続・寺田的陸上日記     昔の日記はこちらから
2004年11月 ヘストンのいない11月
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◆10月20日(水)
 今日から1泊2日で出張取材の予定でしたが、台風のため1日スライドすることにになりました。今日明日では一度も屋外の写真が撮れない可能性が高かったのです。明後日になれば、雨が止む可能性もあるので、朝の8時に先方と相談して急きょ、変更となりました。一応、雨対策でこんなアルミ製のカメラケースも、ヨドバシのポイントで購入したんですが、移動中だけOKでも意味がありません。

 ところで、一昨日の日記でアニメの「巨人の星」を引き合いに出しましたが、皆さんコランダー選手はご存じですよね(何の関係が?)。全米選手権の女子100 m優勝者で、アテネ五輪でも金メダル候補に挙げられていましたが(陸マガ9月号の全種目優勝者予想では千田さんと野口さんが候補に挙げられていました)、本番では8位にとどまった選手です。ネステレンコ選手(ベラルーシ)が1次予選から10秒台を連発、同じアメリカの20歳、ウィリアムズ選手も準決勝まで全てトップ通過と好調。決勝のテレビ放映でも、あまり話題に挙げられなかったと思います(当然ですが)。詳しく調べないと断言できませんが、その年の全米チャンピオンがオリンピックで8位というのは、相当に悪い成績なのでは?
 北京までの4年間、彼女はオリンピックで低調だった全米チャンピオン、と言われ続けるかもしれないわけで、イバラの道を歩んでいかないといけません。そう、試練の道です。さあ、皆さん、巨人の星のオープニングソングを唄いましょう。ハイ、ちゃんと声に出して。

思い〜コランダー
試練の道を〜
行くが、男の、ど根性


 改めて歌詞を書き出してみると、巨人の星って女性差別のアニメだったんですね。女性だって試練の道を行っていいはずです。まあ、巨人の星はともかく、とやかく言う外野の声を振り払える活躍ができればいいのです。まずは、来年のヘルシンキ世界選手権が注目ですね。TBSがコランダー選手のVTRを作るときのBGMは決定でしょう。えっ、局が違う?

 馬鹿なことを書いているうちにもう、21日に。今日から29日まで、国体5日間を含めて怒濤の9日間連続取材です。取材が1日ずれたおかげで貯まっていた原稿は書き終えられましたが、23日以降の月内の締め切りは100〜150行ものが10本。例の大会の原稿が追加されると12本、かな。台風23号なみのすさまじさ、と言っておきましょう。


◇10月21日(木)
 新潟に出張取材。新興男子長距離チームの重川材木店を、このサイトでルポする企画です。新潟市営陸上競技場で同チームの練習風景を撮影していると、小林哲也選手にも合いました。近況は……まだ、書いたらいけないのかもしれないので、控えます。小林選手に合った後だけに、夜は徹夜で仕事……はしませんでした。最近は、取材の日は早めに寝て、早起きして仕事をするパターンが多いです。

◇10月22日(金)
 昨日から引き続き、重川材木店に密着取材。競技力という点ではまだまだですが、本当に色んな経歴の選手が集まっていて、話を聞くと面白いものばかり。うーん、予定のページ数をオーバーしそうな予感がします。

◇10月23日(土)
 田野中輔選手の取材。順大で撮影をさせてもらった後(新カメラが活躍)、近くのファミレスで話を聞かせていただきました。期待通りの面白い話が聞けました。内容は陸マガ12月号「ポスト・アテネ」企画をご覧ください。普段の日記では、陸マガ用に誰を取材したとか書けないのですが、今回は発売日後の日記だから書けることですね。
 田野中選手とじっくり話したのは初めてですけど、実は昨年の織田幹雄記念国際で谷川&内藤のミズノ・コンビに勝った際、記事にするつもりで取材をさせてもらったことがあります。でも、そのときは水戸国際でも110 mHがありました。春季サーキットは、全試合が終わってから記事を書いたのでは間に合わないので、その大会毎に判断していく必要があるのですが、織田記念は他にも好記録が出て、同じ富士通の土江寛裕選手の記事もあったりして、田野中選手は水戸国際でも活躍しそうだということで、記事を書くのを見送ったのです。
 そしたら、水戸国際では敗れてしまったんですね。今年の日本選手権は110 mHは担当しませんでしたし。今回やっと、晴れて記事を書かせてもらうことができました。しかし、そういった経緯もあって、田野中選手のネタは紹介していないものばかり。どのネタを前面に出すか、判断が大変な取材でした。
「次からはネタを小出しにできるように、ちょくちょく記事になる活躍をするように」と、注文を付けておきました(ちょっと偉そうですね。反省します)。もちろん、谷川選手と内藤選手にも、記事にできる活躍を望んでいます。みんな、13秒3台を出せば、それも可能になります。
 取材が始まる前(食事中)、寺田の携帯にISHIRO記者から電話が入って、実業団女子駅伝公式ガイドブックの打ち合わせ。トラック&フィールドと駅伝の仕事が重なる季節なのです。
 新潟で大地震。昨日のその時刻、寺田は上越新幹線に乗っていました。他人事ではありません。

