続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2008年6月  轟きの6月

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◆2008年5月25日(日)
 関東インカレ最終日を取材。先週は東日本実業団で、昨日も仕事が立て込んでいて行けませんでした。決して雨が降ったからではありませんが、それにしても今月は雨に見舞われる試合が多いですね。大阪GPはひどかったし、東日本実業団も1日目の中盤が雨でした。今月のキャッチをGood-bye in rainy Mayとしたのに効果がありませんでした(逆効果なのか?)。
 しかし、関東インカレの最終日だけは外せません。注目種目・選手も多い一日ですしね。総合優勝も決まりますが、それほど興味があったわけではありません。しかし結果的に、一番インパクトがあったのは対校戦でした。

 時間順に紹介していきましょう。
 最初に話を聞いたのは男子800 mの口野武史選手(日体大4年)と横田真人選手(慶大3年)。今回は関東インカレ自体の記事を書く予定はなくて、主に日本選手権展望記事用にネタを拾うのが目的です。インカレに関する質問が出尽くしたタイミングを見て、聞くようにはしています。たまにインカレで、いきなり箱根駅伝の質問をする記者がいますが(テレビ局に多い)、そういう配慮のない取材はしないように自身を戒めています。
 口野選手はどちらかといえば長めのスパートを得意とするので、日本選手権ではどう戦うかをちょっと突っ込ませていただきました。もちろん、そこで答えた通りの展開をしないといけない理由はなくて、むしろ、直前の状態に左右されることが多いでしょうね。得意パターンは同じ種目の選手なら、誰でも知っていることですし。

 横田選手には1対1になったところで(途中で別の記者が1人加わりましたが)、ピーター・スネル氏との対談の“後日談”について質問。後日談というのは変かもしれませんが、中距離にも走り込み主体のリディアード式が当てはまる、というのがスネル氏の持論で、横田選手は走り込みよりもスピード的な練習が良いと考えている。
 端的に言えば対談後に持久的なトレーニングを増やしているかどうかですが、結論から言えば、増やしていないと言います。逆に減らしている、とも。
「人それぞれだと思うんです。スネルさんの言っていることが95%に当てはまるのかもしれませんが、残り5%の正しさというのもあると思います。(スピードを高めて)短い距離でやるとケガをするという意見も聞きました。でも、長い距離をやってケガをする人もいる。トレーニングに絶対はないと思いますし、どれが自分にとって正しいかを見極めることが大切なのでは。それ(短い距離の練習)で成功すれば、それはそれで、僕のアイデンティティになります。ケガをしてからでは遅いのかもしれませんが、限界が来たら長い距離も1つのツールとして考えます」
 仮に将来リディアード式を取り入れるにしても、今やっているスピード主体の方法を、とことんまでやってみないと“次”に行く気持ちにならないのででしょう。今の横田選手はまだ、“やり尽くした感”がないということです。

 そういえば、東日本実業団で13秒44wを出した大橋祐二選手も、アレン・ジョンソンに教わったトレーニングをそのままやって、昨年はいまひとつだったと話していました。横田選手と同じというわけではありませんが、“他流トレーニング”を行うときに自分に合うのか合わないのか、吸収できることなのかできないことなのか、を見極めることが重要なのでしょう。
 吸収する能力が最も高いのが、おそらく室伏広治選手でしょう。あれだけ多くの外国選手やコーチと一緒に練習しても、崩れていくことはありません。為末大選手はどちらかというと、“これは自分に合わない”と切り捨てるタイプでしょうか。と書いておいてなんですが、おそらく2人とも吸収する部分と切り捨てる部分と、両方があるのだと思います。それをどれだけ表に出すかで、我々がタイプを決めてしまっているのかもしれません。

 話を関東インカレに戻しましょう。藤光謙司選手(日大4年)が4×400 mRを走る可能性があったので、同選手の取材は後回しになりましたが、女子の中村宝子選手(慶大1年)と男女の200 m優勝者の話を聞きました。話の流れでいえば2人とも、3月にヒューストンに短期留学しています。トム・テレツ・コーチの指導をどう今季に生かしているのか、を聞いている時間はありませんでした。インカレではインカレの話が優先です。中村選手には技術的な話になったときに、ちょっとだけ聞きましたけど。
 藤光選手の話が面白かったですし、今日は“日大”でしたから、記事にさせていただきました。総合優勝まで達成して、同選手にとってはまさにいいことずくめ。こういう一日って、競技生活でそんなに多くはないでしょう。

 その頃、男子の棒高跳は笹瀬弘樹選手(早大1年)と鈴木崇文選手(東海大3年)の争いになっていて、女子200 mに続いて静岡勢の優勝が確定していました。男子5000mも佐藤悠基選手が勝てば…と思っていたら、序盤こそ積極性を見せたものの、後半は大きく後退。そういえば、カージナル招待の1万mも途中棄権でした。
 取材は難しいかな、と思いつつもミックスドゾーンに行くと、すでに3人の記者が話を聞いていました。聞けば、カージナルは右のふくらはぎに痛みが出ての途中棄権、今日は右脚の付け根に痛みがある状態だったと言います。その遠因として、世界クロカン前後から練習が上手く積めていないことがあるのだそうです。細菌による体調不良もあったとか。
 思ったよりもさばさばした口調で、日本選手権もおそらく出ないことになりそうだと言います。練習ができていないのだからどうしようもない、という感じで潔かったです。

 その後、男子棒高跳の笹瀬選手の話を聞き、少しでしたが鈴木選手も話を聞くことができました。日本選手権の優勝争いにからみそうな選手の話はだいたい聞くことができましたが、斉藤仁志選手(筑波大3年)が200 m準決勝を欠場しました。石塚祐輔選手(筑波大3年)と2人の状態を確認するため、閉会式前に筑波大の陣取る第4コーナーのスタンドに。主要大学のポジションは、例年一緒です。決まりがあるのかもしれません。
 谷川聡コーチの話を聞いた後は、金丸祐三選手を探しました。200 m決勝の150m手前くらいでリタイアしていたのです。なかなか見つかりませんし、病院に行ったという情報もあったので、早めにあきらめました。その間に閉会式が始まり、法大の吉田孝久コーチがスタンドに1人でいらしたので、隣に座らせてもらって色々と話を聞かせてもらいました。
 今年度で退官される筑波大・村木征人跳躍コーチの話から、法大の十亀慎也選手のこと、最近の学生気質(選手というよりも一般学生)の話など。オリンピックの代表選考方法についても、興味深い方法を聞かせてもらいました。
 閉会式後は日大の近くにいました。藤光選手の短距離個人種目の優勝も久しぶり(2002年の400 m・向井裕紀弘選手以来)でしたが、総合は2000年以来8年ぶり。かつては、圧倒的な強さを誇った大学ですが、21世紀に入ってからは初の優勝です。日大については日を改めて書いた方が良いでしょう。

 国立競技場から寺田の作業部屋までは、都営大江戸線で4駅の近さ。国立競技場の門を出て地下鉄の入り口に歩いていくと、金丸祐三選手が同僚部員の肩を借りて歩いていきます。取材として足を止めるのはどうかな、という状況だったので、エレベーターとホームで少しだけ話を聞かせてもらいました。
 痛めた場所は右脚のハムストリングスで、ヒザの少し上のあたり。昨年の大阪世界選手権とは反対側の脚です。兆しはこの1週間の練習でも、レース前のアップでも、何も感じなかったそうです。病院に行ったという情報もありましたが、本人は「明日、JISSに行きます」と話していました。程度としては「昨年の世界選手権よりは全然軽い。一昨年の国体よりも軽い」と言います。日本選手権に関しては「間に合うかどうか。出場はできると思いますが、練習ができなさそうなので、どうなるか」とコメントしていました。

 今季は主要選手に故障が多いですね。だからといって、取材する側まで浮き足だつ必要はありません。取材する側の緊張が選手に伝わることはないと思いますが、とにかく我々は報道することが第一。陸上関係者として気になるのは当然ですが、現状に対する不安だとか、希望だとかは別物と考えるようにしています。


◆2008年5月26日(月)
 今日は終日、作業部屋で仕事。ATHLETICS2008の発送準備作業が佳境に入ってきました。ご購入いただいた皆さま、あと少しお待ち願います。アポ取り、取材申請も3つ4つこなして、明日、明後日の予定が埋まっていきます。夕方以降は電話、メールが断続的に続きます。そういう時期なのでしょう、月曜日は。

 ネットを見ると、日大OBたちが関東インカレの総合優勝について言及しています。野村智宏選手、澤野大地選手、向井裕紀弘選手といった面々。卒業後、オリンピック代表になろうが、世界を股にかけて活躍しようが、インカレの思い出というのは忘れがたいものなのでしょう。
 昨日も関東学連の役員H氏と、「対校戦はなんでここまで盛り上がるんだろう」という話をしました。レベルが高いというわけではないのです。でも、盛り上がる。対校戦だから、としか言いようがないでしょうか。
 その一方、実業団の対抗戦は盛り上がらないのです。世界を目指すべきレベルの選手がチームとして戦っても盛り上がらないけど、ちょっと下のレベルの選手がチームとして戦うと盛り上がる。そういう側面があるような気もします。
 こう言うと一般種目の関係者が怒りそうなのですが、箱根駅伝とインカレは、盛り上がる理由に共通点があると思っています。箱根駅伝のつなぎ区間とインカレの入賞とどっちがレベルが高い、という議論ではなくて、あくまで盛り上がる理由に関しての話です(と書いておかないと抗議メールが来そうなので)。

 話を昨日の日大総合優勝に戻すと、見ている側にも選手・関係者の感激している様子が伝わってきました(写真)。それを表していた一番のエピソードが、小山裕三監督の涙写真)でしょう。閉会式後に選手、指導陣、そしてOBたちの集合が、どの大学でも必ず見られる光景です。それぞれの代表が挨拶をしていくのですが、小山監督がOBたちに挨拶しているときに涙を流しました。
 小山監督とは指導現場以外でお会いする機会が多く(世界選手権の“控え室”が一緒でした)、明るいキャラクターで接していただくことがほとんどです。投てき技術を快活に話されたり、冗談を飛ばしている印象が強いのです。まさか、涙を見ることになるとは予想していませんでした。それだけ、優勝から遠ざかっていた間に、ご苦労があったのだと思います。
 優勝されたので書いていいと思いますが、2年前に陸連投てき部長を辞されたときの理由の1つに、インカレで優勝したい、という思いがあったとお聞きしています(投てき部長には今年、“縁起物ですから”という理由で復帰されましたが=4月11日の日記参照)。

 勉強不足で正確には把握していませんが、日大や報道関係者の話を聞くと、黄金期(1990年代)と違って、高校のチャンピオンや上位選手が以前ほど、日大に集まらなくなっているようです。一度そういう流れになると、なかなか以前のようには戻りません。インカレの対校戦を見ている側にとっては群雄割拠で面白くなるのですが、当事者としては大変になっているわけです。
 そういう状況になったらもう、以前よりも下のレベルの選手を強くするしか勝つ方法はありません。そのあたりの具体的な対策をどうされたか。周辺取材はできたのですが、肝心の小山監督のコメントが取れませんでした。機会はあると思うので、取材ができたら紹介したいと思います。

 OBたちでは前述の澤野選手、短距離の山村貴彦選手、走幅跳の森長正樹選手、砲丸投の畑瀬聡選手、十種競技の田中宏昌選手らも顔を見せていました。今も日大で練習する選手がほとんどで、アシスタント・コーチの肩書きを持つ選手もいるようです。そういった立場での役割は色々とあると思います。選手から相談されたり、気がついたことがあったらアドバイスをする、というのが基本的なパターンでしょうか。あとは、自分が頑張ることで、選手の刺激剤となる。
 ただ、これが案外難しい部分ではないかと思っています。OBがすごい成績を出すと“別格”として見られてしまうことが多いのです、「あの人だからできること」と。力の差を身近に感じすぎてしまい、後輩が伸びないというケースですね。「自分たちだってやればできるぞ」、あるいは「やらなきゃできないぞ」と思わせることが重要です。畑瀬コーチはかなり厳しく接しているようです。


◆2008年5月27日(火)
 浜松のスズキ・グランドで池田久美子選手の公開練習を取材。
 オールウェザーが3レーンあって、14時くらいに行くと安井章泰選手が練習をしていました。グランドには寮(北側)と体育館(南側)も隣接しています。隣接しているといえば、東側に佐鳴湖が望むことができ、これがまた綺麗なんです。湖好きの寺田にはたまりません。思わず写真を撮ってしまいました。
 砂場&踏切板もあって、14:40くらいに池田選手が登場。静岡県、福島県のメディアを中心に、いつもの東京陸上記者たちが加わって総勢30〜50人くらいの取材陣(人数の幅が広すぎますね。正確に知りたい方は走幅跳インターハイ優勝の馬塚貴弘広報まで問い合わせてください……と書いてあるからと、本当に問い合わせないように)。桜井里佳マネ(400 mH57秒42)もいらっしゃいました。

 練習は短助走から軽く踏み切るメニューを7本だけでしたが、会見と囲み取材は“ガッツリ”(陸上選手たちの間で流行っている形容詞。形容動詞か?)時間をとってくれました。そのなかで今日、一番印象に残ったコメントは「年齢的に無理です」です。
 この日の練習は金色のスパイク(写真)で行ったこともあり、オリンピックに出られたら金色のスパイクを使うのか、という質問が出ました。
「色が変わりますが、何色かはお楽しみということで」と、ちょっともったいぶった答えでした。「ピンクですか」と突っ込む記者(イニシャルT)に対し「ピンクは年齢的に無理です」と池田選手が答えたのでした。

 ウケ狙いで書いているわけではありません(寺田はいつも真剣です)。現在の状態を冷静に把握した上で、年齢のことを言っているのです(5月11日の日記参照)。6m86の頃の体調と比べてどうなのか、そのときのビデオを見ないのか、という質問に対して次のように答えました。
「今は27歳で、日本記録を出したのは25歳のとき。生身の人間ですから、同じ状態ということはありません。だから、昔と比べようとしても、比較にならないと思っています。今の身体の状態で、劣っている部分を埋めながら、自分の感覚を引き出していくことが大切です。(6m86の)ビデオや連続写真を見ることはあります。感覚的にも、あのときは良かったと思いますし、取り戻したい気持ちもあります。でも、その頃と同じ練習をしても、同じ状態にはなりません。6m86のときの感覚を求めることはありますが、求める方法が違います。今の身体に合ったやり方を見つけていきたい」

 決してウケ狙いでなく、今の池田選手を象徴していると言葉として印象に残った理由がわかっていただけたと思います。それにしても、なかなか聞けるコメントではないでしょう。浜松まで行った甲斐がありました。浜松は遠江ですけど(これはウケ狙いですが、完全に外しています。そのくらいは自覚できます)。


◆2008年5月28日(水)
 午前中は取材申請やら、印刷所との連絡など。メール処理も多数。
 午後は東西線の西葛西に。90年の関東インカレが江戸川の陸上競技場で行われて、たぶん西葛西の駅から取材に行ったのだと思います。金子宗弘選手が十種競技で驚異的な日本新を出した大会です。同競技場は、陸マガでリレーチームを組んで走ったこともあったような(10数年前?)。最近では、一昨年の11月に佐藤由美選手と弘山勉監督を駅近くのファミレスで取材しました。
 昔、リクルートの寮があったの……は西船橋でした。吉田直美選手が3000mで日本新を出したときですね。西船橋に行ったのは。「将来マラソン走っからよぉ、見ててよ」と、小出監督が話してくれたことは、今も鮮明に覚えています。西船橋の思い出を書く必然性はないのですが、西新宿五丁目が寺田の作業部屋の最寄り駅なものですから。

