続・続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2011年11月  The Last GERO

最新の日記へはここをクリック

◆2011年10月22日(土)
 今日も西へ向かいました。目的地は実業団女子駅伝西日本大会の行われる福岡県宗像(むなかた)市。初めて取材する大会ということもあってテンションは高く、朝の5時半起きもなんのその。新幹線の車中では、「エースをねらえ!」のオープニングテーマが奏でられていました。寺田の頭のなかで、ですけど。

 早起きのかいあって監督会議が始まる30分以上前に宗像市役所に到着。まずはワコール・永山忠幸監督に話を聞きました。明日は福士加代子選手が出場しませんが、これはシカゴ・マラソンの疲れを考慮してのことではなく、あくまでもチーム強化を考えての結論だそうです。
 記者たちに囲まれた永山監督は、日本の女子長距離界の問題点にも言及してくれました。福士選手に続く人材が育っていないこと、男子との混合レースで記録を狙うことの弊害などです。マラソンの五輪選考レースでは「ペースメーカーが25kmまで行けるかどうかが一番心配」だと言います。そこがしっかりとできないと、レースの公平性が保たれない可能性が出てきます。

 開会式が近くなると選手たちも続々と集まってきます。テレビ局が有力選手を順にインタビューしていって、ペン記者も脇で話を聞くことができました。テグ世界陸上マラソン代表の伊藤舞選手(大塚製薬)、アテネ五輪マラソン金メダリストの野口みずき選手(シスメックス)、全日本実業団2種目入賞の栗栖由江選手(天満屋)、テグ世界陸上マラソン代表の中里麗美選手(ダイハツ)。中里選手はテレビ・インタビュー後にも少し、話を聞かせていただきました。
 開会式終了後にはシスメックス廣瀬永和監督に話を聞きました。野口選手の話しぶりや表情、廣瀬監督の話の内容などから、かなり良い練習ができていると推測できました。

 カコミ取材中にマラソン復帰を質問された廣瀬監督が、出場するレースは「(すでに)絞っています」とコメントしましたが、具体的にどの大会かは明かしませんでした。色々な事情のあることですし、やむを得ないことだと現場の記者たちも認識しています。
 しかし、それで済ませてくれないのが新聞社という組織です。デスクやチーフなどから「決まっているなら記事に出せるようにしろ」と言われるわけですね。明日のレース後になれば判明するとわかっていても、他社よりも1日早く紙面に載せることが求められます。この辺は選手や指導者にはわかりにくい部分かもしれませんが、メディアにとっては重要なことなのです。
 寺田はそういったしばりがないのである意味気楽でいいのですが、他の記者たちは会社から言われて周辺取材に取り組み始めたようです。どこに電話してと、かなり具体的に書くこともできますが、そんな裏の話はどうでもいいでしょう。

 開会式取材が終わって某新聞社の方たちと東郷駅に出て、電車で1つ隣の赤間駅に移動。東郷駅にはこんな横断幕が張り出されていました。
 赤間ステーションホテルにチェックインして仕事を2時間くらいしました。部屋はツインだったので広いのですが、椅子が背もたれのないものだったことと、電球がオレンジ色の光で好きなタイプでなかったこともあって、カフェに原稿を書きに行くことに。駅構内のパン屋さん兼カフェに行くと、K社のY記者(女性)が原稿を書いていました。
 Y記者は宮城二女高出身で、坂水千恵さんの陸上部の後輩です。一昨年、上海マラソンを一緒に取材した仲ですが、大阪→福岡と転勤になっていて、会うのは震災後では初めて。仙台の実家は無事だったということです。やはり会社の上から、野口選手の出場するマラソンを調べるように命じられていて、あちこち電話をされていました。

 カフェが20時までだったので駅前の海鮮食堂?に行きました。お店のお姉さんに玄界灘でとれた魚を確認して、その定食を注文。魚の種類は、ほっけだったと思います。宗像は玄界灘に面していている街。海まで行くことはできませんでしたが、雰囲気だけでも味わっておこうと思ったわけです。
 まあ、寺田の場合カフェで原稿を書けば、その土地に行った気分になれるので観光をする必要はないのですが。
 夜遅くに前日記事をアップ。日記を長く書くよりも、こういう形にした方がいいですね。大会前に書けるのなら。


◆2011年10月23日(日)
「野口の折れない心は凄いな」
 元陸上競技担当記者のH氏(A新聞社事業部)のツイッターでのつぶやきが、今日のすべてを表しています。初めての実業団女子駅伝西日本大会の取材でしたが、今日はもう駅伝よりも野口みずき選手(シスメックス)の走りが一番印象に残りました。

 レースは宗像市役所でテレビ映像を見ることができましたが、インターネット中継でしょうか、画質はものすごく粗いものでした。ユニフォームの色はわかるのですが、ナンバーカードやチーム名は選手のアップにならないとわかりません。後続との差もたまーに把握できるくらい。実況などの音声はありませんし、距離表示やタイム表示などもありません(映像が何もないのと比べたら雲泥の差なので、ありがたいことです)。粗い映像ながらも、力強い腕振りからいつものダイナミックな動きは想像できましたが、野口選手がどんなペースで走っているのか判断することはできませんでした。
 あとは中継時に押したストップウォッチのタイムが頼りですが、2→3区の中継が1位のシスメックスではなく2位の天満屋でした。3→4区のタスキリレーは野口選手で押すことができて、寺田のストップウォッチは32分08秒。その前に、隣りの席の毎日新聞西部の田内記者が、スマートフォンで中継時のタイム差を調べて教えてくれていました。2→3区のシスメックスと天満屋の差は17秒。これを先ほどのタイムに足すと野口選手の区間タイムは32分25秒になります(正式記録も32分25秒でした)。

 3区の距離は10.2km。このタイムには「えっっーーーー」と思いました。10km通過は31分40秒台ということになり、野口選手の1万mのベスト記録と20秒くらいしか違いません。今回からコースが変更されたので、距離の間違いではないかと最初は疑いました。いつものダイナミックな動きとは思いましたが、10カ月ぶりの選手が走れるタイムとは思えませんでしたから。
 区間2位との差が47秒と聞いたときに距離の間違いではないと判断できましたが、野口選手自身もレース後に「2km以降は計測ミスかと思った」と話していたくらいですから、寺田が距離を疑うのも仕方ないことだったと自己弁護しておきます。
 昨日の取材でかなり練習ができていると推測できましたが、まさかここまでとは思いませんでした。ケガでブランクのある選手は負荷の大きいスピード練習よりも、ゆっくりと走り込み、レースに出ながら徐々にスピードを戻していくのが普通だと思っていましたから。改めて、金メダリストにはそういった常識は通用しないのだと思い知らされました。

 毎日新聞西部事業部の報道対応は素晴らしいものがありました。野口選手の快走を踏まえてすぐに、記者たちにカコミ取材がいいか会見がいいかを打診。ここは当然、会見がいいのではないかという結論に。優勝チームのフィニッシュ30分後に記者のワークルームで行われることが決定しました。
 会見では質問することができず、1万m&10kmの31分台はいつ以来か、という点だけ閉会式後にぱぱっと聞くことができました。寺田の興味はどうやってここまでスピードを戻したか。そこを記事にしましたが、これまでのネタで若干、補足してあります。
 記事のテーマはスピードでしたが、それを可能にしたのはH氏の言うように野口選手の“折れない心”でしょう。今日の走りだけでそれがびんびん伝わってきました。「絶対に復帰してみせる」という言葉を故障中の野口選手から直接、聞いたことがあります。
 ただ、そこを書くにはレース後の取材だけでは難しいですね。野口選手を第三者から見た意見も必要な部分ですし。そこにスポットを当てた記事までは無理でも、会見では気持ちの部分も話してくれているので、会見全部のコメントも記事にしたいと思っています。


◆2011年10月29日(土)
 かわさき陸上競技フェスティバル第2週の取材です。第1週(10月2日)の招待種目は男子800 mだけでしたが、今日は男女の800 mと男子1500mの3種目。800 mは男女とも日本記録を狙うためにペースメーカーがつきますし、1500mは日本記録保持者の小林史和選手(NTN)の引退レースです。盛り上がりそうな予感を胸に、京王相模原線と南武線で等々力競技場に向かいました。
 移動の間に中国新聞・中橋記者にメールをしました。木村文子選手と久保瑠里子選手が地元の広島では、“エディオンのKK”と呼ばれているかどうかを確認するためです。2人は同学年ですし、五輪標準記録を期待できるレベルにあることも同じです。
「あまり聞かないのですが…」という中橋記者の返信でしたが、2人が今後注目され、応援されるにはコンビ名があった方がいい、という意見で一致しました。
 マニアックな方は“エディオンのKK”では川越学監督と金哲彦GMになってしまうと指摘するかもしれません。2人とも九州出身ですし、早大競走部では同学年でしたし。しかし、その指摘は即座に却下です。指導者のニックネームはちょっとやそっとで付けるものではありませんし、付けるとしたらもう少し別の視点が必要です。
 できれば木村選手と久保選手が同じ大会で活躍したときに“エディオンのKK、そろって五輪B標準突破”などと見出しをつけるのがいいのですが、仮に今日久保選手が突破したら、“エディオンのKK、まずは800 mでB標準突破”にするのもいいのでは、と考えた次第です。ちょっと強引ですけど。

 第1週を取材した陸上記者は寺田だけでしたが、今日は競技場に着くとすでにA新聞・O記者(岡山のSP記者)とK通信・T記者がいました。さらにはY新聞・T記者、G誌・E編集者&Sライターも現れました。お隣の横浜・日産スタジアムではジェイオー(ジュニアオリンピック)&日本選手権リレーも行われていますが、それだけ今大会への期待が高いということでしょう。
 最初の招待種目は男子1500mです。1周目はエンジンのかからなかった上野裕一郎選手(エスビー食品)が徐々にポジションを前に上げていき、得意のラストスパートで勝利を手にしました。記録は3分44秒94です。
 小林選手は4位で3分47秒12。レース後は中距離仲間や、最後の勇姿を見届けようと集まった関係者が、次々に小林選手に駆け寄って労をねぎらっていました。今回は一眼レフカメラで取材をしたので写真集的な記事を掲載しました。日本選手権優勝者の井野洋選手(富士通)はレースには出られませんでしたが、写真撮影などを仕切っていました。
 引退レースが大きな大会で一般人が入れる区域が規制されていたら、ほとんどの人間が小林選手に接触できなかったでしょう。スタンドから声をかけるくらいで。小さな大会で引退する最大のメリットではないでしょうか。あとは実業団の試合も大丈夫ですかね。

 色々な人たちと写真撮影や交歓シーンが続いたので、女子800 mのスタート時間が迫ってきました。小林選手には後で話を聞かせてほしいとお願いして、女子の800 mと男子の800 m(2組)の競技を取材しました。
 女子は好調の久保選手が2分02秒78で優勝。ペースメーカーが外れてからは1人で行き、2位の陣内綾子選手(九電工)に3秒近い差をつけました。
 今の久保選手は本当に強いです。夏のヨーロッパ遠征の日本歴代2位から、全日本実業団の同一日2レース2分5秒台、そして今大会とつねにテーマをもって走ってきました。B標準の2分01秒30を切ることができませんでしたが、いつ出ても不思議ではないと感じました。4×800mRがあるのでコメントを聞くのは後回しに。
 男子800 mは2組あって、最初の組は松井一樹選手(日大)が1分49秒50でトップ。自己記録更新です。3位にインターハイ優勝者の吉田貴洋選手(田辺高)が入り、1分49秒99と高校生11人目の大台突破を果たしました。カメラマンをしていたE本編集者は上機嫌。何を隠そう、E本編集者は田辺高の先輩なのでした。

 男子800 mの2組目はペースメーカーが外れると横田真人選手が先頭に立ち、いつものように勝つのだろうと、見ているほとんどの人が思ったはずです。しかし、ホームストレートに入って雰囲気が変わりました。フィニッシュの正面で写真を撮っていたので後続との差がわかりませんでしたが、追い上げられている雰囲気でした。フィニッシュでは会場が「えっ」という雰囲気になっていました。
 タイマーに表示された優勝者は「6」。川元奬選手(日大1年)で記録は1分48秒03でした。川元選手は昨年のこの大会で高校記録の1分48秒46を出しています。相性が良い大会と言って間違いではないと思いますが、不調だったシーズン前半を経て、秋は日本インカレ2位と立て直してきていました。
 ジュニア歴代でもかなり上位のはずです。ジュニア日本記録は村松寛久選手の1分47秒13ですが、1分47秒台が他に何人いたか、正確に思い出せる人がいませんでした。あとで調べたら小野友誠選手と舘義和選手が1分47秒台で、川元選手はジュニア歴代4位とわかりました。
つづく予定


◆2011年11月2日(水)
 今日は東日本実業団駅伝前日取材のため熊谷入り。ちなみに熊谷は“くまがや”と読みます。ハードルの熊谷史子選手(北海道ハイテクAC)は“くまがい”です。
 高崎線とバスを乗り継いで熊谷の陸上競技場に。6月の日本選手権以来ですから4カ月半ぶりです。
 14:00から女子の監督会議。会議の傍聴はできないので、部屋の外で待っていました。その間に自体学の平田監督と雑談をしていました。陸連の中距離部長ですから中距離の話題は当然として、今日は珍しく自体学の選手の階級のことなども教えていただきました。先週の全日本競歩高畠大会では山崎勇喜選手が優勝しましたから、競歩の話題にもなりました。山崎選手がロンドン五輪代表になったら、自体学としては1964年の東京五輪以来の代表になるそうです。

 20分くらいで主催者から区間エントリー表が配られました。東日本実業団のサイトで見ることができます。会議終了後はまず資生堂・弘山勉監督の話をお聞きしました。公式ガイドの担当チームですし、明日のレースでも優勝候補の一角です。弘山監督自身は「最低6位。上手く行ったら3〜4位争いに絡みたい」と話していましたが。
 資生堂に復帰した加納由理選手は、資生堂が優勝した2006年の全日本実業団対抗女子駅伝以来、5年ぶりの実業団駅伝だそうです。資生堂に戻ってからは2戦目になります。
 続いて第一生命の山下佐知子監督の話を聞きました。寺田は途中から話に加わったのでよくわかりませんでしたが、今日のところは駅伝に話題を限定したようです。
 山下監督のカコミが終わって周囲を見ると、すでに監督たちの姿は誰も見当たりません。話を聞けたのが2チームだけというのは少なすぎます。立ち回りに失敗しました。

 男子の監督会議が行われている間に、伊藤国光さんに電話を入れました。カネボウのスタッフから、退職後の身の振り方がまだ決まっていないと聞いたので、直接話を聞いてみようと思ったのです。
 一番の理由は音喜多監督たちが、自分に気兼ねすることなく指導を行えるようにするためだといいます。会社を辞めることは半年以上前に決断したそうです。しかし、世界陸上長距離種目の日本勢を見て、もう一度現場の指導をしたい気持ちが強くなったそうです。指導ができる場所を探しているといいます。
 男子の監督会議終了後はカネボウ・音喜多監督、コニカミノルタ・磯松大輔コーチ、Honda・明本樹昌監督、日清食品グループ・岡村コーチと話を聞かせていただきました。富士通の高橋健一コーチにもすれ違いざま、1つだけ質問をしましたが、あとで失敗したな、と思いました。岩水嘉孝選手が明日の駅伝メンバーに入っていませんが(補欠にも)、同選手の近況を聞いておくべきでした。マラソン挑戦もあるとにらんでいるのですが。

