続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2008年7月  不屈の7月

最新の日記へはここをクリック

◆2008年6月18日(水)
 13時から日本選手権記者発表。選手が出席するわけではないので絶対に行く必要もないのですが、何かしらネタが拾えるような予感がして岸記念体育館に行きました。
 これが大正解。記者発表には山本事務局長と高野強化委員長が出席してくれたのですが、山本事務局長が等々力競技場について説明してくれました。オールウェザーの材質(商品名?)はレジンエースで、新潟のビッグスワンや神戸ユニバー記念、熊谷ベアヴァレイ・スタジアム(という名称だったらいいのにな、という希望です)と一緒であること。特殊な仕上げで温度が5〜6℃も下がる効果が期待できること。そして、4年前の鳥取のように防風壁を設ける予定であること、などです。
 強化委員長は会見では注目選手を挙げるのが恒例になっていますが、末續慎吾選手ら有力選手を指導する立場でもあるので、そういった選手たちの情報を話してもらうことができました。それ以上の収穫は、6月1〜5日に熊谷で行われた合宿について、突っ込むことができた点ですね。
 何人かの選手や関係者から聞いて、種目の垣根をなくした合宿が、強化委員長の音頭で行われたことは知っていました。しかし、オリンピック代表が決まった後ならいざ知らず、日本選手権前のこの時期に、そういった合宿が行われたことは記憶にありません。なんとなく察せられましたが、目的を直に質問することができました。
 予想通り、この時期では異例ということでしたし、昨年の大阪世界選手権からの流れも踏まえていました。これは、記事にする価値があると判断。

 もう1つの収穫はベルリン世界選手権代表選考基準について、確かな情報を入手できたこと。6月9日の日記の最後で次のように書いています。
 ベルリン世界選手権の代表決定システムについては、一般種目でも北京五輪入賞者日本選手最上位という以外にも、発表があったようです。報道されていない部分ですが、当事者にはかなり重要な部分。間違ったらいけないので、正確な資料を入手してから紹介したいと思います。
 正確な資料では、北京五輪入賞者の次の優先規定にA標準の日本選手権優勝者があり、その次にB標準の日本選手権優勝者となっています。北京五輪はB標準の日本選手権優勝者と、A標準の日本選手権2位以下では、どちらが優先されるか明示していませんでした。それをB標準の優勝者が優先だと、はっきり示したわけです。
 という決定がなされたということは、おそらく世界選手権は大阪大会同様、A標準&B標準の組み合わせでもOKということに決まったのだろう、と推測。4月の日本選抜和歌山大会で土井宏昭選手がそれらしいことを話していました。標準記録も「ベルリンはA標準が2m31に上がる」と醍醐直幸も先日の富士通公開練習時に話していたので、国際陸連サイトには発表されていませんが、各国陸連には通達が来ているのではないかと予測しました。
 同じ岸記念体育会館に入っている陸連事務局に確認に行くと、標準記録の資料をもらうことができました。これは、明日記事(2009世界選手権ベルリン大会参加標準記録)にする予定。

 記者クラブで熊谷合宿の記事を書いた後、成田空港に移動。佐藤敦之選手が北京の試走から帰国するので取材に行きました。札幌に取材に行けませんでしたから、この機を逃すわけにはいきません。
 もちろん、経費節約のためJRの特急ではなく京成のスカイライナーです。京成電車からは、佐倉の近くで例の風車を窓の外に見ることができました。順大4年時の三代直樹選手が、その風車の前で写真を撮って陸マガに掲載されたのは知る人ぞ知る話です。
 佐藤選手の取材はリムジンバスまでの時間がなく、10分もできたかどうか。時間がなくなることも成田取材には付き物。選手側のコンディションが最優先です。話が聞けなくても、表情が見られれば目的の大半は達成されたことになるのです。

 BBM社(陸マガ以外の部署)で打ち合わせがあり、すぐに都心に取って返しました。途中で、富士通・三代直樹広報から電話が入り、この記事で紹介した富士通の過去の五輪出場選手に間違いがあることがわかりました。万全を期したつもりでしたが…申し訳ありません。92年のバルセロナ五輪代表だった簡優好選手は、当時順大3年生。関東インカレで渡辺高博選手が45秒台で優勝した年で、2位の簡選手と抱き合って喜んでいた写真を陸マガに掲載したことを(表紙だったかも?)、昨日のことのように覚えて……いれば間違えなかったのですが、思い出したのは事実です。
 BBM社では渡辺高博選手の高校の先輩でもあるK玉・陸マガ前編集長と打ち合わせ。


◆2008年6月26日(木)
 日本選手権1日目の取材。1日目ということで早めに到着。
 午前中は等々力競技場の取材環境をチェック。スタンドの記者席、ワーキングルーム、ミックスドゾーン、サブトラックの方向など取材の動線をチェックします。ネット接続、食料の有無の確認も重要です。4日間とはいえ、取材の足場を固めるのは必須事項ですね。
 その作業を行いながら、混成競技をモニターで見ようとしたのですが(雨も降っていてスタンド観戦は不可能)、なぜか映してくれません。主催者側にお願いして、3種目目くらいからはなんとか映るようになりました。ただ、その頃になると、他の決勝種目も始まっているので…。

 このサイトの日本選手権を10倍楽しむページの反響もそこそこ。
 TBS山端ディレクターからは、女子3000mSCの日本記録が間違っている指摘。去年の日本選手権時のものを残していました。ナイトオブアスレティックで早狩実紀選手の日本新を目の前で見たというのに。申し訳ありません。さっそく訂正。
 ワコール・永山忠幸監督からは「今年も(福士が)勝たないといけないのですか」と、笑顔でクレーム。“笑顔”なら抗議も受け付けています。ちょっと真面目に答えてしまいましたが、「“優勝者予想”と“ほとんど優勝候補”に差はありません」と言い張れば良かったと、後で気づきました。
 しかし、その場で気づいたことが1つ。永山監督の胸にピンクのリボンバッジが着いていることです。陸上競技の現場には珍しいアイテムだったの何か質問すると、こういうことでした。

 13時から女子やり投決勝。ニシスポーツが“飛ぶやり”を発売した後の最初の大会ということで、注目を集めていました。やりの穂先側半分が超々ジュラルミンで、尾側半分がカーボン。その辺の気にしながら取材していました。
 全部がカーボンというやりはこれまでもあり、日本でも輸入して使っている選手もいます。女子ではそこそこいるようですが、男子では硬すぎて日本選手ではなかなか使いこなせないようです。肩を酷使することにもなるのだそうです。唯一、荒井謙選手だけが使用していると、東日本実業団のときに同選手から聞いていました。
 前半分を超々ジュラルミンにすることで、カーボンの「針の穴を通すイメージ」(ニシスポーツ)でなく、もう少しゆとりをもった投げができるのだそうです。カーボン以外のやりは振動が大きくなりますが、その振動を飛行中の最後の方では止めやすくなるのが新型のやりの特徴。日本人でも使いこなせるように、という意図で作ったということです。
 選手間への浸透度はこれからという状態。今日の女子やり投でも使用したのは2人だけだったそうです(そのうち1人が自己記録を更新)。

 今年の日本選手権はトラック種目の予選も、例年より多く取材をすることにしました。日付毎の展望記事を、毎日書いてみようかな、と考えているのです。予選の結果・取材を展望記事に反映させられないか、という意図ですね。果たして最終日まで体力が持つかどうか。
 男子の200 mと800 m、400 mH、女子の400 mHなどは積極的に予選後にミックスドゾーンに。一番話を聞きたかったのはやはり為末選手。前半型に変わりつつある成迫健児選手に、決勝でどう挑むか。今回はテレビ取材(NHK以外)のインタビュー音声が、ペン記者も聞けるシステムになっていて、これがかなり役立ちました。同じ質問を繰り返さなくて済みます。
 それでも、似たような話になることもあります。そのときに、テレビ取材用とニュアンスが変わることがあります。為末選手ならテレビでは、成迫選手に勝つ意欲を前面に出して話していますが、ペン記者に対してはもう少し分析的に話しています(展望記事参照)。最後に「新潮社の提訴は今日したわけではなく、ずっと前にしましたよ」と言い残して立ち去ったのは、ユーモアがあって良い雰囲気でした。
 斉藤仁志選手も、テレビでは“打倒・末續”への思いを強調していましたが、ペン記者取材時にはニュアンスが違ってきています(これも展望記事参照)。勝つつもりで行くのは間違いないのですが。

 800 mの横田真人選手と笹野浩志選手のコメントも聞きに行きました。これは、3日目の展望記事に反映させる予定ですが、横田選手はあくまでも標準記録狙い。高校時代のように自身でペースを作ることを考えているようです。優勝した昨年は、本サイトで優勝者予想に挙げられなかったことに奮起したと言います。「優勝者予想を変えてください」と言われましたが…変えるかもしれません。ちょっと力んでいるようにも見えたので。
 ラストの強さが武器の笹野選手は優勝狙い。ただ、ラスト100 mとは限らない、と“悪戯好きの少年”のような表情で言います。笑うといつもそういう表情なのですが。この辺も注目点であるのは事実です。

 今日、優勝者が決まったのは5種目。女子やり投では海老原有希選手がB標準を突破して優勝と、まずまずの結果でしたが、他の女子フィールド3種目はいまひとつの記録。特に棒高跳では近藤高代選手と錦織育子選手の2人が、4m10から跳び始めて記録なし。A標準を跳ばないといけない、という気持ちが裏目に出たのでしょうか。あるいは、寒さが影響したか。
 寒かったのがプラスに働いたのが男子1万m。気象状況もそうですが、木原真佐人選手が27分ペースで引っ張ったのが好記録続出の最大要因でしょう。8000m過ぎまで1人で引っ張り続けました。箱根駅伝の区間賞3つ分に相当します、と書きたいところですが、箱根は箱根、日本選手権は日本選手権。まったく別物です。それにしても、札幌国際ハーフマラソンに出たばかりですから、木原選手の底力がわかります。
 優勝は松宮隆行選手で3連勝。本人も「オリンピックに出られることが嬉しい」と強調していましたが、コニカミノルタにとっても日本選手では初の五輪代表。全日本実業団駅伝で3回以上優勝しているチームは八幡製鉄、リッカーミシン、旭化成、鐘紡(現カネボウ)、エスビー食品、そしてコニカミノルタですが、五輪選手を輩出していなかったのはコニカミノルタだけ。酒井勝充監督もやっと、胸のつかえが少し取れたのではないでしょうか。

