続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2004年10月 頑固なミシガン湖
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◆9月23日(木・祝)
 昨日は5:30に起床して仕事を始めたので、夜は23時前に眠くなってダウン。ロンドンマラソン通訳の方(女性)が、丑三つ時が何時か調べて教えてくれました。「丑の時を四刻に分ちその第三に当る時。およそ今の午前二時から二時半」とのこと。その時間に寝ていることはまずないのですが、ここ数日は夢の中、ですね。
 昨日の日記で五輪取材が寺田の夢、みたいな感じで書いてしまいましたが、実はそれほどでもないのです。オリンピックだけにこだわると、何か大事なものを見失うような気もするのです。それが何かはまた、おいおい紹介していくかもしれませんし、このまま忘れてしまうかも(後者の可能性大)。

 一昨日の日記で、寺田が高飛車(タカビー)なのはネット上だけと書いたら、「実生活では居飛車なのですか、それとも振り飛車なのですか」という、問い合わせのメール(知り合いからですけど)。ちょっと違いますね。実生活のキャラは三間飛車です。これが、ネット上と実生活のキャラの相関関係を示す、高飛車三軒両隣の法則ですね。

 ただ今朝の7:55。11時まで原稿を書いて(150行を3本抱えています)、13時から横浜国際競技場で某監督の取材。14:30からいよいよ、スーパー陸上です。

 午前中に電話取材を1つ済ませ、午後からスーパー陸上取材。
 競技については「スーパー陸上 雑感」あるいは「スーパー陸上 点描」なる記事を書こうと思っています。実現率は、そうですね、49%くらい。要するに2つに1つです。タイトルからわかるように、正攻法の記事ではありません。というのは、あまり選手の話が聞けませんでした。別のメディア用の仕事で精一杯という感じで。
 この大会は年々、取材がしにくくなってきているように思います。タダでさえ短い時間に種目を多く行い(観る大会ですから当然です)、かつスタジアムが広いという、制約のある大会なのですが、ミックスドゾーンにアナウンスがガンガン響いて選手の話が聞き難いのです(アナウンスがガンガン響くのは世界標準かもしれませんが、ミックスドゾーンは少し静かになる大会が多いのです)。それに、昨年までは全種目のインタビューをやってくれたのですが、今年から廃止されてしまいました。
 寺田のように複数のクライアントの仕事をやっている場合、下位の選手を個別につかまえ、戻ってきて共同会見を取材(その逆もあります)できるというのが、たくさん選手の話を聞けるパターンでした。目玉的な選手の取材には特に問題もないし、全種目の会見をやっても、質問が主催紙以外は出ないことが多いですし(どうやら、主催新聞も、全種目戦績&コメントの紙面掲載はなくなるようです)。
 でも、その姿勢にはちょっと意見もあります。今回、4万9000人がスタンドに足を運んでくれました。成功の要因は、オリンピック直後ということが大きかったと思いますが、一部のスター選手に頼ったやり方では、スター選手が出なかったり、引退してスター選手が不在となった場合に、下火となってしまいます。陸上競技自体の人気につなげる必要があるわけで、それを考えたときに、今回のやり方で良かったのかどうか。
 今回のやり方というより、陸上競技報道のもっと大きなシステムの問題でしょうか。まあ、案ずるより、なすがままがいいかもしれません。国民的なレベルへの影響力は、細かいところを気にしても関係ないか(ちょっと投げやり)。

 13時から予定していた取材が競技後に変更になり、19時から1時間のインタビュー取材。うーん、50行にまとめるのが大変です。


◆9月24日(金)
 昨晩も、仕事は当日締め切りの2つをやったくらいで、自宅に戻ると(23時頃)早めにダウン。今朝も、6:30から仕事をしています。

 昨日のスーパー陸上は、オリンピック後では初めて、陸上担当記者が勢揃いした大会。野口みずき選手や室伏広治選手関連のイベントで、揃っていたかもしれませんが、選手と同様に多くの記者がオリンピック後に休暇を取ったはずです。
 毎日新聞ISHIRO!記者は自身のサイトにも書いているように、五輪取材後そのままギリシャに滞在。アテネとサントリーニ島に行き、帰路、トランジット地であるバンコクに3泊したとか。毎日新聞の陸上競技担当がそうなら、朝日・読売の記者がどうだったのか、気になりますよね。
 そんな陸上競技ファンの要望に応え、競技が始まる前の記者席で取材しました。
 朝日新聞・金重記者はいったん日本に帰国後、再度、渡欧。サンモリッツとユングフラウに奥さんと一緒に行かれたそうです。アムステルダムとチューリヒにも1泊ずつしたとのこと。サンモリッツでは野口みずき選手が練習したトラックで夫婦で記念撮影をしたとか。さすが、浪速の誇るランナーだっただけあります。奥さんの理解もあるようで、うらやましいです。
 びっくりしたのは読売新聞・近藤記者(プリンス近藤)。帰国したらなんと、10月1日付け異動の内示が出たため、休暇は引っ越し準備に充てたそうです。お子さんの幼稚園なども探さないといけなかったようですし。その間に箱根駅伝予選会の取材もこなしたようで、頭が下がります。異動先は千葉支局。千葉県の長浦出身で、同地で“プリンス”と呼ばれていたことが、プリンス近藤と言われている所以です。長浦のプリンスに戻るのかと思いきや、転居先は千葉市内。職業柄、何かあったらすぐに社や現場にかけつける必要があるため、遠い場所には住めないのだそうです。新聞記者って大変。担当は千葉・市原などの市政。「土日は休めるはずですから、ゆっくり走り込んで、記録更新を狙います」と、元箱根ランナーは前向きでした。

 今日は、50行原稿を1本、150行原稿を1本書いて、明日からの全日本実業団取材のため新潟に移動するはずでしたが、厳しくなってきました。原稿を1本、あきらめるか、新潟行きを明日の早朝にするか…。


◆9月25日(土)
 朝の6:47、新潟のホテルです。
 昨日は自宅で仕事をして夕方にWSTF(新宿の作業部屋)に移動。自宅ではあちこちに連絡(段取り)、WSTFでは請求書を2通起こすのと出張準備で、原稿が予定通りに書けませんでした。ちょっと痛いですけど、締め切り(デッドライン)というわけではないので、新潟まで行くことに(このあとが大変になるのですが)。20:57にWSTFを出発。
 最終の新幹線で新潟に着いたのが23:52。駅から歩いて5分のホテルに。途中、コンビニに寄ると某コーチAと某コーチB、某トレーナーの3人にお会いしました。ネタも1つありますが自粛。

 昨日の日記で朝毎読3紙陸上競技記者の五輪後の休暇が、どんなだったかを紹介しました。そういえば、競技終了後に東京スポーツ・坂庭記者も“なんで俺に聞かないんだ”とばかりに自分の話をし始めました(脚色あり)。
 中国遼東半島の旅順・大連などを単身、3泊4日で旅行したといいます。日露戦争100年という理由で激戦地だった二百三高地などの古戦場を旅したとか。格好いいでしょう。ずいぶん昔に流行った漫画の主人公ばりの顔ですが、なかなかやります。などと言ったら失礼ですね。元々、知性派なのです。

 9時頃まで原稿を書いたら、ビッグスワンに移動します。
 TBSは佐藤文康アナがスーパー陸上に続いて担当します。ISHIRO!記者や川本和久先生が自身の出没スポットを自サイトで紹介しています。だったら、陸上競技出身アナとして頑張っている佐藤アナの担当試合を紹介するコーナーがあっていいと思いません? 近日中にページを立ち上げる予定。考えているタイトルは「サトアナの●●」……すいません、募集中です。現時点では今日明日の全日本実業団、来週の実業団・学生対抗(小田原)を担当するのは決定済み。サトアナ・ファンは見逃さないように。

 ビッグスワンは5月の1万m記録会(大森輝和選手がA標準を突破したレース。日本選手権で失敗した原因などは発売中の陸マガ10月号参照)以来。風が吹かない(あるいは、周回がずっと追い風になる)ことで知られています。この日も、昼間こそ向かい風基調でしたが、夕方になるとその特徴が威力を発揮して、最後の男女1万mでは好条件となりました。
 男子1万mでは佐藤敦之選手が初の27分台。中国電力としても初めて、早大関係では瀬古利彦・金井豊・花田勝彦・渡辺康幸の各選手に次いで5人目。
 女子1万mでは31分台が3人(自己新は加納由理選手だけでしょうか?)、大越一恵選手がダイハツ勢としては初のチャンピオンに。ジュニア3000mでもダイハツ勢は2・3位に入り、浅利純子コーチの表情が明るかったですね。山中美和子選手も復活してきているようなので、駅伝で注目しないといけないチームでしょう。
 駅伝といえば、昨年2位の京セラも充実しています。杉森美保選手が1500mに自己新で優勝後、「一番短い区間で優勝に貢献したい」と明言。ジュニア3000mで吉野恵選手が好タイムで優勝し、1万mでは原裕美子、阿蘇品照美の2選手が6・7位に。
 受けて立つ立場の三井住友海上は夏に故障者が多く出て、シーズン前半の勢いがなかったのですが、顔触れを見たらやはり、優勝候補筆頭でしょうか。しかし、資生堂も今年は違うかな、という印象。加納選手が1万mで3位。佐藤由美選手も入社以来最高の状態で、新戦力も力のある選手が揃っている(はず)。弘山晴美選手が走っているうちに優勝しよう、という意気込みで、足並みが揃ってきたように思われます。
 スタンドで一緒に見ていたO内さんに話したことですが、全日本実業団の1万mはとっても面白いのです。まず、9月末の夕方から夜のレースで条件に恵まれ、自己新を出す選手が多い。一応、タイトルが懸かった試合ですが、そこにこだわらずにいいペースでレースを進められます。次に、顔触れがいいですね。トップ選手が全員揃うわけではありませんが、日本選手権・春季サーキットなどと違って新鋭選手が加わって走れます。夏にまとめて練習をした後なので、不調だった選手が持ち直してくることも多い。
 観客が少ないのが玉にきずですが、その分、自分の走りを冷静に見つめながら走れます。

 取材はスーパー陸上の10倍できました。競技時間が長く、取材エリアも制限が少ないので、選手をつかまえやすいのが一番の理由です。それに今回は、表彰控え場所で話が聞けるシステム。これが良かったですね。表彰控え所では選手に話しかけたらダメ、という大会が多いのですが、それはまったく意味がないというか、選手たちはただ待たされているだけで、非効率の象徴みたいなシステムなのです。どうせ、何もしていないのですから、今回のようにどんどん取材をできるシステムにしたらいいと思います。取材中に表彰に行くとなったら、記者も取材をやめますよ。
 ここまで取材しやすかったらそれはもう、こちらもプラスαの取材をしない手はない。他の記者たちとの共同取材でも、独自の視点で質問ができますし(佐藤敦之選手にしました)、普通だったら話が聞けない下位の選手にも取材ができます(宮崎千聖選手とか)。
 佐藤文康アナのコーナー新設への取材も着々と進行できました。
 あと1日、楽しみです。


◆9月26日(日)
 昨晩は20:15まで男子1万mがあり、21時前後までスタジアムで仕事。その後、朝日新聞・金重記者の送別会を兼ねた食事会に顔を出させていただきました。新潟出身の東京新聞・吉岡潤記者が幹事役(お疲れさまでした)。24日の日記に読売新聞・近藤記者が千葉支局に転勤することを紹介しましたが、金重記者も10月1日付けで大阪運動部のデスクに異動するのです。色々とお世話になりましたし、ネタも提供していただいたので、寂しい限りです。ということで、朝日新聞の金重秀幸・金谷智美の金金コンビもこれが見納め。金重記者本人は現場復帰に意欲的ですが。
 2時にはホテルに戻って就寝。朝の6:30に起床して仕事を始めました。8:30から近くのホテルで、ある陸上競技部の総監督と商談。珍しいケースですが、冗談ではありません。

