続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2009年7月  年に一度の好記録…でいいのか?

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◆2009年6月20日(土)
 今週末は試合の取材は行かず(インターハイ南北関東予選とか全日本大学駅伝関東選考会とか考えましたが)、ネットで各地区インターハイの結果をチェックしています。日本選手権特設サイトも頑張らないといけませんし。

 昼過ぎには隣駅の多摩センターのHISに。世界選手権までもう2カ月を切りましたし、ベルリンまでの航空券を購入するためです。
 事前にネットで現在の相場をチェック。4年前のヘルシンキの頃と比べると、7〜8万円くらい安くなっていますね。こちらの台所事情を考えたら、そのくらい安くなっていてもらわないと困るのですが。
 HISに足を運ぶのは、やっぱり、人間が直接紹介してくれる情報を大事にしたいからです。実際のシステムは同じなのかもしれませんが。
 しかし、一番安いSAS(スカンジナビア航空。コペンハーゲン経由)で7000〜8000円くらい高かったので、ネットの方で購入することに。

 昨日、届いた椅子はネット(楽天)で調べた価格と、村内ファニチャーの価格が同じ4万9800円でした。楽天ポイントがつくことを考えたらネットで買う方が得です。でも、ムラウチで購入しました。実際に座って、座り心地をチェックできるかどうかが重要ですから、それを可能にしてくれた実世界の家具屋さんに感謝の気持ちを表したつもりです。
 自分の身につけるもの、自分の体に直接触れるものは、実際に見たり触ったりして選びます。航空券は、まあ、違いますよね。

 作業部屋に戻って地区インターハイの記録をチェック。女子円盤投の高校歴代3位や、男子棒高跳の5m10、男子400 mHの50秒83と好記録が出ています。1990年代に比べてレベルが下がっているのは確かですが、なんだかんだで盛り上がるのがインターハイです。


◆2009年6月23日(火)
 昼過ぎに富士通の寮で森岡紘一朗選手の取材。
 最寄りのS駅に着いてトイレに行くと、村上康則選手とばったり出くわしました。日本選手権特設サイトの優勝者予想を、誰にするかさんざん迷った種目です。迷った理由は渡辺和也選手がケガをしたことと、村上選手が脚に不安が生じてゴールデンゲームズinのべおかを欠場していたこと。
 渡辺選手は疲労性のケガではなく、不注意によるケガだと聞いていましたから、回復は早いはず。村上選手の欠場も、“出られなかった”というよりも“大事をとった”のだと聞いていました。ただ、この手の話の“実際のところ”は、外部の人間は正確にわからないものです。
 いきなりだったので得意の“すれ違い取材”もできませんでしたが、聞けば治療(マッサージ?)に行くところでした。ケガは大丈夫? と聞くと「大丈夫です」という力強い口調で答えてくれました。

 富士通の寮は通常のマンション。周囲は完全な住宅街ですので、いつも道に迷います。2月の藤田敦史選手取材の時もそうでした。今日も迷ってしまって今村文男コーチに“助けてコール”をしました。地図とかプリントアウトして行けばいいのですが、国内だからなんとかなる、という油断があるのかもしれません(神奈川大の寮に行くときも必ず迷います)。

 藤田選手の時と同じ応接室(会議室)での取材。
 入ってカメラの準備などをしていると、廊下から川崎真裕美選手が声を掛けてくれました。森岡選手も川崎選手も、スペイン遠征から帰国した翌日。川崎選手のブログで「ラコルーニャ日記」を読んだのが数時間前という印象(実際はもう少し前でしょうけど)だったので、ちょっとビックリ。
 ラコルーニャ日記にトップレスビーチの写真が載っていました。人物は相当に小さくて(1〜3ミリくらい)トップレスということまでわかりませんが、拡大表示されるかなと期待してクリックしました。別ウインドウ表示にはなりましたが、ほんの少ししか拡大されません。きっと、同じことをした男性読者は多かったはずです。
 という話をしようと思いましたが、口に出そうになったところでグッと我慢。若い女子選手に対してその手の話は控えないといけません。ちょっと、変な間が生じてしまいました。

 森岡紘一朗選手への取材は上手くできたと思います。
 競歩界ではフォームが綺麗な選手、という評価を得ている選手です。その部分を縦軸に話を進めていきましたが、森岡選手の場合、地元インターハイでの失格はあるものの、元からフォームの欠点は少なかった選手です。そこを矯正するためにこういう段階を追ってきた、という流れにするよりも、ストレートに成長過程を紹介する方が面白いかな、という印象です。
 もちろん、フォームは競歩にとって重要な要素ですので、そこを話の中心にすることもできます。陸マガで短めの記事(インタビュー形式かも)、寺田のサイトでちょっと長めの記事にする予定です。
 記事とは関係ない話ですが、マニアックなネタを1つ。
 森岡選手が長距離から競歩に転向したのは諫早高2年のとき。という話は有名ですが、てっきり、同高の松元先生から転向を薦められたのだと思っていました。故障のリハビリ・トレーニングとして競歩をしていたら、良い動きをしていたとか、インターハイの対校得点を考えて競歩選手を育成したかったとか、そういった理由で顧問の先生が競歩転向を指示することが多いからです。
 ところが、今日、話を聞いていたら、森岡選手自身から転向を申し出たと言います。
 1学年上の男子の先輩と、2学年上の女子の先輩が競歩をやっていて、インターハイと国体でともに入賞しています。それを見ていたのが直接のきっかけとのこと。その2人の先輩は、小坂忠広競歩部長が、長崎県で講習をしたときに受講していたそうです。長崎県に競歩の拠点校や指導者が不在で、地元インターハイに向けて強化をするために、小坂部長に依頼をしたようです。
 松元先生も小阪部長も順大OB。そういったつながりで森岡選手が競歩を始め、順大に進学します。そして森岡選手が順大1年時の2004年に、今村コーチが現役を退き、富士通と順大で競歩の指導を本格的に始めました。今村コーチも順大の大学院で学んでいます。
 競歩界が力を合わせていることの一例かもしれませんが、ここまでつながっているのは“人の縁”が力となっていることを感じます。

 インタビュー後は今村コーチと大利久美選手が練習に行くところだったので、外の駐車場まで出てもらって少し写真を撮影。同期の大利選手が話していたことは、ここでは書けません。


◆2009年6月24日(水)
 日本選手権前日。今日中に広島に移動します。気分がちょっとハイになってきています。
 が、昨日取材した森岡紘一朗選手の原稿を書き上げないといけません。日記を書いていたらもう12時。記事のプロットは昨日、かなりの時間をかけて考えてありますので、夕方までに森岡選手の記事を書けるかな、と思っています。
 広島に移動する新幹線で、日本選手権1日目の展望記事を書く予定ですが、森岡選手の記事を書くのがずれ込んだら苦しくなります。


◆2009年7月3日(金)
 日本選手権が終わってもう、週末になってしまいました。日記も日本選手権が始まった先週の木曜日から中断してしまっています。できれば、日本選手権初日のネタから振り返りたいところです。日本選手権の4日間と、翌日(月曜日)の代表発表の取材。そして、広島から松山に行ったこと等々。しかし、それらを丁寧に書こうとすると、いつものように身構えてしまって、なかなか取りかかれません。やはり日記は、その日のうちに(遅くとも翌日には)、パパッと書くのがスムーズです。
 ということで、日本選手権と初の愛媛上陸ネタは追々、思い出すきっかけがあったら(ネタに困ったら?)触れていこうと思います。吉田文代選手の写真も載せないと。

 ということで、今日のネタです。13:30に品川のホテルのラウンジで、朝原宣治さんの取材でした。媒体はコーチングクリニックで、テーマは「集中力を高める」。これは、雑誌の巻頭特集で、朝原さん以外にも何人かを同じテーマで取材して紹介していくようです(寺田が担当するのは朝原さんだけ)。
 実は「肉体マネジメント」(幻冬舎)でも、集中力について集中的に書いています(第6章)。100 mのスタートとスナッチが“集中の仕方”が似ていること、じーっと自分の中に入り込んでいく集中が苦手なこと(動きを伴いながらの方が集中しやすい)、レース当日の自身の行動や会場の雰囲気をシミュレーションしておくと集中しやすい等々。
 肉体マネジメントの話ともある程度は重複しましたが、今日はもう少し突っ込んだ話を……と書くと、肉体マネジメントの方が“深くない”という印象を与えてしまうので、よくないですね。確かに、一般の人たちにわかりやすいように心掛けて書いたので、そうとも言えるのかもしれませんが。
 良い言葉を思いつきました。肉体マネジメントの方が抽象的なのです。朝原さんの“集中することについての考え方”と言っていいかもしれません。一般の人には抽象的な方がわかりやすい。
 その点、今度のメディアは現場の指導者向け。題材は同じでも、より具体的なところの話を聞きました。どのレースでどう成功して、どのレースでどう失敗したか。具体的に、練習中にどんなことをやっているのか。また、集中力の高め方を指導することが可能なのか。それなりに突っ込めたと思います。

 取材とは関係のない話題では、日曜日の深夜に放映されたゴールデンリーグ・ベルリン大会の解説について、少し話を聞きました。安藤あや菜レポーターの“ムチャ振り”に味のある対応をしていた朝原さんですが、事前に「振りますから」とは聞かされていたそうですが、「このことを振るから」と具体的には教えてもらっていなくて、その場のアドリブだったそうです。あの手のことができるのはやはり、気持ちの余裕でしょうか。
 その他には、エージェントの話をしました。


◆2009年7月4日(土)
 11時のANA便で札幌入り。
 ホテルは大会本部ホテルのすぐ近く。ちょっと早くに着いて、サイトを更新しようと思っていたのですが、ネットへの接続ができませんでした。
 原因がわかって、こんなことで30分も時間を無駄にしたのかと思うと、ホテルに対する怒りが爆発しそうになりました。が、ここは抑えないと。
 これから札幌国際ハーフマラソンの前日会見です。予習もばっちり。

◆2009年7月4日(土)−2
 16時から札幌国際ハーフマラソンの前日会見。出席者は男子が世界選手権マラソン代表の2人と、3連勝がかかるモグス選手。会見の様子はこちらに記事にしました。
 佐藤敦之選手の「63分で押す」という部分は、本人も話しているように前半の下りはもう少し速くなるという意味ですが、それ以上のペースになったらついていかないかもしれません。スピードがバリバリだった2年前とは違うのはわかりますが、5月に話を聞いたときの練習内容では、スピード系もやっているはずなので、練習の進み具合に狂いが生じているのかもしれません。
 藤原選手の「ライバルは左側にいる方です」発言には「藤原君には負けたくない」と応じました。もしかすると“藤原”という名前の選手に対抗意識が強いのかもしれません。
 女子の会見の様子はこちらに記事にしました。渋井陽子選手のケガの状況をもう少しはっきりさせたいと感じたので、会見後に渡辺重治監督をつかまえようと思って急いで会場の外に出ると、渋井選手のカコミ取材が始まっていました。「明日のペースは走り出してみないとわからない」とのこと。ケガの状況は「普通に走れていますが、突っ張ったり、引っ掛かったりが、体の中である」ということです。これは、自身の体に細かく神経を行き届けている渋井選手だから言えることなのかもしれません。
 会見中に「土佐礼子選手に謝りたい」というコメントがありました。
「あの人は故障するまでやっちゃうほど壮絶ですが、私には無理です。(謝りたいと言ったのは)、私もたまには故障したいな、みたいな発言をしていました。さすがに、先輩が故障中にそれを言うことはありませんでしたが、申し訳なかったな、と思いました」

 その後はロビーとかその近辺で場所を見つけて原稿書き。
 渡辺監督の姿を見つけたので、江藤佑香子選手の状態をお聞きしました。東日本実業団の5000m&1万m2種目の日本選手トップ。2度目のハーフマラソンですが、ひょっとすると大化けする可能性もあります。3日間ほど練習が中断したようですが、とにかくトップについて行くと言います。
 大平美樹選手や小崎まり選手も、取材をしたわけではありませんが、すれ違いざまに1時間10分を切りたいと話してくれました(小崎選手は1時間10分くらいのペースならついて行く、というニュアンス)。

