらく待機していると、堀江知佳選手が戻ってきたので少し話を聞かせてもらいました。横浜国際女子マラソンに続いての参戦です。福士選手の1万mも自己新を出したら10年ぶりですが、堀江選手のマラソンも自己新を出したら10年ぶりです。自己新の感触を質問すると「どうでしょうか。今回はタイムも順位もこだわらないで走ろうと思っています」という答えでした。何か期するものがあるのかもしれません。
 続いて、堀江選手を指導する小出義雄佐倉アスリート倶楽部代表にも話を聞くことができました。堀江選手のことは「好きにやればいいんですよ。好きにやっても賢い子ですから」とコメント。これは突っ込んだら面白い話かもしれません。でも、ここで詳しく聞いてはいけないような予感もして、今日はやめました。
 記者たちに突っ込まれて、福士選手の可能性にも言及してくれました。
「福士さんが本当にやったら2時間16分台はとっくに出ていた。いろんなことがあるから一概には言えないけど、それだけの体の素質はあるよ」
 永尾薫選手が名古屋ウィメンズマラソンではなく東京マラソンにエントリーしたことについては「まだ力がないからね。でも、あと3年くらいしたら強くなると思うよ。時間がまだかかるね」と話してくれました。

 その後は、野口みずき選手の出場会見のときと同じカレー屋さんで昼食。昼食後は2時間ほど別の仕事をしました。原稿ではないのですが、抱えている仕事があるのです。
 夕方にペースメーカーの清水裕子選手の話を聞くことができました。これがその記事です。最初は福士選手との接点と、「福士選手に恩返しをしたい」という清水選手の気持ちをクローズアップしようと思いましたが、そこを強調すると“福士選手のため”だけにペースメーカーを引き受けた、というニュアンスになってしまいかねません。そこに注意して、誤解のないように記事を書きました。見出しのコメントも当初は「福士さんと一緒にオリンピックに行きたい」にしていましたが、「後ろの人が走りやすいように全力を尽くします」に変更しました。
 夕食は大阪在住の友人と梅田で。“キタ”で食事をするのは、もしかしたら初めてかもしれません。


◆2012年1月29日(日)
 大阪国際女子マラソンの取材でした。
 スタート2時間前の10時くらいには長居陸上競技場に着いてプレスルームの席を確保。11時までは抱えていた仕事を一生懸命に進めました。大阪国際女子マラソンに集中したいところですが、仕方ありません。職業柄、いきなり仕事が入ってくることもあります。S記者の要望で福士加代子選手(ワコール)の昨年のシカゴ・マラソンと、2008年大阪国際女子マラソンの通過&スプリットタイムを調べました。どこを調べればいいか、その資料を持っているか。そういった能力はある方だと思います。
 11時過ぎにはスタート前取材に。指導者だけでなく、色々な関係者に話を聞かせてもらいます。東京マラソンなどスタート地点が違う場合はできませんし、絶対に必要な取材というわけではありません。ただ、スタート直前になると本音が出てくることもありますし、参考になる話をけっこう聞けるような気がしています。
 M社の鈴木さんにはゴールした嶋原清子選手に、川越学監督より先に握手をしないように念押しをしておきました。以前、吉田香織選手が北海道マラソンに優勝した際、先に握手をしたことがあったからです。「別の方が先に握手をしたので、つられて自分もしてしまった」と釈明していますが…。

 レースはテレビ観戦ですが、ここからもう真剣勝負です。
 レース展開は改めて紹介しませんが、清水裕子選手の記事を昨晩のうちに書いておいたのは正解でしたね。

 レース後は優勝した重友梨佐選手(天満屋)のテレビインタビューを聞いた後、ミックスゾーン取材に。最初に4位の堀江知佳選手(ユニバーサルエンターテインメント)の話を聞きました。大敗した横浜国際女子マラソンから短期間で立て直すことができた理由を取材できました。練習面だけでなく、メンタル面でも立ち直ることができたレースだったと言います。文字数は多くないと思いますが陸マガに記事を書きます。
 堀江選手の取材が終わって横を見ると6位の佐藤由美選手(資生堂)が取材を受けていました。その取材が一段落したところでちょうど、嶋原清子選手(セカンドウィンドAC)が引き揚げてきたので、2人にお願いしてツーショット写真を撮らせてもらいました。
 コメント取材は後回しにして、天満屋の武冨豊監督のコメントを聞きに行きました。