 西葛西に行ったのは計測工房という、マラソンや駅伝のタイム計測を請け負う会社にお邪魔するためです。寺田のサイトへ広告出稿の話をいただいたので、その打ち合わせ。大筋はもう合意できていて、挨拶をするために足を運んだというのが正確なところでしょうか。
 藤井拓也社長とはメールで何度も連絡を取り合っていましたし、お互いのビジネスの情報はネット上で確認しています。パートナーになれるとお互いに考えていたわけですが、最終的には顔を合わせて、直接話をする方が信頼感が生まれます。顔を見ていない相手と付き合うのと、実際に面識をもって付き合うのでは、まったく違いますから。
 計測工房は藤井社長がランニング関連の大手企業から独立して、昨年設立したばかりの会社。その分野のビジネスが存在することは知っていましたが、それほど詳しいわけではなかったので、色々と質問させていただきました。チップには2種類あること、どの企業がロイヤリティを持っていて、どういったグループ化がされていて、どの方向にビジネス拡大のチャンスがあるのか等々。
 こちらからは、少しは営業的なことも話しましたが、基本的には「これからも頑張ります」という意思を伝えました。このサイトを定期的に見てくれているのなら、どう利用するかは先方が考えればいいこと。「このくらい御社の利益になります」と、下手な分析をするよりも、このサイトを続ける自分の立場や考えを話して、今後も寺田は頑張るだろう、と思っていただける方がいいと判断したわけです。

 藤井社長は慶大競走部OB。学年的には競歩の小池昭彦選手ややり投の土屋忠之選手らと近いそうです。陸マガの中尾義理ライターとは同期。関東インカレ100 mで同着Vの鹿又理選手はちょっと上。砲丸投の對木隆介選手は後輩だそうです。
 對木選手とは以前、新潟の試合に行ったときに少し話をさせてもらいました。寺田と同じ静岡県出身ということで、話が弾んだ記憶があります。当時は日立の社員でしたが、今は新潟大に入学し直してもう3年生。北信越インカレにも出場しています。自己ベストは98年の15m80ですが、今年はそれの更新も夢ではないところまで来ているようです。
 そういえば新潟の試合に行ったのは、重川材木店の重川隆廣社長のお誘いもあり、同チームを取材してこのサイトに掲載するのが目的でした。広いようで狭いというべきか、狭いようで広いというべきか、どちらなのかよくわからない陸上界ですが、少しは寺田のサイトが仲立ちになっているでしょうか。

 6月1日から、計測工房様の広告を掲載させていただきます。


◆2008年5月29日(木)
 今日は電話取材を3本。
 午前中に北海道ハイテクACの中村宏之監督に電話を入れると、高校生の試合の最中ということで、夕方にさせていただく約束をとりつけました。

 15時からは陸マガ7月号のナチュリル記事のために、木田真有選手と丹野麻美選手に電話取材。プレ五輪までの競技的なところを振り返ってもらうことと、あるテーマに沿ってコメントしてもらうことが取材の目的でした。
 ただ、それだけに終始すると堅苦しい取材になっています。寺田の場合、WEB上のキャラと違って実際はマジメ一本やり(と、とられがち)。そこで木田選手には、「おいしいものがいっぱいある北海道出身の選手は、本州や沖縄の食事はおいしくないのですか?」と質問。その答えは次号陸マガに、載せられるかどうかわからないので書いてしまいます。「そんなことはないのですが、鮭とイクラは昔から好きです」とのことでした。
 丹野選手には「ストライドが広くなっているかビデオで計測しましたか?」と質問。これのどこが面白いのかわからないと思いますが、ウエイトトレーニングの成果で走りの力強さが増したのが今季の丹野選手。本人も何度かそうコメントするので、レース後の取材中に「ビデオで――」と2度くらい質問していたのです(受けたのか、しつこいと思われたのか微妙な反応でした)。この答えは記事にするかもしれないので、ここでは書かないでおきます。

 17:30には中村先生を電話取材。福島選手のことというよりも、伊藤佳奈恵選手について主に取材をさせていただきました。93年に100 mで日本新を出した選手で、やはり中村先生の教え子です。これ以上詳しいことは書けませんが、面白いお話しを色々と聞かせてもらいました。企画を立てたのは編集部(高橋編集長?)ですけど、その企画を聞いて「だったら中村先生に取材をしよう」と言い出したのは寺田です。明日はMTC・岩本トレーナーに電話取材をします。
 この情報だけで、陸マガ次号が楽しみになった方も多いのでは? 寺田がしっかりまとめられるかどうかが問題です。

 18:20には郵便局の方が集荷に来ました。
 昨晩、5時間くらいぶっ続けで頑張ってATHLETICS2008の発送準備を完了させていたのです。住所録は受注時に作成していますが、ラベル印刷にもっていって、封筒に差出人を印刷していたら何度も紙詰まりになって、領収証を書いて封筒(角型3号?)に入れて、ATHLETICS2008と一緒にB5サイズの封筒に入れてと、詳しく書いていたらもう紙数が足りません。ガムテープで封をする作業は、後半になってやっとコツをつかみました。前半に作業をした東日本の皆さん、汚い封の仕方でご免なさい。
 1冊での発送はゆうメール(昨年までの冊子小包)。通常は集荷不可なのですが、ゆうパックが3つありまして(K社とA社とW姉御)、ゆうパックと一緒だと集荷してくれるのです。
 ご購入いただいた皆さん、お待たせしました。明日か明後日には到着すると思います。未入金の方(2社)には送っていませんので、悪しからず。もう1人未入金の方がいるのですが、取材でいつも会っている方なので送っています。


◆2008年5月30日(金)
 10時からMTC岩本トレーナーに電話取材。奥様の岩本(旧姓北田)敏恵さんは高校時代の1986年に100 m日本タイを出し、その後はいったん低迷しますが、90年代になって再度日本記録を出した選手です。その側に長くいた人物兼トレーナーという視点で、意見を聞かせてもらいました。06年のドーハ・アジア大会に行く際に関空でちょっとお聞きしていた内容も、より詳しく理解できました。面白いお話しでした。

 その後は、本日15時からの打ち合わせの資料づくり。昨日からかかっていたのですが、12時半頃にはなんとか仕上げて送信。
 続いて陸マガ編集部と打ち合わせ。6月1日の取材を新潟選抜から野口みずき選手の公開練習&会見に変更しました。新潟には地元のライターの方もいるということでしたので。寺田はどうやら“気持ちで取材するタイプ”。新潟モードに入っていたので気持ちの切り換えに一日ほどかかりましたが、今はもう野口モードに入っています。

 15時からは都内某所で打ち合わせ。その会社内にあるカフェで、版元の編集者もまじえて3人で話し合いました。カフェですから飲み物を頼むのは当然ですが、メニューの一番上に「季節のコーヒー」があったので注文しました。記憶が定かではないのですが、確かフレンチロースト(深煎りってことですか?)だったと思います。
 それで、出てきたのはよく紅茶などで見る縦長のティーサーバー(中はコーヒーですよ)。「1分待ってください」とウエイトレスのお姉さんが言うので、すかさず腕時計を見せてストップウォッチを押しました。一応、ウケてくれていましたね。向かいの席の編集者(昔からの知り合い)が“また馬鹿なことを”というリアクションだったので、「これ、高かったんだから」と言い訳。SEIKOのスーパーアスリート。1万2600円ですからね。昨年の世界選手権取材に備えて購入しましたが、取材以外に活用してもバチは当たらないでしょう。
 などと考えながら打ち合わせをしていたら、気がついたら2分30秒もたっていました。活用したことになりませんね。

 打ち合わせは16:10頃に終了。寺田は場所を、近くのタリーズに移して書きかけの原稿に取りかかりました。できれば、今日中に送っておきたかった原稿です。送る相手が雑誌などの編集部であれば、今日中というのは翌朝までですが、通常は勤務時間内に送ります。ということで、17時を目標に頑張りました。
 タリーズ全店ではないと思いますが、その店にはコンセント付きの席が2つだけあって、運良くその1つに座ることができました。結局、送信したのは17:30頃。3〜4時間の作業であればバッテリーで十分持つので、コンセント付きの席を活用できたわけではないのですけど。
 活用する、活用し、活用すれば、活用しろ……サ行変格活用


◆2008年6月1日(日)
「野口(みずき)がサンバを踊りたいと言うので」
 シスメックス・廣瀬永和コーチの言葉が取材陣に“衝撃”を与えました。
 この言葉が何を意味するのかを説明する前に、今日の行動を順を追って説明しましょう。

 今日は菅平で野口みずき選手が一部メディア(テレビなどは別日程)に対して練習を公開。寺田も長野新幹線と上田電鉄バスを乗り継いで駆けつけました。バスの時間の都合で取材開始1時間前に着いたのですが、そのタイミングで「ボルト9秒72の世界新」の報が携帯メールに届きました。
 菅平取材の回数が多いK崎カメラマンの知り合いのホテル・ロビーで、時間まで休憩させていただいていたのですが、ネット接続ができる環境だったのですかさずリーボックGP(ニューヨークGP)のサイトをチェック。ボルトが9秒72でゲイが9秒85。気温はわかりませんが+1.7mということで風には恵まれていたわけです。
 が、それを差し引いても衝撃的な記録。9秒74では「9秒6台はまだまだかな」という感じですが、9秒72なら「ひょっとすると、そのうちに出るのでは」と思わせる数字です。まあ、そんな簡単なものではないと思いますけど。
 それにしてもまさか、という感じ。5月3日に9秒76を出していたとはいえ、ジャマイカ国内の大会ですし、追い風1.8mでしたし。なにより200 mの選手という印象だったので。これだけでも衝撃的な出来事でしたが、これが“予震”でしかないとは、そのときは気づきませんでした。

 公開練習は30km走。1周6.74kmの周回コースを使って行われましたが、何カ所も移動して撮影ができるレイアウトではありません。多数の報道陣が見学できる場所は、コース起点の自然館前くらい(コース図。今日の実際のスタート地点は違いましたが)。その近辺で待っていてカメラマンは写真を撮り、ペン記者は走りを見ます。
 陸マガからK崎カメラマンも派遣されていますが、今日は寺田も写真撮影を優先。1周6.74kmですから約25分かかると予想。見通しが良い地形ではないので、しっかりと時間を把握していないといきなり選手が現れて慌てることにもなりかねません。最初に野口選手が通り過ぎたときに、SEIKOのスーパーアスリートのスタートボタンをしっかりと押しました(先日から2度もリンクしていますが、広告料をもらっているわけではありません。生産終了みたいだし)。
 撮影できるチャンスはフィニッシュも入れて5回。構図・アングルなどの絵柄に加え、露出などもちょっとずつ変えて撮っていきました。
 これが1周目の写真で、2周目3周目4周目フィニッシュです。

 フィニッシュタイムは1時間49分08秒。その後に野口選手の囲み取材が20分くらい。本震はその後でした。藤田信之監督と廣瀬コーチにも話を聞いているときのことです。10月の世界ハーフに野口選手が出場するという記事が5月の下旬になって活字になりました。どうして今のタイミングでその決定がなされたのだろう、という疑問がありました。北京五輪から2カ月弱というタイミング。身体の状態がどうなっているのかもわかりません。
 ただ、それを承知で出場を決めたということは、何かワケがあるはず。野口選手とそのコーチ陣のことですから、すでに“北京の次”を見据えてのことではないかと想像しました。仮にオリンピックで良い成績を残したとして、(休養はしっかりとるにしても)それで立ち止まることがないのが野口選手です。
 藤田監督の答えは以下のような感じでした。
「仙台ハーフの後、30分で決断しろといわれたら、“出る”としか言えへんわな」
 ボルトの9秒72ではありませんが、これもまさかという回答。予想を完全に裏切られましたが確かに、あり得る状況です。そういうものです。
 不勉強の寺田が、世界ハーフの場所はメキシコでしたっけ? と確認するとブラジル(リオデジャネイロ)とのこと。そこで廣瀬コーチの「野口がサンバを踊りたいと言うので」という言葉が飛び出したのです。これが、今日の“本震”です。
 寺田にとっては激震。明日の見出しは「野口、五輪後にサンバに挑戦」で決まりだと思ってメモをし続けてしまいました。他の記者たちはとっさにメモをしなかったようですが、寺田は真剣モードから切り換えができなかったのです。「3番狙いですか?」くらい、切り返せればよかったのですが……。修行不足を痛感した寺田に、菅平高原の風が冷たかったことは書くまでもありません。


◆2008年6月2日(月)
 予震・本震と衝撃的なことがあった昨日ですが、実は“余震”もありました。100 m世界新(9秒72=ボルト選手)が予震、廣瀬永和コーチの「野口(みずき)がサンバを踊りたいと言うので」発言が本震とするなら、新潟選抜の結果が余震です。松岡範子選手(スズキ)のA標準突破(31分31秒45)はちょっとした驚きでした。
 野口みずき選手の取材が終わった頃に、“福士選手がA標準を切れなかった”“松岡選手が1位だった”という情報は流れていました。正確な結果を知ることができたのはその数十分後。菅平高原の“へそ”であるリゾートセンターの“小屋”で原稿を書いている最中に、新潟アルビレックスRCのO野氏から連絡が入ったときです。
 松岡選手は兵庫リレーカーニバルで32分28秒93(9位)でしたし、中部実業団が32分43秒39(優勝)でしたから、A標準(31分45秒00)まではちょっと厳しいかな、と感じていました。ただ、中部実業団が大阪GPのあった日で、雨の中だったコンディションを考えると、状態は兵庫よりも上向きだったのでしょう。2位に1分半の大差もつけていました。

 確かに予想以上の結果でしたが、衝撃というよりも“ちょっといいニュース”の類に入るかもしれません。松岡選手は99年と00年の全日本実業団対抗女子駅伝で快走し(3区で区間2位と4位)、スズキの3位・2位に貢献。1万mは00年に31分50秒53を記録し、01年には東アジア大会代表にもなっています。
 しかし、その直後に交通事故に遭ったのが原因で低迷。02年は駅伝メンバーにも入れず、スズキの順位も20位と急降下しました。駅伝には03年に2区で復帰、04年は1区で区間3位にまで復調し、1万mは06年に31分49秒89と6年ぶりに自己記録を更新しました(スズキ・ホームページ記事)。マラソンやサブ種目なら6年ぶりの記録更新は珍しくないかもしれませんが、1万mではあまり聞いたことがありません。ケガでどん底を見た選手が地道に努力を重ねて這い上がってきました。