◇10月24日(日)
 埼玉国体1日目。
 森本明子選手が、ラストハードルでした。記事も、もうちょっとで書けます。
 成迫健児選手が400 mH予選で、余力を残した走りで49秒42。決勝での48秒台を確信しました。終わった後に書いているから、何でも書けると思われてるでしょうね。でも、正真正銘、そう思いました。テレビ解説で記者席にいらした尾縣貢先生と、その話をしましたから。
 少年A男子100 m優勝は、インターハイに続いてサブリだ。

◇10月25日(月)
 埼玉国体2日目。
 醍醐直幸選手が、かわさき陸上競技フェスティバルで宣言したとおりに2m23の自己新。成迫健児選手は、予想したとおりに48秒台。一気に48秒台中盤まで行ったのは予想以上でした。成年種目では佐藤真太郎選手(松山高)、吉野恵選手(埼玉栄高)と埼玉の高校出身選手が優勝。現役高校生の高橋萌木子選手(埼玉栄高)も少年B200 mに勝ちました。
 ところで、高橋萌木子選手の名前は“ももこ”と読みます。同じ少年B200 mで8位の中村宝子選手(浜松西高・静岡)は“たからこ”。インタビュールームではこのことが話題になっていました。というか、寺田が静岡の新聞記者の方から中村選手の読み方を、命名の理由とともに聞き出し、だったら高橋選手の“ももこ”命名の由来は何かと、某専門誌ライターに質問しただけなのですが。そのライターの方(イニシャルも伏せましょう)は知らなかったのですが、“ももこ”命名の由来は、なんとハムスターだったのです。埼玉栄高女子のサイトで紹介されている新聞記事に載っていました。

◇10月26日(火)
 埼玉国体3日目。
 沢野大地選手が5m40で優勝。本人に聞くと、雨の中の自己最高だそうです。ということは、“雨中日本最高”でしょうか。まあ、雨の降り方にも程度がありますから、どこまでを“雨中”と定義していいか、難しいところ。それに、高橋卓巳さんあたりが、5m45とかを跳んでいる可能性もあります。正確なことはわかりませんが、そう思えるらい、高橋さんには集中力がありました。
 少年種目では神奈川・相洋高の2選手が優勝。A110 mHの渡辺和敏選手と、共通ハンマー投の三橋哲朗選手。この2種目の組み合わせで同一高の選手が同じ日に全国大会で優勝するのって、かなり珍しいんじゃないでしょうか(埼玉栄高を除く)。
 昼のなんとか賞授与式の間に成迫健児選手の取材。陸マガのポストアテネ企画用です。田野中選手に続いて、面白いネタがいっぱい聞けました。どのネタを中心に持っていくかは、その場で決めていました。陸マガを読んでいただければわかると思いますが、“対為末”という視点を縦軸にしました。

◇10月27日(水)
 埼玉国体4日目。
 3種目で高校新。同じ日に3種目で誕生したことはあるのだろうか、と専門誌記者たちの間で話題になりましたが、さすがに調べきれず。コメントを記事にしました。
 沢田実希選手が少年A女子400 mで優勝して、400 mと併せて2冠を達成。昨年の国体は陸上競技選手は民泊でしたが、以前にも書いたように、袋井の兄の家に割り振られたのが沢田選手でした。その際、少し話をさせてもらう機会もあったのですが、1年後にここまでの選手に成長するとは思いませんでした(2年生で400 mHの記録が一番ということは理解していましたが)。
 400 mと400 mHの同一全国大会2冠というのも、珍しいですよね。もしかして、為末選手以来?(未確認)
 ところで、今年の埼玉国体も、昨年の静岡国体に続いてインタビュー時間が十分にとってくれました。しかも、インタビュールームがトラックに面していて、競技もみやすくなっていました。こういうことは、毎年引き継いでいってもらいたいですね。
 蛇足ですが、埼玉の女子高生補助員たちは、ユーモアを理解してくれました。3回、そう感じたケースがありましたね。具体的にはちょっと書けませんけど、これも引き継いでくれると嬉しい部分です。

