続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2002年4月
寺田的陸上競技WEBトップ

■4月30日(火)
 締め切りいっぱい。一行日記。

■4月29日(月)
 織田記念の取材中にいきなり、背中を思いっきり押されました。押したのはスポニチ・中出記者と仇敵・佐々木記者(日刊スポーツ)。よろけた寺田は、女子5000mで優勝した山中美和子選手の目の前に進み出ることに……。こうなったら、腹をくくるしかありません。
寺田「山中さん」
山中「あっ、こんにちわ」
寺田「せくろ4位、おめでとう」

 TBSが世界選手権放映時に世界陸上を「せりく」と略していたので、だったら、世界クロカンは「せくろ」、世界ハーフマラソン選手権は「せはー」になります。世界クロカンでシニア選手史上最高順位の4位になった山中選手に会ったら、「“せくろ”4位おめでとう」と言おう、と、3月25日の日記で提案したのです。寺田は絶対に言うと、公約もしました。
 しかし、いざ本人を目の前にすると、恥ずかしくてとても言い出せません。言おうとすると、ものすごいプレッシャーなのです。陸上競技ライターなどと名乗っている男の正体は、こんなものです。「ダメだ、とても言えない」と中出・佐々木両記者の横で漏らしたのが運の尽き。上記の試技とあいなりました(正確には仕儀でしょうか。織田記念はフィールド種目が多いですから)。
 一瞬、「えっ?」という表情をした山中選手ですが、「4位」という部分で理解できたのでしょうか、すぐに世界クロカンのことだと気づいてくれました。
 めでたしめでたし。


■4月28日(日)
 ついに来ました、ユニバー記念競技場(兵庫リレーカーニバル取材です)。昨年も日記で紹介しましたが、寺田の初めてのインターハイ取材が88年の神戸インターハイでした。兵庫リレーカーニバルは例年、群馬リレーカーニバルと重なっていましたし、編集部員時代は取材機会に恵まれませんでした。ですから、本当に久しぶりにユニバー記念競技場へ足を運んだわけです。初恋の人と14年ぶりに再会するような気持ち……の28分の1くらいの感情だと想像してください。
 地下鉄の駅を降りると、「そうそう、こんな場所だったな」という気持ちにはまったくなりませんでした。まったく思い出せないのです。当時は陸マガ編集部の新参者です。仕事のことで頭がいっぱいで、駅の周辺の光景まで覚えている余裕はなかったのでしょう。
 もちろん、競技のことは覚えていますよ。初日の男子400 mの渡辺高博選手の高校新、同じく高校新でゴールするときの1500m・浜矢選手の飛び上がったガッツポーズ。表紙になりましたね。2日目の杉本龍勇選手の100 m優勝。フィールド種目では走幅跳の森長正樹選手が2年生優勝。女子3000mの桂知江選手も強かったです。女子総合では埼玉栄が、インターハイ史上初の4連勝をやってのけました。
 カメラマンが写したそれらの写真をチョイスし、入稿作業をするときの心躍る思いは、今もよく覚えています(たぶん、徹夜だったと思いますが)。陸マガ1988年9月号のカラー頁は、ガッツポーズのフィニッシュ・シーンが“これでもか”というくらいに続いてます。雑誌ができてから冷静に考えると、同じ絵柄が続きすぎていると反省させられましたが、インターハイの感動を伝えようという一心で作業をした結果でした。5年後に同じ大会を取材し、同じ入稿作業をしたら、少しは違った誌面ができたと思います。インターハイ初取材編集者の“青さ”が出ていたのではないかと思います。
 いやー、我ながらなかなかいいことを日記に書いていますね。この仕事に就かなかったら、こういった日記は書けないわけですからね。うん。いい話だ。今週は、苅部俊二選手の「言いたい放題」を真似たり(23日)、為末大選手のWEBサイトをパロったり(24日25日)して、パクリばかりで日記を書いてきました。こういった話が続くのなら、パクリをしなくてもオリジナルネタで書けますね、寺田も。
 そうそう。ユニバー記念競技場と言えば、インターハイの3年前、1985年に神戸ユニバーシアードが開催された競技場でもあるわけです。それで、競技場の名前がユニバー記念なわけです。神戸ユニバーシアードも好記録、話題いっぱいの大会でした。そのなかでも一番の出来事は、陸マガも表紙にした男子走高跳の世界新、2m41だったと思います。1カ月前に人類初の2m40が出たばかりで、そのことが新記録の興奮に輪をかけました。2m41を跳んだのはソ連の選手でした。名前はイゴール・パクリン。


■4月27日(土)
 本日やっと、「ロンドン・マラソン最大の収穫」をサイトにアップしました。ロンドン・マラソン関連の仕事が全部終わったら、掲載しようと思っていたのです(あっ、でも細かいものはいくつか残っていますね。写真集にハヌーシ選手と土佐選手の写真も載せていませんし)。「最大の収穫」とは誰にとっての収穫かといえば、日本のラドクリフ・ファンにとっての収穫です。寺田は特に、彼女のファンというわけではありませんから。最初に断っておきます。
 それはともかく、ラドクリフ選手にこのサインをもらったときの状況を紹介したいと思います。「ラドクリフと森千夏の意外な接点」の記事中に書いたように、レース翌日の優勝者記者会見後、夫のゲーリーが日本人記者3人が仕事をしているテーブル(7〜8人座れる)に着席しました。バイキング形式のランチを2人分、お皿に盛ってテーブルの上に置いたので、「これはラドクリフと同じテーブルで食事か」と、日本人記者たちは色めき立ちました。
 そこで寺田が、このチャンスを逃してはならじと、陸マガ5月号の世界クロカンのページにサインをもらうことを決意。持っていたボールペンでは細過ぎるので、同じ部屋にある大会本部のデスクから、ブルーのサインペンまで借りてきました。しばらくするとラドクリフが席に着き、すぐに食事を始めました。さすがに、食事中はまずいだろうということで遠慮して、食事が終わったらすかさずお願いしようと、パソコン(おお、今叩いているこのパソコンだ)で仕事をするふりをして、チラチラ様子をうかがっていました。確か、土佐選手の一夜明け記事を送った少し後だったので、少しは余裕があったのだと思います。
 ところが、ラドクリフ選手は食事の途中で、隣のテーブルの英国陸上記者会(と思われる一団)との懇談取材に移ってしまいました。
「これは、何かが起こって、あっと言う間に席を後にしてしまうかもしれない。ちょっとの油断が命取りになる」と、思いました。そこで一計を案じ、陸マガを夫のゲーリーに見せることにしました。ゲーリーとは午前中の写真撮影の際にちょっと言葉を交わしていますし、世界クロカンのページに妻の写真が載っているのを見て、それも東洋の陸上雑誌なわけですから、興味がないこともないだろうと計算しました。
 ろくに英語もできないくせに、自分でも信じられない行動力です。日本にいる今考えてみると、よくぞあそこまでやったなと思います。現場に行くと、信じられない行動力というか、アドレナリンが出るのでしょう。
 計算通り、ゲーリーは色々と興味を持ってくれ、野口みずき選手のこと、千葉真子選手のこと、そして森千夏選手の中国人コーチのことを質問してきます。こちらも、ゲーリーの1500mの戦績などを質問しました(95イエテボリ世界選手権9位)。もしかしたら、これらの世間話をする前だったかもしれませんが、隣のテーブルを手で示して「この取材が終わったらこのページに、彼女にサインをもらいたいんだけど」と、約束を取り付けたのです。ゲーリーはもちろん、「いいよっ」てな感じで快諾してくれました。奥さんが美人で憎たらしいですけど、なかなかいい奴です。
 完璧な計画でした。が、1つだけ誤算が生じました。寺田がサインをもらっているところを、朝日・金谷記者が写真に撮ってくれることにもなったのですが、ラドクリフが戻ってくると、寺田が直接お願いする前に、ゲーリーが「ここにサインしてやって」ってな感じでパパッとラドクリフにサインをさせてしまったのです。うーん、直接お願いしたかったのに…。ということで、「寺田、ラドクリフにサインをもらう」の写真は掲載できませんでした。
 でも、予想通りというか案の定というか、次の予定が詰まっていたようで、ラドクリフ夫妻はサインをするとすぐに席を立って去っていきました。もちろん、お礼はとっさに言いましたけど、午前中に土佐選手を取材したばかりでしたから(うわっ、このオチも2度目だ)。