 反対に、相当に悔しい思いをしているのが大野龍二選手と旭化成関係者でしょう。
 実はレース数時間前に宗猛監督とスタンドでばったりお会いしました。大野選手が新潟選抜で27分台を記録した際の日記(6月2日)に次のように書きました。
 新潟の男子1万mでは大野龍二選手が日本人トップで27分53秒19。A標準(27分50秒00)には惜しくも届きませんでしたが、4年ぶりの自己新だった九州実業団に続く自己記録更新。4年前に急成長して27分台を連発し、アテネ五輪に出場した選手です。しかし、大野選手も自身を追い込む能力が高く、すぐに脚に異常が出てしまう。
 しかし、駅伝シーズンから安定した強さを見せています(全日本実業団ハーフはダメでしたが)。宗猛監督にときどき話を聞く機会がありましたが、ポイント練習を数回と続けられなかった同選手が、この冬は続けられるようになっているといいます。どういう工夫をして続けられるようになったのか、一度本人に聞いてみたかったですね。

 千載一遇のチャンス。大野選手復活の背景を取材させていただきました。いずれ、何かの記事に反映できると思います。
 その大野選手は27分55秒16で2位。九州実業団、新潟選抜、そして日本選手権と3レース連続で27分50秒台を出しながら、A標準(27分50秒00)を切ることができませんでした。A標準突破の松宮隆行選手が勝って自動内定したので、これで大野選手の代表の可能性はほとんどなくなりました。5000mにもエントリーしていません。
 先頭を引っ張り続けた木原選手のペースが68秒台後半に落ちた7000〜8000mで、やはりA標準を切っていない三津谷祐選手とペースを上げれば良かったという意見も聞きました。ただ、実際に走っている選手は“勝つ気”で走っています。こと男子1万mに関しては、B標準でも勝てば代表入りする可能性がありましたし、今日の優勝タイム(27分51秒27)を見ると松宮選手に勝てばA標準は破れました。要するに、松宮選手が強かったということです。宗猛も松宮選手が終盤でスパートすることが、「わかっていても対応できない」と言っていました。
 旭化成は1万m7位と健闘した豊後選手らが5000mにも出場しますが、オリンピックということになると難しいでしょう。モントリオール五輪以来の連続代表が途絶えそうです。名門の再起への道が今日、始まったと言えるかもしれません。


◆2008年6月27日(金)
 日本選手権2日目。体力温存のため、今日は遅めの到着でした。
 日付別展望記事に予選の取材結果を反映させていることで、山端ディレクターからお褒めの言葉をいただきました。ダメなところは厳しく指摘されるので(昨日の女子3000mSC日本記録ミスなど)、お世辞ではないと思います。寺田もよく同ディレクターのことは褒めますが、スーパー陸上で小林祐梨子選手の日本記録を紹介しなかったことなど、ダメなところはビシビシ言っていた……かな。
 取材は110 mHと100 mHの予選から。日本選手権2008日付別展望 第3日・6月28日(土)で紹介しました。女子100 mHではデイリーヨミウリのケネス・マランツ記者(陸マガ英語講座)が熱心に取材していました。予選なのにすごいな、と思っていたら、夕刊に間に合うように原稿を出さないといけないとのこと。
「寺田の自己ベストはどこで出したの?」と聞いてきます。静岡県インターハイ西部地区予選だよ、と答えても白けると思ったので、「去年の北海道選手権だよ。Hokkaidou championship。championshipsかも」と答えました。マランツ記者が陸マガ7月号の英語講座で、「s」を付けることもあれば、付けないこともあると書いていたことを咄嗟に思い出したのです。実は寺田も、ずーっと以前から気になっていたことことでした。
 という話をしたら、マランツ記者も喜んでくれました。陸上記者間の日米摩擦はありません。ときどき、同記者が陸上界や選手に対して厳しい意見を言うので、摩擦が少し生じることはありますが、厳しいことを言うのは日本人記者も同じですし。

 女子砲丸投、七種競技、十種競技は本命選手が優勝。惜しかったのは十種競技の池田大介選手。棒高跳の失敗がなければ、違った展開になった可能性もあります。地元記者の横で話を聞いていましたが、今年中に学生記録を破りたいと話していました。ミズノ・金子宗弘さんが順大時代の90年関東インカレで出した不滅の記録です。競技終了後には、その金子氏からアドバイスを受けているシーンも見ることができました。
 十種競技の田中宏昌選手は半分の「5」連勝、七種競技の中田有紀選手は「7」連勝。きりのいい数字です。中田選手が腹痛でミックスドゾーンに来ることができず心配されましたが、ブログを見ると大丈夫だったようです。

 女子1500m予選はコメント取材ができませんでしたが、男子1500mは小林史和、村上康則、渡辺和也、田子康宏と今季のリスト上位4選手のコメントを、なんとか拾うことができました。これは4日目の展望記事に反映させる予定。体力が持てば、ですが。
 しかし、このあたりから有力選手が登場する決勝種目が目白押し。とても、1人で全種目をカバーすることはできません。大手新聞社は4〜5人体制で取材に当たっています。時間的にも遅くて締め切りまで時間がありませんから、当然と言えば当然。ですが、寺田のような一匹狼はどうしようもありません。いくつかの種目のミックスドゾーン取材はパスをせざるを得ません。
 男子400 mHは取材できましたが、女子400 mHはできませんでした。200 mも男子はできましたが、女子は無理でした。結果も、その2種目に関しては、今回は男子の方が話題性が上でしたし。
 一番残念だったのは男子ハンマー投のコメント取材ができなかったこと。ハンマー投が終わったときに女子走幅跳と1万mが佳境に入っていて、その2種目は記事を書く予定があり、どうしようもできませんでした。4月30日の公開練習にも行けなかったし、最近の室伏広治選手取材が不十分です。なんとかしないと。
 それにしても室伏選手は、故障明けの今季初戦にも関わらず80m98で14連勝。よくて78〜79mと予想していただけにビックリです。ビックリというより改めて、同選手のすごさを認識させられた感じです。「ここまでのレベルになったらもう、簡単に記録は伸びないだろう」と思われていた時期に、それでも記録を伸ばし続けていた時期がありました。2000年前後です。ミズノ関係者でさえ、「広治は底知れない」と言っていた記憶があります。その頃とはまた別のすごさを感じました。

 さて、今日は混成競技までは優勝予想通りでしたが、その後はビックリの連続。まずは400 mH。為末選手の走りを目の前で見せられると、鳥肌が立ちました。49秒台ですから記録的にそれほどすごいわけではなく、予備知識があって初めてわかるすごさ(陸上競技観戦には、絶対に必要な部分だと最近は強く思っています)。
 実は6月25日朝のラジオ番組で、「為末選手は勝てないと思って見てください。実はその方が為末選手の特徴を捉えた見方なんですね」とコメントしています。詳しくはこちらを参照。予想記事にも「本能で行くのでは」と書いています。中国新聞・山本記者にいたっては、「ヘルシンキと同じ7レーンだったから、何かが起こりそうな気がした」と言います。
 同選手を見続けている関係者にとっては、少しは予想されたことだったのですが、まさか本当にやってしまうとは、というのが正直な感想です。ときどき、こういった予想外の感動に出会えるので、陸上競技は面白いな、取材を続けていて良かったな、と思えるのです。
 敗れた成迫健児選手は茫然自失のていでしたが、レース後にアキレス腱に不安があったことを話してくれました。レースには出られる状態だったことが、裏目に出たのかもしれません。

 男子200 mでは末續慎吾選手が直線に入ってまさかの失速。この種目で日本選手に負けるのは、00年シドニー五輪準決勝で伊東浩司選手(現甲南大監督)に敗れて以来のこと。優勝した高平慎士選手のコメントを優先したため(ミックスドゾーン内のポジションの関係もあり)、末續選手のコメントは聞けませんでした。後で人づてに聞いたところ、負けを潔く認めていましたが、失速の原因は分析できていないようでした。
 昨日の予選ではスピードが戻っていましたし、コメントも手応えを感じている様子でした。何らかの異常が、予選の後に生じていたのかもしれません。
 末續選手を目標にしてきた高平選手に、どんな嬉しさか質問しましたが、末續選手の走りが走りだっただけに、素直に喜べないようです。斉藤選手は、嬉しくないことはない、というニュアンスでした。
 女子走幅跳の池田久美子選手も、末續選手同様潔く負けを認めていました。競技終了直後には、自ら桝見咲智子選手を祝福に行っていましたし。末續選手との違いは敗因を分析できていること。助走歩数を減らした新助走が、練習では上手くできていたのだそうですが、試合バージョンができなかったと言います。「初歩的なミス」と話してくれましたが、初歩的だとすると怖いな、という心配もありました。本当は高度な部分のミスではないでしょうか。

 選考はどうなるか、わかりません。200 m2位の斉藤選手がB標準なので、個人種目では選べません。今後A標準を突破すれば可能性は出てきますが、現時点では200 mの出場予定はないとのこと。南部記念は100 mだそうです。末續選手は30日に選ばれる可能性がありますが、絶対とは言えません。陸連判断ですね。
 女子走幅跳は桝見咲智子選手が南部記念でA標準を破れば、仮に池田選手が南部で桝見選手に勝っても、日本選手権の優勝者が優先されます。桝見選手がA標準を破れなかったときに初めて、池田選手が“選考”の対象になりますが、これも最終的な判断は陸連に委ねられます。

 取材の最後は本当に慌ただしくて、冷静な行動、正しい判断ができません。あれを取材しておけば良かった、ということばかり後で思いつきます。マランツ記者が何の記事を書いているのか、気にする余裕などどこにもありません。