◇10月28日(木)
 埼玉国体5日目(最終日)。
 4×100 mRは北海道がアベックV。これも、史上初かどうか、なんとも言えません。田辺清一先生が作製された国体優勝者一覧を持っていれば……。
 競技終了後は、国体最終日恒例の“サブトラ一周取材”。その間に、石川和義選手のポストアテネ企画用の取材もしました。その現場を、ライバル誌の007ライターに見つけられてしまいましたが、世間話をしていると申し開きをしておきました。実際、なんで筑波大は長距離が弱いのか、とか、なんで筑波大跳躍ブロックOBに陸マガ高橋次長がいるのか、とか、なんで小野高OBが多いのか、とか筑波大関係者に聞きたいことはいっぱいあるのです(尾縣・大山両コーチだけでなく、800 mで高校記録を出した榎本選手も筑波大だったと思います)。
 昨年は、サブトラ取材で長距離関係の取材もできたのですが、今年は1週間遅いせいか、長距離関係者の姿が少なかったような気がします。

◇10月29日(金)
 蓄積疲労を取るべく、休養主体の日に。したはずが、原稿に追われていたような気も。

◇10月30日(土)
 ひたすら原稿書き。

◇10月31日(日)
 あまり記憶がないのですが、このあたりの数日は、原稿書きに追われていたと思います。毎日のように締め切りだったと。

◇11月1日(月)
 午前中に電話取材を1本。その原稿は即日で仕上げました。
 箱根駅伝(B・B MOOK)の発売日。寺田は相当の本数を担当させていただきました。2ページものは
・実井謙二郎コーチ兼選手
・諏訪利成選手
・小林史和選手
・大後栄治監督

 2ページに3人掲載の監督もの(?)では
・関東学院大 中田監督
・城西大 平塚監督
・帝京大 喜多監督
・法大 成田監督
・中大 田幸駅伝監督
・順大 仲村駅伝監督
・中央学院大 川崎監督
・平成国際大 松田監督

 9月13日から28日の間に取材をこなし、原稿も10月7日が最後……のはずでしたが、シカゴに行く飛行機の中で書いた記憶があります。編集後記みたいなページがあって、そこにも書きましたが、ハードスケジュールでしたけど、取材をした選手や監督たちにつながりがあって、楽しくこなせた取材でした。
 例えば、日体大OBの中田、大後、平塚各監督の学生時代に、共通の話が出てきます。実井、田幸、平塚の3人は同学年。川崎、松田、仲村の3監督は順大OB。小林選手と実井コーチは中京商高OB。共通のキーワードや、人物が浮かび上がってくるのが面白かったですね。
 しかし、日程的にきついものですから、同じ日にできる取材は、先方の事情が許す限り、同じ日にしてもらいました(各監督には無理をお願いする形になり、申し訳ありませんでした)。
・実井コーチと諏訪選手
・大後監督と中田監督
・喜多監督と成田監督

 という組み合わせ。場所的に同じ方角の大学をセットにしました。時間と経費節約のためです。当初は、仲村監督と川崎監督も同じ日にセッティングできましたが、川崎監督の都合が悪く仲村監督だけに。しかし、その取材を予定していたのがちょうど、ベルリンで日本新を出した渋井陽子選手が帰国する日で、順大の取材が終わった脚で成田空港に行けるという幸運に。やっぱり、「日頃の行いの違い」(N岡選手談)ですね。

◇11月2日(火)
 原稿を1本、「明日の夜に書けるだろう」と先送りにして、加古川女子駅伝前日(監督会議&開会式)の取材に。場所は姫路です。
 姫路は何度か乗り換えなどで駅は使用していますが(といっても2〜3回)、下車するのはたぶん、90年1月以来です。全国都道府県対抗女子駅伝の取材のあと、姫路商高で三木まどか選手を取材させてもらいました。1学年下のハードラー上杉選手も、その後、見かけるとニッコリ笑ってくれましたっけ。2人とも元気でしょうか。

