続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
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◆2007年9月26日(水)
 17時から竹橋の毎日新聞社で実業団駅伝公式ガイドの打ち合わせ。ISHIRO記者、事業部H氏、編集部K氏、おまけの寺田というメンバー。
 この時期に毎日新聞に行くのは年中行事の1つになりつつありますが、今年は初めてガラス張りの会議室で打ち合わせをしました。テレビドラマでしか見たことのないものでしたから、ちょっとした感動でしたね。当然、良いアイデアも出てきます。良いアイデアが出るから、そういった構造の部屋に大手企業は設備投資をするのです。
 ガラス張りということで企画内容も紹介すると……というわけにはいきません。1つ言えるのは、例年同様顔写真付き選手名鑑は今年も掲載します。これを楽しみにしている方も多いと思います。作る方はかなり大変なページなのですが。
 そういえば引退された○○○○さんも、どの男子選手が格好良いか、品定めをするのに使っていた、と言っていましたね。まあ、誰でもやっていることでしょう。それも雨の夜にやっている人は、かなり風流です。古典派といった方がいいかも(“雨夜の品定め”についてはこちらを参照)。

 発売日は女子が12月上旬で、男子が中旬です。


◆2007年9月28日(金)
 NSAA(日産スタジアムアスレティクスアカデミー)をリンクさせていただきました。高野進氏と日産スタジアムが一緒になってジュニア選手を育成し、各種のイベントを通じて普及活動も行っていく。リンク集には■アカデミー(育成、普及、イベント)■というカテゴリーを新設しました。高野氏はアスレティクス・ジャパンという会社を立ち上げ、トップ選手の育成と、やはり普及・イベントの活動に力を入れています。
 同じカテゴリーに、藤田信之監督のF・R・A(藤田ランニングアカデミー)と、阿見アスリートクラブも入れさせていただきました。藤田監督は全国各地で講習会を開き、これという素材と出会えば、エリート選手として育成していくと聞いています。阿見アスリートクラブはNPO法人。トップチームも抱えていて、筑波大OBの植竹万里絵選手が職員兼コーチ兼選手という形でフルタイム勤務しています。
 そういえば金哲彦さんのニッポンランナーズも同じですね。女子400 mの堀江真由選手が働いています。
 あらためて言うまでもなく、こういった活動が陸上競技の普及には重要になります。

 今年の世界選手権は地元開催ということで、「陸上競技がメジャーになる最後のチャンス」と選手たちはコメントしていました。“メジャー”という部分は色々な解釈があるので置いておきまして、今回が“最後のチャンス”かといったら、決してそうではありません(“最大のチャンス”だったかもしれませんが)。選手たちは、そのくらいの気概で世界選手権に臨んだということです。
 北京五輪やその次の世界選手権で活躍する、あるいは100 mの9秒台など社会的に注目される記録を出す。マスメディアがこれだけ発達した時代です。活躍すれば紹介されるチャンスは絶対にあります。上述のように積極的な活動をしている組織もあります。大阪大会の不振で、陸上競技の人気が上がるチャンスが消えてしまったわけではありません。

 何より重要なのは中学・高校の先生方の頑張りです。各地域の名門校の先生たちの情熱、スカウト活動の熱心さには頭が下がります。同様に重要となるのが、小学生を陸上競技に導く大人の存在です。強くしなくてもいいのです。子供たちに興味付けをできる人材こそ、本当に必要ではないでしょうか。
 国体などで世界大会入賞者や日本記録更新選手の指導者が表彰されますが、その選手を中学・高校時代に育てた指導者、さらには、陸上競技の道に導いた人物を表彰してもいいのではないかと、以前から感じています(中学・高校の指導者は表彰されていましたっけ?)。


◆2007年9月29日(土)
 スーパー陸上前日会見を新横浜プリンスホテルで取材。
 びっくりしたのは大会プログラムに選手全員の顔写真が載っていること。外国選手は全員が全員、世界のトップ選手というわけではありません。下位入賞や準決勝レベルの選手もいます。名前だけでは白人か黒人かわかりませんからね。毎回やってくれると、資料的な価値が高まります。問題は、プログラムを毎年保存する場所ですが…。
 日刊スポーツと陸マガが探したようですが、頭が下がりますね。それともデジタル化された最近は、ファイル名に選手名を入れておけば、検索が簡単にできるのでしょうか? アナログ時代の編集者にはちょっと想像しにくいのですが。

 会見は最初にパウエル選手が単独で行われ、次にチホン選手、リチャーズ選手、醍醐直幸選手、成迫健児選手の4人、最後にゲイ選手と塚原直貴選手という組み合わせで行われました。朝原選手や池田選手、澤野選手が呼ばれなかったのは、14日の会見と重複するのを避けるためのようです。塚原選手が自身でも、充実ぶりを感じ取れているのが伝わってきました(会見記事参照)。
 室伏広治選手は発熱のため欠席。主催者側からは明日は出場の見込み、と発表されました。室伏選手の発熱は過去にもあったことですし、高校時代は冬の半分は熱を出していた、という話も投てき関係者から聞いたことがあります(若干、誇張されていたと思いますが)。

 昨日の上海スーパーGPから転戦してきた選手も多いようです。大会サイトが見つからなくて苦労しましたが、同大会の国際陸連サイトの記事をプリントアウトして持参。リチャーズ選手が10秒台を出していましたから、予備知識があるのとないのでは大違いです。
 スーパー陸上の数日後にはテグ(韓国)でも国際競技会があります。ワールド・アスレティック・ファイナル後はアジア諸国をトップ選手が転戦する、というパターンができつつあるようです。日本選手で上海やテグに遠征する選手も、数人います。ヨーロッパに遠征するレベルではないけど、アジアだったら出場できる。アジア選手にとっては利用できる大会が増えたわけです。自己記録を出せなくても、“経験”が目的でいいと思うのですが、“経験”とするにはただ出場するだけではダメかもしれません。


◆2007年9月30日(日)
 スーパー陸上取材。めっちゃ寒かったです。雨もかなり強かった。記録は望めません。
 神様とか宗教の話題はまず書かないのですが、今回ばかりは神様が陸上競技関係者を試しているのでは? と思いました。選手には「コンディションが悪くても観客の前だからできるだけのことをやりなさい」、観客には「記録が悪いときの陸上競技の楽しみ方を覚えなさい」、記者たちには「記録が悪くても評価すべき部分は評価しなさい」と、厳しく言っているような気がしました。元々、ゴッドは優しくはなく厳しいのだと、キリスト教概論で教わった記憶があります。

 男女の棒高跳で記録を残した選手は女子優勝のパーノフ選手(豪州)だけ。スポーツナビの記事にあるように、澤野大地選手は務めて、コンディションのことを口にすまい、としていた節が感じられました。記録なしの理由を突っ込んでも仕方ないので、今日のようなコンディションはいつ以来かを質問。「今年のシェフィールド以来です」と澤野選手。あとで、シェフィールド取材の朝日新聞・小田記者にも確認すると、シェフィールドは同じくらいか、もっとひどかったかもしれない、と言います。
 シェフィールドで澤野選手が記録を残している(5m55)のはおそらく、数日単位で見たときの気温差が少なかったからでしょう。一昨日は30℃前後あって、昨日から涼しくなり、今日ドーンと下がりました。マラソンでも、春や秋のマラソンなら20℃でも記録が出ますが、冬のマラソンでいきなり気温が20℃に上がったら、記録はまず出ません。

 そういうとき、結果を評価する基準の1つが順位であり、優勝者との記録の差です。外国選手の方がモチベーションは低いから基準になりにくい、という指摘もありますが、これは何とも言えません。プロ意識の高い選手は、しっかり走ってくると思います。確かに、額面割れが大きいな、というメダリストもいましたが。池田久美子選手や醍醐直幸選手が金メダリストと戦った……と書いて、間違いではありません。
 そういう意味では、今大会の日本選手たちは善戦しました……けど、やっぱり、喜ぶほどの善戦ではない、としておきましょうか。優勝者も何年ぶりかで出ませんでしたし。
 日本選手のMVPを選ぶとすれば成迫健児選手(ミズノ)で決まり。女子ではやはり、池田選手が4回目までレベデワをリードしていましたし、銅メダルのコトワには勝ちましたから、一番評価が高いと思います。

 コメントを聞いた中で印象的だったのは、女子棒高跳で最初の高さを4m40の日本新にした近藤高代選手。11月で32歳ですが、いよいよキャラが立ってきたな、という印象です。選手としての特徴がはっきりしてきた、という意味です。そうなると選手は強いですよ。
 先週の全日本実業団(4m30で優勝)の取材と合わせると面白い記事が書けそうです。中日新聞・桑原記者(正確には編集委員=瀬古さんと早大競走部で同期)は全日本実業団のときに近藤選手が話してくれた「(1cm刻みの記録更新は)男らしくない」という言葉をキーワードにして、同選手のコラムを書かれて、今日、紙面を持ってきてくれました。
 寺田は全日本実業団とスーパー陸上の取材を合わせて、陸マガに原稿を書く予定です。自民党総裁選で話題になった「キャラが立つ」という言葉を軸に書こうと思っていますが、もしかしたら同じ意味で別の言葉にするかもしれません。

 それにしても、6種目行われた女子では4種目で川本門下選手が日本人トップ。棒高跳は日本選手全員が記録なしなので除外すると、5種目中4種目。秋の試合にもしっかり走ってくる、というのがチーム川本の特徴でしょう。
 男子では内藤真人、成迫健児両ハードラーが秋にも強いですね。どの季節に強いのが良い、という話ではなく、タイプのことを言っているだけです(と、わざわざ書いておかないとダメなのでしょうか)。
 100 mの塚原直貴選手、成迫選手と22〜23歳の2選手が好成績を挙げたのが収穫だったと思います。


◆2007年10月1日(月)
 昨日のスーパー陸上で「これはどうなんだろう?」と思ったのが、この写真に映っているステージ(と言って良いのでしょうか)。各種目の始まる20分前に、その種目に参加する選手全員が登場して客席に紹介されます。それ自体は良いことだと思うのですが、トラック種目を見るときに邪魔なのですね。完全にふさいでいるわけではないので、なんとか見られると言えば見られるのですが、正直、気になって仕方がありません。
 ヨーロッパの大会では見たことがない趣向です(少なくともトラックを見るのに邪魔になる設置の仕方は見たことがありません)。おそらく、他の競技を参考にしたのだと思いますが、どうなのでしょうか。多少気になっても選手を間近で見られれば良い、という考えもありますが。でも、近くで見られるのはホームストレート側の一部観客だけ。バックストレートやカーブ部分の観客には、フィールドの中でやってくれた方が近いわけです。
 寺田の周りでは本末転倒、という声が多かったのですが。これは記者よりも、ファンの声が大事でしょう。

 さらに1つ言わせてもらえば、女子400 mの選手たちがスタート位置に立ってから、このゲートの方で選手紹介を数分間やっていました。その間、女子400 mの選手は競技用のウエアで雨に打たれていました。これは、連携が悪かったと言われても仕方ないでしょう。
 海外の試合でもありそうなこと? そのシミュレーションにはなったかもしれません。日本は選手に厳しい運営をする国です。


◆2007年10月2日(火)
 大学駅伝2007の発売日。
 以前にも書いたと思いますが、今回は竹澤健介選手と佐藤悠基選手のインタビュー記事を担当(その1本だけです)。書いた本人ですから記事の内容はわかっているのですが、写真や見出しと組み合わせられ、デザインされた形になるとまた印象が違ってくるから不思議です。当然、文字だけを見せられるよりも良くなります。
 今回で言えば、P4−5の写真がグッド。正面から撮った顔のアップを、モノクロにして2点並べています。雰囲気が出ていますね。ここまで個人の写真をアップにしたら、記事も当然、チームの話よりも個人の話が中心になっているわけです。選手個々の魅力を伝えるのが目的ですから、必ずしも駅伝の話だけになるとは限りません。その選手の特徴、考え方を伝えることで、結果的に駅伝を面白く見られる。そうなればいいな、というスタンスです。
 駅伝は個々の思いが集まって成り立っているわけです。同じチームでも、選手のポジションによって思いは違ってきます。選手と指導者とでも違ってくるのは当たり前。以前、神奈川大の大後監督が言われたと思うのですが、絶対的なエースがいない代わりに穴もないチームという意味で、「金太郎飴のようなチーム」という表現を使いました。これは競技力の面から見て言えることで、選手個々の頭の中を見ても金太郎飴だった、というのでは面白くもなんともありません。

 自分の担当部分だけでは宣伝にならないので、他にもいくつか紹介しておきます。
 人物ものとしては4年生の4人。松岡佑起選手(順大)、伊達秀晃選手(東海大)、北村聡選手(日体大)、そして上野裕一郎選手(中大)。高校2年時から注目され始めた4人ですが、本当に誰1人として潰れていません。代わる代わる、いい走りをしています。10年後の4人がどうなっているか。それを知りたい読者は、陸上ファンを続けないといけません。駅伝ファンでは、彼らの一面だけしか見ていないことになる。それでは面白くないでしょう。
 その他では2年生の高橋優太選手(城西大)、前年度オール2位の日大・阿久津尚二キャプテン。
 チームものとしては順大、駒大、東海大。現時点で3強と考えられている大学を紹介しています。個人的には駒大が強そうだな、と感じています。
 強さだけではなく、それぞれの視点で取り上げているのが拓大、関大、長崎国際大、麗澤大、松蔭大。以前に取り上げたことのある花田勝彦監督の上武大、神屋伸行監督の武蔵野学院大など、近年、箱根駅伝出場を目指す新興大学は増えています。
 選手が毎年入ってくる環境を一から作り上げていかないといけない学校は、本当に大変だと思います。逆に言えば、そういった環境を受け継いだり、最初から整えられていた指導者は、そこの苦労は少なくてすむわけです。指導者希望の選手は、どちらを狙うか、考えておいても損はないでしょう。