 ミックスゾーン取材終了後に会見スペースに行くともう、陸連の記者会見が始まっていました。我々はここのコメントがあると書きやすくなります。ただ、選考に関しては「選考レースが全部終わるまでわからない」としか言えない類の話です。他の大会の結果と優劣をつけることはしませんが、各選手の評価を話してくれるので助かります。
 続いて3位(日本人2位)の野尻あずさ選手(第一生命)の会見。大きな目標の五輪代表には届きませんでしたが、「速いペースのペースメーカーに着いていくのは1つのチャレンジでした。自己記録を更新できたのは良かった」と、満足感もなくはなかったようです。
 続いて優勝した重友選手。シドニー五輪以降3大会連続で五輪代表を輩出している天満屋の伝統については、次のように話していました。「口でこうだよ、ああだよと言うのでなく、練習に取り組む姿勢や普段の生活で学ぶものがたくさんありました」

 次が9位に終わった福士加代子選手(ワコール)でした。ショックで話ができないのではないか、という状態も予測されましたが、福士選手は出てきてしっかりと質問に答えていました。「大阪は厳しいですね?」という問いかけに「大阪は優しいですよ」と、地元の人たちへの気遣いも見せていました。あるいは、福士選手なりに感じていることがあるのかもしれません。
 失速の原因は「ちょっとエネルギー不足でした。調整期間で(炭水化物など)食事が足りなかったかもしれません」と説明。あとで永山忠幸監督にも話を聞きましたが“軽い状態”をつくってスタートラインに立ってしまったことを反省していました。2週間ほど前に福士選手が“重さ”を感じていたそうです。それで最後の調整で福士選手が、トラックのように“軽い状態”にしてしまった。シカゴ・マラソンの際に食べ過ぎて失敗したことから、最後の調整期間でたくさん食べにくくなっていたこともあったようです。
 福士選手の会見後に武冨豊監督のカコミ取材ができて、再度お話を聞かせてもらいました。

 表彰式とさよならパーティーに場所を移して取材を続行。大会によって違うのですが、この大会は本人が承諾すれば会場の隅で取材ができます。とはいえ、飲食をしている最中や歓談の邪魔をするのは控えています。
 今日は表彰式開始前に、元天満屋の山口衛里さんのお話を聞きました。あるテーマで、天満屋チームを長い目で見ている人物の見方を知りたかったのです。
 パーティーが始まった後はまず、嶋原清子選手がフィニッシュしたときに川越学監督が涙を流したのかどうかを取材しました。昨日、監督本人が「泣いちゃうかも」と言っていたのです。
 結論からいうと、流しませんでした。M社の鈴木さんが悪いわけでもなんでもなく、交通渋滞に巻き込まれてフィニッシュに間に合わなかったのだそうです。沿道を先回りしての応援そのものが、「後半は不十分。不完全燃焼」ということでした。
 嶋原選手は5位で2時間29分51秒。中間点を1時間12分58秒で通過しましたが後半にペースダウン。嶋原選手には「普通あり得ないこと。何かあったな」と川越監督は見抜いたそうです。実際、嶋原選手は痙攣をしていてペースアップができなかったそうです。「あれがなければ2位のウクライナ選手くらいには上がっていたはず」と同監督。しかし、だからこそ「完走できて良かった」とホッとした表情を見せていました。

 続いてワコールの永山忠幸監督のお話を聞きました。競技場でもコメントをお聞きしていたのですが、もう一度調整に失敗した理由を確認しました。それが上述した内容です。「自分のミス。経験不足」と強調されていました。
 それとレース前には明らかにしなかった練習内容も、少し教えてもらいました。40km走などは、今日の40km通過(2時間26分55秒)をはるかに上回るタイムでやっていたそうです。上がりの5kmも16分台ヒト桁。
 練習はあくまで練習であり、試合で出せなければ意味がないのですが、今後の目標設定をする際の目安にはなるでしょう。1万mの日本記録とオリンピックは引き続き狙っていますが、マラソンにもまたトライをして、日本記録の更新を目標にやっていきます。高岡寿成コーチが長い時間をかけてトラック3種目の日本記録を出し、マラソンでも出した前例がありますから、そのパターンでやっていきたいそうです。
「彼女の持っている潜在能力を引き出したといえるタイムを出させてあげたい」
 ロンドンやベルリン、シカゴなど海外の高速レースに挑む選択肢は残されています。そこでの走り次第では、オリンピックのメダルに匹敵する評価がされていいと思います。世間的にそうは認識されなくても、陸上界では評価されてほしいです。福士選手の今後の走りにはまずます注目していくべきでしょう。