 この冬は五輪選考シーズンですし、誰がどこのマラソンに出場するかが大きな話題になります。今日は資生堂の加納選手が大阪国際女子、藤永佳子選手が名古屋ウィメンズマラソンに出場することが判明しました。
 実業団駅伝西日本大会の際に野口みずき選手(シスメックス)は大阪国際女子、中里麗美選手(ダイハツ)は名古屋ウィメンズへの出場を表明しました。伊藤舞選手(大塚製薬)は大阪国際女子か名古屋か考慮中だと話してくれました。坂本直子選手、中村友梨香選手、重友梨佐選手の天満屋勢も未定です。以前の取材で天満屋の練習は年間を通じて距離走も行っているので、少し調整をすれば駅伝にも行けるし、マラソン用の調整をすればマラソンも走れると聞いたことがあります。
 コメントを避けた大物選手に福士加代子選手(ワコール)がいます。どこに出るか、今日も記者たちの間で話題になっていました。寺田の予想は記者の皆さんとは違うものでしたが。
 明日の駅伝が終われば渋井陽子選手(三井住友海上)や野尻あずさ選手(第一生命)の情報も、何か得られるかもしれません。

 ホテルにチェックインをして男子の前日記事を書きました。外出して夕食を食べ、カフェ(モスバーガー)に場所を移して女子の前日記事を書こうとしましたが、取材不足で書けませんでした。3区に好選手が揃ったことでもいいかな、と思ったのですが、その点に区間エントリー表をもらったときに気づかなかったので、その視点の取材ができていません。今日の取材は立ち回りに失敗したのが全てですね。来年も今大会取材に来たら、もう少し上手く立ち回れるはずです。
 代わりに久しぶりに、こうして今日の日記を書いています。


◆2011年11月3日(木・祝)
 東日本実業団駅伝の取材です。実業団駅伝では唯一、男女同時開催の大会ですから、取材も頑張り甲斐があります。気合いが入ります。朝も5:15と早起きをしました。
 しかし、今朝は体調がいまひとつ。体調の悪さがのどに出る体質ですが、ちょっと嫌な痛みがありました。ということで、本当はかわさき陸上競技フェスティバルの日記の続きを書こうと思っていましたが、6:30まで寝直すことに。しかし、これがこともあろうか、7:15まで寝過ごしてしまいました。スタートは8:00です。慌てて支度をしてホテルを出ましたが、5〜10分ほど遅刻しそうな時間でした。
 ホテルを出たところで今大会からユニフォームの色を変えたカネボウの高岡寿成コーチと出くわしてしまいました。隠れようと思ったのですが、高岡コーチが長身なので見つかってしまったのです。バツが悪いことこの上ないのですが、このくらいのことで落ち込んでいたら陸上記者はやっていいけません。気を取り直してフィニッシュ地点の熊谷競技場に向かいました。

 8:08にプレスルームに到着。レース中の取材の様子は省略しますが、モニターを見ながら、よく知らない選手が快走したら(スターツの1区の土井友里永選手とか)、そのチームのWEBサイトを見てプロフィールを確認したりしていました。7月から定額制のデータ通信を契約しているので、こういうことができるようになりました。もちろん記録集で、過去のインカレ成績などもチェックします。

 レース後は優勝した第一生命の記者会見が始まるかどうかを横目で気にしつつ、選手や指導者の方たちに話を聞いていきました。まずは加納由理選手。今日の走りは区間10位とよくなかったので、久しぶりの実業団駅伝の感想や、マラソン出場(大阪国際女子です)について聞かせてもらいました。
 続いて土佐礼子選手と渋井陽子選手の三井住友海上コンビに。やはり、駅伝のことに加えてこの冬のマラソンのことが話題になりました。土佐選手は「(名古屋に)間に合えば」と言います。渋井選手は明言しませんでしたが、福士加代子選手との会話を持ち出してくれました。そこから推測すると、名古屋の可能性が高いように思います。
 続いて赤羽有紀子選手に。同選手の記事を書く予定があります。マラソンは「この冬に出場する予定」だと言います。それが選考会になるのか、選考会以外のレースになるのかは、今後の状況を見て判断していくそうです。

 スターツの山口千代子監督、資生堂の弘山勉監督と話を聞いたところで第一生命の会見が始まりました。山下佐知子監督のチーム作りの方向がわかって、有意義な会見だったと思います。駅伝取材とともにメディアが注目するマラソン出場ですが、野尻あずさ選手は「大阪国際女子に出場する方向でプランを組んでいる」と言います。
 第一生命全員の会見後は、山下監督も同席して尾崎好美選手の個人会見に。横浜国際女子マラソンに向けてネタを仕入れることができましたし、駅伝と関連したことでも面白い話を聞くことができました。

 その後は男子優勝の日清食品グループの会見です。女子のフィニッシュ後のレースは見ていないのですが、見ていなくてもなんとか取材をするのが陸上記者。佐藤悠基選手にA標準突破の手応え(19日の日体大長距離競技会を予定しています)を聞いたり、東京電力から移籍してきた若松儀裕選手に質問をしました。佐藤選手には会見後も少しぶら下がりました。他の記者たちが結婚のことを質問していたので、明日のスポーツ紙にはその話題も載るかもしれません(あとでビデオを見たら、テレビでも結婚のことは紹介していましたね)。
 その後は指導者の方たちへの取材が続きました。積水化学の野口英盛監督、パナソニックの倉林俊彰監督と順大OBを揃えるあたりは取材のテクニックです。というのはウソで、偶然です。2位の積水化学と4位のパナソニック。どちらもエース区間を任せられる選手が複数育っていて、チームが良い回転になっているのが伝わってきました。パナソニックは中村仁美選手が成長した昨年からですが、積水化学は尾西選手や小俣選手が伸びた今年から。全日本でも上位争いをしそうな2チームです。

 女子の後は男子チーム。SUBARUの奥谷亘監督、カネボウの音喜多正志監督、コニカミノルタの磯松大輔コーチと取材。宇賀地強選手にも少し話を聞くことができたのはラッキーでした。宇賀地選手はトラックは八王子ロングディスタンスへの出場を予定しています。すでに1万mでA標準を突破しているので、結果よりもテーマを持って出場することになりそうです。ラストの弱さが課題である同選手が、そこを克服するために何を考えているのかも、磯松コーチから聞かせてもらいました。これは大収穫です。
 磯松コーチへの取材が終わったら、日清食品グループが応援団に挨拶をし終わったところでした。若松選手にちょっと追加で話を聞かせてもらいました。東洋大では箱根駅伝初優勝時のメンバー。あのときも部員の不祥事があり、川嶋伸次前監督が退任するなど逆境のなかでの優勝でした。そして今回の、東京電力からの移籍後の優勝。競技人生の荒波を乗り越えて結果を出しているので、高校時代はどうだったのかを質問しました。
 聞けば、八千代松陰高(千葉県)が20何年ぶりに全国大会に出場したときのメンバーだったそうです。八千代松陰高が新居監督(東海大前監督)のもとで初出場準優勝し、その後何年か全国大会に出場しましたが、そこから20年以上途切れていた全国行きを復活させたのです。波瀾万丈の競技人生を送る運命にあるのかもしれません。

 若松選手の話を聞き終えるとちょうど、富士通が駐車場に引き揚げるところでした。富士通といえば……と思って選手たちの間を探すと、お目当ての岩水嘉孝選手の顔を見つけました。3000mSC日本記録保持者もすでに32歳。富士通の発行している小冊子を先日拝見したら、岩水選手の欄に“トラックからロードへ。マラソンへの刺客!”と記載されているのを見つけました。順大時代からいずれはマラソンをという話はありましたし、トヨタ自動車時代にも将来的にはやってみたいと話していました。
 聞けば昨年すでに、出場しようとしたそうです。マラソン練習もやったのですが、その過程でひらめ筋を痛めてしまったそうです。7カ月間、本格的な走る練習はできなかったそうですが、1カ月練習をして9月に5000mを14分08秒で走りました。昨年ケガをしてしまったので、今回はケガをしないマラソン練習を考えているそうです。
 岩水選手といえば最近、結婚していますが、マラソンのことばかり話して、お祝いを言うのを忘れてしまいました。反省しないと。
 帰りがけに福嶋正監督にもすれ違いざま取材。藤田敦史選手の福岡国際マラソンへ向けた練習状況をうかがいました。

 富士通への取材は駐車場までついて行って話を聞きました。競技場まではちょっと距離があるのですが、ふと振り返るとレストランがあって、“ファーマーズレストランくまどん”と看板が出ています。もう10回以上も熊谷の競技場には来ていますが、こんなレストランがあったとはまったく知りませんでした。
 お腹がすいていたので何か食べることに。カレーライスを食べようと思ったのですが、ライスが売り切れで、つけ汁うどんと、さつま天、かぼちゃ天を食べました。店内では今大会初出場の南陽市役所の選手、スタッフが食事をしていました。今回は14位でニューイヤー駅伝出場をあと1つのところ(27秒差!)で逃しましたが、町の活性化のためにニューイヤー駅伝出場を目指している、という話を聞きました。
 中央学大を中心に箱根駅伝経験選手を何人か採用しています。選手の何人かは以前、箱根駅伝用の取材で話を聞いたことがありますが、それ1回だけなので向こうはこちらの顔を覚えていないでしょう。食事中でもありますから、声を掛けるのは控えました。
 それにしても、人口3万4000人の市で選手を採用するのですからすごいです。やはり、フルタイムで働いているのでしょうか。


◆2011年11月5日(土)
 全日本大学駅伝の前日取材でした。場所は朝日新聞名古屋本社。名古屋国際女子マラソン(今度から名古屋ウィメンズマラソン)大会本部の名古屋観光ホテルとは、道が1本違うだけの近さにありますが、これが勘違いのもとになり、1本遠い通りに行ってしまいました。が、すぐに気づいて監督会議に間に合いました。
 考えてみたら名古屋に来るのは、あの3月11日以来。トヨタ自動車のニューイヤー駅伝優勝報告会に来たのですが、中止になりました。翌日の名古屋国際女子マラソンも中止に。激動の2日間でした。今日は、普通に取材できることのありがたさを噛みしめながら取材をしました。

 監督会議で問題として取りあげられたことの1つに、毎年、選手のあとを追って車で移動する大学関係者、OBが多数いるということです。警察に注意されると、大学関係者だと答えるそうです。自粛しないと大会の存続が危ぶまれることです。大会が盛んになると応援する人間も自分たちが中心だと勘違いしがちですが、公道を使わせてもらっている、ということをしっかりと認識しないといけないでしょう。さもないと神宮外苑周回コースで行われることになりかねません。と、たまには真面目なことも書いておきます。

 監督会議後にシード校と地元2校の監督会見が行われ、その後の開会式までの待ち時間に個別の取材もできました。少し迷ったのは、3強の勝負に焦点を当てて取材をするか、それとも日本代表を狙う個人選手に焦点を当てるか。東洋大が柏原竜二選手を初めて8区に起用した点にチーム力の充実を感じましたから、そのあたりを掘り下げることもできたと思いますが、今日は個人を取材テーマにしました。
 東洋大・酒井俊幸監督は10人以上の記者に取り囲れていて質問はできそうにありませんでした。が、記事では柏原選手のフォーム改善の話題に文字数を割いています。これは、10月1日の記録会で取材しました。普段の取材がこういうところに生きますね。

 開会式には関学大OBのK重元朝日新聞陸上競技担当記者も姿を見せていました。関学大は19年ぶりの出場。19年前は現在早大監督の礒監督が、長距離も指導をされていたそうです。
 読売新聞大阪のS藤記者とは、立命大の今崎俊樹選手のことが話題になりました。1500mで日本選手権3位の選手で洛南高校出身。177.5cmと長距離選手にしては長身ですし、「ダイナミックな走り」が特徴と陸マガ増刊号の名鑑には記されています。洛南高&京都の大学出身ということもあり、第二の高岡寿成に、という期待もあります。ちなみに趣味は「ルービックキューブ」だそうです。
 ライバルのO村ライターにはスマートフォンの活用法を教授してもらいました。ランニングコストが2000円ほど多くかかりますが、その点も検討しました。
 開会式終了後、15階から降りるエレベーターで、明大・西弘美監督と青学大・原晋監督が一緒になりました。2区で鎧坂哲哉選手と出岐雄大選手が激突します。原監督は謙遜しつつも、自信を垣間見せていました。

 朝日新聞を出て名古屋駅に向かう途中のドトールで2時間ほど原稿書き。


◆2011年11月6日(日)
 全日本大学駅伝の取材でした。
 レースはいつものように神宮会館のプレス室でテレビ取材。レース中、ネットからの情報も利用できるかもしれないと思い、ネットに接続していました。スマホがなくても、データ通信の定額制に入っているので、そのくらいのことはパソコンでできます。というか、作業ができるテーブルと電源があって、パソコンがストレスなく使える環境でしたから、パソコンの方が良いに決まっています。
 東日本実業団駅伝のときもそうでしたが、ツイッターではものすごい量の情報がつぶやかれていました。まさに全日本大学駅伝一色。ちょっとだけ変わり者の寺田は、それ以外の陸上競技情報はないのかな、と思ってしまうわけです。それでついつい、全日本大学駅伝とは別のことをつぶやいてしまいました。名古屋ウィメンズマラソンの話題です。スタート地点が名古屋ですから、全日本大学駅伝とまったく関係なくもないのですが。

 フィニッシュ直前にフィニッシュ地点に移動します。5分くらいの距離です。箱根駅伝のフィニッシュ地点ほどの人出ではないのでなんとかなります(箱根駅伝のフィニッシュ地点は、対策を講じないとそのうちケガ人が出そうです。と警鐘を鳴らしておきます)。
 最初に取材したのは2位の東洋大。1位の駒大とどちらに行くか迷いましたが、目の前を東洋大アンカーの柏原竜二選手(4年)と酒井俊幸監督が引き揚げていったので、何人かの記者たちと一緒にそれについて行きました。柏原選手はすぐに話ができる感じではなかったので、まずは酒井監督に話をうかがいました。
 酒井監督と主将の柏原選手が応援団に挨拶した後は閉会式会場に移動するとのこと。今年は神宮会館が改修工事中で、閉会式会場は徒歩15分にあるなんとかという場所です。正直、取材しにくくなると思いました。移動で取材が中断されますし、新しい場所は取材の動線など勝手がわかりません。
 しかし、こればかりは愚痴を言っても始まらないので、行って頑張るしかありません。

 幸いなことに、移動のバスで、6位で初シード権をとった上武大の花田勝彦監督と一緒になったので、移動の間に話を聞かせてもらうことができました。
 閉会式会場について駒大の大八木弘明監督と、3区の村山謙太選手(1年)に会場の外で話を聞くことができました。
 閉会式会場の中では選手たちが集まり始めていました。明大の鎧坂哲哉選手(4年)に話を聞きました。2区の終盤で後れてしまいましたが、引き離され方が同選手らしくなかったので質問すると、腰の痛みの影響があったということです。続いて2区区間賞の青学大・出岐雄大選手(3年)の話も聞けました。先日、取材にいったばかりだったので、話を切り出しやすかったです。出岐選手のコメントと鎧坂選手のことは、こちらに記事にしました。
 つづいて上武大6区(区間2位)の渡辺力将選手の話を聞きました。シード権獲得の感想などの他に、上武大の練習がどのくらいに質が上がったのかを聞くことができました。先日の日体大長距離競技会で花田監督から聞いた話とも一致しています。
 続いて5位と健闘した中大の浦田春生監督のコメントを取材。