 読み物だけでなくデータも充実しています。<全国主要29大学・選手名鑑>では、関東以外で掲載する大学の数が増えたのだったと思います。もちろん、各大学20〜30選手の顔写真も掲載。何日か前に実業団駅伝公式ガイドの名鑑について書きましたが、この雑誌もここが重要。
 佐藤悠基選手は巻頭記事とは違って、眼鏡をかけて映っています。眼鏡をかけた同選手を初めて見たのは、1月の全国都道府県対抗男子駅伝か、3月の東海大でのインタビューのとき。
「伊達眼鏡?」と聞くと「違いますよ」と答えてくれました。


◆2007年10月3日(水)
 やっと、全日本実業団の陸マガ記事を書き終えました。
 久しぶりに、より専門誌らしい視点で書けたかな、という気がします。
 世界選手権代表がすんなり勝ったり、翌週のスーパー陸上で活躍しそうな選手は取り上げず、ちょっと違った角度で見て面白い選手・種目を優先しました。世界選手権代表にはなれなかったけど頑張っている選手や、復活してきた選手、2位でもちょっとした特徴のある選手等々。
 1m80の大台を突破した米津毎選手の記事も。同学年の藤沢潔香選手とのツーショット写真は掲載できなかったので、ここで紹介させていただきます。
 内輪ネタに近い感じで取り上げた選手もいます。陸マガの取引先の会社の選手が3位に入賞したのです。すぐには想像がつかないと思いますが、これは読んでみてのお楽しみということで。

 新婚の佐藤敦之選手ネタを書いたかどうかは、詳しいところは忘れました。佐藤選手のことは書きましたが、結婚ネタはたぶん書かなかったような気がします。
 今週末には、早大競走部の先輩である佐藤文康アナも挙式します。1年と4年で、同室だったこともあると聞いています。土曜日のスーパーサッカーで、その話題が出るかもしれません。


◆2007年10月4日(木)
 午前中は自宅で仕事。近藤高代選手の記事を13時頃に書き上げました。「キャラが立つ」という言葉は使わず、より具体性を持った言葉をキーワードにしました。
 14時頃に自宅を出て、新宿の作業部屋で出張準備。陸マガ編集部とも打ち合わせ。朝日新聞・小田記者に電話(これは午前中に)。神戸新聞・藤村記者にも電話。河野匡マラソン部長にも電話。国体後の出張が決まりました。どこに出張することになったのか、わかる人はニュータイプかも。

 17:56東京発の新幹線こまちで秋田に。移動中に神戸新聞・大原記者から携帯メールが入りました。
「大学駅伝2007」に、ようやく目を通しました。巻頭の竹沢のインタビュー記事だけでお釣りがきました。
 やはり兵庫県の選手の記事を最初に読むようです。嬉しいことを書いてくれますが、あれは竹澤選手が考えていることを文字にしただけ。竹澤選手がすごいのです。

 編集後記でも竹澤選手と渡辺康幸監督の“良い関係”について書きました。竹澤選手が報徳学園高OBで、渡辺監督が市船橋高OB。両校のOB同士が結婚しているというネタです。誰と誰が結婚したのか名前は出しませんでしたが、これはもちろん、伊東浩司・甲南大監督(報徳学園高)と鈴木博美さん(市船橋高)のこと。それについても、大原記者が書いてきました。
 元女子マラソン世界女王にして男子100m日本記録保持者の奥様、五輪&世界選手権の代表にして元スプリンターの女王の旦那さん、そしてノーリツの新監督と、見えない力に引き寄せられるようにイチフナの卒業生が神戸にやってこられます。不思議なものですね。
 鈴木博美さんと小島茂之選手、そして上野敬裕監督のことです。確かに、市船橋高OBと兵庫県とのつながりは深いですね。
 そのメールを見て寺田が思いだしたのは、小出義雄監督が市船橋高監督として同高を全国高校駅伝初優勝に導いた前の晩、当時の報徳高の監督だった鶴谷先生と飲み比べをした話です。「駅伝で勝つには、ここで負けるわけにはいかなかった」と、よくわからない理屈をご自身の著書に書かれていました。


◆2007年10月5日(金)
 秋田わか杉国体取材1日目。
 秋田は2回目。前回は陸マガ編集者だった頃に、インターハイ東北地区大会の取材で来ました。何年だったのかすぐには思い出せませんが、女子100 mHの茂木智子選手が2年生で、藤田あゆみ選手が3年生だった年です。ただ、そのときはたぶん、市内の八橋競技場だったと思います。今回は郊外の県立中央公園です。
 会場に着いて最初にお会いしたのが埼玉栄高&平成国際大監督の清田浩伸先生。ブログの更新も止まっていましたが、世界選手権で世界の壁の厚さを思い知らされて、かなり認識を改められたようです。でも、話をさせていただいた感じでは、いつものテンションに戻っていましたから、もう大丈夫だと思います。また、バリバリやってくれるはず。
 続いて合ったのが谷川聡選手と茂木選手。やっぱり、秋田といえば茂木選手でしょう。

 気象状況ですが、風が強かったですね。女子400 mはバックストレートが強い向かい風で、記録は望める状況ではありませんでした。少年の男子棒高跳も、高校新(5m41)をインターハイで跳んだ笹瀬弘樹選手の優勝記録は5m20。追い風のように見えましたが、実際は横風が強かったとのこと。100 mの準決勝などでも、追い風と向かい風の組がありました。気温は日中22〜23℃はあるのですが、この風が吹き続けるようだとやっかいですね。
 湿気がないので楽なのですが、日差しに直接当たっていると結構な暑さを感じます。寺田は秋用のジャケットを着込んでいましたが、読売新聞・大野記者はポロシャツ1枚。ポロシャツ記者として有名な毎日新聞・ISHIRO記者、朝日新聞・堀川記者への対抗意識があるのかもしれません。

 O村ライターに「寺田(明日香)さんを、寺田さんが取材するのは初めてですか?」と質問されましたが、昨年のインターハイでも取材をしています。レース後の共同取材なので、“寺田対寺田”ではありませんでしたが。
 ところが、今日は男子ハンマー投の高校新の取材と重なって、寺田明日香選手のコメントは聞けませんでした。ちょっと残念です。その代わりというわけではありませんが、弓田倫也選手の重心の低いターンについて、室伏重信先生のコメントを聞くことができました。
 笹瀬選手の取材も、念入りにできたと思います。ボックスから離れた位置から踏み切るのが同選手の特徴ですが、この点についてお父さんの笹瀬正樹先生から話を聞けましたし、澤野大地選手の踏み切り位置についても米倉照恭コーチから正確なデータを教えてもらいました。
 女子5000mの赤羽有紀子選手の話も興味深かったです。
 同種目では3位の那須川瑞穂選手にも話を聞きました。これは、那須川選手個人のことというより、アルゼについて。先々週の全日本実業団の女子長距離種目を見ていて、今年のアルゼはかなりやりそうだと感じていました。それで、チーム状況を聞かせてもらったのです。一昨年、昨年と本当に惜しいところで全日本実業団対抗女子駅伝出場を逃していますが、今年の充実ぶりからすると、全国大会初出場の可能性はかなり高そうです。

 印象的だったのは、女子砲丸投で2位となった美濃部貴衣選手(静岡・筑波大)の涙。卒業後は食品会社に就職することが決まっていて、全国大会は今国体が最後。筑波大競技会に出場する可能性はありますが、実質的には引退試合です。静岡県の先生方への感謝の気持ちを口にしている最中に、涙がこぼれました。これも、国体ならでは光景です。
 同選手の涙を見るのは今年3回目。最初は6月の日本インカレで、筑波大の女子総合の連勝が途切れたとき。キャプテンの美濃部選手は涙に暮れながらも、主将として部員たちに言葉を掛けていた姿が脳裏に焼き付いています。2度目はその数週間後の日本選手権。初めて15mの大台に乗せました(15m06)。
 そして、最後の全国大会の今回、2度目の15m台(15m02)を最終6回目の試技でマークしました。最後まできっちり練習していたのだと思います。彼女の3回の涙を見られたのは、同じ静岡県人として忘れられない思い出になりそうです。


◆2007年10月6日(土)
 秋田わか杉国体取材2日目。
 10時から行われた少年A男子やり投は東京の山崎信選手(東大和高)が70m11を6回目に投げて逆転優勝。70mの大台だったので、コメントを聞きにインタビュー・ルームに。東京は地方紙がないので、取材しているのは専門2誌だけ。邪魔をしないようにコメントを聞いていました。
 同選手のこれまでのベストはインターハイ南関東大会で出した67m16。インターハイ本番は直前の合宿で発熱が数日間続いた影響で、まったく良いところなし。南関東IH、国体と寺田が取材に行った大会で好記録が出ているわけです(6月17日の日記で触れています)。が、寺田がいたから記録が出たわけではありません。
 隣でインタビューを受けている2位の加藤拓也選手(福岡・自由ヶ丘高)の話も耳に入ってきました。ヒジの故障で1カ月間、投てき練習ができなかったと話していました。昨年のインターハイを2年生で制した逸材ですが、昨年の国体、今年のインターハイ、そして今大会と2位・4位・2位。最後の全国大会だけになんとか勝ちたかったはずでは……と思いを巡らしていましたが、今年は10月第3週に日本ジュニア選手権が残っています。

 今日の大きな話題の1つに、少年B男子200 mの同着優勝がありました。静岡の飯塚翔太選手(藤枝明誠高)と愛知の三輪将之選手(中京大中京高)が21秒71(−1.7)で着差なし。2人優勝となりました。ミックスドゾーンで仲良く記念撮影
 何度も書いていますが寺田は静岡県出身です。隣にいた中日スポーツ・寺西記者に「そういえば静岡と愛知は隣県じゃないか」と言うと、手を差し出してきます。「しょうがないなあ」と言ってこちらも手を差し出しました。それを見た報知新聞大阪の福谷記者(オリエンタルラジオの眼鏡の方に似ています)が「僕も愛知出身です」と言うので、同記者とも握手。スポーツは報道陣にも束の間の平和をもたらしました。
 しかし、直後に成年男女の100 mが続いたので、コメント取材はできませんでした。

 100 mを見るためにスタンドに行くと、筑波大・尾縣貢先生がISHIRO記者の隣にいらっしゃいました。「同着優勝といえば小野高校じゃないですか」と寺田。スーパー陸上でアスリートFMを聞かれた方は尾縣先生が兵庫県出身ということがわかったと思いますが、トンボのマークの名門・小野高校出身です。小野高校といえば、1977年のインターハイ男子800 mで、同高の榎本隆夫選手と金井豊選手(ロス五輪1万m7位)が同着優勝をしています。
 小野高校といえば、筑波大の大山先生も同高の出身。ちょっとすれ違った際に、美濃部貴衣選手の話をしました。具体的な内容は企業秘密。というか学内秘密。

 その後は男女100 m、特別賞授与式、そして少年A男子5000mと続きます。男子100 mは10秒23(+0.4)で優勝した塚原直貴選手を、女子100 mは高橋萌木子選手と北風沙織選手に割って入った和田麻希選手を、そして5000mはケニア勢にラスト勝負で勝った八木勇樹選手(表彰写真)を取材。直貴、麻希、勇樹と「○○キ」3選手を連続で取材しました。
 3人とも面白い話を聞くことができたので、記事にしたいとは思っています。実現するかどうかは微妙です。

 今日、忙しかったのが前述の中日スポーツ・寺西記者。三輪選手の次には少年B女子800 mで鈴木亜由子選手が2位、少年A男子800 mでは粟津良介選手が優勝。石川県もカバー地域なので、少年A女子400 mH優勝の西村藍選手も入念に取材していました。先週まではレスリングの世界選手権でアゼルバイジャンにいたのに、翌週はもう、この忙しさです。デスクに「それ見たことか」と言ういとまもなかったようです(これだけ読んで、なんのことか推測できる人はニュータイプでしょう)。


◆2007年10月7日(日)
 秋田わか杉国体取材3日目。
 今日は秋田と、棒高跳と、“引退”で盛り上がりました。カテゴリー別に書いた方が理解はしやすいのかもしれませんが、臨場感を出すため時系列順に、あるものは写真も一緒に紹介したいと思います。
 今日のタイムテーブルはちょっとだけ余裕があって、スタンドをあちこち移動しながら競技を見ていました。成年男子棒高跳は10時から始まっていて、笹瀬弘樹選手の特徴のことや、静岡県の棒高跳選手について関係者の話を、スタンドで聞きながら観戦(話を聞く相手の迷惑にならない範囲で)。前日本記録保持者の小林史明コーチから、今日が安田覚選手の引退試合だと聞きました。2人は同じ三重県出身で日体大の先輩後輩。花束贈呈シーンもあるとか。さっそく、情報を高野徹カメラマンに伝えに行きました。
 高野カメラマンと寺田はイニシャルがTTで同じですが、外見が実年齢よりもかなり若く見えるのも共通点。プレスルームの無線LANの電波が「wakasugi2」だとわかったとき、「若過ぎツー?」と指さし合いました。と書くと、陸マガ・スタッフは馬鹿ではないかと思われそうですが、馬鹿ではありません。たぶん。

 話を戻して安田選手引退の情報を伝えに行く途中、ミックスドゾーンの脇を通りかかると、成年女子100 mHの予選が終わって、一昨日の日記でも触れた茂木智子選手(秋田ゼロックス)が地元報道陣に囲まれていました。確かに地元の注目選手ではありますが、話がちょっと熱を帯びすぎている感じがします。もしやと思って近くにいた熊谷史子選手に確認したら、茂木選手も今大会がラスト・ハードルになるとのことでした。秋は、そういう時期なのです。