 今大会には藤原選手と藤永佳子選手という、諫早高の同級生コンビが出場します。ツーショット写真を撮りたいな、と思い、朝日新聞九州の増田記者とも話していたのですが、会見のフォトセッションは男子の3人、男女の6人、女子の3人という感じでキッチリ進んだため、2人だけちょっとこちらでお願いします、と誘導することができませんでした。
 ラッキーなことに、歓迎パーティーのような集いがあり、報道陣は入れないのですが、会場から出てきたところで2人が一緒にいたので、明日撮らせてほしいと依頼できました。といっても、チャンスがあれば、ということになりますが。

 会場では、先週の日本選手権の余韻も感じられました。特に世界選手権の選考で、代表の追加があるかないか、ということが話題に。特に日本選手権1位選手や代表に次いで2位の選手が、A標準を切ったら追加されるのでは? という話が、指導者からも聞かれました。日本選手権でそう話していた選手もいます。
 しかし、今日陸連幹部に確認したところ、「それはない」と明言していました。明文化されてはいませんが、何度もそう発表しているとのこと。日本新や国際的にハイレベルの記録を出したら、と記者たちはついつい考えてしまいますが、そんな夢のような話をしても仕方がない、というのが陸連の考え方です。
 確かに、日本選手権で負けた選手、日本選手権までにA標準を切れなかった選手に、そこまで期待はできないというのが実際のところでしょう。


◆2009年7月5日(日)
 札幌国際ハーフマラソンの取材でした。
 地下鉄の円山公園駅まで地下鉄で行き、駅からはバス。歩いても15〜20分で着くのですが、体力を温存するために初めてバスを使いました。
 スタートの1時間ちょっと前に到着。積水化学前監督の深山さんの姿を久しぶりにお見かけしました。佐倉アスリート倶楽部のスタッフになり、再び恩師の小出氏の元で活動されるとのこと。
 スタート前は各指導者に話を聞いて回るのが慣例になっていますが、今日は雨が降り出したこともあって、若干、足が止まっていました。N紙S記者や、T紙I記者は精力的に動き回っていましたが、寺田はO氏(A新聞事業部)のスーツの仕立ての良さがわかったことが、最大の収穫でした。O氏は今大会に、海外からの外国人選手が来なくなっていることを指摘し、「(フル)マラソンも将来、そうなるかもしれない」と懸念をしていました。自身も頑張らないといけない、という意思表示だったかも。

 レースはフィニッシュ地点脇のプレスルームでテレビ取材。札幌国際ハーフマラソンのコースは最初の下りと、最後の上りが特徴です。高低図で数字だけはわかるのですが(4kmで30m下る)、一度、実物を見ておきたいコースですね。
 レースは1時間ちょっとで終わるので、いつものマラソン取材とはまったく違う感覚です。それに加えて男女同時スタートで、画面も男女が切り替わりますから、集中もしにくい。男女混合テレビ中継で、それぞれのレースにいかに集中して観戦するか。今後の陸上界の課題でしょう。一番の解決法は、以前の国際千葉駅伝がやっていた時差スタート、別時間枠での放映なのですが。

 レース後はコメント取り取材。男女の優勝者と世界選手権マラソン代表5人は、公式会見が設定されています。それ以外の選手はレース直後につかまえないといけません。
 男子はまず、注目している三津谷祐選手に話を聞きました。来冬のマラソン出場を見据え、今季前半は練習代わりに小さな大会に出ることはあっても、大きなトラックレース出場は控えてきました。
 ただ、「夏のハーフマラソンは走りたい」と話していました。その割には中途半端な結果です。本人の中でもうまく整理できていないのか、こうだからこうなった、という話はありませんでした。
 続いて三井住友海上の渡辺重治監督に、渋井選手について話を聞きました(こちらの記事中で紹介しました)。続いて、これも注目させてもらっていた江藤佑香子選手のコメントも取材。しかし、ちょっと話したところで公式会見が始まりそうだったので、中断せざるを得ませんでした。
 できれば、女子の日本人2位の佐伯由香里選手、男子の日本人2位の高橋謙介選手にも話を聞きたかったところですが、仕方ありません。

 公式会見は佐藤敦之選手、藤原新選手、渋井陽子選手、中村友梨香選手、ゲディオン選手、加納由理選手、藤永佳子選手の順で行われました。この大会は会見に呼んでくれる人数が多いので助かっています。さらに、記者たちはフィニッシュ直後から雪崩を打って取材に入っていますし、男女選手が入り乱れて(比喩です)フィニッシュしてくるので、記録を確認することができません。記録を知りたいと要望を出したら、すぐに対応してくれたのはありがたかったです(会見場にもリザルツが置いてあるといいのですが)。
 渋井選手は記録を聞いてのけぞり、絶句してしまいましたが、表情はずっと笑顔のまま。記事にも書きましたが、はたから見ると世界選手権本番に間に合うのか懸念される結果ですが、なんとかできる感触もあるのでしょう。渡辺重治監督のコメントにある「練習をやっているなかでの今の状態だから」という部分に、光明を見出せるような気もします。
 藤原選手も記録から見ると最悪の結果ですが、本人は大丈夫だと感じているようです(選手心理として今の時期に、ダメだと考えることなどできないのですが)。会見でも、理論派の藤原選手らしいコメントが出ていました。理論派というよりも、マラソンを技術種目ととらえる部分でしょうか。フルマラソン・チャレンジbook 2009で記事にした内容とも関連しているような気がします。時間があったら紹介します。
 ゲディオン選手はケニアの1万m選考会から短いインターバルで出場しました。「ふくらはぎに痛みがありキャンセルすることも考えたが、ヘッドコーチ(工藤一良コーチ?)から最善を尽くそうと言われて、参加する決心ができた」と話していました。
 寺田が気になっていたのは、マサイ族がゲディオン選手に触発され、長距離を始める傾向が生じているかどうかという点(活躍しているケニア選手のほとんどが、カレンジン族とキクユ族)。
「マサイ族も走ることは速いし、何人かは競技をしていますが、マサイ族はトレーニングをすることを怖がっているのです」
 言葉の問題で正確なコミュニケーションができないのですが、おそらく、次のような意味ではないでしょうか。マサイ族も素質はあるが、トレーニングをする伝統や環境が整っていないと。朝日新聞発刊の「ケニア」を読むと、カレンジン族でも“伝統”が走ることの大きなモチベーションになっていますし、欧米メーカーや代理人経営のキャンプが、大きな存在になっています。

 会見終了後に競技場の外側を見ると、第一生命の選手がいます。今大会には野尻あずさ選手しか出場していないはず。距離スキー出身の異色選手であることを、スタート前にO氏から聞いていたので、このチャンスを逃してなるものかとばかりに取材をさせてもらいました。
 聞けば中学時代にはスキーをやりながらも、陸上競技でも全日中とジュニアオリンピックの1500mで5位に入っているのだそうです。スキーでもインカレ優勝やワールドカップ代表の肩書きを持つトップ選手。色々な縁があって昨年8月に第一生命に入社しました。市民ランナー的に走ってもいたと言いますが、いきなり駅伝メンバーに入ってきたのですから、元々スピードのある選手なのだと思います。
 スタート前にO氏と話をしてなければ取材はしなかったわけですから、寺田の方でも人の縁を感じた取材でしたし、ラッキーでした。

 さらに幸運が重なりました。プレスルームで原稿を書いていると、佐伯選手がトラックをゆっくりとジョッグしています。プレスルームがトラックに面しているのが幸いしました。ドーピング検査の対象に指名されたのに、なかなか出ない状況だったみたいです。居残っていた数人の記者たちとともにカコミ取材になりました。
 北海道陸協のドーピング担当の方も、ダメとは言わずに見守っていてくれました。これも幸運でした。融通のきかない陸協だと、取材はダメと言うところもあります。役員さえ側についていれば、問題ないと思うのですが。
 世界選手権代表を決めた日本選手権のとき、佐伯選手は取材することができませんでした。寺田の今回の札幌取材は、どこかのメディアに記事を書くためのものではなく、世界選手権に向けたネタ収集が一番の目的です。ここを逃すとマラソン勢の話を聞くチャンスは、本番直前の公式会見までありません。
 最後に野尻選手、佐伯選手と取材ができたのは、本当に幸運に恵まれました。札幌まで来た甲斐がありましたね。


◆2009年7月6日(月)
 昨日からの幸運が今日も続いてくれました。
 ある人と打ち合わせをするため、朝の9:30に大会本部ホテルのロビーに。ラッキーなことに打ち合わせが終わったタイミングで、高橋謙介選手が佐藤敏信監督たちとロビーに降りてきました。昨日、話が聞きたかったけど聞けなかった選手です。ホテルの外に出てもらって、中日新聞・桑原記者と一緒に5分間ほど取材をさせていただきました。
 高橋選手は世界選手権マラソンの補欠ですが、今年は「6人で戦う」(陸連幹部)という扱いで、補欠選手もベルリンに同行します。それでも、気持ちやピークの持って行き方など、難しいのは確かです。
「9月20日のベルリン・マラソンに向けて体をしっかりと作っています。世界選手権に出ることになっても、2週間あれば大丈夫です。出られたら、入賞ラインを目指してやります。日本人トップも上手くいけば可能だと思っています」
 2週間もかかるのなら、直前の選手変更には対応できないじゃないか、と言われそうですが、少しでも不安のある選手は最終決断でなくても、2週間前には何かしらの意思表示をしないといけない、という申し合わせをしているのかもしれません。

 13:30のANA便で東京に。羽田空港のタリーズで2時間ほど仕事。
 羽田からは京急の特急で川崎に出て南武線に乗り換え、稲田堤で京王相模原線に。川崎ではソフマップでノートPCを見て回りました。日本選手権前に買うことはできず、広島には重さ2kgちょっとPCを予備として持っていきましたが、さすがに重かったですね。世界選手権前には購入予定です。

 いったん自宅に戻って荷物を置いてから作業部屋に。
 某広告代理店の美人プランナーからメールが来ていました。国際千葉駅伝などでお世話になった方です。メールを見てびっくりしたのですが、先日亡くなられた永田七恵さんが高校時代の恩師だということです。永田さんがエスビー食品に入る前に、岩手県で教師をやられていた頃のことですね。

佐々木七恵さんの訃報、残念でした。
実は私の高校の先生だったのです。
もちろん体育の先生で、授業が終わると、
「じゃ、私はちょっと走ってくるから」と
20km走りに行ったりされていました。
明るくて、とても親しみやすい先生で、
個人的な悩み事の相談にものってもらったりしました。
いい先生でした。
まだ若いのに、本当に残念に思います。
ご冥福をお祈りしたいです。


 同じように感じている方は多いようで、知っている方に話を聞くと気さくな方だったと異口同音に言われます。
 寺田は取材させてもらったことはないのですが、永田さんと増田明美さんをセットで本を書きたいと、陸マガから独立した頃から考えていました。出版社が見つからなくて断念しましたが、増田さんにはその旨のお願いしたこともありました。女子マラソン隆盛の今だからこそ(社会的にも)、草創期の大変さをしっかりと世に残しておくことは必要だと思っていましたし、今の視点だから面白いことも多々あるのではないかと。
 それももう、できなくなってしまいました。

 22時から2時間半ほど、明日のセカンドウィンドAC取材の予習。真鍋裕子選手の取材が初めてなので、念入りに調べました。


◆2009年7月7日(火)
 今日は七夕。年に一度のセカンドウィンドAC会報誌用の取材です。すみません。年に一度ではなく、季節に一度でした。会報は年に4回出ていますから。
 などと、わざとらしいボケから入ったのは何かの伏線だろう、と予想した方は、考えすぎです。そこまでこじつけができるものではありません。