 10時から全日本実業団2日目の取材。
 やっぱり、朝原宣治選手は強いですねえ。2位に0.33秒差をつけての10秒23。レース直後のインタビューも朝原選手らしかったと思います。TBS・Yディレクターがインタビュアーでした。一部を抜粋します。
Yディレクター「アテネ五輪の決勝はいい走りでしたね」
朝原「リレーのですよね。あれは自分でも納得できた走りで、すごく気持ちが良かった。100 mにつながればいいと思いました」
Yディレクター「リレーの……」(メモできず)
朝原「ブロックからスタートする100 mと、加速走のリレーの違いでしょうか」
Yディレクター「100 m加速走という種目があったら、もっと戦える?」
朝原「そうできるかもしれませんが、加速走ならまた強い選手も出てくるでしょう」

 これは冗談ではなく普通の受け答えですが、どこか、ユーモアが感じられました。昨日の五輪入賞選手の会見時もそうでしたが、最近の朝原選手は必ず冗談を交えるようになりました。真顔で言うので、慣れない記者は本気なのか冗談なのか、判別が難しいかもしれません。仮に、冗談がそのまま記事になっても、ガタガタ騒ぐような選手ではないのですが。

 冗談の判別が難しいといえば、藤田信之監督もそうかもしれません。熱弁的に話されるんですよ。3年前の淡路島女子駅伝でものすごく控えめな話だったと思いますが、だけど力を込めて話をしてくれました。それで、全日本実業団対抗女子駅伝ではグローバリーが初出場で5位に入って、順位自体だったのか、別のことだったのかちょっと忘れたのですが、話が矛盾していたので確認しに行ったことがありました。
「そりゃ冗談ですわ」
 役者が一枚も二枚も上というか、こちらの修行が足りないというか。

 話を新潟に戻しましょう。久しぶりに、このサイトにも記事として書けるネタも仕入れることができましたが、今度は(いつも?)時間がとれそうにありません。パパッと気づいたことを列記しましょう。
 男子の100 mは朝原選手が強い。
 200 mは土江選手が強い。200 mを速く走る理論があります、モチベーションもありました(過去形?)。
 400 mは佐藤光浩選手がホームストレートで相変わらず強い。
 中距離は2種目とも記録の上位選手が負けました。活性化している証拠でしょうか。
 長距離では瀬戸智弘選手と佐藤敦之選手が安定してきました。瀬戸選手は今度の冬にマラソン初挑戦がありそうです。佐藤選手は東京でしょうか。
 110 mHはミズノ勢が1・2位独占、400 mHは順大OBが1・2・3位を独占。
 3000mSCは社会人1年目の中川智博選手が優勝。昨年の大卒1年目はすごかったですけど、今年の優勝は中川選手と女子三段跳の吉田文代選手の2人だけ。
 1万mWの柳沢選手は今大会の最年長優勝者(だと思います)。
 男子のリレー2種目は、短距離にも取り組んでいる実業団がきっちり優勝。ただし、4×400 mRの西濃運輸は今季いっぱいで休部(廃部?)です。向井裕紀弘選手が五輪代表にならなければ6月いっぱいという話でしたから、有終の美を飾れたのも向井選手が頑張ったからこそ。もちろん、頑張れたのはチームがあったればこそ。えっ、日本選手権リレーにも出る? まあ、実業団大会の有終ということで。
 棒高跳と走幅跳は五輪代表が優勝。記録は全般に低かったのですが、地力のある選手が上位に来たという印象。
 三段跳と砲丸投は教員選手が優勝。実業団選手しか日本代表にはなれないような雰囲気もありますが、教員選手もやれるぞ! フィールド種目の2位以下の選手の所属を見ると、トラック種目とは一変しています。頑張れば頑張れるという見本を示しているような気がします。

 女子短距離はいつものメンバーが強かったのですが、佐藤友香選手が来年あたり、リレー代表に食い込んで来そうな勢いがあります。今回は100 m4位でしたが、名取監督によれば、200 mと400 mにも可能性があるといいます。昨夏の手術以降、なかなか復活できないでいた柿沼和恵選手が、200 mで6位、400 mで4位と復調。先頭争いをしていなくても、必ず目が行ってしまう選手です。
 杉森美保選手が中距離2冠。2種目ともしっかりした記録(朝原選手もそうですが)。佐々木麗奈選手が800 m2位、400 mH3位と復調してきました。
 100 mHでは茂木智子選手が復調。今季初の13秒台で2位。
 400 mHの吉田真希子選手も、復調の手応えをつかんだ様子(人づての情報ですが)。
 走高跳は昨年から青山幸選手が2強に加わって3強時代になっていましたが、抜け出るのかどうか。今井美希&ハニカット陽子両選手にも踏ん張ってほしいところ。
 走幅跳はスーパー陸上で佐藤友香選手が2強を抑え、完全に3強時代に。今大会では2強が意地を見せましたが。
 投てきでは三宅貴子選手のやり投6位があれでしたが、負けるのを恐れずに出場してくるのは、何かをつかみかけているから、なのかもしれません(取材していませんので推測です)。

 慌ただしい取材が続いて、話を聞きたくても聞けない選手も多くなってしまいました。そんな状態でしたが、昨日の1万m1組で2位(32分32秒36)となった小幡佳代子選手とすれ違いました。
寺田 昨日の記録は自己何番目でございましょうか? ※長く頑張っている選手には自然と敬意を表してしまいます。弘山晴美選手とか。
小幡 もちろん自己新です。
寺田 何歳になられましたか?
小幡 33歳です。

 典型的なすれ違いざま取材ですが、その後の取材のとっかかりとなることもあるのです。ごくまれに。小幡選手は今年の大阪・パリと失敗続きでしたが、次のマラソンでは期待できそうです。とびきりの笑顔が戻ってきました。

 競技終了後もドタバタ動き回っていましたが、偶然にもスタジアムの玄関(正面ゲート?)で東京新聞・吉岡記者と杉森美保選手がかち合っているのを目撃……吉岡・みほ、ということで…(究極の楽屋落ち)。


◆9月27日(月)
 昨日の全日本実業団でのこと。男女総合得点の集計に時間がかかっていたようで、それを待っている間にベルリン・マラソンで渋井陽子選手が日本新を出したことを、某プロデューサー氏が教えてくれました。
 渋井選手は野口みずき選手と同学年。野口選手が初マラソンのとき、渋井選手の初マラソン日本最高(当時)を目標にしていたことは、よく知られています。その2人と同学年なのが山中美和子選手。2002年の世界クロカンで4位になって、その評価が一般世間のみならず、陸上界内部においても十分にされていないことが、寺田は大いに不満なのです。
 考えてみたら志水見千子選手のアトランタ五輪5000m4位もそうでした。結局、マラソンでメダルを取らないと評価してもらえないという、悪しき風習があるみたいです。“マラソンで頑張るしかない”と、選手のモチベーションを高める一助にはなっているのかもしれませんが。
 その山中選手に全日本実業団で会ったことは一昨日、書きました。故障も治って練習も積めているようなので、野口&渋井との対決(全日本実業団対抗女子駅伝の3区あたりが有力です)が楽しみです。

 そういえば1週間ほど前に奈良陸協の方からメールをいただき、奈良陸協サイトにリンクさせていただきました。そのサイトの奈良県記録一覧を拝見すると、山中選手は中学時代に1500m、高校時代に3000m、学生時代に5000mの奈良県記録を作っています。距離を伸ばしていくのは、“よくあること”ではありますが、全部が県記録として残っているあたりに、山中選手の各世代での強さがわかります。

 同じ頃、クリール11月号も届きました(こちらは現実のメールで)。表紙は本仮屋ユイカ。市橋有里選手似のタレントで、これで8カ月連続の表紙です。これだけ続くと、「いったいこの子はどんな子なんだ?」と興味が湧いてきます。最近ではドラマ「世界の中心で愛を叫ぶ」で陸上部の生徒を演じているそうです。そういえば、23時台のバラエティーでも見かけましたね。
 そういったテレビ番組を見て彼女への関心が高くなれば、また雑誌も買うようになる。彼女は表紙だけでなく、雑誌の中の企画にも登場していますからね。それがH編集長(元陸マガ編集長)の狙いか。

 明日は千葉方面で2つの取材予定。できれば、渋井陽子選手の帰国取材を成田空港でしたかったのですが、16時からの取材と重なります。残念、と思っていたら、先方から取材日時を変更したい旨の連絡が。こういう幸運も、長くやっているとあるものですね。明日は12時から某大学で取材、15:30に成田空港で渋井選手の取材です。


◆9月28日(火)
 千葉方面の大学で12時から取材。都営浅草線から京成への直通電車で移動しましたが、快特エアポートはなかなかいいですね。スカイライナーよりも時間はかかりますが、特急料金がかかりません。座席は基本的には2人掛けシートが向かい合う4人掛け形式ですが、車両の端には2人掛けシートだけの部分もあります。しかも、それほど混んでいなかったので、原稿を1時間近く車中で集中して書くことができた次第。

 12時からの取材は順子、いや順調。現役を退いてそれほど年数の経っていない指導者に、自身の現役時代を振り返ってもらったのですが、そういう考え方をしていたのか、と新たな驚きがあります。一応、寺田がこの業界に入ってから活躍していた選手だったので、そこそこの知識はありましたが、聞いてみないとわからないものです。見るだけではわからないこともあります。百見は一聞にしかず。若手コーチ陣も好青年揃いでした。こちらは、百聞は一見にしかず也。

 成田空港には14:45頃に着。渋井陽子選手を乗せた便が15:30着予定が15:05着と早くなっていたので、早めに着いていてよかったです。
 凱旋会見の模様は記事にしていきます。こういった共同会見は質問者が複数ですから、質問内容も話の脈絡に関係なく飛び出してきます。ただ、話の方向を変える質問をする場合は、ちょっと間を置いて、その時に話しているネタに関する質問が出ないのを確認するのが普通です。が、会見はいつ打ち切られるかわかりませんし、上司から「必ずこのことを聞け」と言われている記者もいるでしょう。まあ、色々です。
 このようにインタビューに流れがない場合は、文章にするときにちょっとアレンジして、テーマ毎にまとめる形にした方がわかりやすいのですが、今回は時間がないので、質疑応答の実際に進んだままに、原稿に起こしていかざるを得ません(マラソンの前日会見などはいつも、この形式なんですが)。前半・中盤・後半の3回に分けて掲載する所存。

 会見後に電話連絡と打ち合わせをいくつか。20分ほど電話をした後、原稿を書ける店を探していると、産経・金子記者と朝日・金谷記者がカフェの中から手招きをしています。朝日・金重記者が大阪のデスクに異動されましたが、金金コンビ健在ですね。意外なことに同僚の金谷記者でさえ、金重記者の○○○○○○○○○(口止め…じゃなくて、書き止めされています)のことを知りませんでした。引っ越し中の金重記者に電話をしたところ、どうやら記者仲間にはいっさい話していなかったようです。我々ペンの記者がこの手のことをした場合、人がどのくらい集まるのか、ちょっと興味があり候。


