続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2004年12月 DecemberのD、第一生命のD、大東大のD
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◆11月24日(月)
 気の早い話ですが、1カ月後はクリスマスイヴです。なんでまた、クリスマスなのか。それは、クリスマスといえば12月。12月と言えば福岡国際マラソン。その福岡国際マラソンにサミー・コリル選手が出場するからです。
 ご存じのように、コリル選手は2時間04分56秒の世界歴代2位の記録を持つランナー。テルガト選手の世界記録とは1秒の差しかありません(同じ03年ベルリンのレースで、ペースメーカーをやりながら出した記録です)。2時間4分台は世界で2人しか出していない記録で、その4分台ランナーが初来日するわけです。2時間5分台も2人しかいませんから、記録の価値を考えると、ものすごい選手が師走の博多を走るのです。
 マラソンは1レース毎の出来不出来の差が、一般種目に比べると大きい種目特性がありますから、コリル選手も絶対に好走するとは限りません。東京国際女子マラソンを見てもおわかりのように、五輪入賞者や世界選手権メダリストが、揃って負けてしまうこともありますから。
 と、釘を刺すことも忘れないわけですが、2時間4分台ランナーの来日を、素直に楽しみにしたいと思います。メリー・コリルキマス!

 という話を今日、上柚木(かみゆぎ)の陸上競技場でしたら受けました(実は昨日、ギャグを洗練する試練を経ていたのです)。話した相手は元早大マネジャーの中川さんと、元帝京大マネジャーの青葉さん。どちらが年上だったんだろう? 中川さんは、TBS佐藤文康アナ(今日もTBSのアナウンサーの方たちが数人、来ていらっしゃいました)の1学年後輩と言っていましたが。2人ともスポーツ関係メーカーの営業マンです。
 上柚木で何をしていたのかといえば、若手営業マンを相手に油を売っていたわけではもちろんなく、八王子ロングディスタンスの取材です。来日中のケン中村氏も、東京国際女子マラソン、国際千葉駅伝に続いて取材に来られました。ローマGL、ローザンヌSGPで一緒だったトヨタ自動車・安永コーチも来られています。コニカミノルタ・酒井勝充監督とは、フランクフルトで一緒にカレーを食べた仲(坪田&尾池選手が作ってくれました。エスビー食品製だったかどうかは不明)。寺田にとって上柚木は、とってもインターナショナルな雰囲気でした。
 競技開始は12:05。この、正時と5分差というのがいいですね。ギリギリで間に合いました。しかし、書きかけの原稿を移動中の電車で完成させられずに、男子1万mDレース中に執筆。残っていたのは締めの部分だけでしたし、すでに頭の中ではできていたので、12分で書き上げて送信しました。レースを見ながら作業をしました。

 1万mCレース中には、某週刊誌から電話取材を受けました(これも、レースを見ながら取材を受けていました)。高橋尚子選手の今後についての意見を求められました。野口みずき選手が五輪金メダル、渋井陽子選手が2時間19分台を出したことで、日本の女子長距離界全体が高橋選手の偉業を継承する体制になった、という話をしたと思います。それは、高橋選手が突出してすごいわけではなくなった、ととるべきではなく、改めて高橋選手のパイオニアぶりを評価すべきだ、とも。
 先方は、この冬に日本最高を出せるのか、年齢をどう考えるのか、という点に興味を持って、寺田に明確な答えをさせたかったらしいのです。この冬の日本最高は厳しいかもしれないけど、この後すぐに練習に入れれば、世界選手権代表になる基準はクリアできる、年齢の影響は個人差があるので結論は出せないが、女子マラソンのパイオニアだけに、我々が想像もできないことをやってしまう可能性もある、と答えておきました。

 八王子ロングディスタンスの取材をしていないのか、と思われるかもしれませんが、さにあらず。女子5000mでは選手の話は聞きませんでしたが、天満屋・山内コーチから松岡理恵選手の状態を取材しました。男子1万mでは自己新を出した野口英盛選手をまず取材。今大会にはかつての順大クインテットのうち4人がエントリーしましたが、岩水嘉孝選手は欠場、奥田真一郎は途中棄権、坂井隆則選手は30分以上かかってしまいました。実業団で出遅れていた野口選手が、夏以降、絶好調になっているのです。
 もちろん、日本人トップの松宮隆行選手にも。同2位の浜野健選手も、すれ違い取材でしたが、調子がいいことを確認。今日は選手よりもむしろ、監督たちへの取材が多かったです。実業団駅伝公式ガイドで、監督たちの特集ページに原稿を書くのです。それと、陸マガの全日本実業団対抗駅伝展望記事用の取材も、ここで少しでも片づけておきたいところ。結局、何人でしょうか。少なくとも5人(亀鷹、岩瀬、福嶋、灰塚、酒井各監督)は、指導者たちに取材をしたと思います。えっ、大したことないですか。佐藤アナはもっとしている? かもしれません。

◇11月25日(木)
 昨日の日記で一部、誤解を招くような記述がありました。中川・青葉両氏が“油を売っていた”ようにも読めるとの指摘です。頭のいい人が読めば“油を売っている”のは寺田であって……おっと、それも違いますね。両氏を知っている人が読めば、油を売っているのが両氏であって……おっと、それも違います。とにかく、2人は真面目に仕事をしていたと思います。たぶん。

◇11月26日(金)
 320行の大作原稿の締め切り。200行の記事と、120行のインタビューです。全部書き終わらなかったのですが、明日の午前中には書き上げられるメドが立ったので、久しぶりに自宅に戻りました。明日は日体大で取材。自宅からの方がちょっと近いのです。


◆12月2日(木)
 ISHIRO化しつつある日記です(たまにドカンと書く、という意味)。それもいいかな、と思いつつも、やっぱり毎日書かないといけないでしょう。まとめて書くと、たまにテーマに一貫性を持たせられたりしてプラス面もあるのですが、新鮮さが失われるんですね。その日に書けばまだ、感動も残っている状態で書けることが多々あるような気がします。そのいい例が11月21日でしょう。東京国際女子マラソンを取材して、色んな人に合いましたから、絶対に面白いネタがあったはずなんですが、すでに半分、ネタの鮮度が褪せているんですよね。
 本日は自宅で仕事。まず、朝の9:50から電話取材。睡眠不足だったので、取材後に2時間ほど眠って、その後一気に170行の原稿を5時間ほどかけて書き上げました。ただ今、WSTF(新宿の作業部屋)に移動の車中です。明日は朝9:30の便で福岡に移動しますので、WSTFに泊まります。移動中にファミレスに寄って、日記を書けるところまで書く……つもりでしたが、洗濯をしないと福岡に行けないことを思いだし、WSTFに直行してコインランドリーに。コインランドリーにいると陸マガ・Y口君から電話。原稿が届いていないとのこと。久しぶりのメールトラブルです。Y口君のアドレスではなく、陸マガのアドレス宛に送信し直したら届きました。同じベースボール・マガジン社のサーバーなのに、何ででしょう?
 もう22:30。WSTFでは来週火曜日締め切りの500行原稿を少しでも進める予定ですが、ちょっと厳しくなってきました。福岡の予習をするのが精一杯でしょう。500行原稿は、機中と博多で進めましょう。


◆12月3日(金)
 福岡国際マラソン取材のため、空路、福岡に移動。羽田空港の第一ターミナルからの出発でしたが、12月から第2ターミナルができたため、全日空のカウンターがあった場所は布がかけてあるだけ。いつもとかなり違う雰囲気でした。
 昨晩は3時間ほど取材の予習(その結果が2時間睡眠)。といっても、資料の大半はコピーしただけか、データベースから印刷しただけ(ここまで持って行くにも、知識がないとできないんですね)。目を通すのは移動の最中になりました。
 資料に目を通したら、かなり多く、面白い事実に気づきました。羽田→福岡の空は充実した一時となりました。いくつかは明日(土曜日)、福岡国際マラソンの見どころ…というか、見どころじゃないですね。雑ネタでしょうか。とにかく、紹介できればと思っています。

 記者会見開始より早めに着いたので、関係者とひとしきり雑談。この雑談中から、ネタが拾えることが多々あるのです。14時から会見。代表質問は朝日新聞の小田邦彦記者。岡山出身の元ショットプッターです。会見の様子から尾方剛選手の自信というより、充実ぶりが伝わってきました。外国勢に関しては、コリル選手(メリー・コリルキマシタ)が“今後の目標”として世界記録を口にしていましたが、今回はどうでしょうか。タイス選手の自然体というか、落ち着いた雰囲気も印象に残りました。防府マラソンに2回勝っているヌグセ選手は、髪の毛が短いので寝ぐせが出ているのかどうか、わかりませんでした。
 会見後は某長距離チーム監督や記者たちと雑談。ここでも、将来的に役立つ情報が多かったですね。通りかかった尾方選手や、清水・大崎のNTTコンビとも二言,三言、立ち話をしました。
 移動中の資料から気づいたことの一部ですが、今大会は山梨学大OB対決が注目の的です。尾方剛(中国電力)、大崎悟史(NTT大阪)、尾池政利(大塚製薬)の3選手です。場所は福岡でも頭文字が全員O(オー)。レースの終盤、この3人が先頭で並ぼうものなら「オオオッ」と、テレビ視聴者が驚くことでしょう。ちなみに血液型は全員Oなんてことはなくて、尾方選手がB、大崎選手がO、尾池選手がAと綺麗にわかれました。それがなんだ、ということはないのですが。
 これも記事にする予定のネタと関係するのですが、大崎選手が今大会の選手相関関係図の中心ですね。
1)山梨学大トリオで学年的には真ん中で、尾方選手とも尾池選手とも在学時期が重なっている
2)清水康次選手がNTT西日本広島からNTT大阪の陸上競技部活動本格化に伴って異動し、大崎選手のコーチという立場に
3)梅木蔵雄選手とは過去4回連続で同じレースを走っている
4)ヌグセ選手とは防府マラソンで一緒に走っている
5)コリル選手とは03年ベルリンで一緒に走っている
 もう1つ2つ、ネタがあったかもしれませんが、思いつく範囲ではこのくらいでしょうか。思い出しました。
6)土佐礼子選手のフィアンセの村井啓一選手(NTT西日本愛媛)が今大会に出場しますが、大崎選手は元同僚