◇11月3日(水・祝)
 加古川で四実業団合同女子駅伝加古川大会を取材。河川敷の5kmのコースを何度か往復する駅伝なので、1つの場所で何度も選手が見られます。つまり、写真も撮れればタイム差もチェックできる。取材はしやすいのですが、駅伝というには雰囲気がイマイチ。初めて実業団駅伝に出場したある選手が「淡路からここに変更になって、プレッシャーが和らいだ」と話していました。淡路のコースなら、何度も下見などをして、徐々に気持ちを高めていたのが、プレッシャーにもなったのでしょう。どこか、肩透かしを食った感じだったのだと想像できます。
 しかし、僅かの時間でここまで準備をされた関係者の頑張りには、頭が下がります。もしも4地区毎に別々で、トラックの合計タイムなんぞで予選をやられたら、完全に減収でした。ありがとうございました。
 優勝は京セラ。詳しい(というほどでもないのですが)記事は陸マガ12月号で。陸マガは雑協の写真なので、寺田の撮った写真は掲載できません。ということで、高仲未来恵選手のフィニッシュ写真をここに載せましょう。新カメラでの課題だった逆光撮影に、ちょっと成功したかな、という出来です。残念ながら、京セラ製の方ではなく、キヤノンの方ですけど。この写真のフルサイズ(約850キロバイト)での入手をご希望の方は、ご連絡ください。ただし、本人かご家族、チーム関係者の方に限ります。

◇11月4日(木)
 ひた原(ひたすら原稿書き、の略です)。陸マガの淡路島と、全日本実業団対抗女子駅伝の展望記事。その原稿用に、資生堂・川越学監督に電話取材もしました。意外と知られていないことですが、川越監督は鹿児島南高出身で、その頃、同高で教員をされていた浜田安則さん(東京ランナーズ倶楽部)の教え子でもあるのです。それがなんだ、というわけではありませんが、「へぇ〜」5つくらいかな、と(トリビアの泉)。今度、東京国際女子マラソンに市川良子選手が出場するので、ちょっと思い出した次第。
 そうそう、箱根駅伝(B・B MOOK)の取材で帝京大・喜多監督に話を聞いていたときのことです。喜多監督の日本選手権での成績を質問していたら、「77・78年と2種目で2連勝したけど、79年は負けて…」という話をしてくれたのです。すかさず寺田が「79年の1万mは浜田さんですよね。喜多さんと瀬古さんを破って優勝したのは」と、思い出しました。それがなんだ、というわけではありませんが、「へぇ〜」……1つくらいでしょうか。
 そうそう、浜田さんは若い頃、エディンバラ(スコットランドの古都)に留学されていたことがあるそうです。それがなんだ、というわけではありませんが、「へぇ〜」3つくらいかな、と。
 実業団女子駅伝公式ガイドの某チーム紹介の原稿も書きました。

◇11月5日(金)
 今日もひた原。実業団女子駅伝公式ガイドの人物ものを4本。選手は……まだ発売前だから明かせません。

◇11月6日(土)
 原稿を1本、「明日の夜に書けるだろう」と先送りにして、全日本大学駅伝前日(監督会議&開会式)の取材に。
 監督会議では大東大・只隈監督が給水などの選手の安全面への配慮について、大会本部・運営サイドに質問をされていました(東海大・新居監督もフォロー)。昨年は早大が途中棄権となった大会ですし、大東大も箱根駅伝の5区で危ない場面がありました。当事者にとっては切実な問題です。それに対しての大会本部・運営側の回答は、やや事務的な部分が感じられました。確かに学連、陸協、新聞社が携わる大会ですから、個人の判断で「こうします」と即答できない問題もあるのでしょう。そういう事情はあるにせよ「この方向で努力します」的な答え方もできたのではないかな、と感じました。
 監督会議と開会式前後に、指導者たちから情報を仕入れるのが慣例となっています。個人的には駒大、中大、日体大、順大、日大が5強と見ていたので、その5チームの指導者のコメントは全部聞きたかったのですが、小川監督が不在で日大だけ聞けませんでした。
 その後、カフェに場所を移してこのサイト用の原稿書きを約3時間。
 K記者と合流して回転寿司でパパッと食事。近鉄で伊勢に移動しました。車内で珍しくビールも。この冬のマラソンを、世界選手権の選考会という視点だけで見たら面白くない、という点で意見が一致しました。
 ホテルですぐに、名古屋で書けなかった監督のコメントをまとめて、サイトにアップ。