◆9月29日(水)
 日帰りで北海道に出張。北海道でも先月行った別海や網走、士別ではなく、千歳で合宿中の某選手の取材です。11:30羽田発で20:30には羽田に戻っていました。千歳はいうまでもなく、新千歳空港からすぐの距離(空港と札幌の間)。この空港を使えると、一日に何便も往復していているので、移動がとっても楽です。帰りは21:20発の予定でしたが、キャンセル待ちで19時頃の便に変更。いつもは、便変更のできない安い航空券なのですが、今日は全額、某雑誌持ちの仕事だったので、あれでした。北海道まで行って泊まらないのは、ちょっと違和感もありますが、なかなか貴重な経験だったと思います。
 取材も順調。めちゃくちゃ面白い話が聞けました。一番の収穫は、シカゴに島はない(シカゴ沖のミシガン湖には)、という話です。意味不明ジョークですが、機会があったら紹介します。

 一昨日の日記でクリールの表紙に8カ月連続でなっている本仮屋ユイカちゃん(なんで“ちゃん”なんだ?)について触れたら、さっそくメールをいただきました。
本仮屋ユイカ 以前金八先生で学級委員の役をしていた子
(上戸彩の出ていたシリーズ※今関東では再放送やってるみたいです?)で
今話題の映画「スウィングガール」にも出ていて
来年春からのNHK朝の連続ドラマで主役することが決まっています
これからブレイクするかもしれませんよ

 とのこと。そんなすごい子だったのかと、早速、サイト検索。このサイトがわかりやすいでしょうか。ふんふん。

 なるほど。中距離で東京都の記録を出したのか。それで、クリールの表紙に抜擢されたのですね。しかし、東京都の記録とは曖昧な表現ですね。現在17歳。高校や一般の東京都記録は西村美樹選手でしょう。だったら、東京都中学記録しか考えられません。早速、彼女が中学3年(02年)の記録集計号と陸マガ9月号(中学通信の各都道府県記録が掲載されている)を見ましたが、名前は見つけられませんでした。ならば、中学2年時(01年)はと探しましたが、やっぱりありません。3文字姓って、目立つから探しやすいんですけどねぇ。本名っぽいけど、芸名なんでしょうか。
 まあ、この手の「東京都の記録を出したこともある」と世間一般で表現される場合、実際の東京都記録でなく、東京都の何かの大会の記録、ということがよくあります。プロフィール担当者が陸上競技に詳しくなければ、いい加減になるのも致し方なし。本人の責任ではないでしょう。
 先祖は、薩摩藩の豪族との記述もあります。なるほど。鹿児島って、3文字姓が多いですからね。瀬戸口渚選手とか、橋ノ口滝一選手とか。井之上明彦っていう走幅跳の選手も昔いましたよね。竹ノ内、堀之内、西之薗……鹿児島陸協のサイトをご覧いただければわかります。時間のある人は、陸マガ7月号のインターハイ各県予選入賞者一覧などを見てみてください。もっと時間のある人は、3文字姓の選手の数を他県と比べてみてください。間違いなく鹿児島は多いはずです。

 シカゴの島……か。


◆9月30日(木)
 アテネ五輪が終わって早1カ月。土江寛裕選手の日記を見ると、引退を視野に頑張っていた三十路選手の多くも、来年以降の現役続行を考えているようです。よかった、よかった。かく言う寺田も記者引退をするのはやめて、なんて話は元からありませんでした。
 実は全日本実業団で土江選手がISHIRO!記者のパソコンを修理するために記者室に来てくれました。今季の試合はこれが最後だと言うので次のような会話をしました。
寺田 来年もよろしくね。
土江 はい。
寺田 今、「はい」って言ったな。

 ちょっと高圧的でしたが、まあ、タカビーな記者なので許してもらいましょう。闇雲にタカビーに出たわけではなく、なんとなく続けそうなことを、本人の日記でわかっていましたから言えたわけですが。
 ただ、あんまり自分たちのことをおじさん世代と言うのはやめて欲しいですね。年上の自分がもっとおじさんになってしまう、という個人的な理由ではありません。30歳なんて、まだまだこれからでしょう、という陳腐な意見を言いたいわけでもない。それよりも、同世代の女子選手へ配慮をした方がいいのではと、ちょっとだけ思うのです。彼らがおじさん選手なら、彼女らは……。ハニカット陽子選手とか、小島初佳選手とか、平出奈津子選手とか、同学年の選手も多いですからね。
 そうか、おじさんとおばさんの定義を変えれば問題ないですね。男子選手は30歳以上がおじさん、女子選手は40歳以上がおばさん、とか。


◆10月1日(金)
 ICHIRO、残り3試合であと1本ですか。寺田は日曜日中、つまり残り3日で、あと5本です。150行原稿が。
 日本では中日ドラゴンズがセリーグ制覇。袋井の家族S氏が中日ファンなので喜んでいるでしょう。中日新聞・西澤記者と中日スポーツ・中村記者も。ちなみに袋井の実家は中日新聞を購読しています。

 東京新聞・吉岡記者からメール(メルアドの一部にchunichiとあることからも、東京新聞は中日新聞なのだとわかりますね)。全日本実業団で吉岡・みほのツーショット写真を撮らせていただきましたが、そのエピをフリに、杉森選手の人柄は素晴らしい、というコラムを帰りの新幹線の車中で書かれたのだそうです。それが今日、紙面に掲載されたとか。東京新聞を購読されている方は、ちょっと探してみてください。会社で全紙読めるという方も。ネットにも掲載してくれればいいのですが、まあ、なんでもかんでも、ネットに載せるわけにはいかないでしょう。

 そのなかで吉岡記者は「ライターとして優秀でも、冗談のセンスは大いに疑問ありのTさん」と書いています。自分ではライターとして優秀とは思っていませんし、冗談のセンスに関しては疑問などありません。しかし、これが他者から見た自分の評価だということです。
 新潟でお会いしたある陸上競技部の総監督から、そのチームの選手が「寺田さんの記事は見方が厳しいから信頼できる」と話していることをお聞きしました。え、厳しいの? というのが正直な感想です。だったら、ISHIRO!記者は寺田の10倍は信頼できますよ、と言い返そうとも思いましたが(実際、その通りですし)、やめました。それが第三者の判断ということで、それはそれとして、受け入れる(受け止める)べきなのです。
 つまり、主観と客観の違いを理解する必要があるということ。その辺は日刊スポーツの前陸上競技担当・佐々木一郎記者に教えられました。「僕は寺田さんに何を書かれても、文句を言ったりしませんよ」というのが、彼の考え方でした。ファミレスに関する見識には大いに疑問がありますが、この姿勢は記者として素晴らしかったと思います。

 その辺がわかっていない選手や指導者も、います。「記事にこう書かれたけど、それは違う」という台詞。記者が事実誤認に基づいて書いているケースは、その反論もすべきなのですが、その記者が事実を正確に把握した上である意見を書いたら、それは、その記者の見方ということなんです。それに対してただ、「自分はそうじゃない。こうしているつもりなんだ」と言っても、見方が違うというだけのこと。議論は噛み合わないことが多いでしょう。
 それでも、世の中には結論を出さなきゃいけないケースがあるじゃないか、というご意見もあると思います。その結論を無理やり導き出すのが多数決という方法。今年もアスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパン(陸マガ制定)が1人選ばれることになるでしょう。現時点ですでに、オリンピックの金メダリストが2人いて、どっちがふさわしいかなんて、決められっこありません。だから、投票で選ぶしかないのです。政治も、同じでしょうか。

 プレッシャーのかかる原稿が1本、終わりました。明後日の実業団・学生対抗の取材に行けそうです。しかし、以前にも書きましたが、主催者側から誰が出場するのかなど情報提供の少ない試合です。選手権じゃないんですから、その辺の頑張りが必要なんじゃないかな、なんて思っちゃう試合ですね。それとも、単なる記録会という位置づけ?(おっ、厳しい意見だ)


◆10月2日(土)
 ICHIRO選手が大リーグ最多安打新記録を達成。素晴らしいですね。本当に、なんと評価していいか言葉が見つかりません。しかし、陸上競技の記録と野球の記録は、違います。同列に論じるべきことじゃないと思っています。世間が言っている野球の記録って、条件が一定じゃないんですよね。陸上競技と同列に扱っていいのは、ピッチャーの球速くらいでしょうか。でも、待てよ。陸上競技の記録だって…。今度、機会があったら選手に聞いてみましょう。

 すいません。いただいたメールで紹介したいものがいくつか貯まっています。
 ちょっと前に愛犬デジタル工房という寺田の従兄弟がやっているサイトを紹介しまして、そのときにトップスプリンターでペットを飼っている選手も多い、という伊東浩司選手のコメントも引用させてもらいました。それを見た方が、次のようなメールをくれました。

さて突然のメールで恐縮ですが、日記の内容に思わず反応してしまいました。
僕も陸上競技を愛する一人ですが、愛犬家です。
(足が速いとはちょっといいづらいですが。。。)
寺田さんの日記には出てませんでしたが、ご存知の通り、徳本選手も犬を飼ってますよね。(テレビで何度も見ました)
きっと寺田さんの予想はあたってると思います。
PSちなみに小生のHPです。
http://www.geocities.jp/jjo0918/index.html


 まずは必ず、上記のサイトを“パッと”見てください。
 見ました?
名犬倶楽部」と読まなかったでしょうか? これはもしかすると、推理小説の手法でいうところのミスリーディングでしょうか? ペットの話題をずっとしていていきなり、「名大」という文字を見せられたら「名犬」と読み違いをしやすくなります。寺田のサイトでICHIRO選手と書くと、ISHIRO!記者と読み違える人が多いのと同じです。

 いやいや、メールをくださった方には、申し訳のない掲載の仕方をしてしまいました。天下の名大に対して失礼だったと反省しています。名大といえば、一時期200 mでいい選手が出ていたと思いますし、今年は全日本大学駅伝への出場権も取っています(東海学連サイトに結果が載っています)。


◆10月3日(日)
 朝の9:17。雨です。寒いです。今日は実業団・学生対抗ですが、記録は厳しいでしょうか。150行原稿もあと3本残っていることですし、原稿書きに専念しようかな。でも、男子800 mは記録を狙う特別レースが組まれています。どないしよう。って、行くのですけど。

 昨日の日記で心理的なミスリーディングによる、文字の読み違いについて触れました(ちゃんと読み返してくださいね)。今日は、ある聞き違いについて紹介しましょう。

 実業団・学生対抗取材中のことです。女子400 mHで久保倉里美選手が56秒73の学生新を出し、某専門誌編集部のO川編集者が「僕の記録に追いつかれました」と、しみじみと(?)話していました。知る人ぞ知る、彼は甲南大で400 mハードラーだったのです。ベスト記録は56秒7だったとのこと。O川編集者の記録は男子用の高さだったと思うのですが、「追いつかれた」と言うところを見ると、練習中に女子用のハードルでトライアルをしたのかもしれません。気になる方は、某専門誌編集部に電話してみ……るようなことはやめましょう。たぶん、迷惑です。
 このO川編集者は、人呼んで二枚目ハードラー。最初に名付けたのはたぶん寺田ですが、日本テレビ鈴木崇アナに似ていることは、今年の箱根駅伝閉会式時にAプロデューサーのお墨付きをもらっています。
 ところで、川本和久先生の日記によく出てくるE本編集者は、同僚の後輩が二枚目ハードラーと呼ばれることに常々、異議を唱えています。これは単なる、書き手の主観なんですけどね。「寺田さんのサイトで書かれたら、陸上界ではそうなってしまいますから」というのが、彼の抗議の根拠です。これが、誤解もいいところ。
 O川編集者はハードル間を7台目まで15歩、8台目以降を17歩で走ったのですが、為末選手ばりにスタートから前半が速かったのだそうです。3学年先輩の新井初佳選手も目を見張ったという噂……はないのですが、とにかく速かった。1台目はなんとか上手く制御できるのですが、内側のレーンだった場合は特に、2コーナーの2台目でどうしても外に振られてバランスを崩してしまっていました。それがなければ、インカレの決勝も夢ではなかったはずですが、結局、最後まで2台目を克服できませんでした。2台目が鬼門のハードラー、略して2台目ハードラーと言っていたのを、E本編集者が二枚目ハードラーと聞き違えたのです……一生懸命書きましたが、書かなきゃよかったかな、という悔恨の念に襲われています。