 体力的に勢いがあったのが20歳の頃。ケガをした後は走りのバランスや身体の使い方のところで工夫をして、以前のレベルまで戻ってきました。それでも、“追い込んだ練習を続けられない”という欠点もありました。俗に言うケガも多いけど、短い練習期間で状態を上げられるタイプ。しかし、それではなかなか、日本代表レベルまでは上がって行けません。
 今季は例年よりもレースを絞っている感じも受けていましたし、兵庫、中部、新潟と着実に調子を上げてきているところを見ると、“トレーニングの積み重ね”という部分で、何か新しいものをつかんだのかもしれません。それに成功しているようだと、代表争いに顔を出す可能性もあります。
 松岡選手は何度か話を聞かせてもらっている選手です。取材には行けませんでしたが、この場でオメデトウと言わせていただきます。

 新潟の男子1万mでは大野龍二選手が日本人トップで27分53秒19。A標準(27分50秒00)には惜しくも届きませんでしたが、4年ぶりの自己新だった九州実業団に続く自己記録更新。4年前に急成長して27分台を連発し、アテネ五輪に出場した選手です。しかし、大野選手も自身を追い込む能力が高く、すぐに脚に異常が出てしまう。
 しかし、駅伝シーズンから安定した強さを見せています(全日本実業団ハーフはダメでしたが)。宗猛監督にときどき話を聞く機会がありましたが、ポイント練習を数回と続けられなかった同選手が、この冬は続けられるようになっているといいます。どういう工夫をして続けられるようになったのか、一度本人に聞いてみたかったですね。


◆2008年6月3日(火)
 昨日書かせてもらった松岡範子選手(スズキ)のように、復活してきた選手の話を聞くのは陸上競技取材の醍醐味といえるでしょう。これはスポーツ全般に言えることかもしれませんが、記録が付随する競技の方が、取材される側も明確に話すことができると思われます。復活する過程に「なるほど」と思わせてくれる話があるのです。
 先月27日の日記に池田久美子選手の話を書きました。「6m86を出したときと同じ感覚は求めても、同じ練習ではできない。アプローチ法を変えている」という内容です。今後、6m86の日本記録を更新したり、それに準ずる成績を出したときには“具体的な方法”を聞けるでしょう。そういうときに「いい話だな」「奥が深いな」と思えるはずです。

 奥が深い話といえば、先日の野口みずき選手公開取材の際にもありましたね。1日の日記にも書いたように周回コースの“起点”で記者たちは待ちかまえていました。6.74kmのコースでの30km走ですから、野口選手が1回通過したら次に現れるまで、25分前後はかかると計算しました。最初に通過した際、写真を撮り終えた直後にすかさず、ストップウォッチ(SEIKOのスーパーアスリート)を押しました。
 1周目は24分36秒(コースの10km地点から走り出していますので、実際にスタートしてからの距離ではありません)で、2周目は24分44秒。その間、記者たちは特にすることがないのでダベっている…わけではなく、見えない間も野口選手がどんな走りをしているのか必死でイメージしているのです。

 20分ほど経過すると寺田が撮影のためにスタンバイを始めます。そうすると他の記者たちもカメラを準備し始める。カメラをEOS−D40(ウン十万円)に買い換えた朝日新聞・堀川記者も、今回はカメラマン兼務。その堀川記者と、ファインダー越しではいまいち走りを見ることに集中できない、という話をしていました。すると陸マガK崎カメラマンが「野口さんは全然汗をかいていないですよ」と言います。やはり、プロのカメラマンは同じファインダー越しでも、見えているものが違うようです。陸上競技取材の奥が深いところです。

 ちなみに、待ち時間の間に菅平合宿中の選手を数人、見かけました。最初は富士通帯刀秀幸選手。数少ない2時間8分ランナーですが、サングラスをしていたため遠くからはわからず、近くに来て「帯刀選手だ!」と気づきました。同じ富士通ではルーキーの堺晃一選手も。太腿の太さで遠めにもわかりました。このあたりも、陸上競技取材の奥が深いところ。札幌ハーフ出場のための最終合宿のようです。
 いくら有名選手とはいえ、いきなり写真を撮るのはNG。赤羽有紀子選手だけは、とっさに声を掛けて撮らせていただきました(写真)。陸上競技取材の奥が深いところ……とは、関係ないかもしれません。

 一昨日の日記で10月の世界ハーフ出場の理由を、「野口がサンバを踊りたいと言うので」と説明した廣瀬永和コーチのコメントを紹介しました。ブラジル開催ということで得意の関西系ジョークで記者たちを笑わせたのですが、実は腰の故障予防の補強とも関わってくることを示唆していました。陸上競技トレーニングの奥が深いところです。


◆2008年6月4日(水)
 成田空港で土佐礼子選手の帰国取材。久しぶりの成田だったような気がします。そもそも、空港取材は新聞社・通信社が多用する取材法。その日その日でニュースを発信するメディア向けです。寺田も今ではこのサイトでニュースを毎日発信する身ですから、同様に活用させていただいているのですが、他社と違うのは資金力。成田空港まで往復するのに5000円前後はかかります。抱えている原稿もあるので、時間的に動けないことも多々あります。
 なので、出発のときよりも、遠征や合宿の成果を聞くことができる“帰国”が中心になりますね。そういう意味でも、今日の土佐選手帰国は外せませんでした。野口みずき選手は先日菅平の公開練習に行くことができました。男子マラソン3選手は選考レース後に一度は独占取材をしていますし(尾方剛選手は電話でしたが)、来週の札幌ハーフ時にも少しは接触できるはず。土佐選手と中村友梨香選手が公の場に現れる機会を逃す手はありません。

 空港では共同取材になりますが、寺田は全然かまいません。やっぱり、新聞とはメディアが違うので、普通にやっていれば出し方(見せ方)も自ずと違ってきます。新聞記者に批判的なフリーの雑誌記者も多いと某記者が話していましたが、寺田はまったくそんなことはありません。棲み分けが上手くできるから、お互いにない部分を補って協力しあえる。取材現場で何かを聞かれたら(データ的なことが多いのですが)、なんでも答えるようにしています。
 今日の土佐選手の取材は、時間的にも15時頃と締め切りに余裕があって、実際の記事を見ると各社とも共同取材分だけでなく、味付けがされています。寺田は共同取材終了後はすぐに、空港内のスタバ(電源付きテーブルあり)で今日締め切りの別の記事に取りかかったのですが、他の記者たちはそれぞれの人脈で取材をしていたわけです。読み比べると面白いかもしれません。

 しかし、以前にも紹介しましたが昨年10月の世界ハーフ帰国は、他に誰も来なかったので単独で取材しました。佐藤敦之選手と大崎千聖選手(写真)。これは、ちょっとだけ自慢かも。“成田取材の鬼”の異名をとる日刊スポーツ・佐々木一郎記者が復帰前だったからかもしれません。
 同記者は昨日(6月3日)も女子4×100 mRチームの出発を単独で取材。大阪GP、北京プレ五輪と取材をした流れで、今回の緊急ヨーロッパ遠征も積極的に取材をしているようです。ちょっと頭が下がる部分です。この記事にはユーモアもいっぱい(一般紙ではできないかも)。数年前にファミレス論争をしたときのような“らしさ”が出ています。こういう記事が、陸上競技に興味を持つきっかけになるのではないでしょうか。

 その佐々木記者が「ペティグリューのドーピングはショックだったんじゃないですか」と言ってきました。シドニー五輪の4×400 mRメンバーで、M・ジョンソン選手がメダル返上云々という記事ばかりが多いのですが、1991年の東京世界選手権の400 m優勝者です。2001〜02年頃のヨーロッパ取材で、アスリスター(東京大会マスコット)のトレーナー・シャツを持参して、同選手に持ってもらって写真を撮ったことがありました。記事も書いていました。それを佐々木記者も覚えていてくれたのでしょう。
 実際、ショックでしたね。特に基準があるわけではないのですが、ベン・ジョンソン、ガトリン、モンゴメリー、ジョーンズといった選手とはちょっと違う存在でした。スター選手的な華やかさはありませんでしたが、玄人ウケするタイプ。体格に恵まれているとか、200 mのスピードがあるとかではなく、400 mの走り方を極めて後半に強さを発揮する印象がありました。
 ドーピングは97年からということで、それ以前の成績は問題ないわけですが、東京大会から10年以上も頑張っていた最後の部分が、汚れていたわけです。なぜそう感じるのかは自分でもわかりませんが、世界新を出した選手のドーピング以上に残念に感じました。単にこちらの思い入れ、接点の有無の違いなのでしょうけど。


◆2008年6月5日(木)
 陸マガ7月号の日本選手権展望記事を書き始めました。全部で38種目。1種目何分(何時間)かかるから……と計算すると気が滅入るので、今日は最低でも男子トラックだけは進める、という考え方をするようにします。でも、本当は1種目何分で、と区切った方がいいんでしょうかね。そうしないと、面白い種目は何時間でも時間をかけてしまいそうで。
 基本的なデータは決まってはいるんです。今季の主要大会の結果と、主な選手の実績、過去何年間かの日本選手権の成績(レベルとか、主要選手の勝ち負け等)等々。それらをどう分析するか。

 さっそく面白いことに気づきました。ゴールデンゲームズinのべおかの1500mで渡辺和也選手と小林史和選手の2人が五輪B標準を突破しました(リザルト)。渡辺選手が勝ったことと、標準記録を突破したことの2点に目が行っていて、国内日本人最高記録であることに気づきませんでした。従来の記録は99年に佐藤清治選手が出した3分38秒49。やはりゴールデンゲームズでした。簡単にわかることなのに。
 ちなみに、男子の800 m以上の種目の日本記録はすべて海外で出た記録です。その点、女子は800 mと1500mが国内で生まれています。この違いの意味するところは……断定することなどできないのですが、女子800 mは杉森美保選手が1人でも記録を出せるタイプだったということでしょう。1500mは日本新を出すのにちょうど良いペースメイクをする外国人選手が来日してくれた。2つしか例がないのですから、その2つで記録が出た理由を説明して終わりです。中距離界云々と、全体の傾向として分析するのはどうでしょう。しかるべきポジションの人間に取材ができたら書きたいと思います。

 ちょっと国内日本人最高ネタが長くなりすぎました。それよりも、史上初めて3分38秒台を2選手が同一レースで走ったことの方が、マニアックで面白いネタかもしれません。2選手の3分40秒突破ということなら、過去に2つの例がありました。前述の佐藤清治選手と同じ99年ゴールデンゲームズで柴田清成選手が3分39秒45で走っています。もう1回は2003年のナイトオブアスレティックで、小林選手と辻隼選手が3分39秒台を出したことがありました。
 ここまでは、集計号を見れば誰でもわかることですけど、そこから何に気づくかで、より面白いネタになります。
 2選手が3分40秒を切った3例は、5人の選手の6パフォーマンスによって構成されます。そのなかで、小林選手だけが2回出しているのです。それと、他の4人はそれが自己記録であるのに対し、小林選手は2つとも自己記録ではありません。これが意味するところは書くまでもないでしょう。3分40秒突破回数を見てもわかることですけど。

 ということを1つの種目で考えたり、データをひっくり返して調べていたら、時間はどんどん過ぎていきます。陸マガ7月号の日本選手権展望記事は本当に掲載できるのか?


◆2008年6月6日(金)
 日本選手権展望記事をひたすら書いていました。が、電話取材が必要な種目があることが判明。気になったのは男子長距離選手の出場種目の選択です。2種目でA標準を破っている松宮隆行選手(コニカミノルタ)は3年連続2冠を狙ってくるのでしょうが、故障上がりの竹澤健介選手(早大)は1万mに絞るのか、とか。ちなみに1万mが26日(木)で、5000mが28日(土)。
 もっと気になるのが5000mでしかA標準を破っていない三津谷祐選手(トヨタ自動車九州)の動向。5000mは昨年の世界選手権の実績から枠が少なくなることが予測されます。B標準の優勝で代表があるのなら、先に行われる1万mで狙う方法もあります。その辺の判断は本人次第でしょう。
 その点、上野裕一郎選手(エスビー食品)は5000m狙いを公言していますし、1万mはおそらく、標準記録を破っていません(日本選手権の標準記録です)。

 ということで、トヨタ自動車九州・森下広一監督、早大・渡辺康幸監督、コニカミノルタ・酒井勝充監督、エスビー食品・田幸寛史監督と電話をかけまくりました。幸い、どの監督にも1回でつながってくれました(信岡沙希重選手なみに日頃の行いが良いのでしょう)。やっぱりな、というケースもあれば、こちらの予想とはちょっとだけ違ったケースもありました。故障で出場が難しいという選手も。詳しくは、陸マガ7月号で。

 昨日の1500mに続いて1万mでも、データ的に面白いことに気づきました。大野龍二選手が九州実業団、新潟選抜と立て続けに27分台を出しているので、それに触発されて27分台に関する色々なデータが頭に浮かんできたのです。
 まず、27分台を連続で出したときの間隔(日数)。今回の大野選手は15日後ですが、これはもっと短い間隔の例があります。シドニー五輪予選・決勝の高岡寿成選手は3日後、ヘルシンキ世界選手権の渡辺康幸選手も3日後、1985年のヨーロッパ遠征の瀬古利彦選手は8日後です。
 次に27分台の回数ですが、大野選手は2004年にも2回走っているので、今回で4回目。最多記録は高岡選手の9回で、これにはまだまだですが、27分台3回という選手が結構多いのです。阿久津浩三選手、入船敏選手、大森輝和選手、新宅永灯至選手、松宮隆行選手というところを一気に追い抜きました。4回以上は9回の高岡選手、6回の瀬古選手と渡辺選手、5回の花田勝彦選手の4人だけです。

 面白いのは27分台選手に“大”の文字で始まる選手が多いこと。大野選手、大森選手、大島健太選手、大崎栄選手と4人います。この4人を仮に“大”連合として27分台のトータル回数を調べると大野選手4回、大森選手3回、大島選手2回、大崎選手1回で合計10回出しています。
 他の連合はというと、佐保希選手、佐藤敦之選手、佐藤悠基選手の“佐”連合が4回、三津谷祐選手と三代直樹選手の“三”連合が3回。“大”連合の大勝利かと思われましたが、ここでも高岡選手と高尾憲司選手の“高”連合が11回で、僅差で“大”連合に勝っていました。恐るべし高岡寿成。
 しかし、非公式ではありますが先日、“10回目の27分台の断念宣言”を高岡選手自身がしていました。残念ではありますが、新しい高岡寿成を目指しているようです。それが、トラックではなく、仙台・札幌とハーフマラソンに続けて出ることにも表れているのでしょう。


◆2008年6月7日(土)
 先月の東日本実業団取材に続いて埼玉県の熊谷に。昨日から明日まで、埼玉県選手権が行われているのです。インターハイ会場だから下見に行っているわけではありません。110 mHに田野中輔選手が出場すると聞いていたからです。
 熊谷までの交通手段はもちろん、湘南新宿ライン。車内で原稿を書くためにグリーン車です。それでも、新幹線を使うよりは安く上がりますから。熊谷駅からは路線バスに…と思ったら、直通バスが駅前ロータリーに止まっていて、高校生や競技役員とおぼしき人たちが次々に乗り込んでいきます。さすが埼玉県選手権!
 寺田が乗り込むとすぐに出発。9:35〜9:40でした。110 mH予選は10:10開始。田野中選手は4組目ですが、大橋祐二選手が1組目に出場します。道が混んでいてちょっと心配しましたが、9:55にはバスが目的地に着きました。ホッとしてバスを降りるとこれがラグビー場用の停車スペース。高校の関東大会が行われていました。
 実はバスに乗ってすぐに、陸上とは違う雰囲気がプンプン感じられました。もしかしたらラグビー場に行っちゃうかなと予想はしていましたが、同じ会場だから大丈夫だろう、とタカをくくっていたのが大間違い。陸上競技場まではとんでもなく距離がありました。報道受付を済ませてグラウンドに行くと同時に、1組目のピストルが鳴ったのでした。