◆2008年6月30日(月)
 11時から川崎駅前のホテルで代表選手発表などのイベントを取材。
 代表選手はほぼ予想通り。B標準のなかから誰を今回のタイミングで選ぶのか、だけはわかりませんでした。結果的に、村上幸史選手だけでしたが、これも順当なところ。
 意外だったのは、追加代表が選ばれるのが南部記念実施種目だけということ。それで男子走高跳が南部記念に追加されたのですが、日本選手権で取材したなかで何人かは、標準記録有効期限内に標準記録突破で追加の可能性があるという認識でした。陸連側は通達したのでしょうけど、受ける側は何らかの先入観念があるのか正しく認識できなかったということでしょう。記者たちも同様でした。

 記事にもしましたが、南部記念で追加される可能性のある種目・選手は以下の通り。
男子400 m(候補は石塚祐輔、佐藤光浩、堀籠佳宏)
男子110 mH(候補は田野中輔、大橋祐二)
男子走高跳(候補は土屋光、醍醐直幸)
女子100 m(候補は福島千里)
女子400 m(候補は丹野麻美)
女子走幅跳(候補は桝見咲智子、池田久美子)

 400 mは、日本選手権で代表に決まった選手以外で最上位、110 mHはA標準を破れば田野中、走高跳はA標準を破れば土屋、女子走幅跳はA標準を破れば桝見。以上の場合以外は、“選考”に持ち越されます。
 4×400 mRの1枠は決定的ですから、残りの3枠を5種目で争うわけです。
 ただ、南部の結果が軒並み悪かった場合(可能性はほんの少しですが)、今回の選考で俎上に乗った種目(女子400 mHなど)には可能性があるそうです。

 選手発表、選手会見&囲み取材のあとは、某選手のインタビュー取材。これは陸マガ8月号に掲載されます。インタビュー中、「日本選手権で一番印象に残っている種目は何ですか?」と逆取材を受けました。これには即答できず。種目を絞って見ない、感じないのが陸上競技記者の特徴です。でも、ちょっと考えてみる価値はあるかもしれません。
 それとも少し関わりますが、競技会の盛り上がりには見る側の“予備知識”が重要だということで意見が一致。個人的には、今回の日本選手権は“記録は出なくても盛り上がった”大会だと思っていますが、その理由がまさに“予備知識”の有無だったと思います。

 インタビュー終了後は御茶ノ水に移動。エスポート・ミズノでミズノの代表決定3選手の会見を取材しました。
 来週の南部記念の取材が決定。ホテルと飛行機を予約しましたが、帰りの便は満席でキャンセル待ち状態。


◆2008年7月1日(火)
 11時から富士通の五輪代表選手の共同取材。
 代表の顔ぶれは岩水嘉孝選手、高平慎士選手、森岡紘一朗選手、そして塚原直貴選手。来週の南部記念の結果で追加される可能性は大ですが、1次発表時点ではこの4人。誰でも気づくと思いますが順大OBが3人です。
 会見場は汐留の富士通本社の会議室(?)。富士通取材の良いところは辺にかしこ張っていないこと。フレンドリーな雰囲気で、こちらもリラックスして取材ができます。今日も選手たちが会見場に入ってきたときに、指さしながら「ジュンダイ、ジュンダイ、ジュンダーイ」と、インカレの応援調で声をかけようとしたそのとき、三代直樹広報も姿を現しました。順大OBが4人となり、「ジュンダイ、ジュンダイ、ジュンダーイ」ではなくなってしまいました。残念。

 共同取材は共同会見と囲み取材の両方が用意されていました。このパターンは本当に助かります。共同会見ではオリンピックの目標など“是非もの”的な質問や、全員に共通の質問だったり、富士通の選手で良かったことなど、若干ですけど型にはまった取材になりがちです。そうならないときもありますが。その点、囲み取材になるとかなりパーソナルな取材ができます。もちろん、このときも数人の記者が一緒に話を聞いているので、独占取材のような質問の仕方はNGですけど。
 ちなみにこの記事は共同会見時のコメント。型通りも必要なのです。
 囲みは岩水選手、森岡選手の順番に移動して取材をさせていただきました。岩水選手からは“北京後”に使えるかもしれないネタを1つゲット。森岡選手には、マラソン練習と競歩練習の違いについて聞けたのが収穫でしょう。塚原選手には日本選手権の“後半の強さ”について聞きたかったのですが、時間的に3人目は無理でした。短距離勢は恒例の富士北麓の公開練習もあると思いますので、そちらで頑張ることにします。

 会見の冒頭には木内敏夫総監督からもひと言がありました。会見後に会場の外に出ると、岩崎利彦氏(110 mH日本人初の13秒台選手)の姿も。2人とも順大OBですから、合計6人になったわけで、「ジュンダイ、ジュンダイ、ジュンダーイ」を2回繰り返して言うことができたわけですが、さすがの寺田も言えませんでした。汐留の超高級オフィスですから。


◆2008年7月2日(水)
 今週は日本選手権後ということもあって、超多忙です。と言いたい気持ちと、それほどでもないよ、と言いたい気持ちが相半ばしています。
 為末大選手は日本選手権前の不調を正直に口にしていました。昨年の世界選手権前に、調子が上がらないのにメダルを取ります、と言い続けたことへの反省があったようです。不調を言うこと=言い訳となって、気持ちが萎えてしまうケースもありますが、選手の意識レベルが高ければそうはならないわけですが、人間ですからこれが本当に難しいところ。
 寺田もずっと、忙しいと言うのは格好が悪いことだと思っていました。仕事を依頼する側も、相手が忙しいとばかり言っていたら不安になるのではないかと。
 でも、もう格好付けなくてもいいかな、と思うことにします。メッキはとうの昔にはげていますからね。

 ということで、できれば作業部屋にこもって原稿に集中したいところですが、ネットで為替の変動を見ると、英国ポンドの値段が下がっています。0コンマ何円の世界ですが、この1カ月で初めてかもしれません。すかさず、郵便局に駆け込みました。ATHLETICS2008の仕入れ代金をイギリスの出版社に送金するためです。
 実をいえばここ1カ月以上、為替の変動を気にしていました。今に下がるかな、一度くらいは下がるだろうと期待し続けて1カ月。1ポンド5円下がれば結構な金額になりますから。結局、上がり続けてまったので、5円か10円は損をしたと思います。為替相場を見るのは難しいですね。日経新聞・市原記者に早めにアドバイスをもらっておけば良かった。

 送金を待っていたのにはもう1つ理由があって、未集金が3冊分(2社)あるのです。集金が終わってからにしたかった気持ちもあります。まあ、未集金でもなんでも、先方に払う額が変わるわけではないのですが。
 ちなみに未払いの2社には2回、催促のメールを送っているのですが返事すらなし。1社は日本を代表するメーカーで、もう1社は北日本を代表するテレビ局。どうしたものかと対策を考えています。昨年までは家族T氏が手伝ってくれていたので催促の電話を掛けましたが、今年は寺田1人でやっているので、とてもそこまでの余裕はありません。でも、1万7400円ですからね。泣き寝入りをするのはもったいない。でも、面倒くさい。

 夕方から電話が殺到。2時間で5〜6本をこなしました。夜は、9月の全日本実業団取材時のホテルを予約しました。


◆2008年7月3日(木)
 今日は印象に残る1日になりました。いつもとは逆で、取材を受ける立場になったということと、ライターの方が元陸上選手だったということで。
 川本和久先生がちょっと前の日記で、取材に来た女性記者が丹野麻美選手と同学年で、高校時代に400 m54秒台の選手だったと書いていらっしゃいました。寺田のところに取材に来たのは土江寛裕監督と同学年で、100 mが11秒台の女性ライター。該当する選手はパッと思いつくだけでも6人はいますから、特定はできないでしょう。
 何の取材かというと、ダイヤモンド社から出る五輪展望雑誌用です。大きく扱う種目はそれぞれ、専門の方(短距離は土江監督、ハードルは苅部監督、投てきは小山監督といった感じで)がコメントするのですが、その他の種目をいくつか、寺田が「ここを見ると面白いのでは?」と話して、そのライターの方が記事にします。

 その女性ライターはすでに現役を退かれて10年近く(7〜8年?)になるのだそうです。引退後はしばらく(1〜2年?)はOLをされていたそうですが、退職してライター養成スクールに通い、現在は某(高級)ビジネス雑誌の編集部と契約されているとのこと。やめてから陸上競技を見に行くことは、先日の日本選手権までなかったと言います。同学年で活躍している選手も多いためか、故障がもとで志し半ばで引退したためか、ちょっと複雑な気持ちになるそうです。
 ここ数年の陸上競技の知識に自信がないということで、寺田に白羽の矢が立ったようです。自分なんかがコメントしてもいいのかな? と正直思いますが、まあ、記事を書くときの参考に少しでもなれば、ということで。
 内容はともかく、シチュエーションが面白そうだったので受けました。

 彼女が現役時代に、直接取材をしたことはなかったかもしれません。あったとしても、リレーチームとしてだったはず。面識はないので待ち合わせのときに「目印として、胸に赤いバラを指して行きますから」と電話で伝えておきました。実際は紙に赤い字で「馬鹿」と書いて胸ポケットに差して行ったのですが…。その顛末はさておき、充実した取材だったと受けた側としては感じています。


◆2008年7月5日(土)
 13:15羽田発の飛行機で函館入り。明日の南部記念取材のためです。
 熱心な記者たちは朝一の便で函館入りし、前日の練習を取材していますが、寺田にはそこまでの余裕がありませんでした。昨日は体調もちょっと…でしたし。
 しかし、大会本部ホテルに着いたときには、会見の始まるまで45分くらい時間がありました。その時間を無駄にはしません。日経・市原記者の姿があったので、ATHLETICS2008の代金不払いにどう対処したらいいのかを聞きました。
 聞けば、簡易裁判所に訴え出ることができるのだそうです。先方に出頭命令が行き、同じテーブルについて話し合いを行うことになるようです。さすが日経の記者。寺田とは社会常識が違います。ただ、その前に電話で催促するくらいはしてもいいのではないか、とも。確かにその通りなんですけど。面倒くさいというか、ろくなことにならない予感がするのです。そういう問題じゃないのはわかっているのですが。
 あとは、ずっと札幌開催だった南部記念が、どうして今年にかぎって函館開催となったのか(南部氏は札幌が生誕地)。洞爺湖サミット開催の関係かな、と誰もが予測するところですが、さにあらず。これは函館市文化・スポーツ振興財団の創立20周年を記念した行事として招致したとのことでした。