 一昨日の札幌国際ハーフマラソンのセカンドウィンドAC勢は、加納由理選手が1時間11分19秒で5位、嶋原清子選手が1時間11分32秒で6位、尾崎朱美選手が1時間14分09秒で20位でした。尾崎選手は調子を上げられなかったようですが、世界選手権を控える加納選手、北海道マラソンで優勝を目指す嶋原選手は、最近の試合の成績からすると、きっちりと上昇曲線に乗せてきた印象です。
 年に一度だけ調子を上げればいい、というスタンスの選手もいます。トラック&フィールドの選手なら日本選手権だけ、長距離選手なら全日本実業団駅伝だけ、という選手もたまーに見かけます。
 それと対極にいるのが川越学監督門下の選手たち。嶋原選手がマラソンで崩れたことはほとんどありません(2時間26分台を連発したのは有名です)。加納選手の2008年も、ケガで途中棄権した1月の大阪国際女子マラソンを除けば、3月の名古屋国際女子マラソン、6月の札幌国際ハーフマラソン優勝(1時間8分台)、同月の日本選手権1万m、7月のホクレン釧路1万mと極めて安定していました。
 試合数がかなり多かった印象ですが加納選手自身は「11月の東京国際女子マラソンにつなげていくことを考えていたので、多かった印象はありませんでした」と、前回のSWAC会報誌取材の際に話していました。その東京国際女子で2位となり、世界選手権代表の座を射止めました。

 ところが今日、川越監督に話を聞くと東京国際女子マラソンのときは、1カ月前にピークが来てしまったと言います。今年はその反省も踏まえているようです。4月のロンドン・マラソン後に体調を崩しました。加納選手自身は悔やんでいる様子が見られますが、ある程度は仕方がないというか、予想される範囲だったと川越監督は言います。そして、「タメがなくなった状態」(加納選手)から徐々に上げていく。
 昨年のように試合で安定した成績は残していませんが、アルバカーキでの合宿を経て、日本選手権でも8位に入賞(本人はそこまで走れるとは思っていなかったようです)、そして一昨日の札幌国際ハーフマラソンと、しっかりと状態を上げてきています。
 最初から“年に一度”だけピークをつくる選手のピークはまあ、「そんな感じ」(※)ですが、元が安定していた選手が“年に一度”ピークを合わせるとなると、「そんな感じ」の期待度が違ってきます。
※日刊スポーツ・佐々木記者が話を打ち切るときの口癖

 セカンドウィンドACの事務所は小田急沿線の某駅。取材終了後は町田に移動して、3時間ほどカフェで原稿書き。19時くらいにソフマップに行って、昨日に続いてノートPCを見て回りました。すると、お目当ての東芝のRXシリーズ(12.1インチワイド液晶で重さが約1.0kg、バッテリー持続がカタログ値で11時間)でハードディスク160GB、メモリー3GBの機種が新品が、17万9800円に値下げされていました。
 春モデルでDVDドライブはついていますが、オフィス・ソフトがついていない一番下の機種ですが、寺田はオフィス2000(インストール制限がつく前のバージョン)を持っているので問題ありません。
 価格はこの1カ月くらいずっと、ネットで調べていました。たぶん3万円くらいは値下げしています。もうすぐ夏モデルが発売されるからなのでしょうが、夏モデルもそれほど大きなスペックや機能の変更はないようです。これは買いかな、と思いましたが、近くにあるヨドバシカメラにも念のために行きました。すると、同じ機種が14万9800円で売っていました。もう即決でしたね。これも1つの出会いかな、と思った次第です。


◆2009年7月8日(水)
 昨日購入した東芝のPC(RX2/T7H)が、1つ前の4月発売モデルではなく、2つ前の1月発売モデルであることが判明。中古市場の相場を見ると13万円台。ヨドバシの購入価格の14万9800円が破格の値段設定ではありませんでした。数週間経てば15万円前後で未使用品中古として市場に出回る可能性はあります。
 ただ、ヨドバシのポイントが10%つきますし、新品として購入できる安心感(バッテリの消耗や破損がないこと等)を考えたら、やっぱりお買い得だったと思います。
 ソフトをインストールしたり、各種設定をするのは後日にします。今週末から来週前半でかなりの締め切りがあって、かなりの猫の手状態(南部記念は行けないかも)。400行原稿が2本と、SWACの会報誌、世界選手権関連の資料作成。ユニバーシアードと世界ユースの記録チェックも毎日の日課になりそうですし。

 昨日のSWAC新加入の真鍋裕子選手取材の話題を書いておきたいと思います。
 ご存じのように真鍋選手は四国電力の選手でした。2008年6月に退職し、1年間何もしていなかったと言いますが、その間に徐々に、再び走りたい気持ちがもたげてきて、セカンドウィンドACで走ることになりました。
 出身は愛媛県の新居浜東高。あの渡辺高博選手(バルセロナ五輪代表。元400 m高校記録保持者)や向井裕紀弘選手(アテネ五輪代表)の母校です。陸マガ前編集長のK女史も同高OB。“名門名門”していませんが、陸上界に人材を送り出しています。
 先日の日記にちょこっと書きましたが、寺田は日本選手権の翌日の月曜日と火曜日、生まれて初めて愛媛県に足を踏み入れました。そこで感じたことは、真鍋選手が愛媛県の先生たちの間で評判が高いということです…が、このネタはやっぱりやめておきます。文字ではあまり面白くないので。ヒントは、川越監督は鹿児島の高校生、中学生の間で評判が高いことですが。

 真鍋選手に取材をするのは初めてでした。一から全部聞いたのでは時間がいくらあっても足りません。テーマを絞って聞く必要もあり、予習には時間をかけました。会報誌担当の大角コーチに頑張っているところを見せよう、という下心がなかったとは言いません。
 誌面的には1頁とれるかどうか。まがりなりにも日本のトップ選手です。これまでの競技生活のハイライトをダイナミックに書きつづったら、とても紙数が足りません。
 そこで考えたのが、今回のセカンドウィンドAC入りの動機や、新しい環境で目指すところを中心にして、これまでの競技生活はそこにつながる話を軸にして紹介しよう、という方法です。その線に沿って取材も進めました。
 45分あればなんとか聞ききれるだろう、と思ったのですが、またしてもやらかしてしまいました。たぶん、1時間10分くらいかかりました。時間延長が大丈夫か、確認しながら進めましたけど、厳しいマネジャーや広報が同席する取材だったらNGが出ていました。この点は反省します。が、話が面白かったから長くなったのも事実です。
 具体的には書けませんが、女子長距離選手というと指導者に頼りっぱなしという印象がありますが、どうしてどうして、すごく考えています。
 ただ、1つだけこちらが突っ込みをやめなかった点は、加入を決断した経緯の話のなかに「川越監督がすごいと聞いていたので」というコメントでした。ここは、どうすごいと聞いていたか、どうすごいと感じたかを話してもらわないことにはNGです。指導した選手の成績だけでは、もっとすごい指導者も少なからずいます。
 で、2度ほど突っ込ませてもらって、具体的な話をしてもらいました。他の指導者の手前、言いにくい話もあると思いますが、その辺はこちらが気をつけて書くところです。

 今日は作業部屋で原稿書きと資料調べ。
 ユニバーシアードの結果が気になったので、朝までネットで記録をチェックしていました。男女の100 mで準決勝を、その組の1位通過するというのは、すごいことです(特に女子は史上初めてのことでは?)。400 mの金丸祐三選手も。学生短距離陣の充実ぶりが反映しています。といっても、女子は高橋萌木子選手に頼っている状況ですが。
 と書いていたら、高橋選手が銀メダル! レベルがどのくらいの選手たちと戦ったのかイマイチわからないのがユニバーシアードですが、学生女子短距離史上に残る快挙といっていいでしょう。男子の江里口匡史選手も銅メダル、日本選手権がフロックでも何でもないことを実証しました。世界選手権への期待が高まりました。
 最終種目の男子1万mがなかなか記録が出ませんでしたが、1000m毎の通過タイムと先頭選手のナンバーが表示されていきました。1000、3000、4000mを柏原竜二選手、2000mを宇賀地強選手がトップで通過しました。


◆2009年7月9日(木)
 朝の5時過ぎまでユニバーシアードの結果をチェックしていたので、起床は10時過ぎ。今週後半は取材がないので、この生活パターンでも大丈夫です。が、ベターなのは早めに寝て6時頃に起きることです(今回に限らず)。でも、それがなかなかできない。心配になって夜、頑張ってしまうんですよね。早起きしてやっても同じだと思うのですが、この辺が気持ちの弱さです(中村友梨香選手と同じ悩み? 札幌国際ハーフマラソン記事参照)。締め切りの問題もありますけど。

 14時頃まではネットのチェックとメールの対応。清田監督のブログにユニバーシアードのメダル獲得の様子が出ていました。かなりの悪条件だったようです。こうして現地の情報が入手できるのは、本当にありがたいことです。現地では色々とやることも多いでしょうから無理だけはしてほしくないと思いますが、優秀な指導者は頭の回転も速く、ブログの文章を書くのにもそれほど時間を使っていないのかもしれません。そうでないと続けられないでしょう。

 夕方から朝原宣治さんのコーチングクリニック記事(370行。テーマは「集中力を高める」)にとりかかりました。今回はネタが豊富にあります。取材したネタを全部盛り込むのは難しそうです。1時間半ほど構成を考えました。
 取材したなかからテーマの中心的ネタ、それに関連して面白かったネタ、サブ的に出すとわかりやすくなるネタ、話題をつなぐのに必要なネタなどをメモ用紙に書き出しました。PC上でやってもいいのですが、今日はなんとなくアナログ的にやりたい気分だったので。
 別の仕事と食事をはさんで、夜から書き始めました。成功例よりも失敗例を出した方がわかりやすいと思い、そこから書き始めて100行ほど進みました。ちなみに朝原さんが話してくれた2つの大きな(印象に残っている?)失敗例は、2001年のエドモントン世界選手権準決勝と、2004年の日本選手権決勝でした。

 夜中はユニバーシアードと世界ユースの記録チェック。
 ユニバーシアードでは400 mHの準決勝を吉田和晃選手が「Q(ラージキュー)」で通過。200 m2次予選の安孫子充裕選手は「q(スモールキュー)」でちょっと調子が悪そうですが、先輩の齋藤仁志選手は「Q」。
 金丸祐三選手の男子400 m決勝は3:20開始。
 その前に男子走高跳決勝が始まっていて、リアルタイムに近いタイミングで試技表が更新されていきます。高張広海選手も2m10、2m15と1回でクリアしていくのがわかります。
 ユニバーシアードサイトの成績画面は、タイムテーブルの横に優勝者の名前が出ます。名前の前にはその選手の国の、国旗イラストも記載されますが、男子400 mの欄に日の丸が出てビックリ。思わず「ウオー」っと叫んでいました。
 後で記事を読むと金丸選手は「金メダルを取って当然」というニュアンスのコメントをしています。先日も書きましたが、ユニバーシアードのレベルは蓋を開けてみないとわかりません。今日も男子200 mの成績を見ていたら、大会記録はピエトロ・メンネア(イタリア)の19秒72になっていました。1979年のメキシコシティー大会で出たもので、高地ではありますが当時は世界記録でした。走高跳も大会記録は2m41。1985年の神戸ユニバーシアードでパクリン選手(ソ連)が出した当時の世界記録で、陸マガの表紙を飾りました。
 そういうハイレベルになることもあれば、あれ? という記録でメダルを取れることもある大会です。本当に楽しく見る(成績をチェックする)には、持ちタイムや大会成績など、外国人選手のレベルをチェックしないといけませんが、そこまでの余裕がないのが現状です。


◆2009年7月10日(金)
 南部記念取材は断念。
 例年のような選考会にはなりませんでしたが、世界選手権代表もそこそこ出るようですし、代表にはなれなかった注目選手もいますから、なんとか行きたいと思っていたのですが。
 翌日には北海道ハイテクACの公開練習もあります。これも貴重なチャンスです。
 でも、原稿を抱えていることと、予算的な問題で行くことができません。さすがに2週連続で北海道はきついですね。

 北海道といえば、8月末には北海道マラソンもあります。
 先日、セカンドウィンドAC取材時に嶋原清子選手から、北海道マラソンに懸ける気持ちを聞かせてもらいました。世界選手権やオリンピックでなくても、気持ちをしっかりと持って取り組んでいる選手です。嶋原選手の場合は自己記録も北海道で出した2時間26分14秒ですから、その更新も十分に可能性があるわけです。
 もう1人の“北海道で自己記録を出した選手”の高見澤勝選手も、3月に取材をさせてもらったときは出場する意向でした。
 それでも、さすがに世界選手権終了の1週間後に北海道に行くのは厳しいのです。嶋原選手には「来ないんですかぁ」と言われましたが…。