 パーティーの最中でしたが、会場の外で坂本直子選手(天満屋)にお会いしたので、ちょっと話を聞かせていただきました。2時間39分27秒で10位。久しぶりに良い流れで練習ができていたのですが、1週間前の北九州での駅伝で雨に濡れて風邪を引いた影響が出てしまいました。武冨豊監督からは名古屋ウィメンズマラソンへのスライドを勧められたのですが、坂本選手の気持ちを優先させてもらったそうです。初マラソン日本最高(2003年)と、マラソン初優勝(2004年)が大阪国際女子でした。結果は良くなかったのですが「大阪を走れて良かった」と明るい表情でした。
 03年パリ世界陸上4位、04年アテネ五輪7位の坂本選手も昨年11月で31歳。今大会の先のことはまったく考えていなかったそうですが、最近になってマラソンの奥深さがわかってきたといいます。
「私は最初の段階で結構頑張りましたが、その後、マラソンをどうやって走っていいやら見失ってしまいました。この歳になって、色々と経験して、やっとマラソンがわかってきた気がします。今からきちんとできたら、以前とは違うマラソン練習に取り組めるかな」
 ということは続けるということですよね? と確認すると「どうなんですかね」という答えです。予定でもあるんですか? と話を向けると「予定って結婚ですか?」と坂本選手は笑っていました。そういう冗談が言える年齢になったということですね。

 パーティー終了後に嶋原清子選手と佐藤由美選手のラストラン・コンビにパパッと話を聞くことができました。35歳の選手の競技人生を総括するような取材が短時間でできるわけがありません。「○○文字でコメントしてください」と、ちょっとずるい取材をしました。当然ですが、○○文字で収まるコメントになりません。それをなんとかするのが、こちらの仕事です。


◆2012年1月30日(月)
 大阪国際女子マラソンの一夜明け取材でした。
 7:50から大会本部ホテルで重友梨佐選手(天満屋)の一夜明け会見。その様子はこちらに記事にしました。陸マガには天満屋の武冨豊監督の記事を書くので、そのために質問した部分と、E記者の質問がかわされた部分は省略しました。
 武冨監督にも、出発間際にパパッと取材させていただきました。昨日のレースに関しては、昨日のうちにカコミ取材が2回できているので大丈夫だったのですが、ここまで連続して天満屋から代表選手が誕生するのはなぜか、というテーマで少し突っ込ませてもらいました。
「これをやったから」という答えは期待していませんでした。そういうことを言い切る指導者でないことは、これまでの取材でわかっています。それでも「ここまで連続して天満屋から代表選手が誕生するのはなぜか」という質問に対し、武冨監督がどう答えるかは聞いておく必要があることでした。
 武冨監督のお答えは予想通りでしたが、天満屋の強さの背景を確認しておく必要がありました。4年前に寺田が書かせてもらった記事で、朝練習重視や年間を通じた30kmというところを紹介しましたが、その辺が今も変わっていないかを確認しました。
 ただ、何も変わっていないこともない、と推測していました。そこで山口衛里さんや坂本直子選手に、昨日のうちに取材をしておきました。2人の話からこういうことだろうと仮説を立てて、武冨監督にも質問してみました。その結果は……陸マガ次号で。

 重友選手の会見記事を書いて大阪国際女子マラソンの仕事は終了です。産経新聞の細井記者も引き揚げていきました。この大会は主催系列メディアの報道量が半端ではありません。細井記者もこの1〜2カ月、本当に大変だったはず。野口みずき選手を治療した病院に取材した記事をドカンと連載し、同選手のオランダのレースも取材に行っています。ボルダーも行ったのかな? さすがの硬派記者も2日休むと言っていました。
 寺田も本部ホテルを後にして朝日新聞ビルに。K重元デスクから勧められたインデアンカレーを食べるためです。数少ない仕事以外の行動です。市営地下鉄を乗り継いで行きました。
 “市営”で思い出しましたが、昨日のパーティーの際、大阪陸協のH元さんに、長居陸上競技場が大阪市営だと教えていただきました。これにはビックリです。ずっと大阪府営だと思っていたので。長居で取材をするようになって何年経つでしょうか? 92年の大阪国際女子マラソンを取材していますから、20年は経っていますね。その間、自分の認識が間違っているなんて、一度も疑ったことはありませんでした。
 通常、その県で一番大きな陸上競技場は県営です。水戸国際が行われていた頃に水戸の競技場によく行きましたが、水戸は市営と知っていました。県営競技場が笠松でしたから。
 やっぱり大阪ですね。市でも、県と同じくらいの予算があるのでしょう。