■4月26日(金)
 今夜は徹夜。小室は哲哉。

■4月25日(木)
 昨日の日記は為末大選手のサイトのパクリでしたが、為末選手サイトのリンク集には、寺田のサイトも載せてもらっています。その注釈には「俺より400H知っとる」とあります。3月に取材(テキサスに出発するとき)した際、「小さな文字で“俺より400H知っとる”に“わけがない”と付け加えておくように」とお願いしたのですが、ものの見事に無視されています。
 まあ、あのリンク集の一言コメントは全部ジョーク調なのでいいのですが。土江寛裕(富士通)選手にいたっては「世界最短足スプリンター」。10秒25(土江選手のベスト記録)以内の記録を持つ選手全員に脚の長さを聞いて回ったらしいです、昨年ヨーロッパでGPを転戦中に為末選手が…。
 話を戻します。
 ちょっと考えてみてください。我々陸上競技に携わる記者が、いくら陸上競技のことを考えてばかりいるといっても、ほとんどは机上でのことです。たまに練習を取材することはあっても、しょせん、点でしか練習を見られないわけで、トレーニングの全体像・流れを理解することは不可能です。練習の動きの細かい部分まで理解するのは、なおさらでしょう(努力は、しますが)。
 その点、選手やコーチは毎日、グラウンドで練習をし、その上で競技のこと、練習のこと、動きのことなど諸々考えているわけです。我々とは質というか、前提がまったく違います。仮に選手やコーチが、1日3時間練習し、5時間競技のことを考えたとしたら、1日8時間、1週間で56時間、1カ月で240時間、1年で2920時間と膨大な数字になるのです。とても、陸上記者ごときでは、足元に及ぶはずがありません。だからこそ、トレーニングや技術論に関しては、断定的な書き方はしないようにしています(たまーに、この持論は間違いないかな、と思うこともありますが。いろんな選手やコーチの話を聞く機会はありますので)。
 そんな陸上記者ではありますが、局面によってはなかなかいいアイデアを出すこともあります。陸上競技の面白さを世間一般にアピールする方法など、毎日当たり前のように陸上競技に浸かっている人間よりも、鋭い意見を持つことがあるのではないでしょうか。その例が、ロンドン・マラソン取材中に「ゴジラ!! ガメラ!! アベラ!!」(4月13日の日記参照)のキャッチコピーを思いついた日刊スポーツ・佐々木記者であり(あれっ、金谷さんでしたっけ?)、手前ミソではありますが、春季サーキット・グランドスラム観戦者に南部記念招待案(4月20日の日記参照)を思いついたTだと思います。
 実際、「ゴジラ!! ガメラ!! アベラ!!」はアベラ選手の代理人に採用されましたし、春季サーキット・グランドスラム観戦者南部記念招待案は、広告代理店の方(熱烈な陸上ファンでもある)から絶賛をいただきました。
 そんなことを考えながら、中距離サーキット(こちらに概要)の事務方を務める大塚製薬・木路(きじ)コーチに「サーキットの名称、寺田のサイトで一般公募したらダメですか」と提案したところ、快諾をいただいたので、中距離サーキットの名称公募の一文を記事(きじ)の最後に掲載しました(やばっ。このオチ、2度目)。みなさん、どんどん応募してください。
 やばっ。日記書くのに1時間使っちゃった。締め切りが……。


■4月24日(水)
 昨日の日記の締めは、苅部俊二選手の「言いたい放題」のパクリでした。今日の日記は何も書いていませんが(一行日記と予告しましたし)、為末大選手のWEBサイトからのパクリで締めたいと思います。「俺、締め切りおおいんやで。今週だけ」


■4月23日(火)
 今日、日体大のサイト四大学の成績一覧表が掲載されました。森千夏選手の女子砲丸投がレベル的(日本国内の)には一番高いかなと思いますが、男子100 mの田島宣弘選手もインカレが期待できそうです。競歩の山崎勇喜、女子短距離の藤巻理奈の新人コンビも好調のようです。同サイトには日体大・中大対抗戦の成績一覧も掲載されていて、トラック&フィールドのファンを喜ばせているものと思われます。
 なんでこの話をしたかというと、ちょっと前にがっかりしたことがあったからです。4月6日の中京大土曜記録会女子ハンマー投で室伏由佳選手が61m91、男子ハンマー投で土井宏昭選手が71m18を出したとき、ネット上をどんなに探しても、その正確な情報が見つけられませんでした。該当すると思われる陸協、大学、実業団チーム、投てき関連サイト、どこにも載っていません(唯一、あるサイトの掲示板に61m台と70mオーバーとの情報がありました。さすがH渡先生)。同じ日の東京六大学や、翌日(4月7日)の中大・日体大対抗も同様です。そのときはまだ、日体大のサイトが公開されていませんでした(一部では公開されていたかも)。
 ところが、しかし、その2大会の長距離関係の記録だけは、いくつかのサイトに載っているのです。長距離(というより箱根駅伝でしょうか)関係者・ファンは、そういった情報を誰かが公にしようとしています。反面、長距離以外の一般種目は、そういった情報を載せるサイトがない。長距離は関係者・ファンが一般種目よりも多いのでしょう。数が多いからこそ、そのうちの誰かが情報を公開するし、一種の市場原理(需要がある)が働いてそうなっているのだと解釈していました。つまり、一般種目は情報が少なくても仕方がない、とあきらめてもいたわけです。
 でも、4月の6日・7日のネット上の情報を見て、ふと思いました。一般種目のファンと関係者は努力と情熱が足りないんじゃないかと。反対に長距離(箱根駅伝)関係者は、情報を共有し、一緒に楽しもうという努力をしているんじゃないかと。もちろん、科学的に証明しろと言われてできる類のものではありません。そもそもこの日記は、あくまで寺田個人の感想を書くところなのですから。とにかくそう思ったのです。一般種目関係者・ファンは、努力が足りない、情熱が足りないと。
 トラック&フィールドが、マラソンや箱根駅伝に比べ人気がないことを嘆いている人が、きっと何人かこの日記を読んでいらっしゃることと思います。その方たちに言いたい。人気のなさをテレビや社会、マラソン・箱根駅伝ファンの無理解のせいにする前に、自分たちは何か努力をしているのか、と。情報が伝わらないから楽しめない、楽しめないから人気が出ない、だから競技レベルでも長距離・マラソンに差をつけられていく。悪循環の環(わ)をつくっているのは、自分たちの努力と情熱が少ないせいだと思いませんか…………………………………………いえ、この意見は撤回します。そんなことはないでしょう、ウン。情報が少ないのはやっぱり、関係者・ファンの数が少ないからです。そうだ、それに決まっている。そう考えるのが普通でしょう。情熱や努力など、定数化できないもののせいにするのはおかしいです。だいたい、インターネットをやっている陸上関係者自体、まだ少ないですからね。
 でも、まあ、そういった情報不足の一般種目関連サイトの中で、日体大サイトが中大・日体大戦、四大学と成績を掲載してくれたのは、一般種目関係者の情熱も捨てたものではないと、思い直させてくれました。スズキやミキハウス、富士通といった一般種目の選手を多く抱える実業団のサイトも、結果を速報してくれるようになっています。
 話はいきなり変わりますが、今日、リンク集に韓国の大企業、三星電子のサイトを加えました。韓国マラソン界のエース、李鳳柱選手が所属するチームですが、面白いことに1万m30分台の選手もいます。それも、かなり若い。青田刈りというか、将来性を見込んで強くなる前に採用しているのでしょうか。競歩選手もたくさんいて、それも国際的でない選手もそこそこいるのです。韓国のお国柄が現れているのか、三星電子という企業の特徴が出ているのか、それとも指導者・マネジャーの方針なのか……考えてみたら我々は、お隣の国のことをほとんど知りません(寺田だけか?)。
 あっ、そうそう。今日の日記の件に関して反論がある人は、どんどんメールください。謝りますから(これ、何年か前の苅部選手の「言いたい放題」のパクリ)。これだけ書くと疲れます(ISHIROくんはすごい。尊敬します)。明日からはしばらく一行日記になるでしょう。


■4月22日(月)
 今週は締め切りがいっぱいなので、今日は一行日記……にしようと思いましたが、ロッテルダム・マラソンの大南敬美選手のことを書いていたら長くなってしまったので、独立させました
 独立と言えば、クロムウェル・ロードというのがロンドンにありました……やっぱり、このネタは政治色が強いのでやめます。