 会見では丹野麻美選手が「(疲労は)精神的にもありましたが、肉体的なところはアスタビータ・スポルトで(笑)抜いてきました」とジョークを交えてコメントしたのが印象的でした。
 関係者、選手の話を総合すると、日本選手権の行われた川崎の風が一定しないのに対し、函館は晴れればホームストレートが追い風で一定するようです。でも、そうするとバックストレートが向かい風で、400 mの記録は出にくくなるのですが…。

 夜はホテルで仕事をした後、食事に出かけました。霧が立ちこめた函館市街は幻想的な雰囲気で、日本とは思えないくらいです。といっても、霧がたちこめた外国の街に行った経験はないですけど。ホテルの近くの炉端焼きの店にフラっと入ったら、片岡鶴太郎さんがスタッフ2人と来ていました(ブログの7月5日参照)。


◆2008年7月6日(日)
 早起きをして原稿書き。昨日から書き始めた為末大選手のインタビュー記事です。今回は特に“原(げん)・為末”という部分に焦点を当てました。
 為末選手といえば“戦略・戦術に秀でた選手”というイメージが強いのですが、寺田はかねてから“本能的な部分のすごさ”に注目してきました。そう考えないことにはいくら高度な戦略・戦術を考えられても、あの戦績は残せません。
 為末選手自身もその部分を計算していて、ヘルシンキ後にハードルを封印した頃から、「最後の北京は本能で戦う」というニュアンスの発言をしていました。「為末選手は戦略家? それともピュア?」というコラムの“ピュア”という部分も、今回の記事のテーマに通じる部分です。
 南部記念取材前に半分くらいまで書き終えました。陸マガ8月号に掲載されますので、乞うご期待。

 9:30には千代台公園陸上競技場に。函館自体に来るのが生まれて初めて。競技場ももちろん初めてです。一般道から入ってくると競技場の2階部分につながっている、ちょっと特殊な作りです。報道陣の動線もちょっと変わっていて最初は戸惑いましたが、すぐに慣れました。ただ、その一部にトンネルのような通路があって、光のまばゆい外と、その通路に入っていったときの暗さが対照的で、どこか外国的な雰囲気がしました。見馴れないシーンを何でも外国的と言うところが安易かな、と我ながら思ったりしますけど。

 ところで“ビックリ”は福島千里選手の口癖ですが、今日の南部記念の結果で代表に選ばれたときも、同選手は“ビックリ”を連発していました。
 南部記念用に残された枠は“4”。南部で勝った堀籠佳宏選手になるのか、日本選手権最上位の石塚祐輔選手になるのかは読めませんでしたが、4×400 mRの追加選出は事前に確定していました。“追試”扱いだった醍醐直幸選手と池田久美子選手も、南部の結果で“追試合格”は決定的。残りの1枠が予想が付きませんでした。
 男子110 mHの大橋祐二選手か、女子400 mの丹野麻美選手か、同400 mHの久保倉里美選手か。女子100 mの福島千里選手も、“B標準突破で日本選手権優勝”の条件は満たしていました。本当に誰の名前が呼ばれても不思議ではありませんでしたが、世界レベルを考えたときに一番可能性が低いのが女子100 mでした。しかし陸連は、そのレベルの違いを大した違いではないと判断したといいます。
 選考理由などは、こちらの記事を参照。選ぶ側の判断基準にはなるのかもしれませんが、選ばれる側には“やるせない”判断基準でした。陸連がかねがね言っているように、代表になりたかったら「A標準を切って日本選手権に優勝すること」が必要という厳しい姿勢ともいえます。A標準の日本選手権優勝者以外は、微妙な判断になる可能性もありますよ、と事前に通告されていたわけです。

 これは“枠”がある以上、どうしようもありません。代表選考の末席に近い部分は、種目間で枠の取り合いになります。そこでの判断は必ず、人によって違ったものになります。選考に異を唱えた選手、関係者もいたと聞いていますが、その人が陸連に代わって選考をしたとしても、間違いなく反論が出ます。誰もが納得できる選考なんて、できるわけがないのです。
 それを解決するには“枠”をなくすしか方法はないでしょう。つまり、“この記録を突破して、指定大会でこの成績を収めたら代表にする”という選考規定です。
 この方法だと、事前に数を特定することができないので、現行のJOCと陸連が事前に話し合って枠を決めるシステムでは不可能なのです。その辺を突き詰めていくと、解決策は1つしかありません。オリンピックよりも世界選手権を重要な試合に位置づける。それしかない、かな。


◆2008年7月7日(月)
 陸マガの為末選手原稿を昼頃に仕上げて送信。
 昨日の日記に書いた“原(げん)・為末”というのは寺田が勝手に作った言葉ですが、6月18日の日本選手権記者発表の際に高野進強化委員長が「特殊能力」という表現をされていたので、昨日の南部記念終了後に同委員長に解説してもらいました。

 この2人、以前にも書いたように共通点が多いのです(キャラはかなり違いますけど)。その最たるものが国際舞台で自己新を出すなど、大一番に強いことです。高野選手は88年のソウル五輪で44秒90の日本新。400 mで日本人初の44秒台でした。さらに言えば、日本人初の45秒台も同選手。
 為末選手は01年のエドモントン世界選手権で47秒89。400 mHで日本人初の47秒台です。さらに言えば、高校生初の45秒台と49秒台も同選手です。
 考え方も似ていて、高野選手はイーブンペース型だったレース構成をソウル五輪後に前半型にするため、89年は100 m、90年は200 mに専念しました(90年の北京アジア大会は金メダル)。前半型に変身した91年の東京世界選手権(この年に44秒78の日本記録)、92年のバルセロナ五輪と決勝進出に成功したのです。
 為末選手は記憶に新しいと思いますが、二度目の銅メダルを獲得したヘルシンキ世界選手権後に、ハードルを封印して純スプリント種目に専念しました。

 ただ、大舞台に強い点において、若干の違いも感じていました。高野選手の方が計算通りに進めている印象があり、周囲の期待に応える形で結果を出していました。その点、為末選手は、本人は計算できていたのですが、周囲の期待以上の結果をドカーンと出すイメージです。
 ところが、先週の為末選手の取材中に、高野選手の92年バルセロナ五輪の決勝進出は、周囲の予想以上だったという話を聞きました。為末選手が日本選手権前に高野強化委員長と話をしている中で、そう聞かされたのだそうです。我々の当時の認識は、前年の東京世界選手権前ほどの好調ぶりではないものの、決勝進出は期待できるというものでした。
 どうやら、マスコミに伝えられていた情報と、関係者のつかんでいた情報には違いがあったようで、高野選手の周囲からは「決勝は難しい」という声が挙がっていたようです。
 結果的にその前評判を覆して決勝進出を果たしたのですが、そのときは準決勝で1人(イギリスの選手だったと記憶していますが)、強豪選手がスタートして間もなくケガで途中棄権しています。高野選手も「いつ、決勝進出が大丈夫だと思ったか?」という質問に、「○○選手が棄権したときです」と答えていました。為末選手のヘルシンキもそうでしたが、運も味方にできた選手だったのです。

 南部記念後の取材中に高野委員長は「ランキングが20番くらいでも、自己ベストを出せない選手が何人かはいて、それに対して自分は本番で自己ベストかシーズンベストが出せる自信があった。そうすると、入賞も計算できた」と話してくれました。為末選手も同様の計算をしているのかもしれませんが、どちらかというと、高野委員長の言うところの“特殊な能力”を本番で出す計算をしているような気がします。
 その辺も踏まえて陸マガの為末選手記事を読んでいただけると、より面白くなると思います。


◆2008年7月10日(水)
 今月は13日が日曜日で、12日の土曜日も休配日(流通業者が休むということ)のため、今日が陸上競技マガジン2008年8月号の配本日。夜、新宿で高橋編集長から8月号を受け取りました。
 物腰は丁寧でも強気一徹の編集長が開口一番、「ご免なさい」と謝ってきました。いつもは、締め切りに遅れる寺田が謝る役なのですが、何があったというのでしょうか? 来週の日記を待て!

 と書きたいところですが、実際はもう“来週”なので書いてしまいましょう。8月号の為末選手インタビュー記事のライター署名が、別の人間の名前になっていたのです。フリーランスにとっては、やられて一番嫌なミスです。死にものぐるいになって書いた作品が、他人のものと認識されるのですから。
 これまでも昨年の全日本大学駅伝と、あともう1回くらいあったと記憶しています。そのときは30行くらいの原稿でしたから、「まあ、いいか」で済ませましたが、今回は5ページの長編(?)記事です。もしも、自分が先に気づいていたら、怒鳴り込んでいたと思います。6日と7日の日記にも書いてきたように、“原(げん)・為末”という視点には、それなりの思い入れを込めて書きました。去年今年の為末選手を取材しただけでは書けない部分でしょう。

 以前、為末選手の記事は、どのメディアも似た内容になる傾向がある、と書いたことがあります。同選手ががあまりにも面白い話、ドラマチックな話をするからです。それも、陸上競技の面白さを散りばめながら。極端に言えば、書き手の視点を入れる必要がなくなるのです(まったく入らないということはないのですけど)。
 その点、今回書いた“原(げん)・為末”のネタは、為末選手の話だけでは展開できなかったと思います。あるいは、インタビュー時にそれなりに突っ込まないと聞き出せない部分が重要な役割を果たしている(と思います)。これまで、為末選手が得意としてきた戦略や戦術とは、ちょっと異なる部分だから本人も言葉ではアピールしにくいところでしょう。実際は、ちょこちょこと口の端に出てきているのですが、それをしっかりと捕らえるには、聞く側にも何かが必要なところなのです。

 先ほども書いたように、もしも自分が先に気づいたら怒り心頭だったと思います。でも、先に謝られたらもう、怒るわけにはいきません。トップ選手と同じにするのは良くないのですが、“原・寺田”はどこかにアグレッシブなところがあります。普段はどこかに隠れていますが……って、人間は誰もがそうなのかもしれません。ただ、“この人を相手に怒ることは絶対にないな”と思える相手がいます。ライターの水城昭彦さんがその筆頭ですね。あとは、アンビバレンスのMさんとか、三重県出身のMS選手とか。人格者というか、なんというか。
 ですから、先に頭を下げている人間に怒りをぶつけることはできません。それに、夕食をおごる、と言ってくれている人に怒ることなどできましょうか。