◆2009年7月14日(火)
 成田空港で2つ取材がありました。1つはここには書けないことですが午前中に、1つは渋井陽子選手のアメリカ合宿取材のためで、こちらは17時頃出発の便。

 午前中の取材が11:30には終了。渋井選手の到着は15時頃ですから、しばらく時間があります。しかし、寺田の辞書に“ヒマ”という言葉はありません。やることは山ほどあります。
 成田空港にはちょっと前に(かなり以前かも)、ビジネススペースができて机と電源、有線&無線LANが利用できます(LANは有料)。そこに陣取ってセカンドウィンドAC会報誌の真鍋裕子選手インタビュー記事を仕上げました。本WEBのメンテナンスも。
 13:30頃に日刊スポーツ・佐々木記者と食事に。今日の取材は午前も午後も第1ターミナル。食事の前に、不二家(レストラン)の横にあるはずの“クウタン”スタンプラリーの場所に行きました。

 成田空港に来た目的の1つに、クウタンを写真に収めることがありました。クウタンは成田空港の見習いヒーローで、「陸上部のマネージャーでもあるんです」吉田文代選手が東日本実業団のときに説明してくれました。これがそのクウタンです。NAA陸上競技部マネージャーという名札も付いています。
 吉田選手は昨年から成田空港でフルタイム勤務。東日本実業団までは調子が上がらず日本選手権が不安視されましたが、本番では13m43と自己ベストに7cmと迫る好記録で優勝しました。ベテランらしい調整法があるものと思われますが、吉田選手の強さは間違いなく、気持ちの部分だと思います。顔に似合わず(?)すさまじい気持ちの強さがあると、昨年来の取材で感じています。
 その辺はまた、機会があれば記事にできればと思っていますが、吉田選手の顔も出さないと意味がない、という意見も多い(と思う)のでクウタンwith吉田選手バージョンの写真も掲載します。

 そのクウタンを撮ろうと思って、インフォメーションデスクで「クウタンはどこで見ることができますか」と質問しました。すると、出国審査が終わって搭乗口に進む廊下などに置かれていることがわかりました。取材ではそこまで行けません。
 仕方ないので、スタンプラリーの場所に行くと、クウタンはスタンプ台のシールとして貼られているだけで、クウタンに会えるというわけではありません。
 だったら、クウタンのキャラクターグッズを買おうと、お土産品屋やキャラクターグッズ・ショップに行きました。荷物にならないようだったら、渋井選手にプレゼントするのもいいだろう、ということで佐々木記者と意見が一致。ところが「クウタンはグッズにはなっていないんです。よく質問されるんですけど」と店員さん。「成田空港所属の吉田選手が持っていたんですけど」と言ってもダメだろうな、と思ってあきらめました。
 しかし、ただでは起きないのが佐々木記者。代わりにパスポートに似せた手帳をお土産ショップで購入しました。外見だけでは日本国10年ものパスポートにそっくりです(写真)。渋井選手に「パスポート落としたでしょ」と言って渡して、渋井選手をのけぞらせようという佐々木記者の魂胆。ドッキリ企画の陸上取材版を狙ったわけです。

 15時少し前に渋井選手が到着。カコミ取材の結果はこちらに記事にしました。陸マガ5月号の記事で取材したときのネタがあって、初めて書けた記事です。
 先ほど購入したパスポートは、さすがに大勢の関係者の前では手渡せません。
 渋井選手の取材が終わって数分たったところで、為末大選手が入江選手らと一緒にいきなり現れました。ちょうど、サンディエゴに戻る日だったのです。即席でカコミ取材(写真)。
 2人のカコミ取材は、手荷物検査場&税関の入り口のすぐそばで行いました。為末選手の取材が終わると、見送りに来られていたアシックスの高橋さん、岡田さん(亜大の箱根駅伝優勝メンバー)らと雑談などしているうちに渋井選手たち(山下郁代選手と江藤佑香子選手も一緒でした)がやって来ました。
 ドッキリを仕掛けるチャンスですが、よく見ると渋井選手は手にパスポートを持っています。これでは引っ掛かるはずがありません。ダメモトで佐々木記者が決行しましたが、渋井選手がビックリするはずもなく、普通の表情で受け取って終わりました(写真)。
 企画倒れの典型的なケースですが、まあ、この手の企画は気持ちが大事です。選手をリラックスさせようという気持ちが伝われば佐々木記者も満足でしょう。


◆2009年7月15日(水)
 本日は愛犬家ウォーカー、森岡紘一朗選手の原稿書き。
 昨日発売の陸マガ8月号に掲載した同選手のインタビュー記事がありますが、そのときに取材した内容を、もう少し詳しく書いて本サイトに掲載予定です。陸マガと同じ雰囲気になってもまずいですし、ちょっと工夫が必要です。もうしばらくお待ちください。
 競歩といえば法元康二さんですが、法元さんといえば仏文科出身のウォーカーとして注目を集めました。
 そういえば昨日、7月14日はパリ祭(革命記念日)でした。成田空港で原稿を書いていると、某スポーツ紙のE藤記者が、ある選手のコメントを思い出しながら「ルイ16世の日記のようだ」と話していました。世間では革命が進んでいるのに、国王の日記には「今日は特に書くことはなかった」というニュアンスの記述だったという、あれです。E藤記者は無意識だったと言いますが、7月14日にさりげなく引き合いに出すあたり、ただ者ではありません。

 その話を聞いて講釈をたれてしまったのが寺田です。ルイ16世についてではなく、「特に何もしていません」と選手がコメントするケースについて。
 我々が取材している選手ですから、最近好成績を残している選手です。取材に慣れていなくてそう答えてしまったり、あるいは謙遜していたりするケースもありますが、本当に「何もしていない」と思っていることもあります。
 トップ選手ともなれば、練習中は色々なことを考えてトレーニングをしています。指導者に言われたメニューをただこなしているだけ、という選手は聞いたことがありません。「何もしていない」というのはレース中のことを言っているはずです。つまり、試合になったら何も考えずに思い切っていくだけ、という選手です。
 そういう選手の強みは、風がどうとか、サーフェスがどうとか、細かいところを気にせず自分だけに集中できることです。たぶん、集中することで、動きもやろうとしていることが正確にできる。でも、それは意識してやっているわけではない。意識すべき点はすべて、練習段階で終わらせている。
 特に100 mなど短時間で競技が終わる種目は、その要素が強いように思います。日曜日まで“集中力を高めるには”というテーマで朝原宣治選手の原稿を書いていましたが、そう強く思いました。

 福島千里選手の強さは、そういうところにもあるように思っています。昨日は専門誌の発売日でしたが、中村宏之監督の記事を読んでいて(取材で聞いている福島選手のコメントとも照らし合わせて)、そんな感想を持ちました。陸マガ7月号にも似たことを書きましたね。
 法元さんへの振りは、なんだったんだろう?


◆2009年7月16日(木)
 昨日の日記で法元康二さんに話を振ったのは、競歩からフランスに話題を転換するためというのは読めばわかることですが、法元さんが例の事件(競歩選手の暴行事件)を気に病んでいたので、元気づける意味もありました。
 あんな書き方で元気づけられるのか、というご意見もあるかと思いますが、こういうことは気持ちが大事ですから。

 それともう1つ、法元さんを思い出したのは、一昨日の成田空港取材で筑波大の齋藤仁志選手と安孫子充裕選手に合ったからかもしれません。法元さんは京都の大学出身で旭化成で選手生活を送りましたが、その後、筑波大の大学院で研究者の道を歩き始めた経歴の持ち主です。齋藤、安孫子2選手は、その日の朝早い便でユニバーシアードから帰国したところでした。
 土浦行きのバスが出発するまで僅かの時間しかありませんでしたが、ユニバーシアードの成績で気になっていた点を確認させてもらいました。
 まずは、齋藤選手が200 m決勝で22秒22(+0.1・7位)もかかっていましたが、「足首が痛くてスタートからやめた」ということでした。細かいところまで確認できませんでしたが、重傷ではないようです。翌日の4×100 mRには出場していますから。
 その4×100 mRは失格していますが、どういうミスで失格したのかがわかりませんでした。聞けば、1・2走(江里口匡史選手と木村慎太郎選手)のバトンパスでオーバーゾーンをやってしまったとのこと。最後までバトンをつないで走ったのですが、4走の齋藤選手のところから見ていてもわかったと言いますから、微妙なオーバーゾーンではなかったようです。

 その4×100 mRが失格したことで、安孫子選手が翌日の4×400 mR決勝に出場する可能性が出たとこちらは思ったのですが、実際には予選と同じオーダー。理由までは確認しませんでしたが、安孫子選手も調子が良くなかったのは確かです(200 mは準決勝止まり)。
 しかし、そこは深く突っ込まず、4×400 mRが3分06秒46もかかった経緯を聞きました。世界選手権の参加標準記録を破る最後のチャンスでしたが、生かすことができませんでした。日本では、2走の石塚祐輔選手(筑波大)がバトンパスで失敗した、という簡単な報道しかなされていなかったのです。
 聞けば、石塚選手と3走の吉田和晃選手の間に、デンマーク選手が切れ込んできてしまったとのこと。吉田選手がどのくらいスピードを緩めたのかまではわかりませんが、かなりのロスだったのは事実です。ルール的にはどうなのでしょうか。抗議しても再レースになるとは思えませんし、再レースをして記録が出る確率はゼロに近いと思いますが。

 男子4×400 mRの世界選手権第1回大会からの連続出場が途切れてしまいました。ユニバーシアードまでチャンスを伸ばしたのは、連続出場にこだわったのでなく、世界選手権に代表を送ることがその後の強化に役立つと陸連が判断したからですが。
 今の日本チームに標準記録を破る力は十二分にあると、個人的には思っています。大阪GPのタイムテーブルや、遠征したアジアGPのコンディションの悪さなど、不運も重なりました。不運で片づけるのか、力不足と認識するのかは、陸連と選手たちが判断することです。


◆2009年7月17日(金)
 陸上界にとって成田は特別な場所である。あの増田明美さんも、室伏広治選手も、花岡麻帆選手も、澤野大地選手も、そして吉田文代選手も、成田高校の出身だからだ。
 ということで今日も、成田空港の話題である。

 14日の日記に成田空港の見習いヒーローで、陸上部のマネージャーでもあるクウタンのことを紹介したら、少しですが反響がありました。
 1つはクウタン・スタンプラリーは出国審査後のエリアでできるスタンプラリーで、寺田が火曜日に行った不二家レストランの裏は、通常のスタンプラリーだという指摘です。たまたま、スタンプ台の蓋の裏にクウタンのシールが貼ってあっただけ(写真)のようです。
 もう1つは日刊スポーツ・佐々木記者が昨日、この写真を送ってきてくれたことです。昨日も成田空港に取材に行ったようで(“成田取材の鬼”の異名を持ちます)、第2ターミナルの出発ロビーで発見したといいます。
 さらに、クウタン誕生時の記事や、クウタン・スタンプラリーを詳しく紹介しているサイトまで教えてくれました。
 そう、やけに熱心なのです。おそらく、「クウタンを陸上界に広める会」の副会長に就任したいのでしょう。会長はもちろん寺田……ではなくて吉田文代選手。寺田も副会長です。副会長が2人いるのは別に不思議じゃないですよね。メジャーな組織では陸連もそうですし。
 都道府県陸協のように会長と理事長という役職を設けるのもいいかもしれません。会長にはその県の政界や財界の大物がなり、理事長には現場の叩き上げの人物がなる、というのが一般的なパターン。「クウタンを陸上界に広める会」で会長にふさわしいのは……考えておきます。

 成田&佐々木記者の組み合わせで思い出したことが1つ。
 火曜日の午前中の取材後、空港内のTSUTAYA書店に某専門誌を買いに行きました。ちょうど、専門誌の発売日である14日でしたから。しかし、その成田空港内の書店に陸上競技専門誌は2誌とも置かれていませんでした。
「成田なのに悲しいなぁ」という話を佐々木記者にすると、すでに2誌ともざっと目を通したという同記者は、某専門誌の表紙のコピーがおかしいということと、佐々木七恵さんの訃報記事が両誌とも小さすぎると指摘していました。
 寺田も同感です。仮にも、女子マラソン最初の五輪選手なのですから。
 確かに、今の読者の何割が佐々木さんのことを知っているのか、という見方もあると思います。しかし、そうした部分とは関係のない価値観で、スペースを割くのが専門誌だろうという意見も関係者の間には多いと思うので、寺田が代弁する形でここに書いておきたいと思います。
 繰り返しますが、増田明美さんを抑えて五輪代表第1号になった選手でした。