■4月21日(日)
 群馬の空は、寺田の気持ちを象徴しているかのようでした。
 先週のロンドンに続き、前橋でもファミレス論争に進展があったのです。
 昨日、「筑波のような土地ではファミレスでデートするのもやむなし」とファミレス論争の口火を切ったISHIRO記者が、「僕が筑波にいたのは10年以上も前。最近はどうなんだろう」と漏らしたので、さっそく今日、筑波大関係のある女子選手に質問しました。
 その選手いわく。
「よく食事をするのは定食屋ですね。ファミレスも使うことはあります。でも本当は、デートはファミレス以外の方がいいと思います。しかし、店が少ないですから、ファミレスでも仕方ありません」
 ISHIRO記者の学生時代と大きく事情は変わっていないようですが、基本的スタンスとしては日刊スポーツ・佐々木イチロー記者の考えを支持する意見です。ロンドンに続いて、敗北感にさいなまれている寺田です。
 それを救ったのは、自宅に戻ってネットに接続したら来ていた、あるメールでした。
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ところで、日記の「グランドスラム」企画いいですねー。
大賛成です。
競技場に行くと
もっとお客さんが入れば良いのになーと
いっつも思います。
そうすれば選手のやりがいも増えるでしょうし。
「グランドスラム」企画、たとえば
サーキットの通し券を発行して
値段を若干安くするとか
通し券をもっているとプログラムがタダとか。
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 実はファミレス論争とはまったく関係のない話です。しかし、そういった関係ない部分でも、気持ちが明るくなることってありますよね。
 夜はロッテルダムの大南敬美選手以下の快走の報が入り、これも嬉しいニュースでした。


■4月20日(土)
 前橋のホテルです。やっぱ、日本のホテルは楽ですね、インターネット接続が。料金的にもロンドンよりはるかに安いですし…。
 それはともかく、前橋にいるのはもちろん、群馬リレーカーニバルの取材のためです。純粋に仕事的には、今晩前橋入りして明日の取材だけでも大丈夫だったのですが、昨日、はたと思いついて本日から取材することにしました。というのはですね、今年が最初で最後のチャンスかもしれないのです、春季サーキット全大会・全日程の取材ができるのは。
 例年、群馬リレーカーニバルと兵庫リレーカーニバルが重なっていますからね。昨年はロンドン・マラソンまで重なってしまいました。それが今年は、群馬が20・21日、兵庫が28日、織田記念が29日、静岡5月3日、水戸5月6日と、重複がなくなったのです。テニスでは、全豪・全仏・全英・全米のタイトルを制すことをグランドスラムって言いますよね。同一年の制覇でなくても(複数年で4大会優勝を達成)グランドスラムと言うこともあるようですが、やはり価値があるのは同一年での達成でしょう。
 ということで、頑張って早起きして3年ぶりか、5〜6年ぶりに敷島に行きました。現地でも、今年は全大会に行くことが可能だということで、話題になっていました。調子に乗ったある記者が「各大会毎にスタンプを押していって、春季サーキット取材グランドスラムを達成した記者には、南部記念の取材経費を○○が持つ、というのはどうですか」などと言っていました。だいたい、こういうことを言うのは貧乏な記者ですね。候補は限られます。Tとか、Tとか、T…しかいないか。
 夜は前橋のファミレス(不二家)で原稿書き。昨晩は2時間睡眠(時差調整の意味もあって、どこか1日、頑張らないといけない)だったので、かなり眠く、とてもホテルでの作業は無理でした。女子100 mHに圧勝した森本明子選手の記事を書きましたが、いくつか確認しないといけないデータがあるので、サイトへのアップは東京に戻ってから。
 ファミレスの作業中にはたと気づきました。前述の春季サーキットグランドスラムと関連したことです。記者をどうこうというのは言語道断ですが、一般観客の方だったら、南部記念に招待するのもいいのではないでしょうか。つまり、春季サーキットの各大会で観客に入場の際にスタンプを押し、5大会全部を有料観戦した人の中から、抽選で3名を南部記念に招待するというものです。グランドスラムは惜しくも達成できなかったけど、4大会を観戦したファンには、抽選で100人に日本選手権無料入場券3日分プレゼント、3大会観戦者には、抽選で1000人に有名選手のサイン入りTシャツプレゼント、とか。
 聞くところによると、春季サーキットは陸連主催というわけではないようです。が、どうでしょう、サーキット5大会、南部記念の主催者、そして陸連が協力して観戦者に特典を用意するというのは。海外では、ゴールデンリーグ各大会主催者が協力して、金塊などを賞品にしています。会場に足を運んでくれる貴重なトラック&フィールドのファンを増やす、有効な手段のように思いますが。


■4月19日(金)
 「徒然草」(※)のなかに書かれている1つの挿話に、“木登り”の名人の話があります(確か)。弟子か一般の人だったかが木登りをして、それを見守っていた名人は最後の最後までなんのアドバイスもしなかったのですが、登り終わって下りに入り、本当に最後の一歩、もうほとんど無事に“木登り”を成し遂げる段階になって「気を付けろ」とアドバイスします。
 そんなことを今日、ある打ち合わせ中に思い出しました。仕事の話だけをするわけではないので、当然、ロンドン出張の話になります。どうしても、1万2600円のストップウォッチをなくした愚痴昨日の日記参照)が、口に出ます。そんな世間話をしている最中にあることに気づいて、思わず言葉に出してしまいました。
「1泊80ポンドのホテルに泊まるのがもったいなくて、55ポンドのホテルをぎりぎりまで探したんですよ(4月10日の日記参照)。交通費の差をマイナスすると1日約22ポンド、4泊で88ポンド、日本円で約1万8000円の節約をしたはずが、ほとんどチャラになってしまいました。あの苦労は何だったのでしょう」
 ものすごい労力をかけておいて、わずかなミスで全てが無駄になってしまう典型です。徒然草の教えが、改めて身に染みた一日でした。
 打ち合わせの帰りに記者クラブによって、国際GP大阪の資料を入手(ISHIROくん、ありがとう!!)。
 夜、ロンドン・マラソンの写真のサムネイル(小さなサイズのサンプル)を陸マガに送ろうとしたのですが、点数が多くて作業に膨大な時間がかかりそうに思えました。陸マガ編集部と相談したところ、CD−Rに保管して前橋で渡すことに。
「その手があったか」と、目から鱗の思いを、久しぶりに体験しました。寺田の使っているデスクトップPC(VAIOのR60)には、CD−RWドライブが付いているのですが、買ったばかり(99年)の頃にちょっと試してみただけで、以後はMOを使用していることもあり、まったく使っていませんでした。CD−Rメディアも、10枚ほど買ってほったらかしでした。操作も簡単。あっと言う間に写真40枚を保存しました。CD−Rはこういうことをするためについているのかと、初めて実感しました。
 そういえば、徒然草が鎌倉時代の文学なら、平安時代の文学といえば土佐日記。土佐選手にもロンドンの写真を、CD−Rに保存して送ろうかと思います。
※徒然草 つれづれぐさ 鎌倉後期の随筆。作者は兼好法師(→ 吉田兼好)。書名の由来は「つれづれなるままに」と冒頭にしるされた序段にあり、「心に映り行くよしなしごと」を書くという前置きのあとに、「枕草子」の形式をかりた長短さまざまの243段がつづく。しかし、それらはたんなる模倣ではなく、あつかわれる主題の豊かさと、語り口の柔軟さにおいて際だった特色をみせている。
たとえば、倹約をすすめる松下禅尼の教訓的な話(第184段)があるいっぽうで、やることすべてが裏目にでる良覚(りょうがく)僧正のユーモラスな話(第45段)などもあり、人生を客観的にみることのできた兼好法師の人柄が、人間の心理、生き方、教養、趣味、実用などにおよぶ多様な話に、あるまとまりをあたえている。全体をつらぬいているのは世の中の移り変わりに対する無常観であるが、悲観的な論調にながされることもなく、行間からは人生や自然に対するペーソスがにじみでている。
本書が後世にあたえた影響も大きく、戦乱期をとおして知識人に愛読されたほか、江戸時代にはひろく出版されて、町人層への浸透をみせた。
"徒然草" Microsoft(R) Encarta(R) 97 Encyclopedia. (C) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.