 H元さんには昨日「6月の日本選手権でもよろしくお願いします」とお願いしておきました。陸連のH田さんから、長居競技場で日本選手権のプロモーション活動をした、と聞いていたからです。
 H元さんには「室内もあるやないか」と言われてしまいました。そうでした。2月4・5日の室内は国際大会であり、ジュニアの全国大会でもあります。大阪国際室内として行われていた頃に取材したことはあるのですが…。ジュニアの大会も一度取材に行ってみたいですね。
 大阪でもう1つ興味があるのが大阪実業団駅伝です。今年は1月15日に行われて685チームが参加しました。大阪ガスと大阪府警のニューイヤー駅伝クラスの2チームが優勝を争いました。ミズノも参加して箱根駅伝優勝メンバーの高見諒選手(東洋大OB)も出場していました。区間10位ですけど…。
 これだけの規模となると、参加者のほとんどが市民ランナーと定義できる人たちだと思います。でも、そういった人たちが実業団の肩書きでレースをするというところに、大阪実業団体育協会の強い気持ちが感じられます。


◆2012年1月31日(火)
 18:30から赤坂のホテルで行われた日清食品グループの優勝報告会に出席させていただきました。
 日清食品グループの経営陣や陸連、実業団連合のお歴々はもちろん、大学の指導者も多数参加されていました。日清食品グループには関東の有力大学OBが多数いますから、箱根駅伝の表彰式会場かと見まがうほど。実業団のライバルチームの関係者を呼ぶわけにはいきませんからね。メディア各社も現場記者だけでなく、事業部や、一部メディアは少し偉い方たちも列席していました。
 これだけの人が集まると、寺田にとっては挨拶したい人がたくさんいるということです。日清食品グループ関係者が最優先ですが、監督と選手は別室で控えていましたから、まずは最近の取材でお世話になった方たちにお礼を申し上げました。大学駅伝決算号の記事で取材をさせてもらった東洋大・酒井俊幸監督と早大・渡辺康幸監督です。続いて……と、全部書くのは無理ですし、公にするのもよくないですね。とにかく数が多くて、挨拶したい方の半分もできなかったというところです。

 来賓の方や白水昭興監督の挨拶などが一通り終わった後、選手たちも各テーブルを回ってくれたので歓談する機会がありました(徳本一善選手は風邪で欠席)。まずは諏訪利成選手です。話した内容は書いていいのかな……まだ、引退はしないということです。同じ35歳学年の中国電力・油谷繁コーチの引退レースのフォローが十分でなかった反省から、可能性のある選手は気を付けるようにしています。
 しかし、何度も書きますが、選手本人に引退の予定を聞くのは失礼です。「力が落ちている」という前提での話になりますから。周辺取材も気をつけないといけません。所属チームからの情報で引退と書いて、選手本人から抗議が来たこともありました。実業団の陸上部はやめても競技を続けるつもりだったのです。
 ですから、選手本人が引退を表明して初めて、「えっ? そうなんだ」とビックリするのが良いのです。高橋尚子選手クラスになると引退をスクープすることに価値は出ますけど…。
 でも、やっぱり人間と人間の関係ですから、触れないと決めつけるのも不自然かなという気持ちがありました。最終的にはその選手と築いてきた関係やその場の雰囲気によりますが、今日の諏訪選手はその話題を出してもいいかな、と判断しました。東京マラソンに出場予定ですが、ラストランではありません。

 次にある方と打ち合わせをしているときに、会場の隅で佐藤悠基選手へのカコミ取材が始まりました。今日は取材ができるとは思っていませんでしたが、寺田のようなメディアを持たない記者にとって共同取材の機会は見逃せません。3月10日に挙式するという話は記事になっていますが、他には以下のような話もしてくれました。
「自分はどちらかというと、練習よりも試合でつくっていくタイプ。昨年の日本選手権は東日本実業団の1500m、ゴールデンゲームズinのべおかの5000mと出て、日本選手権の1万mに上手くピーキングができました。スピード的にも1500mをやったことで、1万mの最後まで余裕を持つことができました。それを1つのモデルとして、ロンドン五輪のときも向こうでレースに出てロンドン入りしたい」
 1万mで五輪A標準を突破していない佐藤選手ですが、そこはまったく気にしていません(ニューイヤー駅伝の記事で書いたかもしれませんが)。「普通にやれば破れると思ってます。27分20秒台は行ける」と、前橋で話していたことを今日も繰り返してくれました。