 ただ、冷静になって考えてみると、専門誌にとってスペースを割きにくいタイミングでした。事態が公になったのが日本選手権翌日の月曜日でした。前号の校了からすでに3週間。雑誌を作るサイクルの4分の3が進んでいる段階です。何かにスペースをとれば、別の何かを小さくしないといけません。取材を受ける側にも、取材をする側にも「何ページだから」と言って依頼してあるはずですし、原稿がすでに来ているページも多いでしょう。
 8月号は日本選手権とインターハイ展望企画で大々的にページを割かないといけません。そのために微に入り細に入って段取りをします。それに、いきなり飛び込んで来るのが訃報です。少人数でやりくりしている編集部の実態も、寺田も元専門誌編集者ですからその辺の苦労がわからないではありません。その日のニュースでスペースの大小を決める新聞とは、準備の仕方が違います。
 ここは、佐々木記者の意見ももっともだし、専門誌が難しかった状況もわかるということで、両論併記という形で紹介させていただきます。


◆2009年7月18日(土)
 今週は成田(空港)ネタで引っ張ってきたので、最後も成田ネタで締めたいと思います。
 まずは昨日の日記で成田高校出身選手の名前を挙げさせていただいたなかで、岩井勇輝選手の名前が抜けていました。成田高=一般種目という印象が強いのですが、長距離も頑張っています。反省しています。

 次に火曜日の成田空港取材の渋井陽子選手記事ですが、寺田の考えが反映されている記事です。記事の書き方としては、もう少し客観的な事実だけを書く方法がありますが、今回はそうしませんでした。
 あらためて書くまでもなく、記事の書き方には色々なパターンがあります。
・5W1Hだけを淡々と紹介する記事
・コメントをそのまま紹介する記事

 この2つが報道という意味では一番純粋でしょう。
 しかし、それでは読み手がわかりにくいことも多々あります。書き手が補足することで理解度が高まります。というか、補足しないと読んでいても面白くもなんともない。
 例えば、選手が成田空港から合宿に出発するとします。その選手がどんな実績を持っているのか、ここまでどんなトレーニングが積めてきているのか、どんな目的を持って出発するのか、選手のコメントの背景には何があるのか等々。
 しかし、それらを全部紹介しようと思ったら、今度は紙のメディアだったらスペースが、映像音声メディアは時間が足りなくなってしまいます。とても全部は紹介しきれません。必然的に項目を絞って紹介するしかなくなります。
 問題はそのときに、何を紹介するかです。そこはもう、記者やディレクターが判断するしかない。メディアの立場(対象者とか)や、記者の能力に左右されます。

 話はちょっと変わりますが、マスコミ対応ということでは選手にも色々なタイプがいます。
 一から十まで全て、自分のやっていることを理解できるように話をする選手がいます。為末大選手がそうですし、ちょっと前では高野進選手がそうでした。藤田敦史選手もそれに近いかもしれません。記者に質問させるという点では、藤田選手が上手いですね。ここに名前を挙げた選手は完璧に近い少数派ですが。
 しかし、そこまで自分のことを明らかにしない選手もいます。感覚的な言葉をポン、ポンと話したり、取材に慣れてなくて上手く説明できなかったり。
 そのときの状況で話せないということもあります。特に、大試合の前などに多いケースです。これから試合に出る、合宿に行くというときに説明的になりすぎると戦闘モードに入りにくいようです。自分の考えを整理しすぎると、終わった感覚になるのかもしれません。
 わざと目標を公言して集中していく方法もありますが、根拠をかくかくしかじかと、多くは語りません。まあ、これも個人差があって、練習でこれができたから大丈夫だと、自分に言い聞かせるように説明する選手もいます。

 読者の立場からいえば、選手のコメントを全部、そのまま紹介してくれる方がありがたいのかもしれません。首相の言葉をまるっきりそのまま、記事にするパターンも最近はあると聞きます。
 ときどき、選手や関係者がこのサイトのことを褒めてくれます。「選手・指導者の言っていることをただ載せているだけですよ」と説明すると、「それが良いんです。ヒントがたくさんあります」と言ってくれます。
 でも、これは専門誌や寺田のサイトのように、読み手側に知識があって初めて言えることです。一般メディアはそうもいきません。朝日新聞に桝見咲智子選手や池田大介選手の人物記事が載っていましたが、インタビュー形式にはしにくいでしょう。イチローやサッカーの岡田代表監督とは立場が違います。

 陸上報道がダメだと言いたい気持ちが、わからないわけではありません(それを補う意味で、このサイトをやっています)。しかし、メディアを十把一絡げにして「メディアが悪い」のひと言で片づけるのはやめてほしいと思います。
「駅伝があるからダメなんだ」と、ひと言で片づける記事があったら陸上界の人間は不愉快になると思います。駅伝のこういう部分がダメだと言ってほしいと思うでしょう。
 それと同じです。メディアのここがよくない、という意見はあってしかるべきだと思います。ただ、そのときには少しくらい、メディアの違いや記事の違いを理解していないと、ピント外れの批判になります。


◆2009年7月19日(日)
 昨晩はナイトオブアスレティック(Heusden-Zolder・ベルギー)の結果が気になりました。中尾勇生選手や佐藤悠基選手という注目選手に加え、2〜3日前に京都の夏をブログにアップしていた早狩実紀選手の名前まで、エントリーリストにあったからです。ヨーロッパ滞在中に、突然パッと出場することはあっても、日本にいて突然渡欧するケースは珍しいです(室伏広治選手がワールド・アスレティック・ファイナルに急きょ出場できることになって、試合前日くらいに渡欧したことがありましたが)。
 確認してから寝ようと思っていたら、朝の5時半になってしまいました。レース数が多い大会ですから、タイムテーブル通りに進まないことも多いようです。結果はこちらにまとめました。早狩選手はいまひとつでしたし、他の日本選手にも快記録はありませんでしたが、好記録が多く出ました。

 ナイトオブアスレティックには2回、取材に行きました。松宮隆行選手の5000m日本新と竹澤健介選手の学生新、上野裕一郎選手のA標準突破を取材しましたから、2007年に行ったのは確かです。もう1回は2006年だったでしょうか…杉森美保選手の国外日本人最高を見ましたから2006年ですね。
 試合会場のあるHeusden-Zolderは、公共の交通機関がある場所ではありません(もしかしたら路線バスはあるのかもしれませんが、終わるのは夜の10時、11時です)。ホテルはハッセルトでちょっと大きな街なのですが、バスで30分くらいかかりましたから、距離は20kmくらい離れている感じです。主催者が用意してくれるシャトルバスを逃したら、ホテルに帰ることができないかもしれない。これは同大会に限ったことではありませんが、その手のシャトルバスは競技終了後それほど待ってくれないのです。
 進行が遅れているのをサイトで見ていたら、そんなことを思い出しました。
 そういえば、帰りのバスの中で高岡寿成選手にメールを出しましたから、そのときも、長距離選手が朝練のために起きていそうな時間だったはずです。何回か記事のネタにもさせてもらっている「破られるとしたら1万mの方が先だと思っていた」という返信が来ました。
 思い出しました。早狩選手も日本記録を出して、翌朝、ブレックファスト取材をしました。ブレックファスト取材というのは、国内のマラソンでよく行っている一夜明け会見とは違います。ヨーロッパの試合は夜が遅いので、その日のうちの取材が不可能で、翌朝の朝食時に取材をさせてもらうのです。福士加代子選手にもさせてもらったことがあります。どの日本記録のときかは忘れましたけど。
 書いていたら、またヨーロッパ取材に行きたくなりました。

 起床後にメールをチェックすると、現地の木路コーチ(大塚製薬)から結果を記したメールが来ていました。昨晩、5000mナショナルの結果を見落としていました。ここでは北村聡選手が好調です。
 木路コーチのメールには、自己ベスト、シーズンベストなどの注釈に加え、佐藤悠基選手の成績の横に“ペースメーカー終了後完走”と記入してありました。これには「ビックリです」(去年の陸上界流行語大賞)。13分36秒26ですよ。絶対とは言えませんが、ペースメーカーで走った選手の日本最高記録と思って間違いないでしょう。
 具体的なラップを知りたいところですが、ハイペースで押すのが得意な佐藤選手だからできたことかもしれません。
 ナイトオブアスレティックと同じ日のサラゴサ(スペイン)の3000mでは竹澤健介選手が7分49秒26の日本歴代2位。世界選手権代表の上野選手を含め、今年23〜24歳のゴールデンエイジが、いよいよ国際舞台に飛躍しようとしている感じです。松宮選手や、大野&三津谷選手も頑張ってくれると思いますが。

 今回再認識したのが、いくら情報化時代になっても、生の情報が貴重だということです。木路コーチが添えてくれた数文字で(※)、佐藤選手の走りの受け取り方が大きく違ってきました。WEBサイトで記録はわかっても、この手の話は“現地&当事者”からでなければわかりません。
 昨日の日記とも関連しますが、情報化時代だからこそ、情報の受け取り方、解釈の仕方などが重要になると思います。記録は本当に速く、手軽に入手できるようになりましたが、受け手がそれをどう処理するか。さらに一歩踏み込んだ情報を得ようとするか、自分の目に触れた範囲で終わらせてしまうのか。
 昨日も書いたように、メディアの性格や割けるスペースによって、同じ情報源でも報じ方は違ってきます。メディアの違い、記事の種類の違いがわからないようでは、情報を分析し、役立たせることはできないと思います。
 情報分析についての授業を、高校でやったりしないのでしょうか。コンピュータの使い方は放っておいても勉強します。情報とどう接したらいいかを教えるべきでしょう。
(※)メールは木路コーチからですが、現地に行っているのは別のスタッフと後日判明


◆2009年7月22日(水)
 やっと森岡紘一朗選手の記事を掲載できました。
 陸マガの1ページ記事と同じ取材から書き分けなければいけないことは、以前の日記で紹介したと思います。同じ取材でもスポットの当て方を少し変えることで、違った感じの記事になります。同じレースを見て、レース後に同じコメントを聞いても、媒体によって違ってくるのは当たり前のこと。
 しかし、1人の記者が書き分けるとなると、楽なことではありません。
 陸マガの方は森岡選手の成長段階を3つに分けて、その3段階目にある今回の世界選手権挑戦を、読者が興味を持って見ることができるように紹介しました。本サイトの記事は、森岡選手が各カテゴリーの“2回目のレース”でしっかりと結果を出している点に着目して、その成長を紹介しています。
 基本的には選手のコメントを多くしたインタビュー記事の体裁ですが、間に3人称の文章を多く入れて、書き手が注目してほしい部分も明確にしてあります。その分、手間も時間もかかりますが、読者の理解度がより高まってくれたらいいな、という思いでちょっと多く書きました。

 今回の記事は見ていただければわかるように、日清ファルマ様のスポンサードによる記事です。ですから、そこに配慮した部分もあるのは確かですが、基本的には通常の記事と同じテーストで、紙媒体では簡単にはできない分量の情報を紹介しています。それがスポンサーサイドのメリットになるという理解をいただいているからできることです。寺田の活動にも大いにプラスがあるので、喜んでやらせていただいています。
 今後、こういう形で記事を書いていけたらいいな、と思います。選手・指導者の了承をもらえる場合に限りますが、取材対象、スポンサー、取材する側、そしてもちろん読者にプラスになる形ではないかと思っています。


◆2009年7月24日(金)
 今日は10時から冨士北麓公園で陸連短距離合宿の取材。
 朝、6時に起きたら東京(多摩市)はかなりの雨で、中止かな? という思いがよぎりました。もしかしたら中止連絡のメールが来るかと思って、7時15分頃までメールをチェック。久しぶりに睡眠時間が少なく、首筋に痛みに近い張りが出ていて、消極的な気持ちにもなっていました。
 でも、予備日が設定されている取材ではないので、普通に考えて中止はあり得ません。雨でもホテルでインタビューだけでもすると判断して、富士吉田に向かいました。