■4月18日(木)
 ストップウォッチがない!! ロンドン出張の旅装を解いていたところ、ストップウォッチがなくなっていました。ケースだけ出てきました。ショックでかいです。
 昨年の国体で約2年間使ったストップウォッチをなくし、11月に新品を購入。つまり、トラックシーズンで一度も使わずになくしてしまったわけです。
 なくした場所の候補は以下の5カ所。
1)ファルコン・ホテル14号室
2)ファルコン・ホテル18号室
3)ハロッズから乗ったタクシーの中
4)ヒースロー空港
5)成田空港
 実は、ロンドン・マラソンのレース取材の際には、使いませんでした。ロンドンマラソン記念腕時計を今回ももらったので、持参した腕時計型のウォッチと2つで男女を測り分けました。それで、初日に1泊しただけのファルコン・ホテル14号室も候補なのです。
 なくしたストップウォッチは1万2600円と、かなり高めのもの。400 mHのタッチダウンや長距離のラップ計算が楽なので、三段表示の高級品を購入しました。それにしても、今回のロンドン出張で1万2600円よりも高額を使ったのは、航空券代とホテル代だけ。3番目に高い出費になってしまいました。アンビリーバブル!!


■4月17日(水)from NARITA
 到着がかなり遅れ、10時前後だったと思います、成田に着いたのは。
 モスクワからは約10時間のフライトですが、腰痛持ちの寺田は機内でもたまにウトウトする程度。つまり、月曜日の夜からまともに寝ていないということです。入国後、空港のベンチで2時間、さらにちょっとの間をおいて3時間、午後の4時近くまで眠ってしまいました。寝心地は抜群です、比較対象はモスクワだけですが。
 かつて、エアポートライターなどとほざいたこともありましたが、今回はエアポートスリーパーです。


■4月16日(火)at MOSCOW
 つらいモスクワ滞在(14時間のトランジット)になりました。
 最大の失敗は、睡眠時間を計算していなかったこと。ロンドン発が22時30分、3時間半のフライトでモスクワ着。モスクワ時間の朝5時ですが、ロンドン時間なら午前2時。いかにヨーロッパ時間にフィットしやすい寺田といえども、そろそろ寝ないとやばい時刻です。
 機中で少しウトウトしましたが、モスクワに着くとかなり眠く、しんどい状態です。しかし、どんなに探せど日本の空港にあるようなソファタイプのベンチはありません。座面に傾斜がついた鉄製のベンチばかり。しかも朝の5時ですから、レストランの類は開店していません。
 仕方がないので鉄製ベンチに横になりました。6時ちょっと前でした。が、なかなか眠れません。背もたれの方にいくにつれて下がっている座面の傾斜がフィットしません。さらに、6時を過ぎるとアナウンスも頻繁にされるようになり、耳に障ります。ベンチは各ゲートの前にしかなくて、ちょっとウトウトしてきた7時頃には人がたくさん集まってきて、4人分のスペースを1人で独占するのは気が引けます。同じように寝ころんでいた“同志”も何人かいたのですが、知らないうちにいなくなっています。
 寝ころんでいるわけにはいかないので起きました。成田まで10時間のフライトが控えているので、体力的にへろへろになるのはまずいと判断し、1万2500円の出費(出発前にHISで勧められていました)になってもトランジットホテルに行こうと決心。8時ころにトランジット・オフィスに申し込みに行きましたが「アフター・ナイン」の一言。ホテルは24時間受け入れ態勢ではないんかい。
 そして9時に行くと、別の係員になっていて、こいつの英語がなまっていてさっぱりわかりません。フライトの前にうんたらくんたら、と言っているようですが、フライト前にチェックアウトするのは当たり前ですから、何を聞きたいのか、見当がつきません。列の後ろにいたロンドン在住の日本人女性の方は「写真が必要と言っているみたい」と言います。
 埒があかないので文字に書いてもらったら「Did you pay the Hotel untarakuntara before your flight?」。なんのことはない、日本で出発前に予約をしたのか、と聞いていたのです。ロンドン在住の方でさえ、Hotelとphotoを聞き違えるような発音だったわけです。それに、flight なんて言われたら、その日のフライトを思い浮かべてしまいます。「reservation」を使えよ、そしたら即座に意思の疎通ができたはずです。
「I didn't reserve. No reservation.」と言ったところ、どこかに電話した後「No room」の一言。旧ソ連は愛想が悪いとは聞いていましたが、予想以上です。そういえば、96年のシドニー世界ジュニアで体得した“目があったら微笑むべし”の法則(欧米では目があった者同士は、面識がなくても必ず微笑みます)も、ここでは当てはまりません。そういえば、ランチインタビュー時にプレスルームで出会ったペトロワも、目があってもニコリともしませんでした。免税店のお姉さんだけは、美人でしたし、愛想もよかったのですけど。
 話を戻します。仕方ないのであきらめて再度、空いているゲートを探してベンチに横になりました。ここでは少し眠ることができましたが、かなり浅い眠りだったと思います。ちょっと寒かったのですが、着る物はすべて、預けた荷物の中でしたから、我慢せざるを得ません。12時ころ徐々に目が覚めてきました。足先の向こうに白髪のおばさんが2人、座っています。ベンチってそんなに長かったっけ、とよくよく見たら、寺田の脚の右側のスペース、つまり座面の前側にちょこんと浅く座っていたのです。ちなみに、英語を話しているのでロシア人ではないようです。ゲートの便名表示を見たら、ニューヨーク行きでした。
 さすがに、これで目が完全に覚めました。時間も時間だったので、行きがけに見つけておいた“ファミレス”に。電源を2箇所、見つけておいたのですが、その近くの席はともにもうお客さんがいます。仕方ないので、再度ベンチに戻って原稿を書き始めました。2時半頃にファミレスに戻ると、テレビでボストン・マラソンを放映しています。電源の近くの2席の内、テレビから遠い方しかあいていません。そちらに座って見ていたのですが、途中から5人くらいの団体客がテレビと寺田の間の席に座ってしまい、ほとんど見られません。
 女子はデレバが負けていました。オケヨとのマッチレースですが、つねにオケヨが4〜6mくらい前を走っています。デレバも一度は背後に追いつきました。その後しばらく映像は見ませんでしたが、最後に見た映像は、オケヨが月桂冠を被っていました。男子はロジャースっていうんですか、2時間9分台でした。女子のオケヨの記録は確認できませんでした。


■4月15日(月)at HEATHLOW
 ここからはヒースロー空港の待ち時間で書いています。ヒースローなら、電源も確保可能です、保証はできませんが。
 ハロッズに寄ったあと、ロッテルダムまで残る記者とディレクターの皆さんが送別会を催してくれました。インド料理でしたが、エビをあんなにおいしく食べたのは初めてです。いえ、数年前の披露宴で食べた伊勢エビの次くらいかも。そこは19時30分過ぎで辞させていただき、ヒースローに20時40分ころ到着。22時35分の出発までの空き時間が、今です。日本円への両替も済ませました。今回はホテル代もカードで支払い、できる限り現金所持をを少なくしました。両替の手数料による損失を防ぐためです。海外取材となるとどうしても不安が先立ち、多めのキャッシュを持ち歩きがちですが、今回はぎりぎりで乗り切りました。これも経験でしょうか。
 なんでヒースローでまで日記を書いているのかというと、ファミレス論争ロンドン版を書いておきたかったのです。単に、他にやることがないだけのかもしれませんが…。
 今日、プレスルームでなぜかファミレスの話になりました。もちろん、仇敵・佐々木記者がいたからです。2人とももちろん、自説は譲りません。同席していた日本人女子選手にも意見を求めたところ、彼女も佐々木記者の意見を支持しました(実体験に基づいているのかどうかは不明)。
 そこに加わったのが、K社のI田さん。フジテレビの系列会社に勤務する人ですから当然、「恋ノチカラ」のテーマだった“ファミレスでのデート”(やや誇張)を推奨してくれるものと思ったら、「僕、ここ何年もファミレス行ったことないんですわ」と、あっさり敵方についてしまいました。まさに四面楚歌。まさかロンドンで、垓下の項羽の心境を味わうとは…。(※)
 佐々木選手は、先般もある女子マラソン選手から自説を支持されています。「有名選手で2人目ですよ」とご満悦。今回の女子選手とはもちろん、ロンドン・マラソン4位の土佐選手。今回のロンドン出張で一番悔しい出来事でしたが、2日連続で土佐日記にするためのエピソード紹介でした。
※前203年、項羽は劉邦(漢の始祖)におわれ、現在の安徽省の垓下(がいか)で包囲された。このとき、四方の漢軍の陣営から味方であるはずの故郷・楚の歌がきこえ、敗北をさとった項羽は寵姫虞美人(ぐびじん)らと別れの宴をひらいた。「四面楚歌」とはここから生まれた言葉である。