 佐藤選手のあとは取材ではなく歓談でしたが、大島健太選手や佐藤慎悟選手、小野裕幸選手らとも話ができました。
 大島選手とは全国都道府県対抗男子駅伝の区間記録の話をしました。7区の37分09秒は2004年に大島選手が出した記録です。この大会は歴史が浅いですから、その記録が出た当時は歴史的な評価ができません。しかし、その後8年が経ち、すごいメンバーが走っても大島選手の記録が更新されません。「あの記録はすごかったんだ」と評価が上がっているわけです。
「ニューイヤー駅伝と箱根駅伝の後ですから、どの選手もベストコンディションでは来られないんです。その点僕は、当時はくろしお通信でニューイヤー駅伝に出られなかったので、都道府県対抗駅伝に合わせることができたんです。悠基がきちんと走ったら、すぐに破りますよ」
 そういわれれば、3区の区間記録もくろしお通信在籍時の大森輝和選手(四国電力)が持っています。
 でも、どうなんでしょうか。そういう要素もあったかもしれませんが、あの頃の大島・大森コンビは強かったと思いますよ。スピードランナーを育成することに関して松浦監督の評価は高いですし。
 佐藤選手には栃木県の高校駅伝事情を聞きました。これは先日の山梨取材のときにも、ある選手に質問したことです。佐藤選手には作新学院が強くなった過程を聞くことができたのが収穫でした。
 小野選手とは母校の順大の話を。大学駅伝決算号で取材に行ったばかりですが、その前の順大取材が小野選手の在学中でした。順大は最近(予選会前)、朝練習を合同で行うようになりました。しかし、順大が強かった頃は朝練習は各自で行っていました。選手個々が自覚を持ち、このくらいの負荷をかけるべき、という判断ができていたそうです。
 小野選手からはそれを裏付ける話を聞くことができました。記事を書く前に聞いていたら、そのネタも書き込むことができたのですが、まあ、仕方ありません。

 そんなこんなであっという間に報告会は終了。最後に、日清食品グループの選手とスタッフが出口に並んで出席者を見送ってくれます。高瀬無量選手に近々取材をさせていただく予定があるので、挨拶をしました。


◆2012年2月1日(水)
 赤羽有紀子選手が今日、名古屋ウィメンズマラソン出場を表明しました。東京マラソンの招待選手発表時の記事にも書きましたが、赤羽選手はロンドン五輪でのメダル獲得だけを見つめています。そのためにこの冬にやるべきことは何か、というスタンスで考えた結論が、名古屋ウィメンズマラソン出場になったということです。
 しかし、名古屋は豪華メンバーになりましたね。すでに出場を表明しているのが以下の選手たち。
2008北京五輪代表:野口みずき、中村友梨香
2009ベルリン世界選手権代表:尾崎好美、加納由理、藤永佳子、赤羽有紀子、渋井陽子
2011テグ世界選手権代表:赤羽、中里麗美、尾崎、伊藤舞

 土佐礼子選手も出場の方向と、12月には聞きました。ということは、テグの野尻あずさ選手を除き、2008年以降の五輪&世界選手権代表全員が名古屋を走ることになります。すごい戦いになりそうです。
 記者会見をどういう形式で行うのか? という業界的な心配もあります。10人全員が一度に壇上に上がって質問に答えるとなると、ちょっと多すぎますね。でも、全員が一緒に並んだ絵も、迫力がありそうです。


◆2012年2月2日(木)
 大阪国際女子マラソンの陸マガ記事を書きました。
 一番時間がかかったのが福士加代子選手の記事。文字数が少ないこともあり、どこにスポットを当てて書くか、本当に悩みました。丸々ではありませんが、切り口を変えて3回書き直しましたね。あのネタも入れたい、ここも紹介したい、こっちも強調したいと、ちょっと欲張りすぎたかもしれません。失敗した理由を書くのは当然として、それでもなお、今後が期待できるという部分を出したかったのです。

 他にも数本記事を書きましたが、重友梨佐選手のことを五輪代表“当確”とは書きませんでした。多くの新聞が“当確”と書いていますが、途中の版から“当確”を削除した新聞もあるそうです。
 陸連的にも選考は、全ての選考レースが終わって初めて一から考える、という姿勢です。現時点では各選考レースの1位選手も、「選考対象になった」「候補の1人」という言い方しかしていないはず。それでもメディアの多くが“当確”と書くのは、それを書かないと読者が理解しにくいからです。
 “当確”とした理由は積極的に走ったレースぶりも大きいようですが、一番は2時間23分23秒の記録です。2008年以降の日本選手で最も良いタイムでした。それ以上の記録は過去4年間出ていないわけですから、名古屋で2時間23分未満が続出するとは考えにくい。仮に名古屋で2選手が今回より上のタイムを出しても、横浜国際女子マラソン優勝の木崎良子選手よりも上という評価なのでしょう。