 トラック最初の決勝種目は少年共通男子5000mW。秋田の長岩大樹選手(秋田工高)が落ち着いたというか、クレバーなレース展開で優勝。地元優勝第一号ということで、スタンドも報道陣も沸き立ちました。しかし、当の長岩選手は今風の若者らしくないというか、まったくスタンドにアピールしません。競技役員にうながされてスタンドに手を振りましたが、表情はこの写真の通り。かなり、はにかんでいました。
 ミックスドゾーンのテレビインタビュー中も、あまりにも地元優勝者らしくないため、インタビュアーから「もっと喜んでいいんだよ」と言われるありさま。個人的には控えめな喜び方の選手は、その通りに報道して良いと思うのですが。

 棒高跳では静岡の鈴木崇文選手(東海大2年)が5m50をクリア。澤野大地選手以外のボウルターが5m50を跳んだのは、2003年の安田覚選手以来。その場では気づきませんでしたが、澤野選手がインタビュー中に何年かぶりだという点を指摘してくれました。有木選手がそのうち跳ぶだろうと思われていた高さですが、学生選手が先を越しました。
 澤野選手の学生記録へもあと2cm。来年からは笹瀬弘樹選手も学生になります。両インカレを制した川口直哉選手(筑波大2年)もいますから、誰が学生記録更新に一番乗り(という表現も変ですが)するのか、興味が持たれます。3人とも静岡県ですから、竹井秀行選手の静岡県記録(5m57)更新も、いずれは誰かがするでしょう。
 失敗したのは、鈴木選手が5m40を跳んだときに、スタンドの中段にいたこと。最前列近くには少年Aで優勝した笹瀬弘樹選手がいて、鈴木選手を祝福するシーンがあったのです。中段からズームで撮ろうとしたのですが、角度的に苦しくて失敗。笹瀬選手は4×100 mR予選に出場するため、そこでスタンドを立ち去ってしまいました。
 そのあとで最前列に移動。5m50を跳んだ後に、中年の男性とも握手するシーンがありました。お父さんの秀明さん(4m92の記録を持つ元ボウルター)と気づいたのですが、カメラの準備が間に合いませんでした。シャッターチャンスを逃し続け、ちょっと悔いが残る日です。

 棒高跳が終了する前に女子100 mH決勝が行われ、予想通りに石野真美選手が快勝。茂木選手は13秒92で4位。花束贈呈シーンにちょっと遅れましたが、何人もの関係者が渡していて、なんとか抑えることができました(写真)。
 間もなく棒高跳も終了。安田選手にも相当数の花束が渡されました(写真)。寺田の顔のすぐ側にあった花束のカードには、「美女軍団とこばやんより」と記されていて、最後にハートマーク。どうして美女軍団に小林史明コーチ1人が加わるのか理解できませんでしたが、この際、気にしないことにしましょう。
 ミックスドゾーンに移動してまずは安田選手に取材。7年前の日本選手権での負傷(競技中にポールがお尻に刺さってしまったケガ)の話題になったとき、安田選手が「まだ(手術したときの)糸が1本残っているんです」と話してくれました。わざと残してあるのかを確認しようと思って「どういう意図で?」と質問したところ、珍しく周囲の記者たちから非難の声が上がりませんでした。その場で、ライバルのO村ライターから、お褒めの言葉が出たのも嬉しかったですね。安田選手の陽気なキャラにも助けられていたような気がします。
 ただ1人、H川記者だけが引いていたようです。ふだんは、寺田のサイトですら紹介できないギャグを言っている人物なのですが。
 ちなみに、糸が残っているのに特に理由はないのだそうです。

 今日の棒高跳は安田選手、鈴木選手、澤野選手とコメントを聞きたい選手が3人もいました。聞けて2人までかな、と思いましたが、澤野選手のインタビュールーム入りが遅れたため、鈴木選手の話をある程度聞いてから、澤野選手の話も聞くことができました。運も良かったのですが、今大会のミックスドゾーン、インタビュールームの取材の仕切りは、かなり取材しやすいと思います。これまでの国体では一番という印象があります。
 さて、引退ネタは茂木選手と安田選手だけではありません。少年A男子ハンマー投に優勝した弓田倫也選手の技術について、投てき関係者に聞いてみようと思って成年男子ハンマー投が行われている第3コーナーのスタンドに行ったときのことです。静岡県チームのスタッフとして来ている砲丸投・榊原英裕選手の姿が目に入りました。今回は静岡県チーム・スタッフでもある奥村トレーナーから、同選手が11月の浜松中日カーニバルで引退すると聞いていたことを思い出しました。
 しばらくすると、筑波大の大山圭悟コーチもやってきて、榊原選手に話しかけています。昨年の日本選手権のときに本サイトでも紹介したように、2人は88年神戸インターハイにゆかりの深い選手。1年生優勝者と、3年生押し掛け補助員という立場でした(詳しくは2006年7月7日の日記参照)。
 このときばかりはシャッターチャンスを逃しませんでした(写真)。ちょっとはにかんだ(にやけた?)2人の表情からわかるように、ちゃんと断ってから撮影しています。

 少年A女子三段跳では奈良の前田和香選手(添上高)が大会新で優勝。初日の少年共通砲丸投の大谷優貴乃選手、2日目の同やり投の吉川麻里選手に続き、3日連続で添上高は優勝者を出しています。これはすごい!


◆2007年10月8日(月)
 秋田わか杉国体取材4日目。
 スーパー陸上に続いて雨となりました。雨男は誰とか、雨女は誰とかいう詮索はさておき、これでは記録は望めません。と決め込んでいたら大間違い。10時からの少年A110 mH予選で京都の中村仁選手(洛南高)が14秒27(+1.2)。スタンドに屋根がないので記者席のモニターで見ていたのですが(写真。後ろ姿はH川記者)、ビックリしました。準決勝は14秒28(−0.1)。ともに、コンディションが良ければ、14秒0台は出ていた走りです。
「雨でも晴れでも出せるものは出しとこう、という考えでした。準決勝も状況によっては記録を出そうと考えていました」
 そして決勝が14秒06(±0)の大会新。インターハイ(14秒02)に続き、13秒台には届きませんでしたが、2位に0.45秒差をつける圧勝。この頃はまだ雨が降ってはいましたが、スタンドで傘を差しながら見ていました。同選手を生で見たのは初めてですが(昨年の国体は途中で帰ったので)、1人だけ次元が違うという印象です。
 恨み言の1つも言いたくなるところですが、そういった後ろ向きな発言はいっさい、ありませんでした。
「13秒台にいつも、あと少しのところで届きません。晴れていたら出ていたとは思いません。小さなミスが多いからだと思います」
 プラス思考タイプの選手だと感じました。

 ところで、朝のシャトルバスは昨日と同じ時間に乗ったのですが、席の埋まり具合が半分以下。スタンドはガラガラかな、と思ったのですが、この写真の通り。これは昼頃で、もう少し時間がたつとさらに人で埋まって通路を傘を差して歩くのも難しい状況に。インターハイやインカレは関係者だけでスタンドが埋まるのですが(それで陸上界が盛り上がっていると勘違いしがち)、今回ははイケクミ人気なのか、一般観客の数が多かった気がします。
 記者たちも成年の女子走幅跳や男子やり投が始まると、記者室のモニターでの戦況確認は難しいと判断して、スタンドの記者席に。ここまで雨に打たれながら取材をしたのは初めてかも。

 本日最後までかかったのは成年男子走幅跳。品田直宏選手が7m82(+0.3)で優勝し、6月の日本インカレ(2位)に続き7m80台をマークしました。まだ最終戦(浜松中日カーニバル)を残していますが、高校時代のベスト記録である7m87(高校歴代2位)を更新できていません。しかし、8m台を出せる手応えも得ています。日本インカレ前に空中フォームをシザースに変え、日本選手権の失敗を分析した結果、補助助走をつけるようにしました。
 今季はスプリンターからジャンパーに意識を変え、前述の変更もジャンパーとしての技術変更です。自己新は出していませんが、飛躍が近いことを感じさせる今シーズンであり、国体だったと思います。高校3年時の国体は少年A100 mで優勝(北風沙織選手とアベック優勝でツーショット写真を撮らせてもらいました)。大学4年時は成年走幅跳で優勝。品田選手の変貌を示す2度目の国体優勝だったと思います。


◆2007年10月9日(火)
 秋田わか杉国体最終日取材。
 国体最終日は朝のトラック4種目のみ。これは例年のことです。

 成年男子3000mSCは岩水嘉孝選手が不出場で、栃木の菊池昌寿選手(亜大)が2000mからスパートして優勝しました。写真はスタート直後でナンバーHが菊池選手。その右側が2位の静岡・中川智博選手(スズキ)。菊池昌寿選手は昨日の出雲駅伝出場後に秋田入りしての出場だったと言います(堀川記者に教えてもらったのですが)。
 福島の菊池敦郎選手(順大)は6位で白河の関をはさんだ隣県コンビによるワンツーはなりませんでしたが、入賞者8人中6人を学生選手が占めました。3000mSCでこのパーセンテージは、かなり珍しいと思います。
 続く成年男子1500mは香川の佐藤健太選手(東京電力)が優勝。スローペースだったためタイムは3分54秒18でしたが、第一人者の小林史和選手に競り勝ちました。小林選手はややお疲れモードでしょうか。伏兵ともいえる選手の頑張りに力んだのかもしれません。中部実業団対抗駅伝あたりで話が聞けるでしょう。
 佐藤選手のベスト記録は3分48秒84。東日本実業団に3分49秒42で優勝しましたから、スローペースでの競り合いには強いタイプと想像されます。日本選手権、全日本実業団と優勝争いではなかったのですが、最後の直線で後退したといいます。“全日本”クラスの選手たちに圧倒されたのかもしれませんが、今回はそういった経験が生きて、本来の力を出せるようになった。というのは全部想像ですけど。

 成年少年共通女子4×100 mRは北海道が優勝。地元メディアと全国メディアが多数、コメントを聞いていました。インターハイや国体ではいつものことですが、北海道、福島、静岡の選手には地元メディアが多数、取材にかけつけます。反対に少ないのが、東京、千葉あたり。数は1社だけですけど強力なのが埼玉、長野、京都、兵庫、広島あたり。寺田が知っている範囲のことなので、正確なデータではありませんけど。
 寺田は引退する秋田の茂木智子選手を、地元メディアが取材している横で話を聞いていました。茂木選手は高校生が強くなっていることを強調。「私としては、本当に最後のレース。後輩たちに何かを残せたら、と思ってバトンをつなぎました」。観客が多数つめかけてくれたことに対しても「この競技場が、こんなに埋まることはありません。私のところ(2走)は向かい風でしたが、追い風で走れました」と感謝の意を表していました。
 最後に目が合ったので、「高校2年のインターハイ東北大会で取材したのを覚えていますか?」と聞こうかと迷いましたが、ちょっと野暮ったい質問です。「福島にいた頃も化粧をして走っていましたっけ?」と、自分でも予想外の言葉が口に出てしまいました。引退する選手というので、そういった“大人の部分”にこちらの意識が行ってしまったのかもしれません。
 茂木選手によれば秋田に戻って営業の仕事が中心になってから、会社から化粧をするように指示があったのだそうです。恩師の川本和久先生とも同じような会話をされたというので、あながち的はずれの質問でもなかったようです。そういえば茂木選手が福島大で練習をしていた当時、「200 mでも日本新を出せる」と川本先生が話していました。信岡沙希重選手が日本記録を出すちょっと前の頃だったと思います。

 男子4×100 mRは東京が優勝。成年の新井智之選手と少年の小林雄一選手が全国タイトル獲得選手ですし、他の2人も弱かったら国体のリレーを勝つことはできません。表彰で写真を念入りに撮りました。新井選手は昨年、取材に協力してもらった選手ですし。
 競技終了後はサブトラックの各県テント巡り。これも国体取材の慣習になっています。一番の楽しみかもしれません。そのなかですごいスクープがありました。最近、陸上界で密かなブームとなっている内藤真人選手の“まさちゃんポーズ”の由来を、知ることができたのです。そんなことだったとは!と絶句するような経緯でした。これは、寺田のサイトで紹介するのはもったいない。陸マガに載せてもらえるよう、高橋編集長に掛け合ってみます。
 そのほかのサブトラ取材の様子を含めて、明日にでも紹介したいと思います。


◆2007年10月10日(水)
<秋田国体の思い出・その1>
 昨日の日記の最後に書いた内藤真人選手の“まさちゃんポーズ”の由来のことですが、陸マガのデッドラインはどんなに頑張っても昨日いっぱい。今日の時点の情報を入れることはできませんでした。ということで、ここで紹介させていただきます。
 ご存じのように、内藤選手は法大出身。2学年上に為末大選手がいました。3年生の後半から復調した為末選手は学生の試合では連戦連勝。フィニッシュ後にスタンドの応援団に向けて、人差し指と中指を立てて(Vサインではなく2本の指をくっつける)手を振っていたようです。ちょっと気取ったポーズですが、確かにやっていたような記憶があります。
 そのポーズを内藤選手はなぜか、親指と人差し指を開いているように勘違いしてしまったのだそうです。真似てやっているつもりが、今のまさちゃんポーズの原形をやっていたわけです。誤解から生じたわけですが、今や、陸上界では知らない人はいない、とさえ言われているメジャーなポーズになりました。その元が為末選手だったというのが面白い点です。