■4月15日(月)from LONDON
 ロンドン最後の日記です。朝から土佐選手の一夜明け取材。
 その後もいろいろありました。いろいろ、いい写真も撮れました。帰国して紹介します。
 ハヌーシ夫妻(夫人のサンドラさんがコーチ兼代理人)には、5km毎の通過タイムを知っているか確認(知りませんでした。あんまり、ごだわらないようです)。ラドクリフ夫妻には……これがもう、すごかったです。詳細は、帰国後に。
 あっ。ファミレスネタも進展がありました。ちょっとショックでしたが…。
 とにかく帰国後をお楽しみに。でも、あんまり期待しないでね。
 では、ハロッズに寄って、帰国します。あと、モスクワにも。


■4月14日(日)from LONDON
 ロンドン日記4日目。すごいレースでした。土佐選手も日本歴代3位で4位。本人も満足げで、土佐日記作者としては嬉しい限りです。
 取材後、ハロッズ(ロンドンの老舗高級百貨店)に行こうとしましたが、なんと日曜日は休みだそうです。デパートが日曜日に休みというのが日本人の感覚では信じられませんでしたが、マラソン運営に関しても日本人から見たら信じられないことばかり。去年も書きましたが、特に、5km毎の通過タイムを出さない感覚がわかりません。10km毎なのです。
 それはともかく、レース後、フィニッシュ地点から歩いて10分の中華街に行き、佐々木記者と食事。通り道にスターバックスが2軒もあり、「スタバの進出度はロンドンでもすごいなあ」と話しました。
 中華料理屋で最後、デザートでも頼もうかとメニューを持ってきてもらいましたが、そのあとで、「やっぱスタバでコーヒーを飲もうかと」いうことに。しかし、デザート用のメニューは手元にあります。中国人の女の店員さんが注文を聞きに来ました。どないしよう。
「Oh, I'm very sorry. I don't have enough time. (佐々木記者の携帯電話を示しながら)We have to move.」
 土佐選手が活躍した直後だけに、とっさの言い訳も完璧でした。ということで、ロンドンでも土佐日記でした。


■4月13日(土)from LONDON
 ロンドン日記3日目。レース前日です。記者会見などの公式行事はなかったのですが、テクニカル・ミーティングもあるということですし(前日までその時間が決まっていないというのがすごい)、いろいろ情報が集められるので、大会本部ホテルに行きました。というか、スポニチに前日もの記事を出さないといけません。
 と思ってプレスルームを見回すと、いました、エチオピア勢(今日もエチオピア・ネタ)。ツル選手とアベラ選手。アベラ選手は欠場しましたが、現地に来て、いろいろと……何かをしています。さっそくツル選手に土佐選手のことを取材しました。そして、アベラ選手には明日のレース予想をしてもらいました。エチオピアは、みんな気さくな選手ばかりです。
 しかし、ここでひとつの意見が、日本人記者の間で出ました。アベラ選手はシドニー五輪、エドモントン世界選手権と2年連続金メダルを取ったわりには、オーラが今ひとつではないかと。確かにそんな気も少ししますが…。某マラソン大会のディレクターの方もまじえ、アベラ選手を世間に強く印象づけるためにはどうしたらいいか、というミニ討論が繰り広げられました。
 そこで出た結論は、キャッチコピーを次のようにしたら迫力が出るのではないか、ということです。
「ゴジラ!! ガメラ!! アベラ!!」
 それをアベラ選手の代理人W氏に話したところ、「いいアイデアだ」と賛成してくれました。近い将来、アベラ選手が来日する際には、このコピーが各メディアをにぎわすかもしれません。


■4月12日(金)from LONDON
 ロンドン日記2日目。昨晩はパディントン駅近くの駅に、無事到着。駅の近くで地図も持っていましたが、駅から出たときに自分がどこに出たのかがわからなかったので、通行人に聞く必要がありました。大きな駅なら問題ないのですが、昨年、最初に2泊したタフネルパーク駅など、人を見つけるのに苦労しました。23時とか24時に見知らぬ外国でのホテル探しは、特に女性にはお薦めできません。
 ホテルは受付が終わっていて、ブザーを鳴らすと若い男性が降りてきてくれましたが、予約の確認をするのに手間取りました。コンファメーション・メールをプリントアウトしたものを見せても、首を傾げています。挙げ句の果てには「11日からの予約だろ。明日じゃないか」とまで言い出す始末……これは30秒で解決しましたが、「日本の女子中学生の200 mよりかかったな」と、言ってやりました、心の中で。
 部屋はこんな感じ。古いです。かなりの年代物の建物の中に、いくつかのホテル、施設が入っています。隣のホテルとは同じ建物ですが、行き来はもちろんできません。5〜7階建てで、各階、階段の踊り場の周りに3〜4つの部屋があるという構造。東側のホテルとの境の部分は、床が傾いています。
 部屋に入ってさっそくネットに接続しようとしましたが、電話を外部にかけるのには50ポンドのデポジットが必要でした。昨年、後半3泊したホテルもそうでしたし、日本でも、昨年の東アジア大会の際に大阪で泊まった安いホテルがそういう仕組みでした。
 夜間受付に電話をすると、「明日にしてくれ」とのこと。予想していた答えでした。
 シャワーはついていますが、バスはなし(予約時からわかっていたことです)。石鹸はありますが、シャンプーはなし(なんとかなるか)。問題は、今朝、電話開線手続きをしたのに、ネットにつなげないことです(会話のコールはできます)。電話使用注意書きには「もしも接続できなかったら、ダイニングルームでやってみてほしい」との説明。今朝、ダイニングルームで接続に成功しましたが、わざわざ地下一階まで行くのはきついなあ。
 出発間際に「今日は部屋を変わるから」といわれ、せっかく昨晩荷物を出したのに、再度荷造り。9時10分に出たのに、20分のロス。パディントン駅で9時43分(だったと思う)に地下鉄サークルライン(環状線ですね、文字通り)に乗り、タワーヒル駅に10時10分頃着。大会本部ホテルに10時20分着。
 11時から土佐選手単独の記者会見表情には余裕があったように思います(それとも地のままか)。
 約25分くらいの会見後に写真撮影
 その後、鈴木監督にも取材。
 スポニチに電話。なぜかフリーダイヤルコールがうまくいかず、ちょっとあせりました。イギリスと日本との時差はサマータイムなので8時間。早版に載せるには、このあたり(日本時間の20時ころ)がぎりぎりなのです。
 その後、尾方剛選手のランチインタビュー。選手が指定されたテーブルで食事をし、記者が好きな選手の所に行って話を聞く形式です。土佐選手の方は単独会見で、壇上の司会者がいくつか代表質問をし、その後フリー質問を受け付ける形です。
 日本でもたまに、ランチインタビュー形式(食事はさすがにしていない)の会見がありますが、多くは、壇上に複数選手が並んで質問を受け付ける形です。会見時間が終わったらすぐに控え室に選手全員をもどし、いっさい接触はダメですよ、などとやる大会もあります。
 その点、ロンドンに出場する選手たちは皆、気軽に質問を受けています。尾方選手以外では、エチオピアのジファール選手に話を聞きました。エチオピア選手は国内を拠点にしている選手が多く、英語がネイテヴほど聞き取りづらくありません。ジファール選手からすごい情報を聞き出せました。それは、日曜日のスポニチで(紙面の都合で割愛されるかもしれません)。
 その後はずっと、プレスルームで仕事をし、夜はヴィクトリア駅近くのフランス人シェフのいるイギリス・レストランに。表の構えはそれほど豪華でもないのですが、中は広く、雰囲気もよかったです。佐々木記者がガイドブックから選んだ店ですが、大正解でした。
 佐々木記者と言えばファミレス。昨日、モスクワ空港のファミレス写真を紹介し忘れましたので、ここで載せておきます(佐々木記者+店内 メニュー等)。