 でも、どうでしょうか。名古屋は昨日の日記に書いたように、10人も2008年以降の日本代表選手が出場します。2時間23分未満が3人以上出る可能性も、ないとは言い切れません。“当確”と書いたら名古屋に出る選手たちに失礼かな、という気持ちがありました。先輩の中村友梨香選手も出ますしね。
 木崎選手との優劣にしても、どちらが上とは陸連はひと言もコメントしていないのです。非公式の場で言ったという記事もありましたが、あくまでも非公式です。実際、簡単に比較できないと思います。
 ということを考えて、寺田は“当確”とは書きませんでした。

 ただ、武冨豊監督の記事中で「門下選手の4大会連続五輪代表入りの可能性が出てきた」という書き方をしています。武冨監督の記事を書く記者の姿勢として、そういう評価はして当然です。


◆2012年2月3日(金)
 昨日、大学駅伝決算号が発売されました。それぞれの記事に、それなりのボリュームがあるのが一番良いところだと思っています。
 文字数が少ないとどうしても、ここは基本的に書いておかないといけない、という部分が多くなります。あまり“色”を出せないということです。基本的なことを書きつつ、視点を明確に出せれば良いんですけどね。それがなかなか難しいのです。
 “色”には“書き手の色”というのもありますが、寺田の場合はそこは意識していません。出したいのは、言ってみれば“記事の色”でしょうか。大学駅伝決算号はその“色”を出しやすい雑誌です。
 寺田は9ページを担当しました。順大のチームもの4ページと、順大キャプテンの的場亮太選手人物ものが1ページ。それから「スピード駅伝の本質を問う」という見出しの4ページです。東洋大の10時間51分36秒という大記録がどうして出たのか、というテーマで、各方面に取材をして書きました。
 “色”を出したつもりですがどうでしょうか。

 順大の記事では、仲村明監督の次のコメントが一番インパクトがありました。
「良いものを持っている選手がいても、伸ばしてあげられない。指導者としての力不足を痛感していました。どうして彼らを元気良く走らせてあげることができないのか。伝統を継承できないことよりも、そちらの方が苦しかった」
 予想を上回る7位という結果に“順大の伝統”がどう生かされていたか。それがこの記事にテーマでしたから、このコメントは紹介できないかな、と取材中は感じていました。取材をしていて一番インパクトがあったコメントですから、なんとか、記事に生かしたいと思いました。
 しかし、まったく問題ありませんでしたね。記事の構成を考える段階ですぐにイケルと思いました。順大低迷の一因が「選手が萎縮していたこと」で、それに対しての仲村監督の上記コメントだったからです。萎縮してしまった原因が、順大の伝統である“成功体験”の欠如だったからです。
 このコメントが印象に残ったのは、寺田が過去の取材で“順大の伝統”を理解していたからだと思います。順大の伝統を知らない読者にとっては、“調整の順大”の方が新鮮だったのではないでしょうか。箱根駅伝を戦うために12〜13人の選手をつくるのでなく、「頭数を10人揃える」という考え方。もちろん順大も、ボーダーラインの選手が多くいる方が良いことに違いはありません。この考え方ができるというところが素晴らしいと思うのです。力のある選手を必ず本番に合わせるぞ、という強い意思ですから。

 順大は選手にもかなり取材させていただくことができました。コントロールテストの日でしたが、その合間に4人も。練習前に話を聞いた的場選手を含めると5人です。
 しかし、テーマが明確に決まっている場合、記事の流れに合わない話題はどうしても紹介できなくなってしまいます。それがちょっと多かったかな、というのが反省点です。取材する側の技量の問題です。
 的野遼大選手の話も順大らしいネタでした。「1500mでインカレの表彰台の一番上を狙っていきます。3分45秒前後はいつでも出せる感覚です。在学中に3分40秒にできるだけ近づきたいですね。順大記録も昔の記録なんでそろそろ」。1500mの順大記録は、あの佐藤清治選手(高校記録保持者。佐久長聖高OB。高見澤勝監督と同学年)が2000年に出した3分39秒60です。箱根駅伝の取材でインカレやトラックの目標をガンガン話してくれるのも順大の特徴では?
 結果的に記事中の選手コメントは、的場キャプテンが一番多くなりました。最初に話を聞いたことと、“順大の伝統”という視点での質問を多くしたからでしょう。でも、唯一走った4年生ですし、“順大の伝統”を本当に一番意識していた選手だったのかもしれません。


◆2012年2月4日(土)
 土井杏南選手が60mで室内日本タイの7秒40をマークしました(清田浩伸監督ブログ)。場所は大阪城ホール。室内大会を開催し続けている大阪陸協の方たちも喜んでいるのでは?
 それにしても土井選手はすごいです。室内日本記録は伊藤佳奈恵選手(92年)と北田敏恵選手(96年)の2人が持っていました。伊藤選手は翌93年に11秒62、北田選手は同じ96年に11秒48と、屋外で日本新を出しています。だったら土井選手も……と言えるレベルではありませんね、今の日本記録(11秒21)は。土井選手もそういった意識の仕方はしていないのでは?
 それよりも気になるのは今季の“路線”です。インターハイ路線なのか、ロンドン五輪路線なのか。昨年すでに、春季GPや日本選手権を経験していますが、そこまで本気で世界陸上に出るスタンスではなかったと思います。
 今年も両方の路線に出ることになると思いますが、ウエイトをどちらに置くのか。今度発売の専門誌がその辺に触れているでしょうか?