 内藤選手にその話を教えてもらったのはサブトラック脇の愛知県テント前。国体はサブトラックの周囲を各県のテントがぐるりと取り囲んでいるのですが、今大会は脇の道に沿って並んでいました。愛知県のテントからさらに奥に進むと、香川県のテント前で北村智宏先生(英明高・山梨学大時代に800 mで1分48秒11)にお会いしました。チャンスとばかり、成年男子1500mに優勝した佐藤選手について、色々と話をさせてもらいました。
 津田高、神奈川大と長距離をやっていたということで、どちらかといえばハイペースになった方が力を発揮できるタイプだろう、というのが北村先生の見立てですが、昨日のレースからもわかるように最後の切れもあります。香川県は大森輝和選手、三津谷祐選手を生んだ県。“1500mも走れる長距離選手”が多いのかもしれません。
 などと話をしているうちに、寺田がはたと気づきました。香川県といえば跳躍の強豪県。棒高跳については今さら説明を要しませんが、走高跳の真鍋周平選手も同県出身ですし、女子走幅跳の桝見咲智子選手もそう。以前にも高松工芸高からインターハイ優勝者が出ていました。香川県の人はみんなバネがあるのではないか、という仮説が立てられます。心肺機能などが長距離向きの人間にもバネがある。だから、1500mも走れるのではないかと考えました。
 でも、よくよく考えてみたら、小林史和選手も学生時代は箱根駅伝中心でした。バネがどうこうではなく、やれば中距離も強いという選手が多く埋もれてしまっているだけなのかもしれません。

 今日は夕方まで自宅で仕事。明日から4日間(4泊5日)の出張に出ます。あれこれと連絡をとったり、確認しないといけないことが多かったのです。電話取材もどきも1本。


◆2007年10月11日(木)
 初めて関空に行きました。と言うと正確性に欠けますね。昨年12月のアジア大会取材の際、羽田発の関空経由でドバイ(→ドーハ)に行きましたから、トランジットでちょっとだけ居た経験はあります。正面から(?)乗り込んだのが、初めてということですが、空港の場合、飛行機で到着した場合が正面かも。という定義はどうでもよくて、何をしに行ったかというと、こちらに記事にもしたように、昆明合宿に出発する野口みずき選手の出国取材をするためです。

 新幹線から特急はるかに乗り換えて新大阪から約45分。14:32に関西国際空港に到着しました。セントレアと同様、ここも海の上に造られた空港です。空港取材は身軽な状態でないと対応できないことも多いので、コインロッカーに荷物を預けて出発カウンターに行きました。
 すると、もう数人の記者が集まっています。名古屋に本拠のある中日新聞&中日スポーツはともかく、大手新聞社・通信社は大阪の陸上競技担当記者が来るのが普通です。そのなかで、こちらの姿に気づいていち早く反応してくれたのが、中日スポーツ・寺西記者と、スポーツ報知大阪の福谷記者。寺西記者は石川県出身ですが今は愛知県在住。福谷記者は愛知県出身。6日の日記で紹介したように、国体少年B男子200 mで静岡と愛知が同着優勝となり、両記者とは固く握手をして、記者間に束の間の平和が訪れました。
 その余韻がまだ残っているのか、2人とも「わざわざ来たんですね」という歓迎ムードで迎えてくれました。これが「関西まで出しゃばってくるなよ」という対応だったら、束の間の平和が僅か1週間で崩壊するところでした。

 なんだかんだと話をしていましたが、愛知ゆかりの両記者だけに、内藤真人選手の“まさちゃんポーズ”の由来を早く知りたいようです。名古屋駅で停車中にアップした昨日の日記は、さすがにまだ読んでいなかったわけですね。そこで出た結論は、例え誰かのマネであっても、世間に広めた人間が評価される、ということです(内藤選手の場合、図らずもアレンジしています)。
 アメリカ大陸に最初に上陸したヨーロッパ人はコロンブスではないでしょう。多くの名もない人間が漂着したり、偶然にも上陸しているはずです。しかし、そこが新大陸だと認識し、歴史に名を刻んだのは、功績がヨーロッパ中に認められたコロンブスでした。
 元は為末大選手だったとはいえ、“まさちゃんポーズ”を今日のように広めたのは紛うことなく内藤真人選手の功績です。

 肝心の野口選手の取材ですが、きちんと時間をとってくれて、予想以上の内容を話してもらえました。関空まで来た甲斐がありました。
 しかし、どうしても「大金を使って来ているから頑張らないと」という意識が働いてしまいます。そういうとき、質問に力みが出てしまいがちです。新幹線の中で資料も読み込んで、これは野口選手の特徴だな、と思える点も頭の中に浮かんでいます。ただ、本人に質問するのはちょっと筋違いかな、と思えるものもありました。選手本人よりも指導者に聞いた方がいい類です。
 その質問が思わず口に出てしまいました。為末大選手のように、そういった質問にも面白い回答をしてくれる選手もいます。これは、同選手が自身で自身をコーチしているとという特殊事情が働いているせいかもしれません。そういった答えをあわよくば、と期待してしまっていたわけで、その辺でちょっと失敗がありました。
 ということもあり、記事にしたのは60%です。あとは、次号の陸マガなど、他のメディアで明らかに使えると判断した部分も、出さないでおきました。

 関空取材後は神戸に移動。明後日の土曜日に神戸女子長距離を取材し、日曜日にはエコパ(寺田の故郷の袋井市)で長距離記録会の取材。関西往復の経費で3つの取材を兼ねていたから、出張のゴーサインを出せたのです。どういう経緯で誰が誰に出したのか。その辺は複雑なので説明できませんが、最終的には自分で自分にサインを出しました。何事も自己責任ということです。
 エコパの記録会は松岡佑起選手と小野裕幸選手の順大コンビ、伊達秀晃選手と佐藤悠基選手の東海大コンビ、日体大・北村聡選手ら、学生陣がそうそうたる顔ぶれです。そこに徳本一善選手、岩井勇輝選手、岩水嘉孝選手、尾田賢典選手、そして佐藤秀和選手と実業団勢が加わります(静岡陸協にスタートリスト)。
 エコパにはあまり記者が集まらないのでは、と予測していましたが、関西の記者たちは大挙して行くようです。それもそのはず、小林祐梨子選手も女子5000mにエントリーしています。


◆2007年10月12日(金)
 今日はオフモード。神戸の休日と洒落込みました。本屋であれこれ雑誌や小説を手に取り、阪急電車に乗り、川面を見ながらカフェで本を読んで、猫を写真に撮って、という夢のような一日です。原稿も少し書きましたけど。

 休日モードだと陸上競技ネタがありません。せっかく神戸にいるので、神戸か兵庫で何かネタがないかと思案しましたが、頻繁に話題にさせていただいている地区なので簡単には思いつきません。いざとなったら国体のあのネタかな、などと思って阪急電車に乗っていると、甲南大の臙脂(えんじ)色の校舎が視界に入ってきました。小島初佳選手と某専門誌O川編集者がOBで、現在は伊東浩司氏が女子監督を務めています。
 いきなりアイデアが降ってきました。これぞ天啓。それは、朝原宣治選手が神戸(または兵庫県)の大学の監督になったら面白いのではないか、ということです。
 伊東監督も朝原選手も神戸が生んだスプリンター。ともに日本短距離史上に名を残す存在です。直接対決はほとんどありませんでしたが、両者を比べてどちらが上とは言えません。
 その2人が同じ地区の大学の監督同士となり、選手時代のよしみで対校戦をすることになって、サッカーのように神戸ダービーとか言われるようになる。そして毎年僅差の好勝負を展開する。もしも、朝原選手が監督となった大学が乙○○大という名前だったら、これぞ甲乙つけがたい存在になるのですが……神戸(兵庫県)に「乙」で始まる名前の大学はないのでしょうか?

 ここで注釈。朝原選手が引退を決めたとか、今後指導者になることを考えているとか、そういう情報があるわけではありません。国体の際に大阪ガス関係者に聞いたら、まだ何も決まっていないとのことでした。

 夜は知人と食事。最近の陸上界のことを酒の肴に盛り上がりましたが、ドーピングとか、暗い話題が多かったですね。陸上界に明るい話題って、最近何かありましたっけ? 東京国際女子マラソンについてアイデアも。ジョイス・スミス選手や佐々木七重選手、ワインホルト選手の名前も出ていましたが、どういった内容かは明かせません。


◆2007年10月13日(土)
 本日13:30から甲南大で伊東浩司監督、末續慎吾選手らも参加した生涯スポーツに関するシンポジウムがあると昨日聞きました。神戸滞在中にこのようなイベントがあるのは天の計らい。頭の部分だけでも聞きに行こうかとも考えましたが、せいぜい30分程度しか会場にいることができない計算です。ここはスパっとあきらめてユニバー記念競技場に。15時過ぎに到着しました。
 ユニバー競技場は例年の兵庫リレーカーニバル、昨年の日本選手権&国体会場ですが、雰囲気はまったく違います。取材規制もインフィールドこそ緑ゼッケン着用ということになっていますが、それ以外はフリー。ユニバー競技場にしては緊張感がないかな、という印象です。
 これはもちろん取材環境の話であって、選手たちは真剣そのもの。インターハイや国体ほどではないにしろ、この大会の成績次第で、駅伝メンバー入りが左右されるポジションの選手もいます。

 地元の強豪・西脇工高も、国体に出場した八木勇樹選手(少年A5000m優勝)と志方文典選手(少年B3000m3位)を除き、主だった顔ぶれは全国高校5000mの部に出場していたようです。西脇工高のメンバーを正確に把握していませんが、そのような話を聞きました。1000m毎の通過は以下の通り。
2分55秒
5分51秒
8分48秒
11分39秒
14分24秒27

 この写真のように西脇工高勢が1〜4位を独占。14分20秒台が2人と14分30秒台が2人。前述のように八木、志方両選手が加わります。トラックのタイムで決まるわけではないとはいえ、駅伝はかなり強そうです。
 話を聞かせてもらったのが優勝した2年生の福士優太朗選手。2年前の全日中優勝者で、3000mは中学歴代2位の記録を持つ選手。中学は静岡県です。同県出身だからといって特別な思いを持って取材をすることはいっさいありませんが、将来的に記事にする可能性も大きいので、この機を逃さずに話を聞かせてもらいました。
 福士選手は西脇工高入学後は大きなケガを4回してしまい、インターハイ路線も高校駅伝も出場していません。しかし、ここにきて各種駅伝やトラックで安定した走りを見せるようになり、八木選手もその潜在力を高く買っていると地元記者から聞きました。

 駅伝への抱負も話してくれましたが、これは専門誌などに載ると思います。ここでは、福士選手の来年のトラックへの意気込みを紹介しましょう。
「中学の時に競っていた選手だけでなく、自分が知らない選手もどんどん上がってきています。来年は負けないようにしたいし、記録的には兵庫県高校記録(13分45秒86=北村聡)を破りたいですね」
 こういった選手を取材することができるのが、こうした大会に足を運ぶメリットです。

 今日の取材で“すごいぞユニバー競技場”と思ったのは、記録の発表がものすごく速いこと。この写真を見てください。1位選手のフィニッシュから1分ちょっとで、もう7位まで表示されています。地元記者の話では、ビッグイベントの続いた昨年から導入したシステムとか。記録がわからずに取材が進められない、ということがなくなります。
 と書いていて思いついたのですが、日本選手権とインターハイと国体の3つを開催している競技場って、他にありましったっけ? と書いていて思いついたのですが、長居もそうですね。

 女子5000mはラップを計測しながら写真も撮りたかったので、第3コーナーで取材。絹川愛選手が突然倒れたのが第1コーナー。ちょっと目を離した瞬間のアクシデントで、何が起きたのかを理解するまで数秒かかりました。すぐに第1コーナーに移動。絹川選手は医務室へ。こういうとき、取材をどう続けるか迷います。渡辺先生があとで取材対応をしてくれると兵庫陸協を通じて明言してくれたので、レース取材を続けました。
 レース後は嶋原清子選手と小崎まり選手のコメント取材。これを第4コーナーで。その後に渡辺先生と絹川選手をと思っていましたが、すでに第1コーナーのスタンド裏で始まっていて、途中から合流しました。


◆2007年10月14日(日)
 朝の10時に三ノ宮のホテルをチェックアウトして、阪神電車で梅田に。途中、関西の高級住宅地の芦屋に停車しました。どんなセレブな人々が乗ってくるのかと興味津々。どのくらい津々なのかというと、山内健次選手(兵庫の生んだ名スプリンター)の82年の21秒13(兵庫県新&高校新)と同じくらいか、新井初佳選手(現姓・小島)の99年の11秒45(兵庫県新&日本新)と同じくらいです。菅原新選手(クレーマージャパン)の自己新にも興味がありますが。
 しかし、乗ってきた人々はいたって普通。それほどセレブという感じは受けませんでした。どうもイメージばかりが先行しているようです。
 間もなく尼崎にも停車。こちらは、芦屋とは逆のイメージがあるのですが(国体で関西の記者にそう聞きました)、これも乗ってきた人々は普通です……と思っていたら、1人、めちゃくちゃ話し方の汚い兄ちゃんがいました。一緒にいる女性に話しているのに、威張りくさっていて、聞いているだけで腹立たしくなります。
 男性が汚い使い方をすると、関西弁はきつくなりますね。女性がたおやかに使うと、とても良い雰囲気なのですが。先日の国体で、女子1万mWに日本新を出した小西祥子選手の話を聞かせてもらいましたが、本当に綺麗な関西弁でした。男性でも、A日新聞・K重デスクの関西弁とか、穏やかな話し方で評判が高いのですが。