◇11月7日(日)
 全日本大学駅伝取材。駒大が1区中継から一度もトップを譲らない強さで勝ちました。これは、93年の早大以来のこと。その視点で取材を進めました。駒大の大八木監督、田中主将、齋藤選手にコメントを聞き、この記事をプレスルームで書き上げました。他校の監督たちにも、一度もトップを譲らないのがどういう強さなのか、何人かに質問させていただきました。そのうち、東海大・大崎コーチ、中大・田幸寛史監督のコメントが印象的だったので、同じ記事中で紹介しました。
 田幸監督の分析が面白いのは、以前、あることから知っていました。びわ湖マラソンでプリンス近藤(読売新聞前陸上競技担当の近藤雄二記者)と話しているのを横で聞いていて、ものすごく感心させられたのです(当時はエスビー食品コーチ?)。田幸監督とは箱根駅伝(B・B MOOK)の取材で話をし、その認識は確信に変わりました。
 近藤記者といえば、去年の全日本実業団でも、花岡麻帆選手と話している内容から記事が書けてしまったことがあります(一応、共同のカコミ取材中のこと)。惜しい人材をなくしました。

 昨年と違って、今年は“赤福たらふく”はありませんでした。たぶん、例年より開催日が3日ほど遅く、某専門誌関係者たちに余裕がなかったからでしょう。しかし、帰りの道中でとっても伊勢らしいエピソードがありました。そう、伊勢といえば野口みずき選手の出身地です。
 神宮会館前(プレスルームや大会本部がある施設)で宇治山田駅行きのバスを1人、待っているとタクシーが止まって運転手が話しかけてきました。
運転手 お兄さん、どこまで行くの?
寺田 宇治山田駅ですけど。
運転手 500円でどう。本当なら2000円以上かかるけど、どうせ、そっちの方に行くからさ。空(あき)で行くより、500円でも乗ってもらったほうがいいからさ。バスだと320円かかるよ。

 バスの値段は朝、乗ったばかりですから覚えていました。ウソをついて乗せようとしていない点は信用できましたが(ローマのタクシー運転手より良心的です=7月4日の日記参照)、これって、明らかに違法行為ですよね(白タクってやつ?)。
寺田 いやぁ、嬉しいお話しですけど、それはできません。
運転手 駅伝関係の人でしょ。いいから、いいから。

 駅伝とこのことと何の関係があるんだ、と言い返そうと思いましたが、それは我慢して、体力の計算をしました。確かに、寒くなりかけた中でバスを待っているより、タクシーの運転手の提案に乗った方が体力が温存できて、その後の仕事がはかどるのは明白です。しかし、そんなことで法を破る寺田ではありません。
寺田 こうしましょう。僕が車内で、今日の駅伝を取材した話をします。野口みずき選手の面白い話もしましょう。だから、タダにしてください。運転手さんの好意で僕を乗せてくれるなら、お世話になります。
運転手 ……(黙ってドアを開ける)。

 車内で話したのは、駒大の独走がいかにすごいことだったか、という話で、内容は記事に書いたものと同じです。藤田敦史選手のことなんかを覚えている、駅伝好きの運ちゃんだったので、話の面白さが通じたようです。野口みずき選手に関しては、彼女のストライド走法について知識があるようだったので(週刊誌なんかでも記事になっているから?)、そのことと関連して“藤田監督の30年越しの信念が成就した”という話をしました。わかりますよね、何が30年越しの信念かって。藤田信念、という洒落じゃないですよ。
 タクシーを降りるとき、御礼として500円玉を渡しました。これなら、違法行為じゃないはずです。

◇11月8日(月)
 ひた原(ひたすら原稿書き)だったと思います。

◇11月9日(火)
 重川材木店の第2回目取材。日帰りで新潟まで往復。新幹線が普通なので、飛行機で往復しました。今回はスタッフへの取材が中心です。陸上競技部の総監督である重川社長、鶴巻監督へのインタビュー取材と、練習の撮影取材も。オツオリ・コーチへの取材は前回済ませてあります。
 しかし、重川社長の競技への思いは、半端じゃありません。すでに記事にもしましたが、活動費は実質的に社長のポケットマネーなのです。なぜ、実質的という言葉を使ったのかというと、陸上競技部としての活動も重川材木店の“仕事”ではありますが、陸上競技部員が本業を離れる時間を社長が個人的に社に補填している。つまり、重川材木店の陸上競技という商品(サービス)を、社長が個人的に買っている、とも解釈できます。
 大きな会社にありがちな、オリンピックに出なければ意味がない、といった考えではありません。実業団で続ける以上は世界を目指す、という姿勢は大切ですし、運営の根幹にそれを据えるチームも絶対に必要です。しかし、陸上競技をやっている選手全員が日の丸をつけられるわけでもありません。働きながら、全日本実業団対抗駅伝出場を実現させる部分に意味を見出し、そこに夢を感じてお金を提供してくれる。そういった経営者が現れたことが、嬉しく思いました。
 なるべく早く執筆して、本サイトに掲載します。