 会見の日本選手部分を記事にして、19時からISHIRO記者の従兄弟がオーナーシェフのイタリア料理屋で、何人かの記者の方たちと夕食。寝不足の影響が出ました。


◆12月4日(土)
 今日は仕事を頑張りました(昨日も、頑張りはしましたが)。
 10:45には大会本部のある西鉄グランドホテルに。練習に行く選手たちの表情を見たり、指導者の方たちの話を聞いたり。昼食も食べず、空き時間でこのサイト用に記事を書きました。
 そうこうしていると、偶然にもコリル選手がクリスマスツリーの前に。別に、メリー・コリルキマスと書いたからではないのですが、ツリーと一緒に写真を撮らせていただきました(ちょっとブレてしまいました。すいません)。
 佐川急便の星竜也選手と雑談。96年に2時間14分台を2回出した後、さあこれからという時期にマラソン歴に空白があるので理由を聞くと、97年に外反母趾の手術をしたとのことです。高校は京都商高、大学は愛知工大と、長距離というより野球の名門校を出た選手(京都商高は沢村栄治の出身校だそうです)。かの名作アニメ「巨人の星」も、再放送を見ていたとのこと。日頃はサブテン養成ギブスを身体に付けていますが、「明日は外して走ります」と話していました。
 18〜19時頃まである仕事をして、夜は21時頃まで西鉄ホテルで本サイトの原稿書き。泊まっているホテルに戻って、火曜日締め切りの500行原稿を150行ほど書き進めました。


◆12月5日(日)
 福岡国際マラソン取材。
 地下鉄の赤坂駅から平和台競技場に向かっていると、三井住友海上社屋にこんな縦段幕が下がっていました。土佐選手の婚約者の村井啓一選手も今大会に出場されていましたが、これを見たのでしょうか。目標は2時間19分41秒だったとか。どうやら、渋井陽子選手をライバル視していたようです。
 写真を撮影していると、ミズノのKKコンビに声をかけられました。今クールの月9ドラマはスポーツメーカーが舞台なのですが(織田裕二と矢田あきこの世界陸上コンビが主演)、KKコンビは織田裕二以上の二枚目です(個人的な見解ですから、異論も出るでしょうけど)。さあ、誰でしょう?

 ここ数年、福岡は報道車に乗らせていただきましたが、今回はプレスルームでテレビ取材。乗らなかった理由は、去年の日記に書いているかな……と思って確認すると、去年も12月4日から10日まで日記が中断していました(この日記も9日に書いています)。やっぱり、例年、忙しいんですね。報道車に乗らない理由は、わかりやすく抽象的に言えば、○○の意識の差でしょうか。要するに、乗る魅力がないということ。でも、乗る記者がいなくなって、箱根駅伝のように報道車が出なくなってしまうのも避けたいですし。難しい問題です。
 レース結果は尾方剛選手の圧勝でした。2時間09分10秒という優勝記録を表面的に見て、大したことはないと判断したら大間違いでしょう。35km以降で2位以下につけたタイム差を見れば明らかです。35〜40kmで54秒、そしてすごいのが、40kmからフィニッシュまでの2.195kmで52秒もの差をつけているのです。残念ながら、過去のスプリットタイム表を、過去4年分しか持っていませんでした。現行コースとなった91年以降を全て持っていれば、この事実がどのくらいすごいか、取材のときに役立てたと思うのですが。
 やっぱり、データって重要です。と思って、ついつい資料準備に時間を使いすぎる傾向があるのですけど。確率でいえば、用意した資料を活用できないケースの方が圧倒的に多いのです。重要なのは、資料準備をする時間があるかどうかの判断を、バランスよくすることでしょうか。

 競技場では共同会見に出席した上位3選手と澤木強化委員長、坂口泰監督、上窪隆夫監督を取材。その後、大会本部のある西鉄グランド・ホテルに徒歩で移動。閉会式前に日本人3位の迎忠一選手と、同4位の梅木蔵雄選手を取材。陸マガに書く記事は尾方選手だけとなったので、2人に取材したことはこのサイトで記事に……できればいいのですが。
 今日の記録が悪かったのは、風に尽きます。そこで、近年のマラソンで、今日と同じかそれ以上に風が強かったマラソンはどれか、関係者に取材しようと思っていると、大塚製薬・橋本忠幸コーチの姿が。犬伏孝行選手や岩佐敏弘選手だけでなく、女子の杉原愛選手のコーチとして、内外のマラソンを現地でつぶさに見続けてきたコーチです。さっそく質問すると、すぐに思い出したのが犬伏選手が出場したシドニー五輪。国内では、今年の北海道マラソンが強かったそうです。

 風が全てではありますが、だからこそ、ペースメーカーへの配慮も重要になったはず。その辺も少し、関係者に話を聞くことができました。以前、シカゴのペースメーカーが下手だったことを紹介しましたが、ペースメーカーがやってはいけないことの1つが“帳尻合わせ”。5km毎の関門の通過タイムを契約通りにするため、関門近くになってペースを上げ下げすることです。仮に、予定より遅いとわかっても、リズムを壊すことの方が結果的にマイナスとなります。
 今回、3人のペースメーカーにはその辺を、特に注意するように指示がしてあったようですね。向かい風から追い風に変わるところでは、今日のように風が強ければペースが大きく変わりますが、前の5kmのマイナス分を取り戻そうと一気に14分40秒〜50秒に上げたら、たぶん、記録はもっと悪くなったでしょう。大崎悟史選手は、15分05秒にペースが上がったとき、「14分50秒に上がったように体感した」と話していますから。強風の中で2時間09分29秒の世界選手権内定基準タイムを切れたのは、ペースメーカーがそれなりに貢献していたと思います。

 21時まで西鉄ホテルで本サイト用の記事を書き、徒歩10分の距離にある自分が泊まっているホテルに戻って、火曜日締め切りの500行原稿を書き進めたかったのですが、記事の視点を変えた方が面白いと気づき、かなりの修正作業。表面的な行数で言えば、50行くらいしか進みませんでした。明日の朝の取材の予習も、そこそこやって、記事の骨格がほぼ決められました。


◆12月6日(月)
 朝早くに尾方剛選手を取材。なかなか面白い話が聞けました。尾方選手の前には坂口泰監督にも。こちらも面白かったです。記事にする手応えもそこそこ感じられました。何を隠そう、この原稿(陸上競技マガジン)は本日が締め切り。行数は200行です。自分の宿泊ホテルにもどって11時にチェックアウト。地下鉄の赤坂駅近くのスタバで約1時間、1時間半前に取材した内容を読み返し、記事の構成を練りました。
 13時前に福岡空港に。15:30の便なのでチェックインは13:30からと言われてしまいました。約1時間半、空港のベンチで原稿書き。約40行書きました。原稿は全体の構成を考えながら書き進めますから、最初の方が筆が進むスピードが遅いのです。
 14:50にチェックインし、弁当を買ってベンチで昼食。
 機内で原稿は80行まで進行し、17時過ぎには羽田着。気持ちが乗っていたので、羽田空港で一気に書き上げました。21時頃だったと思います。
 WSTF(新宿の作業部屋)に戻って、福岡国際マラソンが現行コースとなった91年以降のスプリットをチェック。昨日、尾方選手が2位につけたタイム差が、35kmからフィニッシュまでの7.195km間は過去最大であることが判明しました。その辺のデータを、記事の冒頭に盛り込むことを想定して、原稿は書き進めてあったのです。最近の福岡は、終盤まで競り合いが続くことが多かったですから、こういった特徴があることは確信していました。
 フィニッシュまででは最大でしたが、35〜40kmでは92年のネゲレ選手が1分08秒で最大で、00年の藤田敦史選手が1分01秒で2番目、今回の尾方選手の54秒は3番目でした。つまり、40kmからの2.195kmがすごかったということです。


◆12月7日(火)
 500行超大作原稿の締め切り。もう、問題ないと思うので具体的に言ってしまうと、陸マガのニューイヤー駅伝展望記事です。前回の1位から10位のチームは全て、監督に話を聞くなど取材させていただきました。11月後半の中部実業団対抗駅伝、国際千葉駅伝、八王子ロングディスタンスなどの機会を利用しましたが、11位以下のチームも含まれますが、4チームの監督には電話取材をしました。
 コニカミノルタやホンダ、トヨタ自動車、富士通などは選手の話も聞いています。それぞれの取材ノートを読み返して、全体の構成を考え、書くにあたってまた読み返す。10チーム以上それを繰り返すのは、1本の原稿ですが実際の手間は、とても1本という感覚ではありません……締め切りに遅れた言い訳になるので、これ以上書くのは控えましょう。


◆12月8日(水)
 午前中に電話取材を1つ。この締め切りも今日中という、ハードスケジュールです。
 13:30からVAAMというか明治乳業主催の高橋尚子選手トークショーを、ホテルニューオータニで取材。これまで、競技会以外での高橋尚子選手の取材は、ほとんどありませんでした。4年前に実業団女子駅伝公式ガイドのインタビューと、昨年の東京国際女子マラソン出場のために帰国したとき(成田空港取材)くらいでしょうか。市民マラソンや講演会などのイベント出演時の取材はいっさい、したことがありません。専門誌に軸脚を置いたライターですから、どうしても、この傾向は出てしまいます。逆に新聞記者の方たちは、競技会よりもイベントで高橋尚子選手を取材する回数の方が多い。これも選手の実力(と人気)を示すバロメータでしょう。
 今回は、東京都内のイベントで場所も近いし、何とか時間も工面できそうでしたし、何より、明治乳業の中川さん(元早大マネ)から丁寧な案内をいただいたのが、決め手でした。あっ、記事と一緒に写真を掲載しないといけないですね。
 個人的な高橋尚子選手への関心も、以前よりも大きくなっています。以前にも書きましたが、野口みずき選手が連続金メダルを取り、渋井陽子選手が2時間19分台を出すことで、日本の女子長距離界全体が高橋選手の偉業を継承する体制になり、改めて彼女のパイオニアとしての価値が高まったと思っているからです。
 そうそう。先月末に出た週刊朝日の高橋尚子選手の記事に、寺田のコメントが掲載されました。表紙はISHIRO記者。ライバル紙の記者を表紙にしていいのだろうか、と思ってよく見たら平井堅でした。
 記事全体のトーンは、3月の名古屋に出て欲しい、まだまだ頑張って欲しい、というものでした。寺田は「名古屋で日本記録は厳しいが、世界選手権代表内定の走りならできる」と言っています。それ以外に「以前は独身選手世界最高を持っていたが、孫英傑選手と渋井選手に破られた」とか「経産婦ランナーの世界最高を出して欲しい」とかいうコメントも掲載されていますが、肝心の部分が割愛されてしまっています。それが、先ほど書いた、高橋尚子選手のパイオニアとしての評価の部分。その価値が再認識された今だからこそ、「経産婦ランナーの世界最高を出して欲しい」というコメントをしていたのです。
 以前から認識はあったのですが、今回改めて、コメントをどういう流れで記事に織り込むかに、注意しないといけないな、と感じました。
 そうそう。コメントで思い出しました。こちらの記事をよく読むとわかるのですが、高橋尚子選手のコメントには「 」にできる部分がかなり多いのです。
高橋 「本当に折れていたのかな?」というくらい、痛みはありませんでした。感覚的には、「このまま走れてしまうんじゃないか」と思ったくらいです。神経を集中しているので、「あー、気持ちいい」ではなく「あれ、痛くない。けど、いいのかな。いいよな」という驚きの方が大きかったですね。久しぶりだとギクシャクして、「どうやって走るんだっけ」とか考えがちですが、そんなことは考えず、「やったあ、やったあ、痛くないぞ」と、嬉しさが込み上げてくる感じでした。これだけ走っていないと恐る恐るになるものですが、走ってみたら「あらっ」っという感じで、なんてことはありませんでした。
 これって、記事を書く側とすれば、書きやすくなるのでいいことなんです。記者たちから愛される理由の1つかもしれません。