 などと関西弁の考察をしているういちに梅田駅に。新大阪から新幹線に乗り、原稿を書きながら移動。岐阜羽島駅を過ぎたらお弁当を食べ、浜松駅で東海道線に乗り換え。
 東海道線の車内で「寺田さん」と呼び止められました。記者仲間だろうと思って振り向くと、オリエンタルラジオの藤森でした。TBS深夜の「オビラジ」に、世界陸上を担当した出水アナと一緒に出演しています。彼女のプライベートを詮索しようと質問しましたが、その辺は業界人同士。口が堅くて何も教えてくれませんでした。
 エコパの最寄り駅である愛野で降りると、中日スポーツ・寺西記者の姿も。相変わらずダークスーツを着ています。取材用の荷物を持っている姿は、足を使って事件を解決するタイプの刑事が、地方の駅に降り立ったところという風情でした(一応、二枚目です)。
 そのときになって初めて、オリエンタルラジオの藤森と思っていた人物が、報知新聞大阪の福谷記者だと気づきました。この2人(写真)と寺田が揃えば、日記のネタにするしかありません。これはもう、運命のようなもの。エコパまでの道すがら寺西記者をいじる新たなネタを話して、そのうち使う了承を得ました。
 途中で地元のお祭りの屋台(お祭りの山車のことを遠州地方では屋台と言います)に出くわしたので、カメラに収めました。
つづく
 エコパはいつ以来でしょうか。パッと思い浮かぶのは、2003年10月の静岡国体です。その年は7月の静岡県選手権にも取材に来ましたっけ。森千夏さんが表彰を待つ間に、当時高校3年生だった美濃部貴衣選手に手取り足取りアドバイスをしていたことを思い出しました。04年以降にも何かの取材で一度来ています。
 今回は静岡県強化記録会ということで、報道対応がどこまでされているか不安でした。4泊出張の途中ですし、この大会はカメラ取材も兼ねているので荷物が多いのです。幸い、これは杞憂に終わりました。部屋が1つ報道陣用にキープされていて、荷物も置ければパソコンを叩くためのテーブルもあります。さすが静岡陸協。
 K監督へのインタビュー取材も、他の記者がレース前のネタ拾いで部屋を空けている間にすることができました。もしも、その辺を気遣って他の記者が部屋に入らなかったのなら、この場を借りてお詫びしないといけません。

 小林祐梨子選手(写真)の出場した女子5000mと、U23強化対象選手を中心にトップ選手が多数出た男子1万m最終組は、カメラ取材とラップ計測でてんてこまい。女子5000mは昨日の神戸女子選抜長距離と同様に、第3コーナーで撮影&計測。男子1万mはスタート地点とフィニッシュ地点が同じですから当然、第1コーナーで撮影&計測……と思ったら、トラックの周りは人がいっぱいでできません。朝日新聞・堀川記者が、タイマーの横がいいとアドバイスをしてくれました。確かに、それが最善の方法です。
 ただ、タイマーのすぐ近くだと、見る角度によってはタイムを隠してしまうことになるので、ちょっと離れた場所に陣取りました。トラックでは、インターハイ優勝校監督の杉井先生が、選手たちを2列(3列?)に並べています。今大会は通常のナンバーカードはなく、腰ゼッケンのみでした(写真)。
 スタート前には世界ロードの結果もアナウンスされました。佐藤敦之選手が60分25秒のアジア新&日本新です。高橋健一選手のあの記録を破るというのは、本当にすごいことです。どのくらいすごいかということを書いていると長くなるので、これは機会を改めます。

 19:50にスタート。いざレースが始まって大変なことに気づきました。普段は何人もインフィールドにいるカメラマンが、今日は寺田1人しかいないのです。トラックレースしかないため、テントや投てきネットもありません。何もない舞台にただ1人で立っている感じなのです。
 その一方で、トラックの外側には一般ギャラリーが押し掛けています(関係者が多かったと思いますが)。よっぽど、トラックの外に出ようかと思いましたが、そこが取材のベストポジションであることは間違いありません。
 小心者にはきつい状況でしたが、「これは仕事なんだ」と言い聞かせて続行。写真を撮ったらすぐにカメラを置き、今度はストップウォッチを押し、すぐにノートにメモを取る記者の姿が、観客たちにはかなりマニアックに映った可能性があります。そんな記者の姿など気にせず、選手たちを見続けてくれたことを願うばかりです。

 女子5000mの記事は時間があったら書きます(ちょっと厳しそう)。佐藤悠基選手が27分51秒65の学生歴代4位(瀬古利彦選手の記録にも0.04秒と迫りました)をマーク。すぐに気づいたのが、上位3人が全員早大の選手で、全部が海外のレースで出た記録だということ。国内レースでは日本人学生最高です。大崎栄コーチの自己ベスト(27分57秒02=95年)を上回ったことは、同コーチから聞かされて初めて気づきました。
 詳しくは記事にしましたが、この日記でも紹介したいネタがあります。もちろん静岡ネタです。何度も書いていますが佐藤悠基選手は中学までは静岡県で活躍していました。今大会には久しぶりにご両親が応援に来ていたといいます。
 そこで思いついたのが、自身の出身県で27分台を出した選手がいるのかどうか、ということ。そこまでマニアックなことを考えるのは、M社長と寺田くらいしかいないでしょう。
 27分台は全パフォーマンスをデータベースにしているので、簡単に調べることができます(高岡寿成選手が10回目の27分台を出すかと期待した、数年前の八王子ロングディスタンスの前日に整理しました)。佐藤選手が初めてだろうという仮説を立てて検証したわけですが、過去に1人だけいました。その選手は……誰かわかった方はメールをください。


◆2007年10月20日(土)
 箱根駅伝予選会(立川)と日体大長距離競技会(横浜)を梯子取材。キーワードは今日も“兵庫”でした。長崎は今日も雨……じゃなくて、九州一周駅伝で日間トップとなりました。山梨学大OBの黒木純・三菱重工長崎監督が頑張った……という言い方も間違いではないでしょう。

 箱根駅伝予選会は山梨学大3年のモグス選手が圧倒的な強さを見せました。陸マガの取材は中央学大、城西大、大東大、法大の4校が担当。中央学大がトップ通過で城西大が2位、法大は予選落ちの危機との下馬評でしたが9位とギリギリのところで踏みとどまりました。ネタの多い大学ばかり。日本人トップもその選手の大学担当者が書くことになっているので、まずまずの取材量になります。
 レース直後に取材ができる部分は限られていて(個人の日本人1位選手くらい)、ほとんどはチーム順位が発表されてから。記憶が正しければ、陸マガに予選会記事を書くのはフリーになってからは初めて。立川開催になってからも初めてということです。昭和記念公園は各大学の拠点があちこちに分かれているので、その場所を探すのにまず苦労します。都道府県のテントがナンバーの順番になっている国体のように、ゼッケン順に並んでいたら楽なのですが。どの記者、カメラマンも大変だと言います。来年は主要大学拠点マップを作成し、1枚500円で売ろうかと考えています。

 フリーになってから初めてというのは、大井埠頭で行われていた頃は編集者として担当したような覚えがありますが、当時は予選会をそれほど大きく扱っていませんでした。雰囲気も今とはまったく違いました。今のように“通った”“落ちた”でそれほど大騒ぎをしませんでした。と、書くと当時の当事者の方から「オレたちは今の選手と同じくらいに箱根駅伝に懸けていた」とクレームが来そうですが、客観的に言わせてもらえば今とは違ったと思います。と、たまには断言。
 とにかく、それほど多くの取材をした大会ではなかったわけで、今日が予選会としては最もプレッシャーのかかる取材だったということです。

 レース終了後にまずは木原真佐人選手の話を聞こうと中央学大を探していると、コニカミノルタのスタッフ3人(酒井監督、佐藤ヘッドコーチ、大島コーチ)とお会いしました。大島コーチが「ウチの坪田でしょ?」と言ってきます。14日の日記で佐藤悠基選手の他に、出身地の大会で27分台で走った選手は誰か、というクイズを出していました。もちろん坪田選手で正解です。兵庫県の神戸甲北高出身。2002年の兵庫リレーカーニバルで27分51秒85を出しました。
 木原選手も兵庫県出身(報徳学園高)です。中央学大は川崎監督も報徳学園で、篠藤主将も兵庫県出身。この3人に話を聞きました。
 順位が発表されて城西大。発表直後は応援団に挨拶をしていることが多いのですが、今日の城西大もそうでした。その間に大東大を探しましたが、大東大も同様に挨拶の最中。順位が上の城西大の挨拶が終わるのを待ちました。高橋優太選手と櫛部静二コーチのコメントを取材。この写真は、早大で同期の武井隆次エスビー食品監督と、競走部の先輩である読売新聞・近藤記者とのスリーショット。近藤記者の代わりに上武大・花田勝彦監督だったら同学年トリオになるのですが、そこは花のある記者ということで。赤いベストを着ていますが、近藤記者は還暦(60歳)ではありません。還暦はちゃんちゃんこか。

 城西大の取材終了後に大東大をと思っていたのですが、すでにかなりの時間が過ぎていて解散後でした。大東大を探しつつ、法大も探していたところ、法大の拠点を見つけることができました。成田監督のところに行くと「遅いよ」と取り巻きの人たちから声がかかります(面識のある人たちです)。伝統校のギリギリ通過ということで、すでにいくつものメディアが成田監督の話を聞きに来た後だったのでしょう。
 そういうときはもう、謝って再度のコメントをお願いするしかありません。これが陸上記者最大の小心者と言われる寺田にはきついのですが、仕事ですからやるしかない。幸いにもモナコ(もなか?)仲間の読売新聞・大野記者も合流してきました。コメントを必要としている記者が他にもいるということになれば、1人だけのためではなく、複数の社のためにお願いします、ということになるので、こちらも少し気が楽になります。
 成田監督の話を聞いている最中に、帝京大・中野監督が近くに来られたので、担当外チームでしたが色々と話を聞かせていただきました。これは、将来役に立つことです。中野監督から突っ込まれたので、今日考えていたジョークも披露できました。ここには書きませんけど。
<日体大長距離競技会取材編>につづく、はず

 レースのフィニッシュは9:30ですが、取材は12時頃までかかりました。記録を集めて12:15頃に昭和記念公園を後にして、いったん多摩市の自宅に。3時間ほど休憩できました。その間に食事と仮眠(今朝は5:30起床)をして体力の回復をはかり、本サイトの予選会記事を書きました。
 18時少し前に日体大に到着。次のレースは男子1万mの強い方から2番目の組。大崎悟史選手が世界選手権後の初レースでした。ナイターですからカメラ取材が大変なのですが、1万mなら25周。その間に、色々と試すことができます。
 寺田のレンズはプロのカメラマンたちが使うレンズよりも、絞りの数値が若干暗いので、一脚を使用してシャッタースピードを遅くして、その影響が出にくい角度から撮影して、という工夫が必要なのです。80万円くらい投資すれば、中古なら明るいレンズが購入できますが、そこまでの予算は残念ながらとれません。その辺は、ライターという本業とバランスをとって考えていくしかない。

 男子800 mの最後から2番目の組のレース中に大崎選手にパッと話を聞き、佐藤光浩選手が出場する男子800 m最終組の取材に。これがすごいレースでした。慶応ボーイの横田真人選手が1分47秒90と自身のセカンド記録で1位。口野武史選手、宮崎輝選手の日体大コンビが1分47秒95と1分47秒96。口野選手もセカンド記録。同一レースで3人が1分47秒台を出したのは史上初めてです。2002年の記録集計号で1分48秒未満の全パフォーマンスが調べられたので、間違いありません。
 ただ、日本の800 m史上最高レベルかといったら、そうではありません。日本記録保持者の小野友誠選手と近野義人選手が競り合った1994年に、2人が1分46秒台を出したレースが2回あります。
 しかし、今回のレースでは7位の佐藤光浩選手まで、7人が1分40秒台をマークしています。完全に調べることはできませんが、これも間違いなく史上最多人数でしょう。選手層は厚くなっています。
 そして、佐藤光浩選手です。1分49秒75は間違いなく初800 mの日本最高記録だろうと思っていたら、大学1年のときに一度走っているのだそうです。1分55秒台だったとのこと。ただ、1分40秒台で走った選手の400 mの記録でいえば、佐藤光浩選手の45秒50は苅部俊二選手(800 mは1分48秒04)の45秒57を抜いて、過去最高記録ということになります。

 さて、なかなか兵庫ネタが出てきませんが、それはもちろん1万m最終組での話題です。中山卓也選手(須磨学園高)が28分48秒08の高校歴代6位で走りました。レース後は同高の山口哲先生に話を聞かせてもらいました。非常に謙虚な内容で、謙遜しているのかな、と感じましたが、竹澤健介選手にも共通して感じられる部分です。山口先生は報徳学園高出身。竹澤選手も報徳高OB。同高の鶴谷先生や、西脇工高・渡辺公二先生とも共通した考え方でしょうか。具体的に書けなくて申し訳ないのですが、兵庫スタイルといえるものなのかもしれません。
 その山口先生が直前の800 mを見ていて、「すごかったですね。小野の日本記録が破られるのではないかと思いました」という感想を口にされました。そこで、直前のシーンが脳裏によみがえりました。早大・渡辺康幸監督が山口先生と話していたのですが、お互いの話し方がちょっとひっかかっていたのです。
 山口先生が法大出身という記事も、どこかで読んだ記憶がありました。小野選手との学年関係を確認すると、案の定、同学年でした。つまり、1991年の静岡インターハイの年に高校3年生。渡辺康幸監督とも同学年で、それで2人の話し方が通常と少し違ったのでしょう。以前に、諏訪利成選手とTBS佐藤文康アナ(早大競走部OB)の話し方に違和感があって、後から同学年と知って納得したことがありました。
 山口先生は法大で磯松大輔選手とも同学年。「鶴谷先生の教えと、学生時代に彼らから受けた刺激」が大きな財産となっているそうです。