 そこで閉会式が始まりましたが、閉会式の最中も色々と取材(詳しくは書きません)。
 いつ話を聞いたのか思い出せないのですが、東海大の両角速監督の話をしっかりと取材しました。村澤明伸選手(3年)は最後、全身が痙攣していたそうです。ずっと調子が上がってこない状態だったのに、無理をして前を追ったのダメージのようです。一流選手はやはり、試合となるとリミッターを切ってしまうことが多いですから。
 閉会式の最中に成績一覧表も配られました。アンカーのタイムもわかり、柏原選手が57分48秒で区間賞でした。ベンジャミン選手(日大)や平賀翔太選手(早大3年)、村澤選手は昨年より1分半くらいタイムを落としています。柏原選手の走りはかなり高く評価できるのではないかと思い、閉会式後に酒井監督にその辺のコメントを手短にしてもらいました。
 閉会式後は各大学とも引き揚げる体勢に入ります。あまりたくさん話を聞くことができませんが、田村優宝選手(日大2年)、三田裕介選手(早大4年)、大迫傑選手(早大2年)とパパッと話を聞きました。どれも本当に少しで、記事にするには不十分な内容でしたが。田村選手の話を聞くのは、同選手が優勝した高2の国体以来だと思います。あっ、高3の国体でも話を聞いたかもしれません。

 初めての取材場所で不安はありましたが、まあまあ取材ができました。もしかすると、例年の神宮会館取材よりも勝手がよかったかもしれません。案ずるよりなんとやら、です。
 取材終了後は歩いて神宮会館に。数年前のように赤福をたらふく食べるゆとりはなく、速攻で1本記事を書きました。
 宇治山田駅に着いたのは18時半頃。赤福を買おうとしたら売り切れでした。店員さんに「大学駅伝の日だけ売り切れるのですか?」と質問したら、「そういうわけでもないのですが」という答え。大学駅伝関係者が買い占めるというわけではなさそうです。


◆2011年11月13日(日)
 今日は中部・北陸実業団対抗駅伝の取材でした。ご存じの方も多いと思いますが、今回で下呂市(岐阜県)開催は最後で、来年からは田原市(愛知県)開催となります。下呂での取材は2001年を皮切りに9回していました。昨年で途切れてしまいましたが、今回で10回目。たくさん取材をした思い出深い土地です。
 最後の下呂ということを十二分に意識しながら取材をした1日でした。

 昨晩泊まったのは美濃太田。電車の本数が少ないので、スタート地点の金山に着いたのは7:15と早かったです。メディアでは一番乗りかと思ったら、TBSの池田ディレクターと竹内ディレクターがすでに来ていました。トヨタ自動車の佐藤敏信監督たちに精力的な取材していて、負けていられないと刺激を受けました。
 スタートの9時までに時間がありましたし、監督たちもニューイヤー駅伝ほどのぴりぴり感はないので、話を聞くことができました。ニューイヤー駅伝優勝チームのトヨタ自動車・佐藤監督には、まずは欠場した尾田賢典選手と高林祐介選手の状態をうかがいました。それに加えてMMIプロジェクトについても。
 これはミッション・インポッシブル……とも関係あるのかもしれませんが、宮脇千博・松本賢太選手・伊藤祐哉3選手の頭文字をとったプロジェクトです。今年高卒2年目の3人ですが、入社したときからこの3人を、チームとしてきちんと育てようということで、このプロジェクトを立ち上げたそうです。詳しいことはいずれ記事にする機会もあるかと思います。
 NTN逵中監督には、やはり欠場した北岡幸浩選手の状況をお聞きしました。3000mSCや1500mの選手が多いのもNTNの特徴ですので、その辺の話も少し。10月に引退した1500m日本記録保持者の小林史和選手は、さすがに出場しません。
 NTNの亀鷹律良総監督には、新しい寮のことを聞かせてもらいました。寮というのは佐久長聖高に限らず、戦略的な位置づけで建てられるものですが、亀鷹総監督がやるとこうなるのか、というものになりそうです。これも詳細はいずれまた、ということで。

 NTNといえば元監督の愛敬重之さんと、スタート直前にお話をしました。中部実業団対抗駅伝の下呂開催は、愛敬さんの入社1年(1986年)からだそうです。その愛敬さんも今は市議会議員です(公式サイト)。
 愛敬さんといえば長男の彰太郎君が先日の日本ユース400 mで優勝しました。愛知教大に在学中のお姉さん2人も短距離が専門です(こちらに愛敬家の記事)。愛敬さんは言わずと知れた3000mSCのエキスパート(ジュニア日本記録とNTN記録保持者。アジア大会金メダリスト)。愛敬さんの父親の実さんも3000mSCが専門で、箱根駅伝では区間賞も取った選手。愛敬さんの奥さんは800 m選手でした。
 どうして愛敬家から短距離選手が育ったのか。その疑問をぶつけたところ、愛敬さんの母親が走幅跳選手だったことを教えてくれました。それもインターハイ2位、4×100 mRで3位だったそうです。なるほど、と納得できました。
 現役時代は大の車好きで知られた愛敬さん(長女は名前は世菜さん)。今日は、大会会長車の運転手をされるのだと、勇んでスタート地点に向かいました。

 もう1人、声を掛けてくれたのが柳河精機の渡邊紀仁監督でした。30歳か31歳と若いのですが、今春から監督に就任しました。
 渡邊監督は以前、セガサミーのランニングコーチをされていて、07年世界陸上マラソン代表の橋本康子選手を取材した際に接点がありました。当時、セガサミーの監督は、現在ノーリツの森岡芳彦監督でした。森岡監督もNTN出身ですし、渡邊監督も選手時代はNTNで過ごし、ニューイヤー駅伝に3度出場されています。
 柳河精機は今回は選手が揃わずに出場することができなかったと言います。週に2日か3日はフルタイムで働く環境ですし、合宿も通常の実業団チームのように頻繁に行くことができないそうです。そういう環境でも前向きな選手が多いのだと話してくれました。来春には日本インカレ3000mSC2位の天野正治選手(奈良産大)が入社するそうです。
 渡邊監督も選手時代は3000mSCに取り組んでいました。NTNのように歴史のあるチームは、その伝統が色々なところに引き継がれています。柳河精機の今後に注目したいと思います。

 9:00にスタート(写真)。
 レースは報道車で移動して取材しました。トップ集団についていくというよりも、中継点やいくつかのポイントに先回りをして車を降り、やってくる選手の走りを見るという形です。選手を抜いて行くときにも走りを見たり、順位をチェックすることができます。
 1区はほとんど見られず中継だけでしたが、トヨタ紡織の山本芳弘選手、トヨタ自動車の伊藤祐哉選手が数秒差で中継しました。
 2区はインターナショナル区間。この駅伝は紅葉の美しい山々が下呂川の渓谷に迫る純日本的な風景の中を走ります。

クリックで拡大表示

クリックで拡大表示
そこをアフリカ選手たちが疾走し、伴走車から「ワンツー、ワンツー」「スピードアップ! ○○○○(選手名)」と英語の掛け声がかかる、なんとも言えない味を出している大会です。これを見ずして日本の駅伝は語れないと思いますね。
 などと書くと、九州一周駅伝(今年からグランツール九州)の関係者から反論が出るかもしれません。龍神村開催の関西実業団駅伝からも出るかもしれません。世羅町開催の中国実業団駅伝からも(この3つは取材したことがありません)。箱根駅伝一極化へのささやかな抵抗ですから、各地の駅伝関係者の方は気にしないでください。
 2区ではトヨタ自動車がツォー選手でトップに立ちました。
 3区ではNTNの梅枝裕吉選手が区間賞の快走。NTN伝統の3000mSC専門の選手ですが、駅伝の長距離区間を走れるような取り組みもしてきました。この秋は1万mなどで自己新をマークしていたと思います。

 第3中継点(3区→4区)に行くと、トヨタ自動車の辻大和マネが4区の松本選手のサポートをしていました。8月の士別合宿(尾田賢典選手の取材)以来、行くところ行くところで同マネに会っている気がします。「どこにでもいるんじゃない?」と挨拶をしました。辻マネからすると、「どこにでも来るのはあなたでしょう」という思いかもしれません。ストーカーではないと、ここにはっきりと書いておきたいと思います。
 トヨタ自動車は松本選手でトップに立ちました。
 第4中継点(4区→5区)ではベテランの菅谷宗弘選手が、5区の新人の大石港与選手(中大卒)をサポートをしていました。菅谷選手と大石選手は同じ高校の先輩後輩かな、と思って調べたら違いました。でも静岡県東部地区の出身同士です。
 菅谷選手は高卒の叩き上げ選手ですが、毎年入社してくる箱根駅伝経験選手に負けない気持ちで33歳の今日まで頑張ってきました。やはりベテランの小川博之選手(八千代工業)が3区を走っていたので、どちらが年上か質問したら同学年でした。最近、このパターンが多いですね。嶋原清子選手と油谷繁選手とか。
 菅谷選手に話を戻します。今季は状態が上がっていませんが、昨年も中部ではBチームでした。しかしニューイヤー駅伝ではメンバー入りして5区で区間5位。2チームに抜かれて3位に落ちましたが、踏ん張ってトップと3秒差でタスキをつないだことが、7区での逆転劇につながりました。
「調子は上がってきています。ニューイヤーは走りますよ」と力強く語ってくれました。「文字にしておけば、言い訳ができなくなるだろうから」と菅谷選手本人にも断って、ここに書いておくことになりました。

 同じ第4中継所でのことですが、ずっと気になっていた人物が1人いました。若い競技役員ですが、どこかで見た顔だと思っていたら、中川拓郎先生でした。順大時代に箱根駅伝2区のごぼう抜き記録を作り、その後スズキで実業団選手として走っていた頃によく取材をさせてもらいました。中部実業団対抗駅伝でも、何度も取材をしましたっけ。エースとして期待されましたが、それに応えられずに苦しんでいました。
 スズキをやめた後は岐阜で先生になったと聞いていましたが、現役時代とは印象が違うので気づきませんでした。「あっ」と思い当たったときは、報道車が出発する間際でしたし、後続の選手が次々に中継しているところで、挨拶することができませんでした。
 中川先生は下呂市の出身で、生粋のジモピー(地元ピープルのことを確か、こういいますよね)。話を聞いたら面白いネタがあったはず。今日の取材で、大失敗の1つでした。

 フィニッシュ後はまず、優勝したトヨタ自動車の佐藤監督に話をお聞きしました。尾田&高林の2枚看板を欠いての快勝です。選手層が厚くなっていることがレース結果からもわかりましたが、佐藤監督のお話を聞いて、その思いをいっそう強くしました。
 ということはニューイヤー駅伝では独走もあるかと思って突っ込ませていただくと、「それはない」と言います。「東日本の結果を見たら日清食品グループもいいし、コニカミノルタもいい。富士通も本番には合わせてくるでしょう。九州も旭化成が強いと思いますよ」と分析してくれました。
「ただ、現時点でウチも良い状態だということです」。ベストメンバーを組めなかったレースの後にこう言えるところに、トヨタ自動車の強さを感じました。

 続いて北岡幸浩選手(NTN)に話を聞き、その後に小川博之選手(八千代工業)の話を聞きました。
 八千代工業は6位で予選を突破。小川選手は1月1日に選手として走り、1月2&3日は箱根駅伝で国士大コーチとして全力を注ぎます。これは相当にハードなスケジュールになります。練習時間がとれない悩みもあるようです。
 しかし、福島県人に弱音はありません(同じ福島の佐藤敦之選手とも同学年)。「やるしかありません。上手くやれば学生と同じ調整で行けると思います」と前向きです。「ニューイヤー駅伝は10位台を目指しています。個人としては流れをつくれる走りをしたいですね。3区か4区で区間ヒト桁台順位の走りをするのが目標です。箱根駅伝はシード権をしっかりとること」と、怒濤の正月に向けて抱負を語ってくれました。
 そして小川選手に取材中に声を掛けてくれたのが円盤投の藤原潤選手(八千代工業)。藤原選手に会うことも、下呂での欠かせない行事になっています。

 続いて重川材木店の重川隆廣総監督、トヨタ紡織の榎木和貴新監督に話を聞きました。榎木監督に取材をするのは、同監督が中大時代に箱根駅伝で優勝したとき以来でしょうか。4区で区間賞を取りました。当時の大志田秀次監督、2区の松田和宏選手たちに話を聞いて記事を書いた記憶があります。どんな話をしたかは、さすがに覚えていませんが。
 続いて閉会式会場に姿を見せていた尾田賢典選手にも話を聞くことができました。閉会式後は松本賢太選手、大石港与選手とトヨタ自動車勢の取材が続きました。
 今日一番のネタは7区の宮脇千博選手の区間新です。詳しくはこちらの記事をお読みいただきたいのですが、下呂開催の今大会を見事に締めくくってくれた走りだったと思います。
 今日一番の失敗は、前区間記録保持者の浜野健選手と宮脇選手のツーショット写真を撮り損ねたこと。気づくのが遅かったです。記事に書いたように、今日はある意味歴史的な一日でしたが、“そのとき”を取材するチャンスは二度とない、ということを再認識しました。

 帰りは飛騨金山駅を14:40発の特急に乗るつもりで指定席券も購入してあったのですが、わずかの差で乗ることができませんでした。金山駅に停車する特急はもうありません。取材の失敗に比べたら大したことではありませんが。
 毎日新聞の黒尾記者と安田記者が、下呂駅に戻れば1本遅れの特急に乗れることを教えてくれて、下呂駅に戻り、特急の自由席に座ることができました。この大会の帰路で特急に座れるのは、本当に珍しいことです。車内で電話取材も1本、することができました。
 名古屋駅で新幹線に乗り換える前に、野口みずき選手(シスメックス)の実業団女子駅伝西日本大会時の記事を書きました。半分ですけど。
 野口選手といえば宇治山田商高出身。先週の全日本大学駅伝取材時に宇治山田駅で、赤福を買おうと思ったのですが売り切れでした。今日、名古屋駅の売店には赤福がありましたが、伊勢で食べてこその赤福です。今日はみそかつ弁当を買って新幹線車内で食べました。


◆2011年11月18日(金)
 横浜国際女子マラソンの前々日会見があり、取材に行ってきました。
 会見会場はホテルニューグランド。最寄り駅は地下鉄みなとみらい線の元町・中華街です。この大会の取材でしか来ない駅ですが、すでに3回目。毎回、会見とレース当日に来ているので今日で5回目です。かなり慣れてきましたが、今日は反対の出口から出てしまいました。といっても、開始時間の25分前には「ペリー来航の間」に到着。ペリー来航で何かネタがないかと思って探したのですが、ありませんでした。
 会見場では先日インタビューをさせてもらった増田明美さんに挨拶。中学時代はテニス部だったと取材の際に話してくれていました。「『エースをねらえ!』を読んでいました?」と聞くと、やはり読んでいらっしゃいました。名作ですからね。

 会見はまず、外国人2選手が行われました。マーラ・ヤマウチ選手とコスゲイ選手。ヤマウチ選手は3月から拠点をロンドン郊外に移しましたが、日本語は相変わらず上手でした。日本語が上手という枠を超えていますね。質問の意図をしっかりと汲んで、答えに肉付けをするのです。これは語学云々という部分ではなく、人間性の問題かもしれません。
 続いてフォトセッション。入場してきた尾崎好美選手の髪型が変わっていて、取材陣にちょっとしたざわめきが起こりました。
 そして日本選手の会見。スポーツナビに会見の全コメントが載ると思ったのですが…。どの選手もきっちりと答えてくれたので、今日の記事には反映できなくても、記者たちは明後日のレースで結果を出したときに突っ込むとっかかりになるネタを入手できたと思われます。
 寺田も1つ質問させていただきました。堀江知佳選手と吉田香織選手にマラソン回数と、ベテランらしさをどう発揮できそうか、と。この記事を書くためでした。ベテランと新鋭の対比が鮮やかになる2人だと思っていましたし、東日本実業団駅伝でネタが仕込めていました。今日は他に大きなニュースが出て来なければ、堀江選手と永尾薫選手のユニバーサルエンターテインメント・コンビで行くと決めていました。