◆12月9日(木)
 陸マガ増刊の箱根駅伝2005の配本日。夜、編集部に取りに行きました。
 WSTFには戻らずそのまま、九段下から地下鉄&京王線で帰宅。21時半には、自宅近くのファミレスに行きました。たぶん、何カ月かぶりです。
 23:50くらいまでかけて、箱根増刊号をほぼ、読み終えました。明日は箱根駅伝チームエントリーと、記者会見です。一番の焦点は、東海大の中井祥太選手が16人のメンバーに入るかどうかですが、入れるかな。本番までまだ、3週間以上ありますし。


◆12月10日(金)
 箱根駅伝チームエントリー後の記者発表会取材。前回までは関東学連のある千駄ヶ谷周辺での会見でしたが、今回はメインスポンサーの本拠地である恵比寿の恵比寿ガーデンプレイスに会場が移りました。
 会場に行く際、エレベータで早大・渡辺康幸監督と一緒になり「貫禄が出てきたね」と声をかけると「チームも貫禄が出てきましたよ」と、冗談と取っていいのか、本心と取っていいのか判断が難しい答えが返ってきました。会見、ティーパーティー、トークバトルという流れでしたが、一連のイベントを取材して感じたのは箱根駅伝の指導者たちは皆、「役者だな」ということです。

 駒大・大八木監督は今回初めて壇上に座りました。監督1年目ということでやや控えめでしたが、これまでのテレビ中継などを見ればおわかりのように、大八木監督の強烈な個性で番組が成り立ってしまうほど。
 東海大・大崎コーチにはティーパーティー前に囲み取材をさせてもらいましたが、冗談がいけてます。グローバリー・藤田監督やエスビー食品・瀬古監督のダジャレも笑えますが、大崎コーチの冗談はより陸上競技的。冗談でありながら、鋭さがある。富士通・木内総監督の八王子ロングディスタンスの通告も、ユーモアと叱咤激励が上手く融合された絶品です。釘を刺しておきますと、どのタイプがいいとか悪いとか言っているのではありませんので。
 今日でいうなら、トークバトルの明大・西ヘッドコーチの“おとぼけ”も絶品でした。各指導者が、隣に座っている指導者の大学の2区を予想するコーナーで、早大・渡辺監督に「幸田君でしょう」と指摘された西コーチが「よっくわかりましたね。○秘にしていたんですが」という切り返し。そして、次は駒大の2区を西ヘッドコーチが「4人、候補が挙がっていますが、斎藤君じゃないかと思います」とコメント。たぶん、ここで大八木監督の反応を見たのでしょう。間をおいて「あっ、佐藤君ですね。さきほど大八木監督もウチの一押しの選手に挙げていましたから」と言い直しました。最後には「田中選手の線もありますね。8人くらい走れる選手がいますから」と、聴衆の考えをより混乱させて締めくくりました。
 今回は登壇しませんでしたが、会場にいた大東大・只隈監督と東洋大・川嶋監督も司会者に指名されて、ちょとずつコメントしていました。2人ともユーモアがあり、なかなかいい役割を果たしていたと思います。

 監督たちを見ていて出した結論。1つのことを一生懸命にやっていると“ゆとり”が生じ、それがユーモアにつながっていく、のだと。選手にやる気を起こさせないといけない指導者という職業柄、ある程度の演技も必要です。演技という表現が誤解を招くようならば、熱意ある行動と置き換えてもいいでしょう。要するに、その道を一生懸命にやっていれば、人間的に味が出てくるということです。
 あとは、監督たちを見る側に、箱根駅伝という共通の理解土壌がある(言葉の使い方が間違っているかも)ことが大きいでしょう。監督たちの話が、聞く側に理解できる。だから、監督たちの個性が深く認識できる。政治のことを国民みんなが深く勉強すれば、人気のない政治家の認識が変わるかもしれません。わざと欠点を出している政治家なんかもいたりして。
 夜は珍しく、予定外の飲み。それも重要かも。


◆12月11日(土)
 全日本実業団対抗女子駅伝開会式取材。区間エントリーを見て、三井住友海上の橋本歩選手と、京セラの高仲未来恵選手が故障とかの理由でなく外れた点に、この2チームの充実ぶりが見て取れました。それと1区に、三井住友海上が大平美樹選手、資生堂が佐藤由美選手を初めて起用したことも、両チームの特徴かな、と感じました。詳しくは区間エントリー関連記事を参照してください。
 土佐礼子選手に会って思い出しました。12月5日の日記に縦段幕という言葉を使いましたが、懸垂幕というのが正しいとご指摘をいただきました。

 昨日の日記に書き忘れましたが、箱根駅伝は骨髄バンクのPRにも一役買っています。3年前に骨髄バンク「全国協議会」理事、「公的骨髄バンクを支援する東京の会」の大橋一三氏(「箱根駅伝における骨髄バンク普及啓蒙活動実行委員長」)が、国士大時代に同級生だった久保田譲氏(元エスビー食品マネジャー)を通じて関東学連に働きかけたのがきっかけだそうです。前回は、スタート、ゴール、中継所、沿道に「命のタスキリレー 骨髄バンク」と記された黄色や赤色“のぼり”を立ててPRをしたり、箱根町宮ノ下で募金活動、書類配布等も行ったとのこと。ホームページのリンク先も、連絡が来たら紹介する予定です。

 開会式前後の取材を終了後、岐阜駅まで女性記者とタクシーに同乗。寺田はホテルに、その記者の方は大垣のホテルに。別の女性からの誘いを断って一心不乱に21:15まで仕事。場所をファミレスに移して午前1:35まで原稿を書き続けました。1時間ほど、明日の区間エントリー表を見ながら、企画を考えましたね。かなり集中して仕事ができた一日でした。


◆12月12日(日)
 岐阜で全日本実業団対抗女子駅伝を取材。今年の美濃路は最後に、本当にすごいマッチレースになりました。三井住友海上と京セラ、どちらも100%の力は出せなかったかもしれませんが、両チームともコース新記録でした。レース後の取材は仕事の分担やクライアントの事情で、1・2位チームの選手・スタッフに話は聞いていませんが、敗れた京セラはたぶん、1・2区の埼玉県の高校出身&今年の国体優勝コンビが不本意だったと思います。間違いなく先行したかったはず。正直、3区終了時点で厳しいだろうと感じました。しかし、選手もスタッフもあきらめていなかったみたいですね。5区・6区の追い上げは見事でした。レースが盛り上がったのは、一にも二にも京セラが頑張ったからです。
 三井住友海上側からすると1区と5区の松山商高出身コンビがもうちょっと、といったところでしょうか。でも、駅伝に100%はありません。マラソンだったら、福岡の尾方剛選手のように「練習してきたことを全て出し切れた」(坂口泰監督)ということもあるでしょうけど、駅伝に出場する選手が全員、それと同じように力を出し切るケースは確率的に少なくなります。まあ、マイナスがあったらその分、プラスが生じることもあるのが駅伝のいいところ。三井住友海上の2・4・6区の頑張りは、マイナス分を見事に補ったと思います。なかでも、2区の石山しおり選手はすごかった。確かに3.3kmと短い距離ですが、同じ区間を走った選手によれば、最初からものすごいスピードで入ったそうです。新聞記事などを見ると6区の大山美樹選手も本当に、これ以上はないというアンカーの走りだったようです。2人とも区間新。甲乙付けがたい頑張りだったと思います。
 土佐選手には独身最後のレースで快走してほしかった、と個人的には思いますが、誤解を恐れずに書けば、人生の節目と競技結果が上手く波長が合う必然性はないわけです。見ている側やマスメディアの、都合のいい思い入れと期待でしかありません。

 レース前にも取材や、予備取材を色々とします(半分は雑談ですが)。そのなかで、初めてのアコム・長沼祥吾監督の「30歳代の選手がいるチームは、そんなにないと思う」とのコメントに、ちょっとした驚きを覚えました。アコムには小幡佳代子選手を筆頭に長沼一葉選手、市川美歩選手と30歳代選手が3人いるのですが(小幡選手と長沼選手は同学年ですが、2カ月小幡選手の方が年上だそうです)、他チームにも30歳代選手もそこそこいるかな、という印象だったのです。浅井えり子選手や谷川真理選手がちょっと前まで頑張っていましたし(前過ぎる?)、高橋尚子選手や安部友恵選手ももちろんオーバー・サーティー。短距離では小島初佳選手や柿沼和恵選手の学年が今年、30歳になりましたし。
 しかし、長沼監督に言われて頭のCPUをフル回転させて、これも頭のメモリー内のデータを検索したのですが、30歳代の長距離女子選手は弘山晴美選手以外はなかなか思い浮かびません。山口衛里選手ももう、実質的にはコーチです。
 と、思っていると、ノーリツの岡本治子選手が「こんにちは」と挨拶してくれました。ここで、CPUが再度、高速フル回転。昨日、同じノーリツの小崎まり選手が記者たちと雑談をしている最中に、次のようなことを言っていたのを思い出しました。
「大野(龍二・旭化成)君が“弱冠19歳”と言われていたから、それだったら私も“弱冠29歳”だなって。私たちの間ではそれが流行っているんです」(こういった前向きな考えは大好きです)
 “私たち”というのは、同じ29歳の大南姉妹選手たちのことかもしれません。しかし、だとしたら、小崎選手が先輩と呼んでいる岡本選手は…「そうなんです。30歳になりました」と、明るく言ってくれました(隣にいらした天満屋・武冨監督に何故か受けていました)。アコムの30歳代トリオも、同じようにとっても明るくて前向き。だったら、今大会に出た30歳代選手をチェックしてみようと企画。寺田も少し記事を書かせてもらった女子駅伝公式ガイドブック(毎日新聞社発行)で生年月日をチェックしました。
 資生堂は弘山選手と寺内多恵子選手の2人、日立の吉田亜紀子選手、ホクレンの中山ひろみ選手、アコムの3人、そしてノーリツの岡本選手。チェックミスがなければ、この8人で全部のはず。意外と少ないのです。昨年のアスリートオブザイヤーの受賞インタビューの際、高岡寿成選手が若い選手のなかで一生懸命になっていることについて、何のテレもないと言っていました。世界ではそれが、当たり前のことだからと。女子選手も同じ。来年は30歳代の選手がかなり増えますが、周りを見回して「そろそろ」などとは考えて欲しくありません。
 以上、美濃路の三十路選手について書かせていただきました。