 取材も終わって青葉台駅に着いたところで、神戸新聞の元陸上競技担当の大原記者から携帯メールが届きました。
「あっぱれ、木原! 箱根予選会個人100位以内に兵庫県内の中学、高校出身者が少なくとも13人います。すごいぞ!」
 それに対して寺田が、
「中山も日体大で28分48秒。兵庫県高校歴代?位」
 と返しました。すると大原記者から
「北村の28分55秒49を破る兵庫高校新記録です!」
 と再返信。その後、現陸上競技担当の藤村記者と何度かやりとりをして、神戸新聞に記事が載ることになりました。ただ、その場で兵庫県高校新と気づかなかったのは失態です。北村聡選手の姿も見かけましたし、気づいていれば対応が違っていました。少し悔いが残ります。


◆2007年10月21日(日)
 連日の梯子取材。今日は実業団・学生対抗(平塚)と日体大長距離競技会(横浜)です。
 実業団・学生対抗の観客は……多かったのか少なかったのか判断する材料はありませんが、スタンド裏の売店はオープンしていて、うどんを食べることができました。平塚競技場の近くのコンビニがなくなったらしく、昼食を食べられない危機だったので、これは助かりました。ただ、同じように空腹を訴えていた読売新聞・S記者は、関西から東京に転勤したばかりで、汁の味に慣れていなかったようです。

 関西といえば、内記正裕選手(立命大)が好調です。今大会では46秒82で2位。堀籠佳宏選手に0.06秒差と迫りました。雨だった9月のスーパー陸上で日本人トップとなり、やはり雨の国体で46秒67(3位)の自己新。内記選手自身は「スーパー陸上の方がビックリしたし、嬉しかった」と言います。今季は46秒台が4回目。「目標を持って取り組めるようになったし、練習の目的なども自分で考えられるようになった」と、好調の要因を自己分析してくれました。4×400 mRでのラップのベストは大学3年時の45秒6。今でも46秒台前半は出せそうです。
 内記選手といえば2年前(大学3年)も秋シーズンに好調で、日本学生チャンピオンシップに優勝。“ナイキ”という名前が珍しくて一度話を聞いたことがありました。当時は別のメーカーでしたが、その活躍がきっかけでナイキからシューズの提供を受けることになったそうです。
 しかし、昨年の関西インカレで大きなケガをして、「シーズンを棒に振ってしまいました。もう1年競技をやりたい」と、留年をして今季に懸けてきました。就職は陸上部のある会社に決まっているようですが、時間的な優遇を受けられるかどうかは11月に決まるとのこと。浪人や留年を勧めるわけではありませんが、そこまでするということは、それだけの覚悟で競技に取り組んでいるということです。

 平塚で行われる競技会では毎年、“ミス平塚”が表彰に彩りを添えています。いつも写真を撮りたいと思うのですが、小心者はなかなかお願いができません。その願いが今日、やっとかないました。男子走高跳の表彰台の面々が、ミス平塚に一緒に撮りたいと申し出たのです……そうだったと記憶しています。写真は野村智宏選手のブログに掲載されていますので、興味のある方はこちらをご覧ください。

 実学の取材終了後、知人の車に同乗させてもらって日体大に。箱根駅伝でいえば2区・3区の2区間分の移動。コースはかなり違います?
 今日の目玉は3000mの小林祐梨子選手です。先週のエコパ取材の際に長谷川先生から、5000mよりも3000mの方が可能性があると聞いていたのです(5000mのレース前でした)。小林選手の自己記録が8分52秒33で、福士加代子選手のジュニア日本記録が8分52秒3。自己記録更新=ジュニア日本新と言って良いケースです。
 今回も第3コーナーのインフィールドに陣取って、写真撮影&ラップタイムの計測。エコパと同様人目につきやすい位置です。1000m通過は第1コーナーなので、見やすいアングルに行こうと第2コーナー方向に移動していると、玉川大・山下監督に見つかってしまいました。仕事ですから、仕方ありません。ただ、エコパの時ほど恥ずかしさを感じませんでした。おそらく、インフィールドに何人か人がいたのだと思います。

 しかし、今日は取材陣の数はエコパとは対照的に少なく、某専門誌の3人と寺田だけ。8分54秒52とジュニア日本記録更新はなりませんでしたが、強行軍を強行した価値はありました。頑張ってラップタイムを計測したことで、その価値が鮮明になったと思います。
 400 m毎と1000m毎の通過は以下の通り(寺田計測)。
距離 通過 400m毎
400 01:11.4 01:11.4
800 02:22.0 01:10.6
1200 03:32.3 01:10.3
1600 04:41.5 01:09.2
2000 05:52.1 01:10.6
2400 07:05.7 01:13.6
2800 08:19.2 01:13.5
3000 08:54.52 00:35.3
距離 通過 スプリット
1000 02:56.8 02:56.8
2000 05:52.1 02:55.3
3000 08:54.52 03:02.4

 小林選手によれば8分52秒33(05年)のときは1000mが2分59秒、2000mが5分57秒の通過だったそうです。8分52秒77(06年)のときは1500m通過が4分26秒。今日の1500mは上記ラップから4分24秒台と推定できます。フィレス選手に引っ張られる展開でしたが、速いリズムが戻ってきたと長谷川先生も話していました。
 レース後は男子5000mのレースが続きましたが、その間に小林選手のコメントを取材。一段落したところで、知人がカップヌードルを差し入れてくれました。その後で日清食品・白水監督を取材。面白い話を聞くことができました。日清食品の記事は地区実業団駅伝後にもう一度取材をして、実業団駅伝公式ガイドに書く予定です。


◆2007年10月27日(土)
 午前中(といっても昼近く)に電話取材を1本。
 実は昨日も重要な電話取材ががありました。某強豪チームの監督と藤田敦史選手。藤田選手には福岡国際マラソンへ向けての抱負・意気込みを取材させてもらったのですが、話のほとんどは伊豆大島の猫の話題でした。というのは冗談ですが、ブログをリンクさせてもらう了解をもらいました。競技のことよりも日常生活や、個人的に思うところを綴っているとのこと。「史庵」というネーミングが良いですね。

 今日は電話取材の後、日産スタジアムへ。ジュニアオリンピックと日本選手権リレーが開催されています。日本選手権の4×100 mR決勝の少し前に着きました。某専門誌E本編集者から「どうして日本選手権リレーの決勝だけなんですか」と質(ただ)されて、答えに窮してしまいました。E本編集者は関西人(和歌山県出身)ということもあり、オチをつけるというか、気の利いた返事をしないといけない、と考えてしまうのです。
 と書くと専門誌スタッフは適当に仕事をしていると思われてしまいますが、そうではありません。自分の方が取材中に余裕があることを示し、相手にプレッシャーを掛け合っているのです。去年のアジア大会など、お互いに消耗しました。
 今日はどうしてもオチが思いつかなかったので、正直に「電話取材があったから」と答えました。きっと、記事でも勝てません。と思いましたが、考えてみたら日本選手権&ジュニアオリンピックは、陸マガの仕事はしていませんでした。日産スタジアムに来た目的は、某選手に打診したいことがあったからです。
 甲南大OBのO川編集者からは、14日の日記の内容に訂正が入りました。阪神電車の芦屋でセレブな人たちが乗ってくると思っていた話ですが、本当にセレブなのは阪急電車沿線の芦屋なのだそうです。暗に「オレの関西弁も評判がいいぞ」とアピールしたいらしいのですが、ただでさえ“二枚目編集者”と書いて一部から抗議が出ているので、そこは控えたいと思います。

 さて、肝心の競技の方ですが、雨と風が強く選手たちには気の毒としか言いようのないコンディションでした。時間が遅くなるにつれて、激しさを増していきます(写真1 写真2)。4×400 mRの予選は本当に悲惨な状況でした。帰りに小机の駅まで歩きましたが、傘をさして歩けないほど。ビショビショに濡れて横浜線に乗り込みました。
 普段は巨大スタジアムでの陸上競技開催に反対している寺田ですが、こういう条件のときは巨大スタジアムが役立ちます。日産スタジアムは2階と3階のスタンド裏に各県選手団は拠点があります(ジュニアオリンピックは県単位の拠点になっています)。そこは、しっかりと雨をしのげる構造です。雨天時には、これほど便利な競技場はありません。

 しかし、グラウンドでの雨風はどうしようもありません。そのなかで女子4×100 mRでは45秒台を3チームが出しました写真は左から2位・福島大、1位・ナチュリル、3位・日体大)。同一レースで3チームが45秒台を出したことは過去、あったのかどうか。1・2位が同一監督のチームという点が特筆されるレースでしたが、3位の日体大は前日の準決勝で45秒61の日体大新記録。メンバーを見ると、2走の河原崎選手以外は、それほど高校時代は強くなかったと思われます。日体大の健闘も光ったレースでした。
 それにしても佐賀インターハイ、スーパー陸上、国体と今年は荒天続き。良いコンディションでやらせてあげたいし、記録も出させてあげたい。この時期に記録を出せば、来年への自信が違ってきますし、冬期練習のモチベーションも違ってきます。でも、本当に天気ばかりはどうしようもありません。記録が出なくても、選手はこのレベルにある、という判断をして冬期練習に入るしかないでしょう。


◆2007年10月28日(日)
 日本選手権リレーの最終日です。
 最初にスタンド裏の各チーム拠点巡り。福島県選手団の拠点に用事がありましたし、日体大の水野監督にも話を聞きたかったのです。福島県の先生はさすがに忙しいのか、拠点になかなか戻って来られない様子。あきらめて、日体大の拠点を探しに行きました。各大学の拠点はおそらく第*コーナーに集中していると予測。************だからというのが根拠でしたが大正解。フロアは違いますが早大、福島大、日体大とありました。

 水野監督にはまず、昨日の女子4×100 mRの話をうかがいました。この時点では、同一レースで3チーム45秒台は史上初めてかもしれないと考えていたのです。話を聞いて日体大の強さが明確になりました。昨日書いた記事で来年以降、北海道ハイテクや龍谷大も強くなりそうと書きましたが、その前に日体大ですね。打倒・福島大の有力候補です。
 その時点では日体大の男子4×400 mR優勝までは想定していませんでしたが、水野監督からはそちらのネタも教えていただきました。
 寺田にとってはトラック&フィールド取材の最終日。ずっと気になっていた佐分慎弥選手のことも聞きました。今年は結局、いいところがありませんでした。レースのスピードを上げる局面、踏ん張る局面など“ここで”というところでケガを怖がってしまうクセがついてしまっているそうです。

 ジュニアオリンピックはそれほど取材をするつもりはなかったのですが(どこかで線を引かないと仕事が…)、好記録が出たり、話題となるネタがあるとついつい顔を出してしまいます。Aクラス男子400 mでは全日中優勝の小栗良太選手をはじめ静岡県勢が3人も出ています。水濠あたりのスタンドにいたのですが、ついつい写真を撮ってしまいました。小栗選手が優勝して、大石選手が2位と静岡勢がワンツー。記録も49秒14と49秒33で、中学歴代10位台前半。ついついインタビューにも顔を出してしまいました。専門誌取材陣の邪魔をしてはいけないので、質問はよっぽど間が生じたときにしかしませんが。
 今大会のプレゼンターは日本のトップ選手たちが務めています。今日は室伏由佳選手と成迫健児選手、そして塚原直貴選手。ミズノにはお世話になっているので、挨拶に顔を出すと先ほどの400 m3選手がサインをもらっていました。3位入賞者はその特典が認められていたのです(これがそのときの写真)。
 3人の進学希望先の高校を聞くと、これがなかなか面白いのですが、進学・就職ネタはここでは書かないようにしています。ヨソでも書きませんが。
 室伏選手にはハワイで猫は撮らなかったのかを質問。見かけたそうですが、撮る前に逃げられたようです。ハニカット陽子選手、藤田敦史選手と陸上界には猫派が多いのです。

 今日は兄弟ネタも2つありました。Aクラス男子3000mは双子の市田兄弟が全日中に続いてワンツー。記録も2人とも8分26秒台で中学歴代4、5位とハイレベル。この種目も思わず、インタビューに顔を出してしまいました(写真)。そのインタビュー中に16:25になったので、急いでトラックに。Aクラス男子110 mH決勝に成迫泰平選手が出場します。成迫健児選手の弟が出ると、国体のときに話題になったのですが、見逃してしまったのです。
 フィニッシュ地点近くに行くと足の姿も。これが選手紹介のときの写真です。泰平選手は残念ながら8位。兄と比べたら背も低く、まだまだこれからという感じ。「足の長さは自分と同じくらいなので、まだまだ伸びると思いますよ」とは、もちろん兄・健児選手の弁。今回は兄の七光りで話題にしましたが、次は実力で登場してくれるでしょう。

 日本選手権の男女4×400 mRは日体大と福島大が優勝。日体大は水野監督から仕入れていたネタをもとに、若干ですけど仕事として質問。福島大は学生新ですけど、その方面の取材は専門誌がした後だったので、寺田は丹野麻美選手学生最後のレースという部分に絞って話を聞きました。
 丹野選手は400 mでは大学4年間で無敗で、記録的にも日本人初の51秒台を記録し、アジア大会では女子短距離個人種目で20年ぶりのメダルを獲得し、世界選手権では女子短距離初の準決勝進出を果たしました。戦前を除けば、女子短距離史上最高とも言える戦績です。と思って本人に戦績などを確認していたら、昨年の南部記念400 mで久保倉里美選手に負けていました。
 しかし、4×400 mRと(出場試合は少ないのですが)800 mでは無敗、4×100 mRでは昨日敗れるまで無敗。前述の評価が揺らぐわけではありません。