 もう1つ関西ネタがあります。
 今日、スタンドで寺田の隣にすわった方から、話しかけられました。
「やっぱり、雨の日は記録は悪くなるのですか」
 見ると、70歳は確実に過ぎていると思われる年輩の男性の方です。ちょうど、TBSのSプロデューサーと、かなり専門的な話をした直後だったので、寺田が記者ということはわかっていたと思いました。どう答えるか迷いました。小雨ではなく、かなりの本降りでしたから、間違いなく記録に影響します。しかし、簡単に「記録は出ませんね」と言ったら、せっかく実学のような(伝統はあるけど)最近はマイナーな試合に足を運んでくれた観客の方を失望させることになります。
 どういった目的で実学を観戦しに来たのか聞こうかとも思ったのですが、こちらが身構えすぎても不自然です。胸に記者IDも下げていましたから、記者らしい答えをしなければ、とも考えました。
「選手は絶対に記録を出すつもりで競技に臨みますが、実際のところ、このくらい強い雨だと記録は下がってしまいますね」
 聞けば、走幅跳の荒川大輔選手のお祖父さんでした。荒川選手のお父さんは関西在住ですが、お祖父さんは小田原(か、その近郊)に住んでいらっしゃるとのことで、初めて荒川選手の競技を観戦に来たようです。期待に応えて荒川選手は7m42で優勝。記録自体は低調ですが、家族の方の目にはどう映ったでしょうか。

 今日、ある人とも話したのですが、陸上競技に記録があるのは、両刃の剣。今日のように雨が激しく降ったりした場合、記録だけを期待した観戦の仕方は失望を招くだけです。やっぱり、テーマを持った観戦法がいいかな。能動的な観戦法ですね。えっ、何のことかわからない? 具体的には、もうちょっとしかるべき場所と機会に書きましょう。


◆10月4日(月)
 今日は月曜日。昨晩締め切りの原稿の仕上げが昨日中にできず、今日の午前中いっぱいかかりました。当初は午後、高橋尚子選手の帰国取材に成田空港に行こうと予定していましたが、帰国が延期になったので予定が空きました。にもかかわらず、今日中に書く予定の原稿(3本)が進みません。メールと電話の集中砲火、じゃなくて断続的な攻撃を受けたのです。原稿料の話や今後のスケジュールなど。

 昨日、二枚目ハードラー(正確には二台目ハードラー)に小田原で合いましたが、今日は三重の二枚目助教授(こちらは何も異議は来ていません。教え子からクレームが来たらどうなるんだろう? 答え:どうにもならない)からメールが着信。彼が理事長(30歳代後半?)を務める陸上競技研究会開催の案内でした。次回は11月20日(土)開催とのこと。取材予定の試合はありません。常々、土日開催だから取材と重なって行けない、と文句を言っていました。今回は為末大選手や高平慎士選手も登壇するようです。是非とも顔を出さなければと思った矢先、開催地が鹿児島大との文字が目に飛び込んできました(かなり痛かった)。
 鹿児島だと、さすがに経費がちょっと……。残念ですが、無理っぽいですね。日本選手権同様、この研究会も各地で持ち回り開催になる傾向があります。これは、仕方のないこと。日程も、多数の出席者を集めようと思ったら土日開催は当然のこと。平日開催など無理だとわかっていて、文句をつけているのですね。その辺は、先方もわかってくれていると思います。
 しかし、もうそろそろ、時間とか場所とかの障壁がなくなってもいい時代が来ている気がします。なんてったって、時代の最先端を行くはずの研究会ですからね。ブロードバンドも普及しています。三重の二枚目助教授に期待します……が、この手の研究会もまだ手弁当で頑張らないといけない状況かも。陸上競技(マラソン・駅伝を除く)にお金が回ってくるのはいつの日でしょうか。と嘆く前に、自分ができることを頑張ります。

 原稿が進まず、ちょっとやばい状況に。金曜日から、予定外の出張を入れたいのですが、行ける確率は32%。昨日、O村ライターから「今度の週末はどこで取材ですか」と聞かれて、ちょっとごまかすのに苦労しましたが、ヒントは今日の日記にあると言っておきま兵庫(サトアツ・ジョーク)。サトアナ特設ページも作りたいのですが。久しぶりに、食事をとるのも時間がもったいない忙しさに。仕事のパートナーが欲しい、ですね。2つのスタイルを考えていて、1つは秘書的なパートナー。朝、ネットやメールでできることをやってもらって、夜(その人の勤務後とか)、新宿で2〜3時間、手伝ってもらうパターン。もう1つは、完全なフリーランスの方に、仕事の一部をシェアしてもらうパターン。ちょっと、業務拡張も思案中なのです。次の4年間に向けて考えているのは、川本和久元助教授だけじゃない!


◆10月5日(火)
 午前中は久しぶりに自宅で仕事。インターネットに常時接続環境のWSTF(新宿の作業部屋)と違って、自宅では1回1回が有料接続。と、メールを読めない理由があるのです(いいのか?)。おまけに昨晩、WSTFに携帯電話を忘れてしまいました。寺田も現代っ子の端くれ(?)、携帯電話を常に身につけていないと不安で不安でたまりません。本当にどうしよう。重要な連絡の電話が来ていたら。自分だけ、社会の外に弾き出されたようにさえ錯覚してしまいます。ビクビクです。
 と思いつつも、仕方がないので泣く泣く原稿書きに集中しました。集中できると、陸上競技の原稿を書くのも面白いですね(今さら気づくなよ)。最近は、選手や指導者の話を聞くことに面白さを感じることが多かったのですが、今日は書く部分もちょっといいかな、と思いました。これまでも、あれですよね。忙しいと文句は言っても、仕事自体が嫌だとは1回も書いていないと思います。などと書くと、安くても仕事を引き受けるみたいに思われそうなので、陸上競技ライターほど大変な仕事はない、と断言しておきましょう。

 14時に自宅を出て、途中で昼食を済ませて15:30にWSTF着。電話を1本。オリンピック前にやった大仕事のギャラ決めです。今頃、そんなことをするなんて、真っ当なビジネスとは言えませんね。
 カメラと資料を持って、16:20に取材に出発したのでメールは見られず。18時からの取材予定でしたが、連絡の行き違いがあって19:30からに。22時に新宿に戻ってきて、開いている本屋を探しました。週末の出張(実現可能性34%)の下調べをしようと思ったのですが、頼みの(?)博文堂は閉まっています。深入りは禁物と思いつつ、新宿の街を30分ほど書店を求めて彷徨いました。地下街に書店があったな、と最後の望みをかけましたが閉店後。あきらめて丸の内線で中野坂上に。ファミレスで夕食をとり、この日記を書いています。

 今晩中に200行1本と50行1本(ただ今3:50。厳しいか)。明日の水曜日に50行が3本、明後日の木曜日に80行が1本。明日は13時から某誌編集者と打ち合わせ。あと、何かあったような気が…。メールをチェックすると、ASAHIネットに28通(そのうち25本はウィルスメール)、Niftyに19通(5〜6通は楽天などの営業メール)。


◆10月6日(水)
 このところ早寝早起きの生活パターンでしたが、どうしようもなく、朝まで仕事。たぶん、5時台に寝て、10時台に起きましたから、5時間弱は睡眠時間を確保しているはず。まあ、楽勝ですね、体調的には。
 しかし、仕事のほうは楽勝とはいきません(だから、朝まで仕事をしているわけですが)。金曜日から予定になかった出張に行こうとしているので、仕事を前倒しして頑張らなければいけません。えっ、元々、今日明日の締め切り? そうだったかもしれません。その辺は自営業者秘密っていうことで。

 今日は、ある雑誌の編集者の方がわざわざ、WSTF(新宿の作業部屋)まで打ち合わせのために来てくれました。当初は帰国後(来週の火曜日)以後にお願いしようと思った打ち合わせですが、元編集者としては、それだと、その後のアポ取りが大変になるだろうな、少しでも早く方針を決めた方がいいだろうな、とか相手の立場になって考えてしまうのです(当たり前?)。ということで、今日の打ち合わせに。
 13:30から15:30まで打ち合わせ。その人も言っていましたが、雑談の中から企画の元となるアイデアが生まれてくることがあります。電話やメールだけの打ち合わせでは、そこまでは無理でしょうか。
 その後、編集者の人は新宿駅に、寺田は都庁の書店に行きました。都庁のなかに三省堂書店があることを、その方が教えてくれたのです。ガイドブックを購入してWSTFに戻り、ネットでホテルの手配。電話で航空券の手配など。最終的なゴーサインが出るのは明日なのですが、今日中にほぼ、あたりをつけておく必要があります。

 勘のいい方はすでにおわかりかと思いますが、週末の出張先は米国イリノイ州シカゴです。目的は、ミシガン湖畔の風を感じるため。9月上旬から少しは頭の片隅にあったシカゴ出張ですが、可能性としてはその時点では1%。それが、高岡寿成選手が出場すると知って5%となり、明日発売のスポーツ・ヤァ!の記事を書くために取材をして、20%になりました。
 今回のように、どこかと「これこれこういう記事を書く」という契約をしていない場合、行く行かないの判断は本当に100%、自分がしなければなりません。これが、けっこう難しいんですよ。状況的に行くしかないという場合や、あるいは第三者から「この契約で行ってくれ」と頼まれた場合の方が、はるかに楽に決断ができます。
 それに、今回のような自腹出張の場合、気持ちを盛り上げることができないとまず、行動には移せません。中途半端なテンションの上げ方では「よーし、行くぞ」という気分にはなれない。その気分になるには何カ月もかけて気持ちを持っていく必要があるんです。出費も大きいし(大金を投資するのに、気持ちの準備って必要ですよね)、その期間、仕事のスケジュールを空けないといけませんから。
 今年6〜7月のヨーロッパ出張も、この日記を読むと直前に決断したように思われるかもしれませんが、気持ちはかなり前から、たぶん1年以上かけて準備していました。今回と比べたら、比較にならないくらいスムーズに決断したと思います。1つ、大きな仕事が重なったのをどうするか、という問題だけだったような気がします。
 こんな感じでなかなか決断できませんでしたが、最終的にシカゴに行くぞ、という決め手となった動機は、シカゴ・マラソンが世界三大湖畔大会(レマン湖畔のアスレティッシマ=ローザンヌSGP・浜名湖一周駅伝・びわ湖マラソン)と肩を並べうる湖畔の大会かどうかを、この目で確かめたい、というもの。だから、ミシガン湖畔の風を感じに行くのです。


◆10月7日(木)
 昨晩は、2年前にシカゴに取材に行った佐々木一郎記者(日刊スポーツ前陸上競技担当)に電話をして、情報を教えてもらいました。アメリカ在住のケン中村氏からも、貴重なアドバイスをいただきました。感謝です。