 110 mHは五輪選考の注目種目。まさちゃんポーズで有名な内藤真人選手と、浦和高OBの大橋祐二選手の2人がA標準を切っていて、昨年の世界選手権で準決勝に進んだ田野中選手ら3人がB標準を破っています。4年前は田野中選手が日本選手権に優勝しましたが、やっぱりB標準しか切っていなくて、選考は南部記念に持ち越されました。そこでA標準の内藤、谷川の2選手が1・2位を占めて、田野中選手は悔し涙をサブトラックかどこかで流したのだったと記憶しています。
 今回はB標準でも日本選手権に勝てば選ばれる可能性はあるのですが、それは終わってみないとわかりません。4年前の二の舞を避けるには、田野中選手がA標準を破るのが一番手っ取り早い。そうなれば、日本選手権の順位でスムーズに選考ができるでしょう。

 ということで田野中選手の動向に注目していました。富士通・佐久間マネには行くことは伝えてありましたが、本人には伝えないでほしいとお願いしておきました。ベテラン選手ですから特に気を遣う必要もないのですが、まあ、ビックリさせようかな、という意図です。報道陣の少ない試合と選手側も思っているはず。実際、あとで陸協の報道受付の方に確認したら、寺田以外は誰も取材に来ていませんでした。
 肝心の記録ですが予選(オープン参加なので第1レース)、決勝(第2レース)ともに13秒96。予選は向かい風で記録が難しいから抑えているのかな、と思いましたが、決勝も肉眼で見てわかるくらいにスピードが出ていません。A標準(13秒55)にはほど遠い数字です。

 陸上競技取材の常ですが、記録が出ないときもあります。今日記録が出れば、寺田のサイトだけで詳しい記事が載せられたでしょう(スクープ記事?)。記録が出なかったら、最近の技術的な取り組みを聞いておこうと考えていました。
 決勝のあと、大橋選手と一緒にスタート地点に戻るので、寺田もスタート地点に移動。カメラを構えて待っていると予想通り「ここまで来たんですか」という反応(写真)。「ベルギーだって行ったくらいだから、熊谷に来るくらいわけもない」と寺田。2年前にナイトオブアスレティックで田野中選手を取材しているのです(そのときの写真)。
 話を聞くと「今日は向かい風は関係なく、間違いなく13秒5台は出ない状態」だったと言います。「この時期に2本走れたことは収穫」ではあったようですが。その理由は……ここで書くのはやめておきましょう。そちらの話が取材の中心になってしまいました。技術的な部分では“縦の動き”がキーワードでしょうか。以前にも、別の選手の取材で聞き覚えのあった言葉です。ハードルにおける縦の動きとは何か。純粋なスプリントとは違うのがハードルです。これは好機とばかり、“縦の動き”についてこちらが勉強させてもらった取材になりました。
 田野中選手以外は特に取材は予定していなくて、原稿を進める予定でした。幸い、熊谷はトラックに面した部屋(会議室?)が報道用のスペースです。競技を見ながら原稿を書き進められます。電話取材も1本しました。
 しかし、せっかく埼玉県選手権に来ているのですから、ここでしか拾えないネタを拾いたい気持ちもありました。女子200 mには関東インカレ400 mに優勝した桑原千紘選手(早大2年)が、女子砲丸投にはやはり関東インカレ優勝者の横溝千明選手(日女体大4年)が出場していました。話を聞いてネタをストックしておこうかとも考えましたが、どこに記事を書くでもないのに取材をお願いするのはなかなかできません。こういうときに専門誌の記者がいると、一緒に話を聞きに行けて助かるのですが。

 しかし、女子三段跳に優勝した藤田弥生選手が優勝したときは、いてもたってもいられなくなりました。相当のベテラン選手ですし(大学を卒業して10年以上)、年次別ベストを見ると12m90台は出していても、13mには届いていません。走幅跳は1年だけ6m00という年がありますが、あとは5m台。取材をしたら絶対に面白い話が出てくる選手だと確信できます。一気にテンションが上がって、表彰式後に話を聞かせてもらいに行きました。日本選手権の展望記事で紹介できるネタがあるかもしれない、という大義名分もありましたし。

藤田選手の年次ベストの推移
走幅跳 三段跳
2007 5.79 12.91
2006 5.74 12.65
2005 5.71 12.64
2004   12.93
2003   12.31
2002   12.44
2001 5.59 12.69
2000 5.80 12.21
1999 5.68 12.62
1998 5.90 12.55
1997 5.66 12.18
1996 5.72 12.19
1995 5.62 12.51
1994 6.00 12.53
1993 5.72 12.31
1992 5.58 12.28
1991 5.94 12.57
1990 5.72 11.42
1989 5.53  
1988 5.41  

 予想に違わず面白い話を聞くことができました。日本選手権は昨年が3位でしたが、今年の目標は「入賞よりも記録」だと言います。去年もそうだったのでしょう。「やっぱり13mを跳びたい」と。寺田が取材対象とする選手の多くは、ここまでストレートに記録が目標とは言いません。どうしても、勝ち負けや国際大会の成績が絡んできます。それが普通だと思います。
 裏を返せば藤田選手が、そこまでレベルが高くないとも言えてしまうのですが、そういう選手も頑張っているのですし、日本選手権で立派に表彰台に上がっているわけです。日本の陸上界を支えているなどと、改めて書くまでもないですね。
 もちろん、勝敗が求められる状況も経験してきています。4年前の埼玉国体がそうでした。我々は成迫健児選手の初48秒台や、高校2年生の金丸祐三選手の45秒台に目が行っていた大会ですが、女子三段跳に地元代表として出場した藤田選手は、8位と1cm差の9位と、とてもつらい順位を取っていたのです。
 そしてそして、藤田選手は先生としても陸上界を支えています。現在はもう、自身の練習よりも生徒の練習が優先で、指導の方も面白くなっているとか。インターハイの全国大会出場はまだ果たしていませんが、北関東大会で7位が2回あるのだそうです。これも悔しい順位でしょう。

 県選手権は位置づけが難しい大会になっています。それでも、藤田選手のような立場の選手が活躍できる限り、県選手権の存在価値がなくなることはないと感じた1日でした。


◆2008年6月8日(日)
 ひたすら、陸マガの日本選手権展望記事を書いています。金曜日には男子フィールド種目、土曜日には女子トラック種目が終わっているはずでしたが、大幅に遅れてしまい、明け方まで頑張りましたが女子1500mまでしか進みませんでした。日本学生個人選手権やPrefontaine Classic(ユージーンGP)に要注意選手が出るから、とか理由をつけて何種目かは後回しにしていますし。
 いきなり話は変わりますが、Prefontaine Classicの日本語表記をやめて、アルファベットにすることにしました。陸マガなどではずっとプレフォンテイン(かのスティーブ・プレフォンテイン。若くして交通事故で亡くなり、ジェームズ・ディーンの陸上版とでもいうべき選手です)と表記してきました。
 しかし、現地に行っている早狩実紀選手や川本和久監督の日記を拝見すると、“プレ”ではなく“プリ”と表記しています。ちょっと前に短期留学された鯉川なつえ監督もそうだったと記憶しています(早狩選手とは高校時代のライバル)。PREですから、プリの方が現地の発音に近いような気もします。
 ただ、これまでの慣例というのも表記では大事。ころころ変えたら読者が戸惑います。ということで、本サイトではPrefontaineとアルファベット表記にして逃げることにしました。

 そんなことよりも原稿です。集中して何種目か頑張って、少し休憩してまた頑張る、という繰り返し。5日の日記に“今季の主要大会の結果と、主な選手の実績、過去何年間かの日本選手権の成績(レベルとか、主要選手の勝ち負け等)等々”の資料を用意すると書きましたが、その資料から抜粋して書くだけなら簡単なのです。そういったデータ的な部分にプラスして、その種目の今季の面白さ、その選手の今季取り組んでいることなど、現場で取材したネタを上手く話の流れに組み込ませるところに時間がかかります。
 女子トラック種目のあとは「時間優先モードで書きます」と高橋編集長に宣言しながら、宣言通りにできないところが寺田の意思の弱さ。純粋にビジネスとして見た場合、欠点といっていいでしょう。

 好きでやっている仕事とはいえ、締め切り間際(過ぎてる?)に原稿を抱えると、かなりしんどいもの。そういうときに思い浮かべるのは、ライバルのことと相場は決まっています。かの高岡寿成選手も練習中、ポール・テルガトのことを思い浮かべて頑張っていると聞きました(本人からではありませんが)。ということで、某専門誌のO村ライターもきっと、横浜で必死になって日本選手権展望記事を書いているのだろう、と考えることにしました。
 でも、ちょっと待て。競技後のインタビューでは「ライバルや記録のことなど気にせず、自分のことに集中しました」というコメントも頻繁に聞きます。短距離だったら「自分のレーンしか見なかった」、フィールド種目だったら「自分の技術的な課題に集中した」等々。寺田の今の状況に置き換えたら、O村ライターのことなど考えず、目の前の原稿だけに集中することになります。
 うーむ。どちらのメンタルコントロールが原稿執筆の効率を上げるのだろう。と悩んでいるうちに時間が過ぎていくんですよね。

「同じ選手を一緒に取材しても、誌面では違った企画になるから大丈夫ですよ」
 と、水道橋方面から神の声が聞こえてきます。あれ? それは野口みずき選手の原稿?


◆2008年6月9日(月)
 日本選手権展望原稿が朝までかかり、9時頃に一通り書き終えました(間に2時間寝ているので大丈夫です)。Prefontaine Classic(ユージーンGP)の結果をチェックして、女子の400 mとあといくつかの種目の手直し。11時に仕上げて送信。休まずに野口みずき選手のPEOPLE原稿にかかり、こちらは短いこともあって2時間で書き終えました。
 その後はさすがにダウン(仕事ができない状態、という意味です)。

 ちまたでは(陸上界では、の意味)、今日の陸連理事会の決定が話題になっているようです。
 その1つが“A標準突破者が日本選手権で優勝したら内定”という決定。これまでも世界選手権入賞者の次に優先される条件でしたから、A標準選手が勝てばほぼ間違いなく代表入り、と考えられていました。どうして今になって“自動内定”と明示したのでしょうか。
 これは世界選手権と違い、最終的に代表を決定するのはJOCであり、陸上競技の枠(36人。女子リレーが代表権を得た場合は別枠)があったからです。最初から“A標準優勝者は内定”としていて突破者が多数出た場合、選べなくなってしまう。それで、“内定”とは明記できなかったわけです。
 それが、日本選手権まで3週間弱という段階になり、A標準の優勝者を全員選んでも、多少は枠が余ることが確実な状況になった(日本選手権2位以下のA標準選手や、B標準の優勝者の何人かは選ばれる状況)。それで、A標準の優勝者は大丈夫ですよ、と約束することにしたとのこと。対マスコミ的にも、その場で「オリンピック代表内定!」と報じられるからベターではないか、という配慮もあるようです。
 だったら、日本選手権が終わっている競歩の山崎勇喜選手(男子20kmW&50kmW)と川崎真裕美選手(女子20kmW)は内定といえるはずなのですが、なぜか、言わないのだそうです。まあ、実質的には内定と言っていい状況ですから、問題になることではないでしょう。

 来年のベルリン世界選手権のマラソン選考基準も公表されました。
・北京五輪でメダルを獲得した日本選手最上位
・男子の福岡、東京、びわ湖、女子の東京、大阪子、名古屋の日本選手1位。基準タイムはなし。
・男子は別大、女子は北海道も選考対象
・海外マラソンも選考対象
 寺田が以前から提唱していた“世界選手権は選考レースなし”という形に近づいてきました(マラソンに限った話です)。考え方としては同じだと思います。世界選手権の代表まで国内レース中心で選んでいたら、海外マラソン出場など、選手側の選択幅が狭くなりすぎるのです。4年に3回も代表選考レースに出るのでは、ストレスも大きくなり過ぎますしね。
 幸い世界選手権は代表枠が5ですし、開催も2年に1回。オリンピックに比べれば、神経質にならくてすみます。選考レースというしばりをなくし選手に自由に走らせて、陸連の主観で選んでもいいという考え方です(そんなのではダメで公平にやれ、という指導者もいますけど)。その代わり、3枠しかないオリンピックは1発選考にする(上位2選手自動決定。残り1選手は陸連が別基準で選考)。
 ただ、陸連は国内大会への配慮をしないといけない立場。どの大会も“選考競技会”の肩書きが欲しいようで、そこは陸上界を盛り上げる意味でも、各大会に1枠は与えないといけないという判断です。日本のマラソン発展の経緯を考えたら、当然のことでしょう。

 ベルリン世界選手権の代表決定システムについては、一般種目でも北京五輪入賞者日本選手最上位という以外にも、発表があったようです。報道されていない部分ですが、当事者にはかなり重要な部分。間違ったらいけないので、正確な資料を入手してから紹介したいと思います。
 マラソンの賞金制については機会を改めて。


◆2008年6月10日(火)
 11時から某社のお二人が、寺田の作業部屋近くまで足を運んでくださり、打ち合わせをさせていただきました。場所は都庁1階(地下1階かも)のイタリア料理屋。内容は今、書くことはできませんが、いずれ(年末?)形になったときにでも。
 今日の用件とはまったく関係ないのですが、マラソン賞金化決定の話題が出ました。昨日の報道では賞金を一律化するとのことですが、そんなに簡単にできることではないのでは? という意見です。
 今でも、出場料予算は大会によってかなり違うと思われます。外国選手の顔ぶれなどを見れば、だいたいわかりますよね。結局、賞金はそれほど多くない額で一律化され、出場料が違ってくるということに落ち着くのかもしれません。などという予想は適当に読み流してください。

 夜には箱根駅伝関連メディアの方と電話で30分ほど打ち合わせ。これも、内容はまだ明かせません。
 これも今日の打ち合わせとはまったく関係ないのですが、箱根駅伝に“OBポイント制”を導入したら面白いのではないか、という話題が出ました。といっても、打ち合わせ中に寺田が思いついて、一方的にしゃべっただけなのですが。
 予選会に関東インカレ・ポイント制があるのは、“箱根だけの強化をするのでなく、陸上競技全体の強化をしましょう”という意図のはず。だったら、“卒業生も強くなるように頑張りましょう”という狙いで、OBの活躍度でポイントをつけるのもありのはず。
 例えばOBが前年のオリンピックに代表となった大学は、総合タイムから1分をマイナスする(2人なら2分)。1万m27分台・5000m13分30秒未満を出したらマイナス30秒。1500mの3分30秒台ならマイナス2分の価値があるでしょう。

 ということを実際にやっても、箱根駅伝ファンや大学の経営者は理解できないでしょうから、表向きに実現できるはずもありません。やったら、白けてしまって箱根駅伝の存続が危うくなるのは明らかです。しかし、陸上界内部、陸上ファンには、OBポイントを加味したタイムで評価されても面白いかもしれません。