◆12月13日(月)
 16時から東海大で箱根駅伝メンバーの共同取材。選手がそれぞれの席に着き、そこに記者たちが集まって話を聞く形式。同時に進行しているので複数の選手の話が聞けるかちょっと不安でしたが、時間をたっぷりとってくれたので4人の選手に話を聞くことができました。選手たちが集合する前に大崎栄コーチの話も聞けたので、バランスのいい取材だったな、と思います。
 新聞などでは本人が希望していることもあって、伊達秀晃選手の5区が濃厚と報じている記事もあったようですが、大崎コーチは「前回も中井(祥太)は2区を希望していたが、チーム事情で5区を走ってもらった。伊達はあれだけの力があるのだから、エース区間を走らせてみたいが、周りの選手の体調を見て、ですね」と話していた。
 世間はどうも、駅伝の区間予想をするのが楽しくて仕方ないようです。それも駅伝の楽しみ方なので大いに結構なことですし、文字にする場合は断定調でいいのですが、人に話すときは控えめな話し方にして欲しいのです。「○区に決まっている。◇区はあり得ない」と強い調子で言われると、話にならない。駅伝の選手起用予想はどんな意見であろうと、間違っていると言えるわけがないのです。逆に、それは違うとも、全ての意見に対して言うこともできる。駅伝の選手起用方法は十人十色。10人の指導者がいたら、間違いなく10通りの起用法があるでしょう。
 例えば伊達選手。仮に登りへの特性があれば、1年生ということも登りに起用しやすい要因ですから、可能性は高くなります。5区は差をつけやすい区間ですから、純粋にタイムを稼ぐなら5区でしょう。しかし、早めに前の方に位置して、俗に言う“駅伝の流れ”に乗りたいのなら2区となります。監督の考え、言い換えれば、どんな戦略を好むか、です。その年の選手のタイプや精神面の傾向も判断材料になるでしょう。大学の伝統などに左右されることもあるようです。そして何より、伊達選手以外の5区候補、2区候補がどのくらい走れそうか、という点にも左右される。それがチーム事情です。

 共同取材終了は18時近くでしたが、東海大に来てトラックに顔を出さないのはまずいだろうと、暗くなったグラウンドに。照明設備があり、大勢の学生が練習をしていました。東海大の誇る短距離陣は前日の日曜日が強めの練習だったということで、今日の練習はオフ。しかし、やはり東海大の誇る跳躍陣が練習をしていました。植田先生に挨拶し、しばし雑談をさせてもらいました。
 そのなかで1つ、新しい発見がありました。植田先生は三段跳の84年ロス五輪代表で、当時はミズノの社員でしたが、入社時はまったくの一般社員だったそうです。現在の形態の陸上部ができたのは1989年です。つまり、植田先生はフルタイム勤務後に練習をし、力をつけた。活躍することで徐々に、会社も練習時間や合宿などで便宜を図ってくれるようになったそうです。そういうやり方もあるよな、と意を強くしました。リクルートに一般社員で入社した金哲彦さんがそうでしたし、モンテローザの内田玄希選手も似た形でした。
 ところが、最近の学生選手は、最初から競技環境の完璧な形を求めすぎるのだそうです。勤務時間、合宿費用、成績に対する報奨金など、「あそこはこうやっているから」と。そういえば、実業団連合関係者も、学生選手がその辺を希望しすぎて、話がまとまらなかった、とこぼしていました。
 確かに、五輪代表など実績のある学生選手が良い待遇を要求することで、陸上選手全体の待遇を上げられる側面もあります。しかし、せっかく興味を示した経営者が辟易として陸上競技への理解をなくしてしまうこともあるわけです。植田先生のように、練習のやり方によっては、一般社員の立場でも記録は伸ばすことができるはず。3月までの大崎悟史選手もそうでした。まあ、あまりそういう選手が増えると、競技優先の環境にいる実業団選手の立場がなくなってしまいますけど。でも、そのくらいの気概のある学生選手が、もう少し増えてもいいような気がします。


◆12月14日(火)
 約1年ぶりにロンドン・マラソンの会。通訳だった女性の方が結婚するというので、そのお祝いも兼ねて行いました。日刊スポーツ元陸上競技担当の佐々木一郎記者が、自身の人生について珍しく建設的な意見を言い始め、返す刀(?)で寺田の新たな事業展開に関しても現実的なアイデアを提案してくれました。かなり励まされましたね。やっぱり人間、1人で考えていると限界があります。部屋に籠もっているだけではダメですね。

 今日は陸上競技マガジン1月号の発売日です。巻頭の福岡国際マラソン、尾方剛選手の優勝記事を書かせてもらっています。レース当日の取材にプラスして、翌朝に取材させてもらったネタを加えて、少しは他のメディアと違った記事にできたかな、と思っています(文章の流れが悪いところが1箇所。反省しています)。尾方選手のキャラが重要な要素になっていますが、これは、中国電力マネジャーの山本さんから聞いた話と、一夜明け取材で聞いた話からネタを仕込んで、上手く原稿の流れに組み込めたかな、と。
 02年のロンドン・マラソンでの失敗ネタは、現地に行っていますからね。というか、その後も坂口・尾方師弟は平気で、監督の指示を無視した走りをしたこと(ハイペースの先頭集団に付いていったこと)を公の場で話しています。記事中にも書きましたが、そういった部分を隠さず話せる方が、信頼関係が強いのだと思います。指導者が隠すような指示をしたとしたら、選手との関係に自信がない証拠。選手側が勝手に気を遣って隠すのも、同様でしょう。
 ところで、坂口泰監督が漫画雑誌に登場すると聞いたのですが、もう出たのでしょうか?

 菅原勲さん(ATFS会員)が選んだ世界陸上界10大ニュースも面白いです。1位はアテネ五輪での世界新記録でも、エルゲルージの五輪2種目制覇でもない。菅原さんにしかできないランク付けでしょう。非常に個性的です。が、その個性も広範な知識と長年の積み重ねがあればこそ。単に、変わった見方をしようと思ってできることではありません。
 野口純正氏(同じくATFS会員)のSTATS ON T&Fの「五輪・世界選手権の国別得点集計から」も興味深く読ませていただきました。1983年以降のオリンピックや世界選手権の順位を得点化して累計すると、ほとんどの部門で日本がトップなのです。日本におけるマラソンの社会的な背景の勝利でしょうか。誤解を恐れずに書けば、マラソンに懸ける日本人全体のエネルギーは一般種目の比ではありません。一般種目の頼みは、高校の熱心な先生方と、大学の一握りの先生方の頑張り、そして数少ない実業団チームを擁する会社の経営者の存在でしょうか。


◆12月15日(水)
 15:30に都内某所に。○○の代金支払い等を済ませた後、近くのカフェで約1時間半の読書(といっても陸上競技専門誌)とある企画の立案。その後、陸マガ編集部に。1月号を入手し、打ち合わせをいくつか行いました。
 11日に発売された箱根駅伝増刊号は売れ行き好調とのこと。普通だったら編集部に何冊か残っているのですが、それもほとんどなくなっていました。まだ購入されていない方は、早めにお買い求めください、と、この増刊号の編集を担当したY口君が話していました。増刊号のセールスポイントについて彼は「名鑑がカラーになったこと」を挙げていました。
 カラー化だけでなく、アンケートも充実しています。好きな女性タレントの欄などを見ていると、やっぱりこのタレントが多いな、と人気のバロメータにもなる。大学毎の特徴(流行?)も出ていたりします。早大の選手は間違いなく、女子アナ好きです。そういえば先輩の某記者も……おっと、プライベートなことは控えましょう。でも、何でTBS豊田綾乃アナの名前がないのでしょう。彼女の素晴らしさは他の女子アナとは違って……うーん、どこまで書いていいのかわからないので、これも控えます。

 本日はニューイヤー駅伝2005公式ガイドの発売日。寺田は岩水嘉孝選手と藤原正和選手の記事と「上州路に集う監督列伝」、戦力分析も2チームほど担当しました。これで、11月から続いてきた全日本実業団対抗女子駅伝、箱根駅伝、ニューイヤー駅伝の展望記事が載った雑誌は全て発売されたことに。例年のことですが、忙しかった中にも充実した取材と執筆の日々だったように思います、と終わってみれば思いますけど進行中はもう、必死でしたね。ご協力いただいた関係者の皆様、ありがとうございました。


◆12月16日(木)
 朝の10時から箱根駅伝に向けた山梨学大の共同取材。選手が各テーブルにつき、話を聞きたい選手の所に記者たちが集まって取材をする形式でした。できれば、選手全員の話を聞きたいのですが、さすがにそれは不可能。4選手に絞って話を聞きました。そういえば、月曜日の東海大も4選手だったような…。寺田の場合、昨日の日記に書いたように、関係した展望雑誌は全て発売済み。新聞などと違ってこれから本番までの間に展望記事は書かなくていいので、比較的自由に選手を選んで取材ができます。展望記事を書くとなると、本来ならキャプテンの川原誉志文選手やエースのモカンバ選手は外せなくなりますが、今日は3年生の森本直人選手、2年生の小山祐太、徳田哲志、金子峻輔の計4人に取材。立場上の利点を生かした人選のつもりです。
 日本人エースの森本選手以外の2年生3人は、全日本大学駅伝の2・4・6区。上位候補校の柱となる選手のように、“これ”という実績はありませんが間違いなく今後、チームの柱となって行く選手たち。それが現実となるのが今度の箱根なのか、箱根駅伝以降になるのか、いずれにせよ楽しみの大きい2年生選手たちです。
 これはたまたまですが、3人とも(現時点の)有名選手と同じ高校の出身です。小山選手は佐久長聖高出身で1学年後輩には1万m前高校記録保持者の上野裕一郎選手がいました。徳田選手は鹿児島実高出身で、アテネ五輪代表の大野龍二選手と同級生。そして、金子選手の作新学院高の1年先輩には現駒大の佐藤慎吾選手がいました。思いもかけず、有名選手の高校時代をチームメイトの視点から話を聞くことができたわけです。そして、有名選手との関係を取材することで、その選手自身の特徴も明確になります。一挙両得ってやつですね。いい取材ができたと思います。