 昨日(順大取材ネタ)に続き大学駅伝決算号の話題です。「スピード駅伝の本質を問う」という4ページの記事を書きました。東洋大が10時間51分36秒と、従来の大会記録を8分15秒も縮める驚異的な記録を出した背景を取材してまとめました。タイトルは原稿を読んだ編集部(このページはクリール担当)がつけました。タイトルにストレートに答えている自信はありませんが、よく読んでいただければ答えになっていると思います。要はどうしてこここまで突出した記録が出せたのか? という素朴な疑問を出発点に進めた取材。1月3日のレース直後にも少し取材をしましたが、それを徹底してやろうということです。

 結論からいうと、突出した大会記録ではあっても、箱根駅伝の枠を突き破ったわけではなかったということです。レース直後は本当に、ハンマーで頭を殴られたような衝撃がありました。8分の更新ですからね。ここまで箱根駅伝が盛んになっている現在、普通で考えたらあり得ない更新幅です。
 しかし時間をおいて冷静に考えてみると、5区の柏原竜二選手は例外としても、それ以外の区間で“驚異的な区間新”がいくつも出たわけではありません。今回の結果をもって学生選手の1万m28分10秒が当たり前になる、ということはないでしょう。区間賞や区間歴代上位記録を同じレースで多く出した結果が、トータルして驚異的な大会記録になったのです。
 指導者たちのコメントもレース直後と今回の記事用の取材では、ニュアンスが変わった印象を受けました。このレベルなら出せないことはないぞ、という雰囲気を感じましたね。

 それでも区間賞や区間歴代上位記録を、ここまで揃えた今年の東洋大は偉大だったと思います。2区で1時間6分台を出す選手がいたのでなく、チームの5〜6番手、あるいは7〜8番手の選手でも2区を走ったら1時間8分台を出せるようなすごさです。箱根駅伝の枠を突き破ったというよりも、箱根駅伝の枠の中で限りなく高いレベルに達したといえるのではないかと思います。
 酒井俊幸監督の取材からも、チーム全体がものすごいエネルギーを持っていたことがわかりました。選手個々の頑張りがないことにはできないのですが、例えるなら1万mで誰かが50秒記録を縮めるのでなく、誰もが20秒縮めるような感じです(その過程で30〜40秒縮めた選手も出たと思います)。それを16番目の選手まで徹底してできた。16番目ではなくチーム全員でしょうか。
 記事にも書きましたが、10時間51分36秒はやはり、今年の東洋大だから出せた記録だと思います。ちょっとやそっとで更新できる記録ではないですね。

 こういったことを1から10まで、寺田が自分で考えたわけではありません。ここまで大きなテーマですから、自分1人で考えてはいけないでしょう。取材の過程で指導者たちの考えを聞きながら、徐々に記事の内容、構成を考えていきました。酒井監督も「タスキのカラーが大学毎に違うように、各大学それぞれの色で強くしていけばいいのだと思います」と話してくれたので、あの記事が完成しました。


ここが最新です
◆2012年2月17日(金)
 記録集計号の名鑑作業が昨日(今朝)やっと終了し、本日からは阿見ACの記事に取りかかっています。取材をさせていただいたのが2月5日ですから、急がないといけません。
 阿見ACは茨城県南部を拠点とするクラブチーム。皆さんご存じだと思いますが、昨年の全日中優勝者を2人も輩出しています。男子200mの大野晃祥選手と同800mの小林航央選手です。高校生でも久貝瑞稀選手がインターハイ女子100mH2位、楠康成選手がインターハイ男子800m7位、国体4位と活躍しました。この4人だけでなく、全国大会出場者は昨年だけで17人にもなります。
 クラブチームでこれだけ全国大会出場者を出しているチームがあるのかどうか。正確なデータは持ち合わせていませんが、寺田の印象ではナンバーワンではないかと思います。