 会見後は少しですが第一生命・山下佐知子監督、ダイハツ・林清司監督の話を聞くことができました。林監督のカコミが解けて周囲を見渡すと、藤田真弓選手(十八銀行)が西日本新聞の向吉三郎記者とW千里女史の取材を受けていました。寺田も合流して、少し話を聞かせてもらいました。マラソン回数も今回が5回目と確認。これで、招待選手のマラソン回数は全員把握できたでしょう。
 カコミが解けた後には九州一周駅伝(グランツール九州)取材から戻った向吉記者に、同駅伝の取材について色々と質問しました。九州一周駅伝は寺田が“まだ見ぬ大会”の1つ。走り終わった選手が、その日のフィニッシュ地点に集まらないのではないか。だったら、どうやって取材しているのか。区間賞や区間新など、データを入手できてから取材できるのか。そういったことを質問しました。
 取材全体の雰囲気として、他の大会とはかなり違うということも教えてもらいました。記者はほとんど西日本新聞だけだそうです。各県の担当記者がいるのでしょう。各県のスタッフや大会関係者と「旅一座」のような雰囲気で九州を一周するのだそうです。

 会見終了後は、堀江選手と永尾選手の記事を書きました。最初は冒頭部分だけですませる予定でしたが、書き始めたら止まらなくなって、まあまあの大作記事になってしまいました。
 エディオンの金哲彦GMには、久保瑠里子選手の冬期の強化プランを聞くことができました。
 ホテルのロビーでは朝日新聞事業部の大串さんと、アディダスの山本さんが何ごとか話し合っていました。よく一緒にいるところを見かけるイケメンコンビです。山本さんには、「ゲブルセラシエが世界記録を破られちゃいましたね」と話を向けました。ゲブルセラシエはアディダスの契約選手です。山本さんの反応は「それがですね」と、がっかり系統の反応ではありません。
 聞けば、新世界記録保持者となったP・マカウ選手(ケニア)も、先日のフランクフルトで歴代2位を出したW・キプサング選手もアディダスの契約選手なのだそうです。つまり、2時間3分台の世界歴代1〜3位選手は全員がアディダス。さらには、記録非公認のボストンで世界最速タイムで走ったJ・ムタイ選手もアディダスだそうです。世界の男子マラソンはアディダス一色と……とまでは言いませんが、相当な状況になっています。

 大串さんからは堂場瞬一新著の「ヒート」をいただきました。
 新設される東海道マラソンで日本選手が世界記録を目指すというのがストーリーの軸となっていますが、主人公はマラソン新設のために奔走する神奈川県教育課スポーツ局の公務員(箱根駅伝出場経験あり)のようです。
 帰りの電車で66ページまで読みました。帰宅して100ページまで。
 世界記録を目指す日本選手は、すでに何回も日本記録を更新していて、すでに2時間5分台に入っているという設定です。実業団チームに所属しているのですが、オリンピックにはまったく興味がなくて、記録を出すことが唯一の目的という高岡寿成コーチもビックリの選手です。
 もう1人、ペースメーカー役に白羽の矢を立てられている選手が出てきます。この選手はハーフマラソンの元日本記録保持者という設定。30kmまでを2分55秒ペースで引っ張ってほしい、というかなりレベルの高い要求をされます。しかも報酬は1000万円。という神奈川県からの申し出に、「自分は現役だから他人のために走らない」というプライドで拒絶します。
 2分55秒で30kmまで引っ張れる日本選手という設定がかなり現実離れしていますが、そのくらいのキャラを設定しないと面白く読まれないのでしょう。
 ただ、かなりのディテールにこだわっているのは確かです。まだ100ページですけど、コース設定や選手招へいなど、マラソン運営の裏方の活動がかなりリアルに描かれています。大串さんや、毎日新聞西武事業部の千々石さんの名前が、協力者の欄にありましたから、相当に取材をしたのでしょう。


◆2011年11月19日(土)
 晴耕雨読。雨が降り続いた今日は、大串さんからいただいた「ヒート」(堂場瞬一著・実業之日本社)を200ページまで読み進みました。

 新設の東海道マラソン第1回大会開催は2月の予定で、その1年3カ月前の福岡国際マラソンに、2人の主要人物が出場しました。日本記録保持者の山城と、ペースメーカー候補の甲本。2人ともまだ東海道マラソン出場を承諾していません。その福岡で山城は自身の日本記録を更新して2位(優勝は外国人選手)。甲本は2時間12分台でした。甲本は自身のマラソン選手としての可能性に自信が持てなくなっていきます。
 2時間12分台なら希望を持ってもいいだろう、と感じるのですが、世間から見たら2時間12分台は凡記録なのでしょう。日本記録と6分も差があれば、そう受け取るのが普通かもしれません。
 甲本は所属した実業団チームが2つ続けて潰れ、現在は弁当工場で早朝から働きながら1人で練習していますが、場所は母校の大学の施設を借りているという設定です。で、その大学の監督(大学時代の恩師)と福岡国際マラソンから一緒に帰京するのですが、羽田空港で監督が倒れます。くも膜下出血でそのまま帰らぬ人となってしまう。その監督が生前、甲本に変なプライドを捨て、ペースメーカーを引き受けるように勧めていました。1000万円の報酬もあることですし。
 その監督の死を機に、甲本はペースメーカーを引き受ける決断をしました。亡き恩師の遺言と受け取ったのです。ペースメーカーを引き受けた甲本は、神奈川県教育課スポーツ局の音無(たぶん主人公。大会ディレクター兼選手招へい責任者)から、神奈川県知事に引き合わされます。知事も元箱根駅伝ランナーで(音無も元箱根駅伝ランナー)という設定ですが、主要人物と知事が陸上競技談義ができるというのがいいですね。“ペースメーカー重視”が、この小説のテーマ(ストーリーの軸)の1つになっています。
 明日の横浜国際女子マラソンもペースメーカーが重要になります。25kmまでを16分50〜55秒で引っ張る設定です。どうなるでしょうか。

 記録の出やすいコース設定も、この小説の重大なテーマの1つ。コースの下見などの様子が詳細に描かれています。このあたりが、横浜国際女子マラソンのコース設定に関わった関係者に取材した部分でしょう。ただし、東海道マラソンのコースは、みなとみらい地区から山下公園、根岸駅あたりまでは横浜国際女子マラソンと重なりますが、それ以外は横浜駅から北側の第一京浜を走るコースです。
 実はこの作品には前作と位置づけられる小説があります。「チーム 」(実業之日本社文庫)というタイトルで、箱根駅伝の学連選抜チームを描いた作品です。偶然ですが寺田は、その小説を読んでいました。山城はその作品でも超強豪選手として描かれていて(27分ランナーだったような?)、9区で区間新を出し、学連選抜チームの2位に大きく貢献していました。「チーム」からの継続性の象徴として、箱根駅伝の1・2区のコースを東海道マラソンに含ませたのかもしれません。

 山城が所属するタキタ(総合食品メーカー)の須田監督という指導者が登場します。この人も元日本記録保持者という設定ですが、山城はまったくこの監督のコントロールを受け付けていません。はっきりとは書いてないのですが、練習メニューも自分で考えているようです。現実の実業団チームでは考えにくいことですが、絶対にないともいえません。
 甲本は母校に新監督が着任して居づらくなり、音無の仲介でタキタの練習設備を使わせてもらうことになり、須田監督のアドバイスも受けるようになります。タキタのマネジャーが登場しますが、これが現実のマネジャーのように気のつく男でして、かなりリアリティーがありました。
 面白いと思ったのは女性記者が登場することです。東海道マラソンの新設発表記者会見があるのですが、その会見の後で音無に「山城が出場するのかしないのかで、記事のトーンがまったく違ってくる」と詰め寄ります。会見の最後で県知事が山城が出場すると口にしたのですが、実際は拒絶されています。女性記者に対し「調整中」と答える音無ですが、真意を見抜かれてたじたじの体です。
 で、実はこの女性記者が須田監督の奥さんなのです。須田監督の現役時代に選手と記者の関係から……という設定です。食品会社、元日本記録保持者の監督、奥さんがメディア関係。モデルがいそうにも感じますが……いないのかもしれません。現時点では山城からまったく相手にされていない須田監督ですが、この監督と夫人の記者がどうストーリーに関わってくるかも楽しみですね。深く関わらない予感もありますが。

 ということで、明日は横浜国際女子マラソンの取材です。気温が高くなるのが心配ですが、晴れそうです。


◆2011年11月20日(日)
 横浜国際女子マラソンの取材でした。
 レース後はまずミックスゾーン取材です。3位までは共同会見が開かれることになっているので、4位の永尾薫選手に話を聞くことが最優先課題でした。
 最初に2位の尾崎好美選手が姿を見せてくれました。テレビカメラや記者の数が多くて、よく聞き取れませんでしたが、五輪選考レースへの再挑戦のことを聞かれて「もしも、すごく体調が良くなって走れそうになったら、可能性はゼロではありません」というところは聞き取ることができました。
 次に優勝の木崎良子選手が現れました。数分間話を聞いたところで永尾選手が来たので、そこからは永尾選手の方に行きました。4位の選手まで話を聞くのは主催の朝日新聞・増田記者や、記者ときどきランナー企画で佐倉アスリート倶楽部をよく取材している東京中日スポーツ・川村記者ら、数人だったと思います。
 31kmのスパートについて質問された永尾選手は「見せ場をつくりたかった」というニュアンスのことを話していました。あとで小出道場の小出義雄監督のコメントを読むと、あのスパートはレース前から予定されていたことのようです。
 吉田香織選手の話を聞いている記者が1人いたので、そこに合流しましたが、猫ひろしさん(同じコーチの指導を受けています)の話をしていたので、いったんそこは離れて、吉田選手にはあらためて話を聞くことに。

 会見場に行くとすでに陸連の会見が始まっていました。今日は暑さのためペースメーカーが予定のタイムで行くことができませんでしたが、大阪国際女子マラソンと名古屋ウィメンズマラソンでは予定通り、ハーフを1時間11分の設定で行きます。今さら変えることはできないのは明らかです。
 ペースが違うマラソンで選考することになりますが、それも想定内のことです。今日の優勝タイムが2時間26分32秒と低かったのですが、レースの内容は高く評価しているということでした。そこを強調しておかないと、世間はタイムだけに目を奪われてしまいますから、当然だったと思います。

 続いて尾崎選手が登壇。記事は陸マガに書きますので、競技に関係するネタはそちらに回します。陸マガに書かないネタでは、選考会再挑戦の話題があります。
 ミックスゾーンでは「ゼロではない」という言い方でしたが、会見では「次のことはまったく考えていません。選考レースは世界陸上と今日と走っていますから、次となると、“また走るんかい”となってしまいます」と、否定的なニュアンスのコメントをしていました。
 寺田も1つ聞きたいことがあったので質問させていただきました。4年前の北京五輪の選考会(名古屋国際女子マラソン)も2位で、今回も2位。その間に世界陸上の銀メダルだけでなく、たくさんの経験をしています。その点をどう感じているかを知りたかったのですが、選手にとってはつらい質問だったかもしれません。レース直後でなく、しばらく時間をおいて聞いた方がいい内容でした。
 尾崎選手が次のように答えてくれたことに助けられました。
「4年前は初マラソンでオリンピックは意識しないなかで走りました。初マラソンで緊張していましたが、楽しみなこともあって2位という結果につながりました。今回はオリンピックを狙ったなかでの2位でした。4年前はただついていくだけで、自分から仕掛けることはまったくありませんでしたが、今日は粘るレースをして、最後に仕掛けられたので、4年前よりも成長したと思えました。そう思えただけでも良かったです」
 こうして文字にしてみると、最後のコメントが痛々しいですね。今後は気をつけて質問するようにします。反省しています。

 すでにテレビや新聞で報道されていることですが、尾崎選手が涙を流したのは山下佐知子監督への思いを聞かれたときです。その部分のコメントは以下の通りです。
「実業団に所属している選手は私だけではないなかで、ずっと練習を見ていただいて…(涙ぐむ)、自分もオリンピックに出たい、監督と一緒に行きたい思いが…(涙ぐむ)ありました。決められず残念ですが、オリンピックがすべてじゃないので、ここで終わりでなく続けていきたいと思っています。(中略)オリンピックにつなげられる走りはできませんでしたが、それに代わるような走りがこれからできればと思っているので、また練習を見てほしいとお願いします」
 このコメントにどんな感想を持つかは、受け取る人それぞれだと思いますが、寺田的には2つポイントがあると思いました。
 1つは尾崎選手が、山下監督がチーム全員を見る立場にいることをしっかりと認識していること。山下監督も世界陸上銀メダリストですから、報道ではどうしても“銀メダリスト師弟”という部分にスポットが当てられがちです。記事を読んだりテレビを見る側は、“二人三脚の師弟”という印象を持ちます。でも実際は、2人だけの世界でやっているのではないことを、尾崎選手が公の場で話したことは意味があります。
 もう1つはオリンピックがすべてじゃない、という価値観です。弱い選手が言ったら何だと思われますが、メダリストの言葉ですから、これも意味があると思います。色々な価値観があるべきだと思います。

 続いて優勝の木崎良子選手です。競技的なことはやはり、陸マガに書きます。それ以外というとなんでしょうか。やはり、木崎選手の基本的な姿勢は、家族との関係や、佛教大時代にできたことがわかった、という点でしょうか。コメントを2つ紹介します。
「ここまで陸上競技を続けてこられたのは、両親の理解があって、いつでも応援してくれたからです。(長距離選手だった)父も大きな大会が目標だったと思いますが、そこまでの選手になれませんでした。自分がその夢をかなえたい、という思いをずっと持っていました。両親をそういう場に連れて行ってあげたい思いが、レース中もありました」
「(佛教大の)2年の時に森川監督に出会って、自分たちは走っているのでなく、“走らせてもらっている”ことを教えていただきました。感謝の気持ちを理解できるようになり、そういう面で強くなって行けたと思います」

 そしてダイハツに入社して、競技的な部分もさらに洗練されてきたわけです。会見後にダイハツの林清司監督にその辺の話を聞かせてもらいました。

 会見の最後はマーラ・ヤマウチ選手でした。この選手はもう、なんというか、素晴らしい人ですね。陸マガの記事をこれから書くので(日本人3選手はすでに書きました)、ダブらない部分をまた紹介できたらと思っています。
 その他にもいくつか、細かいネタを取材しました。


◆2011年11月23日(水)
 国際千葉駅伝の取材でした。
 一昨日、昨日と横浜国際女子マラソンの原稿を頑張って書いたのですが、2本ほど残してしまいました。文字数はそれほど多くない記事でしたから、午前中に出かける前に1本を書き上げ、残り1本を移動の電車内で書きました。最寄り駅の京王永山から都営新宿線に直通の電車に乗れば、1本で馬喰町とか本八幡まで行けるので、座って50分くらいの作業ができます。さすがに終わらなかったのですが、総武線車内の30分も使って、一通り書き上げることができました。
 稲毛駅から国際千葉駅伝の頭を切り換えました。昨日のうちに選手の特徴は頭に入れましたし、取材のシミュレーションはしているので、このタイミングでの切り換えでもなんとかなります。原稿の量も多くありませんし。