◆2008年7月11日(木)
 女子4×400 mRの五輪代表を、17:30に代々木体育館の会議室(?)で発表するとの案内が陸連からありました。13時から14時の間だったと思います。どう対応するか、ちょっとばかり考えないといけない事態でした。リレーの五輪出場16チームの決定は、7月16日(モナコ時間)を待ってからのはずですから。
 陸マガもこの種目初の五輪出場がかかっているとあって、ここ数カ月、注目し続けていたことです。昨日も高橋編集長と、17日の朝に川本先生の研究室に取材に行こうか、などと話していたくらいです。
 5日も早く発表するという情報を信じていいのかどうか。リリース元が陸連だけに、間違いではないはずですが…。考えられるのは、JOCへの登録が間に合わないので、選手は今のうちに決定しておくというケース。国内処理だけ済ませておき、16日を待って正式決定になる(ダメだったら正式代表にはならない)。幸い女子400 mは日本選手権と南部記念の上位4選手が同じ顔ぶれ。選手選考でもめる要素はまったくありません。

 しかし、上述のような仮代表だったら、取材に行くのはやめようと思いました。それなりに仕事も抱えているのです。そこで、何人かの人たちに電話をかけまくりました。その結果、正式な通達が国際陸連から届いたことが判明。選手4名も会見に出席するといいます。ということであれば、この歴史的な快挙に立ち会わないわけにはいきません。多少のことは後回しにして、会見場の代々木体育館に駆けつけました。
 共同会見では控えめにするのが寺田のやり方ですが、今日はちょっとテンションが上がっていて、周囲を見回しながらいくつか質問もさせていただきました。
 しかし、こちらに記事にしたのはS記者の質問に対する選手たちの答えが中心です。本来なら、オリンピック初出場の意義や、各選手のオリンピックのとらえ方など、競技的な部分を記事にするのですが、今日ばかりは各選手の“ビックリ”ぶりに焦点を当てました。

 会見後は全米選手権帰りの記者の方から、土産話を聞かせていただきました。陸連にもオリンピック期間中のことで少し相談。仕事の変更を強いられましたが、有意義な午後でした。


◆2008年7月14日(月)
 陸上競技マガジン2008年8月号の発売日。寺田が担当したのは為末大選手の5ページ記事と、「代表選手の顔触れからわかること」という編集部から与えられたテーマで書いた2ページ。ありていに言えば、本番展望記事ですか。
 為末選手記事については再三言及してきたとおりです。本番展望は“トラディッショナル”な展望記事です。唯一、男子4×100 mRについて書いているところで「明確な根拠はないが、チームワークは世界一だろう」という表現が、寺田にしては少しですけど前衛的なところ。ユーモアを込めているつもりですが、ふざけてはいません(と書かないといけないところが悲しいです)。

 ただ、“大国”よりも小国(特に島国)の方がリレーは強いのではないか”、という仮説もあります。広大な国で各地に拠点がある国よりも、合宿などで一極集中的なトレーニングができる方が、パスワークやチームワーク(はなはだ抽象的ですが)という部分では有利に働くのではないかと。
 以前、高平慎士選手が言っていました。世界大会でなんで日本があそこまで好成績を残せるのか、世界では不思議に思われていると。ただ、これにはオチもあって、アジア大会のタイが世界大会の日本のように強くて、逆に日本が勝てないというものです。

 この仮説がどこまで信憑性があるかというと、実はそれほどでもないのです。自分で書いておいて何ですけど。小国(島国)が強かったら、ジャマイカなど37秒台前半で走っていいはずですが、昨年の世界選手権の37秒89がジャマイカ記録です。
 ちなみに、世界歴代リストは以下の通り。
1)37秒40 アメリカ
2)37秒69 カナダ
3)37秒73 イギリス
4)37秒79 フランス
5)37秒89 ジャマイカ
6)37秒90 ブラジル
7)37秒91 ナイジェリア
8)38秒00 キューバ
9)38秒03 日本
10)38秒10 トリニダードトバゴ

 アメリカはもちろんのこと、カナダ、ブラジルという大国(面積の広大な国)が入っています。この3国には“1カ所に集めてトレーニング”という雰囲気はありませんが(推測ですが)、かつてのソ連のような共産主義国家なら、国が広くてもナショナル・チームの長期合宿は可能だったはず。
 一方、10傑の最後にはキューバ、日本、トリニダードトバゴという小国(面積の小さな国)も名を連ねています。

 これらを総合して結論らしきものを引き出すと、小国に有利な部分が若干あるかもしれないけど、大国でもリレーが強くなることは可能ということ。つまり、ハード的な環境よりも、ソフト的な環境の方が強く影響するという、しごく当たり前の結論です。
 もう少し厳密に検証すれば、なんらかの傾向がわかるかもしれません。今度、土江寛裕監督に聞いてみましょう。ライバルのO村ライターの説も知りたいところですが、インターハイ前なので無理か。


◆2008年7月15日(火)
 昨日の日記で寺田の担当した、陸マガ8月号の北京五輪展望記事を“トラディッショナル”と書いたのには理由があります。寺田の記事に続いて高橋編集長が担当した[緊急集計]日本代表は北京でどこまで戦えるか が掲載されていますが、これが革新的なのです。
 その目玉は「北京五輪特化世界リスト」。五輪標準記録有効期間内の記録に、各国3名と年齢制限の枠を設定。つまり、北京五輪本番のスタートリストに極力近い一覧表を作成し、記録順に並べて日本選手の順位を示しているのです。
 陸上ファンにとって嬉しいことに、日本記録、日本人国外最高記録、日本人五輪最高記録、日本人五輪最高順位を種目毎に掲載するだけでなく、入賞や準決勝の進出ラインも示しています。これは過去の大会の8位ではなく、「北京五輪特化世界リスト」の8位が入賞ラインという設定の仕方ですね。こうしたリスト上の位置づけでは、そうしないと意味がありません。

 マラソンは記録がそれほど実力を反映していないと考えて、男子ハンマー投と女子マラソンがメダル候補というのは、この「北京五輪特化世界リスト」でもわかりますが、入賞候補がガクンと減ります。男子の50kmWと4×100 mRくらい。候補というよりも、現時点で「北京五輪特化世界リスト」の8位以内に入っている種目ということです。
 女子マラソンの2人目と男子マラソンも入賞候補と言って良いと思いますので、全体ではメダル候補が2、入賞候補が4という風には「北京五輪特化世界リスト」でも言えるのです。陸連が掲げた「メダル2、入賞5」という目標に近い数字になります。

「北京五輪特化世界リスト」のどこが革新的かというと、きっちりと数字(リストの順位)で、日本選手の現状がわかるようにした点です。
 これまでのトラディッショナルな展望記事でも、頭のなかではこれに近い作業をしていたのですが、どうしても“良い成績”を期待して書いていました。準決勝が順当と思いながらも、本番で自己ベスト(に近い記録)を出したら決勝進出の可能性がある、と書いてしまうわけです。日本選手だけが自己新を出せるような前提を作ったり、前回の五輪の入賞ラインと日本選手の自己ベストを比較したりして、“順位の上がるようなシミュレーション”をしてしまっていました。
 それをこうして、「北京五輪特化世界リスト」できっちりと数字に出すことで、“期待”が前提となっている展望記事とは違うテイストの展望記事になるのです。

 お気づきのことと思いますが、これも昨年の世界選手権を反省してのこと。
 一般メディアはともかく、専門誌はこれまでも、後ろのページではしっかりと世界リストや、日本選手びいきでない展望記事も掲載していました。ですから、巻頭ページが“メダル期待”テイストでも良いと思っていたのですが、高橋編集長はそれを潔しとしなかったわけです。
 この件については寺田も異論はありません。読者に期待を持たせるのではなく、「決勝に行けたら大健闘なんだ」という認識を持ってもらう。その方が、選手の頑張りを正当に評価することにつながると思います。
 なんでもかんでも“期待できます”調の展望記事はもうやめましょう、ということです。寺田の“トラディッショナル”な展望記事もよく読めば、昨年までよりも期待の部分が小さくなっているのがわかると思います。

 それでも、高橋編集長ほど客観性に徹しきれないのが、寺田の個性といえば個性。
 メダル2、入賞4というのが北京五輪の現実的な目標だと思いますが、跳躍種目の醍醐、澤野、池田の3人のうち1人は入賞することを期待して、メダル2、入賞5というのが寺田の予想する北京五輪成績です。
 昨年までならメダルを男子マラソンでもう1、入賞を男女マラソンでもう1、全体でもう1(400 mHか女子20kmWか、男子4×400 mRあたり)と予想していたと思いますが。本音を言えば、今年もこちらの数値にしたいのです。
 そうそう。400 mHは成迫健児選手の入賞をイメージしています。為末選手ではありません(と書く理由は、こちらの記事を読んでいただければわかります)。


◆2008年7月19日(土)
 未知の強豪ならぬ“未知の大会”の1つだった市原ナイターの取材です。あの小林史明選手が2002年に5m71の日本記録(当時)を出したことで、一躍、名が知れ渡りました。
 最寄り駅はJR内房線の五井駅。Jリーグの試合があるときは駅からシャトルバスが出るようですが、今日は出ていないようです。全米選手権帰りの朝日新聞・原田記者と一緒に市原臨海陸上競技場に。報道受付もありましたが、今回は“腕章切れ”。醍醐直幸選手、澤野大地選手という五輪代表2人が出場するとあって、メディアが押し掛けたからです(10社くらい?)。
 でも、そこは千葉。うるさいことは言われず、我々の良識に任せてくれました。10社くらいということは、熱心な記者だけということ。無用なストレスを選手にかけることはないはずです。
 記者席もスタンド上のサッカー用の部屋を使わせてもらうことができました。これが、記者席から見た臨海競技場。サッカー用の記者室だけあって、トラック手前の砂場で行われる走幅跳は見えませんでした。