 2時間睡眠で取材に行ったため、夕方に新宿の作業部屋に戻ると少し睡眠をとりました。
 ここから先、過激発言があるので以下に該当する人は読むことを禁止します。
怒りっぽい人
教育上好ましくない、とかメールを書きそうな人
陸上競技を金銭的側面から見るな、とかメールを書きそうな人
良識のありすぎる人(特にニューイヤー駅伝大会関係者)

 夜の10時過ぎにISHIRO記者から電話があり、ニューイヤー駅伝のエントリー選手をサイトにアップしたとの報告。さっそく見てみると、これがなんと、まあ、大物選手欠場のオンパレード(死語か?)。ざっと挙げると以下の通り。
コニカミノルタ:坪田智夫
日清食品:徳本一善、小川博之
富士通:藤田敦史
三菱重工長崎:橋ノ口滝一
旭化成:佐藤信之、森下由輝
大塚製薬:犬伏孝行
 大丈夫か、視聴率? と思ってしまいました。テレビ局は放映権料を9割に下げても、いいんじゃないでしょうか。
 坪田選手がここまでひどいとは、酒井勝充監督への取材時点では感じられませんでした。陸マガの展望記事とはちょっと、状況が変わってきてしまいましたね。確かに3年前は、ガソ選手抜きで勝ったこともありますが、そうそう、エース抜きで勝てるほど甘くはありません。日清食品の2人は、陸マガの展望記事にも書いたとおり、12月に入ってもまだ、練習が本格化していなかったので、無理かもしれないと感じていましたが。
 陸マガ展望記事の旭化成の部分では森下選手も健在と書きました。これは、電話取材した宗猛監督が言ったわけではなく、九州一周駅伝で区間賞と結果を出していたので、“健在”だろうと思ったのです。難しいですね。九州一周駅伝の区間賞選手の中には間違いなく、めちゃくちゃに調子のいい選手がいます。その一方で、区間賞を取っても、実は大したことがなかった、という例も散見されます。面白い駅伝ではありますが、判断の難しい駅伝ともいえますね。来年からちょっと、気をつけましょう。
 橋ノ口滝一選手については午前中の山梨学大取材時に、外れることを上田誠仁監督から聞いていました。秋になってトラックで自己新記録を出していたのですが、九州予選で失敗。それでも、10人のメンバーから外れるほどとは思いませんでした。故障か何か、理由があったのでしょう。それとも、山梨学大の先輩でもある黒木純監督の愛の鞭か。


◆12月17日(金)
 集中力がいまひとつで、原稿がなかなか進まないと思っているともう、窓の外は暗闇に。今日は19時から、箱根駅伝に向けた中大の共同取材です。18:00に新宿発の京王線で移動しましたが、世間的には通勤の時間のため仕事帰りの人たちで電車は満員。ちょっと違和感のある中大行きでした。

 中大の南平寮に行ったのは初めて。運動部が全部(かそれに近いくらい)入っている寮で、中に足を踏み入れると歴史を感じさせる雰囲気です。といっても、中大の多摩キャンパスができて以降の建物でしょうから、築30年くらいでしょうか(まったくの憶測です)。共同取材が行われたのは会議室…だったかな。部屋の周囲の壁には、これも古いつくりの本棚が並び、色んな分野の書籍が無秩序に並んでいました。30冊に1冊くらいの割合で、上下が逆になって収めてあるのは何故だろうと疑問に思いました(さすがに質問はしませんでしたが)。紙が変色している本も多く、これもまた雰囲気を盛り上げるのに一役買っていました。理工系は少なかったようですが、文学、法律、経済の研究書だけでなく、推理小説なんかも混じっていて、なかなか面白かったです。もう一度、行ってみたいですね。

 取材は選手全員が箱根駅伝の抱負を話し、代表質問に答えた後は、記者側が希望した選手に残ってもらい、個々の選手を記者たちが囲んで話を聞く形式。池永選手が理工学部(水道橋駅近くの校舎)の授業で会見に間に合わなかったため、家高・高橋・野村・上野の4選手に、寺田がお願いした山本選手も加えた5選手が残りました。今日は、話を聞けたのは3選手。高橋・山本・野村の順に取材を進め、最後に上野選手もと思いましたが、上野選手はこれまで話を聞く機会も何度かあったので、田幸寛史監督の取材を優先しました。
 まずは陸マガY口君の「田幸監督のご多幸をお祈りします」という伝言を伝えました。これは何百回と言われていることだろうから、言わない方がいいかな、とも思ったのですが意外にも、それほど言われたことはないそうです。あまりにもベタだから、普通の感覚の人間は言うのを憚ったのでしょう。
 取材としてもかなりたくさん話を聞くことができたのですが、田幸監督に主に聞きたかったのは以下の4点。
1)上尾と府中の両ハーフマラソンの、気象コンディションやレースの“質”の違い。
2)府中の結果で優勝への手応えがどう変わったか。
3)野村の6区は決定として、残りの4人(高橋・池永・山本・上野)のうち1人を復路に残すのかどうか。
4)上野選手という“箱根を超越して世界を目指す”選手が加わり、“箱根を目指す”選手との共存が上手くできたのかどうか。

 これらの質問への答えは日記なんかではなく、ちゃんとした記事に書くでしょう。どこの記事かは???


◆12月18日(土)
 細かいことまではここでは書けませんが、昨日、中大で田幸監督と話していて、面白かったというか、なるほどね、と思ったことが2〜3ありました。1つめは誰を何区に起用するかという話。昨日の日記に書いたように、寺田が知りたかったのは柱となる選手を誰か1人、復路に残すかどうかです。
 今回の中大の基本戦略は、“駒大を逃さないこと、競り合いに持ち込むこと”です。1・2・3・4区で出遅れた前回の反省もあり、今回は往路に主力を多く起用すると思われています。しかし、陸マガの箱根駅伝増刊号の記事にあるように、優勝を宿命づけられた中大は、終盤の競り合いに備えて柱となる選手を残す伝統もある。単刀直入に言えば池永選手が9区だと思うのですが、まあ、ストレートには聞けないので「柱を1人、復路に残すのか」という聞き方になったのです。それは、具体的なメンバーを知りたいというより、中大という特殊な状況に置かれた大学が、今回どんな戦略を取るのか知りたかったから。
 しかし、田幸監督もその辺はなかなか、明言できないようです。次のような話をしてくれました。
「中大というのは本当に特殊な大学。陸上部でないOBから電話がかかってきて、1区は誰だ、とか質問されるんです。まだ決めていませんと答えると、だったら○○にしろ、と言われる。そういう大学なのです」
 そのくらい、中大OBや中大ファンにとっては、箱根駅伝というイベントが大きなウエイトを占めているわけです。
「そういった人たちにとっては、1月2日の朝まで“何区は誰”と予想することが楽しみなのです。それを僕が、ここで何区は誰ですと言って、楽しみを奪うわけにはいかないでしょう」
 13日の日記に寺田が書いたことと、同じニュアンスです。田幸監督には最初、誰が何区なのかを質問していると誤解されてしまったので、あくまで戦略(考え方)を知りたいのだと強調しておきました。

 本日は朝の8:30前後に電話取材。その後、ちょっと眠って、昼前後に起きて、夕方まで……何をやっていたんだろう。とにかく、気づいたら夕方でした。遅めの昼食を取って、新宿西口の某カメラ屋さんに行きました。ちょっと、ゆゆしき問題が生じているのです。
 この1週間以内にしたある取材で撮影した写真が、CFカードから消えてしまったのです。256MBのカードが一杯になり、残り撮影可能枚数が2枚の段階で、次のCFカードに入れ替えたときまではしっかり、画像が確認できていました。しかし、その日の取材が終了して、1枚目のCFカードの画像を見ようとすると、「画像がありません」の表示。残りの撮影可能枚数は2枚と表示されるので、データがCFカードの中に残っているのは確かなのです。パソコンと接続しても、中身は何も表示されません。
 カメラ屋では、ほぼ絶望と言われましたが、藁にもすがる思いでCFカードをメーカーに修理に出しました。取材は雑誌などの依頼を受けた撮影ではないので、特に大きな問題となることはないのですが、ある仕事に使えると考えていた絵柄が数点含まれていて、ショックは大きいですね。デジカメを使い始めて今まで、保存した写真が失われたことなど一度もありません。その辺が信用できなくなったら、デジカメは使えなくなってしまいます。10月末にEOSのデジカメを購入した際に一緒に買った安いメーカーのCFカードですが、いくら安くても、そのメーカーの製品は二度と使わないでしょう。


◆12月19日(日)
 横浜方面で取材が2つ、両立できるかな、とも思ったのですが、二兎を追う者は一兎も得ず。


◆12月20日(月)
 陸連理事会が行われ(取材には行っていません)ました。ちまたでは高橋尚子選手の強化指定Bランク降格が話題になっていますが、注目すべきは「スポーツ活動支援制度」の設立でしょう。
「長距離は実業団チームが多く比較的恵まれた環境が整っているが、それ以外の種目では受け入れ企業が激減。国際大会での活躍が期待されるレベルの選手でも、十分な練習時間や資金が得られないケースが増え、強化に影響が出ていた。」(毎日新聞の記事<陸連>「スポーツ活動支援制度」設立へから抜粋)という現状を打開するための策です。以前に書いたことと重複するかもしれませんが、同じ狙いで寺田もあることを考えていました。というか、ある先生の案なのですが。
 仮に、T大学のM先生としておきましょう。昨年のシーズン後半の何かの大会で、寺田がT大学4年生のM選手(投てきの日本トップレベルの選手)と就職について話していました。そのとき、近くにいたM先生が次のような話をしてくれました。
「宝くじが3億円当たったら、そのお金で陸上部をつくる。選手とは2年くらいの契約で、その間にスポンサーが付くくらいの実績を残して自立してもらう」