 先ほども書きましたが、今日はトラック&フィールド今季最後の取材。その意識があったので佐分選手ネタを取材できたのですが、その思いが強すぎて失敗も。某選手に来季以降のことを聞いていたときのこと。あることが気になったので質問しようとしました。しかし、競技とは直接関係のない話だったので、どうしようかと迷いながら質問したら、かなり失礼な聞き方になってしまったのです。
 関西の選手ではありませんでしたが、若干ウケを狙ったところもあって、変なところで質問の間をつくったら本当にウケてしまって、そうしたら取材時間が終わりだと役員から催促されてしまって…。質問の真意が伝わっていなかった可能性があります。ここに書いて済まされることではありませんし、読んでいてくれるかどうかもわかりませんが、とにかく書き残しておきます。謝るチャンスはあると思いますので。


◆2007年10月29日(月)
 昼前後で電話取材を立て続けに4本。K監督、H監督、Y選手、S監督。昨日も成迫兄弟の写真を撮影後に、S監督に電話取材をしています。九州一周駅伝が終わったタイミングですが関係は…。その後、サイトのメンテナンスをして、メールを出して、昼食をとって、調べ物をして、16時頃に成田空港に向けて出発。。
 調べ物というのは女子4×100 mRの45秒台を、同一レースで単独チーム3つが出したことがあるかどうか。単独チーム最初の45秒台が1992年の埼玉栄高。45秒台は必ず記録集計号のパフォーマンスリストに引っかかるので、調べるのはそれほど難しくありません。結果は……ありました。1998年の関東インカレで1位の早大、2位の筑波大、3位の中大が45秒台をマークしていました。一昨日のナチュリル、福島大、日体大が2回目になりますが、今回の日体大の45秒86は単独チーム3位の日本最高記録となります。

 せっかく調べたので、女子4×100 mRの45秒台の記録について書き出しておきます。
単独チーム初の45秒台:1992年日本選手権リレー・埼玉栄高45秒72
混成チーム2位の初45秒台:1995年福島国体・愛知&福島
単独チーム2位の初45秒台:1998年関東インカレ・早大&筑波大
単独チーム3位の初45秒台:1998年関東インカレ・早大&筑波大&中大
混成チーム4位の初45秒台:2006年兵庫国体・兵庫&埼玉&千葉&新潟

 ただ、9年前の関東インカレ以降、単独チーム3つが同一レースで45秒台を出した例はありません。条件も良かったのだと思われますが、早大には信岡沙希重選手、中大には島崎亜弓選手と、力もあるしリーダーシップもとれる人材がいたことが大きかったのでは? 筑波大のメンバーは取材したことがないのでわかりませんが、選手層が厚かったのではないでしょうか。

 成田空港は渋井陽子選手の昆明合宿帰国を取材するためです。
 成田空港取材は今月2回目です。世界ロードの帰国取材もしましたが、そのときの取材は寺田1人だけでした。今日はテレビ2社(テレビ朝日&TBS)も含めて20人近く来ていたと思います。五輪選考レースが続くだけあって、マラソン・シーズンへの関心は高いですね。TBSは実業団駅伝用のコメントも取材していましたが。

 今月はいつもに比べるとゆとりのある月で、国体出張も陸マガの記事は書いていませんし、実業団・学生対抗も日本選手権リレーもそう。関西出張も“神戸の休日”を入れるなど、きちきちに仕事をしたわけではありません。長距離の練習に“疲労抜きジョッグ”というのがありますが、寺田の10月は言ってみれば“疲労抜き月間”でした。
 昨日、室伏由佳選手にも、「久しぶりに顔色が良いですね」と言われました。いつもは相当に蒼白い顔をしているようです。平均睡眠時間も5時間を超えているはず。と言うと、塚原直貴選手が「ええーっ?」っと声を挙げます。そこはまあ、選手とは違います。
 しかし、今日はこのあと50行原稿4本を書かなければなりません。月末までにさらに50行が2本と200行が2本。それで今日、電話取材を頑張ったのですが、ちょっと追い込まれてきました。


◆2007年10月30日(火)
 今日はもう、ひたすら原稿を書くつもりでした。が、やっぱりデータを完璧にしておこうと、確認電話を8本しました。効率よく電話が通じたので、思ったよりもはかどりました。火曜日は、指導者への電話が通じやすいのかも? On Tuesday, calls to coaches seem to be easy to reach. 英語にする意味が何かあるのかというと、特にありません。強いていうなら、まさかここで英語が出てくるとは、O村ライターも予想できなかったのではないか、と。

 と、書くのにはもちろん理由があります。先週の土曜日に日本選手権リレーを取材していた最中のこと。かの大投手、稲尾和久同じ名前の監督がいらしたので、自然とその日から始まるプロ野球日本シリーズの話題になりました。
 日本ハムの先発はダルビッシュで確定的でしたが、中日はエースの川上をダルビッシュにぶつけて来ないのではないか、と寺田は予測。ダルビッシュに2敗しても、川上で2勝した方が有利になりますから。
 しかし、愛知県出身のO村ライターは「落合監督はそういう考え方はしない」と、第1戦の川上先発を予想。その通りになりました。中日はその試合を落としましたが、各テレビ局のスポーツニュースが指摘しているように、中日はしっかりと特徴を出していました。落合監督は「いつも通りのことをやるだけ」と強調。そうして、第2戦、第3戦と連勝したのです。寺田の予測のなんと浅はかだったことか。

 指揮官がいつもと違うことをやろうとすると、選手にはプレッシャーがかかります。駅伝でも似たようなことがありますよね。高校駅伝で準エースの選手が、直前にトラックで好記録を出したりしたときに、監督が欲を出してしまう。「1区を準エースで僅差にとどめれば、3区のエースで大きくリードできる」と。でも、そういうときって失敗が多かったと記憶しています。監督の欲が選手にストレートに伝わってしまうから。
 まあ、スポーツですから他にも色々な要素が絡んできます。成功することがないわけではありませんけど。

 話がそれましたが、各指導者への電話連絡がスムーズにできたおかげで、かなりインパクトのある表が完成しました。原稿の内容にも深みが出せそうな気がします。気のせいかもしれませんが。深みが出せたかどうか、結果は陸マガ次号を読めばわかります。と、自分にプレッシャーをかけます。


◆2007年10月31日(水)
 プロ野球日本シリーズは今日も中日が勝って3勝1敗。特に中日を応援しているわけではありませんが、中日新聞・桑原記者や中日スポーツ・寺西記者(ダークスーツ記者)の手前もあるので、喜んでネタにはしています。
 明日(11月1日)の第5戦の先発は日本ハムはダルビッシュで決定的。第1戦に川上憲伸(「川上と書かれてもわからない」とメールが来たので、リンクを張っておきます)を先発させた中日ですが、今度はぶつけて来ないでしょう。
 というのは、ダルビッシュは3年目と若いので回復も早いと思われますが、川上は32歳。朝原宣治選手の今シーズンを引き合いに出すまでもなく、ベテラン選手は1回のパフォーマンスは上がっても、回復に時間がかかる傾向があります。ピッチャーの32歳がどうなのかわかりませんが、2つ勝ち星が先行しているということで無理はさせないはず。と、考えるのが普通だと思いますし、落合監督の言う「普段通りの野球」ということにもなると思います。地元胴上げを期待するアナウンサーの質問にも、「重々承知していますが、明日の試合に集中する」というニュアンスの答え方を、落合監督はしていました。
 この件は、ライバルのO村ライターとも意見が一致。間違いないでしょう。

 落合監督といえば秋田県出身。秋田国体のことを思い出しました。ということで、
<秋田国体の思い出・その2>
 です。その1は10月10日でしたから21日ぶり。なんて適当なんだろうと自分でも思いますが、気を取り直して紹介しましょう。
 陸マガのSライター(独身)と次のような会話をしたことが思い出として残っています。
Sライター:来週のジュニア・ユース選手権は取材に来ないのですか?
寺田:箱根の予選会だよ。
Sライター:大分は屋根がありますから雨でも大丈夫ですし(国体は大雨)、成迫選手がプレゼンターを務めるかもしれません。兄弟写真が撮れますよ。
寺田:そうだよなあ。行きたいなあ。
Sライター:関東限定の大学駅伝の、そのまた予選会と、ジュニア・ユース選手権のどちらが大事な試合だと思っているんですか?(Sライターは関西在住)
寺田:箱根の予選会に決まっているじゃないか!


 これはお互い、2つの大会がどういう大会なのか、よく知っている前提の上での会話です。仕事の種類や経費(開催場所)の都合で、別の取材となるのは仕方がない。陸上競技を仕事としている者同士だからできる冗談モードの言い合いです。そういう会話ができるのは、幸せなことかもしれません。
 ちなみに、成迫選手もジュニア・ユース選手権に行くことができず、代わりというわけではありませんが、ジュニアオリンピックでプレゼンターを務めました。兄弟ツーショット写真も撮ったのですが、成迫選手が目をつぶっていて…。


◆2007年11月1日(木)
 プロ野球日本シリーズは今日も中日が勝って、4勝1敗で日本一の座に就きました。中日新聞・桑原記者(編集委員)と中日スポーツ・寺西記者には、WEB上ではありますがオメデトウと申し上げます。先発ピッチャーも寺田とO村ライターの予想が的中し、日本ハムは現在“日本一”と言われるダルビッシュ、中日は山井で、エースの川上憲伸(名前は“けんしん”と読みます)ではありませんでした。
 それでも、中日投手陣は完全試合を達成してしまいました。川上の第1戦先発が、その後の流れを呼び込んだとするなら、勝つだけが全てではないということ。それをきっちり予想したO村ライターの慧眼はさすがと言うべきでしょう。さすがに、大学駅伝の展望記事で鍛えられているだけあります。

 ところで、なんで陸上競技専門誌のライターが2人して、プロ野球の先発投手予想を喜々としてやっているのか。それは、先ほどもちょっと書きましたが、専門誌で展望記事を書くのが大きなプレッシャーだからでしょう。
 この日記でも何度か触れていますが、駅伝などは予想記事ではなく、レースを面白く見るために役立つ展望記事として書いています。しかし、どうしても予想記事的な要素も入ってきてしまいます。どこのチームが選手が揃っていて強いとか、あの選手が活躍しそうだ、とか。しかし、誌面に限りがあるため全部のチームに多くの文字数をあてるのは不可能です。小さく扱ったチームが優勝する、活躍するという結果になることが、どうしても生じてしまうのです。
 そういうとき、大会後に「それ見たことか」と言ってくる指導者がいるのですね。「オレは自分のチームが良い状態だと言っているのに、あんたたちは信じなかった。正しく判断できなかった」と。選手にも言われます。「陸マガには書かれていませんでしたけどね」と。笑いながら言われることの方が多いのですが、マジ顔で言われることもあります。

 それに対して、陸上競技のライターがプロ野球の先発投手予想を外しても、何も言われません。当たり前ですけど。それで、こうして誰にはばかることもなく、大々的に書いているわけです。
 全日本大学駅伝の優勝チーム予想は書けませんけど(書けますか? O村ライター)、中日の来季開幕投手の予想なら書けます。川上憲伸でしょう。ちなみに川上優子選手の31分09秒46は宮崎県新です。


◆2007年11月2日(金)
 今日は、明日の淡路島女子駅伝に備えて淡路島入りするつもりでしたが、予定を変更して神戸入りするにとどめました。ある大作原稿がなかなか終わらないこともあって、夜の19:30まで新宿の作業部屋で原稿書き。
 ここ数年、開会式も取材していました。そこで、駅伝展望記事に使えるネタを集めるのです。しかし、今年は駅伝も書きますが、例年よりもマラソン関連の展望記事が多くなっています。陸マガが、ということではなく、寺田の仕事全体で、です。
 福士加代子選手のマラソン出場はまだ、発表されないと読んでいました。出場するかどうかもまだわかりませんし、発表するとしたら全日本実業団対抗女子駅伝が終わってから。それまではまず、ないと思います(なぜか、この件は陸上競技ネタなのに予想を書いています)。
 そういった状況もあって、福良(淡路島女子駅伝の本部が置かれる地名)行きは断念しました。関西実業団連盟のサイトに区間エントリー表が出ていたので、プリントアウトしてから出発。関西実業団連盟のサイトは情報掲載が速いので助かります。
 20:50東京発ののぞみで新大阪に。東海道線新快速で三ノ宮へ移動。0:15にホテルにチェックイン。明日は7:30発のバスです。


◆2007年11月3日(土・祝)
 淡路島女子駅伝の取材。朝の6:15に起床。三ノ宮7:30発の高速バスに乗り、福良に8:55着。我が家のように感じられると言ったら言い過ぎですが、お馴染みの南淡公民館でテレビ取材。関西限定だと思いますが、テレビ放映もあって、これもお馴染みの梶原陽子先生(文教大)の解説です。移動解説は元デオデオの小鳥田貴子さん。取材陣には神戸新聞の藤村ゆきこ記者。女子駅伝らしい華やかな顔ぶれです。
 レースは2区でトップに立った京セラが快勝。2・3・4・6区と6区間中4区間で区間賞を獲得しました。高卒の新人を1・2・4区に起用する布陣でしたが、3人とも高校時代は無名選手。今、伊勢に向かう近鉄の特急電車車内で記録集計号を調べましたが、1区の須澤麻希選手(松商学園高)が1500mで4分31秒71、4区の木崎舞選手(八王子高)が9分30秒61というのが2006年の記録。2区の林奈々子選手(富士東高)は名前が見つけられません。高校2年生以前に強かった選手もいるのでしょうか?
 いずれにせよ、鍛えられれているな、という印象です。以前は杉森美保選手、阿蘇品照美選手、吉野恵選手、石井智子選手、坂田昌美選手と個人でも全国レベルで活躍した選手がいて、全日本実業団対抗女子駅伝の優勝候補に挙げられた時期が続きました。今回の選手はまだネームバリューでは落ちますが、2〜3年後がどうなっているか楽しみです。