■4月11日(木)from LONDON
 ロンドン日記第1日目。現在、モスクワからロンドンへの機中ですが、まずは成田空港での話から。
 成田空港に向かう京成スカイライナーの中で、中出記者(スポニチ)に会いました。今回のロンドン・マラソンはスポニチにも記事を書かせていただくのですが、もちろん、寺田の見送りではありません。聞けば、小出義雄監督が、12時発のJAL便でロンドンに向かわれるので、取材に行くのだそうです。監督はテレビ東京の仕事です。寺田と佐々木記者のアエロフロートも12時発の予定でしたが、チェックインするとすでに、12:40に出発時間が変更されています。これ幸いとばかり、寺田も取材に加わることにしました。が、小出監督がなかなか現れません。大丈夫かなと思っていたら、10:45に到着されました。
 監督はチェックインされる前に、記者の皆さん(主に佐々木記者)に「荷物頼むよ」と言い残し、電話をかけに行かれました。寺田は、失礼と思いつつも、監督のスーツケースに指先を触れさせていただきました。この行為には、もちろん理由があります。
 確か昨年の世界選手権のときだったと思うのですが、監督がテレビで女子マラソン優勝のシモン選手とのエピソードを話されていて、「ヘイ、シモン」と声をかけてもわかってくれなくて、「シモン、カモン」と声をかけたら気づいてくれた、ということを話していた記憶があったのです。つまり、寺田は監督のスーツケースに指紋をつけたのです……。
「佐々木記者が指紋を付けたと、日記に書いていい? 翌日の日記で訂正するからさ」と佐々木イチロー記者に持ちかけたら「絶対にダメです。24時間でも、そんな誤解をされたらイヤです」と、きっぱり断られました。これはつまり、寺田の日記には“ウソは書かれていない”ということの証明ですね。捏造や歪曲は絶対にありません、多少の脚色はありますが…。

 約10時間のフライトでモスクワ空港(正確にはナントカカントカ空港)に着きました。いよいよ、今回の出張最大の目的である“モスクワ空港でのファミレス探し”と相成りました。“ファミレスで原稿を書くと効率が上がる”という点の“同志”、佐々木記者も一緒です。ターミナルの1階を一回りしたのですが、免税店ばかり。飲食店はサンドイッチ屋さんと軽くお酒を飲むような雰囲気の店しかありません。とてもパソコンを叩ける雰囲気ではないです。
 1つ上の階に、ワンランク値段の高そうな店がいくつかあります。その階に行くと、ありました。佐々木記者が発見したのです、ファミレスっぽい雰囲気の店を。さっそく入ってみました。テーブルの席で、こんな雰囲気の店です。メニューにはロシア語と英語の表記があり、米国ドルのプライスも表示されています。寺田は2ドルのアールグレイティー(ロシアンティーはなくて英国産)を、佐々木記者も2ドルのミリンダ・オレンジを注文。
 さすがに機内食を食べたばかりで食事はしませんでしたが、食事も手頃な料金で食べられそうです。ウエイトレスのお姉さんは英語の話せるスーツ姿の美人です。ちょっと高級な店なのか、エリートっぽい雰囲気も漂わせている店員さんでした。佐々木記者が電源も発見。変換コネクターも、日本から持参したCタイプでばっちりです。
 たった2杯の注文ですが、店もそれほど混んでいないし、すでにノートパソコンで作業を始めている日本人も1人います。寺田と佐々木記者もパソコンを取り出しました。問題は、電源を利用させてもらうかどうかです。日本では、お店のコンセントに客が電源コードをつなぐことは、原則的に認められません。マックもダメですし、パソコンの使用を禁じている店すらあります(詳細は昨年10月20日の日記参照)。
 残念ながら、成田やヒースローと違って、空港のベンチ近くの壁にはコンセントはまったくありません。今日は2時間強のトランジットなのでバッテリーでももつのですが、このファミレスのコンセントが使えると使えないでは、帰りの14時間トランジットで何をするか、様相が違ってきます。
 意を決して店のお姉さんに聞きました。
Can we use・・・・・・?
 なんの躊躇もなく、お姉さんはOKを出してくれました。日本の一部ファミレス経営者に聞かせてやりたかったな、あれ。かつてはアメリカと世界を二分した国の首都の、国際空港での話ですよ、これは。ファミレスの電源使用はノープロウブレム、これが世界標準なのです。
 会計は4ドルでしたが、帰りのことも考慮して、5ドルを支払いました。「電源を使わせてもらったお礼です」と言って……でも、当たり前のような涼しい顔で受け取りましたね。ちなみに店の名前は「マハラジャ」でした。特に、インド・レストランには見えず、普通の空港にある料理の種類の豊富なレストラン、という印象でした。

 冒頭にも書きましたが、現在、モスクワ−ロンドン間。座席がビジネスクラス並にゆったりした席で、腰痛も起きません。成田−モスクワ間も、こんなだったらどんなにか楽になるか。毎回でもアエロフロートを利用するでしょう。
 ロンドンに着くのが21時45分の予定です。空港を出て、ホテルに移動したら24時前後になるでしょう。明日は11時から土佐礼子選手の記者会見。早めに寝ますので、ロンドンの様子は明日以降に。


■4月10日(水)
 Can I talk with Mr. Gathard ?
 つっ、ついに、つたない英語で「Hotels London」のオフィスに電話をする羽目になりました。夜の11時のことです。
 昨晩の先方からのメールで、4つめか5つめの希望ホテルも予約できないことが判明。ランクを2つ★に落とし、モデムポイントもあきらめ、とにかく安いホテルを希望(ただし、要電話の条件で)したメールを、昨晩送信して就寝しました。「今度こそ大丈夫だろう」と安心して今朝(10時頃)メールを開くと、またダメでした。さすがに、焦ってきました。ロンドンですから(昨年行ったローザンヌやサンモリッツと違い)、いざとなったら見つからないわけはないのですが、1泊200ポンド(4万4000円)とかのホテルになったら、泣くに泣けません。
 午前中、1時間以上かけて「Hotels London」以外のホテル予約サイトを探索し、安い宿を探し、結局「Hotels London」で再度、モデム接続不可の安い2つ★ホテルの予約リクエストを出して外出しました。
 今日は午後から打ち合わせが1つと、16時から春季サーキットの記者発表があったため、岸記念体育館に。帰る途中、ファミレス春季サーキットの出場選手に関する原稿を書き上げ(男子だけですが)、帰宅したのが10時15分。今度こそ絶対に大丈夫だと思っていたので、先にいくつか雑用を片づけ、ネットに接続したのが10時50分――予約成功のコンファメーション・メールは来ていませんでした。
 夜の11時はロンドンの午後4時。もしも5時でオフィスが閉まるとしたら、リミットです。幸い、先方からのメールに電話番号とFAX番号が記してありました。トゥルルル、トゥルルル、ガチャ。
 男性の声 Hello.
 寺田 Hello. Can I talk with Mr. Gathard ?
 男性の声 Could you talk onece more, please.
 寺田 Can I talk with Mr. Gathard ?
 男性の声 Sorry, onece more, please.
 寺田 Mr. Gathard, is not there ?
 男性の声 Oh, just moment・・・・・・・・・he untarakuntara six o'clock.
 寺田 Six o'clock! Could you tell him to check email from Terada. I'm Terada.
 男性の声 OK. Bye-bye.

 どうやら、ギャザード氏は遅番だったのか、何かの用事で出かけていたようです。
 出張の支度をしているうちに日付は変わって、11日の午前1時半。メールをチェックすると来ていました、コンファメーションメールが。かなり、ホッとしました。しかも、今朝希望したホテルではなく、2日ほど前に希望したモデムポイント付きで、なおかつ安めのホテルです。でも、日本の相場の2倍以上ですけど…。
 なんとか、ことなきを得ました。
 その後、荷造りをして、この日記を書いています。ただいま、午前3時23分。あとは、資料をプリントアウトしたりコピーしたり……眠れる時間は1時間、よくて1時間半か。
 次の日記はロンドンから、でしょう。たぶん。


■4月9日(火)
 このところ、めったに電車に乗ることがありません。会社勤めをやめて2年間、毎日の通勤から解放されたのが大きな理由です。が、特に3月後半、正確には3月10日の全日本実業団ハーフマラソン&名古屋国際女子マラソン取材以後、めっきり少なくなりました。成田空港に2度行ったのが、数少ない機会でしょう。
 でも、このところ隣の駅の多摩センターに何度か行きました(HISがあるから)。歩いて行っても20分ちょっとなので、日頃の運動不足解消のために歩くこともあります。しかし、何度かは電車に乗ったわけでして、その数少ない機会に目にしたのが「日経ビジネスAssocie」創刊の中吊り広告です。なんで目に留まったかと言えば、室伏広治(ミズノ)選手が載っていたからです。正確に思い出すことができませんが、キャッチコピーも良かったです。
 創刊号の発売が昨日でしたが、昨日は一歩も外出しなかったので、今日、購入しました。残念ながら表紙ではありませんでしたが、2ページのインタビューを中心とした記事が載っていました。どうやら、ポスターや中吊り・新聞広告に室伏選手の写真が使用されたようです。Associeオリジナル図書カードにも室伏選手の顔写真がプリントされていて、読者プレゼントがあったので、速攻、応募しました。
 一転、暗い話題です(寺田にとって)。中吊り広告のキャッチコピーを調べられるかなと思ってインターネットに接続したら、「Hotels London」から長文英文メールが来ていました。先方が紹介してくれた物件に速攻でオファーを出したのですが、間に合わなかったとのこと。再度、ホテル予約にチャレンジしないといけません。ロンドン出発まであと27時間。間に合うのか!?