 その手があったか、と目から鱗が落ちる思いがしました。寺田はかねてから、陸上選手は23〜24歳くらいに1つのピークが来ると感じていたのです。つまり、大学卒業後2年間くらいです。現在の日本記録(男子)でも200 mの末續慎吾選手、1500mの石井隆士選手、110 mHの内藤真人選手、400 mHの為末大選手、3000mSCの岩水嘉孝選手、棒高跳の沢野大地選手、三段跳の山下訓史選手の記録が、その年代で出たものです。日本記録変遷史をひもといても、その年代に出された記録は、かなり多いと思います。
 たぶん、体力的にその頃が、最も充実するのでしょう。人間の自然な成長の範囲では、という意味です。じゃあ、20歳代後半以降は記録を出せないかというと、そんなこともない。内藤真人選手の日本記録を32歳で破った谷川聡選手がその代表例ですが。そういった選手たちは練習法や調整法の工夫、技術的なこと、筋力的なこと、精神的なことと、諸々を組み合わせてパフォーマンスを向上させているのだと思います。若い選手も総合力で勝負していることに違いはないのですが、20歳代後半以上の選手の方が、その傾向がより強いということ。どちらがいいとか、強いとか、という話ではないので念のため。

 話が横道ですね。大学卒業後2〜3年の、最も体力的に充実する年代に、競技に専念できる環境を与えたら、自分の力を1つ高い段階で試せると、かねがね思っていたという次第。取材をしていて、大学4年生くらいで“ちょっと先の世界が見えてきた”という感触の選手が多いな、と感じていたのです。もしダメだったとしても、選手もそこまでやればあきらめもつく。あきらめられないほど執念のある選手は、自分で競技のできる環境を確保していけるでしょう。
 そういったことで、今回の「スポーツ活動支援制度」には注目しています。宝くじよりも、よっぽど現実的。さすが、組織が本腰を入れると、次元が違ってきます。1つ老婆心ですが、スポンサーを付けることに成功したら、スポンサーへの報告(活動報告)をなおざりにしないようにしましょう。ただ、試合の結果を羅列するような報告は下の下。報告のテクニック次第で印象が違ってきますので。


◆12月21日(火)
 昨日の日記の捕捉です。高橋尚子選手の降格ネタより、「スポーツ活動支援制度」の方を注目すべきだと書きましたが、世間一般の価値観で見たら高橋選手のネタが大きくなって当然です。そのくらいの理屈は寺田もわかっているつもり。ですが、陸上界はこんな取り組みもしているんだぞ、とアピールすべきなのは「スポーツ活動支援制度」の方かな、と思うのです。
 最近、ことあるごとに言っている能動的なファンを増やす、という視点でも「スポーツ活動支援制度」の方が興味を引くのではないでしょうか? その報道に触れたスポーツに興味のある読者が(陸上競技ではなくてスポーツ全般)、じゃあ、どんな選手がその制度の恩恵にあずかり、その選手がその後どんな戦績を出していくか、興味を持って見守り続けてくれるかもしれません。「そんなの、ほとんどいないよ」と笑った貴方、まったくゼロだと言い切れますか? 1人でも2人でもいいから、積極的なファンを増やしていく努力を続けていくことが大事だと思っています。気の遠くなる話? そうかもしれませんが、千里の道も一歩から、とか、千里阪急ホテルで○○○○をしちゃいけない(※)、とか、犬も歩けば棒に当たる、とか言うじゃないですか。
※大阪国際女子マラソンの本部ホテル。ハイレベルなジョークです
 あっ、やっぱり訂正します。高橋尚子選手の強化指定ランクの方が重要な問題です。なんといっても、陸上界の顔といっていい選手です。もしも、スポンサーが降りるなんてことに……は、ならないですよね。小出監督の「誰が決めたか知らないけど、まったく気にしていないよ。でもコロコロ変わるね。次にピシッと走ればいいんでしょう」というコメントも記事に出ていましたし。

 年末は比較的仕事が少なくて、23日の山陽女子ロードに行って、24日は休暇、25・26日と数年ぶりに全国高校駅伝に行こうかな、と画策していたのですが、今日になって大きな仕事が2本、入ってきました。1つは世界選手権関連で日曜日が締め切り。もう1本は、○○○○○○関連で12月29日締め切り。高校駅伝はテレビ観戦になりそう。


◆12月22日(水)
 陸マガの来月号に書く原稿の件で、陸連に電話で問い合わせ。事務局若手(?)のI上さんが、丁寧に対応してくれました。最終結論は、24日になりますが。24日にはそれとは別に電話取材のスケジュールも2つほど入りました。明日も電話取材が1つ。陸上界はクリスマスイヴだからと、浮かれているわけではありません。
 そういえば、メリーコリルキマスで福岡国際マラソンに来たコリル選手は、来年も来日してくれるのでしょうか。同マラソンのスポンサーは年末ジャンボ宝くじですから、年末ジャンボ宝くじを100枚プレゼントされて、それが1000万円くらい当たって味をしめるなんてことは、ないか。インターハイ3冠の磯崎さんは、ナイキ。

 陸マガ編集部からアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパンの投票依頼がありました。WSTF(新宿の作業部屋)から帰る際に郵便に気づいたので、今日中の提出ができませんでした(メール、郵送とも可)。この企画は「国内外45人の陸上専門家・ジャーナリストの投票で決定」(陸上競技マガジン2004年・4月号から抜粋)しているのですが、その年の陸上界で活躍が顕著だったと思う選手を10人投票するのです。例年、投票一番乗りをしようと頑張っています。「それに何か意味があるのか」と思った貴方、寺田の日記を読むことに何か意味がありますか? まあ、意味のないことに一生懸命になるのは、その人間のゆとりの度合いを示すバロメータでもあるわけで、人生に潤いを与えることにもつながります、なんて適当なことを書いていいのだろうか。誰も信じないから、いいでしょう。

 それにしても、今年も活躍した選手を10人に絞ることは、これほど困難な作業はないと思います。室伏広治・野口みずき・油谷繁・沢野大地・谷川聡選手の5人は、アテネ五輪の活躍から文句なしで決まり。残りは5枠ですが、そこに入れていい選手は十指に余ります。
 純粋な五輪の順位で言えば土佐礼子・諏訪利成・坂本直子・為末大・田中めぐみ・谷井孝行選手らが候補ですが、日本記録を更新して五輪に出場したケースも杉森美保・森千夏・中田有紀・近藤高代・室伏由佳選手とあって、杉森・森・中田選手はその種目で40年ぶりの五輪代表。近藤と室伏由選手は、その種目初の五輪代表です。ここまででもう、残りの5枠に11人です。
 他にも日本記録を更新したのが小林史和・信岡沙希重・丹野麻美・渋井陽子・川崎真裕美選手といます。小林選手は最古の日本記録を27年ぶりに更新したわけですし、渋井選手の記録は世界歴代でも上位に入ります。丹野選手はジュニア日本新でもあるわけですが、ジュニアでは大野龍二選手の1万m27分台もあるし、高校生の金丸選手や両佐藤選手も超ハイレベル。学生では三段跳の石川和義選手に400 mHの成迫健児選手。国際レベルで言えば、末續選手のGP2位というのも評価できます。
 これだけ活躍した選手がいたら、10人に絞ることなんてできっこない、でしょ?
 だいたい、10という数字で区切る意味はありません。単にキリのいい数字だからです。話がいきなり銀河系レベルに飛躍しますが、指が30本ある知的生物がいる惑星ではトップ30を選んでいることでしょう(きっと10進法ではなく30進法のはず)。その星に生まれていれば悩まなくていいだろうなあ、と現実逃避の思考に陥りがち。
 10人に絞らないといけない地球では、個人で10人を選ぶことはできませんから、投票で決めるしかない。投票というのは一種の責任回避の方法なのです。すいません、年末で頭がおかしくなっています。福岡で購入した年末ジャンボ宝くじをなくしてしまったから、なのかもしれません。


◆12月23日(木・祝)
 今日はファミレスでビックリすることがありました。詳しい場所は明かせませんが、WSTF(新宿の作業部屋)から歩いて15分の距離にあるファミレスで昼食を食べていたときのこと(実は出勤途中)。ちょうど食事を食べ終わるタイミングで、見覚えのある茶髪の男性がこちらに向かって歩いてきました。なんと、イチロー選手です。寺田のほぼ正面のカウンター席に座り、おもむろに上着を脱ぐと、寒くなってきたにもかかわらず半袖姿。さすが、スポーツ選手です。
 としらじらしく書くのにも疲れたので話を進めると、要するにISHIRO記者でした。後ろ姿がこれ。携帯電話のメールでこの写真を送信して、真後ろにいることを知らせたら、かなりビックリしていました。一応、こちらも気を遣ったのです。しばらくして女性が来たら、そっと立ち去ろうとか考えていたのでした。カウンター席に座ったのでそれはないかな、と思ったのですが、一応、独身最後の大物陸上記者ですから。
 偶然に合ったのなんて、プラハの空港以来ですが、あのときはヨーロッパで主に日本選手を追っての取材行動中なので、偶然とは言えないかも。場所的には彼の自宅の隣の駅ですが、時々、作業ファミレスとして使用しているとのこと。そういえば、そうでした。この日記(続寺田的陸上日記)の出発点が、ファミレス・ネタでしたから。寺田とは顔もキャラも違うISHIRO記者ですが、ファミレスで仕事をすると能率が上がる点は共通していたのでした。なんでも今日は、ジムで汗を流した後とのこと。寺田も、運動不足を解消しないといけないと思いつつ、何もできていません。やっぱり、時間の使い方と集中力ですよね。

 2時間くらい実業団駅伝の話題などで盛り上がた後に別れて、WSTFに着いてまず、全日本実業団対抗女子駅伝の姉妹ネタの記事を書きました。その後、ヨドバシカメラに。WSTFで使うガスファンヒーターなどを購入しました。部屋にはエアコンも付いているのですが、暖房費用のことを考えたらガスがいいかな、と。電気は契約アンペア(?)が小さいので、エアコンを使用していると電子レンジとか使えないのです。部屋のガス・コンセントと、ガスホースの接続口形状が何種類かあると思ったので、レンズ一体型デジカメで撮影して店員に説明しました。こういう使い方もあるのかと、ちょっと嬉しくなった次第。
 さっそく持ち帰って(配送でなく持ち帰りだと10%オフ)使ってみると、これがなかなか快適です。ガスストーブより安全面がしっかりしていますし、温度調節機能やタイマーも付いています。「やっぱりガスだね」と田村正和ばりに独り言を言いながら、新潟の田村和宏選手は元気かな、などと考えていました。