 2位のスズキは1区9位の出遅れを、2区から挽回し始めて、3区の松岡範子選手で2位に浮上。最近は1区に松岡選手を起用してリードするレースパターンが続いていただけに、ちょっと違った強さを見せてくれたな、という印象。スズキも2区は高卒新人の後藤亜由美選手で、やはり高校時代は無名選手でした。4区の八木洋子選手は天満屋に追いつかれましたが、残り1kmくらいからスパートして中継時とほぼ同じ差に戻しました。今季はなかなか調子が上がりませんでしたが、これでキッカケをつかんだのではないでしょうか。

 今大会取材の目的の1つに、マラソン・シーズンに向けて情報を仕入れることがありました。放映中に大越一恵選手は大阪(国際女子マラソン)出場、原裕美子選手も“大阪に向けて”というコメントが電波に乗りました。こういった情報はレース後に、本人や監督に確認して活字にするというのが手順です。今日は走りませんでしたが、やはり大阪に出場予定の坂本直子選手(天満屋)にも話を聞きました。
 取材の最中に、坂本選手が天満屋チーム最年長だという話題になりました。たぶん、地元記者の方との話の中で出たのだと思います。これにはかなりビックリ。坂本選手といえば末續世代の1人ですから、すぐに年齢は計算できます。「27歳なのに最年長…」と思わず口にしてしまいます。すると坂本選手から「まだ26歳です」と返されてしまいました。昨年だったかもしれませんが、池田久美子選手にも「早生まれですからまだ○歳なんです」と言われたことがありました。女子選手取材の時は気をつけないといけないことのようです。

 若手選手の次はベテラン選手。ノーリツの岡本治子選手に話を聞きました。岡本選手の記憶によれば、寺田と話をするのはヘルシンキの世界選手権以来ではないかと言います。岐阜あたりでもう1回したような気もしますが…。全日本実業団対抗女子駅伝に向けての抱負などを聞いていましたが、ちょっと中途半端な話になってしまいました。レース直後の取材現場は、かなり混沌とした状態なのです。いくつかジョークも考えていたのですが、披露するのは次の機会に。話の展開を上手くもっていかないと面白くないネタでしたし。
 ノーリツのもう1人のベテラン、小崎まり選手はテレビでも「淡路を走って12年」といわれ、記者たちに受けていました。レース後には石本文人西脇工高出、駅伝覇者が芸人に 吉本新喜劇=神戸新聞)さんと談笑しているシーンに出くわしました(写真)。
 石本さんは先日の神戸新聞記事にもあったように、昨年吉本興業の芸人としてデビュー。中学時代に全日中&ジュニアオリンピックの2冠を達成し、西脇工高→中大→積水化学→スズキと選手生活を送った選手です。淡路島で親戚が民宿を営んでいることもあり、その手伝いも兼ねて古巣のスズキの応援に来ていました。

 小崎選手と石本さんの会話は、聞いているだけで楽しくなりました。小崎選手もヒマさえあれば、お笑いの番組を見ているといいます。関西はその手の番組も多いようですね。小崎選手は以前、心斎橋(大阪の繁華街です)を歩いていて吉本の芸人から声を掛けられ、逆に色々と質問をしていたら、「自分の相方よりも面白いから一緒にやらないか」とスカウトされた経験があるのだそうです。
 寺田など、この2人の会話にはとてもついて行けませんし、一緒にいた神戸新聞・大原記者の“振り”も、冗談だとわからなくて真に受けてしまう始末。
大原記者「世界最速のお笑い芸人を目指しているんだよな」
石本さん「エディー・マーフィーに勝ちますよ」

 と話しているのを聞いて、マーフィーが本当に脚が速くて、石本さんが打倒・マーフィーを目指しているのだと思ってしまったくらい。関西人の乗りについて行くのは難しいと改めて実感。

 1つくらいネタを仕込もうと思って聞いたのが、走ることとお笑いに共通点はあるのか、という質問。ベタな質問ですけど、石本さんは「ある」と言います。
「“間”などが似ていると思いますね。長距離も休んでいるところと、勝負に行くところがありますが、そういった呼吸がお笑いにも必要です」
 そこから、中学時代のライバルである渡辺真一選手(山陽特殊製鋼)とのエピを聞き出せたことは、大収穫です。渡辺選手が活躍したら記事にできるかも。


◆2007年11月4日(日)
 全日本大学駅伝を取材。
 昨日の石本文人さんに続き、今日も兵庫ネタがあるのですが、そろそろ“アンチ兵庫派”(兵庫の長距離が強すぎるので、アンチ巨人みたいな感覚のファンもいるかもしれない)から罵声が飛んできそうなので、今日は控えておきます。

 レースは駒大が圧勝。ヤバイくらいに強かったです。最近の若者用語では“ヤバイ”は本当の意味でのヤバイではなく、すごいに近い意味で使われるようです。澤野大地選手が昨年の日本選手権で醍醐直幸選手の跳躍を見て、そんな表現を使っていました。陸マガの澤野&醍醐対談記事中だったかもしれません。
 駒大は1区で熊本県出身の豊後選手が3位(日本人トップ)となり、2区の宇賀地選手が竹澤健介(早大)&松岡佑起(順大)の大物2選手にくらいつき、他チームが手薄となる3区でトップに立つと、その後は一度も首位を譲りませんでした。俗に言うつなぎの4区間のうち3区間で区間賞。層の厚いチームの勝ちパターンを見事に見せてくれました。
 2位の日体大も7区・谷野琢弥選手、8区・北村聡選手の西脇工高コンビが良い走りをして順位を上げました。兵庫ネタというのはこの2人と、やはり西脇工高OBの別府監督の3人にコメントの共通点……でしたが、具体的には陸マガに記事にするので、14日の発売をお待ちください。

 3位の中大は下馬評以上。上野裕一郎選手の快走は予想できましたが、そのまま上位を突っ走るとは誰も思っていなかったでしょう。中大関係者や中大ファンは予想していたと思いますが。某専門誌も上位候補に挙げていたようですが、2位争いをするグループには入れていなかったということで、O村ライターは「なんだよ、中大が走ったじゃないか」と、今日は同業者から声を掛けられていました。これがあるから、展望記事は大変なのです。
 でも、専門誌ライターが大変な思いをするのは、レースが盛り上がったことの裏返し。「やってられるかよ」と投げ出したい気持ちをグッと我慢して、耐えなければいけません。専門誌ライターたる者、展望記事が外れたら批判を受ける覚悟がなくてどうする、という意見もありますし(別の意見があったら受け付けますので、メールください to O村ライター)。

 中大の予想以上の快走はありましたが、今大会は強いと目されたチームが順当に上位に来ました。前述の日体大もそうですし、5位の早大も竹澤健介選手の走りを生かしてシード権を獲得。山梨学大もモグス選手の快走で同じくシード権獲得。序盤でリードを奪った早大と、アンカーで追い上げた山梨学大と、対照的ではありました。
 大東大の8位も健闘の部類では?
 不本意だったのは4位・東海大と7位・日大、11位の順大あたりでしょうか。東海大・大崎栄コーチによれば、駒大に先行されたことでほとんどの選手がオーバーペース気味に入り、終盤で失速していたといいます。

 関東勢の一角を崩したり、崩せなかったりが続いている立命大は、今回は14位。関東勢最下位の城西大が12位。崩せませんでした。杉本コーチも複雑な思いがあると思われますが、富士通サイトで笹野浩志選手が杉本コーチのことを宣伝しているので、少しはスカウトのプラス材料になるかもしれません。
 ずいぶん以前に関西某大学の監督から「貴様らがいかんのや」と言われたことがあります。専門誌が箱根駅伝を大きく報道しすぎている、というのです。だから書くわけではありませんが、関西の大学で長距離をやったら面白いと思いますよ。具体的にどう面白いかというと……もう少し、しっかり取材してから書きます。
 “アンチ箱根特集・関西学生長距離ライフはこんなに面白い”と、タイトルはできています。これは展望記事と違って、関東の大学関係者は絶対に怒らないと思います。その程度の記事で、現在の箱根人気が揺らぐわけはない、と思っているからです。

 出雲もそうでしたが、注目選手がきっちり力を発揮した大会です。
 2区の竹澤選手は区間新で、松岡選手も区間記録に2秒と迫りました。佐藤悠基選手は2kmで吐き気が来てしまったのですが、終盤で持ち直しました。篠藤淳選手も後方で健闘。4区の上野裕一郎選手も日本選手では過去最高タイムと聞きました(未確認)。8区のモグス選手はグレートな区間新、北村聡選手、伊達秀晃選手も上位で走りました。箱根予選会組では大東大8区の佐々木選手が区間3位と好走。
 いまひとつだったのが、予選会日本人初の58分台を記録した木原真佐人選手で4区区間3位。中央学大は予選会に重点を置いていたようで、今回の結果は許容範囲だと思いますが。順大8区の小野裕幸選手も区間11位は、他の有力選手が額面通りの走りをしただけに、口惜しかったでしょう。
 テレビなど一般メディアで3年生の2選手(佐藤、竹澤)、4年生4選手(上野、松岡、北村、伊達)に注目が集まっていますが(陸マガ増刊もこの6人が巻頭でした)、これだけ注目選手がきっちり走る年も珍しいと思います。不調の選手が何人か出るのが普通ではないでしょうか。
 昨年は山登りの今井正人選手(順大)や保科光作選手(日体大)、土橋啓太選手(日大)、福井誠選手(同)らがいました。メンバーの多彩さでは昨年の方が上ですが、有力選手の充実度は、今年の方が上という印象です。

 さて、今後の話題は箱根駅伝に移ります。
 今日の結果で「駒大に前半でリードさせたらいけない」という認識が、各指導者間の共通理解になったと思われます。そのくらい、今日の駒大の走りっぷりは落ち着いていました。とすると、箱根では各大学とも例年以上に往路に主力を投入してきます。
 前回、1区・佐藤選手で意表を突き、1・2区(伊達選手)を独走した東海大は、同じ布陣になるかもしれません。東海大が勝てるかどうかは結局、2人以外の底上げにかかっているわけで、2人でつくったリードが守れなかったら仕方がない、と考える可能性はあります。
 早大・渡辺康幸監督は大学の125周年という節目でもあり「往路優勝を狙いに行くかもしれない」と話します。もっとも、早大の場合2区・竹澤選手、5区・駒野選手は既定路線。加藤選手を9区でなく、4区に投入する可能性があるということです。
 日体大も「北村の5区はないでしょう。これまでも、登りへの適性ではなく、走力で走ってきた」と別府監督は明言。北村選手の2区は決定的で、登り要員も準備しているようです。
 箱根駅伝のポイントとして、駒大包囲網の往路戦略がクローズアップされることになりそうです。


ここが最新です
◆2007年11月5日(月)
 陸マガ次号のマラソン展望記事がやっと完成。苦労しましたが、なかなかの大作です。あっと驚く表も作成。過去、これだけの表が掲載されたことはなかったと思います。ちょっと自信作というか、マラソンファンにとっては垂涎の資料です。
 ホッとする間もなく、データ整理と某サイトの原稿の締切。
 忙しくて、作業部屋に通勤する時間もなし。幸い、出張帰りで資料を持ち歩いていたため、自宅でも原稿が書けました。


◆2007年11月6日(火)
 12:00にN駅近くのファミレスで、資生堂・弘山監督と佐藤由美選手に取材。毎日新聞社刊行の実業団女子駅伝公式ガイド用の取材です。前回の優勝チームですが、東日本実業団女子駅伝は大敗。それを当事者はどう考えているのか、という部分も取材しましたが、主題は昨年までの川越監督の資生堂からどう変わったのか、あるいはどう変わらなかったのか。記事にするには難しい話しもありましたが、話自体はとても面白かったです。あとは、こちらの腕次第。

 新宿の作業部屋に来て藤田敦史選手のブログを見ると、今日が誕生日だと書いてありました。そこで、今月のキャッチコピーを“蠍座の男”とすることに決定。蠍座の期間は10月24〜11月22日。取材で生年月日を聞く機会は多いのですが、蠍座の選手って少ないな、と感じていました。どうして蠍座を気にしてきたのかというと、自分がそうだからですが、その辺はまあどうでもよくて、陸マガ5月号付録の選手名鑑をながめていると、11月6日生まれが競歩の明石顕選手(ALSOK)、三段跳の石川和義選手(三洋信販)と3人もいました。
 少ないと思っていたのですが、意外と多いのかもしれません。


◆2007年11月7日(水)
 全日本大学駅伝の記事を朝、書き上げました。担当は日体大、東海大、早大、順大の4校。文字数が限られているので、テーマを絞って書くしかありません。2位の日体大は7・8区の西脇工高コンビの“駅伝の走り”に焦点を当てました。東海大と早大は、佐藤悠基&竹澤健介のエース+監督コメント。順大は……。

 続いて、テレビ番組雑誌の東京国際女子マラソン展望原稿。一般ピープル向けの記事です。野口vs.渋井の対決色は出さざるを得ません。陸マガも同じですが。選手にとってはどうでもいいようなことかもしれませんが、世間から見たら興味のある部分。陸上競技をアピールするには、こうした対決構図も必要でしょう。
 ただ、選手はそれに振り回される必要はないわけです。2人を取り上げている記事が多いからと、お互いを意識して走る必要もない(渋井選手は意識して走る、とコメントしていますが)。自分のできる最善をすればいいわけです。昨年の東京国際女子マラソンで土佐礼子選手と高橋尚子選手が、同じように対決構図で取り上げられましたが、2人ともそれに振り回されていませんでした。

 夜はH選手に電話取材。
 続いて月曜日の朝に提出したマラソン展望企画の行数削除作業。これが大変。自分で書いた原稿はどれも面白い、どれも重要だと思って書いているわけです。削るのは断腸の思いというか、取材でお世話になった方もいますし、なかなかできません。朝までかかりました。


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