 ただ今16:55。HISの帰りにスタバによって、カフェアメリカーノ(トールサイズ)を飲みながら、日記を書いています。そういえば昔のシカゴ・マラソンって、アメリカズマラソンとか言いませんでしたっけ? スポンサーもジョン・ハンコックだったような……。それはともかく、航空券を購入して、もうキャンセルはできませんから、間違いなくシカゴに行くことになります。出発は明日の16:35。カネボウの音喜多コーチとも連絡を取りましたし。サミーの森岡監督には1週間ほど前に、シカゴに姿を現すかもしれない、と伝えてあります。ヤクルトの安田監督の携帯番号を、物江コーチか奥山コーチに聞かないと。

 苦労したのはホテルです。選手用のホテルやプレスセンターのあるホテル、スタート地点とフィニッシュ地点などはすべて、シカゴの中心地に集中しています。ループエリアとか、ダウンタウンと呼ばれる地域で、もちろんミシガン湖畔。実は1週間ほど前からインターネットのホテル予約サイトで、「ダウンタウン」にあるホテルを1つ、目を付けていました。地図を見ると、選手ホテルのあるモンロー通りから1つだけ離れたアダムス通り。1泊130$くらいでしたが、徒歩で関係各所に行けるというのは便利です。夜も……夜は何もしませんけど。
 ところが、どこか変なのです。そのホテルの所在地を示すマップは、ガイドブックのシカゴの地図と、通りの名前はモンロー通り、アダムス通り、マディソン通りと一緒なのですが、位置関係が逆転しています。どちらかの地図が南北を逆にしてあるのかと思ったのですが、3つの通りの順番が違っています。シカゴで検索して、ダウンタウンという地区も一緒で通りの名前も一緒……念のため住所を見ると、スプリングフィールド……スプリングフィールドってシカゴの中の別の地域なのかな、と思いました。通りは一緒だけど、湖畔から遠く離れているのかな、とか考えたんですね。でも、ダウンタウンってなっているし…。
 ところが、さにあらず。スプリングフィールドはシカゴから400kmくらい離れた別の都市だったのです。リンカーンが一時、住んでいたらしいのですが、そんなことはどうでもいい。400km離れていてもシカゴで検索に引っかかるとは日本では考えられません。本当に紛らわしいことをしてくれます。アメリカの都市って、どこもモンローとかアダムスとか、ワシントンとか歴代大統領の名前を通りに付けるのでしょうか?1つ、勉強しました。そういえば、アメリカは初めてですからね。

 元々、ちょっと変だとは思っていたのです。ダウンタウンのホテルは280$とか390$とか、目の玉の飛び出るほど高い部屋ばかりでしたから。勘違いが発覚後、ホテル探しにたぶん、1時間は使ったと思います。この辺も、時間が必要なところですね。英語のサイトをパパッと見ていく能力はありませんし。結局、今朝、空港の1泊110$くらいのホテルを予約しました。ダウンタウンまでは電車で40分。東京で通勤するのと同じ感覚でOKでしょう。
 24時間後にはもう、機中の人となっているわけか。それまでに、80行原稿1本と、50行が3本。50行のうち何本かは機中で書くことになるでしょうか。見積書も1つ仕上げないと。

 物江コーチに連絡がつきました。ジェンガ選手は絶好調のようです。
 高岡寿成選手に関しては、今日発売のスポーツ・ヤァ!に寺田の書いた記事(シカゴ・マラソンの前もの)が出ています。見出しに「集大成」という言葉が使われていますが、シカゴ後も“世界一”を目指してマラソンは続けるとのことです。


◆10月8日(金)
 昨晩というか今朝、留守中のテレビ番組録画をハードディスクレコーダにセット。出雲全日本大学選抜駅伝(フジ)とシカゴ・マラソン(テレ東)の放映時間が重なるんですね。時々ありますよね。全日本大学女子駅伝(テレ朝)と地区実業団駅伝特集(TBS)が重なったり。陸上競技ファンにとってははた迷惑。そんな悩み多き陸上ファンには申し訳ないのですが、寺田はオリンピック録画用に大枚(タイ米ではない=joke for H-university)をはたいて買っただけのことはありまして(もちろん必要経費)、チューナーが2つ内蔵されている機種なのです。キシュはアトランタ五輪ハンマー投金メダリスト。
 陸上競技以外では、フジテレビの月9ドラマを見ることにしましたので、第1回放映の延長時間も録り漏れないように注意してセット。しばらく、大河ドラマ以外は見ていませんでしたが、今クールの月9はスポーツメーカーが舞台ということで、ミズノの木水さん(広報)が勧めてくれたのです。木水さんは長谷川順子マネ&等々力信弘夫妻と同期入社。なんでも、以前にもドラマでスポーツメーカーが舞台となったことがあり、入社時の求人に対する応募者の倍率が跳ね上がったことがあるのだそうです。3人はその年の入社なんでしたっけ?

 シカゴに着きました。ただいま20:04。空港近くのホテルです。14時にシカゴに着陸したのに、ホテル着が17時過ぎ。ここまで遅くなったのには、わけがあります。(つづく、はず)


◆10月9日(土)
 シカゴのホテルです。こちらの時間で午前3:50。早起き?して仕事をしています。

 昨日は14時にシカゴに着陸したのに、ホテル着が17時過ぎでした。
 機内では50行原稿を2本、書きました。実は、昨日の出発(飛行機搭乗)までに50行を1本書く予定だったのですが、慌ただしくて書けませんでした。ぎりぎりまで頑張って、出国審査でUAの係り委員(?)に「UA882便の人は急いでください。列の前の人にご自分で頼んで、先に手続きをさせてもらってください」と、冷たく言われまでしました。10時間以上の国際線の場合、機内食が2回出ますし、その前後に何やかやとあります。あれがなければ、もうちょっと筆が進むのですが。バッテリーは2本用意して、機内ライティングは万全の状況だったのですが。
 入国審査に1時間近く並んで、バゲージクレームで荷物を待っているとワンちゃんにつかまるハプニングもありましたが(麻薬や食料持ち込みをチェックする犬が、機内食で出たバナナの残り香に反応してしまったのです)。最近、犬をネタにしているからでしょうか。これは荷物チェックを受けて何のお咎めもなし。
 同じ便にニューバランスのツアーの人たちがいて、中にはクリールのH編集長(ベースボール・マガジン社時代の同僚です)の顔も。コースの下見がツアーに組み込まれているというので、一緒に行けないかと随行員の方に申し入れたのですが、先方との契約などの問題でダメでした。これは、保険などの問題もあって、契約社会のアメリカでは難しいことのようです。

 この時点ですでに15時過ぎ。プレスセンターは17時までなので、行くかどうか迷いました。慣れない移動なので1時間以上はかかるでしょう。ホテルが近かったらパッと荷物を置いて移動しようと思いましたが、ホテルがねぇ、とんでもなかったのです。
 駅から数分というのは、ダウンタウンに行くブルーライン(通称)という地下鉄ではなく、近郊鉄道の別のライン。ホテルにはシャトルバスで行くしかありませんでした。空港のインフォメーションの兄ちゃんがホテルへの直通電話を教えてくれ(近くの各ホテルへ無料で直通電話ができるスペースがあります。これは便利でした)、電話をすると「ゲート5Eで待っていたらピックアップする」と、ちょっと早口の女性の回答。ところが、待てど暮らせどBest Western Hotelの車は来ない。まあ、昨年のパリのときもかなり待たされましたから(ホテルではなく、大会主催者の手配した車でしたが)。しかし、他の大手チェーンホテルの車は10分に1回くらい来るんです。30分待って、再度電話。同じように「ゲート5Eで待て」。どんな車なんだ? と質問すると、「ワイドバンだ」と言います。
 また30分以上も待ちました。あきらめて、タクシーに乗ろうとすると、タクシーの運転手が「Best Westernならホテルの車が10分に1回はそこを走っている」と言います。車にホテル名は書かれているのかと聞くと、当たり前だ、という答え。それで再度、待つことに。また、30分。
 3回目の電話をホテルにかけると、「ターミナル5なの?」というので「ターミナル5だから5Eなんでしょ」と答えました。もしかしたら、別のターミナルにも5Eがあったのでしょうか。でも、最初の電話でターミナル5と言ったんですけどね。5分でホテルの車が来ましたが、寺田のためという感じではありません。
 ホテルに着くと、30分に1回、各ターミナルを回っていると言います。でも、間違いなく来ませんでしたから、他のゲストからの要請で、他を回っていたような気がするんですけどね。運転手もちょっと、調子の良さそうなスペイン系の兄ちゃんでしたし。
 困ったことに、ダウンタウン方面行きのブルーラインに乗るには、空港(ターミナル2)まで、その30分に1本のホテルのシャトルで行くしかないこと(またはタクシー)。「How long does it take to terminal-2 by walk?」と中学生の英会話そのままの質問をすると、「You can't walk!!」と、受付のお姉ちゃんに、一刀のもとに切り捨てられました。「それは、あんたがデブだからだよ」と言おうと思いましたが、英語が出てきませんでした。

 ホテル着が18時過ぎ。部屋はツインのシングルユースで、設備面は申し分ありません。気温は15℃前後だと思います。寒すぎず、暑くもなく。でも、部屋にはいると冷房が入っていました。太めのアメリカ人には、ちょうどいいのでしょうか。LAN端子が部屋にあったので接続してみると、あら不思議、問題なくネットに接続できてしまいました(無料なんだろうな)。鳥取のホテル(日本選手権のとき)では、何度取り説を読んでトライしてもダメだったのに。でも、メールソフトでの送受信はできません。設定すればできるのでしょうが、まあ、これはいいでしょう。3日間だし、読むのだけならブラウザでできますし。
 着いて間もなく、ケン中村氏(米国在住ATFS会員)から電話をいただきました。色々と気にかけてくれたようで、ありがたいことです。その後、日本の各監督やH編集長に電話をしましたが、1人もつかまらず。飛行機の中ではウトウトした程度だったので、猛烈な眠気が襲ってきました。
 20時そこそこには就寝。朝は2時から起きて仕事をしている次第。4時から朝食ができるというのが、せめてもの救い。6時頃には、ダウンタウンに向けて出発します。残りの原稿は……頑張ります?