◇11月10日(水)
 何をしていたのか、ちょうど1週間前なのですがよく思い出せません。スケジュール帳を見ると、締め切りが1本だけなのですが、それだけではなかったような気もします。それとも、その1本の原稿を書いてホッとしてしまったのか。そうかもしれません。意思、弱いですからね。

◇11月11日(木)
 横浜南高(苅部俊二コーチの母校ですね)で末續慎吾選手のクリニックがあったのですが、締め切りがあって泣く泣く取材を断念。クリニック自体より、この冬期の末續選手のトレーニング方針に興味があったのです。オリンピックで結果を出した選手に関する報道は、自然と多くされるものです。寺田のような立場の陸上競技報道人(この肩書き、公の場=箱根駅伝(B・B MOOK)=で使わせてもらいました)には、結果が出せなかった選手の記事を書くことも役目の1つかなと思っています。

 ところで、横浜南高は横浜市立の高校。先月の川崎陸上競技フェスティバルの時に久しぶりにお会いした簡優好先生も(100 m&200 mに出場)、横浜市の教員採用に合格して、昨年から教員の道で頑張っています。簡先生がトップ選手として最後に出場した試合は2000年の日本選手権(秋に宮城県で開催されたとき)。その後、2年間は富士通で頑張って働いていたのですが、リストラ関連の部署だったようです。リストラも重要なこと(寺田に言わせれば官庁も大会社も、大きな法人組織も無駄が多すぎます)。華やかな仕事ではありませんが、必要不可欠な重要な仕事です。しかし、人には向き不向きがあります。簡先生のような心優しいタイプ(と勝手に決めつけていいのでしょうか)には、向かない仕事でした。「それよりも、自分の経験を伝えていきたい」と、富士通の木内総監督とも相談したうえで、横浜市の教員採用試験を受けたのだそうです。
 同じ川崎陸上競技フェスティバルで陸上競技教室のクリニック講師を務めた渡辺高博氏は、現役引退後もしばらくNECで働いていました。コンピュータ・システムの営業などをしていましたが、その後はスポーツクラブなどで、自身の選手経験を生かした仕事に取り組んでいます。
 やはり川崎陸上競技フェスティバルで、主催者のアンビバレンスの一員として、運営に携わっていた堀越勇介氏は、2人と比べると早い段階で、トップ選手の道よりも仕事を優先する道に転身しました。でも、アンビバレンスという“本気で陸上競技を頑張る”ことのできるクラブに入り、日本選手権リレーなどで活躍しています(3人の写真を改めて)。
 こう書いてくると、トップ選手が競技をした会社に残って、仕事で成功した例はないのか、と思われるかもしれません。普通に考えたら、大学を卒業して競技を何年もやったら、仕事を覚えるのが遅れるのは自明のことです。しかし、富士通でも、岩崎利彦コーチは現役引退後、総務と広報でバリバリ働いていました。砲丸投・円盤投の野沢具隆選手は、ゼンリンでトップセールスマンだそうです(畑山茂雄選手から聞きました)。古いところでは、八幡製鉄のあの選手は今は○○課長だ、▽▽部長だ、という話もよく聞きます。以前にも書きましたが、走幅跳で日本人初の8mジャンパーの故・山田宏臣さんは、韓国の東急ホテルの支配人でした。
 そういう人たちって少数派なのでしょうけど、陸上競技に取り組んでいたときに、いかに創意工夫をしていたかが、その後の仕事にも生きてくるような気がします。

 夜、陸マガ編集部に行って12月号を入手。ついつい、編集部で1時間ほど読みふけってしまいました。かわさき陸上競技フェスティバルのページもあったのですが、さすがに簡優好先生の写真は掲載されていません。当日の取材で1つ、確認し忘れたことがあったのです。それは、簡先生がハイソックスを履いていたかどうか。簡優好選手はかつて、富士通で先輩だった苅部俊二選手に、400 mのハイソックス着用日本記録保持者と言われた選手だったのです。