 富士吉田駅に着くと、出かけたときの雨は嘘のように上がっていました。
 この合宿の取材は練習中は見学しているかカメラマンをするかで、いつも悩みます。手の空いている指導者に話を聞いたり、練習メニューをこと細かくメモしたりすると、それなりにネタが集まります。しかし、こういう機会に有力選手の写真を抑えておくと、その後役立つことも多々あります。通常の競技会取材では写真まで撮れません。
 本当に迷うところですが、総合的に考えてカメラマンをやるようにしています。共同取材の場に寺田が一眼レフを持っていくのは珍しいので、記者仲間から「いつ買ったの?」とよく聞かれます。

 北京五輪の銅メダルの翌年ということで、一番の注目は男子の4×100 mR。練習が始まるとこんな感じで6人がじゃんけんを始めました。練習の何かを決めていたのでしょう。自販機に飲み物を買いに行く人間を決めていたとは思えないので。
 続いて目に入ったのが、唯一の高校生新宮美歩選手。練習メニューは東大阪大敬愛高のものをそのまま行なっているとのこと。写真のハードルを使ったメニューもそうです。敬愛のメニューについては、陸マガ増刊に詳しく出ているので、そちらをご参照願います。この時期の合宿はどの選手も原則的に、メニュー自体は各自で決めてやっています。メニューが合えば、一緒にやるというスタンスです。
 新宮選手の表情に、萎縮しながら練習している感じはありませんでした。先輩選手やスタッフたちから可愛がられているように感じました。
 ちなみに、金丸祐三選手も4年前は唯一の高校生選手としてヘルシンキ大会に出場しました。いまや、貫禄すら漂い始めています。

 男子4×100 mRのバトンパス練習は、まずこの隊形で始めました。江里口匡史選手から塚原直貴選手、塚原選手から高平慎士選手、高平選手から齋藤仁志選手につないで行き、両外を藤光謙司選手と木村慎太郎選手が走る隊形です。
 撮影をメインにしていたので、後半で藤光選手と木村選手までバトンを渡したのかはわかりません。しかし、その次にこの隊形で走りました。1走に木村選手が、4走に藤光選手が入っています。
 その後は光電管を使って40mのバトンパスタイムの測定。40mというのは昨年から導入している「土江式」の距離です。カーブから直線へのパスで、
高平→藤光
木村→齋藤
江里口→塚原
高平→齋藤
木村→塚原
江里口→藤光
 と行っていました。ほとんど3秒7台のタイムでした。
 その後、直線からカーブのパスで
塚原→高平
 で行っていました。たぶん、見落としていないと思います。
 2走の塚原選手、3走の高平選手の走順は固定したいということでしょうが、練習後に選手たちにコメントを聞くと、まだ最終決定ではないのでどこでも走れるようにしておく段階だといいます。
「2、3走は固定ですか?」という質問に苅部俊二短距離部長は「まだわかりませんけど、ご想像にお任せします。今日やってることが、要になるでしょうけど」という答え。「直前まで固定しないというのはよくないので、ある程度はイメージできるようにしていきますが、完全固定ではなくフレキシブルにしていきます」ということでした。
 冨士北麓合宿取材ネタ、もう少し書く予定です

 女子4×100 mRのバトンパス練習はカーブ→直線で
福島→高橋
渡辺→寺田
和田→高橋
福島→渡辺
 という組み合わせでやっていました。1つか2つ、見落としているような気がします。同時進行ですから、すべてのパス練習をチェックできません(言い訳)。
 練習後の取材で高橋選手は「たぶん直線です」と話していますし、指導者たちへの取材で福島選手1走の可能性もあることがわかりました。それでも組み合わせは無数に考えられますが、1走・福島、2走・高橋で前の方でレースを進める戦略もありそうです。
 同じ考え方なのかどうかわかりませんが、土江監督は1走から強い順に並べるオーダーを推奨しています(詳しくはいずれ書けるかも)。

 バトンパスのある4×100 mR勢の練習に目を奪われがちでしたが、衆目を集めた(?)のが成迫健児選手と廣瀬英行選手が一緒に走ったこと。300 mだったと思いますが、250mかもしれません(同時進行なので…)。この2人は400 mの筑波大記録保持者と慶大記録保持者。意外なことに46秒02と45秒84で慶大記録の方が上なのです(機会があれば石塚祐輔選手や安孫子充裕選手も、45秒台は出せると思われます)。
 大分と佐賀の北九州対決という視点もありますが、今回は筑波大と慶大という点が注目を集めました(一部記者の)。いずれにせよ成迫選手としては追い込む、良い機会だったのではないでしょうか。

 例年の合宿と違ったのは、ハードル練習をしている選手の数が少なかったこと。田野中輔選手と寺田明日香選手の2人だけです……が、400 mH勢が成迫選手、久保倉里美選手、青木沙弥佳選手と3人いましたから、合計で5人(吉田和晃選手は海外遠征中)。そんなに少なくないのかもしれませんが、常連の内藤真人選手がいませんし、前回は八幡賢司選手も加えて110 mH代表が3人いました。田野中選手も「寂しいです」と言います。
 むしろ、ハードル出身の指導者の方が多かった印象です。筑波大・宮下先生、早大・礒先生、法大・苅部先生、青学大・安井先生、日女体大・金子先生たち。選手より多いということはなかったですね。そのくらいの印象だったということです。
 指導者の話題になると、田野中選手が今回の合宿の最年長(今年で31歳)で「年齢的には指導者の方に入れられてしまうんです」と言います。確かに土江監督(も元ハードラー)や朝原さんという30歳台のスタッフとは近いかもしれませんが、平均すれば選手の方に近いのですが。食事のテーブル分けとかの話でしょうか。

 久保倉里美選手と佐藤真有選手がブログで、女子合宿参加選手中の最年長ということを書いていました。高校生の新宮選手がいたことと、人数的に多数を占める男女の4×100 mRメンバーが若返ったことでそう感じたのだと思います。でも、佐藤&久保倉の2選手も今年で27歳。まだまだ若いでしょう(トレーニングは考えないといけない年齢なのかもしれませんが)。


◆2009年7月25日(土)
 昨日の陸連短距離合宿取材の時に、ライターの石井信さんから著書の「つなぐ力 」(集英社)をいただき、昨日と今日で読み終えました。陸マガでも紹介されていますが、北京五輪男子4×100 mRの銅メダルを、アンダーハンドパスをキーワードに、おもに指導者たちへの取材をもとにまとめた1冊です。
 オーバーハンドとアンダーハンドの違い、それぞれの利点などは(アンダーハンドが疾走姿勢を崩さないこと、オーバーハンドが利得距離が大きいことetc.)、専門誌などですでに紹介されている内容ですが、こうして整理して書いてもらえると、読み手も自分の理解を整理しやすいと思います。
 それに、専門誌では技術解説的に紹介されることが多いのですが、「つなぐ力」は完全にストーリーの形態ですから面白く読み進むことができます。2001年からアンダーハンドを採用した経緯に始まり、北京五輪の銅メダルに収束していく形で話が進みます(さかのぼって書き進む場面ももちろんありますが)。その間に指導者や選手のエピソードが盛り込まれ、登場人物の“人となり”もわかって感情移入もできるようになっています。息をつく間(暇?)もなく読み終えました。

 “通”の読者を一番アッと言わせるネタは、アンダーハンドでは渡しにくい選手もいるという指摘でしょう。アンダーハンドの方が渡しやすい選手と、オーバーハンドの方が渡しやすい選手に、走法によって分かれるというのです。詳しくは書籍を読んでほしいのですが、それを明言しているのが、パリ世界選手権とアテネ五輪で自身も1走として入賞に貢献した土江寛裕監督です。
 土江監督はオーバーハンドの推奨者で、オーバーハンドの欠点を補う方法もあると話しています。以前、スプリント学会で静岡大学の方が提唱されたサイドハンド・パスに近い方法のようですが、文面だけではそこまで断定できません。

 通常の記事でも言えることですが、1つのテーマを軸に据えて話を進めるとき、反対意見はなかなか掲載しにくいものです。ライターが書きにくいというよりも、編集者が反対することが多いですね。読者が混乱するから、という理由で。それを、両論併記の形で掲載してくれるのは、第三者にとってはありがたいことだと思います。文字数が多く、丁寧に説明できる書籍だから踏み切りやすかったのかもしれません。

 また、当事者がそれを言えるというのも、良い雰囲気であることの裏返しではないでしょうか。異なる意見の選手がいても、自身の立場でできること、果たすべきことをしっかりとやる。そういった大人の関係を築けていなかったら、日本の男子4×100 mRがここまで来らなかったはずです。

 苅部部長や朝原さん、末續選手、高平選手、塚原選手らのエピソードもふんだんに出てきます。彼らを直接知っている人間はニヤっとするところ。あるいは「えっ? そんなところもあったんだ」と感じるところかもしれません。
 今後の男子4×100 mRチームを見ていく上でも、大いに参考になる1冊だと思います。本当に、楽しく読むことができました。

 今日は午前中は自宅で、午後は作業部屋で仕事。
 昼頃、TBSの坂井厚弘ディレクター(「65億のハートをつかめ! スポーツ中継の真実 世界一の国際映像ができるまで」の表の主人公)から電話がありました。TBSがキャッチコピーをつける選手数を少なくするのは、陸連からの“通達”があったから、という内容の本日のサンスポ記事についての話でした。
 記事では陸連からの“通達”とか“強権を発動したとみられる”という表現が使われています。坂井ディレクターの話では「非公式の場では何年も前から言われていましたが、陸連から正式な通達があったわけではありません。ベルリン世界陸上に向けてTBS社内の方針として決定しました」とのこと。実際、「65億のハートをつかめ!」のなかでも、ユニ映像(国内向け映像)の方針変更について、前プロデューサーの菅原さんと坂井さんが今回の決定を示唆するコメントをしています。
 どこまでを通達というかで意見は分かれると思いますが、陸連の“強権発動”ということはなかったようです。


◆2009年7月26日(日)
 14時に日吉の慶大グラウンドに。横田真人選手の取材です。森岡紘一朗選手に続いて日清ファルマ様のスポンサードにより陸マガ&寺田的に記事が載ります。
 今日はインタビューだけで、練習の写真取材は後日というスケジュール。特に本サイトは文字数が多い記事になるので、2度目があるとめちゃくちゃありがたいですね。最初の取材で突っ込み方が浅かったところを、少しの時間でも2度目に補足取材ができるのですから。
 インタビューは慶大キャンパスのタリーズで1時間ちょっと。まずはユニバーシアード(4位入賞)の話を30〜40分ほど聞かせてもらいました。

 今回のユニバーシアードでは予選、準決勝と勝ち抜いて、さらに決勝でも力を出したのですが、横田選手のレベルではそこまで予選・準決勝で力を温存することができません。各ラウンドのスタートリストで自己ベストとシーズンベストを調べたところ、特に予選が厳しい組でした。記録的に上の選手が多いなかでどう勝ち抜いたのか。そこを突っ込もうと思っていましたが、結果的にいいところを突いたかな、という感触です。
 インタビューの残りは今、横田選手が取り組んでいるテーマ、目指している方向などを聞きました。面白い話を聞くことができましたが、こちらの理解度も問われる内容だったので、ちょっとプレッシャーがかかっています。2度目の取材があるということで難しい話に突入してもいいかな、と考えたわけではなく、単なる成り行きでした。
 写真は後日ですが、念のために今日も表情だけ撮らせてもらいました。タリーズの近くは完全に日陰になって暗かったので、グラウンドに移動してパパッと撮らせてもらいました。これは後輩の横田将人選手(横田2号と呼ばれているようです)と話しているところ。