◆2008年6月11日(水)
 15:53に携帯が鳴りました。こちらのメモリーに登録していない番号です。面識のない大手ラジオ局のディレクターからでした。そういえば2日くらい前に陸マガ編集部から、電話番号を教えていいか、という事前連絡を受けていましたっけ。100 mについて何か話せる人間を探しているという話でした。
 そのとき編集部には「教えていいけど、おそらく有料にさせてもらうよ」と伝えました。
 そこまで商売っ気を出さなくても、とお思いになるかもしれませんが、これは必要な“布石”なのです。これまでの経験から、そう感じています。面識のない相手には、それくらい警戒して接する必要があるのです。

 昨日の日記で紹介した箱根駅伝関係メディアの方もラジオの方ですが、面識がある人物です。取材現場で協力する関係なら、ちょっとくらい話をしてお金を取ろうなどとは思いません。それどころかお世話になる機会も多いので、なんでも話します(最近では、名刺交換をしたくらいでは信用しなくなりましたけど。1回くらい会っただけではダメだということです)。
 面識のない相手の怖いのは、陸上競技や選手を報道することよりも、“視聴率”のことを考える可能性があるところです。ストレートに表現すれば、視聴率のためなら何でもする、という輩です。今日電話を入れてきたのは、編集部から聞いていた担当者とは違う名前の人間でした。ちょっと嫌な予感。

 先方が知りたかったのは、100 mの記録がどこまで伸びるか、という“一般聴取者向け”の話です。競泳のスピード社水着による、新記録続出に触発された企画であるのは明らかでした。一般人にとっては面白いネタでしょう。それくらいは理解できます。
 でも、そのディレクターがまずかったのは、結論先にありきという話の進め方をする点です。スピード社の水着に相当する何かが、陸上競技にもあるという前提で質問をしてきます。そして、9秒を切れるという結論に飛びつきたがっている、あるいは、そういうことを話す専門家を探しているのが見え見えです。これでは、話が噛み合うはずがありません。
 100 mの記録の推移を、統計的に論文にしたものは読んだことがあります。それは伝えましたが、積極的に自分が探しましょうとは言いませんでした。最初に、こういう協力をしてくれたらいくら払います、という提示がなかったからです。

 それでも、聞かれたことにはちゃんんと答えたつもりです。トラックが土からアンツーカ、オールウェザーと変わってきたこと。オールウェザーでも、90年代に入ってファスト・トラックと呼ばれる硬い材質に変わったこと。その違いを知りたいなら、メーカーに聞けばいいこと。その他、研究者や短距離のコーチが書籍を出していること……は言ったかな。ちょっと自信がありませんが。
 ただ、最後に釘を刺しました。今後、そういった方面に取材を進める際、寺田がスピード社水着に相当する物があるとか、9秒を切れると言ったとは、絶対に言わないで欲しいと。実際、言っていないのですが何度も念を押しました。そのくらい、結論ありきの取材をする人間には不信感を持っています。
 そして案の定、電話相談が有料だということに対しては「知らなかった」で逃げられました。業界がよく使う手です。担当者を変えて、知らなかったことにする。取材対象者に無理な注文をして、相手が怒ったら担当者を変える。よく聞きます。
 もちろん、誠実な取材をする放送メディアの方が数でいったら多いのです。警戒を要するケースの見分け方ですが、ワイドショー、娯楽系の取材ですね。陸上競技を取材するのはこれ1回だけ、というスタンスですから、無茶なことを言い出しやすいのです。

 話を戻しましょう。“新たな発想”ということには寺田も期待しています。これまでの常識を打ち破るような器具や、体の操作法が出てきてもいい。でも、それを思いつくのは、まったく違う分野の人間ではないと思っています。何年も陸上界で、そのことをつきつめて考えてきた人間こそが、あるときに新たな発想を得る。選手、指導者、メーカーの開発担当者。毎日のように速く走ることを考えている人たちに可能性があると思います。寺田の希望かもしれませんが、そうなると信じています。

 夜になってホクレンDistance Challenge深川大会で、福士加代子選手が1万mのA標準を突破したというニュースがもたらされました。31分30秒94。6月1日の新潟選抜では32分22秒18でしたから、10日で50秒以上の短縮。福士選手も常識破りというか、常識にとらわれないところがある選手だと思います。


◆2008年6月12日(木)
 10時から富士通公開練習の取材。雨でしたが、場所が屋根付きのナショナル・トレーニングセンターだけあって、予定通りの練習&取材ができました。12時までは練習の写真撮影。試合と違って公開練習中は撮影に専念できます。
 とはいえ、その間にも拾えるネタは拾います。今日だったら、富士通の過去の五輪代表人数ですね。パソコンに入っているデータで富士通選手をピックアップ。ただ、92年バルセロナ五輪の伊東浩司選手(現甲南大監督)のように、リレーの補欠でオリンピックを走っていない例もあります。そこで、三代直樹広報にも確認。完璧を期してこの記事にある一覧表を作りました。
 これは、今回の北京五輪が富士通史上最多になるだろう、という予測(仮説)があったから調べたわけです。データは闇雲に調べるものではありません。どの方向で掘り下げていくか。そこが重要ですね。
 今日判明したデータから導かれる結論は、富士通の採用担当者に先見の明があるということ。特に、この4年間では醍醐直幸選手、高平慎士選手、塚原直貴選手、堀籠佳宏選手、そして森岡紘一朗選手と可能性のある選手を採用しています(岩水嘉孝選手はちょっと違う例ですけど)。その結果として、日本の陸上界に大きく貢献している。
 あとは、中距離選手の頑張りがどうか。五輪代表が難しい種目ですが、そういう種目でも可能性のある選手を採っています。単に、代表の人数を多くしたいだけなら、もう少し違った採用の仕方をしているでしょう。選手がそれに応えられれば、本当に完璧なチームになります。

 12時からは高平&塚原選手の会見、続いて12:30からは醍醐直幸選手。その会見からコメントを抜粋したのがこちらの記事ですが、時間をじっくりととってくれたので、紹介できていないコメントも多々あります。
 高平&塚原選手には、お互いの印象を質問する記事の“ネタ優先”的なものもありましたが、そういった質問からも競技的に参考になる話に発展することもあります。塚原選手の高平評のなかに面白いものがありました。評というよりも、高平選手とのエピソードです。あの、2年前の関東インカレでの2種目同タイム負け。負けはしましたが、その後の塚原選手は日本選手権優勝、アジア大会銀メダルと、一皮むけた選手になっていきました。
 時節柄(?)、ボルト(ジャマイカ)の100 m世界新の話題にもなりました。この話題も面白かったです。高平選手はボルトを参考にしていると言い、塚原選手は参考にならないと言います。この点は共同会見後に高平選手に少し解説をしてもらいました。記事にできるところまでこちらが消化できていないところが悲しいのですが、表面的な部分なら書けるので、そのうちどこかで書くかもしれません。

 スピード社の水着の話題にも触れさせてもらいました。陸上競技(短距離)の場合は、スパイクなど用具の進歩であそこまで記録が違ってくることはないのではないか、というのが高平選手の考えです。トラックの進歩は、走った選手全員に平等ですからちょと違う話ですし。
 昨日の日記で寺田が書いた、誰が“新たな発想”をするか? という話を振ったところ、高平選手は「子供の動きがヒントになるのでは?」という答え。為末選手が赤ちゃんや魚の泳ぐ動き、末續選手が四つ足で走る動物の動きを参考としたのに近い話のような気がします。その子供の動きをヒントにするのはもちろん、子供ではなく、それを見ている大人ということになります。つまり、ずっと走り方を考え続けている人物です。

 会見がセッティングされた3人以外では、田野中輔キャプテンは埼玉県選手権で話が聞けていたので、笹野浩志選手と堀籠佳宏選手の話を聞きたいと思っていました。日本選手権の400 mは、金丸祐三選手の復帰ぶりによってレースが違ってくるので、堀籠選手も勝敗については語りづらいところ。
 その点800 mは笹野選手がゴールデンゲームズinのべおかで1分47秒台を出すと、優勝を争うと思われる横田選手もPrefontaine Classic(ユージーンGP)で1分47秒台。ラストに強い笹野選手と、最近はオールラウンド型の横田選手。タイプが明確に違います。笹野選手が日本選手権をどう戦おうとしているのか、できれば知りたかったのですが、聞くことができませんでした。ちょっと上手く立ち回ればできたような気がします。せっかくの機会だったのにもったいなかったな、と帰りの地下鉄車内で反省していました。


◆2008年6月13日(金)
 陸マガ7月号発売日。寺田が担当したのは日本選手権全38種目展望。これは、締め切り間際のところで頑張りました。間際になる前に頑張れればもっと良かったと思いますが、締め切りギリギリの情報も入れられるので、読者にとっては悪いことではありません。ライバルのO村ライターも日本学生個人選手権やPrefontaine Classic(ユージーンGP)など、ギリギリの情報を入れてきたので、これは頑張って正解でした。

 女子100 mと200 mの日本記録変遷史も担当。“変遷史”というタイトルですが、寺田としては“変遷ストーリー”にしたつもりです。編集部から話があってすぐに、岩本敏恵選手と中村宏之監督をキーパーソンにしようと思いつきました。
 1990年代前半までの女子短距離は、高校生が記録を出しても卒業したら弱くなって当たり前、という状況でした。岩本選手も高校2年で日本タイを出した後は低迷して、同じパターンかと思われましたが、90年代中盤に復活して日本記録を再度出しています。女子短距離界のはまっていた悪しき慣習から抜け出せるということを、身をもって示した選手でした。

 中村監督は今季、門下の福島千里選手が日本タイを出していますし、やはり教え子だった伊藤佳奈恵選手が、93年には11秒63の日本新を出しています。伊藤選手も高校生という点では以前のパターンだったのですが、11秒7台だった記録を一気に上げたところがすごかったのです。その2人を指導した中村監督と、岩本敏恵選手を近くで見続けた岩本トレーナーに取材してみようと思いついたわけです。
 これも大正解でした。予想以上の収穫は、岩本選手復活の裏にはメンタル面にプラスして、東京世界選手権で日本の陸上界が学んだ例の理論があったこと。その話題を盛り込むことで、記事の内容が厚みを増しました。陸マガがお手元にある方は、その辺を意識して読んでみてください。もちろん、福島大や新井初佳選手などにも触れないわけにはいきません。

 巻頭カラーのPEOPLEでは、野口みずき選手の菅平取材について少し紹介しています。以前にも書きましたが、このページが作られた当初は、寺田は反対していました。立ち読みだけで読めてしまう分量の記事ですから。
 しかし、「立ち読み読者の心を掴むため」という高橋編集長の意見を認めて、その狙いにそって今回も原稿を書きました。このページだけでなく陸マガをもっと読めば、もっと面白いことがわかるよ、という導入的な役割を果たせる内容にしたつもりです。野口みずき選手の企画は9月号で面白そうな内容ですよ、と予告をしました。2号も後の予告をするのは珍しいケースですけど。


◆2008年6月14日(土)
 札幌国際ハーフマラソン取材に行くか、行かないか、迷っています。どうしても進めておきたい原稿があるのです。現地に行っても進められる原稿ではあるのですが、間違いなく“目の前の取材対象優先モード”になって、筆の進み具合が遅くなるのは目に見えています。
 航空券はエアドゥの正規チケットにしてあるので、変更・取り消しが可能。とりあえず、今日の記者会見に間に合うようにとってあった午前の便は、夜の最終便に変更。さらに、それも明日の朝の便に変更しました。予約してあったホテルは2日前にキャンセルしました。
 でも、やっぱり行きたい。男子の五輪代表3選手の取材ができる最後のチャンスかもしれませんし。でも、3人はそれぞれ、五輪代表決定後に一度は取材しています。ネタがまったくない状態ではありません。でも、五輪用のマラソン練習に入ってからの情報も欲しいところ。でも、マラソン練習はまだ中盤で、選手自身が「こんな感じでこなしてきました」と結論づける段階ではありません。
 判断材料の1つに、どのくらい取材機会があるのか、を考慮していました。レース後の会見&囲みだけでなく、翌朝に共同取材の場が設定されることもあります。その辺を、現地の記者たちに連絡を取って様子を見ながら迷っているところ。

 札幌の状況を気にしつつも、今日はトラック&フィールドにも注目選手が出場しています。福岡大記録会には為末大選手が出場。結果が気になったので関係者に電話をしたのですがつかまりません。
 澤野大地選手も順大競技会に出場すると聞いていたので、18時過ぎに越川先生(順大跳躍コーチで成田高時代の恩師)に電話を入れました。5m50の高さから始めて結局、その高さを3回失敗したということですが、高さは十分に上がっていたようです。向かい風で苦労したのではないか、ともおっしゃっていました。競技会終了後にはゴムバーを5m70にかけて、跳躍練習を繰り返していたそうです。
 来る日本選手権に不安がまったくなくなるわけではありませんが、とりあえずは跳べる状態であることを示した結果と言えるでしょう。
 そうこうしているうちに、為末選手の結果はネットにも出ました。51秒28で「競技人生で一番遅いタイムかもしれない」という本人のコメントが載っていましたが、元々が大舞台でないとテンションが上がらないタイプ。そこでマイナス1秒くらいは見ていいでしょう。痛みが再発しなければ、日本選手権で50秒は切れそうですね。あとは、どのくらいそれに上積みできるか。
 問題は2位になったときに、代表入りするために必要なタイムです。普通の状況なら2枠は確保されている種目ですが、49秒8とか9かかったらどうなるのか。これは予想がつきません。他の種目とのバランスで決まることなので。過去の実績で選ばれる可能性もありますが、“今季のA標準を優先する”という選考基準を陸連が出してきています。


◆2008年6月15日(日)
 朝の7時に起床。昨晩の23時くらいには札幌に行く決心をしていました。原稿もそれなりに進んだので。荷造りまで終わらせていたくらい。でも、結局、8時に札幌行き中止を決断。最近は、ちょっと慎重になっています。

 札幌ハーフはテレビ観戦。何度でも書きますが、男女で画面が切り替わる中継は、見ていて集中しにくいのです。どう集中しても、グーッと気持ちを入れ込んでいきにくい。トラック&フィールドはもっと集中しにくいわけで、だから人気が出ないのでしょう。女子の周りに男子選手がいるのも緊張感に欠けます。エリートの緊張感あるレースぶりをじっくりと見ることができるのが、日本の伝統的なマラソンです。
 それにあぐらをかいているから海外のマラソンに選手をとられるとか、時代に遅れるとかいう批判を読んだことがありますが、選手をとられるのは単純に賞金&出場料の問題。出場料を上げるために、市民マラソンと一緒にやるのは別に問題ないのですが、だからといって日本の良さだったエリートレースの盛り上がりをなくすのは良くないでしょう。
 北海道マラソンの関係者にも直接話していますが、男女別開催が無理なら、時差スタート、時差中継を考えるべきだと思います(取材をする側の立場で言えば、男女別開催が理想です)。