 今月は特に、取材と原稿書きが立て込みますので、モードの切り換えが重要になります。3日の東日本実業団駅伝取材に始まり、増田明美さんのインタビュー、全日本大学駅伝前日&レース取材、駅伝の会議、帝京大取材まで7日連チャンでした。早大取材、中部・北陸実業団対抗駅伝取材、駅伝会議が3日連続。駅伝会議、横浜国際女子マラソン会見&レース取材、そして今日の国際千葉駅伝取材と断続的に続いて、明後日は酒井勝充監督と佐藤敏信監督の対談取材、その翌日は八王子ロングディスタンス、そして月末に西脇工高取材です。
 かなり大変ですが乗り切るコツの1つは、直前ではなくしばらく前から、取材の予習をしておくこと。予習というよりもイメージすることでしょうか。直前に慌てないですみます。酒井&佐藤両監督対談をどんな方向でお願いするか、このところずっと考えていますし、西脇工高取材もそう。西脇工高はデータ的な下調べも行っています。
 もう1つは原稿をためないことです。東日本実業団駅伝の原稿は全日本大学駅伝前日に終わらせました。実業団駅伝公式ガイドの原稿は合間を縫って書く感じでしたが、帝京大の原稿は早大に行く前に仕上げました。早大取材日が下呂(中部・北陸実業団対抗駅伝)に行く日だったので、さすがに早大は後回しにしてその日曜日と月曜日は中部実業団対抗駅伝に集中しました。それでも、早大原稿は横浜国際女子マラソン記者会見の前々日には終わらせました。それなりに大作でしたが頑張りました。
 そして横浜国際女子マラソンもトータルではそれなりの量ですが、なんとか今日の国際千葉駅伝取材前に書き終えました。ここまではなんとか、ためずに来られています。

 ということで国際千葉駅伝の取材も頑張りました。が、例年と違ってスタート前取材ができなかったので、ちょっと不満が残ります。自分に対しての不満です。
 レース中はテレビを見ているだけとお思いでしょうが、違います。走り終わった選手が競技場に帰ってきて、ミックスゾーン取材ができるのです。5km区間のときはテレビの前を離れられませんが、10km区間の時はミックスゾーン取材をしました。1区の上野裕一郎選手(エスビー食品)、2区の西原加純選手(ヤマダ電機)、4区の小林祐梨子選手の話を聞くことができました。
 上野選手は序盤で突っ込み過ぎて中盤で後れてしまいましたが、終盤で追い込みを見せて学生選抜の大迫傑選手(早大)を逆転。5000m12分台の記録を持つケニア選手にも4秒と迫りました。中盤で後れながら盛り返せたというのは、これまでなかったような気がします。そこを本人に確認しなかったのが今日の取材では失敗でした。
 それでも、「(ラストスパートが)60秒なら持つと思って行きました。あと5秒間違えていたら大迫を抜けなかったと思います。ケニアも4秒差まで追い込めたのでよかった。20秒差だったら洒落になりません。刺激を受けながら自分を活性化させたい」という話を聞けたのでよかったです。
 あとは去年よりも1区の記録が悪かったのですが、今年のコンディションが、去年よりも暑かったことと、去年の方が追い風が強かったことを取材できたのもよかったと思います。

 レース終了後は優勝したケニア・チームの会見が閉会式前に行われました。このあたりの主催者の段取りは良かったと思います(時間を無駄にしていなかった、という意味です)。優勝の立役者となった5区のモクア選手が会見に間に合いませんでしたが、閉会式前にカコミ取材ができました。この辺も事前に通知されていたので助かりました。
 閉会式終了後に日本チームの記者会見。女子は3選手全員が区間賞でしたが、男子は1区の上野選手以外の2人はケニアの17歳2選手に圧倒されました。ちょっとつらい会見だったかもしれませんが、これは仕方ありません。5区の鎧坂哲哉選手(明大)は区間新で全日本大学駅伝よりも良かったのは確かです。
 ケニアと日本の力関係を考えたら、これが現状です。誰が走っても、逆転されていたでしょう。ただ、最終的に19秒差まで詰めたので、勝負はどうなったかわかりませんが。

 会見中に永里初監督(陸連長距離部長)が、来年1〜2月にケニア合宿の予定があることを明かしました。会見後に記者たちが一斉に廊下に出ていくので何かと思ったのですが、そのケニア合宿のことを詳しく聞くためでした。寺田は続いて行われる学生選抜チームの会見に気持ちが行ってしまって、永里監督への取材に出遅れました。この辺の情報を選り分ける能力は、新聞記者に比べて劣るところです。
 永里監督のカコミ取材が終わるまで、学生選抜チーム会見の開始を待ってくれていたのは、主催者側のありがたい配慮でした。学生選抜チームでは、アンカーの野村沙世選手(名城大)がしっかりと考えている選手だな、という印象を受けました。来年、実業団に進むにあたっての抱負を聞かれて、次のように答えていました。
「新谷さんが服を脱いで中継ラインに立ったとき、脚が全然違うことに気づきました。その後で映像も見ましたが、走りの伸びやかさが違いました。(実業団で)自分の走りを変えていくしかないと思っています」

 学生選抜チームの会見も終了し、すぐに原稿書きに移りました。雑誌の原稿はその場で書き終えたかったのです。が、しばらく書いていて、そういえばこの大会では、選手が引き揚げるところで少し取材ができたことを思い出しました。それで競技場のロビーに行くと、同じことを考えたのか、スポーツ報知の遠藤記者がいました(最近、嵐の櫻井翔がちょっと老けてきて、遠藤記者に似てきたと話題になっていました)。
 寺田もある学生選手に10分くらい単独で話を聞くことができました。かなり気になっていた選手ですが、これまで話を聞く機会がありませんでした。これは大収穫でしたね。
 その後はひたすら原稿書き。閉会式終了後3時間でプレスルームは閉められますが、行数もそれほど多くなかったので、ぎりぎりで書き上げることができました。


◆2011年11月24日(木)
 取材はなかったのですが、なかなか忙しい一日でした。
 午前中にまず、明日の酒井勝充監督(コニカミノルタ)&佐藤敏信監督(トヨタ自動車)対談のおおまかなテーマを考えました。実業団駅伝公式ガイドの記事ですから、毎日新聞・井沢記者にコンテを送って了解を取りました。
 午前中に電話取材を1本。いつものようにこちらが取材をするのでなく、取材を受ける側でした。箱根駅伝と柏原竜二選手について、1時間くらい質問に答えました。

 油断していたのが横浜国際女子マラソン原稿の締め切りが今日のお昼だったこと。昨日の国際千葉駅伝取材前に一通り書き終えてあったのですが、慌てて推敲をしてまずは半分(4本)を送信しました。すでに何回か推敲してあった部分なので、直しの箇所はほとんどありませんでした。問題は、書きっぱなしだった後半の4本です。
 マーラ・ヤマウチ選手の記事は書き出しが気に入らず、かなり変更しました。ペースメーカーの記事と、もう1本は修正個所はほとんどなし。
 しかし、国際千葉駅伝に行く途中で書いた吉富博子選手(ファーストドリームAC佐賀)の記事は大幅に書き換えました。吉富選手は序盤に先頭集団にいて、あれ? っと思わせた選手です。現在の立場は市民ランナーなのですが、実はそれだけでもないですよ、ということを紹介するのがこの記事の狙いです。どのネタを先に出して、どのネタを後に出すと効果的か。かなり試行錯誤をしました。
 ちょっと遅くなってしまいましたが、なんとか書き直して送信。

 昨日の日記はほとんど、国際千葉駅伝の帰りに寄った馬喰町のファミレスで書いてあったのですが、かなりの部分を書き足してアップしました。

 遅い昼食を食べた後に近くのカフェに。今日はドトールです。
 全日本実業団対抗女子駅伝の展望記事を、今日が締め切りではないのですが、書き上げることを自身のノルマとしていました。しかし、構想をまったく立てていなかったので、なかなか書き始められません。中日本予選、西日本予選、東日本予選の取材ノートを読み直しました。昨年までと違って、本文の他に表をつけるので、ネタをどう振り分けるかも悩みました。
 夕食をはさんで夜の12時までかかりました。これも推敲するのが怖いですけど。

 明日の取材の準備の前に見積書を1つ作成。本当は請求書も本日発送したかったのですが、時間がありません。最後に明日の取材の最終準備。以前の記事に3つほど目を通し直しました。これで、ネタに困ることはないでしょう。まあ、明日は両監督が話しやすいようにするのが仕事です。こちらが下手に、話の間口を狭くしたら本末転倒です。ネタは仕入れても、そこにこだわらないようにしないといけません。


◆2011年11月25日(金)
 コニカミノルタの酒井勝充監督と、トヨタ自動車の佐藤敏信監督の対談取材でした(記事は実業団駅伝公式ガイドに掲載されます)。10:24に高尾駅に集合して、毎日新聞・井沢記者と一緒にコニカミノルタに。お邪魔したのはたぶん5〜6回目だと思います。
 念のために両監督の関係を紹介しておくと、佐藤監督は2007年度まで、酒井監督のもとでコニカミノルタのヘッドコーチでした。酒井監督は全体のマネージメントを行い、佐藤コーチは練習現場を完全に任されている、という分担で(かなりざっくりですが。詳しくは陸上競技マガジン2006年11月号の記事をご覧ください)、コニカミノルタは2001年以降のニューイヤー駅伝で6回の優勝を成し遂げました。さらに言うと、2人は秋田県の増田高の先輩と後輩です。学年は3つ違い。

 前回のニューイヤー駅伝でトヨタ自動車が、佐藤監督が指揮をとるようになって3年目で早くも優勝しました。同じ高校の先輩と後輩がニューイヤー駅伝の優勝監督になった例が、過去にあったでしょうか? その2人の対談ということで、話し合ってもらうテーマを何にしようかとずっと考えていました。何年も取材をしてきましたし、突っ込みどころはいくつもありました。過去の記事を読み直すと色々と思い浮かんできます。
 しかしここは、自分の興味よりも読者の興味を考えないといけないところ。佐藤監督がコニカミノルタでやっていた何を導入して、トヨタ自動車で成功したのか。1年前に記事になった要素ですが、読者が駅伝ファンということを考えても、1年前の記事の内容を覚えているとは思えません。やはりここは、前回の駅伝優勝から振り返ってもらう必要があると判断しました。テーマ自体はわかりやすいものにしておいて、話の内容に合わせて、こちらの持っている知識をもとに質問をはさませていただく、という方法をとりました。
 実際はこちらの知識云々はあまり関係なかったような気がします。2人が興味深い話を次々にしてくださったので、それをそのまま文字にすればいいという感じです。井沢記者も一緒に質問をしてくれたので、負担が少なくてすみました。

 対談内容をここで書くことはできませんが、佐藤監督が何を変えたのかは記事に書き込みます。今回のテーマの基本的な部分ですから。しかし、全てをコニカミノルタ流に変えたわけではない、ということを、ここに書いておきたいと思います。これは練習法に関してですけど、考えてみたらスタッフも、安永コーチや辻大和マネらはそれまでのトヨタ自動車のスタッフのままでした。
 変えたところと変えなかったところ、そのバランスの取り方の上手さも、佐藤監督の手腕の1つだったといえると思います。

 取材後は高尾駅で昼食をとり、その後は駅前原稿です。昨日の日記を書いた後は、対談のテープ起こし(正確にはメモリー起こし)を進めましたが、30分ちょっと分しか進みませんでした。これは今日に限ったことではなく、時間がかかるんですものなんです。
 帰宅後も頑張って1時間くらいまで進めました。


◆2011年11月26日(土)
 八王子ロングディスタンスの取材でした。例年開催している上柚木競技場が使えないため、今年は初めて法大での開催です。男子1万mが5組行われますが、2組目が終了するタイミングで現地に着きました。原稿もできるだけ進めないといけないので。
 しかし、途中からの取材となったことをしっかりと、TBS池田ディレクター(ザ・たっちに似ているという噂です)に見つかってしまいました。「さっきまで金丸(祐三・大塚製薬)選手もいたんですよ」と同ディレクター。すでに2年後の世界陸上のことを考えて取材しているのでしょう。
 寺田もその点は予想していました。早く行けば一般種目の選手にも接触できるのではないかと。しかし今日だけは、欲張っていられない状況でした。
 そもそも、今日来ていたメディアは、10人以上の取材体制のTBS以外では、寺田とスポーツ報知の遠藤記者(嵐の櫻井翔が最近おじさんになって、遠藤記者に似てきたという噂です)の2人だけでした。
 それにしても池田ディレクターには、一番乗りのつもりで行った中部・北陸実業団対抗駅伝でも先を越されました。一度どこかで、きっちりと勝っておかないといけないでしょう。

 会場に着いてまず、昨日取材をさせていただいたコニカミノルタ・酒井勝充監督に挨拶。続いてトヨタ自動車・佐藤敏信監督を探したのですが、目に入ったのは同社の辻大和マネでした。やっぱりどこにでもいます(11月13日の日記参照)。そう言って挨拶をすると辻マネは、「僕は選手のいるところにいるだけですよ」と苦しい言い訳をします。九州男児なのにみっともない…とか書いたら、“ペンの横暴”なので控えましょう。悪いのはどこにでも行く寺田の方です。
 佐藤監督の居場所を教えてもらって挨拶に行きました。SUBARUの奥谷亘監督は西脇工高OB軍団の1人。来週、同高に初めて行くことを話しました。3組目にエントリーしていた小川博之選手(八千代工業)の姿も見つけましたが、走る雰囲気ではありません。「今日は伊藤(正樹・国士大)が頑張りますから」。国士大コーチの顔でしたね、今日は。

 3組はトヨタ自動車の伊藤祐哉選手が28分52秒22でトップ。宮脇千博選手、松本賢太選手と同期で、MMIプロジェクト対象選手の1人です。中部実業団対抗駅伝1区の好走に続き、今日はトラックで自己新。走りの内容に佐藤監督も手応えを感じているようでした。
 富士通の阿久津尚二選手は9位で29分17秒53。自己新でもありませんが、福嶋正監督の話ではこれで十分というニュアンスです。完全にロードタイプの選手で、向かい風や上り坂など悪条件になるほど力を発揮するそうです。前回のニューイヤー駅伝では6区区間賞。ここに力のある選手を置けるチームは強いと、昨日の対談でも話題になっていました。
 その富士通ですが、福岡国際マラソンの欠場が発表された藤田敦史選手は、ニューイヤー駅伝には出場するとのこと。マラソンもびわ湖で、ラストチャンスに懸けるようです。

 4レース目(2組)は伊藤正樹選手が28分28秒64でトップ。藤本拓選手の持つ国士大記録に1秒届かなかったそうです。
 四国電力の選手も出ていて、松浦監督の姿もあったので、渡辺和也選手のケガの状態と、ニューイヤー駅伝の出場予定区間を聞きました。
 法大の成田監督には西池和人選手のことを取材しました。この1年間は疲労骨折などケガが多かったようです。箱根駅伝予選会は無理矢理合わせようとして失敗しましたが、その反省から今はじっくりとやっているそうです。トラックシーズンを楽しみにしたいと思います。

 5組目(1組)は記事にしたように、宇賀地強選手(コニカミノルタ)が日本歴代4位&国内日本人最高を、宮脇千博選手(トヨタ自動車)が日本歴代6位&初の五輪A標準突破の快走を見せてくれました。ともにチーム日本人最高記録。コニカミノルタは松宮隆行選手の27分41秒75が、トヨタ自動車は尾田賢典選手の27分53秒55が更新されました。
 レース後は遠藤記者とも相談して宇賀地選手の話を先に聞き、次に宮脇選手という順に。結果的に宮脇選手の話の方が少し多くなりました。フィニッシュ直後は正式記録がわからない状態で取材していたのですが、あとで国内最高と知って、もう少し宇賀地選手を取材すべきだったと思いました。これは反省点です。大島コーチに謝っておくことにしますが、取材はその場が命ということを再認識しました。もっと真剣に臨まないと。
 記事を一問一答形式にしたのは時間の都合ということもありましたが、2人のキャラがよくわかるかな、と思ったからです。特にこれまで、あまりメディアに登場していなかった宮脇選手ですが、快記録にもまったく浮かれるところがありません。質問する我々はどうしても、威勢の良い言葉を引き出そうとしてしまいますが、宮脇選手は冷静でした。変に謙遜しているわけではなく、自分の考えをしっかりと持った上での受け答えだと感じられました。芯ができているというか、ブレがないな、と。そういった面でも驚きの20歳です。