 横田選手の取材を15:40頃に終えると、東横線で渋谷に出て、代々木公園陸上競技場まで歩いて移動。トワイライト・ゲームスの取材です。
 最初に話を聞いたのが男子400 mHに49秒84で優勝した今関雄太選手(順大)。初めて話を聞く選手でしたし、一緒に話を聞く記者もいないのでプレッシャーがかかるケースですが、近くに近野義人コーチや堀江真由選手ら面識のある順大関係者がいたので、スムーズに声を掛けることができました。
 同じ種目で世界選手権代表の吉田和晃選手と同学年。世界選手権直前という時節柄(?)、吉田選手と比較しながら、今関選手の特徴を聞き出す流れになりました。
 目立った違いは前半の歩数です。13歩の吉田選手に対し今関選手は14歩。その14歩もこの冬から「ようやく形になり始めた」と言います。トップ選手ばかり取材していると13歩や14歩が当然、という感覚になってしまいますが、上背がそれほどない学生選手は14歩も簡単なことではないのかもしれません。
 インターハイ(も近い時節ですが)は、今関選手は渋谷幕張高(千葉)の3年時に3位。大学1、2年時は吉田選手がケガを頻発していたこともあり、今関選手の方が強かったといいます。昨年からそれが逆転したわけですが、今回の49秒台で少し差を詰めてきました。9月の日本インカレが学生最後の勝負の場。「吉田に続くか、できれば勝ちたいですね。世陸で疲れている時期なので、そこをつけたら…。勝つには悪くても49秒台中盤が必要でしょう」と、虎視眈々の様子です。
 400 mのベストは47秒56ですが、4×400 mRのラップでは46秒0で走ったこともあるそうです。そういえば、今年の関東インカレは順大が熾烈な2位争いを制しました。全員が4年生のメンバーで、でも、400 mでは1人も決勝に残っていなくて、インカレらしい力が働いたな、と国立競技場で思っていました。帰って記録を見ると、そのときの4走が今関選手で、早大に0.01秒差で競り勝っていました。
※トワイライト・ゲームスの話題、もう少しありますが、書けるかどうか。

 今関選手の話を聞いたあと、記者席にもどるときに塚原直貴選手とすれ違いました。足を止めたわけではありませんが、「追い風参考でもいいから、大台を出したいですね」とすれ違いざまに話してくれました。過去にもトワイライト・ゲームスで自己新を出している塚原選手です。故障明けの今回も、そのひと言で本気モードだとわかりました。
 東日本実業団でもそうだったように、試合に出るからにはしっかりしたパフォーマンスをする、というのが塚原選手流のようです。
 時間は正確に覚えていませんが、女子三段跳が始まる前に吉田文代選手がこちらを見つけてくれて、足合わせのチェックをしている最中にもかかわらず、クウタンを紹介したことにお礼を言いに来てくれました(こちらから試合前に声を掛けたわけではありません)。この辺は、選手と観客・関係者の物理的な距離が近いトワイライト・ゲームスならではです。他の大会ではあり得ないでしょう。
 クウタンに関してはこちらが勝手に騒いでいるだけで、お礼を言ってもらう必要はありません。日本選手権のときに催促を受けたのも事実ですけど、東日本実業団のときに写真を撮って「サイトに載せるから」という約束を忘れていたのはこちらなのですから。

 観客・関係者から近いと書きましたが、この競技場は本当に客席から近いので、迫力がものすごく伝わります。ハードルを目の前で越えていく迫力は、文字メディアはもちろんのこと、映像メディアでも伝えきれないのではないでしょうか。会場に足を運んだ者の特権です。
 アップ中の石野真美選手も間近で見ましたが、ここまで顔が小さいのかと、改めて印象を強くしました。顔が小さいのは高平慎士選手の専売特許で、それが速さの一因のように言われていますが、石野選手も小さいです。そういったことが本当に、目の前でわかるのです。
 しかしながら、これは以前から書いていますが、フィニッシュ側スタンド(僅かに傾斜がついて高くなっているスペース)から見ると本部席のテントが視界を遮り、ホームストレートの半分近くが見えません。何人かの方から苦情を聞きました。その他にも各チームが拠点とするスペース、アップとダウンをする場所、選手や観客の動線(通路)と、通常の試合会場と比べ、いたるところが手狭になります。

 取材するスペースもなく、ちょっとした混乱を来していました。
 今年は世界選手権代表選手・注目選手のエントリーが例年より多かったのだと思います。専門誌と新聞が3〜4社というのが例年の取材陣の数でしたが、今年は20社近く来ていました。昨年は日本歴代5位の記録が出た選手の話も2〜3人の記者しか話を聞いていませんでしたが、今年は1500mに優勝した上野裕一郎選手を20人以上が囲みました。
 1500m終了後にフィニッシュ地点近くのインフィールドで、会場向けにインタビューが行われます。そこに記者たちが雪崩れ込みました。インフィールドに入っていいのかな、という雰囲気が記者間にありましたが、他社が行ったら行かないわけにはいきません。記者たる者、他社に抜かれるわけにはいかないのです。
 やばいな、という感じは多くの記者が持っていて「ここで取材するの?」「このインタビュー(会場向けインタビュー)は観客に選手を見せないといけないんじゃないの?」という声が挙がっていました。案の定、主催者サイドからフィールド外に退去するように要請を受けました。
 しかし、取材ができそうなスペースが近くに見つけられません。インフィールドのインタビューが終わったら、選手がどこを通って、どこに行くのかもわからない。どこで取材をしたらいいのか? どこかに誘導してもらえないか? という要望を記者側がしましたが、主催者はそこまで想定していないようで、とにかく移動してほしい、という要請だけです。
 記者たちは指示に従ってフィールドの外に出ました。インフィールドで取材はしたくないという考えをほとんどの記者が持っていたので、声が掛かればそれに乗りたかったのでしょう。その意味では良い措置でした。正直、主催者と衝突してまでして取材するほどでもないか、という雰囲気がありました。
 結果的に、後援新聞社の記者の方が上野選手を誘導してくれたので、話を聞くことができましたが。

 せっかく斬新なコンセプトで開催されている競技会です。このトワイライト・ゲームスを開催するだけで、主催者の関東学連の株は上がっていると思います。よくぞやってくれた、と多くのファンが感じているでしょう。あとは、会場が狭いことに起因する欠点を解決していくだけで、さらに素晴らしい大会になっていくのではないでしょうか。
 解決策としては、これも以前に書きましたが新木場の競技場で行うのはどうでしょうか。駅からの距離は代々木よりも近いですし、ゴールデンゲームズinのべおかのように観客をトラックのすぐ外側まで入れるようにすれば、選手を近くで見ることもできます。タイムを測りたい人はスタンドから見ればいいわけですし。どうでしょうか。


◆2009年7月29日(水)
 奈良インターハイの陸上競技が開幕。
 一時は、大会3日目と4日目あたりに弾丸ツアーを敢行しようかというプランもありましたが、世界選手権の資料づくりがとても終わりそうにないことと、現実的(予算的)な問題もあって今年のインターハイ取材は断念。
 奈良は個人的に行ったことはあるのですが、取材として行ったことのない県なので、今回はチャンスだと思っていたのですが。

 今日は男女の400 mが決勝まで行われました。女子は世界選手権代表の新宮美歩選手が圧勝。三木汐莉選手の走り(準決勝で58秒30)がちょっと気になりました。
 インターハイは会期が5日間に長くなっても、400 mは初日に予選・準決勝・決勝までというのは変わりませんでした。というか、以前は女子の決勝は2日目でしたけど。
 予選・準決勝で力をどう温存するかが重要になります。300 mまでは全力で行って最後の数10mで流すのが普通のやり方ですが、その辺で失敗したのでしょうか? 専門誌の記事を待ちたいと思います。
 女子やり投が好勝負でした。男子砲丸投が大会新ですが、重量変更があって間もない種目の記録的な評価が、寺田のなかで追いついていません。勉強しないと。


◆2009年7月30日(木)
 奈良インターハイ2日目。
 女子の100 mのレベルが高かったですね。世古選手が11秒68(+1.6)で優勝し、11秒7台が2人、11秒8台が4人、11秒9台が1人。これだけ良いと、風とかトラックが記録が出やすかったということが背景にあると思われます。
 それでも、優勝記録の11秒68は高校新でも大会新でもない。高校歴代6位です。一般メディアは大きく見出しにしにくいところですが、これは今後の陸上報道の課題ですね。トラックが良くなればそのときは記録は上がりますが、毎年それが続くわけではありません。
 パフォーマンスの評価を表面的でなく、もう一歩踏み込んでする必要がある。それをマニアックで一般読者には興味がない、で片づけてしまったら、陸上競技は尻すぼみでしょう。
 そのために、陸連がスタティスティクス・インフォメーションを出していますが、まだ、記者側が十分に活用できていません。その対策も一度、提案させていただいたことはあるのですが…。

 あれ? と思ったのが、男女の1500mは昨日が予選で今日が決勝だったこと。これは以前は、大会初日に決勝まで行っていました(女子がなかった頃)。リレーとの兼ね合いで400 mは初日3本なのでしょうか。
 男子の油布郁人選手に感じるものがあります。

 ここに来て世界選手権前の仕事依頼が、なぜか増えています。インターハイ取材もあきらめましたし、今年は出発前にドタバタしなくてすむと思っていたのですが、ちょっとやばそうな雰囲気。
 それに対して川本和久先生は、日記を読むと相変わらず多忙な様子ですが、自分の手の内にして処理されている感じです。代表合宿に行き、大学の練習も見て、学内の仕事をこなし、ナチュリルとの提携研究を進め、東京で人と会い、福島県各界のトップたちに働きかけ、夜も人と会い続ける。自分のなかに芯ができているからこなせるのでしょう。
 とても真似はできませんが、少しでも参考にさせていただきたいと思います。


◆2009年7月31日(金)
 奈良インターハイ3日目。
  女子円盤投は、今季高校新を投げている糸満みや選手と渡辺茜選手の対決が注目されましたが、糸満選手が大会新で優勝。中西美代子選手と高間麻里選手の92年宮崎インターハイのときと似ている印象も受けますが……と思って記録を見たら、92年は優勝の中西選手が48m28で、2位の高間選手が47m02でした。予選では高間選手が48m94の高校新を投げていました。本大会前に高校新を投げ合った今回とは、ちょっと違いましたね。
 今回は2位の渡辺選手とは3m近い差がつきましたが、円盤投でこの差は大きいと言っていいのか、“ちょっとしたこと”がこの距離になると言えるのか。
 その三木選手は400 mHできっちりと優勝。東大阪大敬愛高の総合優勝は確定した頃でしょうか。東大阪大敬愛高は総合優勝の記事が100 %あるので、負けた選手についても「専門誌の記事を待ちたい」、と書けるわけです。池田大介選手ブログの「待っとけベルリン」と同じです……違うかもしれません。

 女子4×100 mRは宇治山田商が46秒02の大会タイ。世古和選手が2冠です。大会前、女子短距離のスター候補はそこまで絞り込まれていませんでした、特に100 mは(と言っていいですよね。違っていたらライバルのO村ライターから弾劾メールが来るでしょう)。インターハイ本番の蓋を開けてみた結果、スター選手が確定されたケースです。
 高校生にスター選手という言葉は、適切でないというご意見もありますが、いわんとしているところはご理解いただけると思います。

 逆に、スター選手候補だった安部孝駿選手は51秒04で、ちょっとインパクトが薄かった感じです。50秒台前半を出すと盛り上がったと思うのですが。シーズンベスト(50秒83)にも届きませんでした。まあ、シーズンベストでなくても快勝というのは、力が抜き出ている証拠でもあるわけです。それに、為末選手はともかくとして、1990年代中盤に48秒台を出して400 mH界をリードした山崎一彦、苅部俊二、斎藤嘉彦のトリオは、全員が高校時代は51秒台がベストでした(大学では50秒を大きく破っています)。
 ただ、安部選手も総合優勝を狙える玉野光南のエース。地方紙、専門誌以外でも記事になる確率……は低いですけど、全国紙の記事になる可能性もないとは言い切れません。


◆2009年8月1日(土)
 昨日のインターハイ記事は、全国紙は予想通り女子円盤投を取り上げているメディアが多いようです。ファウルで50mラインを越えた投てきもあったといいますから、インパクトもあったのでしょう。
 しかし、朝日新聞は安部孝駿選手でした。岡山のSP記者のニックネームを持つ小田記者が、気合いを入れて書いていました。それなりのスペースをとっていますから、社内の評価も高かったのでしょう。気合いが入った記事やね、とメールを送ったところ、「気合いが空回りしました」という反省の言葉が返ってきました。
 天下の朝日新聞の記者でいながらこの謙虚さ。さすが、デンハーグで池田久美子選手に「○○○○○○○○」と言われただけはあります。見習いたいところです。