◆12月24日(金)
 9:30から駒大の共同取材。寮の食堂に選手が8人着席し、話を聞きたい選手に記者たちが集まる形式。チームエントリー段階では16人なので、30分ずつ2グループになります。最初のグループでは糟谷選手と井手選手、2回目のグループでは豊後選手(といっても熊本出身)と佐藤慎吾選手の話を聞きました。最初のグループでキャプテンの田中選手の話も最後の方で少しだけ聞くことができましたが、ほんの1〜2分だけ。東海大に始まって山梨学大、中大、そして駒大と共同取材に加わりましたが、話を聞けた選手はだいたい、4人くらいでしたね。
 練習前の集合があって、選手は各自ジョッグに行き、その間、大八木監督の囲み取材もありました。区間配置など、実際に何区は誰とは言えませんから(中大の6区や下位校などは別として)、質問する側も“考え方”や“戦略”を聞くことになります。大八木監督は形の上では新監督ですが、実質的な現場の責任者となってもう10年くらいでしょうか。記者との受け答えにも味が出てきています。例えば、以下のような感じです。

「今回は山でどんでん返しがあるかもしれない。東海大や日体大が登りにスーパールーキーを起用してきたら、やられる可能性が大きい。その方が、テレビとかマスコミの話題になるけどね」
 何度かスーパールーキーという言葉が大八木監督の口から発せられました。来年はダブル佐藤も関東の大学に来ますが、駒大の新入生は5000mで14分10秒前後の選手のようです。「ウチにはスーパー高校生は来てくれない」と、これも大八木監督からよく聞きますが、それでも箱根ならやって行ける、という自信が見え隠れします。

 選手配置についても少しだけ、言及してくれました。
「太田は夏場は動きませんでしたが、今はすごくいいですよ。15℃以下になれば、ですけどね」と、太田選手が暑さに弱いことはもう周知のことと、隠そうとしません。「芦ノ湖だったら寒いですからね」と、6区の可能性すら示唆しました。その6区について、1万mが30分台の選手が1人(豊後選手)メンバーにいますね、と水を向けると、「山下りのスペシャリストにする予定でしたが、14人のエントリーに入れるかどうか」と、言います。「野村に1分差、59分前後では行ける。下りも平地も走れる選手を(14人に)入れておく」とも。

 レース戦略も、どこまでが本音かよくわかりません。
「1区はポイントですが、(強い選手を)後ろに残しておきたい気持ちも強い。2日がかりのレースですから、2日目が大事です。仮に1区で(日大のサイモンに)2分やられても、どこかでひっくり返せる選手を置いておけばいい。1区間で無理なら、2区間で2分をひっくり返すという考え方ですね。それは復路でもいいわけです。前回は9・10区で大きく引き離しました(約2分30秒)。焦らないで8・9・10区でひっくり返せばいいかな。復路の順天堂ですよ!」
 と、最後は冗談っぽく話をされてしまうと、そのまま信用していいのかどうか。確かに、前を走られても焦りさえなければ、総合力で勝るチームが勝つわけです。要は、どこで前に出るのがいいか、ですけど、それは、その時々のチーム状況によります。今の駒大は、中盤までライバル校に前を走られても、気持ちにゆとりが持てるということでしょうか。


◆12月25日(土)
 昼間1本、夜1本、電話取材。その間、明日締め切り(月曜朝まで)の原稿を進められるだけ進めようとしたのですが、イマイチ効率が上がりません。600行の大仕事なので、今日の進行具合が重要なのです。明日は、全国高校駅伝のテレビ観戦。


◆12月26日(日)
 高校駅伝をテレビ観戦。日記にも書きましたが、箱根駅伝のトークバトルを見ていて、一生懸命な指導者ほど演技力がついてくる、と感じました。決して、悪い意味で言っているのでなく、そういう部分が指導や渉外には必要だということ。演技力=情熱、愛情だと思います。それは、高校駅伝でも同じ。仙台育英高の渡辺監督を見ていて(以前に取材をしたこともあります)、そう思いました。
 レースの感想などはおいおい、書いていこうかと思っています。あてにならない約束ですが。この1年、いくつ空手形を出したのでしょう。
 600行原稿、朝の5時まで頑張りましたが、約3分の2くらいまでしか進みませんでした。


◆12月27日(月)
 600行原稿、夕方までに書き終えました。


◆12月28日(火)
 午前中に1人、夕方から夜にかけて2人、電話取材をさせていただきました。3人とも女子選手。それがなんだ、と言いたいわけではありませんが。あっ、しかも全員が同学年ですね。なんという偶然。
 電話が多かったですね。かけたのも、かかってきたのも。印象としては30本くらいですが、実際はその半分前後でしょう。携帯で話していて作業部屋の電話が鳴る、あるいはその逆のケースということも3〜4回あります。先に話している相手が、そこそこ親しければ「電話だ。ちょっと待って」と言うこともできるのですが、そうも言えないことの方が多いです。今日が仕事納め、という人が多いのでしょう。


◆12月29日(水)
 朝から雪が降り始め、午前中には本格的な降雪模様に。多摩市は一面の銀世界でした。久しぶりの雪に心奪われている時間はありません。9時過ぎには、大阪国際女子マラソンに出場する斉藤由貴選手に関する電話取材(本人にではありませんが)。
 13時から箱根駅伝区間エントリー資料が、記者クラブで配られます。都心は大丈夫だろうと思って移動したのですが、渋谷も雪が積もっていました。
 老婆心ではありますが、こういった日に無理やり、予定通りの練習をやろうとすると、ケガにつながるような気がします。アップを念入りにやれば大丈夫、と言う選手も多いですけど、選手を個人でなく集団として見た場合、間違いなく故障を起こす確率は高くなります。特に、真面目なタイプの選手が、要注意でしょう。今日は、絶対この設定タイムでこなさないといけない、とか考える選手。特に、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝直前で、最終のポイント練習、というケースも予想されます。

 箱根駅伝区間エントリー。駒大はキャプテンの田中宏樹選手を補欠に入れてあります。サイモンが何区に来るのかを見るためではないか、というのが記者たちの意見。その他、この選手とこの選手は、故障で走らない可能性があるという説も、区間配置を見て出ていましたが、具体的には書かないのが常識。
 以前にも書いたように、区間配置予想は当たるわけはないので、予想が当たった、外れたに一喜一憂はしません。気が付いた点は記事区間エントリー速報にしましたが、中大・山本選手の欠場はかなり残念です。ニューイヤー駅伝も含めてですが、今年は東海大・中井祥太選手、コニカミノルタ・坪田智夫選手と有力チームの欠場選手が目立ちます。駅伝では必ず故障者が付いて回ります。駅伝でなくても、オリンピックでも日本チームとして見たら、1人や2人は必ず故障者が出てしまいます。
 もちろん、ゼロにするよう最大の努力はするのですが、スポーツという存在の性格上、集団として考えたら、故障の確率がゼロになることはあり得ない。しかし、逆に、集団だからカバーする方法もある。個人だったら、故障したらもう可能性はゼロになりますが、集団だったらゼロにはならない。そこが、工夫ができる部分です。

 400行原稿が締め切りだったのですが、250行までしか進まず、編集者の方に迷惑をかけてしまいました。それとも、予想されていたこと?


◆12月30日(木)
 400行を夕方に仕上げました。これで、年内の“外の仕事”はおしまい。その後、マッサージに行って一年分の疲れを取って、と思ったのですが、なかなか、そこまでは。明日からの出張の準備をして、夕食後は共同取材時のネタで、東海大の記事を書きました。これは、箱根駅伝往路前日の1月1日に掲載する予定。

ここが最新です
◆1月1日(土)
「あけおめ」と言うらしいです。
「ことよろ」とも。
 ただいま、朝の6時。前橋のホテルです。外を見るとまだ、雪が残っていますし、路面もまだ凍結している可能性もあります。ニューイヤー駅伝は開催できるのだろうか。

 8時前にはスタート地点の群馬県庁に。県庁にはフォート・キシモトのカメラマンとご一緒さていただきました。そのときのネタは、ちょっと書けません。道路の脇は雪がかなり積もっているのですが、道路の雪はきれいになくなっています。関係者の方たちが頑張られたのでしょう。
 スタートまでの間に、色んな方たちに挨拶。直前だからできる取材もします。昨日の取材では中国電力・坂口泰監督、コニカミノルタ・酒井勝充監督ともに強気な発言が目立ちました。前日まではマスメディアを通じての影響も考慮して発言することもあるのですが、スタート直前になると本音が聞けることも、時々あります。酒井監督に「昨日は、つとめて強気なことを話したのですか」と質問すると、本心からチームはいい状態だと思っている、と言います。やはりその辺は、スタッフも本気にならないと、選手も本気にならないのでしょう。他にも、客観的にはちょっと厳しいと思われたのですが、「本当に入賞しようと思っています」と話してくれた監督のチームが入賞しました。

 9:05のスタートですが、10分くらい前になると選手たちが控え室のある建物からスタート地点に移動します。建物から出てくる付き添い(指導者だったり、控え選手だったり)と一緒に出てくる選手たちの表情を見ていると、笑顔が多いのに気づきます。全体にリラックスした表情で、高校駅伝や箱根駅伝のスタート直前の表情とは、かなり違うのです。隣にいた某専門誌のE本編集者も同意してくれましたから、間違いないでしょう。
 しかし、実業団の選手の本気度が低いのかといえば、そうではないと思います。レース後の選手や指導陣の話を聞いていると、この駅伝に対する本気度が伝わってきます。確かに、この駅伝以外にも目標とする大会が多くある選手も相当数いますが、大半は、この大会に自分の進退をかけている。ストレートに言えば、ここで結果を出せなかったら首を切られることもあるわけです。
 それでも、スタート前の表情に余裕があるのは、1つのことを一生懸命にやっているから生じるゆとりでしょう。12月10日の日記に、箱根駅伝のトークバトルを見ていて
監督たちを見ていて出した結論。1つのことを一生懸命にやっていると“ゆとり”が生じ、それがユーモアにつながっていく、のだと。
 と書きましたが、それと同じような感じでしょうか。

 レースは群馬県庁内のプレスルームで見ました。隣の席にはO内さん、その隣にはE本編集者。E本編集者の今年の目標は「結婚すること」とのこと。日程的に余裕があるのは7月末かな、とかこちらが考えていたら、「やっぱり、陸上界最大のイベントである世界選手権に変更してください」とのこと。E本くんの愛称は、自称“ムーミン2号”。フィンランドは母国でもあるわけです。でも、インターハイと日程が重なるのだよ。って、誰に言っているのでしょう。