 基本的には地元中学生・高校生が記録会的な雰囲気で出場できる試合でした。それでも、陸上どころ千葉ということで、なかなかの盛り上がり方です。前述の2人以外にも大物選手がそこそこ出場していて、プログラムには「第15回市原ナイター陸上競技記録会見どころ」がはさんでありました。親切です。
 女子100 mHには石野真美選手(長谷川体育施設)、男子走幅跳には猿山力也選手(モンテローザ)と新村守選手(東海大)、女子走高跳には藤沢潔香選手(ファイテン)、そして中学・高校生では走高跳の戸邊直人選手(専大松戸高)と田子大輔選手(八幡東中)。

 走高跳が始まって2m00くらいにバーが上がったので、インフィールドで撮影しながら取材をしていると、原田記者から「集合です」という電話。3〜4コーナー間のスタンドで醍醐選手と一緒にいて、手を振っています。何かと思っていくと、醍醐選手が背中(左右の肩胛骨の間)を痛めて欠場するとのこと。残念ですが、仕方ありません。幸い、数日で治りそうということでした。アイシングをしながらも、サインに応じていました(写真)。

 棒高跳で澤野選手が登場するのは19時近く。アップをする前には成田高時代の恩師の順大・越川先生と話をしたり(写真)、市原市長から花束を贈られたりしていました(写真)。
 そうこうしていると、ついに主役(?)が登場。小林史明コーチの姿を発見しました。6年前に日本記録を跳んだピットの方を、感慨深げに見つめていました(写真)。このシーンを撮れただけでも、市原まで来た甲斐があったというもの。そのくらい、市原ナイター=小林史明というイメージが、寺田の中にはあったのです。

 その間に女子100 mHでは石野選手が、追い風2.7mで参考記録でしたが13秒27と好タイム。100 mも2本走って11秒99(+2.6)と11秒97(+0.7)。100 m出場自体が2年ぶりで、自身初の11秒台だそうです。
 もっと惜しかったのが男子走幅跳。1回目の7m77(+2.4)で猿山選手が、関東インカレ優勝の新山選手(7m54 +3.0)を抑えましたが、3回目には実測で「8m10くらい」と審判の方が周囲に話していました。追い風がどのくらいだったのか、また、踏み出していた距離などわかりませんが、今後を注目すべき選手でしょう。
 締めは澤野選手。5m60でしたが助走に好感触を得たようです。詳しくはこちらの記事で。

 帰りは3人の記者の方々とタクシーに同乗。そのうちのS記者は千葉県出身です。車内では「千葉といえば増田明美さんでしょう」という話が出ました。もうすぐ、「カゼヲキル」の第3巻(最終巻)が出ます。


◆2008年7月21日(月)
 夕方の17時から中京大でハンマー投チャレンジカップの取材。この大会は今日と27日の2回行われます。
 室伏広治選手の肝いりというか、オリンピック前に試合をこなすのが目的で開催が急きょ決まった試合ですが、競技開始前には「ハンマー エキスペリエンス」というイベントも行われました。重量の軽いソフトハンマーを、中京大の先生方と記者たちが投げて、ハンマー投を体感するのが目的です。これは室伏選手がかねてから実施したいと考えていた企画(だと思います)。
 2年前の公開練習時にも同様の試みが行われ、寺田も軽い重量のハンマーを投げましたっけ。それでハンマー投の何かがわかったかというと、そんな簡単に何かがわかるというものでもないのですが、まったくの経験ゼロよりはましということで。

 試合というか、室伏広治選手の様子はこちらに記事にした通り。室伏重信先生がずっと言い続けてらっしゃるように、アベレージを上げることが大切という考え方です。元から、メダルを狙ったりはしませんし。

 帰りは日経・市原記者と同じ電車に。3月から電子マネーのEdyへのチャージに、クレジットカードのポイントが付かなくなりました。その辺の電子マネーの事情と、おさいふケータイについて色々と教えていただきました。
 書いてなかったと思いますが、Athletics2008の代金未払いが2件あった問題も、同記者のアドバイスに従って該当者に電話を入れ、1件は無事に解決しました。先輩マネジャーが後輩マネジャーの名前で申し込んで、しかも、普段はあまりチェックしない寮のメールから送信したのが原因でした。もう1箇所の会社(北日本を代表するテレビ局)は、電話が通じません。


◆2008年7月25日(金)
 代々木の織田フィールドでトワイライト・ゲームス取材。
 5回目ということで陸上界ではお馴染みとなった大会。“ビール片手にナイターで陸上観戦”というコンセプト。ヨーロッパGPのノリですが、記録に関してはヨーロッパGPほどナニがありません。これは今後の課題でしょう。
 報道受付に中村宝子選手。学連の役員もやっているのかと思いきや、慶大が補助員として担当されているのだそうです。最初、誰かわからなかったので、ちょっとビックリ(「ビックリ」は中村選手と同期の福島千里選手の口癖ですが)。
 本部席横に行くと記者用の机が3列(4列?)くらい並べられていました。以前はまったくありませんでしたから、報道対応は年々進んでいます。

 この大会の問題は、ホームストレートがフィニッシュ付近から見えない点にあります。以前にも書いたと思いますけど。客席とトラックが近くて選手の迫力あるパフォーマンス間近で見られる、というのがこの大会の特徴ですが、これではなんのためなのか、という意見が出ても仕方ありません。
 競技終了後に関東学連幹部の方にも申し上げたのですが、夢の島競技場の方が開催場所としては良いのではないでしょうか。織田フィールドは最寄りの原宿駅から歩いて15分くらいかかりますが、夢の島は新木場駅から5分くらい。会社帰りに寄れるという点では、織田フィールドと変わりありません。スタンドも中規模で、横浜や長居のようにだだっ広くは感じません。トラックの外にロープなどを張れば、観客をすぐ近くまで入れることも可能でしょう。この辺は、ゴールデンゲームズinのべおかあたりが参考になるのではないでしょうか。

 見られなかったものがもう1つ。フィールド種目の有力選手試技を見逃してしまいがちでした(どの大会にも言えることですが)。短い時間で競技会を終わらせる必要があるため3種目くらい同時進行していて、しかも4回試技システムを採用していたことが拍車をかけました。1種目に1人は担当者を付けて、有力選手の試技前には「○○選手です」のひと言のアナウンスがあると助かります。という話を、K先生やS記者としていました。
 迫力あるパフォーマンスを理解するには、それなりの知識が必要だと思っています。近くで見せることもそうですが、いかにきっちり見せるかが大事だと思っています。

 今大会一番の好記録は男子砲丸投の大橋忠司選手の17m84=日本歴代6位でしょう。ということで、こちらに記事にしました。五輪代表で唯一参加した塚原直貴選手の10秒29(+0.4)も好走。ご存じの方も多いと思いますが、織田フィールドのトラックは表面がかなり荒れています。ちょっと古い施工のようで、近年の高速トラックとはまったく違います。時期的にも練習を追い込んでいるところで、表面的な数字で評価してはいけないケースです。
 記録ということで気になったのが最優秀選手。男子は400 m優勝の宮沢洋平選手(法大)、女子は100 m優勝の和田麻希選手(龍谷大)が選ばれました。大会新記録の中で評価が高いものという選考基準のようですが、記録は46秒54と11秒82(+0.2)でした。このレベルで最優秀選手と発表したら、他の大会と比べてレベルが低いと宣伝しているようなものです。“記録が陸上競技の全てじゃないですよ”とアピールしているともいえるのですが、ちょっと引っ掛かるものがありました。○○新記録とか、何種目制覇という通常とは違った視点で、選出してもいいのではないかと。
 その辺も学連幹部の方に申し上げたら、その方から「自己記録更新が大きかった選手にするとかいいかもしれません」という意見が出てきました。寺田も賛成させていただきました。


◆2008年7月27日(日)
 陸連短距離合宿取材のため富士吉田に。ここ数年、世界選手権とオリンピック前には必ず短距離合宿が行われ、公開取材日で富士北麓競技場に行くのが恒例行事になっています。
 ただ、今年は体力温存モード。今月、若干の体調不良があったことですし(キャッチコピーの不屈は、実は腹痛との噂も)、来月の北京取材に備えて体調に気をつけています。正規の取材IDは持っていないので、ぬるい取材しかできないのですが。カメラも一眼レフの望遠レンズではなく、軽めのレンズ一体型にして負担を少なくしました。写真撮影自体、暑かったらやめようかと思っていましたが、涼しかったので少し撮ることに。

 今年の特徴は女子の福島大勢の存在。昨年まで、女子4×100 mR勢は一緒のこともありましたが、4×400 mR勢は別の場所で行っていたと思います。写真を紹介したかったのですが、一体型のカメラではやはり力不足。どの絵柄も今ひとつ。北海道出身4選手(高平選手+木田選手+久保倉選手+福島選手)の写真はあるのですが、ライバルのO村ライターがセッティングしたようなので控えます。
 走っている写真でしっかり撮れたのは、堀籠佳宏選手と安孫子充裕選手のこの写真(金丸祐三選手は軽めの練習で切り上げたようです)。堀籠選手が宮城、安孫子選手が山形という東北出身コンビ。4×400 mRはアテネ五輪も福島の佐藤光浩選手、秋田の伊藤友広選手がメンバーに入っていました。

 末續慎吾選手も今日は軽めの練習。その理由はこの記事のコメントにある通り。ということで、4×100 mRのバトン練習は末續選手を除いたメンバーで。斉藤仁志選手は色々な走順でバトンパスを行っているようでした。この写真では2走のポジションです。
「5番目の選手としての役目をまっとうしたい」
 斉藤選手のスカッとした話しぶりが印象的でした。
 公開練習では練習終了後、主だった選手の囲み取材がセッティングされます。そこで、その日の練習内容に対して記者たちが突っ込みを入れることで、その選手の現時点でのテーマや課題などが浮き彫りになってくることもあります。こちらの思うように話が展開しないこともありますが、しっかりと練習を見ておく必要はあります。
 もちろん、この記事にある金丸選手のコメントにある“44秒台を出すためのレースパターン”など、その日の練習とは関係なく、面白い話が出てくることもありますので、その日の練習内容にこだわりすぎる必要もないのですけど。