 2人の取材後に運良く、国士大・伊藤選手の話も聞くことができました。勉強不足で知りませんでしたが、伊藤選手は秋田工高出身。秋田といえば、酒井監督・佐藤監督の出身県です。
 競技終了後に法大の坪田智夫コーチの姿を見つけたので、このトラックで何分で走ったことがあるかを質問しました。坪田コーチは27分ランナーです。28分台は? という問いに「ないです、ないです」。1万mのタイムトライアルなどはほとんどやったことがないようで、すぐには思い出せない様子です。成田監督にも確認しましたが、法大トラック最高記録はわかりませんでした。とにかく、今回が最高記録になるのは間違いありません。
 ちなみに5000mは、大学の対抗戦で、徳本一善選手(日清食品グループ)が13分45秒くらいで走ったことがあるそうです。

 帰りしな、停車中のトヨタの車の近くを通りかかると、33歳の菅谷宗弘選手に会いました。菅谷選手といえば前回のニューイヤー駅伝5区で終盤に盛り返した走りが、長距離関係者たちの間では勝因の1つに挙げられています。
 しかし今日は3組で29分31秒21。10月のエコパの頃に比べたら調子が上がっていますが、この成績ではニューイヤー駅伝の登録メンバー12人に入るのは厳しい、と言います。確かにトヨタ自動車の選手を指を折って数えていくと、現時点で7人には入りません。しかし、12人となるとボーダーラインのような気がしますが…。福岡国際マラソンに出る浜野健&高橋謙介2選手がどうなるかなど、メンバー選考は外部からはわかりにくいところです。菅谷選手自身、今日の走りに納得していないという部分もあったのでしょう。
 静岡県の古豪・富士宮北高からトヨタ自動車に入った同選手ですが、入社の経緯を初めて聞きました。最初は陸上部のある別の会社に入ることになっていたのですが、急きょ、その会社の事情で入社が取り消しになったそうです。トヨタ自動車の当時の横道監督が採用してくれたということですが、横道監督も静岡県の出身ですから、何かつながりがあったのでしょう。
 縁故入社はこの世界では当たり前ですが、それでも“ぎりぎりの入社”です。その後は菅谷選手が「雨後のタケノコのように」と言ったか、「次から次へと」と言ったか忘れましたが、箱根駅伝で活躍した選手が入社してきます(熊日30kmで取材した際に話してくれました)。同期にはインターハイの優勝者もいました。そのなかで駅伝メンバーを続け、前回の初優勝に貢献したのです。
 仮にメンバーから外れても、同選手のいぶし銀の輝きは色あせないでしょう。びわ湖マラソンを目指すと話してくれました。

 最後は辻マネから宮脇選手の400 m毎のタイムを教えてもらって今日の取材が終了しました。それを掲載しようと思ったのですが、宇賀地選手のタイムが国内日本人最高だったので、結局400 m毎タイムは寺田が測った日本人トップのタイムを掲載しました(宇賀地選手と宮脇選手を交互に測ったことになります)。辻マネにはどこでも会えると思うので、次に謝っておきます。
 めじろ台駅までバスで出て、駅前原稿ができるカフェを探しましたがありません。仕方ないのでバーミヤンに入りました。中華ファミレスもファミレスには違いないので、原稿を書いてもいいだろう、と。自分で言うのも何ですが、パリの深夜のカフェで原稿を書いた男です。めじろ台のバーミヤンで原稿を書くことに躊躇いはありません……本当は店員さんに注意されるのではないかとビクビクしていましたが、2本の記事を書き終えました。


◆2011年11月30日(水)
 昨日の午後、今日の朝と西脇工高の取材をしてきました。初めて“センターオブジャパン”に立ったのです(西脇は東経135度線と北緯35度線が交わる場所で、渡辺公二前監督は“センターオブジャパン”の帽子を愛用されていました)。取材中の細かい行動を書くことはできませんがが、新幹線の車内でこの日記を書いている今もまだ不思議な感覚に包まれています。

 ひと言でいえば西脇は特殊な磁場でした。日本一の駅伝&長距離名門高校の醸し出す磁力に満ちていたということです。実際の光景は小さな地方都市そのもの。しかし、そこで数多(あまた)の名選手が必死でトレーニングをし、あるいは青春生活を送ったことを思うと、それだけで身の引き締まる思いがします。そこで見る選手たちからは、1つのことに懸けているストイックさがひしひしと伝わってきました。そして、強豪高校にはそれを率いる監督がいます。足立幸永先生神戸新聞記事)は監督を引き継いでまだ3年目ですが、カリスマ指導者のオーラを出されていて圧倒されました。
 これは、今回の訪問が久しぶりの高校取材だったことも影響しているかもしれません。3年前に佐久長聖高に行きましたが、このときは高見澤勝選手(現監督)の取材でした。以前から面識のあった選手でしたし、慣れたトップ選手取材というカテゴリーです。佐久が数多の名選手が育った場所という認識はありましたし、高校生の姿からは西脇工高と同じストイックさを感じましたが、今回のような磁力は感じませんでしたから。
 こちらの精神状態に印象が左右された部分はありますが、これだけ“西脇”を感じられたのは名門高校らしさを取材できたからでしょう。

 そのなかでも特に、足立先生がかなり踏み込んだ部分まで話をしてくれたことが大きいと思います。どんな名門高校の取材でも、競技結果中心の報道取材だけだったり、練習メニュー中心の取材だけだったら、ここまで感銘を受けなかったはずです(報道取材や練習メニュー取材でも、そこから膨らませて話を聞くこともできるのですが)。
 これが強豪高校の指導の核か、という部分です。もう少し具体的に言えば、どうやって選手のやる気を起こさせているか。そこが一番重要で、場合によっては練習をしないで、そちらの指導に時間を割くといいます。それでは練習メニューの工夫は必要ないのか……という話になりますが、それは記事に書きます。話が抽象的になることが多いところで、質問する側もどう突っ込むべきか難しいケースが多いのですが、足立先生のご協力と幸運が重なって取材ができました。
 それともう1つポイントは、名門高校の指導者が代わった場合に、どう伝統を受け継ぎ、どう新しいものを注入するか、という部分です。取材を受ける側にすると、説明しにくいところかもしれませんし、意味があまりないと感じられるところかも。西脇工高の場合、すでに報道されているように新しいクロスカントリー・コースでの練習が増え、動きづくりも導入しました。先ほど書いた練習メニューの工夫が必要かどうか、という話にもなるのですが、それを記事でということで。一番新鮮だったのは、指導者が代わることの意味は、練習メニュー云々ではないということがわかったことです。これまでも漠然と理解はしていましたが、今回は文字にできそうです。
 誤解のないように書きますが、練習メニューも大事だと思います。競技レベルが高くなったり、技術的なウエイトが高い種目では。今回の取材はあくまでも、高校駅伝の名門高校の話です。

 断っておきますが、全国高校駅伝に向けての取材ではありません。選手にも話を聞いていません。しかし西脇工高の特徴と、足立先生の強烈な意思は伝えられるのではないかと思っています。
 疑問を残すことなく取材ができましたし、ネタも十二分に仕込むことができました。こちらのやる気も十分です。ただ、文字数が多くなってしまいそうなことが心配です。どう話を展開するのがいいのか、いかにまとめられるか。それも、書き手の腕です。
 頑張ります。
 掲載メディアは本サイトです(日清ファルマ様提供記事になります)。


◆2011年12月2日(金)
 早起きして空路で福岡入り。福岡国際マラソンの会見がありました。福岡入りするまでに2本、50行原稿を書かないといけませんでした。
 羽田まではバスを利用。道が混んでいて1時間半くらいかかったのですが、車内で50行原稿を1本と少し書くことができたのでよかったです。データを調べて視点を決めるところまでが大変という原稿でしたが、データは昨晩のうちに頑張って調べました。それがちょっと大変だったので寝不足です。
 出発前の待ち時間と機内でもう1本の50行原稿を書き上げました。
 福岡空港に12時少し前に到着して原稿を送信。会見は15時からなので、14時まで空港でもう1本原稿を書くことに。100行原稿を3/4書きました。これも昨日のうちにコンテを考えてありました。

 15時から会見。外国勢は今回、招待選手に強いアフリカ勢がいないこともあって、バラノフスキー選手(ウクライナ)とサフロノフ選手(ロシア)の2人。バラノフスキー選手は4回出場して2005年に優勝(2時間08分29秒)、06年に2位(2時間07分15秒)、09年に3位(2時間08分19秒)、10年に6位(2時間13分40秒)という成績を残しています。“福岡の顔”的な外国人選手です。
「私は自分のことをマラソン選手としてだけでなく、福岡国際マラソンでのベテラン選手と自覚しています。選手にはそれぞれ、好きなマラソン、得意なマラソンがあります。運営面の細やかさだったり、開催される町のこと、開催時期や気候のことだったり。私にとっては福岡がナンバーワンの大会です。ここで良い走りをするために練習を続けています。そういう気持ちがわき上がる大会です」
 ただ、昨年だけは、前述のように失敗しています。それは昨年だけ、気温が15℃と高かったことが影響しています。つまり、寒さには強いのですが、暑さには弱いタイプ。今日も会見に出席した選手中ただ1人、Tシャツで現れました(写真)。

 外国選手のあとに日本選手の会見ですが、その間にフォトセッションがありました。注目の川内優輝選手今井正人選手のアップです。
 日本選手の会見はちょっと短めでした。
 続いてカコミ取材も設定されていました。いつもどの選手のカコミに加わるか悩むのですが、今日は今井選手のテーブルに行きました。ボイスレコーダーは川内選手のテーブルに置きました。
 カコミ取材のあとは旭化成の宗猛監督のところに。佐藤智之選手の今回のマラソン練習の特徴を聞きました。1/4は宗監督がメニューを考えましたが、残りの3/4は佐藤選手自身がメニューを考えたそうです。それによって40km走など、終盤を上げられるようになったといいます。堀端宏行選手がすごいタイムで走るようになったので、それにも刺激されているとのこと。
 その後は原稿書き。途中だった100行原稿を仕上げて送信しました。

 その他では、小森コーポレーションの若倉監督からダビリ選手のことを少しお聞きしました。今回、招待に強いアフリカ選手はいませんが、一般参加にダビリ選手とムワンギ選手(NTN)がいます。ひょっとすると、この2人の中から優勝者がでるかもしれません。
 尾方剛選手と諏訪利成選手、2人の五輪選手とも会いました。取材というわけでなく、挨拶をしたくらいですが。大島健太選手と板山学選手の日清食品グループ勢や、浜野健選手と高橋謙介選手のトヨタ自動車勢も福岡入り。一般参加の選手たちですが、このなかから上位に入る選手が現れたら面白くなります。


◆2011年12月3日(土)
 昨夜は早くに寝てしまいました。寝不足の影響でしょう。早めに起きて昨日の川内優輝選手カコミ取材のテープ起こし(正確にはメモリー起こし)をしました。
 この選手の気持ちはすごい! と改めて思いました。意思の強さ、ぶれない気持ち、代表になったときの責任感の強さなど、市民ランナーの域をはるかに超えています。以前にも書いたように、市民ランナーの定義の仕方によるんですけどね。とにもかくにも、市民ランナーという言葉に“楽しんで走るランナー”とか“選手よりも弱いランナー”とか、“陸連に登録していないランナー”というニュアンスがあると思いますが、それらは完全に当てはまりません。どうしても何かつけたいのなら、“公務員ランナー”という肩書きが無難なのでは?

 昼から大会本部ホテルに。指導者の方たちに話をうかがいました。まずはNTNの逵中監督に。ムワンギ選手のベスト記録は2時間10分27秒ですが、そのタイムを出した2007年のウィーン以降は満足な走りができていないとのこと。大阪の世界陸上は途中棄権で、ボストンも途中棄権。東京は後半にトイレに行ったりして2時間27分かかったそうです。
 しかし今回は「しっかり準備ができたし、寒いよりも暑い方が得意。モチベーションもいい。余裕があれば後半で仕掛けていく」と手応えがあるようです。
 カネボウの音喜多正志監督には入船敏選手のことを聞きました。「長いあいだやった経験があります。若い頃みたいに途中でイラっとくることもないでしょう」と、ベテランの力を見せてくれることを期待していました。
 音喜多監督からはアリステア・クラッグ選手がいいのではないか」、という話がありました。アイルランド人ですがアメリカのマンモスレイクで練習している選手。テグ世界陸上では5000mで14位のスピードランナーで、ハーフマラソンは今年3月に1時間00分49秒で走っています。マラソンの持ち記録はなし。ボストン・マラソンにも出場しましたが、これは途中棄権だったそうです。

 明日の優勝候補は小森コーポレーションのダビリ選手です。一般参加で初マラソン。でも、やっぱり1万mを26分台で走る選手はモノが違うと思いますし、若倉監督の話からもマラソンにも対応できそうな気がします。他の指導者からも、ダビリ選手を推す声が出ています。
 若倉監督からは永田宏一郎選手が、明日がラストランとなることを教えていただきました。マラソンの戦績は以下の通りです。
2007上海・2時間16分22秒
2008びわ湖・2時間28分台
2010びわ湖・途中棄権

 永田選手のことを知らない方もいると思いますので簡単に紹介します。
 鹿児島の錦江湾高から鹿屋体大に進んで頭角を現し、5000mで大学3年、4年と日本インカレ2連覇。1万mでは留学生選手に勝てませんでしたが、4年時に2位になっています。当時の日本人ライバルは佐藤敦之選手です。永田選手が鹿児島(薩摩)、佐藤選手が福島(会津)ということで、対決が注目されました。そういえば、実業団ハーフで対決したときに記事を書きましたね。10年近く前です。この写真も懐かしいです。
 旭化成のユニフォームが永田選手で、その向かって左が油谷繁選手。エドモントン世界陸上5位入賞の半年後です。永田選手の右はご存じの高岡寿成選手(現カネボウ・コーチ。説明省略)、その右が佐藤敦之選手で入社1年目です。マラソンの時間7分台、6分台、7分台の選手を引っ張っているのです。

 永田選手の経歴ですが、大学4年の12月に27分53秒19(当時学生歴代3位)をマーク。卒業前の3月には、京都ハーフで学生最高(1時間01分09秒。現在も日本人学生最高)を記録しました。旭化成入社1年目の2001年にエドモントン世界陸上代表入りしました。しかし、故障に悩まされた選手で、本番は右すねの骨膜炎が悪化して欠場せざるを得ませんでした。
 その後もっとも世界に近づいたのが2004年の日本選手権でした。28分00秒12で2位。旭化成の後輩であり、同じ鹿児島の後輩である大野龍二選手(当時入社2年目)が27分59秒32(ジュニア日本新)で優勝してアテネ五輪代表に決まりました。そこで永田選手が勝っていれば代表でした。ちなみに3位が佐藤敦之選手です。
 そのときのレースを朝日新聞の小田記者(当時西部本社陸上担当)が覚えていて、「永田で決まったと思ったら、最後に大野がすごいスパートで逆転した」ということです。
 しかし、その後は故障がさらに多くなって旭化成を2005年9月に退社。鹿屋体大の大学院に進んで競技は継続し、初マラソンの上海で知り合った人物の誘いもあって藤田ランニングアカデミーの活動にも参加したりしていました。
 2009年4月に現在の小森コーポレーションに入りましたが、競技成績が上向くことはありませんでした。