■4月8日(月)
 神屋伸行選手からメールが来ました。3月28日の日記で紹介している神屋選手の卒論のテーマですが、正確には「鄭和下西洋―中国・東西両洋に与えた影響」だそうです。適当なことを書いてしまい、申し訳ありませんでした。
 鄭和の7回に渡った遠征(アラブ諸国やアフリカ東岸にまで及んだ)は、教科書的には中国への影響についてのみ指摘されていますが、実はヨーロッパにも影響を及ぼしていたようです。神屋選手は競技(練習)と卒論の両立を図るため、かなり早めに資料収集・分析に取り組んだとのこと。
 見習わないといけません……というのも、実は“猫の手”状態なのです(渋井陽子選手の猫の手)。俗に言う締め切りのある仕事ではないのですが、1つロンドン・マラソン出張前にやっておきたい大きな仕事があります。それに加えて、自営業者には年度の変わり目の雑事がけっこうありまして…。そして、実は実は、ロンドンの宿がまだ決まっていません。部屋でインターネットができることを条件に探しています。もちろん、安い値段で。
「Hotels London」というインターネット上でホテルの予約ができる会社と、もう5〜6回はメールのやりとりをしています。そんなに難しい英語ではないので、読むことはできますし、こちらの書く英語も、それほどのものではないのですが、やっぱり、気を遣います。時間もかかります。
 それにしても、昨年のロンドン・マラソンの頃は170円台だった英ポンドが、今は190円台です。「Hotels London」を通すと、ガイドブックに出ている値段よりも20〜30ポンドは安い値段で予約できるのですが、インターネットができる部屋となると、80ポンド以上が相場のようです。80ポンド、約1万6000円ですよ。日本のビジネスホテルの3倍です……。それを、なんとか60ポンド以下で確保しようとしているのですから、時間がかかるわけです。


■4月7日(日)
 自慢ではありませんが、寺田が携帯電話(最初はPHSでした)を購入したのは比較的早く、96年でした。陸上競技マガジン編集部の中では一番早かったんです(5〜6人の中で一番に意味があるのか?)。それを実感したのが昨年の今日、4月7日です。東京六大学を取材後、駒沢公園陸上競技場から駒沢大学駅に歩いている途中で寺田の携帯が鳴りました。中京大で取材中のスポニチ・中出健太郎記者(“ロウ”はつくが特にファミレスで仕事の効率は上がらない記者)からで、室伏広治選手が日本新を出したことを教えてもらい、なぜか“携帯って便利だな”と実感いたしました。
 なんでこんなことを書いたのかというと、日付は1日ずれますが、東京六大学のあった昨日(取材には行けませんでした)、やはり寺田の携帯が鳴ったのです。今年は、日刊スポーツ・佐々木一郎記者(ファミレスで仕事をすると効率が上がる“ロウ”)からでした。
「寺田さん、室伏が歴代2位ですよ。大台を突破しました」
 男子ハンマー投の世界記録が86m台というのはすぐに頭に浮かびましたが、歴代2位が85m台だったのか86m台だったかは、恥ずかしながらすぐにはわかりませんでした。でも、大台というのですから、85m台かなと。しかし、「85」を大台というのも変だなと感じましたが、やっぱり85m台と解釈するしかありませんでした。
 妹の室伏由佳選手のことか、と気づくまでに1分前後(もうちょっとだったかも)、時間を要しました。佐々木記者も現場に行っているわけではなかったので、記録は61m台とまでしかわかりませんでした。
 自分だけ引っかかるのがシャクだったので、WEBサイトの「What's new index」にも、佐々木記者の言ったとおりに記載しました。彼の希望でもあったと思います、この手のことは新聞ではできませんし。まあ、事実を書いているのですが…。それをサイトに掲載したのが16時〜17時頃。
 19時半頃、ファミレスで原稿を書いている寺田の携帯が鳴りました。スポニチ・中出記者からです。
「室伏が記録を出したんですか……」
 寺田のサイトを見て、慌てて電話してきたようです。恨むのなら、佐々木記者を!!
 そして今日もまた、携帯が鳴りました。佐々木記者です。
「歴代5位が出ました。ヒントはロンドンですよ」
 テルガトかゲブルセラシエが、本番1週間前にハーフマラソンでも走ったのかとも思いましたが、冷静に考えたらテルガトはハーフマラソンの世界最高を持っているわけですから、歴代5位なわけはありません。いくつか突っ込んで、やっとパリの松岡理恵選手のことだとわかりました。なんでパリ・マラソンなのに「ヒントがロンドン」なのかと、誰しもが疑問に思うことです。
「土佐選手に“ロンドンといったら?”と質問したら“パリ”という答えが返ってきたんです」というのが、佐々木記者の説明するところの「ヒントはロンドン」の意味でした。うーん、土佐選手は「二都物語」(ディケンズ)のファンなのでしょうか。それとも「紅はこべ」(※)か。ロンドンに行ったら質問してみよう。
 でも、そんな事情を知るわけがないのに、「ヒントはロンドン」と言われてもなあ。「ピントはロンドン」やけど……ということで、今日も土佐日記でした。
※ややマイナー。フランス革命時に貴族の亡命を助けるイギリス人一味の活躍を描いた痛快娯楽小説。作者はバロネス・オルツィ。創元推理文庫刊


■4月6日(土)
 「地球の歩き方」のロシア編を購入。自宅近くの永山駅啓文堂書店に、ちゃんと置いてありました。それによると、海外でのビザ取得方法(香港や中国)については説明がありましたが、さすがにモスクワ空港で取得できるとは一言も書いてありません。当然か。
 話は変わりますが、「地球の歩き方」で思い出しました。スポニチが一昨日の土佐礼子選手のロンドン出発模様の写真(これ)を掲載していますが、右側の鈴木秀夫監督が手にしているのは「地球の歩き方・ロンドン編」です。実は、寺田が1年前に使ったもので、取材の際に話のネタになるかもしれないと思い持参したのです。10日前に出発するのですから、現地でそれなりに練習するはずだと思い、その場所を質問しようと考えていたのです。それで、ガイドブックがあった方がいいかな、と。
 実際は、練習場所の話のときでなく、世間話のときに取り出しました。土佐選手が「私も買いましたよ、それ」と言い、「これ、いいね」と監督も言われたので、進呈しました。写真はあまり陸上とは関係のない話(具体的には、ちょっと言えない)をしている間に、中出健太郎記者がパチリと撮ったわけです。しかし、それまでずっと話をメモしていたのに、よくも切り換えてカメラを構えられたなと、感心させられます。世間話は、そんなに長くしていなかったはずですが…。
 それはともかく、ロンドンなら、寺田はガイドブックがなくても大丈夫……なわけはなく、実は大きな折り込み(綴じ込み?)地図の付いている、昭文社の「個人旅行 ロンドン」という、別のガイドブックを買おうかな、などと考えていたのです。実際、昨日、買いました。
 それはともかく、土佐・鈴木師弟の持っているのはダイヤモンド社の「地球の歩き方」です。ちなみに、昨年6月のローマ・ゴールデンリーグ翌日、為末大選手がローマ市内の観光に持っていったのも、「地球の歩き方」です。なぜか、陸上選手は「地球の歩き方」と縁があるようです。
「もしも優勝したら、“ロンドンの走り方”という本でも書こうかな」と、土佐選手は成田空港で言っていました……というのはウソです(為末選手の話まではホントの話です)。
 ということで、今日も土佐日記でした。