 今(4:44)、窓を開けたらかなり寒かったです。10℃前後といったところ。部屋はこんな感じ


◆10月15日(金)
 すいません。5日間ほど日記の更新ができませんでした。無理やりスケジュールを空けてシカゴに行ったものですから、帰国後は楽ではありません。時差調整も上手く行かず、眠ろうと思うときに眠れず、肝心なときに眠くなってしまうことの繰り返し(シカゴのペースメーカーのような下手さです)。シカゴの記事だけでなく、帰国翌日のMTCアテネ五輪感謝の夕べにも行って、ネタは貯まっているのです。シカゴ前の実学や、ちょっと古いけど全日本実業団でも書きたい記事があったのですが…。
 このサイトを完全に仕事と位置づける必要があるかもしれません。“この大会の翌日はこのサイト用の記事を書く”と時間取りをして、他の仕事は入れない、とかね。うーん、さすがにそこまではできないでしょうか。でも、最近中途半端ですよね。いっそのこと撤退する方法もありますが、もうちょっと頑張りたいですし。
 まあ、シカゴに行ったことへの後悔は、これっぽっちもしていません。それは、はっきりと書いておかないと。実は今(22:11)も、ある原稿の直しを大至急でしないといけません。明日は8:30に箱根駅伝予選会がスタートするので、朝の5時起床でしょうか。まだ、現地までの時間とか、調べてないのです。
 シカゴ・マラソン前日の日記を、途中まで書いてあります。帰りの機内で書いたのですが、太ったスチュワーデスが意地悪くて閉口していました。そんな心理状態で書き始めた日記だとご理解ください。


◇10月9日(土)その2
 8:00スタートと朝の早い明日の予行演習を兼ねて、5:30にホテルを出ようかと思いましたが、仕事が終わらなかったため6:00に出発。空港駅からブルーラインと呼ばれる地下鉄に乗ります。CTA(シカゴ交通局でしょうか)の2日間フリー切符を買おうとしたら自販機が2つとも故障中。警備のお兄ちゃんがいるくらいで、窓口は開いていない時間です。まあ、切符の買い方も難しくなかったので、いいとしましょう。それでも初めてなので、確実に15分以上はなんやかやと手間取っていたと思います。
 ダウンタウンのモンロー駅まで約45分。エリート選手たちの泊まっているパルマーハウス・ヒルトンに7:20には着いていたと思いますが、ホテルを出て1時間20分。ちょっともったいない時間です。さすがに、海外の地下鉄でまでパソコンを取り出して仕事はできません(長距離電車ではやりますよ)。
 ロビーでサミーの橋本選手と森岡監督に挨拶し、レストランでカネボウ・トリオ(伊藤監督・外舘トレーナー・高岡選手)にも挨拶。2年前のシカゴ・マラソンの陸マガ記事(中国新聞・渡辺さんが書かれた記事)に朝食はカステラとお餅、おにぎりだったと書かれていたので、カステラを手土産として差し入れ。もちろん、橋本・高塚・ジェンガ選手にも。

 11時前後に高岡選手と橋本選手がミシガン湖沿いを練習で走ると聞いたので、そこを見学&写真撮影させてもらいました。高塚選手もいました。土曜の午前中でジョギングをしている人も多く見かけましたが、図ったようにみんなおデブさんなのです。なかに、ごくまれにマッスル系の人もいますが、日本の市民ランナーとは明らかに雰囲気が違います。確かにシカゴのダウンタウンは、東京で言うなら丸の内と銀座を合わせた感じですから、ミシガン湖のジョガーは金持ちばかりなのかも。でも、皇居のジョガーはもっとランナー然としていますよね。要するに、国全体に太った人(fattyファティー)が多いという、ただそれだけ? パルマーハウス・ヒルトンに泊まっている金持ちは皆、本当にみんな、たぶん88%くらいファティーです。
(シカゴの日記はちゃんと書く予定)


◆10月16日(土)
 昨晩は4時まで原稿の修正作業。6時に起きて箱根駅伝予選会の取材に。移動途中にH先生に電話をして、報道受付の場所を確認しました。立川の昭和記念公園は広いですから、これを正確に把握しておかないと相当に時間をロスすることになります。7:45にはモノレールの立川北駅に着き、8時前には無事に受付を済ませました。が、スタート地点に行く道を間違えて相当にロス。日産自動車の加藤監督も間違った方向にいらっしゃいましたが、監督が母校のマネジャーに道順などを確認して、なんとかスタートには間に合いました。
 立川では2年ぶりの予選会開催。スタート、2km過ぎ、5kmと極めて近い位置を走るので何回か生で選手を見られます。1週間前のシカゴ・マラソンは、スタート→2マイル→20kmと生観戦ができましたが、2マイルまでの移動はかなり大変でした。それに比べると今回は楽ですが、沿道は立錐の余地がなく、写真を撮るのは今回の方が大変でした(スタートは同じくらいの人混みでしたが)。
 15kmも見られるのですが、先にフィニッシュ地点をチェックしようと移動しました。すると、フィニッシュ地点には大きなビジョンがあって、レース画像を見られるではありませんか。これは、いいですね。しかも今回から、プレステントがあって机で作業もできる。陸マガ・高橋次長が自慢の白いノートパソコンに向かっていました。

 フィニッシュ地点には筑波大の各先生方が勢揃いされていました。短距離・ハードルの宮下憲先生、中・長距離の永井純先生、混成の尾縣貢先生、跳躍の村木先生、投てきの大山先生と豪華コーチ陣です。しかし、筑波大は長距離に力を入れていないので、今大会も18位と、トラック&フィールドと比べると下位に甘んじました。関東インカレ・ポイントは一番なのですが、どうしようもありません。ちなみに、村木先生は高橋次長の筑波大時代の恩師です。2人のツーショット写真を撮れなかったのは、かえすがえすも残念。本日2番目のミステイクでした。
 ミステイクといえば2位通過の大東大・只隈監督のコメント取りに遅参したこと。寺田が大東大陣地に行くと、ちょうど4人くらいの記者の方たちの取材が終わったところです。被取材者に同じことを何度も言わせるのは避けたいですからね。控えめな雑談的な取材と、どこかのラジオ局がインタビューしたのを一緒に取材させてもらいました(それが、このコメント)。本日最大のミステイクは、只隈監督の不倶戴天の敵である神奈川大・大後栄治監督へのメッセージをもらい忘れたこと。大東大陣地から離れて5分後に気づいたのですが、今大会は各大学の陣地があちこちに散らばっていて、移動が難しいのです。あきらめざるを得ませんでした。

 一通りの取材が終わってプレステントに戻ってきて、記録を受け取るともう11:30近くに。この大会は記録を知らないまま取材をしないといけません。通過した大学などは比較的早めにわかるのですが、各大学のどの選手がどのくらいの記録・順位でフィニッシュしたのかは、相当時間が経たないと配られませんし、先ほどから言っているように各大学が散らばっているので、記録を確認しに本部まで戻ることもできない。非常に取材のしづららい大会です。
 しかし、今年から報道対応は格段に進歩しました。別に、お弁当が出たから、そう言うわけではないですよ。普段は試合の途中でお弁当を食べるのですが、今日は取材終了後の昼食となるわけで、非常に落ち着いて食べられるのです。リラックスできると新たなアイデアが浮かぶのが人情というもの。プレステントにいた関東学連の方に提案を1つしました。
「関東インカレを取材した記者には、お弁当を2つ配るというのはどうですか」
 つまり、記者の関東インカレ・ポイントです。某専門誌記者たちの間から賛同に近い声が挙がりました。でも、考えてみたら2つも食べられませんから、お弁当の質を上げるのがいいかもしれません。冗談めかして書いていますが、関東インカレ・ポイントの意味は、トラック&フィールドが重要だと位置づけている主催者の姿勢に他なりません。だったら、箱根駅伝予選会の10分の1以下の記者数の関東インカレを、盛り上げるための方策があってもいいのではないかと。来ないかな、弁当くらいじゃ。

 取材終了後、新宿に出てカフェで校正と原稿書き。と思ったら、寝不足の疲れがどっと出て、2時間近く眠ってしまいました。その後、約2時間原稿を書いて、18時近くにWSTF(新宿の作業部屋)に。
 予選会の取材中に日清食品・岡村マネジャーに合いました。かつては、山梨学院大の敏腕マネとして知られていましたが、今は坂下奈穂美選手の旦那さんとしても有名です(テレビで何度も紹介されていましたから)。母校の予選通過にホッとされたことでしょう。その岡村マネに「新宿で女性の方と歩いていましたね」と言われましたが、それはもちろん、家族T氏がWSTFに来たときのものです。今日は、寺田がWSTFに向かって歩いていると、日清食品・高見澤勝選手がジョッグしているのを目撃しました。昨年の山梨学院大のキャプテン。ジョッグ中の表情は…暗くてよくわかりませんでした。


◆10月17日(日)
 昨晩は22時頃に寝てしまったのですが、朝の2時には起きて仕事をしました。7時から再度、ちょっとの睡眠をとった後、等々力陸上競技場で行われているかわさき陸上競技フェスティバルに。この大会は今年で3回目ですが、クラブチームのアンビバレンスが主催していて、通常の競技会とは違った趣向が凝らされています。トップレベルの選手は招待種目(男子の800 m・走高跳・走幅跳と女子800 m)にしか出場しませんが、それは、この大会の一側面でしかないのです。どう違うかは、大会サイトこちらの写真をご覧いただければと思います。
 実は家族T氏がアンビバレンスに所属していまして、その関係で寺田も関係者の方と面識があります。等々力競技場は最初にT氏に会った場所でもありますし、当のT氏は仕事で行けなかったのですが、代わりにというわけではありませんが、寺田が駆けつけた次第です(駆けつけても、何かの役に立つわけではありませんが)。

 競技場に着くと七種競技の中田有紀選手がいます。競技後に行われる陸上競技教室の講師なのです。ISHIRO!記者のサイトに「ある日本記録保持者が今年限りで引退する」という情報があったので、もしかしたらと思い確認すると、中田選手ではないとのこと。陸マガ10月号の記事を書くための取材の際、引退の可能性も話してくれたので、あるいはと思っていたのです。
 次に会ったのは……すいません。忘れました。かなり多くの方と話をしたのです。
 某広告代理店美人プランナーのOさんが、100 mに簡優好選手が出ていたと教えてくれました。陸マガ時代にお世話になったドイツ在住の川口さんも来ていらっしゃいました。堀越勇介選手に会って「ちょっと老けたね」と失礼な挨拶に、「元々、老け顔ですから」と元中学記録保持者は返してきました。続いて渡辺高博氏に会ったので「変わらないね」と声をかけると「元々、老け顔ですから、実年齢がそれに近づいたのでしょう」と、元高校&学生記録保持者は返してきます。2人とも5〜6年ぶりなんてことはないのです。堀越選手はアンビバレンスの所属で今もレースに出ていますし、渡辺氏は巨人のオーナーじゃなくて、早大のコーチですから、たまには顔を合わせていたはずです。
 森長正樹選手に取材をしていると「簡ですよ」と言って、150m付近を走っている簡優好選手に「簡きちーっっ!」と声援を送ります。簡選手は引退して丸4年。走りのダイナミックさは失われていますが、あの独特のリズムの片鱗は残っていました。今は横浜市の金沢高の先生で、陸上競技部のコーチでもあります。今日の記録は、口止めされたので書けません。

 簡先生と話していて判明したことが1つ2つ、あります。後半の追い上げが特徴でしたが、それは100 mや200 mのスピードがなかったからなわけです。高校時代の練習はスピードはそれほど追い込まず、テンポ走が多かったとのこと。それで、あの独特のリズムの走りが完成したのです。1歩1歩弾むような動きで、ストライドは相当に大きかったとか。今の学校は250mトラックでコーナーがきつく、走りにくくて400 mの練習はできないのだそうです。それで今日は100 m・200 mにしたのだとか。
 聞けば、2学年下の堀越選手とは90年の世界ジュニアで4×400 mRメンバーを組んだ仲とか。90年の世界ジュニアと聞いて、プロヴディフ(ブルガリア)とすぐに地名が出てくるあたりは、寺田も捨てたものではありません。が、さすがに4×400 mRメンバー全員までは思い出せませんでした。簡選手と同じ学年の400 mHコンビ、斎藤嘉彦選手と山崎一彦選手ではないかと思ったのですが、関学大の選手だったと2人は言います。この辺の話のつじつまが合わないので、もしかしたら寺田が何かを勘違いしているかもしれません。帰って調べてみるとやっぱり、斎藤・堀越・山崎・簡で3分07秒58のジュニア日本新で7位入賞。予選で堀越選手は45秒9のラップで走ったと記事中にありました。