 一線を退く決意をするに至った経緯を、次のように話してくれました。
「旭化成の頃からずっと、左脚が蹴れない、力が抜けるような感じがありました。右脚1本で走る感じがあって、右脚を酷使して、肉離れとかが多かったんです。大学時代をピークにしたくない、という気持ちはずっとありましたが、結果が出ないと自信も持てなくなり、“まだ行ける”という思いがなくなりつつあります。そうなると引退かなと。自分の陸上をやる意義はオリンピックでした。今の実力では届かないのはわかっていますが、最後にオリンピックに挑戦して終わりたかった。九州出身ですから、福岡で終わりたいと思ったんです」
 永田選手と話しているうちに、この選手ならば、この質問をして大丈夫かな、と思いました。若いときに代表になったり代表争いをした選手が、その後長い間、所属を転々としながらも競技を続けて来られた理由は何だったのか? 世界陸上代表入りから10年、日本選手権2位から7年です。
「何回もやめたいと思いました。でも、やめることはいつでもできます。続けていたら、この脚も治るかもしれません。何かが起こるかもしれない。しかし、やめてしまったら何も起きません。昔を追ったらキリがありませんし、もどかしさもありますが、ここまで続けて来られたのはそういう思いがあったからです」
 おそらく、最後まであがいている選手の多くが、同じ思いでしょう。現時点では聞くことはできませんが、ロンドン五輪の選考が終わったら何人かの口から、同様の話が出てくるかもしれません。
 しかし永田選手は、こういうことも話してくれました。
「高校では趣味の延長で走っていた自分が、ここまでになるとは、陸上競技で生きていくことになるとは思いませんでした。大学の頃は自分で“掘り出し物”と言っていたくらいです。自己流でやって記録が伸びて、人にできない経験ができたことは幸せでした。いつになるかわかりませんが、過去を振り返ったときに財産になるかもしれません」
 本当に、色々な競技人生があります。そういった選手の最後を飾るのも、福岡国際マラソンの役目かもしれません。うまく説明できませんが。
 明日の目標は「自己新を出したい」ということでした。


◆2011年12月4日(日)
 福岡国際マラソンの取材でした。
 結果はダビリ選手が優勝して(一応、予想通り)、2時間07分36秒のタイム。ワンジル選手の初マラソン記録が4年前の福岡で2時間06分39秒でした。ダビリ選手陣営にはそれを上回りたい意向もありましたが、1分ほど届きませんでした。
 福岡でデビュー優勝して4月のロンドン・マラソンで好記録を出してケニア代表を決め、そしてオリンピック金メダルとステップアップしていったのがワンジル選手でした。ダビリ選手も同じパターンを狙っていると会見で話していました。

 日本人選手は期待に応えることができませんでした。川内優輝選手がトップで2時間09分57秒、今井正人選手が2時間10分台、前田和浩選手が2時間11分台。5km15分00秒で25kmまでは進みましたが、そこからペースダウンしてしまいました。
 前半をもう少し抑えれば2時間9分前後は出たはずです。結果的にペース設定が速すぎたのですが、その設定で行けないようではオリンピックでは戦えない、と判断しての決定です。入船敏選手にその点がどうだったか聞きましたが、「速いとかではなく、そのくらいで行かないといけない。いつものペースでした」と否定的にはとらえていませんでした。
 実際、これまでもそのペースでレースは行われていました。2003年の福岡も、2007年の福岡も。そして、その2回とも2時間7分台が出ているのです。今日はコンディションも悪くありませんでした。選手の力がなかったと言わざるを得ません。福岡としてはかなり残念な結果です。

 ただ、川内選手については再評価しています。持っているモノがあると感じましたし、陸連関係者からも高い評価が出ていました。例年、福岡前には練習が不十分で、福岡ではそれほど良い記録を出していません。寒くなってから走り込みができて、2月の東京で好記録を出すというパターン。
 今回は1週間前に風邪気味だったこともあり、「もう少し40km走をやっておきたかった。福岡では速いペースを経験して、東京でしっかり勝負をしたい」と、弱気な発言もしていました。実際、20kmを過ぎて集団から後れました。それでも盛り返して日本人トップです。福岡にしっかりと合わせて来られた今井正人選手と前田和浩選手としたら完敗でしょう。

 競技場の取材を終えた後は、西鉄ホテルへ。福岡は閉会式とパーティーに出られるのでありがたいです。もちろん、選手への取材は控えますが、指導者や関係者に色々と話を聞けるので福岡は素晴らしいです。
 旭化成の佐藤智之選手は40位(2時間25分48秒)でしたが、ウィルス性の風邪が原因で発熱。レース後は病院で点滴を打たなければいけない状態だったそうです。数年前にはニューイヤー駅伝で、ノロウィルスが原因でブレーキをしたことがあります。運に恵まれていない選手です。
 今日は日本選手の結果が全体的に低調だったこともあり、厳しい意見も聞きました。その1つが「今の選手たちは仲良くしすぎる。あいつにだけは負けない、という気概がない」というある指導者からの指摘。これは時々聞く話ですし、現場の人間がそう言うのですから、そうなのだと思います。
 選手の肩を持つわけではありませんが、レース中はしっかりと敵愾心を持っていると感じたコメントが今日ありました。川内選手が会見で次のように話していたのです。
「明らかに前田さんと今井さんが仲良く競っていました。あんなふうに牽制しているなら追いつくかもしれないと思いました。(中略)追いついてからは、仲良く一緒に行くことはないと思いました。(最後で少し勝って)日本人1位になっても世界では戦えません」
 敵愾心というと大げさで、レース中の選手の心理状態としたら普通でしょうかね。

 今井選手の方も会見で川内選手のことを聞かれてムッとした対応をしていました。これは、ある記者が「川内選手のどこが一般的な選手と違うか」と、川内選手を引き立たせるようなコメントを引き出そうとしたからで、川内選手への敵愾心とは違うかもしれませんが。
 これも記者の立場で言うと、何を聞いてもいいわけです。メディアと選手も、必ずしも仲良しである必要はありません(ちょっと言い過ぎか?)。
 川内選手は東京マラソンへの出場を明言しています。決定打にはなりませんでしたが、五輪選考で川内選手が一歩リードしたのは確かです。東京は川内選手と“川内包囲網”という構図になりますね。
 東京に出場する選手にすれば川内選手を特別に意識するわけではない、と言いたくなるはずです。誰に勝つ、でなく、自分が一番になる。しかし間違いなく、メディアや世間は“川内包囲網”という見方をするでしょう。そういったメディアや世間の見方に対し選手が反発することも、良いことだと思います。中山竹通さん世間を見返すという気持ちで走ったと聞いていますから。


◆2011年12月5日(月)
 福岡国際マラソンの日本選手の結果が振るわなかったため、昨日は厳しい意見をいくつかお聞きしました。という話を昨日の日記に書きましたが、そのうちの1つが「13分30秒台でスピードランナーと書いちゃダメでしょう」という、同業先輩氏からのご意見です。
 1万mで瀬古さんが初めて27分45秒を切ったのが1980年で27分43秒44でした。それから30年も経っているのに、日本記録は10秒も伸びていないことと合わせてのご指摘です。その間に世界記録は1分ちょっと伸びています。少し前までなら「アフリカ選手が伸びているだけですよ」と反論もできたのですが、今年は白人のラップ選手(アメリカ)が26分台を出しましたからね。

 そういう話の流れで、5000mの13分30秒台をスピードランナーとしたらダメだというご指摘が出てきたのです。もちろん、スピードのあるなしは形容詞みたいなものですから、比較対象があってのこと。大学生の記事なら13分30秒台はスピードがあると書いていいわけですし、実業団駅伝の記事でもチームによっては、「チームの中ではスピードランナー」という書き方はできます。
 しかし日本のトップ選手たちの記事を書くときは、言われてみれば13分30秒台はスピードランナーではないかもしれません。歴代で13分30秒未満が30人くらいいますから。ただ、13分30秒台が出るとついつい、好記録と書いてしまいまいます。まあまあ良いタイムじゃないか、という感覚になってしまっていました。現場からも13分30秒台を出すのがどれだけ大変かわかっているのか、という声も聞こえてきそうですし。

 一番難しいのはマラソン選手の13分30秒台をどう判断するか。スピードランナーと書いてしまいそうですが、世界と戦うことが前提の種目ですから、それを考えると書いてはいけないかもしれません。でも、評価基準を高くすると、書くことがなくなってしまうんですよね。細かなことでも評価をして、それを文字にするのが1つのやり方です。
 しかしそれをやっていると現場が、このくらいで記事になるのだ、と甘い考えを持ってしまう。それを危惧する考え方です、13分30秒でスピードランナーと書くな、というのは。
 これは本当のところ、どうなんでしょうか? 現場がしっかりとした考え方をもっていれば、記事に左右されないんじゃないかという気もします。報道は世間の関心を引くために細かいことでも取り上げますが、現場はそんなものに左右されないで上を目指し続ける、となるのが普通だと思っているのですが。でも箱根駅伝では過大報道が多くて、強くもない選手がその気になってしまうという話をよく聞きます。難しい問題です。

 このテーマを考えたら夜も眠れないだろうと思っていたのですが、昨晩はころっと眠ってしまいました。22:50からのNHK番組に川内優輝選手が出演すると聞いていたのに…。言い訳ですが、昨日は朝の5時に起きていました。10時にホテルを出るまで、西脇工高の記事を書きました。100行くらい進みましたが、まだ1/3です。急がないといけません。

 ということで今朝は2時半頃に起床しました。
 福岡国際マラソンの記事を2本、書き上げました。レース記事と前田和浩選手の記事です。昨日、九電工・綾部健二監督には「辛口の原稿になりそうです」と宣言していましたが、そこまで辛いトーンにはなりませんでしたね。事実を普通に書けば自ずと“ダメだった”というトーンにはなっていますが。
 レース記事は川内優輝選手と今井正人選手のデッドヒートは見応えがあったけれど、レース全体を見たら低調だった、という感じになりました。これも結果からすれば普通のトーンでしょうか。

 6時55分に西鉄ホテルに到着。川内選手の一夜明け取材に臨みました。川内選手は7:42に弟さんと一緒にホテルを出て、約70分のジョッグをしました。ジョッグの後にカコミ取材です。
 一夜明け取材は昨晩から今朝の行動や(何を食べたかなど)、疲れ具合、誰と連絡したかなどを明らかにするのが狙いです。寺田はそこは書かないのですが、記者の皆さんがその辺を質問しているときに、まったく違う話題を突っ込むのはマナー違反ですからしないようにしています。質問が一段落したところで、市民ランナー的な練習スタイルについて、少し突っ込ませてもらいました。トレーニングについてはいくつかの記事に出ていたので、それをどういう意識で行っているか、といったところを質問しました。

 帰りの飛行機の中であまり筆が進まず、川内選手の記事を書き終えたのは羽田空港からのバスの中でした。ただ、まとまりというか、流れがいまひとつです。一晩寝かせて書き直します。


◆2011年12月6日(火)
 午前中にトヨタ自動車・佐藤敏信監督に電話取材をしました。宮脇千博選手の記事を書くためです。MMIプロジェクト(宮脇、松本賢太、伊藤祐哉の同期3選手の頭文字)で各種データを継続して測定していますが、コニカミノルタの松宮隆行選手と似ているものがあるそうです。詳しくは次号陸マガで……あまり詳しく書けないかもしれませんが、そのときはまたどこかで記事にできるでしょう。
 電話取材も受けました。箱根駅伝についてです。村澤明伸選手(東海大3年)の前回のごぼう抜き記録(2区で17人)のことを聞かれたので、「ごぼう抜きはあまり…」と言いかけて、一般の読者が対象なら強調してもいいのではないか、と答えました。マニアックな読者が対象だと、ごぼう抜きは「タスキをもらった位置がそういう位置だったんだよ」と考えますから、あまり強調してもどうかな、という部分です。
 そういえば最後の下呂取材(中部実業団対抗駅伝)でお見かけした中川拓郎先生も、箱根駅伝の2区のごぼう抜き記録を作りました。スズキ時代に何度も取材をしましたが、あまりそこを質問されたくはないようでした。チームメイトがだらしなかった、ということの裏返しでもありますから、話しにくいのでしょう。

 計測工房の藤井社長がブログ川内優輝選手のことを分析されていました。その最初の方で同選手の肩書きを“市民ランナー”or“公務員ランナー”と書かれています。朝日新聞は“公務員ランナー”で統一していました。寺田も3日の日記で“公務員ランナー”が無難なのではないかと書きました。
 しかし同選手の原稿を書いていて、市民ランナーとした方が書きやすい部分が生じてきていました。競技レベルの高さや意思の強さは完全に競技ランナーなのですが、練習のスタイルが市民ランナーに近いものがあるのです。練習に割ける時間や行う場所もそうですし、レースに多く出場して練習代わりにしてしまうところなのです。
 そこで考えついたのが“市民ランナースタイルの選手”という表現。これならば、市民ランナーのような練習スタイルの競技ランナー、ということを表現できると思いました。原稿も書けました。


◆2011年12月7日(水)
 八王子ロングディスタンスの1万mで日本歴代6位、五輪A標準を破った宮脇千博選手の記事を書きました。少ない文字数ですが、本人の“運良く出せた記録。自分はまだまだ”という姿勢と、同選手の記録を評価する書き手の姿勢と、指導者からの視点と、バランス良く盛り込めたのではないかと思っています。

 今日も川内優輝選手の話題を1つ。ネットの記事に掲載されている写真で、こういった絵柄がありました。タイマーに記録を表示しての記念撮影ですが、これは新記録か、それに準じるような価値のある記録が出たときに行う取材です。これはもちろん、川内選手の責任ではまったくなくて、そこにいたメディアが先導したと思われます。主催者側が演出することもありますが、今回の経緯はわかりません。選手が「やめましょう」とはとっさに言えませんから、繰り返しますが選手の責任ではまったくありません。
 いずれにしても、2時間9分台の記録でやっていたら、タイマー撮影の価値が下落します。日本歴代50傑にも入らないレベルですから、横田真人選手だったら30回以上やることになりますね(もっとかもしれません)。取材現場だけでなく、掲載することを決めたデスクの判断も甘いと言わざるを得ません。

 田村育子選手と池田久美子選手のことを思い出しました。
 田村選手は2002年に1500mで4分10秒39の日本新を出したのですが、それほど大きな大会ではなく、取材するメディアもほとんどいなかったのだと記憶しています。寺田が「タイマーで撮影しましょう」と言い出したのですが、選手がそれほどノッて来なかったらどうしようかと、びくびくしながらお願いしました。そうしたら田村選手が「私、一度これをしたかったんです」と言ってくれて、お願いしたこちらも気分良く取材ができました。そのときの写真です。
 池田久美子選手(今は井村選手です)は2006年の国際グランプリ大阪で走幅跳の日本新(6m86)を跳びました。このときは取材メディアの数も多かったのですが、誰も記録掲示板撮影を言い出しません。走幅跳のピットはトラックの外側で、記録掲示板がインフィールドにあったからかもしれませんが。
 しかし、これは絶対に必要だと感じまして、まずは池田選手に「記録掲示板と一緒に写真撮る?」と聞きました。そうしたら池田選手も「やりたかったんです」と言ってノッてきてくれました。池田選手がぴょんぴょん跳ねながら記録掲示板のところまで行ったシーンは忘れられません。これがそのときの写真です。

 13分30秒台の選手をスピードランナーというかどうかでは悩みますが、この件では絶対に悩みません。時代が変わったのか、メディアの人間の質が変わったのか。


◆2011年12月12日(月)
 今日はちょっとだけリラックスしました。
 TBS実業団女子駅伝サイトのコラムを土曜日の昼に提出し、西脇工高の原稿も昨日中に書き上げました(掲載はもうしばらく先になります)。ということで今日は、原稿の締め切りがなかったのです。

 昼間1つ、電話取材を受けました。一般誌のライターの方からで、箱根駅伝関係の取材です。そのなかで「東海大の両角速新監督は“優勝請負人”といっていいのですよね?」という質問を受けました。これは「うーん」と考え込んでしまいました。
 確かに全国高校駅伝優勝をはじめ素晴らしい戦績を挙げた手腕を見込まれての人事です。大学は箱根駅伝優勝を望んでの招聘ですし、両角監督ご自身も「箱根駅伝で優勝することが目標」と話しています。そこだけを見ると“優勝請負人”という書き方も間違いとは言い切れませんが、どこか違和感があります。
 それで、あれこれと考えました。