◇11月12日(金)
 昨日、今日で大きな原稿を1つ片づけましたが、それでも大きな原稿を1つ、残してしまいました。明日、明後日と中部実業団対抗駅伝の取材に行って、月曜・火曜と休みを取ろうかな、とも思っていたのですが、ちょっと雲行きが怪しくなってきました。


◆11月13日(土)
 下呂に向かう特急電車の中です(新幹線車中は、ある記事の修正作業で潰れてしまいました)。
 久しぶりの日記ですが、中断していた理由はもう、書かなくていいですよね。そういう時期なのです。国体期間の10月末から11月というのは、トラック&フィールドの原稿もあれば、駅伝の原稿もある。日記だけでなく、記事の方も滞りがちでした。全日本大学駅伝関係の記事はなんとか、バババッと(いうか気合いを入れて早めに)書きましたが、国体はまったく手が付けられず、昨日やっと高校新3選手のコメントを書いたところです。あと、森本明子選手が“ラストハードル”とのことなので、そのコメントも紹介できればと思っています。
 明日は中部実業団対抗駅伝の取材なのですが、予習はもう、とっくに済ませてあるので、今晩は日記の空白期間にあったことを、本日発売の陸マガ12月号を見ながら思い出して、紹介していきましょう。
 と思ったのですが、結局、10月いっぱいまでしか書けませんでした。陸マガを見ていたら、国体であれこれ思い出してしまったのです。

◇11月14日(日)
 中部実業団対抗駅伝を取材。報道車から見る飛騨の飛騨川河畔のコースは、相変わらずの絶景です。2年前にも書いたと思うのですが、箱根駅伝の比ではありません。下呂市には温泉もありますしね(ちなみに、優勝したスズキのアンカー中川拓郎選手は下呂市の出身)。なんで箱根駅伝と比較しないといけないのか、と突っ込まれると困るのですが。
 スズキが15年ぶりの優勝を飾りました。帰りの車中で、ちょっと調べたいことがあってスズキの青島マネジャーに電話。そうしたら……以下省略。

◇11月15日(月)
 休みの予定でしたが、完全には休めませんでした。まあ、休養主体の一日でしたでしょうか。

◇11月16日(火)
 段取りとアポ取りでほぼ1日が終わってしまいました。明日から、本当にすごいんですよ。取材と締め切りの連続で(って、何回も書いているような気が)。
 17日に埼玉方面で取材が2本、18日は午前中に電話取材が2本と、夕方から千葉方面で取材が1本。19日に50行ものの締め切りが2本。20日の都内の取材は1本ですが、ページ数が多い大作用の取材です。21日が東京国際女子マラソンの取材と、50行ものが2本締め切り。22日が75行もの2本の締め切り。23日が国際千葉駅伝の取材で、この辺までに600行の大作原稿を仕上げる予定。24日が八王子ロングディスタンスと、150行ものと50行ものの締め切りが1本ずつ。
 これだけ続くと、スケジューリングだけとはいえ、かなりの労力が必要です。

◇11月17日(水)
 埼玉方面で2つの取材。別々のクライアントの仕事ですが、寺田のところで上手く調整して、同じ日にまとめることができました。めったにできないことですけど。先方の協力があってこそ。感謝です。取材は2つとも、大変面白い話が聞くことができました。たぶん、誌面には全部紹介できないくらい。いつものこと、ですが。
 最初の取材先で寺田のサイトのことが話題に。Yコーチが、最近のネタでは資生堂・川越学監督が東京ランナーズ倶楽部・浜田安則さんの教え子だった、というネタが面白かった(新鮮だった?)と言っていました。「へぇ〜」5つどころか、10個くらいだそうです。
 今後、トリビア・ネタを増やしてもいいかも、と思いました。じゃあ、早速……と考えると、なかなか思い浮かびません。1つ、思い出しました。先月の箱根駅伝予選会を走った選手の中に、元800 m日本記録保持者の岡本久美子先生(宮城県の亘理高)の教え子がいたそうです。一般入試で山梨学院大に入学した小野智弘選手です。日曜日の東京国際マラソンには妹の岡本由美子選手が出場するので、思い出した次第です。

◇11月18日(木)
 夕方から千葉方面で取材。こちらが考えていたテーマに、完全に沿った話を聞くことができました。枝葉の話題も、中心の話題と関連した内容です。取材終了時点でほぼ、原稿の流れが決まりました。ここまでピチッとはまる取材も珍しいです。