 レースを見ていて、純粋に強いなと感じた木原真佐人選手や、春のトラックから注目していた油谷繁選手がここでも好走して、話を聞きたい気持ちになりました。尾方剛選手も春のトラックから考えると予想以上の好走。佐藤敦之選手の予想以上の失速も気になりました。やっぱり取材に行けば良かったと正直思いましたが、「失敗したあ」という気持ちはそれほど引きずっていないですね。
 予算的に5万円以上が浮いたので、デスクトップパソコンの購入(導入?)を検討し始めました。白いモバイルPC(ハードディスク?)の調子がよくないのです。


◆2008年6月18日(水)
 13時から日本選手権記者発表。選手が出席するわけではないので絶対に行く必要もないのですが、何かしらネタが拾えるような予感がして岸記念体育館に行きました。
 これが大正解。記者発表には山本事務局長と高野強化委員長が出席してくれたのですが、山本事務局長が等々力競技場について説明してくれました。オールウェザーの材質(商品名?)はレジンエースで、新潟のビッグスワンや神戸ユニバー記念、熊谷ベアヴァレイ・スタジアム(という名称だったらいいのにな、という希望です)と一緒であること。特殊な仕上げで温度が5〜6℃も下がる効果が期待できること。そして、4年前の鳥取のように防風壁を設ける予定であること、などです。
 強化委員長は会見では注目選手を挙げるのが恒例になっていますが、末續慎吾選手ら有力選手を指導する立場でもあるので、そういった選手たちの情報を話してもらうことができました。それ以上の収穫は、6月1〜5日に熊谷で行われた合宿について、突っ込むことができた点ですね。
 何人かの選手や関係者から聞いて、種目の垣根をなくした合宿が、強化委員長の音頭で行われたことは知っていました。しかし、オリンピック代表が決まった後ならいざ知らず、日本選手権前のこの時期に、そういった合宿が行われたことは記憶にありません。なんとなく察せられましたが、目的を直に質問することができました。
 予想通り、この時期では異例ということでしたし、昨年の大阪世界選手権からの流れも踏まえていました。これは、記事にする価値があると判断。

 もう1つの収穫はベルリン世界選手権代表選考基準について、確かな情報を入手できたこと。6月9日の日記の最後で次のように書いています。
 ベルリン世界選手権の代表決定システムについては、一般種目でも北京五輪入賞者日本選手最上位という以外にも、発表があったようです。報道されていない部分ですが、当事者にはかなり重要な部分。間違ったらいけないので、正確な資料を入手してから紹介したいと思います。
 正確な資料では、北京五輪入賞者の次の優先規定にA標準の日本選手権優勝者があり、その次にB標準の日本選手権優勝者となっています。北京五輪はB標準の日本選手権優勝者と、A標準の日本選手権2位以下では、どちらが優先されるか明示していませんでした。それをB標準の優勝者が優先だと、はっきり示したわけです。
 という決定がなされたということは、おそらく世界選手権は大阪大会同様、A標準&B標準の組み合わせでもOKということに決まったのだろう、と推測。4月の日本選抜和歌山大会で土井宏昭選手がそれらしいことを話していました。標準記録も「ベルリンはA標準が2m31に上がる」と醍醐直幸も先日の富士通公開練習時に話していたので、国際陸連サイトには発表されていませんが、各国陸連には通達が来ているのではないかと予測しました。
 同じ岸記念体育会館に入っている陸連事務局に確認に行くと、標準記録の資料をもらうことができました。これは、明日記事(2009世界選手権ベルリン大会参加標準記録)にする予定。

 記者クラブで熊谷合宿の記事を書いた後、成田空港に移動。佐藤敦之選手が北京の試走から帰国するので取材に行きました。札幌に取材に行けませんでしたから、この機を逃すわけにはいきません。
 もちろん、経費節約のためJRの特急ではなく京成のスカイライナーです。京成電車からは、佐倉の近くで例の風車を窓の外に見ることができました。順大4年時の三代直樹選手が、その風車の前で写真を撮って陸マガに掲載されたのは知る人ぞ知る話です。
 佐藤選手の取材はリムジンバスまでの時間がなく、10分もできたかどうか。時間がなくなることも成田取材には付き物。選手側のコンディションが最優先です。話が聞けなくても、表情が見られれば目的の大半は達成されたことになるのです。

 BBM社(陸マガ以外の部署)で打ち合わせがあり、すぐに都心に取って返しました。途中で、富士通・三代直樹広報から電話が入り、この記事で紹介した富士通の過去の五輪出場選手に間違いがあることがわかりました。万全を期したつもりでしたが…申し訳ありません。92年のバルセロナ五輪代表だった簡優好選手は、当時順大3年生。関東インカレで渡辺高博選手が45秒台で優勝した年で、2位の簡選手と抱き合って喜んでいた写真を陸マガに掲載したことを(表紙だったかも?)、昨日のことのように覚えて……いれば間違えなかったのですが、思い出したのは事実です。
 BBM社では渡辺高博選手の高校の先輩でもあるK玉・陸マガ前編集長と打ち合わせ。


◆2008年6月26日(木)
 日本選手権1日目の取材。1日目ということで早めに到着。
 午前中は等々力競技場の取材環境をチェック。スタンドの記者席、ワーキングルーム、ミックスドゾーン、サブトラックの方向など取材の動線をチェックします。ネット接続、食料の有無の確認も重要です。4日間とはいえ、取材の足場を固めるのは必須事項ですね。
 その作業を行いながら、混成競技をモニターで見ようとしたのですが(雨も降っていてスタンド観戦は不可能)、なぜか映してくれません。主催者側にお願いして、3種目目くらいからはなんとか映るようになりました。ただ、その頃になると、他の決勝種目も始まっているので…。

 このサイトの日本選手権を10倍楽しむページの反響もそこそこ。
 TBS山端ディレクターからは、女子3000mSCの日本記録が間違っている指摘。去年の日本選手権時のものを残していました。ナイトオブアスレティックで早狩実紀選手の日本新を目の前で見たというのに。申し訳ありません。さっそく訂正。
 ワコール・永山忠幸監督からは「今年も(福士が)勝たないといけないのですか」と、笑顔でクレーム。“笑顔”なら抗議も受け付けています。ちょっと真面目に答えてしまいましたが、「“優勝者予想”と“ほとんど優勝候補”に差はありません」と言い張れば良かったと、後で気づきました。
 しかし、その場で気づいたことが1つ。永山監督の胸にピンクのリボンバッジが着いていることです。陸上競技の現場には珍しいアイテムだったの何か質問すると、こういうことでした。

 13時から女子やり投決勝。ニシスポーツが“飛ぶやり”を発売した後の最初の大会ということで、注目を集めていました。やりの穂先側半分が超々ジュラルミンで、尾側半分がカーボン。その辺の気にしながら取材していました。
 全部がカーボンというやりはこれまでもあり、日本でも輸入して使っている選手もいます。女子ではそこそこいるようですが、男子では硬すぎて日本選手ではなかなか使いこなせないようです。肩を酷使することにもなるのだそうです。唯一、荒井謙選手だけが使用していると、東日本実業団のときに同選手から聞いていました。
 前半分を超々ジュラルミンにすることで、カーボンの「針の穴を通すイメージ」(ニシスポーツ)でなく、もう少しゆとりをもった投げができるのだそうです。カーボン以外のやりは振動が大きくなりますが、その振動を飛行中の最後の方では止めやすくなるのが新型のやりの特徴。日本人でも使いこなせるように、という意図で作ったということです。
 選手間への浸透度はこれからという状態。今日の女子やり投でも使用したのは2人だけだったそうです(そのうち1人が自己記録を更新)。

 今年の日本選手権はトラック種目の予選も、例年より多く取材をすることにしました。日付毎の展望記事を、毎日書いてみようかな、と考えているのです。予選の結果・取材を展望記事に反映させられないか、という意図ですね。果たして最終日まで体力が持つかどうか。
 男子の200 mと800 m、400 mH、女子の400 mHなどは積極的に予選後にミックスドゾーンに。一番話を聞きたかったのはやはり為末選手。前半型に変わりつつある成迫健児選手に、決勝でどう挑むか。今回はテレビ取材(NHK以外)のインタビュー音声が、ペン記者も聞けるシステムになっていて、これがかなり役立ちました。同じ質問を繰り返さなくて済みます。
 それでも、似たような話になることもあります。そのときに、テレビ取材用とニュアンスが変わることがあります。為末選手ならテレビでは、成迫選手に勝つ意欲を前面に出して話していますが、ペン記者に対してはもう少し分析的に話しています(展望記事参照)。最後に「新潮社の提訴は今日したわけではなく、ずっと前にしましたよ」と言い残して立ち去ったのは、ユーモアがあって良い雰囲気でした。
 斉藤仁志選手も、テレビでは“打倒・末續”への思いを強調していましたが、ペン記者取材時にはニュアンスが違ってきています(これも展望記事参照)。勝つつもりで行くのは間違いないのですが。

 800 mの横田真人選手と笹野浩志選手のコメントも聞きに行きました。これは、3日目の展望記事に反映させる予定ですが、横田選手はあくまでも標準記録狙い。高校時代のように自身でペースを作ることを考えているようです。優勝した昨年は、本サイトで優勝者予想に挙げられなかったことに奮起したと言います。「優勝者予想を変えてください」と言われましたが…変えるかもしれません。ちょっと力んでいるようにも見えたので。
 ラストの強さが武器の笹野選手は優勝狙い。ただ、ラスト100 mとは限らない、と“悪戯好きの少年”のような表情で言います。笑うといつもそういう表情なのですが。この辺も注目点であるのは事実です。

 今日、優勝者が決まったのは5種目。女子やり投では海老原有希選手がB標準を突破して優勝と、まずまずの結果でしたが、他の女子フィールド3種目はいまひとつの記録。特に棒高跳では近藤高代選手と錦織育子選手の2人が、4m10から跳び始めて記録なし。A標準を跳ばないといけない、という気持ちが裏目に出たのでしょうか。あるいは、寒さが影響したか。
 寒かったのがプラスに働いたのが男子1万m。気象状況もそうですが、木原真佐人選手が27分ペースで引っ張ったのが好記録続出の最大要因でしょう。8000m過ぎまで1人で引っ張り続けました。箱根駅伝の区間賞3つ分に相当します、と書きたいところですが、箱根は箱根、日本選手権は日本選手権。まったく別物です。それにしても、札幌国際ハーフマラソンに出たばかりですから、木原選手の底力がわかります。
 優勝は松宮隆行選手で3連勝。本人も「オリンピックに出られることが嬉しい」と強調していましたが、コニカミノルタにとっても日本選手では初の五輪代表。全日本実業団駅伝で3回以上優勝しているチームは八幡製鉄、リッカーミシン、旭化成、鐘紡(現カネボウ)、エスビー食品、そしてコニカミノルタですが、五輪選手を輩出していなかったのはコニカミノルタだけ。酒井勝充監督もやっと、胸のつかえが少し取れたのではないでしょうか。

 反対に、相当に悔しい思いをしているのが大野龍二選手と旭化成関係者でしょう。
 実はレース数時間前に宗猛監督とスタンドでばったりお会いしました。大野選手が新潟選抜で27分台を記録した際の日記(6月2日)に次のように書きました。
 新潟の男子1万mでは大野龍二選手が日本人トップで27分53秒19。A標準(27分50秒00)には惜しくも届きませんでしたが、4年ぶりの自己新だった九州実業団に続く自己記録更新。4年前に急成長して27分台を連発し、アテネ五輪に出場した選手です。しかし、大野選手も自身を追い込む能力が高く、すぐに脚に異常が出てしまう。
 しかし、駅伝シーズンから安定した強さを見せています(全日本実業団ハーフはダメでしたが)。宗猛監督にときどき話を聞く機会がありましたが、ポイント練習を数回と続けられなかった同選手が、この冬は続けられるようになっているといいます。どういう工夫をして続けられるようになったのか、一度本人に聞いてみたかったですね。

 千載一遇のチャンス。大野選手復活の背景を取材させていただきました。いずれ、何かの記事に反映できると思います。
 その大野選手は27分55秒16で2位。九州実業団、新潟選抜、そして日本選手権と3レース連続で27分50秒台を出しながら、A標準(27分50秒00)を切ることができませんでした。A標準突破の松宮隆行選手が勝って自動内定したので、これで大野選手の代表の可能性はほとんどなくなりました。5000mにもエントリーしていません。
 先頭を引っ張り続けた木原選手のペースが68秒台後半に落ちた7000〜8000mで、やはりA標準を切っていない三津谷祐選手とペースを上げれば良かったという意見も聞きました。ただ、実際に走っている選手は“勝つ気”で走っています。こと男子1万mに関しては、B標準でも勝てば代表入りする可能性がありましたし、今日の優勝タイム(27分51秒27)を見ると松宮選手に勝てばA標準は破れました。要するに、松宮選手が強かったということです。宗猛も松宮選手が終盤でスパートすることが、「わかっていても対応できない」と言っていました。
 旭化成は1万m7位と健闘した豊後選手らが5000mにも出場しますが、オリンピックということになると難しいでしょう。モントリオール五輪以来の連続代表が途絶えそうです。名門の再起への道が今日、始まったと言えるかもしれません。


◆2008年6月27日(金)
 日本選手権2日目。体力温存のため、今日は遅めの到着でした。
 日付別展望記事に予選の取材結果を反映させていることで、山端ディレクターからお褒めの言葉をいただきました。ダメなところは厳しく指摘されるので(昨日の女子3000mSC日本記録ミスなど)、お世辞ではないと思います。寺田もよく同ディレクターのことは褒めますが、スーパー陸上で小林祐梨子選手の日本記録を紹介しなかったことなど、ダメなところはビシビシ言っていた……かな。
 取材は110 mHと100 mHの予選から。日本選手権2008日付別展望 第3日・6月28日(土)で紹介しました。女子100 mHではデイリーヨミウリのケネス・マランツ記者(陸マガ英語講座)が熱心に取材していました。予選なのにすごいな、と思っていたら、夕刊に間に合うように原稿を出さないといけないとのこと。
「寺田の自己ベストはどこで出したの?」と聞いてきます。静岡県インターハイ西部地区予選だよ、と答えても白けると思ったので、「去年の北海道選手権だよ。Hokkaidou championship。championshipsかも」と答えました。マランツ記者が陸マガ7月号の英語講座で、「s」を付けることもあれば、付けないこともあると書いていたことを咄嗟に思い出したのです。実は寺田も、ずーっと以前から気になっていたことことでした。
 という話をしたら、マランツ記者も喜んでくれました。陸上記者間の日米摩擦はありません。ときどき、同記者が陸上界や選手に対して厳しい意見を言うので、摩擦が少し生じることはありますが、厳しいことを言うのは日本人記者も同じですし。

 女子砲丸投、七種競技、十種競技は本命選手が優勝。惜しかったのは十種競技の池田大介選手。棒高跳の失敗がなければ、違った展開になった可能性もあります。地元記者の横で話を聞いていましたが、今年中に学生記録を破りたいと話していました。ミズノ・金子宗弘さんが順大時代の90年関東インカレで出した不滅の記録です。競技終了後には、その金子氏からアドバイスを受けているシーンも見ることができました。
 十種競技の田中宏昌選手は半分の「5」連勝、七種競技の中田有紀選手は「7」連勝。きりのいい数字です。中田選手が腹痛でミックスドゾーンに来ることができず心配されましたが、ブログを見ると大丈夫だったようです。