 まず世間の“優勝請負人”のイメージは、複数のチームで優勝に貢献した選手、監督ということになるでしょう。今回は監督の話です。ネットで調べたら、プロ野球で複数球団を優勝に導いたのは以下の監督たちだそうです(正確かどうかわかりません)。
◎藤本(巨人、阪神)
◎水原茂(巨人、東映)
◎三原脩(巨人、西鉄、大洋)
◎西本幸雄(大毎、阪急、近鉄)
◎広岡達朗(ヤクルト、西武)
◎野村克也(南海、ヤクルト)
◎仰木彬(近鉄、オリックス)
◎王貞治(巨人、ダイエー)
◎星野仙一(中日、阪神)


 この件に関しては2つの点で、陸上競技の監督はプロ野球の監督と違うと思います。1つめは、プロ野球の監督の役割は目の前の勝利に直結する部分が強いように思います。チーム数も限られていますし、チーム間の戦力差も駅伝と比べたら大きくはありません。だから、次期シーズンは“優勝が目標”と言うことができます。
 それに対して駅伝の監督は、目の前の勝利に直結する指導もしますが、戦力差が大きい場合は試合前にわかりますから、安易に“優勝が目標”とは言えません。“優勝請負人”という言葉に、“すぐに優勝させる”というニュアンスがあるから、駅伝にはそぐわないのではないかと思います。
 チームとしての戦術を指揮して結果を出すことと、選手個々を長い目で育てること。どちらもスポーツの指導者の役目ですが、陸上競技の監督は後者の役割がプロ野球などより大きいように思います。
 実際、現在の3強の監督のうち、駒大の大八木弘明監督も早大の渡辺康幸監督も、チームが弱かった頃に監督(大八木監督はコーチ)を引き受けて、数年をかけて優勝を争うチームに育てました。2人ともそれ以前に監督としての実績はありませんでしたから“優勝請負人”とは言われませんでした。
 東洋大の酒井俊幸監督は、川嶋伸次前監督の突然の辞任を受けての就任です。1年目に優勝しましたが、酒井監督にそれ以前の実績がない点を考えたら、“優勝請負人”という感じの招請でなかったのは明らかです。
 沢木監督から引き継いだ順大の仲村明監督が、就任して数年で優勝しましたけど、箱根駅伝の監督で就任してすぐに優勝というケースはほとんどないのではないでしょうか。

 もう1つはファンの性質が違うことです。野球やサッカーのファンはほとんどが、特定のチームのファンです。そのスポーツ全体のファンでもあるかもしれませんが、特定チームへの思い入れが強い人たちが多いのは明らかです。
 ファンのことを考えたら監督は、“優勝が目標”言わないといけないところもあるのだそうです。新球団の横浜DeNAベイスターズのオーナーが、「3年でCS進出、5年で優勝」と目標を話したことを批判されていました。現実的な目標ではあるが、それを聞いたら選手もやる気をなくすし、ファンもがっかりすると。それは自分とGM(高田繁氏)の胸の内にしまっておくべきことだった、という記事が朝日新聞に出ていました。
 それに対して駅伝のファンは、特定チームのファンも最近は多くなっていますが、駅伝全体のファン、陸上競技全体のファン、という人が多いと思います。駅伝全体のファンからすると、どこのチームが優勝するか、よりも、駅伝が盛り上がることが重要です。今季でいえば3強全部が頑張ってすごいレースをして、その結果「○○大が優勝かぁ」と楽しめればいい。
 つまり特定チームのファンが多ければ“優勝請負人”は存在価値が出てきますが、競技全体のファンが多ければ“優勝請負人”の存在はどうでもよくなります。さらに陸上競技ファンからいえば、どのチームが箱根駅伝で勝つかということよりも、世界で戦える選手を1人でも多く現れてくれることを願っています。当然、寺田の個人的な気持ちはもそこにありました。
 両角監督が“優勝請負人”か? と聞かれてもピンとこない道理です。

 ちょっとだけリラックスした一日でしたが、それでも昼間、取材を受ける予定がありましたし、アポ取りなどいくつかの連絡をしなくてはいけなかったので、箱根駅伝関係の共同取材に行くことができませんでした(客観的に見たら忙しい?)。残念。
 今日は運転免許証の更新に行こうと思っていたのですが、これも16:00までに都庁の免許更新センターに行けなくなってしまいました。更新期限は……19日です。かなりやばくなってきました。
 夜、ソフトバンクショップには行きました。携帯電話のバッテリーの寿命が来たらしく、減り方がかなり早くなっています。先日もトヨタ自動車・佐藤敏信監督との話し中に上がってしまってご迷惑をおかけしてしまいました。バッテリーを買うと3150円、後継機種に機種変更すると30720円です。どちらにしようか迷っています。スマホには変えません。
 スマホで思い出しましたが、国体以降ことあるごとに、記者の皆さんの携帯電話が従来型かスマホか調査してきました。データをしっかりと整理して、陸上記者のスマホ所有率を出したいのですが、そこまでやっている時間はありません。


◆2011年12月15日(木)
 日本陸連アスレティック・アワードの取材でした。選出されたのは以下の選手たち。
●アスリート・オブ・ザ・イヤー:室伏広治●優秀選手賞:森岡紘一朗&赤羽有紀子●新人賞:岸本鷹幸(東京運動記者クラブ選出)&中里麗美(同)&堀端宏行(陸連選出)●特別賞:川内優輝&富士通
 アスリート・オブ・ザ・イヤーと優秀選手賞は世界陸上の成績の上から3人でした。2年前も世界陸上の成績で選出して、世界陸上の入賞者全員が優秀選手賞だったと思います。2種目日本新&アジア選手権2冠の福島千里選手が選ばれなかったので、どうなのかな、という疑問が多く出ていました。
 今年、記録的な評価をすべきだったのは右代啓祐選手でしたが、世界陸上の成績で選ばれたのが3人だけでしたから、疑問が出ている様子はありませんでした。
 新人賞男子は岸本鷹幸選手でしたが、選出した東京記者クラブでは川内優輝選手や山縣亮太選手の名前も出ていたそうです。投票で決めたのですがかなり票が割れたと聞いています。新人賞の3選手と授与者の尾縣貢専務理事と、共同通信・田村記者(写真。尾縣専務理事の右が田村記者)。
 特別賞は川内選手と富士通(写真)。1991年の東京世界陸上以来、すべての世界陸上とオリンピックに代表を送り続けている富士通の功績を評価されました。過去の代表選手たちの写真だけでなく、創部時のメンバーの写真なども紹介されていました。
 アスリート・オブ・ザ・イヤーのプレゼンターを毎年高校生が務めますが、今年は土井杏南選手でした。室伏広治選手とのツーショットが新鮮でした。

 表彰のあとにその3人の共同取材の場が設けられていました。あとは閉会後に会場を出る際に、選手を個々につかまえるなどして少し話を聞くことができました。
 ニュース的な話題としては、まずは赤羽選手のこの冬のマラソン出場がありました。結論からいうと従来通りのスタンスのままです。この冬に1本マラソンを走ることは決めていますが、五輪選考会を走るか、それ以外のレースを走るかは未定ということです。横浜国際女子マラソンの結果で決める可能性もあったのですが、元から大阪国際女子マラソンまで待つというプランもあったそうです。それで横浜の結果を見て、大阪まで待つことにしたとのこと。
 選考会以外の出場となったら「タイム狙い。最低でも2時間22分台を出したい」という意気込みです。
 川内優輝選手も同様に、タイムへの意気込みを受賞挨拶のなかで話していました。「私にとってこの1年は、激動の1年となりました。世界陸上を経験して世界への意識が芽生えました。ロンドンで戦うため、東京マラソンでは記録も順位も両方狙っていきます。誰が見てもロンドンで戦える、という走りをしたい」

 絹川愛選手も会場を出たところでカコミ取材がありました。上海のハーフマラソンを好タイムで走ったことで、マラソン参戦があるのかどうかへの関心が高まっています。「2km続く坂があったり、朝の7時半スタートということを考えたら1時間10分台は良い記録」という自己評価ですが、マラソン出場は未定だそうです。
「マラソン挑戦よりもロンドン五輪に出場することが優先されます。マラソンが合っているのか、5000mなのか1万mなのか。今の自分の能力と成長過程を見て判断していきますが、(渡辺高夫)監督のゴーサインがどの種目で出るのかわかりません。ただ、どの種目に出るにしても、マラソンをやるにもトラックをやるにも基礎体力は重要という考えでやっています」

 このコメントを聞いて、「現時点で決めていないなら、この冬のマラソンに出られるわけがない」と考える方もいらっしゃるかもしれません。それが絹川選手の場合は可能なのです。以前、絹川選手の復帰を取材したこちらの記事を読んでいただければ、絹川選手がどういうタイプなのかわかるのではないかと思います。

 その他では、砲丸投の村川洋平選手が回転投げ転向を示唆……と受け取れる発言をしていましたが、結論としては「厳しい」ということでした。砲丸投選手の投法変更が、長距離選手のマラソン出場なみに注目される日が来るといいのですが。
 早狩実紀選手と横田真人選手が一緒にいたので、写真を撮らせてもらいました。日本記録保持者、インターハイ優勝者、世界陸上代表と共通点は多々ありますが、ウィグライプロを使っている点が一番の特徴かと思います。
 富士通の大利久美選手と森岡紘一朗選手の競歩コンビに話を聞きました。2人とも2月の日本選手権20kmWがこの冬の最大目標です。森岡選手の方はすでに50kmWでロンドン五輪代表権を取っているので、立場的には同じではありません。ただ、2人とも日本記録が目標というのは同じです。特に確認しませんでしたが、間違っていないと思います。
 確認できたのは、森岡紘一朗選手が永田宏一郎選手と接点があったことです。

 話は福岡国際マラソンにさかのぼります。エドモントン世界陸上1万m代表だった永田宏一郎選手が引退しました(12月3日の日記参照)。レース後に「九州のファンは僕のことを覚えてくれていたようで、“永田がんばれ”と応援してくれました」と話していました。永田選手の九州での知名度は、我々が考えるよりも大きいように感じました。
 そのときにふと、“郎(朗)”がつく名前は九州ではメジャーなのではないかと思いました。同じレースに鹿児島出身の瀬戸口賢一郎選手(旭化成)が出ていましたし、森岡紘一朗選手も長崎県(諫早高)出身です。陸上記者では西日本新聞の向吉三郎記者(鹿児島出身)がいます(寺田も“朗”がつきますが静岡出身です)。陸上界だけでこれだけ“郎(朗)”がつく九州男児がいるのですから、九州ではメジャーな命名ではないか、という仮説が成り立ちます。
 その点を今日、森岡選手に質問したところ(雑談中にですよ)、「よくわかりませんが、そうでもないような気がします」という返事でした。仮説が証明できず意気消沈していたところで、森岡選手がすごい話をしてくれたのです。
「永田さんは同じ“こういちろう”という名前だったこともあり憧れていました」と話し出したのです。森岡選手も中学までは長距離選手でした。しかも、「サインをもらったこともあります」というのです。
 永田選手が大学4年の12月に27分53秒19(当時学生歴代3位)をマークしたのは長崎県諫早の競技場でした。森岡選手が諫早高出身なのは有名です。まさかと思って確認すると、森岡選手もその場にいて目の前でそのレースを見たといいます。当時中学3年生。永田ファンの1人としてサインをもらいに行ったそうです。
 同じ九州、同じ“郎(朗)”のつくトップ選手2人にこんな接点があったとは。縁は異なものといいますが、胸にジーンと来る話でした。

 最後は福島千里選手に話を聞きました。やっぱり、1年の締めは“千里節”を聞かないと終わりません。江里口匡史選手と福島選手が、この1年で最もコメントを聞いた選手ですから。


ここが最新です
◆2011年12月16日(金)
 四苦八苦しながらも、16時までに原稿を仕上げて送信。
 18時からの嶋原清子選手の記者会見に出かけました。大阪国際女子マラソンを最後に引退するという話は聞いていたのですが、引退理由が想像つきませんでした。9月に話を聞いたときには、そういう雰囲気は……まったくなくはありませんでしたが、もう少し先かな、と思っていました。
 9月の取材はセカンドウィンドACの会報誌用の取材でした。昨年のアジア大会で漠然とやめようと考えていた嶋原選手でしたが、今年の大阪マラソン出場がその時点で決まっていました。中途半端な気持ちで練習してしまった東京マラソンが16位。結果よりも、いい加減な気持ちで臨んだことが嫌だったそうです。
 気持ちを入れ直して臨んだ北海道マラソンで2位。2週間前までまったく走れませんでしたが、川越学監督との話し合いで立て直すことができたといいます。「結果も大事ですけど、一生懸命に練習すれば、その過程自体が楽しくなる」ということを発見したそうです。
 その後は話をお聞きする機会がありませんでしたが、10月の大阪マラソンでは2位。国際女子に向けて順調だという印象を受けていました。どうして引退という話になったのか???

 会見は最初に嶋原選手から報告という形で、引退に至った経緯、理由などが語られました。その内容はセカンドウィンドACブログをご覧ください。それを聞いて納得しました。引退は競技的な衰えが理由ではありませんでした。嶋原選手の言葉を借りれば「年齢的なタイミング」。出産を考えての決断だったそうです。
 そういえば、と思い当たることがありました。国体の最終日恒例のサブトラ巡り、の延長の国体ショップ巡りの最中に、夫君の高見澤勝先生(佐久長聖高)にお会いしました。そのときに、子どもが欲しいということを話していましたね。

 嶋原選手からの報告のあとに質疑応答です。そのなかで出産後、今のレベルに戻ることができたらまた、オリンピックなどに挑戦したいと話していました。
 その他にも面白い話が出たのですが、一問一答は記事にする予定ですので、しばらくお待ちください。

 会見は23分くらいで終了しました。その後フォトセッション。これは会見の冒頭ですが、これがフォトセッション中の表情です。川越学監督が不在(エディオン監督として宮城入り)だったので、代わりというわけではないのですが平田真理コーチとのツーショットをお願いしました。資生堂時代から10年以上の付き合いの2人ですし、グラウンドでは平田コーチが、川越学監督の代わりを務めることも多かったと聞いています。

 その後、カコミ取材が設定されていたわけではありませんが、自然とその流れに。カコミ取材というよりも、嶋原選手との雑談会ですね。記者たちも自然と残って会話をしていましたが、この辺は嶋原選手の人柄だと思います。
 話題はまず、今日、入籍を報告した千葉真子さんについて。活躍した時代がずれているのでそのイメージがありませんが、2人は同学年です。つい最近も、ウィグライプロが協賛したロードレースで一緒にゲストランナーを務めたばかり。35歳で入籍した千葉さんと、35歳で出産のため引退を決めた嶋原選手。35歳というのは、女性に決断をさせる年頃なのかもしれません。
 質疑応答の中で嶋原選手が、自分の競技生活は“ゆるい練習”とか“心身ともにゆとりをもってやってきた”というコメントがありました。その辺を本来なら川越監督に解説してもらうところですが、代わりに平田コーチが説明してくれました。「10年くらい大きなケガがない」ということや、最近話題の川内優輝選手の市民ランナー的なスタイルに対しても「共通する部分を感じるし、頑張ってほしい」と話していました。

 名残惜しいのですが、明日は朝早くに宮城に向かいますので、引き揚げさせていただきました。


寺田的陸上競技WEBトップ

ベビーマッサージならPRECIOUS(東京都府中市)
楽天の陸上競技関連商品


昔の日記
2011年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 
2010年 1月 2月 3月 4月 5月
2009年 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2008年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2007年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2006年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2005年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10・11月 12月
2004年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2003年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 
2001年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月