■4月5日(金)
「ロシアのビザは取れたのですか?」
 とある若い女性から、質問
を受けました。夕方、航空券引換証の受け取りと、支払いをするためにHISに行ったときのことです。帰国時のトランジット空き時間14時間にモスクワ観光をしたくて、寺田がビザを取ろうかどうしようか思案していたことを、HISのお姉さん(英語で書くとHIS sister. Who is he?)が覚えていたのです。一昨日の経緯もあり、彼女も土佐日記、いえ、土佐人気を理解する人間の1人なわけです。
 観光ビザは旅行代理店経由で取得可能なのですが、1週間は要するということだったので、それでは今回は間に合わないので寺田が個人的に調べてみることにしたのでした。
「ロシア大使館に電話を入れました。3日間で発給できるそうですが、追加料金が1万2500円だったかそのくらい、かかるんです。元から5000円くらいかかるらしいし、2回も大使館まで往復する時間もないし…」
 ということで、モスクワ観光は断念しました。
 でも、やっぱり14時間の待ち時間は長そうですし、モスクワに行く機会なんて、めったにあるものではありません。どうしても空港を出たくなったら、その場で交渉します。そのあたりのことを調べようと思って、昨日、今日と多摩センターの啓文堂書店に寄りましたが、ロシアのガイドブックがありません。さすがに、まだ旅行者が少ないからなのでしょう。しかし、「地球の歩き方」なら絶対にあるだろうと調べたら、46巻がロシアです。でも、書店にはありません。まっ、いっかあ。
 そういえば、日刊スポーツ・佐々木記者もどうやら、アエロフロートでロンドンに行くことになったようです。それだけ、この時期のロンドン行きの便に空席がないということです。昨年もそうだったのですが、寺田はロンドン・マラソンではスポニチの仕事をやらせていただく予定です。ということは、佐々木記者とはライバル関係になるわけです。個人的にも、彼とはファミレス論争の真っ最中。
 まあ、ファミレスで仕事をすると効率が上がる、という基本的な認識は一致している間柄ですから、モスクワ空港で一緒にファミレスを探そうかと考えています。それに、彼も土佐人気の影響をモロに受けたわけですし、土佐日記の重要性を理解している質問を成田でしていましたし…(詳細は、佐々木記者の許可を取ってから掲載予定)。


■4月4日(木)
「ロンドン行きのチケット、取れたんですか?」
 とある若い女性から、質問を受けました。どうやら、一昨日の日記を読んでいてくれたようです……と、冷静に判断できる状況ではありませんでした。正直、ちょっとしどろもどろになりました(いつもかもしれません)。質問者が、他ならぬ土佐礼子選手だったからです。
 今朝、早起きして取材に出かけた先は成田空港。ロンドンに出発する土佐選手を取材(記事はこちら)するためです。9時53分に成田空港駅着。すでに数人の顔なじみの記者の方たちと、テレビ局の人たちが来ていました。ほどなく、土佐選手と鈴木監督も到着。2人がチェックインを済ませたあとに取材開始となりましたが、ちょっと歩いて移動する際に、土佐選手が冒頭の質問を発したのでした。知り合いの方がメールで知らせてくれたそうです。
 いやー、まいったな。読んだ当事者本人を前にすると、かなり恥ずかしいですね。実は、こうなる可能性も少しはあるかな、という予測はしていました。エドモントンのレース後、土佐選手がボルダー合宿にパソコンを携帯したことを話していたからです。でも、実際にこんなページを読んでいる可能性は低いと思っていたのですが…。
 ということで、今日も土佐日記でした。モスクワ・ネタに進展がありましたが、これは明日にでも。


■4月3日(水)
 昨日の日記に関して、お褒めの言葉を○○FSのS原さんと、○&○ ○○○○のO本さんからいただきました。S原さんは私より年輩の男性で、O本さんは若い女性です。ということで、土佐選手のちょっとした企画を始めました。こうやってマラソン戦績と、そのときどきで選手が何と話していたかを振り返ると、いろいろとわかってくることがあります。記事に反映させていきたいと思います。
 で、ロンドン往復ですが、結局、アエロフロートにしました。帰りはモスクワで14時間のトランジットです。HISのお姉さんが言うには、ビザがないと空港に缶詰だとか。時間があるからと、市内観光にも行けないわけです。で、その14時間のためにわざわざ、ビザを申請するのかというと、ちょっと迷っています。
 その昔、「モスクワは涙を信じない」というソ連市民の日常を描いた映画があって、ちょっと感動した記憶があります。79年のプレ五輪男子マラソンで、宗茂さんが銀メダルを取った場所でもあるわけです。さらにいうなら、セバスチャン・コーとスティーブ・オベットがモスクワ五輪で………と、陸上とはゆかりの深い場所でもあります。
 もっとも、出発までの1週間でビザが取れるのかどうか、という問題もあります。
 モスクワの空港って、時間がつぶせるのでしょうか。ご存じの方がいらっしゃいましたら、お知らせください。寺田が時間を潰すのに最適の場所といえば、もちろん、ファミレスです。
 「ファミレス・イン・モスコー・エアポート」で検索でもしてみよう、明日にでも。明日の朝が早いので、今晩は寝ます。


■4月2日(火)
 今日は昼まで原稿を書いたあと、多摩センター駅(隣の駅です)のHISに行きました。正確には、夕方でした。まだまだ忙しいのが続いていて、なんやかやとやらないといけないことがありつつも、ロンドン出張の準備をしないといけません。
 HISはご存じ、格安海外旅行屋さんです。確かに以前は安かったらしいです。でも、今は新宿駅の東口と西口を結ぶ通路にある、屋台(?)のお店の方が安いような気もします。が、屋台のお店はさすがに店頭にコンピュータ端末を置いていなかったので、いろいろ調べてもらうことはできないかも。
 その点、今日のHISのお姉さんは親切にも40分くらい調べ続けてくれました……ということは、ロンドン行きの空席がない、ということです。このままでは、現地に行けなくなってしまいます。寺田の運命やいかに……と言うと、ちょっと(かなり)大げさですが、とにかく直行便は前後の日付も含めて満席です。昨年利用した、頼みの大韓航空もダメ。唯一、アエロフロートに空席がありますが、帰りにモスクワで14時間の乗り換え空き時間が生じ、帰国が火曜日ではなく水曜日になってしまいます。うーん、どないしよう。
 HISのお姉さんが「この時期、こんなに込んでいるなんて、何か大きなイベントでもあるんですかね」とつぶやくように言います。寺田は言いました。
「14日にロンドン・マラソンがあって、日本から土佐礼子選手が出るんですよ。去年の世界選手権で銀メダルを取った選手で、人気があるんです。空席がないのは、彼女のファンが大挙ロンドンに行くからでしょう。土佐人気ですね、満席の原因は」
 以上、土佐日記でした。

土佐日記 とさにっき 平安時代に仮名で書かれた最初の日記文学。作者は紀貫之。国司の任務をおえた貫之が、934年(承平4)に土佐を出発して京に到着するまでの55日の出来事を叙述する。「をとこ(男)もすなる日記といふものを、をむな(女)もしてみむとて、するなり」とあるように、女性の視点を導入し、多分に虚構をおりまぜながら、日々の記録をしるしていく。
内容は、知人との別れ、人情の機微、自然の脅威、行く先々での感慨など多岐にわたり、ユーモアや社会批判をまじえた記述も、おりにふれておりこまれる。なかでも、土佐でうしなった愛娘に対する哀悼の叙述は印象深く、この作品の主題のひとつを構成している。また、全編に57首の歌を配しながら歌論をわかりやすく展開し、歌道の入門書的な役割をはたす工夫もほどこされた。
男性の漢文日記にかわる新しい表現の可能性を切りひらき、のちに発展する平安女流文学の基礎をきずいた点で、「土佐日記」のはたした功績はひじょうに大きいといえる。
"土佐日記" Microsoft(R) Encarta(R) 97 Encyclopedia. (C) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved.


■4月1日(月)
 今日は、本当に肌寒い一日でした、とウソを書いてもいい日なんですね、今日は。これがホントのエイプリルクール……。



昔の日記
2002年 3月 
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