 トップ選手の志鎌秀昭選手は08年の全日本実業団優勝者で8mが期待されている選手です。コーチの荒川万里絵(旧姓・植竹)さんも元トップスプリンターで、2010年の東日本実業団200m優勝者。筑波大で同学年だった2人には、取材をさせてもらったことがありましたから、親近感を勝手に持っていたクラブです。
 しかし、このクラブを創設し、今日まで発展させてきたのは楠康夫理事長です。駒大、ヤクルトと選手生活を送っていたことは、同世代のノーリツ・森岡芳彦監督からお聞きしていました。しかし、現役を引退された後はヤクルトでバリバリに働いていたという情報しかありません。クラブ創設の経緯などは事前に調べ上げることはできませんでした。

 WEBサイトも充実しています。そこや過去の専門誌記事を見て感じたのは、突っ込みどころがたくさんあるということです。そこで取材2日前に電話で一度お話をして、取材の方向性を決めてから取材に入ることにしました。
 一番大きなテーマが“世代間育成”です。小学校からシニア世代までが同じグラウンドで練習を行い、そのなかで強い選手が誕生している点をクローズアップしようと考えました。2つめがトップ選手の雇用を創出している点。荒川コーチが選手として加入したのが転機となったお聞きしたからです。選手としての活動だけでなく、クラブの発展に欠かせない人材だったそうです。3つめが楠理事長に焦点を当てること。長距離、それも実業団出身の人間が、トラック&フィールドのクラブチームを創り、育ててきた点に興味がわきました。

 10:30に土浦駅で日清ファルマの田中さんと待ち合わせて、阿見ACの事務所に……と、取材日の行動を紹介しようと思いましたが、阿見AC日記に出ているので、そちらをご覧ください。
 練習には昨年まで同クラブのコーチを務めていた松村拓希さんも顔を出してくれました。土浦日大高出身です。個人の記事を書かせてもらったことはないと思いますが、日清食品グループ時代に何度か話をさせてもらったことはあります。今は筑波大の大学院生。欧米の文献でトレーニング方法を調べたりして、自身の経験に学術的な肉付けをしているようです。
 選手は自身のトレーニング法を俯瞰的に見たりしないと思います。できるかもしれませんが、現役を退くとより鮮明にそういった見方ができるようになります。それを松村さんと話していて感じました。

 個々の取材がどうだったのかは、まずは記事を書き上げて、そこで書き込めなかった面白い話を日記で紹介する形をとりたいと思います。
 ただ、どういうパターンの記事がいいのか、まだ決めかねています。テーマをある程度決めて取材に臨みましたが、それでも色々な書き方ができるかな、という取材結果でした。クラブの特徴をあまり説明的に書いたら、入会案内書を読んでいるみたいになって読み物としてはよくありません。人物やストーリーを書きながら、クラブの成り立ちや特徴を自然と出せる書き方がいいと思っています。
 記事は構成を考えて書き始めるのが普通です。テーマはこれとこれを展開して、そのために最初はこのエピソードから入って、あのネタを中盤で使って、締めはこのコメントで、などと考えます。しかし今回の取材は寺田の視覚的イメージをそのまま記事にしたい気持ちもあります。視覚的といっても、練習を見たことだけではありません。楠理事長から聞いた話も印象深く、視覚的な理解ができています。それらをどう文字にするか。
 現時点では久貝選手と楠選手、大野選手のストーリーと、その背景にあるクラブの発展を交互に紹介しながら、1つの流れにできるのが理想かなと考えていますが、書きながら変わっていくかもしれません。やっぱり、従来の構成をきちっとした記事の方が良い、という結論になるかもしれませんし。

 クラブチームを取材して感じたのは、名門校、強豪校と言われる高校チーム(一部中学チーム)とは対照的だということです。これは当たり前すぎて面白くないですか? では、こういう言い方ではどうでしょう。
 今回と同じ日清ファルマ様タイアップの西脇工高記事中で、足立幸永先生の
「山の頂上に登るのにも、登り口はいくつもあると考えています。渡辺先生が突っ切った登り道がありますが、僕が同じ道を行くことはできません。同じ道を登ろうとしたら、本当の自分ではなくなってしまいます。生い立ちも育ってきた環境も性格も違うのですから、同じやり方はできません」
 というコメントを紹介しています。
 阿見ACと比較した場合ですが、渡辺公二前監督と足立先生の登るルートは間違いなく近い位置にあります。阿見ACも同じ山を登ろうとしていますが、西脇工高とは反対側のルートで登っています。
 しかし将来、また新しい選手育成システムが考案されたら、阿見ACと西脇工高が実は近いルートを登っていた、ということになるかもしれません。
 そんな感想を持った阿見AC取材でした。

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