 走高跳の君野貴弘選手は足首を痛めていたとのこと(2m05)。優勝した醍醐直幸選手は大学1年以来5年ぶりの2m20。昨年は日本選手権も制していましたから、これにはビックリしました。醍醐選手に話を聞くのはたぶん、共同取材以外では初めて。昨年、東海大を卒業して1年目だったのですが、飛田商店という所属で試合に出ていました。「地元の商店街か何かが、共同でスポンサーになっているんじゃないか」と、一部記者たちの間で推測話が出ましたが、そのことを確認すると実業団登録の必要上の措置だったようです。

 男子800 mに優勝した竹井康彦選手は今季4回目の1分49秒台。竹井選手にも初めて話を聞きました。優勝した日本インカレは、ヨーロッパ取材中で行けませんでしたから。別海合宿では初めての選手ですし、なかなか話しかけられませんでした。181cm、69kgの体格に、以前から注目はしていたのです。聞けば、高校は福岡県の九州国際大附属とか。インターハイは1500mで3位になっていますが、競技歴を聞くとこれがまた、最高に面白いのです。できれば記事にしたいのですが、本人はあまり目立ちたくないと言います。寺田のサイトなら目立たないからOKでしょう。時間ができたら、紹介します。


◆10月18日(月)
 ちょっと前に予告しましたが、今クールは月9ドラマ(フジテレビ月曜21時枠のドラマ)を見ています。楽しめてはいますが、第1回の先週は設定&展開があまりにも都合がよすぎて、ちょっと荒唐無稽な印象でした。それがドラマというものでしょうか? 先週の第1回放映のときに(ビデオ録画したものですが)、実際のスポーツメーカーに取材しているのかなと思って、エンディングの字幕を注意して見ていましたが、それらしい情報は表示されません。先週のミズノのアテネ五輪感謝の夕べの際に、敏腕広報と噂されている木水さんに確認すると、取材は受けていないとのこと。まあ、あの内容だったら取材しなくても、想像で脚本は書けてしまう範囲でしょう。
 たぶん、現実のスポーツメーカー社員の皆さんは、「こんなのあり得ないよ」と思ってらっしゃるはず。陸上界を舞台にしたドラマや漫画も、いつもそうですから。以前、短距離選手を主人公にした漫画で、とんでもない非現実的なシーンがありました。ライバル選手がスタートがものすごく速いという設定で(主人公は後半型)、減速する終盤で一度クラウチングの姿勢になってスタートをし直して、主人公の選手を追い抜いてしまったのです。ここまで来るともう、大リーグボール(「巨人の星」はご存じですよね)の世界です。

 まあ、現実そのままを見せられても、面白くないということもあります。本当は面白いのですけど、この面白さというのは見る側が能動的にならないと理解できないのです。テレビドラマの視聴者、漫画の読者は基本的に受け身。送り手側が“これが面白いでしょう”と演出して見せないと、面白さを感じないようにできているのです。
 陸上競技の普及を考えたとき(話題がいきなり変わってますか?)、能動的なファンを増やすことが肝心です。受け身のファンだけでは本当の面白さがわからないので、人気が定着しません。しかし、どんなファンも最初から能動的ということはあり得ません。最初は受け身なのです。それをどう、能動的になってもらうか。テレビなどの映像メディアや、オリンピックで一時的に陸上競技に興味を持ったファンを、どうしたら能動的なファンに変化するかを考えるべきなのです。

 本日のおやじの時々日記に寺田らしき人物が登場。幸せを実感する昨今ですが、もうすぐ台風に襲われるのです。


◆10月19日(火)
 デジタルカメラを2台買いました。一昨日のかわさき陸上競技フェスティバル取材中に、約3年使い続けたデジカメを破損してしまったのです。最近はフリーズする回数も増えてきたし、画素数も200万で最近の機種と比べると見劣りがしたので、買い換えようと思っていたところでした。一応、3年前には最新機種で(当たり前か)、確か13万円くらいしたと記憶しています。10倍ズーム(300mm相当)で秒間10何コマか撮れる連写機能が売りでした。重さも500グラム近くあると思います。けっこう、地方紙の記者の方で、同じカメラを手に国体などを取材されているシーンを見かけました。しかし、シカゴでは、最新の小型デジカメで撮った伊藤国光監督の写真の方が綺麗だったりして。ちょうどいい、きっかけになりました。

 昨日からずっとネットで各社の製品を比較検討し、ヨドバシカメラなどで実物を手にして出した結論は、本格的な一眼レフを中古で1台、従来と同じ機能の最新の一体型を1台買うというもの。一眼レフは2年前に発売されたEOS-D60で、最新の一体型は京セラのFinecam M410
 D60は発売当時の定価が37万円くらいで600万画素。EOSレンズは2本持っているので(28-105mmと100-300mm)、ボディーだけの購入で済むのです。最近、まったく使っていませんが、EOS7(フィルム用カメラ)を持っていたのでした。
 最新の一体型は従来機より軽くて、320グラムだったかな。10倍ズームは一緒ですが、画素数は400万と2倍に。連写は秒間2コマという点が従来機に劣りますが、1コマ毎にピントが合うのが売りです。

 実は明日からの取材で撮影もしなければならず、徹夜で操作法を覚えないとダメかな、と覚悟していたら、EOSの方は3時間くらいで基本的な部分は覚えました。一眼レフの方が、シャッタースピード、絞り、ISO感度、ピント合わせなど、カメラの基本的な仕組みを理解できていれば、わかりやすいのです。焦点位置や測光位置がいくつもあったりしてビックリしましたが、まあ、その辺も何とか対応できそう。
 逆に、一体型の方が難しい。全てをオートで撮っている分にはいいのですが、どうしても逆光や室内で撮影するケースが出てきますし、連写も使うでしょう。「なんで、ISO感度をこのモードで上げられないの?」というような疑問が、けっこう出てくるのです。

 2年前の一眼レフ・デジカメ本体の値段が下がっていたので可能となった買い物です。ライターの撮影にはそれで十分。従来の一体型は実際の紙に大きく伸ばしたときに、若干のギザギザが生じてしまいましたが、今後は大丈夫でしょう。WEBサイト掲載なら一体型で十分ですし。これで、“打倒・伊藤国光”体勢が整いました。気分は瀬古利彦か宗兄弟、それとも喜多秀喜?


◆10月20日(水)
 今日から1泊2日で出張取材の予定でしたが、台風のため1日スライドすることにになりました。今日明日では一度も屋外の写真が撮れない可能性が高かったのです。明後日になれば、雨が止む可能性もあるので、朝の8時に先方と相談して急きょ、変更となりました。一応、雨対策でこんなアルミ製のカメラケースも、ヨドバシのポイントで購入したんですが、移動中だけOKでも意味がありません。

 ところで、一昨日の日記でアニメの「巨人の星」を引き合いに出しましたが、皆さんコランダー選手はご存じですよね(何の関係が?)。全米選手権の女子100 m優勝者で、アテネ五輪でも金メダル候補に挙げられていましたが(陸マガ9月号の全種目優勝者予想では千田さんと野口さんが候補に挙げられていました)、本番では8位にとどまった選手です。ネステレンコ選手(ベラルーシ)が1次予選から10秒台を連発、同じアメリカの20歳、ウィリアムズ選手も準決勝まで全てトップ通過と好調。決勝のテレビ放映でも、あまり話題に挙げられなかったと思います(当然ですが)。詳しく調べないと断言できませんが、その年の全米チャンピオンがオリンピックで8位というのは、相当に悪い成績なのでは?
 北京までの4年間、彼女はオリンピックで低調だった全米チャンピオン、と言われ続けるかもしれないわけで、イバラの道を歩んでいかないといけません。そう、試練の道です。さあ、皆さん、巨人の星のオープニングソングを唄いましょう。ハイ、ちゃんと声に出して。

思い〜コランダー
試練の道を〜
行くが、男の、ど根性


 改めて歌詞を書き出してみると、巨人の星って女性差別のアニメだったんですね。女性だって試練の道を行っていいはずです。まあ、巨人の星はともかく、とやかく言う外野の声を振り払える活躍ができればいいのです。まずは、来年のヘルシンキ世界選手権が注目ですね。TBSがコランダー選手のVTRを作るときのBGMは決定でしょう。えっ、局が違う?

 馬鹿なことを書いているうちにもう、21日に。今日から29日まで、国体5日間を含めて怒濤の9日間連続取材です。取材が1日ずれたおかげで貯まっていた原稿は書き終えられましたが、23日以降の月内の締め切りは100〜150行ものが10本。例の大会の原稿が追加されると12本、かな。台風23号なみのすさまじさ、と言っておきましょう。


◆11月13日(土)
 下呂に向かう特急電車の中です(新幹線車中は、ある記事の修正作業で潰れてしまいました)。
 久しぶりの日記ですが、中断していた理由はもう、書かなくていいですよね。そういう時期なのです。国体期間の10月末から11月というのは、トラック&フィールドの原稿もあれば、駅伝の原稿もある。日記だけでなく、記事の方も滞りがちでした。全日本大学駅伝関係の記事はなんとか、バババッと(いうか気合いを入れて早めに)書きましたが、国体はまったく手が付けられず、昨日やっと高校新3選手のコメントを書いたところです。あと、森本明子選手が“ラストハードル”とのことなので、そのコメントも紹介できればと思っています。
 明日は中部実業団対抗駅伝の取材なのですが、予習はもう、とっくに済ませてあるので、今晩は日記の空白期間にあったことを、本日発売の陸マガ12月号を見ながら思い出して、紹介していきましょう。
 と思ったのですが、結局、10月いっぱいまでしか書けませんでした。陸マガを見ていたら、国体であれこれ思い出してしまったのです。

◇10月21日(木)
 新潟に出張取材。新興男子長距離チームの重川材木店を、このサイトでルポする企画です。新潟市営陸上競技場で同チームの練習風景を撮影していると、小林哲也選手にも合いました。近況は……まだ、書いたらいけないのかもしれないので、控えます。小林選手に合った後だけに、夜は徹夜で仕事……はしませんでした。最近は、取材の日は早めに寝て、早起きして仕事をするパターンが多いです。

◇10月22日(金)
 昨日から引き続き、重川材木店に密着取材。競技力という点ではまだまだですが、本当に色んな経歴の選手が集まっていて、話を聞くと面白いものばかり。うーん、予定のページ数をオーバーしそうな予感がします。

◇10月23日(土)
 田野中輔選手の取材。順大で撮影をさせてもらった後(新カメラが活躍)、近くのファミレスで話を聞かせていただきました。期待通りの面白い話が聞けました。内容は陸マガ12月号「ポスト・アテネ」企画をご覧ください。普段の日記では、陸マガ用に誰を取材したとか書けないのですが、今回は発売日後の日記だから書けることですね。
 田野中選手とじっくり話したのは初めてですけど、実は昨年の織田幹雄記念国際で谷川&内藤のミズノ・コンビに勝った際、記事にするつもりで取材をさせてもらったことがあります。でも、そのときは水戸国際でも110 mHがありました。春季サーキットは、全試合が終わってから記事を書いたのでは間に合わないので、その大会毎に判断していく必要があるのですが、織田記念は他にも好記録が出て、同じ富士通の土江寛裕選手の記事もあったりして、田野中選手は水戸国際でも活躍しそうだということで、記事を書くのを見送ったのです。
 そしたら、水戸国際では敗れてしまったんですね。今年の日本選手権は110 mHは担当しませんでしたし。今回やっと、晴れて記事を書かせてもらうことができました。しかし、そういった経緯もあって、田野中選手のネタは紹介していないものばかり。どのネタを前面に出すか、判断が大変な取材でした。
「次からはネタを小出しにできるように、ちょくちょく記事になる活躍をするように」と、注文を付けておきました(ちょっと偉そうですね。反省します)。もちろん、谷川選手と内藤選手にも、記事にできる活躍を望んでいます。みんな、13秒3台を出せば、それも可能になります。
 取材が始まる前(食事中)、寺田の携帯にISHIRO記者から電話が入って、実業団女子駅伝公式ガイドブックの打ち合わせ。トラック&フィールドと駅伝の仕事が重なる季節なのです。
 新潟で大地震。昨日のその時刻、寺田は上越新幹線に乗っていました。他人事ではありません。