 今日は奈良インターハイ4日目。
 男子5000mでは油布選手が1500mに続いて日本人1位。実際の走りは実は見たことがないのですが、石本文人さんもブログで触れていたように記憶していますし、ちょっと注目したい選手です。
 男子走高跳の戸辺選手は昨日か今日、テレビのCMに出ているのを見たばかりでした。優勝記録は2m18。高校歴代だと14位なんですね。2m20の選手が多いからですが、バーを上げる種目特性のためとも言えます。高校記録との差は4cm。2m20の大台まで2cm。
 高校記録も大事ですが、今の走高跳はトップ選手の層が極めて薄くなっています。貴重な素材をどう育てていくかが重要になります。と、寺田が書かなくとも、関係者が痛いほどわかっていることだと思います。

 明日の全国紙記事は、女子800 mでしょうか。真下選手が新宮美歩選手を破りましたから。


◆2009年8月2日(日)
 今日は奈良インターハイ最終日。
 注目の1つに安部孝駿選手のハードル2冠がなるかどうか、という点がありましたが、矢沢航選手という強力なライバルがいます(下馬評では矢沢選手が上でしたし)。それともう一つ、競技スケジュールが安部選手にとっては難題でした。
 最終日は4×400 mRの準決勝、決勝も並行して行われます。110 mHの予選は8割の力で通過できるでしょうし、準決勝も最後は流せます。とはいっても、110 mH3本と4×400 mR2本をこなすのは並大抵のことではありません。
 110 mHは予選・準決勝と矢沢選手が14秒1台、14秒0台と快記録を連発するのに対し、安部選手は14秒6台と14秒5台。その間、4×400 mRの準決勝を3分13秒67で通過。4×400 mRのラップはわかりませんが、そちらも考えての110 mHの動きだったのではないでしょう。
 日本選手権のタイムテーブルは、その年の有力選手の種目の兼ね合いを考えて立てるべきですが、さすがにインターハイとなるとそこまで配慮はできません。110 mHの選手が4×400 mRでもエースというのは、それほど多いことではありませんし。

 岡山のSP記者ことA新聞・小田記者からも「キレがないからこの種目はきついです」というメールが来ました。ただ、玉野光南の総合優勝はかなりの確率で行けそうとのこと。「そうなれば岡山工業以来34年ぶり」とも書いてあったので、寺田が「長尾隆史以来ですね」と返しておきました。
 110 mHは順位こそ2位と予想通りでしたが、タイムは14秒20(しかも−0.7)と予想以上。優勝の矢沢選手とも0.11秒差という善戦でした。そして最終種目の4×400 mRはアンカーの安部選手が追い上げて3位と0.02秒差の2位。埼玉栄とは競り合えませんでしたが、総合優勝に花を添える2位だったと思われます。
「感無量です」とメールをしてきた岡山のSP記者にとって、ヒーローは前述の長尾隆史手と山本寿徳選手だそうです。長尾選手は400 mで高校生初の46秒台を出し、筑波大では日本人初の400 mH49秒台を出した選手。今のようなテレビ中継が行われていれば“○○のパイオニア”と間違いなく命名されていたでしょう。
 山本選手は走高跳で中学生初の2mジャンパー。それも2年生で達成しました。高校でも2年時に2m21の高校新。日本選手権にも優勝しました。インターハイは3連勝。その後の岡山県の高校生にとっては、伝説的な存在だったようです。
 その2人にはまだまだ及びませんが、安部選手への期待度と岡山工高以来の岡山県勢の総合優勝が重なって、SP記者の感動を誘ったようです。

 岡山ネタが長くなりましたが、最終日は印象的なパフォーマンスの連続でした。
 女子100 mHは宮崎商コンビがワンツー。男子ハンマー投の行田、女子800mの埼玉栄など、同一学校の選手による1〜3位独占の例もありますが、同一校ワンツーはやっぱりすごいことだと思います。今回は記録的にも清山選手が13秒44(+1.7)の高校歴代2位タイ、川崎選手が13秒49の歴代4位とレベルが高かったですから。
 あとは、その学校がどこまで選手を集められる環境か、という点もあります。その種目に力を入れている学校とか、その種目のカリスマ的な指導者がいるとか。その辺を合わせて考慮すると、今回の宮崎商のワンツーはどうなのでしょうか。ここで詳しく検証はできませんが、かなり価値が高いのではないでしょうか。

 女子4×400 mRは東大阪大敬愛(筬島,新宮,高橋,三木)が3分37秒86と驚異的な高校新で4連勝。2秒以上の更新は、今年のメンバーならと思えるところもありますが、それでも驚異的な記録です。女子の総合優勝に、これは注釈抜きで花を添えた大記録でした。
 ラップは以下のようだったと聞きました。
55秒8
53秒6
54秒7
53秒8
 女子4×400 mRでは宇治山田商も決勝に進出し、100 m優勝者の世古和選手がアンカー。注目してテレビを見ていましたが、世古選手に渡る前にバトンを落とすミスがあって、競り合いに加われませんでした。ちょっと残念。


◆2009年8月5日(水)
 12:30から渋谷のホテルで世界選手権の仕事の打ち合わせ。なんでもEメールで済ます風潮のある昨今ですが、やはり会って話をすると具体的なイメージがわきますし、どうでもいいと思われる細かい部分も、その場で質問ができます。その結果、理解が深まることも多々あります。こういうのをアナログ人間……とは言わないと思いますが。というか、人間の感性をデジタルとアナログにわけ……ますかね、やっぱり。この件は考えるのをやめます。

 13:30から同じホテルで世界選手権結団式の取材
 受け付け時に陸連に確認すると、公式の会見やカコミ取材は設定していないとのこと。そうなると、取材は非公式のぶら下がりしかありません。会場(部屋)を出たときにつかまえる方法ですが、選手や指導者が急いでいたらあきらめるしかありません。
 この方式だと、寺田のように話を聞きたい相手が絞れていない記者は大変です。
 でも、今日はまず、室伏重信先生に最初に行きました。メダル候補の室伏広治選手の動向確認が、一番の優先事項です。内容は報道されているように、メダルを争うには明らかに準備不足のようです。おそらく、メダル争いだけが世界選手権に参加する理由ではないのでしょう。その理由や、故障の経緯を室伏選手が明かしてくれるかどうか。
 もちろん、短い調整期間でそれなりの状態に仕上げてくる可能性も、ないとは言い切れません。言い切れませんが、室伏先生があそこまで言うということは、可能性としてはかなり低いのだと思います。
 室伏先生の次には、陸マガ編集部からの依頼で、某選手にあることを打診。

 実は昨日まで、世界選手権代表選手の資料づくりに没頭していました。その作業中に、この部分は今、どうなっているのだろう? と思う点がいくつかありました。できれば今日、何人かの選手にそのことを確かめたかったのですが、技術的な話がほとんどで、ぶら下がり取材で聞けるような内容ではありません。
 それでも、桝見咲智子選手にはエスカレーターで一緒にフロアを降りたり上がったりする間に、取材してしまいました。川本和久先生にも久保倉里美選手と丹野麻美選手の状態を聞くことができました。仕入れたネタは、現時点でどうこう結論づけられるものではありません。世界選手権が終わってからの記事に生かします。

 今日は室伏選手の他にも、マラソン選手ら数人が欠席。ほとんどが海外や北海道で合宿している選手たちです。江里口匡史選手の名前がなかったのが意外でした。故障の治療か!? と思って確認すると、当初から授業のため出られない予定だったとか。
 山崎勇喜選手も海外合宿で欠席。小坂部長に状態を聞くと、北京五輪前の練習タイムと比べもかなり良いと言います。

 岡山のSP記者こと朝日新聞・小田記者が大荷物を抱えていたので何かと思って聞いたら、インターハイ取材から直接、結団式の取材に来たといいます。のりぴー(酒井法子)のことを心配して話し始めましたが、本当はそれよりも、玉野光南高や岡山ネタのことを話したがっているようでした。その辺を察して、こちらから突っ込みました。
「本当に感無量ですよ。僕らの頃、岡山の男子はそんな強くなかったんです。長尾さんの岡山工高のあとは、総合優勝にからむ学校はなかったですし。玉野光南は安部選手の活躍はもちろんですが、森本選手が伸びたのが大きかったと思います。大会前のベストが53秒台(400 mH)でしたが、本番で4位に入りましたから。僕も玉野光南への進学を考えた時期もあったし、リレーではライバルだったので、なんていうのか……目の前で玉野光南の総合優勝を見られて、ジーンと来ました。個人的には新人戦の4×100 mRの3走をぼくが走って、玉野光南の応援団の目の前でバトンを落としたことが忘れられないです。4×400 mRはウチが勝ったんですけどね」
 小田記者の高校時代、岡山県の選手にとってヒーローが長尾選手と山本寿徳選手だと聞いていましたが、ヒロインはなぜか特定しませんでした。松井江美選手と三宅貴子選手というやり投の新旧規格の日本記録保持者に、マラソンの有森裕子選手、そして戦前の人見絹枝さん、最近では新谷仁美選手と候補がたくさんいすぎるからでしょうか。
 そこを無理矢理聞き出すのも、好きではありませんが寺田の役目です。
「個人的には奥田昌子さん(就実高→筑波大)ですね。北田敏恵さんと同学年で、インターハイが2番か3番で。(砲丸投が専門の)僕も11秒台半ばで走りましたが、加速走では負けていました」
 ということで、小田記者と岡山ネタでした。「のりぴーとどっちが好きだったんだ?」という無粋な質問はしませんでした。


ここが最新です
◆2009年8月6日(木)
 7月26日の日記で、トワイライト・ゲームスの会場の狭さ、ホームストレートを走る選手が見にくいことを書きました。個人的に面識のある関東学連の方が、代々木開催の理由を教えてくれました(公式というよりも個人的に)。
 一番の理由は立地だそうです。アンケート結果なども参考にして、都心から少し外れている新木場では、“陸上競技に興味を持っている人”しか足を運ばない、という判断をしているとのこと。トワイライト・ゲームスのそもそもの狙いが、陸上競技にそこまでのめりこんでいない人に、仕事帰りに(今年は日曜日でしたが)ビール片手に陸上競技を気楽に見てもらうのが狙いです。競技終了後に食事をすることも想定して、代々木開催が最適という判断だそうです。
 陸上競技好きのファンのことを考えるとちょっとあれなのですが、そもそもがそういうコンセプトなのです。

 ベルリン出発まで1週間を切りました。準備は進んでいるような、いないような。いつもの海外取材と比べると、ほんの少しだけ余裕があると思っていたのですが、ここに来て出発前の仕事、現地での仕事の話が来たりします。
 海外取材のときは、その場所にちなんだ小説やら文学作品を読むのが慣例になっています。しかし、ベルリンを舞台にした小説が意外と少ないことが判明しました。ベルリンにこだわらず、ドイツ文学から何かと思ってネットを検索して調べてみました。
 興味を持ったのがミヒャエル・エンデの「モモ」。T選手を意識したわけではありませんが、タイムリーな題名の本です。その辺の書店には置いてないでしょうから、ネットで購入しました。

 書籍といえば、折山さんの書いた「チーム朝原の挑戦」も読みました。子供向けの体裁なのですが、内容はもう完全に“陸上好き”を満足させるもの。面白かったです。石井さんの「つなぐ」が指導者サイドの視点が多かったのに対し、「チーム朝原の挑戦」は選手サイドの視点です。
 時間ができたら、もう少し詳しく紹介したいと思いますが、世界選手権が一段落してからになりそうです。


◆2009年8月12日(水)
 これからベルリンに出発です。
 荷造りは順調に進みましたし、スーツケースの重さが24.8kgと表示されたときは感動もしました。しかし、出発直前に入ってきた仕事(原稿)が終わっていません。いつものことですが、機内はゆっくりできそうにありません。
 次の更新はベルリンからです。
 あっ、そういえばクウタンの写真を撮ったのですが…。


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