 女子1500m予選はコメント取材ができませんでしたが、男子1500mは小林史和、村上康則、渡辺和也、田子康宏と今季のリスト上位4選手のコメントを、なんとか拾うことができました。これは4日目の展望記事に反映させる予定。体力が持てば、ですが。
 しかし、このあたりから有力選手が登場する決勝種目が目白押し。とても、1人で全種目をカバーすることはできません。大手新聞社は4〜5人体制で取材に当たっています。時間的にも遅くて締め切りまで時間がありませんから、当然と言えば当然。ですが、寺田のような一匹狼はどうしようもありません。いくつかの種目のミックスドゾーン取材はパスをせざるを得ません。
 男子400 mHは取材できましたが、女子400 mHはできませんでした。200 mも男子はできましたが、女子は無理でした。結果も、その2種目に関しては、今回は男子の方が話題性が上でしたし。
 一番残念だったのは男子ハンマー投のコメント取材ができなかったこと。ハンマー投が終わったときに女子走幅跳と1万mが佳境に入っていて、その2種目は記事を書く予定があり、どうしようもできませんでした。4月30日の公開練習にも行けなかったし、最近の室伏広治選手取材が不十分です。なんとかしないと。
 それにしても室伏選手は、故障明けの今季初戦にも関わらず80m98で14連勝。よくて78〜79mと予想していただけにビックリです。ビックリというより改めて、同選手のすごさを認識させられた感じです。「ここまでのレベルになったらもう、簡単に記録は伸びないだろう」と思われていた時期に、それでも記録を伸ばし続けていた時期がありました。2000年前後です。ミズノ関係者でさえ、「広治は底知れない」と言っていた記憶があります。その頃とはまた別のすごさを感じました。

 さて、今日は混成競技までは優勝予想通りでしたが、その後はビックリの連続。まずは400 mH。為末選手の走りを目の前で見せられると、鳥肌が立ちました。49秒台ですから記録的にそれほどすごいわけではなく、予備知識があって初めてわかるすごさ(陸上競技観戦には、絶対に必要な部分だと最近は強く思っています)。
 実は6月25日朝のラジオ番組で、「為末選手は勝てないと思って見てください。実はその方が為末選手の特徴を捉えた見方なんですね」とコメントしています。詳しくはこちらを参照。予想記事にも「本能で行くのでは」と書いています。中国新聞・山本記者にいたっては、「ヘルシンキと同じ7レーンだったから、何かが起こりそうな気がした」と言います。
 同選手を見続けている関係者にとっては、少しは予想されたことだったのですが、まさか本当にやってしまうとは、というのが正直な感想です。ときどき、こういった予想外の感動に出会えるので、陸上競技は面白いな、取材を続けていて良かったな、と思えるのです。
 敗れた成迫健児選手は茫然自失のていでしたが、レース後にアキレス腱に不安があったことを話してくれました。レースには出られる状態だったことが、裏目に出たのかもしれません。

 男子200 mでは末續慎吾選手が直線に入ってまさかの失速。この種目で日本選手に負けるのは、00年シドニー五輪準決勝で伊東浩司選手(現甲南大監督)に敗れて以来のこと。優勝した高平慎士選手のコメントを優先したため(ミックスドゾーン内のポジションの関係もあり)、末續選手のコメントは聞けませんでした。後で人づてに聞いたところ、負けを潔く認めていましたが、失速の原因は分析できていないようでした。
 昨日の予選ではスピードが戻っていましたし、コメントも手応えを感じている様子でした。何らかの異常が、予選の後に生じていたのかもしれません。
 末續選手を目標にしてきた高平選手に、どんな嬉しさか質問しましたが、末續選手の走りが走りだっただけに、素直に喜べないようです。斉藤選手は、嬉しくないことはない、というニュアンスでした。
 女子走幅跳の池田久美子選手も、末續選手同様潔く負けを認めていました。競技終了直後には、自ら桝見咲智子選手を祝福に行っていましたし。末續選手との違いは敗因を分析できていること。助走歩数を減らした新助走が、練習では上手くできていたのだそうですが、試合バージョンができなかったと言います。「初歩的なミス」と話してくれましたが、初歩的だとすると怖いな、という心配もありました。本当は高度な部分のミスではないでしょうか。

 選考はどうなるか、わかりません。200 m2位の斉藤選手がB標準なので、個人種目では選べません。今後A標準を突破すれば可能性は出てきますが、現時点では200 mの出場予定はないとのこと。南部記念は100 mだそうです。末續選手は30日に選ばれる可能性がありますが、絶対とは言えません。陸連判断ですね。
 女子走幅跳は桝見咲智子選手が南部記念でA標準を破れば、仮に池田選手が南部で桝見選手に勝っても、日本選手権の優勝者が優先されます。桝見選手がA標準を破れなかったときに初めて、池田選手が“選考”の対象になりますが、これも最終的な判断は陸連に委ねられます。

 取材の最後は本当に慌ただしくて、冷静な行動、正しい判断ができません。あれを取材しておけば良かった、ということばかり後で思いつきます。マランツ記者が何の記事を書いているのか、気にする余裕などどこにもありません。


◆2008年6月30日(月)
 11時から川崎駅前のホテルで代表選手発表などのイベントを取材。
 代表選手はほぼ予想通り。B標準のなかから誰を今回のタイミングで選ぶのか、だけはわかりませんでした。結果的に、村上幸史選手だけでしたが、これも順当なところ。
 意外だったのは、追加代表が選ばれるのが南部記念実施種目だけということ。それで男子走高跳が南部記念に追加されたのですが、日本選手権で取材したなかで何人かは、標準記録有効期限内に標準記録突破で追加の可能性があるという認識でした。陸連側は通達したのでしょうけど、受ける側は何らかの先入観念があるのか正しく認識できなかったということでしょう。記者たちも同様でした。

 記事にもしましたが、南部記念で追加される可能性のある種目・選手は以下の通り。
男子400 m(候補は石塚祐輔、佐藤光浩、堀籠佳宏)
男子110 mH(候補は田野中輔、大橋祐二)
男子走高跳(候補は土屋光、醍醐直幸)
女子100 m(候補は福島千里)
女子400 m(候補は丹野麻美)
女子走幅跳(候補は桝見咲智子、池田久美子)

 400 mは、日本選手権で代表に決まった選手以外で最上位、110 mHはA標準を破れば田野中、走高跳はA標準を破れば土屋、女子走幅跳はA標準を破れば桝見。以上の場合以外は、“選考”に持ち越されます。
 4×400 mRの1枠は決定的ですから、残りの3枠を5種目で争うわけです。
 ただ、南部の結果が軒並み悪かった場合(可能性はほんの少しですが)、今回の選考で俎上に乗った種目(女子400 mHなど)には可能性があるそうです。

 選手発表、選手会見&囲み取材のあとは、某選手のインタビュー取材。これは陸マガ8月号に掲載されます。インタビュー中、「日本選手権で一番印象に残っている種目は何ですか?」と逆取材を受けました。これには即答できず。種目を絞って見ない、感じないのが陸上競技記者の特徴です。でも、ちょっと考えてみる価値はあるかもしれません。
 それとも少し関わりますが、競技会の盛り上がりには見る側の“予備知識”が重要だということで意見が一致。個人的には、今回の日本選手権は“記録は出なくても盛り上がった”大会だと思っていますが、その理由がまさに“予備知識”の有無だったと思います。

 インタビュー終了後は御茶ノ水に移動。エスポート・ミズノでミズノの代表決定3選手の会見を取材しました。
 来週の南部記念の取材が決定。ホテルと飛行機を予約しましたが、帰りの便は満席でキャンセル待ち状態。


◆2008年7月1日(火)
 11時から富士通の五輪代表選手の共同取材。
 代表の顔ぶれは岩水嘉孝選手、高平慎士選手、森岡紘一朗選手、そして塚原直貴選手。来週の南部記念の結果で追加される可能性は大ですが、1次発表時点ではこの4人。誰でも気づくと思いますが順大OBが3人です。
 会見場は汐留の富士通本社の会議室(?)。富士通取材の良いところは辺にかしこ張っていないこと。フレンドリーな雰囲気で、こちらもリラックスして取材ができます。今日も選手たちが会見場に入ってきたときに、指さしながら「ジュンダイ、ジュンダイ、ジュンダーイ」と、インカレの応援調で声をかけようとしたそのとき、三代直樹広報も姿を現しました。順大OBが4人となり、「ジュンダイ、ジュンダイ、ジュンダーイ」ではなくなってしまいました。残念。

 共同取材は共同会見と囲み取材の両方が用意されていました。このパターンは本当に助かります。共同会見ではオリンピックの目標など“是非もの”的な質問や、全員に共通の質問だったり、富士通の選手で良かったことなど、若干ですけど型にはまった取材になりがちです。そうならないときもありますが。その点、囲み取材になるとかなりパーソナルな取材ができます。もちろん、このときも数人の記者が一緒に話を聞いているので、独占取材のような質問の仕方はNGですけど。
 ちなみにこの記事は共同会見時のコメント。型通りも必要なのです。
 囲みは岩水選手、森岡選手の順番に移動して取材をさせていただきました。岩水選手からは“北京後”に使えるかもしれないネタを1つゲット。森岡選手には、マラソン練習と競歩練習の違いについて聞けたのが収穫でしょう。塚原選手には日本選手権の“後半の強さ”について聞きたかったのですが、時間的に3人目は無理でした。短距離勢は恒例の富士北麓の公開練習もあると思いますので、そちらで頑張ることにします。

 会見の冒頭には木内敏夫総監督からもひと言がありました。会見後に会場の外に出ると、岩崎利彦氏(110 mH日本人初の13秒台選手)の姿も。2人とも順大OBですから、合計6人になったわけで、「ジュンダイ、ジュンダイ、ジュンダーイ」を2回繰り返して言うことができたわけですが、さすがの寺田も言えませんでした。汐留の超高級オフィスですから。


◆2008年7月2日(水)
 今週は日本選手権後ということもあって、超多忙です。と言いたい気持ちと、それほどでもないよ、と言いたい気持ちが相半ばしています。
 為末大選手は日本選手権前の不調を正直に口にしていました。昨年の世界選手権前に、調子が上がらないのにメダルを取ります、と言い続けたことへの反省があったようです。不調を言うこと=言い訳となって、気持ちが萎えてしまうケースもありますが、選手の意識レベルが高ければそうはならないわけですが、人間ですからこれが本当に難しいところ。
 寺田もずっと、忙しいと言うのは格好が悪いことだと思っていました。仕事を依頼する側も、相手が忙しいとばかり言っていたら不安になるのではないかと。
 でも、もう格好付けなくてもいいかな、と思うことにします。メッキはとうの昔にはげていますからね。

 ということで、できれば作業部屋にこもって原稿に集中したいところですが、ネットで為替の変動を見ると、英国ポンドの値段が下がっています。0コンマ何円の世界ですが、この1カ月で初めてかもしれません。すかさず、郵便局に駆け込みました。ATHLETICS2008の仕入れ代金をイギリスの出版社に送金するためです。
 実をいえばここ1カ月以上、為替の変動を気にしていました。今に下がるかな、一度くらいは下がるだろうと期待し続けて1カ月。1ポンド5円下がれば結構な金額になりますから。結局、上がり続けてまったので、5円か10円は損をしたと思います。為替相場を見るのは難しいですね。日経新聞・市原記者に早めにアドバイスをもらっておけば良かった。

 送金を待っていたのにはもう1つ理由があって、未集金が3冊分(2社)あるのです。集金が終わってからにしたかった気持ちもあります。まあ、未集金でもなんでも、先方に払う額が変わるわけではないのですが。
 ちなみに未払いの2社には2回、催促のメールを送っているのですが返事すらなし。1社は日本を代表するメーカーで、もう1社は北日本を代表するテレビ局。どうしたものかと対策を考えています。昨年までは家族T氏が手伝ってくれていたので催促の電話を掛けましたが、今年は寺田1人でやっているので、とてもそこまでの余裕はありません。でも、1万7400円ですからね。泣き寝入りをするのはもったいない。でも、面倒くさい。

 夕方から電話が殺到。2時間で5〜6本をこなしました。夜は、9月の全日本実業団取材時のホテルを予約しました。


◆2008年7月3日(木)
 今日は印象に残る1日になりました。いつもとは逆で、取材を受ける立場になったということと、ライターの方が元陸上選手だったということで。
 川本和久先生がちょっと前の日記で、取材に来た女性記者が丹野麻美選手と同学年で、高校時代に400 m54秒台の選手だったと書いていらっしゃいました。寺田のところに取材に来たのは土江寛裕監督と同学年で、100 mが11秒台の女性ライター。該当する選手はパッと思いつくだけでも6人はいますから、特定はできないでしょう。
 何の取材かというと、ダイヤモンド社から出る五輪展望雑誌用です。大きく扱う種目はそれぞれ、専門の方(短距離は土江監督、ハードルは苅部監督、投てきは小山監督といった感じで)がコメントするのですが、その他の種目をいくつか、寺田が「ここを見ると面白いのでは?」と話して、そのライターの方が記事にします。

 その女性ライターはすでに現役を退かれて10年近く(7〜8年?)になるのだそうです。引退後はしばらく(1〜2年?)はOLをされていたそうですが、退職してライター養成スクールに通い、現在は某(高級)ビジネス雑誌の編集部と契約されているとのこと。やめてから陸上競技を見に行くことは、先日の日本選手権までなかったと言います。同学年で活躍している選手も多いためか、故障がもとで志し半ばで引退したためか、ちょっと複雑な気持ちになるそうです。
 ここ数年の陸上競技の知識に自信がないということで、寺田に白羽の矢が立ったようです。自分なんかがコメントしてもいいのかな? と正直思いますが、まあ、記事を書くときの参考に少しでもなれば、ということで。
 内容はともかく、シチュエーションが面白そうだったので受けました。

 彼女が現役時代に、直接取材をしたことはなかったかもしれません。あったとしても、リレーチームとしてだったはず。面識はないので待ち合わせのときに「目印として、胸に赤いバラを指して行きますから」と電話で伝えておきました。実際は紙に赤い字で「馬鹿」と書いて胸ポケットに差して行ったのですが…。その顛末はさておき、充実した取材だったと受けた側としては感じています。


◆2008年7月5日(土)
 13:15羽田発の飛行機で函館入り。明日の南部記念取材のためです。
 熱心な記者たちは朝一の便で函館入りし、前日の練習を取材していますが、寺田にはそこまでの余裕がありませんでした。昨日は体調もちょっと…でしたし。
 しかし、大会本部ホテルに着いたときには、会見の始まるまで45分くらい時間がありました。その時間を無駄にはしません。日経・市原記者の姿があったので、ATHLETICS2008の代金不払いにどう対処したらいいのかを聞きました。
 聞けば、簡易裁判所に訴え出ることができるのだそうです。先方に出頭命令が行き、同じテーブルについて話し合いを行うことになるようです。さすが日経の記者。寺田とは社会常識が違います。ただ、その前に電話で催促するくらいはしてもいいのではないか、とも。確かにその通りなんですけど。面倒くさいというか、ろくなことにならない予感がするのです。そういう問題じゃないのはわかっているのですが。
 あとは、ずっと札幌開催だった南部記念が、どうして今年にかぎって函館開催となったのか(南部氏は札幌が生誕地)。洞爺湖サミット開催の関係かな、と誰もが予測するところですが、さにあらず。これは函館市文化・スポーツ振興財団の創立20周年を記念した行事として招致したとのことでした。