 閉会式では10年連続出場選手の表彰がありました。そのなかの1人が富士通高橋健一選手。01年のエドモントン世界選手権後は故障が長引いている印象があるので、ちょっと意外でした。少しくらい痛みがあっても、なんとかこの駅伝だけは出るんだ、という思いが強かったのかもしれません。機会があったら確認しておきます。それにしても高橋選手のすごい点は、2区の区間記録のレベルです。今回区間賞の高岡選手のタイムは1時間02分33秒で、現行コースとなった01年以降では歴代3位なのですが、高橋選手が01年にマークした区間記録は1時間01分36秒。コンディションの違いもあるのですが、それにしてもすごい。高橋選手への賛辞が会場のあちこちでささやかれていた、かどうかは定かではありませんが、少なくとも寺田とU原氏は賛辞を送っていました。昨晩は紅白歌合戦で初めて松健サンバを聞きましたが、今日はそれに続いて高健賛辞を聞いたわけですね。


◆1月2日(日)
 昨晩は疲れが出てダウン。今朝、5時に起床して、7時までに原稿を1本、仕上げました。
 ニューイヤー駅伝は複数のクライアントの仕事でして、今年もかなりの数の選手、指導者に話を聞きました。数えてみたら選手が11人と指導者が3人(雑談を除く)。

 昨日の閉会式の最中、寺田が「姉御」と呼ばせてもらっているK記者と話をしていると、「中国電力の敗因は何だと思いますか」と、面識のない人から質問を受けました。陸上競技担当記者ではありません(知らない顔でしたから)。普段は取材に来ないテレビかラジオのディレクターかな、どこかの地方紙の記者なのかな、あるいは中国電力の広報の方かな、とちょっと警戒しました。こちらはプレスのIDをつけていますが、その人物はなんとも立場がはっきりしない。そういうのって、答えづらいんですよね。
 寺田は1・2位チームの担当ではなかったので「今回、別のチームの担当で中国電力関係者の話は聞いていません」と答えました。「個人的な意見でいいので」ということだったので、「1区の出遅れと、あとはコニカミノルタが強かった、ということだと思います」と答えました。「精神的な部分じゃないのですか」という突っ込みに対しては、「そこまでは、わかりません」と。
“精神的な部分が敗因”とは、第三者が簡単に判断できる部分ではありません。軽々しく使っているライターも、一般誌などでは散見されますが、寺田は指導者の見解や、相当に深く取材して確証が得られない限りは、精神面が敗因とは書きません。昨日のレースでいえば、中国電力は1区と7区がちょっと悪かったかな、とも思いますが、それはあくまで相対的な印象です(特に7区)。区間順位というのは、僅差でも大きく変わることもあれば、大差でもそれほど変わらないこともあります。日本選手権や国際大会の実績から、明らかに格下の数選手に大差をつけられたりすれば、額面より悪かったと指摘できますが、尾崎選手や森政選手の昨日の結果だと、絶対に悪いとも言い切れません。1区には強いメンバーが集まっていましたし、7区はコニカミノルタの前田選手も強いですから。それだから、精神面云々という質問になったのかもしれませんが。
 今回のように表面的な成績から敗因がわかりにくい場合は、その選手の絶対的な力を把握している指導者の意見を聞かない限りは、記事にしないと思います。陸連関係者のコメントなんかも、選手の力や全体的なレベルを最も把握しているという前提があるので、記事にしたときに読者を説得させられるわけです。

 今回の結果を見て特徴的だったのは、優勝したコニカミノルタ、3位の日清食品、4位のカネボウと主力選手が欠場したチームが、力を出し切ったことかな、と思います。反対に中国電力、ホンダ、旭化成と、区間エントリーを見る限りは“上手く選手が揃った”と思えるチームが、力を出し切れなかった。3位と4位の記事を陸マガに書きますので、その辺の話を書けるでしょう。
 実は今日、昨日、現地でつかまえるのに失敗した監督1人と、選手1人に電話取材をさせてもらいました。なかなか、面白い話が聞けました。

 今日の箱根駅伝往路はテレビ取材。実は昨日、2区区間賞の高岡寿成選手が、「明日、明後日で東京国際マラソンのコースを下見する」と話していました。2月の同大会に出場予定なのです。2日間のマラソン・コース試走でよくあるパターンが、前半と後半を、1日ずつ下見する方法。もしも今日、高岡選手が7:30くらいに国立競技場近辺から走り出せば、日比谷通りのどこかで箱根駅伝1区の選手と一緒になるのでは、と期待していました。「今年は高岡のトシナリー」とか記入したフリップを持ってテレビに映ったら受けるのに、と思っていたのですが、高岡選手は良識をわきまえた人物だったようです。同じイニシャルTTのライターとは違って。


◆1月3日(月)
 箱根駅伝の取材。7:45には大手町の読売新聞に。同社9階のプレスルームは、時間が経つにつれて、沿道取材に行っていた記者の人たちも集まってきて、部屋の座席は80%以上の使用率に。人数を細かく数えたわけではありませんが、ざっと60人くらいでしょうか。

 6区は中大・野村俊輔選手に注目が集まりましたが、残念ながら区間新はならず。3年連続区間賞は獲得しましたが、4年連続60分切りにも失敗。野村選手自身はテレビでは何も話していませんでしたが、12月に入って故障もあったし、10日ほど前に発熱していたとのことです。中大は他にも……続きは、陸マガに記事を書くので、そちらをご覧願います。
 6区のレースを見ていて、あることに気づきました。上位チームに順位変動がまったくないのです。芦ノ湖のスタート順と小田原への中継順は、1位から7位まで、まったくそのままです。と思いながら配布された記録を見ると、区間1位から11位までが、1分以内のタイム差にひしめいています。
 確かに、6区は山登りの5区ほど差が開かない区間です。それでも、6区で10選手がここまで僅差で走ったのは記憶にありませんし、7番までの順位変動がないのも珍しいのではないかと直感しました。もちろん、過去の記録を調べました。7位までの順位変動がないのは実に、○年ぶりのこと。区間1位から1分以内の間に10チームが走ったのは……という話を、6区を走ったことのある信濃毎日新聞・中村恵一郎記者としました。

 陸マガに記事を書くのは中大、山梨学大、城西大の3校ですが、優勝した駒大も、今後の営業戦略の関係で、絶対に取材をしておかないといけないチーム。レース直後の共同取材だけですが、大八木監督と選手全員の会見を取材しました。引き続いて行われた金栗賞の順大・今井選手の会見も。いくつか質問したいこともあったのですが、昨日の往路フィニッシュ後の取材をしていないので、昨日今井選手がどんなことを話したのか把握していません。同じことを聞いてしまうとまずいと思ったので、今回は控えました。日本人らしい奥ゆかしさを持っていますね、寺田も。

 駒大と今井選手の共同会見は、例年通り読売新聞社内で行われましたが、その他のチームは、今年から閉会式が行われる東京ドームホテルで取材しないといけません。記者を多く動員できる社は、駒大の共同会見中に、フィニッシュ地点の読売新聞社周辺で取材することも可能ですが、だいたいどのチームも、応援団や関係者に挨拶していますし、すごい人混みで記者たちは移動もままなりません。
 例年だったら、挨拶後はどのチームも、閉会式会場のある読売新聞社9階にやってきます。時間が少しあるから、同じフロアのレストランで食事をするチームも多く、そこでかなりの取材がこなせるのです。しかし、今年は前述のように閉会式は東京ドームホテルで、車か電車を使わないと移動できません。3時に選手輸送バスが読売新聞社前を出発するというので待っていたら、中大の田幸寛史監督だけ、バスの前で取材することができました。
 残りの取材は閉会式前が勝負。もしも寺田が駆け出しの頃だったら、ものすごいプレッシャーを感じていたでしょう。移動後はまず、上位校が行数も多いですから、中大の選手たちの取材を優先。野村選手はテレビが撮影をしている部屋の前で、他の選手は閉会式会場で座っているところで取材ができました。でも、記者が集中する選手は、閉会式会場での取材は苦しいと思いました。
 城西大の田上選手も閉会式前に取材。しかし、そこで会が始まり、城西大・平塚監督と山梨学大・上田誠仁監督は閉会式後になんとか、話を聞くことができました。やはり、移動をすることで、取材は著しく効率が悪くなります。
 個人的な取材活動でなく、箱根駅伝全として見た場合でも、問題があります。それは、東京ドームに来た記者の数に表れていました。東京ドームホテルのプレスルームには、記者が12人しかいませんでした。来ていたのは多めに見ても、20人に満たなかったでしょう。つまり、3分の2は読売新聞社から移動しなかったわけです。早い版の締め切りも迫っていますから、移動してさらに詳しい取材を、とはいかない社も多いのでしょう。ほとんどの新聞は、従来より短い取材時間で、記事を書いたわけです。必然的に、記事の質が落ちます。あるいは、デスクから「あの選手の取材はしていないのか」と聞かれても、「つかまえられませんでした」と答えざるを得なくなり、その結果、箱根駅伝の記事のスペースが小さくなる。この時期、他のスポーツもたくさん行われますから、デスクは箱根駅伝の記事が少なくても困らないでしょう。

 ほとんど、ではなく、全ての記者が閉会式場の変更に反対していたと思います。選手や指導者たちからも不満の声を聞きました。関東学連は読売新聞社の会場が狭く公開できないので、閉会式を公開にするための変更だ、と言っています。しかし、閉会式・表彰式を公開して数百人に見てもらうことよりも(表彰される選手の家族に見せたいという点はもっともですが)、箱根駅伝のレース自体を、少しでも詳しく全国のファンに知ってもらうことの方が重要ではないのでしょうか。全国高校駅伝や全国都道府県対抗男子駅伝の閉会式会場が、読売新聞9階よりも大きいから、というのも変更理由のようですが、それらはフィニッシュ地点のすぐ近くにある会場なのです。
 愚痴のように日記に書いているだけではあれですが、関係者で知っている人たちもいますので、この考えはすでに伝えてあります。指導者たちからも不満が出ているので、次回は再検討されると思いますが。
 文句を付けるだけでは能がないので、たまには建設的な提案もしましょう。東京ドームホテルや、移動用のバスをチャーターするお金があるのなら、関東インカレに観客を動員するためにお金を使った方が、よっぽどいい。例えば、テレビで再三注意を促していた沿道の観衆が持っている小旗です。あれを読売新聞が作製するのでなく、主催者で用意する。旗でなくてもいいと思います。とにかく、箱根駅伝に出場した選手が、関東インカレという大会にも出ていること、そこでも素晴らしいレースが行われていることを宣伝するのです。間違いなく、沿道のファンの7割は関東インカレという大会の存在すら知らないでしょう。箱根駅伝だけに興味がある。その辺の見る側の感覚が、選手出身の競技団体の人間にはわかりにくいのでしょう。自分たちが、あれだけ情熱を傾けた関東インカレを知らないわけがない、という感覚でしょうから。



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