 こちら内藤真人選手の写真。ヨーロッパ遠征2試合目を脚の不調でキャンセルしましたが、そちらの心配はもうないようで、いつも通り元気な笑顔を見せてくれました。ただ、例年の練習風景とはちょっと雰囲気が違います。なんでだろうと考えていたら、ハタと理由を思いつきました。
 ここ数年、110 mHは必ず複数の選手が富士北麓で練習をしていました。1人代表がいつ以来か調べるとシドニー五輪以来。そのときは谷川聡選手だけでした。翌2001年のエドモントン世界選手権から内藤選手が代表入りを続けていますから、内藤選手が1人で富士北麓で練習をするのは初めてということに。それで、後輩の成迫健児選手をかまっているのだと思います。ハードルブロックの人間関係には、微妙な変化があったような気がします。気のせいかもしれません。

 今回、スタッフにはアテネ五輪4位入賞メンバーの土江寛裕監督の姿もありました。今や、4×100 mRのスタッフとして欠くべからざる存在になっているようです。色々と忙しいようで、練習が終わってバスに乗り込むのも一番最後。
「ツッチー、ジュース買ってきて」
 バスから顔を出した朝原宣治選手から声がかかりました。立場は変わっても、人間関係は変わりません。


◆2008年7月29日(火)
「北京五輪完全予想 」(テレビステーション別冊。ダイヤモンド社)の発売日。このところ問題になっている(というか、寺田が話題にしているだけですが)日本選手の“期待値”込みの予想ではなく、客観的に見たパーセンテージを以前からきっちりと出している雑誌です。4年前と8年前は寺田が陸上競技を担当しました。過去形にしたのは、今回は別のライターの方が担当したからです。でも、なぜか寺田の名前も出ています。記事中のコメントだったり、予想欄の担当者だったり。
 実は、この雑誌用の取材を受けています。7月3日の日記にそのときの様子を書いています。待ち合わせに赤いバラならぬ“赤い馬鹿”を胸ポケットに差して行った取材です(このくらいやらないと陸上界は盛り上がらない)。話題性の高い種目は小山裕三監督、苅部俊二監督、有森裕子さん、土江監督らがコメントし、その他の種目は寺田がちょっとずつネタになりそうなことを話しています。
 そのときの女性ライターが誰か(100 mが11秒台で土江寛裕監督と同学年)を知りたい方は、雑誌を買って巻末のスタッフ名が記されている欄をご覧ください。

 言い訳と訂正を2〜3。
 男子100 mの予想欄でゲイに◎をつけていますが、これは全米選手権の200 mでケガをする前の時点で判断したからです。女子棒高跳はスタチンスキ(米国)を◎にしていますが、これもイシンバエワの世界新が出る前に予想したから。紙のメディアの場合、こういったタイミングの問題がどうしても生じてしまいます。
 110 mHは劉翔(中国)が◎ですが、ロブレス(キューバ)の世界新のあとの判断です。勝負となったらやっぱり劉翔でしょう。女子100 mはL・ウィリアムズにしてあります。そのうち調子を上げてくるだろう、と期待していましたが、実際にはなかなか上がってきていません。これは予想力不足。
 それと、コメントが「ジョーンズの10秒88は…」となっていますが、もちろん「10秒65」の間違い。わざわざ書かなくてもわかるミスですけど。

 今回の取材で気づいたことが1つ。自分で書くと書けないようなことでも、コメントなら言いやすいのです。選手や指導者が、書くことはできなくても話すことはできる、という心理状態がちょっとわかった気がします。

 夜は、明日の陸連跳躍合宿公開練習取材のために御殿場(静岡県)まで移動。静岡県(袋井市)出身の寺田ですが、御殿場に来たのは初めて。涼しくてビックリしました。標高500mくらいなのですが、熱帯夜はほとんどないとネットで見ました。思ったより近かったですし。


◆2008年7月30日(水)
 御殿場で陸連跳躍合宿取材。御殿場自体初めて来た場所ですから、競技場も初めてです。
 昨年まで、跳躍ブロックは北海道で直前合宿をしていました。御殿場となったのは棒高跳の事情によります。やっぱり、風向きが安定した場所が望ましいのだそうです。考えてみれば、人員が多くいる試合ならピットの向きを変えることも可能ですが、練習でそれを行うのはほぼ不可能。練習場所を選ぶ際の決め手になって不思議ではありません。
「いくつかあたったのですが、サッカーでことごとく断られました。そういえば、御殿場も風が良かったな、と思い出して」(澤野大地選手)
 付け加えるなら、澤野大地選手にとって御殿場は2001年に当時の学生記録(5m52)を跳んだ競技場です。あとでE本編集者から指摘されて気づきました。

 改めて書く必要もないと思いますが、北京五輪の跳躍代表の3人は同学年で、全員が日本記録保持者。世界大会の入賞経験も持っています。「3人の共通点で何か」という陸マガ編集部の希望もあり、3人の指導者との関係を書こうかと思っていました。池田久美子選手が練習拠点を福島大からJISSに移し、醍醐直幸選手も3月から福間博樹先生のところに行かなくなりました。
 同じ時期に、同じような判断をしたわけです。澤野選手と米倉照恭コーチはもとから、澤野選手の考えに沿って米倉コーチがアドバイスをする形でした。この辺で何か書けるかと思い、福間先生にも電話で話を聞かせていただいていました。
 しかし、この手のテーマは慎重に書く必要があります。共通の考え方がないわけではないのですが、個々の事情に基づいた結果の現象です。今回の行数で書ききるのは無理がありました。このテーマはもう少し、温めておきます。

 しかし、この3人だからこそ、という雰囲気もありました。3人だけの合宿は初めてだといいますし、練習メニューももちろんまったく別。それでも、何かを共有している雰囲気があります。見ている側の思い込みかもしれませんけど。
 こんなシーンがあったので写真で紹介しておきます。
写真1    
 池田選手が助走&踏み切り練習のためにバックストレートへ移動する際に、棒高跳のピットを横切りました。そこに澤野選手が来て二言、三言話を交わします。そこに、助走ドリルを繰り返していた醍醐選手も加わってきました。すぐにそれぞれの練習に散っていきましたから、時間にすると1分もなかったと思いますが、そのときの雰囲気が“はまっている”印象を受けたのです。

 跳躍合宿のあとは、19時に成田空港に着く土佐礼子選手の帰国取材に向かいました。
 御殿場駅のホームで電車を待っていると週刊誌Pから電話が入りました。以前、何かをコメントしたことがあったので、こちらの電話番号を知っていたのです。しかし、今回はコメントはお断りしました。昨日紹介した「北京五輪完全予想」ともう1つテレビ番組雑誌は受けましたが、俗に言う週刊誌と夕刊紙には協力しないことにしました。
 以前は、仕事を選ぶ立場じゃないと思っていましたが、今は「変な雑誌(記事)に名前が乗るのはマイナス」と考えるようになっています。その手の取材を受けて、その後の仕事に何かつながるということはありません。以前はそういうことも期待していましたが。一見(いちげん)さんは、4年に1回なのです。そういえば27日の富士北麓取材中に、ケネス記者(陸マガ英語講座)に一見さんを英語でなんと説明したらいいか、話題になりました。あれ、新陳代謝だったかな。

 御殿場線電車では朝日新聞・堀川記者と、日刊スポーツ・佐々木記者と一緒でした。途中、山北駅を通過したとき、堀川記者の表情にちょっとした変化が。湘南ボーイの堀川記者は、アジア大会4冠の磯崎公美さんと同学年で、同じ競技会によく出ていたといいます。その頃の男子高校生にとって、強くてカッコイイ磯崎さんは憧れの存在でした。
 その磯崎さんの出身校が山北高です。堀川記者の表情の奥にどんな感情があったのかは知るよしもありません。もしかしたらただ、窓の外を見ただけかもしれませんし。少なくとも寺田には、“ここが山北か”という感慨が少しありました。

 松田で小田急の快速急行に乗り換え、新宿からJR、日暮里から京成のイブニングライナーと、最もお金のかからない経路で成田空港に。“成田取材の鬼”の異名をとる佐々木記者ですが、明日、北京に出発ということで今日はパス。
 明日の11時には為末大選手がヨーロッパから帰国します。と今日、サニーサイド坂井氏(前橋育英高陸上部OB)から連絡がありました。成田に5000円前後で泊まれたら、そのまま居残ろうかと思いましたが、8500円のホテルしかありません。引き揚げるしかありませんでした。


◆2008年7月31日(木)
 朝の11時に成田空港に。ロンドン、モナコと転戦した為末選手の帰国取材です。おそらく五輪前に接触ができる最後の機会。2日連続で成田空港に行くことになろうが、2日連続で佐倉の風車を見て三代直樹選手(現富士通広報)を思い出すことになろうが、そんなことは妨げになりません。“成田取材の鬼”こと日刊スポーツ佐々木記者は、北京出発当日のため今日も欠席です。さぞや無念だったことでしょう。
 取材した内容はこちらの記事で紹介しましたが、取材の最後の方は、大きな大会の前は“引き籠もる”という話が中心に。その間、何もやらないわけではなく、ゲームなどもしているということで、スポーツ新聞各紙が取り上げた話が展開されたのです。昨日、御殿場駅で佐々木記者から“ある話”を聞いたばかりだったこともあり、寺田も他の記者たちと一緒に突っ込みを入れていました。少しだけですが。

 そのあたりから雑談モードに近い雰囲気になってきました(どの記者も必要な情報は聞けたぞ、という雰囲気になるとそうなることが多くなります)。
 為末選手の方から、
「日本では何か大きなニュースがありましたか?」
 という逆取材がありました。近くにいた寺田がすかさず
「成迫(健児)選手が、10台目まで14歩をやるかもしれないと表明したんだよ」(こちらの記事参照)
 と言うと、為末選手が例の仏像彫刻を思わせる笑みを浮かべながら
「それをニュースと言うのは寺田さんだけですよ」
 と返してきます。賛同してくれそうな中日スポーツ・寺西記者の方を向きながら
「ニュースだよな」
 と寺田。
「……ぇえ、もちろん」
 と寺西記者。