 会見では丹野麻美選手が「(疲労は)精神的にもありましたが、肉体的なところはアスタビータ・スポルトで(笑)抜いてきました」とジョークを交えてコメントしたのが印象的でした。
 関係者、選手の話を総合すると、日本選手権の行われた川崎の風が一定しないのに対し、函館は晴れればホームストレートが追い風で一定するようです。でも、そうするとバックストレートが向かい風で、400 mの記録は出にくくなるのですが…。

 夜はホテルで仕事をした後、食事に出かけました。霧が立ちこめた函館市街は幻想的な雰囲気で、日本とは思えないくらいです。といっても、霧がたちこめた外国の街に行った経験はないですけど。ホテルの近くの炉端焼きの店にフラっと入ったら、片岡鶴太郎さんがスタッフ2人と来ていました(ブログの7月5日参照)。


◆2008年7月6日(日)
 早起きをして原稿書き。昨日から書き始めた為末大選手のインタビュー記事です。今回は特に“原(げん)・為末”という部分に焦点を当てました。
 為末選手といえば“戦略・戦術に秀でた選手”というイメージが強いのですが、寺田はかねてから“本能的な部分のすごさ”に注目してきました。そう考えないことにはいくら高度な戦略・戦術を考えられても、あの戦績は残せません。
 為末選手自身もその部分を計算していて、ヘルシンキ後にハードルを封印した頃から、「最後の北京は本能で戦う」というニュアンスの発言をしていました。「為末選手は戦略家? それともピュア?」というコラムの“ピュア”という部分も、今回の記事のテーマに通じる部分です。
 南部記念取材前に半分くらいまで書き終えました。陸マガ8月号に掲載されますので、乞うご期待。

 9:30には千代台公園陸上競技場に。函館自体に来るのが生まれて初めて。競技場ももちろん初めてです。一般道から入ってくると競技場の2階部分につながっている、ちょっと特殊な作りです。報道陣の動線もちょっと変わっていて最初は戸惑いましたが、すぐに慣れました。ただ、その一部にトンネルのような通路があって、光のまばゆい外と、その通路に入っていったときの暗さが対照的で、どこか外国的な雰囲気がしました。見馴れないシーンを何でも外国的と言うところが安易かな、と我ながら思ったりしますけど。

 ところで“ビックリ”は福島千里選手の口癖ですが、今日の南部記念の結果で代表に選ばれたときも、同選手は“ビックリ”を連発していました。
 南部記念用に残された枠は“4”。南部で勝った堀籠佳宏選手になるのか、日本選手権最上位の石塚祐輔選手になるのかは読めませんでしたが、4×400 mRの追加選出は事前に確定していました。“追試”扱いだった醍醐直幸選手と池田久美子選手も、南部の結果で“追試合格”は決定的。残りの1枠が予想が付きませんでした。
 男子110 mHの大橋祐二選手か、女子400 mの丹野麻美選手か、同400 mHの久保倉里美選手か。女子100 mの福島千里選手も、“B標準突破で日本選手権優勝”の条件は満たしていました。本当に誰の名前が呼ばれても不思議ではありませんでしたが、世界レベルを考えたときに一番可能性が低いのが女子100 mでした。しかし陸連は、そのレベルの違いを大した違いではないと判断したといいます。
 選考理由などは、こちらの記事を参照。選ぶ側の判断基準にはなるのかもしれませんが、選ばれる側には“やるせない”判断基準でした。陸連がかねがね言っているように、代表になりたかったら「A標準を切って日本選手権に優勝すること」が必要という厳しい姿勢ともいえます。A標準の日本選手権優勝者以外は、微妙な判断になる可能性もありますよ、と事前に通告されていたわけです。

 これは“枠”がある以上、どうしようもありません。代表選考の末席に近い部分は、種目間で枠の取り合いになります。そこでの判断は必ず、人によって違ったものになります。選考に異を唱えた選手、関係者もいたと聞いていますが、その人が陸連に代わって選考をしたとしても、間違いなく反論が出ます。誰もが納得できる選考なんて、できるわけがないのです。
 それを解決するには“枠”をなくすしか方法はないでしょう。つまり、“この記録を突破して、指定大会でこの成績を収めたら代表にする”という選考規定です。
 この方法だと、事前に数を特定することができないので、現行のJOCと陸連が事前に話し合って枠を決めるシステムでは不可能なのです。その辺を突き詰めていくと、解決策は1つしかありません。オリンピックよりも世界選手権を重要な試合に位置づける。それしかない、かな。


◆2008年7月7日(月)
 陸マガの為末選手原稿を昼頃に仕上げて送信。
 昨日の日記に書いた“原(げん)・為末”というのは寺田が勝手に作った言葉ですが、6月18日の日本選手権記者発表の際に高野進強化委員長が「特殊能力」という表現をされていたので、昨日の南部記念終了後に同委員長に解説してもらいました。

 この2人、以前にも書いたように共通点が多いのです(キャラはかなり違いますけど)。その最たるものが国際舞台で自己新を出すなど、大一番に強いことです。高野選手は88年のソウル五輪で44秒90の日本新。400 mで日本人初の44秒台でした。さらに言えば、日本人初の45秒台も同選手。
 為末選手は01年のエドモントン世界選手権で47秒89。400 mHで日本人初の47秒台です。さらに言えば、高校生初の45秒台と49秒台も同選手です。
 考え方も似ていて、高野選手はイーブンペース型だったレース構成をソウル五輪後に前半型にするため、89年は100 m、90年は200 mに専念しました(90年の北京アジア大会は金メダル)。前半型に変身した91年の東京世界選手権(この年に44秒78の日本記録)、92年のバルセロナ五輪と決勝進出に成功したのです。
 為末選手は記憶に新しいと思いますが、二度目の銅メダルを獲得したヘルシンキ世界選手権後に、ハードルを封印して純スプリント種目に専念しました。

 ただ、大舞台に強い点において、若干の違いも感じていました。高野選手の方が計算通りに進めている印象があり、周囲の期待に応える形で結果を出していました。その点、為末選手は、本人は計算できていたのですが、周囲の期待以上の結果をドカーンと出すイメージです。
 ところが、先週の為末選手の取材中に、高野選手の92年バルセロナ五輪の決勝進出は、周囲の予想以上だったという話を聞きました。為末選手が日本選手権前に高野強化委員長と話をしている中で、そう聞かされたのだそうです。我々の当時の認識は、前年の東京世界選手権前ほどの好調ぶりではないものの、決勝進出は期待できるというものでした。
 どうやら、マスコミに伝えられていた情報と、関係者のつかんでいた情報には違いがあったようで、高野選手の周囲からは「決勝は難しい」という声が挙がっていたようです。
 結果的にその前評判を覆して決勝進出を果たしたのですが、そのときは準決勝で1人(イギリスの選手だったと記憶していますが)、強豪選手がスタートして間もなくケガで途中棄権しています。高野選手も「いつ、決勝進出が大丈夫だと思ったか?」という質問に、「○○選手が棄権したときです」と答えていました。為末選手のヘルシンキもそうでしたが、運も味方にできた選手だったのです。

 南部記念後の取材中に高野委員長は「ランキングが20番くらいでも、自己ベストを出せない選手が何人かはいて、それに対して自分は本番で自己ベストかシーズンベストが出せる自信があった。そうすると、入賞も計算できた」と話してくれました。為末選手も同様の計算をしているのかもしれませんが、どちらかというと、高野委員長の言うところの“特殊な能力”を本番で出す計算をしているような気がします。
 その辺も踏まえて陸マガの為末選手記事を読んでいただけると、より面白くなると思います。


◆2008年7月10日(水)
 今月は13日が日曜日で、12日の土曜日も休配日(流通業者が休むということ)のため、今日が陸上競技マガジン2008年8月号の配本日。夜、新宿で高橋編集長から8月号を受け取りました。
 物腰は丁寧でも強気一徹の編集長が開口一番、「ご免なさい」と謝ってきました。いつもは、締め切りに遅れる寺田が謝る役なのですが、何があったというのでしょうか? 来週の日記を待て!

 と書きたいところですが、実際はもう“来週”なので書いてしまいましょう。8月号の為末選手インタビュー記事のライター署名が、別の人間の名前になっていたのです。フリーランスにとっては、やられて一番嫌なミスです。死にものぐるいになって書いた作品が、他人のものと認識されるのですから。
 これまでも昨年の全日本大学駅伝と、あともう1回くらいあったと記憶しています。そのときは30行くらいの原稿でしたから、「まあ、いいか」で済ませましたが、今回は5ページの長編(?)記事です。もしも、自分が先に気づいていたら、怒鳴り込んでいたと思います。6日と7日の日記にも書いてきたように、“原(げん)・為末”という視点には、それなりの思い入れを込めて書きました。去年今年の為末選手を取材しただけでは書けない部分でしょう。

 以前、為末選手の記事は、どのメディアも似た内容になる傾向がある、と書いたことがあります。同選手ががあまりにも面白い話、ドラマチックな話をするからです。それも、陸上競技の面白さを散りばめながら。極端に言えば、書き手の視点を入れる必要がなくなるのです(まったく入らないということはないのですけど)。
 その点、今回書いた“原(げん)・為末”のネタは、為末選手の話だけでは展開できなかったと思います。あるいは、インタビュー時にそれなりに突っ込まないと聞き出せない部分が重要な役割を果たしている(と思います)。これまで、為末選手が得意としてきた戦略や戦術とは、ちょっと異なる部分だから本人も言葉ではアピールしにくいところでしょう。実際は、ちょこちょこと口の端に出てきているのですが、それをしっかりと捕らえるには、聞く側にも何かが必要なところなのです。

 先ほども書いたように、もしも自分が先に気づいたら怒り心頭だったと思います。でも、先に謝られたらもう、怒るわけにはいきません。トップ選手と同じにするのは良くないのですが、“原・寺田”はどこかにアグレッシブなところがあります。普段はどこかに隠れていますが……って、人間は誰もがそうなのかもしれません。ただ、“この人を相手に怒ることは絶対にないな”と思える相手がいます。ライターの水城昭彦さんがその筆頭ですね。あとは、アンビバレンスのMさんとか、三重県出身のMS選手とか。人格者というか、なんというか。
 ですから、先に頭を下げている人間に怒りをぶつけることはできません。それに、夕食をおごる、と言ってくれている人に怒ることなどできましょうか。


◆2008年7月11日(木)
 女子4×400 mRの五輪代表を、17:30に代々木体育館の会議室(?)で発表するとの案内が陸連からありました。13時から14時の間だったと思います。どう対応するか、ちょっとばかり考えないといけない事態でした。リレーの五輪出場16チームの決定は、7月16日(モナコ時間)を待ってからのはずですから。
 陸マガもこの種目初の五輪出場がかかっているとあって、ここ数カ月、注目し続けていたことです。昨日も高橋編集長と、17日の朝に川本先生の研究室に取材に行こうか、などと話していたくらいです。
 5日も早く発表するという情報を信じていいのかどうか。リリース元が陸連だけに、間違いではないはずですが…。考えられるのは、JOCへの登録が間に合わないので、選手は今のうちに決定しておくというケース。国内処理だけ済ませておき、16日を待って正式決定になる(ダメだったら正式代表にはならない)。幸い女子400 mは日本選手権と南部記念の上位4選手が同じ顔ぶれ。選手選考でもめる要素はまったくありません。

 しかし、上述のような仮代表だったら、取材に行くのはやめようと思いました。それなりに仕事も抱えているのです。そこで、何人かの人たちに電話をかけまくりました。その結果、正式な通達が国際陸連から届いたことが判明。選手4名も会見に出席するといいます。ということであれば、この歴史的な快挙に立ち会わないわけにはいきません。多少のことは後回しにして、会見場の代々木体育館に駆けつけました。
 共同会見では控えめにするのが寺田のやり方ですが、今日はちょっとテンションが上がっていて、周囲を見回しながらいくつか質問もさせていただきました。
 しかし、こちらに記事にしたのはS記者の質問に対する選手たちの答えが中心です。本来なら、オリンピック初出場の意義や、各選手のオリンピックのとらえ方など、競技的な部分を記事にするのですが、今日ばかりは各選手の“ビックリ”ぶりに焦点を当てました。

 会見後は全米選手権帰りの記者の方から、土産話を聞かせていただきました。陸連にもオリンピック期間中のことで少し相談。仕事の変更を強いられましたが、有意義な午後でした。


ここが最新です
◆2008年7月14日(月)
 陸上競技マガジン2008年8月号の発売日。寺田が担当したのは為末大選手の5ページ記事と、「代表選手の顔触れからわかること」という編集部から与えられたテーマで書いた2ページ。ありていに言えば、本番展望記事ですか。
 為末選手記事については再三言及してきたとおりです。本番展望は“トラディッショナル”な展望記事です。唯一、男子4×100 mRについて書いているところで「明確な根拠はないが、チームワークは世界一だろう」という表現が、寺田にしては少しですけど前衛的なところ。ユーモアを込めているつもりですが、ふざけてはいません(と書かないといけないところが悲しいです)。

 ただ、“大国”よりも小国(特に島国)の方がリレーは強いのではないか”、という仮説もあります。広大な国で各地に拠点がある国よりも、合宿などで一極集中的なトレーニングができる方が、パスワークやチームワーク(はなはだ抽象的ですが)という部分では有利に働くのではないかと。
 以前、高平慎士選手が言っていました。世界大会でなんで日本があそこまで好成績を残せるのか、世界では不思議に思われていると。ただ、これにはオチもあって、アジア大会のタイが世界大会の日本のように強くて、逆に日本が勝てないというものです。

 この仮説がどこまで信憑性があるかというと、実はそれほどでもないのです。自分で書いておいて何ですけど。小国(島国)が強かったら、ジャマイカなど37秒台前半で走っていいはずですが、昨年の世界選手権の37秒89がジャマイカ記録です。
 ちなみに、世界歴代リストは以下の通り。
1)37秒40 アメリカ
2)37秒69 カナダ
3)37秒73 イギリス
4)37秒79 フランス
5)37秒89 ジャマイカ
6)37秒90 ブラジル
7)37秒91 ナイジェリア
8)38秒00 キューバ
9)38秒03 日本
10)38秒10 トリニダードトバゴ

 アメリカはもちろんのこと、カナダ、ブラジルという大国(面積の広大な国)が入っています。この3国には“1カ所に集めてトレーニング”という雰囲気はありませんが(推測ですが)、かつてのソ連のような共産主義国家なら、国が広くてもナショナル・チームの長期合宿は可能だったはず。
 一方、10傑の最後にはキューバ、日本、トリニダードトバゴという小国(面積の小さな国)も名を連ねています。

 これらを総合して結論らしきものを引き出すと、小国に有利な部分が若干あるかもしれないけど、大国でもリレーが強くなることは可能ということ。つまり、ハード的な環境よりも、ソフト的な環境の方が強く影響するという、しごく当たり前の結論です。
 もう少し厳密に検証すれば、なんらかの傾向がわかるかもしれません。今度、土江寛裕監督に聞いてみましょう。ライバルのO村ライターの説も知りたいところですが、インターハイ前なので無理か。

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