◇10月24日(日)
 埼玉国体1日目。
 森本明子選手が、ラストハードルでした。記事も、もうちょっとで書けます。
 成迫健児選手が400 mH予選で、余力を残した走りで49秒42。決勝での48秒台を確信しました。終わった後に書いているから、何でも書けると思われてるでしょうね。でも、正真正銘、そう思いました。テレビ解説で記者席にいらした尾縣貢先生と、その話をしましたから。
 少年A男子100 m優勝は、インターハイに続いてサブリだ。

◇10月25日(月)
 埼玉国体2日目。
 醍醐直幸選手が、かわさき陸上競技フェスティバルで宣言したとおりに2m23の自己新。成迫健児選手は、予想したとおりに48秒台。一気に48秒台中盤まで行ったのは予想以上でした。成年種目では佐藤真太郎選手(松山高)、吉野恵選手(埼玉栄高)と埼玉の高校出身選手が優勝。現役高校生の高橋萌木子選手(埼玉栄高)も少年B200 mに勝ちました。
 ところで、高橋萌木子選手の名前は“ももこ”と読みます。同じ少年B200 mで8位の中村宝子選手(浜松西高・静岡)は“たからこ”。インタビュールームではこのことが話題になっていました。というか、寺田が静岡の新聞記者の方から中村選手の読み方を、命名の理由とともに聞き出し、だったら高橋選手の“ももこ”命名の由来は何かと、某専門誌ライターに質問しただけなのですが。そのライターの方(イニシャルも伏せましょう)は知らなかったのですが、“ももこ”命名の由来は、なんとハムスターだったのです。埼玉栄高女子のサイトで紹介されている新聞記事に載っていました。

◇10月26日(火)
 埼玉国体3日目。
 沢野大地選手が5m40で優勝。本人に聞くと、雨の中の自己最高だそうです。ということは、“雨中日本最高”でしょうか。まあ、雨の降り方にも程度がありますから、どこまでを“雨中”と定義していいか、難しいところ。それに、高橋卓巳さんあたりが、5m45とかを跳んでいる可能性もあります。正確なことはわかりませんが、そう思えるらい、高橋さんには集中力がありました。
 少年種目では神奈川・相洋高の2選手が優勝。A110 mHの渡辺和敏選手と、共通ハンマー投の三橋哲朗選手。この2種目の組み合わせで同一高の選手が同じ日に全国大会で優勝するのって、かなり珍しいんじゃないでしょうか(埼玉栄高を除く)。
 昼のなんとか賞授与式の間に成迫健児選手の取材。陸マガのポストアテネ企画用です。田野中選手に続いて、面白いネタがいっぱい聞けました。どのネタを中心に持っていくかは、その場で決めていました。陸マガを読んでいただければわかると思いますが、“対為末”という視点を縦軸にしました。

◇10月27日(水)
 埼玉国体4日目。
 3種目で高校新。同じ日に3種目で誕生したことはあるのだろうか、と専門誌記者たちの間で話題になりましたが、さすがに調べきれず。コメントを記事にしました。
 沢田実希選手が少年A女子400 mで優勝して、400 mと併せて2冠を達成。昨年の国体は陸上競技選手は民泊でしたが、以前にも書いたように、袋井の兄の家に割り振られたのが沢田選手でした。その際、少し話をさせてもらう機会もあったのですが、1年後にここまでの選手に成長するとは思いませんでした(2年生で400 mHの記録が一番ということは理解していましたが)。
 400 mと400 mHの同一全国大会2冠というのも、珍しいですよね。もしかして、為末選手以来?(未確認)
 ところで、今年の埼玉国体も、昨年の静岡国体に続いてインタビュー時間が十分にとってくれました。しかも、インタビュールームがトラックに面していて、競技もみやすくなっていました。こういうことは、毎年引き継いでいってもらいたいですね。
 蛇足ですが、埼玉の女子高生補助員たちは、ユーモアを理解してくれました。3回、そう感じたケースがありましたね。具体的にはちょっと書けませんけど、これも引き継いでくれると嬉しい部分です。

◇10月28日(木)
 埼玉国体5日目(最終日)。
 4×100 mRは北海道がアベックV。これも、史上初かどうか、なんとも言えません。田辺清一先生が作製された国体優勝者一覧を持っていれば……。
 競技終了後は、国体最終日恒例の“サブトラ一周取材”。その間に、石川和義選手のポストアテネ企画用の取材もしました。その現場を、ライバル誌の007ライターに見つけられてしまいましたが、世間話をしていると申し開きをしておきました。実際、なんで筑波大は長距離が弱いのか、とか、なんで筑波大跳躍ブロックOBに陸マガ高橋次長がいるのか、とか、なんで小野高OBが多いのか、とか筑波大関係者に聞きたいことはいっぱいあるのです(尾縣・大山両コーチだけでなく、800 mで高校記録を出した榎本選手も筑波大だったと思います)。
 昨年は、サブトラ取材で長距離関係の取材もできたのですが、今年は1週間遅いせいか、長距離関係者の姿が少なかったような気がします。

◇10月29日(金)
 蓄積疲労を取るべく、休養主体の日に。したはずが、原稿に追われていたような気も。

◇10月30日(土)
 ひたすら原稿書き。

◇10月31日(日)
 あまり記憶がないのですが、このあたりの数日は、原稿書きに追われていたと思います。毎日のように締め切りだったと。

ここが最新です
◇11月1日(月)
 午前中に電話取材を1本。その原稿は即日で仕上げました。
 箱根駅伝(B・B MOOK)の発売日。寺田は相当の本数を担当させていただきました。2ページものは
・実井謙二郎コーチ兼選手
・諏訪利成選手
・小林史和選手
・大後栄治監督

 2ページに3人掲載の監督もの(?)では
・関東学院大 中田監督
・城西大 平塚監督
・帝京大 喜多監督
・法大 成田監督
・中大 田幸駅伝監督
・順大 仲村駅伝監督
・中央学院大 川崎監督
・平成国際大 松田監督

 9月13日から28日の間に取材をこなし、原稿も10月7日が最後……のはずでしたが、シカゴに行く飛行機の中で書いた記憶があります。編集後記みたいなページがあって、そこにも書きましたが、ハードスケジュールでしたけど、取材をした選手や監督たちにつながりがあって、楽しくこなせた取材でした。
 例えば、日体大OBの中田、大後、平塚各監督の学生時代に、共通の話が出てきます。実井、田幸、平塚の3人は同学年。川崎、松田、仲村の3監督は順大OB。小林選手と実井コーチは中京商高OB。共通のキーワードや、人物が浮かび上がってくるのが面白かったですね。
 しかし、日程的にきついものですから、同じ日にできる取材は、先方の事情が許す限り、同じ日にしてもらいました(各監督には無理をお願いする形になり、申し訳ありませんでした)。
・実井コーチと諏訪選手
・大後監督と中田監督
・喜多監督と成田監督

 という組み合わせ。場所的に同じ方角の大学をセットにしました。時間と経費節約のためです。当初は、仲村監督と川崎監督も同じ日にセッティングできましたが、川崎監督の都合が悪く仲村監督だけに。しかし、その取材を予定していたのがちょうど、ベルリンで日本新を出した渋井陽子選手が帰国する日で、順大の取材が終わった脚で成田空港に行けるという幸運に。やっぱり、「日頃の行いの違い」(N岡選手談)ですね。

◇11月2日(火)
 原稿を1本、「明日の夜に書けるだろう」と先送りにして、加古川女子駅伝前日(監督会議&開会式)の取材に。場所は姫路です。
 姫路は何度か乗り換えなどで駅は使用していますが(といっても2〜3回)、下車するのはたぶん、90年1月以来です。全国都道府県対抗女子駅伝の取材のあと、姫路商高で三木まどか選手を取材させてもらいました。1学年下のハードラー上杉選手も、その後、見かけるとニッコリ笑ってくれましたっけ。2人とも元気でしょうか。

◇11月3日(水・祝)
 加古川で四実業団合同女子駅伝加古川大会を取材。河川敷の5kmのコースを何度か往復する駅伝なので、1つの場所で何度も選手が見られます。つまり、写真も撮れればタイム差もチェックできる。取材はしやすいのですが、駅伝というには雰囲気がイマイチ。初めて実業団駅伝に出場したある選手が「淡路からここに変更になって、プレッシャーが和らいだ」と話していました。淡路のコースなら、何度も下見などをして、徐々に気持ちを高めていたのが、プレッシャーにもなったのでしょう。どこか、肩透かしを食った感じだったのだと想像できます。
 しかし、僅かの時間でここまで準備をされた関係者の頑張りには、頭が下がります。もしも4地区毎に別々で、トラックの合計タイムなんぞで予選をやられたら、完全に減収でした。ありがとうございました。
 優勝は京セラ。詳しい(というほどでもないのですが)記事は陸マガ12月号で。陸マガは雑協の写真なので、寺田の撮った写真は掲載できません。ということで、高仲未来恵選手のフィニッシュ写真をここに載せましょう。新カメラでの課題だった逆光撮影に、ちょっと成功したかな、という出来です。残念ながら、京セラ製の方ではなく、キヤノンの方ですけど。この写真のフルサイズ(約850キロバイト)での入手をご希望の方は、ご連絡ください。ただし、本人かご家族、チーム関係者の方に限ります。

◇11月4日(木)
 ひた原(ひたすら原稿書き、の略です)。陸マガの淡路島と、全日本実業団対抗女子駅伝の展望記事。その原稿用に、資生堂・川越学監督に電話取材もしました。意外と知られていないことですが、川越監督は鹿児島南高出身で、その頃、同高で教員をされていた浜田安則さん(東京ランナーズ倶楽部)の教え子でもあるのです。それがなんだ、というわけではありませんが、「へぇ〜」5つくらいかな、と(トリビアの泉)。今度、東京国際女子マラソンに市川良子選手が出場するので、ちょっと思い出した次第。
 そうそう、箱根駅伝(B・B MOOK)の取材で帝京大・喜多監督に話を聞いていたときのことです。喜多監督の日本選手権での成績を質問していたら、「77・78年と2種目で2連勝したけど、79年は負けて…」という話をしてくれたのです。すかさず寺田が「79年の1万mは浜田さんですよね。喜多さんと瀬古さんを破って優勝したのは」と、思い出しました。それがなんだ、というわけではありませんが、「へぇ〜」……1つくらいでしょうか。
 そうそう、浜田さんは若い頃、エディンバラ(スコットランドの古都)に留学されていたことがあるそうです。それがなんだ、というわけではありませんが、「へぇ〜」3つくらいかな、と。
 実業団女子駅伝公式ガイドの某チーム紹介の原稿も書きました。

◇11月5日(金)
 今日もひた原。実業団女子駅伝公式ガイドの人物ものを4本。選手は……まだ発売前だから明かせません。



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