 これは成迫選手の件がニュースかそうでないか、という点を論じたかったわけではありません。それは上辺だけの言葉。為末選手が聞いてきたのは、陸上界というよりも世間一般のニュースという意味でした。それをあえて、陸上界のニュースで寺田は答えました。
 記事にもしたように、為末選手はすでに技術云々という段階を過ぎ、集中モードに入りつつありました。しかし、為末選手も昨年まで、14歩の歩数を9台目まで伸ばすことを検討していたのです。
「実は僕も14歩を○台目まで伸ばすことを…」という答えが、つられて返ってくるのではないかという期待も込めたのです。まさか「寺田さんだけ」と逆襲されるとは思っていませんでしたが。
 そもそも、陸上競技の技術論が居酒屋で話題になるようなら、「陸上競技もメジャーになった証拠」と発言していたのは為末選手です。成迫選手の歩数がニュースや居酒屋の話題になるのであれば、為末選手も喜んでくれるはず。そういう状況に遠い現状も、残念ながらわかっているのでしょう。

 11:50頃のスカイライナーに飛び乗って上野に出て、上野から熊谷まで高崎線で移動(新幹線はちょっと)。埼玉インターハイの3日目を取材しました。お目当ての一番は男子走幅跳。記録こそ7m50に届きませんでしたが、期待に違わぬ激戦でした。予断の許されない逆転の連続。本当に面白かったです。その様子はこちらに記事にしました。かなり手荒に書いたので読みづらい点もあると存じますが、なかなか大作記事になったと思います。
 記事にはできませんでしたが、知り合いの高校生新聞の記者が白樺学園高の奥泉先生に話を聞いていたので、寺田もちょっとだけ冬の間のトレーニングについて聞くことができました。
 帰りのバスを待つ間、「やっぱりインターハイだよな」と、某専門誌のE本編集者に話していました。好きなのは国体なのですけど、青春と汗はインターハイの方が似合います。


◆2008年8月1日(金)
 16:30から代々木体育館で、陸連主催の新マラソン開催決定の記者発表。会見の案内faxを見たとき、東京国際女子マラソンの後継大会のことだな、とピンと来ました。首都圏でやることは既定路線。湘南かな、と思っていたら横浜でした。
 横浜では女子駅伝との兼ね合いが難しくなると思っていたのですが、読売新聞が特別後援、テレビ朝日と日本テレビが隔年中継というウルトラCが用意されていました。関係者が、エリート女子マラソンの存続に協力し合ったということでしょう。そう思いたいです。

 寺田が確認したかったのは、東京国際女子マラソンとの継続性をどうするかという点。東京は今さら書くまでもありませんが、世界初の(IAAF公認の)女子単独レースという歴史的な大会。その業績を毎年のプログラムに掲載しなくなるのは、寂しいことこの上なし、と思われました。そうなるといつしか、人々の記憶から薄れていきます。
 いざというとき(どういうとき?)のために福岡国際マラソンとびわ湖マラソンのプログラムも持参。福岡は以前、福岡以外の複数都市で行われていますが現在、福岡国際マラソンとして回数も歴代優勝者もカウントしています。びわ湖マラソンも当初は、大阪とかで行われていました。94年はアジア大会リハーサルとして広島開催でした。
 こちらの記事にも書いたように、「まだ詰めてはいないが、前例を踏襲したい」という陸連幹部のコメントがあり、ホッとしています。

 夜は早狩実紀選手に電話取材。陸マガ9月号のPEOPLE用の取材です。五輪直前の時期にどうかな、と思いましたが、そこはベテラン選手ですから大丈夫なのです。


◆2008年8月2日(土)
 埼玉インターハイの最終日を取材。今日の目的は、埼玉栄女子のインターハイ累計得点1000点突破を見ることでした。これはもう、ぐだぐだ説明をする必要はないでしょう。こちらの記事に書きましたが、累計得点の2位は添上で539.5点、3位は富士見で348.5点。男子では400点台がトップですから、埼玉栄が断トツなのは一目瞭然。インターハイ史にとどまらず、日本の陸上競技史上に残る快挙です。

 その前に男子110 mHで快記録が誕生。大室秀樹選手が14秒05(+0.4)の高校歴代4位で優勝したのです。昨年大活躍した中村仁選手(洛南高→筑波大)が卒業。注目の2年生の矢沢航選手も準決勝で途中棄権。期待がそこまで大きくなかった種目での快走だっただけに、陸上界への衝撃は大きかったと思われます。
 しかも、地元埼玉の選手。埼玉は女子800 mと3000mWにも優勝。埼玉栄が1000点を越えた大会で、同高とは違う3つの学校の選手が優勝しました。

 1000点突破を達成した種目は4×400 mRでした。理由を上手く説明することができませんが、埼玉栄らしい種目だったという印象です。全種目が終了したこともあり、清田浩伸監督も入賞者控え室に。さっそく、大森国男前監督(現京セラ監督)に報告の電話を入れていました(写真)。
 記事にする際に懸念していたのが、現役の高校生がどのくらい1000点の重みを理解しているか、という点です。80年代から埼玉栄の活躍を知っている人間なら、城島直美選手、柿沼和恵選手、徳田由美子選手、高橋萌木子選手と、高校陸上史を彩った選手たちがすぐに思い浮かびます。また、インターハイで得点し続けることの大変さも、当事者ほどではないにせよ、少しは実感していると思います。
 ちょっと恐る恐るという感じで、キャプテンの水村選手に質問したところ、こちらの記事中でも紹介した
「歴代の記録は自分たちも知っています。先輩たちの総合6連覇も、自分たちの学年は(直接的に)知っています。得点を取ること、大変さは目の当たりにしてきました。自分も今回、400 mHで2点しか取れませんでした。1点1点を取ることの大切さを実感しました」
 というコメントをしてくれました。
「実はピンと来ないんですよ」と言われたらどうしようかと思っていました。どんどん新しいことを取り入れる清田監督が、伝統という部分も上手く選手のモチベーション向上に利用しているのだと思います。

 今日取材をしていて気が付いたことが1つあります。取材というよりも、インターハイ会場を歩き回っていて、と言った方が正確でしょうか。それは何かというと、醍醐直幸選手が女子選手間ですごい人気なのです。
 女子総合優勝の東大阪大敬愛の集合写真を撮っているときも「ダイゴ、ダイゴ」という声が出ていました。女子4×100 mR優勝の相洋の選手たちも仲間内で集合写真を撮っていましたが、やはり「ダイゴやろう、ダイゴ」と話していました。
 まあ、醍醐選手は強いしイケメンだし、さもありなんと思っていたのですが、どこか違和感を感じていました。
 夜、テレビを見ていて気づきました。こっちのダイゴだったんですね。
 でも、先日の御殿場での公開練習の際、醍醐ポーズもあるようなことを越川先生が言ってらっしゃいました。この写真を撮るときにそんな話が出ていたと記憶しています。北京五輪後には、“本家ダイゴ”ポーズが有名になっているかも。まさちゃんポーズに負けず劣らず…。

 埼玉栄の1000点突破記念撮影ですが、集合の後ということで一番最後の取材に。辺りはもう、かなり暗くなっていましたが、競技場まで移動してくれて撮影をすることができました。競技場管理の方も快くOKを出してくれたので良かったです。ときどきいるんですよね、お役所気質の競技場管理人が。
 最初はこのポーズで1000点突破を表してもらいましたが、全体を写すと小さくなってインパクトに欠けます。何かないかな、と考え続けて、このポーズをとってもらいました。


ここが最新です
◆2008年8月11日(月)
 ドタバタしています。明日、北京に入るのですが、急きょ依頼された原稿の締め切りがありまして。本当は昨日が締め切りだったのですが、状況を見ながら書く必要があって今日にずれ込んでいます。

 かなり追い込まれていましたが、気分転換も必要。原稿を書く合間にコミックを読みました。陸マガの巻末(プレゼント・コーナー)などにも載っている「GOLD DASH」の1〜3巻です。
 元ヤンキーにして、鳶職とキャバクラ嬢を兼業していた主人公・伊藤蘭(親がキャンディーズ・ファンだったという設定)が、実業団の監督経験を持つ大鳥嵐(トラック運転手)にランナーとしての才能を見い出され、マラソンランナーとしてオリンピックを目指していくストーリーです。連載されている「イブニング」(講談社発行)が30歳台の男性をターゲットとしたコミック誌ですから、男性の方が楽しみやすい部分が多いでしょう。
 設定は漫画だからできること。主人公の女性は鳶職で鍛えられていたとはいえ、練習を始めて数カ月の初マラソンで、ハーフを1時間4分台で通過します(途中棄権)。その後の1万m記録会では、途中で転倒してトップ集団から200 mも遅れながらも逆転し、日本記録を上回るタイムでフィニッシュします(脚を引っかけてきた相手を殴って失格)。
 ライバルの加納愛は大阪世界選手権のスタート直後に、沿道を併走する主人公に触発されて飛び出して独走(主人公は、監督が途中でやめさせました)。2時間20分を切るペースで競技場まで帰ってきます。これもトラックで倒れて4位に後退しますが、真夏のマラソンではあり得ない話です。

 でも、陸上競技に詳しい人ほど楽しめる内容です。設定の大きい部分は荒唐無稽でも、細かい部分が現実的なのです。練習のタイムなどレースよりかなり遅いですから、フィクションには不向きな部分ですが、その辺をごまかしていません。食事のシーンでどんな栄養の摂り方がいいのかを監督の母親が説明するくだりがありますが、そのあたりは真面目そのもの。世界選手権では名前こそ少し変えてありますが、室伏選手、末續選手、池田選手、ゲイ選手らが登場します(ストーリーには絡みません)。
 どうやら、長距離関係者がアドバイスしているようです。故中村清監督のエピソードのパクリもありますし、この話はあの指導者の本に載っていたかな、というものもあります。ライバルの加納選手の名前は、加納由理選手からとったのは明白ですが、美人というところは同じでもキャラは違います。

 3巻終了時点ではまだ、北京五輪の選考レースも終わっていませんが、どうなるのでしょう。主人公と監督の関係も、最後には恋物語になっていくのでしょうか? その部分の伏線も張ってあります。そちらのライバルはキャバクラの社長みたいです。
 頭の硬い方にはお勧めできませんが、娯楽として陸上競技が題材になったものに接したいという方は楽しめると思います。そして、“夢を追う”という部分は素直に感動しました。明日へのエネルギーをもらえますね。


寺田的陸上競技WEBトップ


ベビーマッサージならPRECIOUS(東京都府中市)
楽天の陸上競技関連商品


昔の日記
2008年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 
2007年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10・11月 12月
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月