◇11月19日(金)
 ものすごく悩みました。東京国際女子マラソンの共同会見に行くか、やめるかで。会見場所は赤坂プリンスホテル。距離的にも、新宿の作業部屋から45分くらいで行ける場所なのです。行けば、それなりにネタを収集できるのは間違いないのですが、会見自体をどこかの媒体に書く予定はありません。しかし、会見で選手たちが話したことを知ってテレビ観戦すれば、絶対に面白さが増すんですよ……。
 行って、取材して、戻ってくるまでのトータル時間は、純粋に見ると2時間半。でも、行けば行ったで、なんだかんだと、色んな人たちと話をしてしまいますから、3時間半と見積もりました。うーん、3時間半か……と考えて出した結論が、行かずに作業部屋で原稿を書く、というもの。その結論を出すまでに、30分はかかったかもしれません。
 典型的な“仕事がてきぱきできない”タイプの人間です。生まれ変わりたい、別の人格になりたいと、痛感した日でした。

◇11月20日(土)
 都内某大学で取材。ページ数が多く、ちょっとプレッシャーのかかる取材でしたが、監督とマネジャーの学生が臨機応変に対応してくれ、十分な取材ができたと思います。一昨日のように原稿の流れが全部見えているわけではありませんが、そこそこの手応えがあります。

◇11月21日(日)
 東京国際女子マラソンを取材。
 うーん、何があったかな。色んな選手、指導者、関係者にお会いしていますから、絶対に面白いネタがあったはずなんですが、なかなか思い出せません。うーむむむ。そうそう、思い出しました。某マラソン・レース関係者に感想を聞かれたので、メールで次のような内容を答えました。
@ペースメーカーが下手だったという話で
 ペースメイクの件は難しい。シカゴでも1マイル毎に乱高下した。3つの選考会で有利不利が生じてしまう部分かもしれないが、その辺の影響を見極められる“選考システム”のはず。この問題の解決案は、自分のなかでもこれという解答は見出せていない。
A○○選手に先頭集団で走って欲しかった
 スピードがある選手なので、速いペースに乗っかることも、十二分に考えられた。当事者にしかわからない事情もあるので、部外者が断定できる話ではないけれど。
B嶋原選手の追い上げ
 もう少し早くテレビが察知して紹介できればよかったが、結果的に小出さんがああいう形でコメントして、効果的だったように思う。
C岡本由美子選手の存在をメディアにアピールしたかった
 市川良子選手とともに、一般参加で面白い存在だったのが岡本由美子選手(積水化学)。
 お姉さんが800 mの元日本記録保持者(岡本久美子選手)で、当人も高校時代に国体の3000mか5000mで優勝している。筑波大を卒業後、営団地下鉄に1年、あさひ銀行にも1〜2年いて、あさひ銀行がしまむらに部が移るときに会社に残って、1年半ほどOL生活をしていた。積水化学に入って約1年での初マラソン。
 こういった部分を知っているマスコミ関係者はごく僅かでしょうから、レースが終盤になったら、この選手はどんな特徴があるのか、という点をすぐに紹介できると、少しは記事にしてくれる社が出てきたかもしれない。最近、陸連が日本選手権やインターハイ、国体でスタティスティクス・データをメディア向けに提供しているが、同様のことができないか(プロフィールがプログラムに記載されている招待選手が上位にくれば、必要のないことだが)。

◇11月22日(月)
 昨日から50〜80行クラスの原稿数本の締め切りが続いています。

◇11月23日(火)
 国際千葉駅伝取材。レース開始の1時間ちょっと前に着き、中国電力・坂口泰監督をつかまえまえ、3つのメディアの記事用に取材をさせてもらいました。陸マガの全日本実業団対抗駅伝展望記事、実業団駅伝公式ガイドブック(サンデー毎日増刊)の監督列伝記事、そしてスポーツ・ヤァ!の福岡国際マラソン展望記事。3つも一緒に取材できてしまうというのは、たぶん初めてのこと。すごくタイミングが良かったとも言えるわけですが、それだけ中国電力勢が活躍しているということでもあると思います。

 プレスルームでは、斜め後ろに東京新聞・吉岡記者が座っていました。杉森美保選手と一緒に写真を撮ったことを、コラム記事のネタにしてしまう凄腕記者ですが、聞けばあの記事は「寺田さんのギャグのレベルが低いことを言いたかった」と、臆面もなく言ってのける人物。若い頃は、地元(新潟)でスーパースターだったと自ら言いますから、さも言いなんというところでしょうか。
 東京国際女子マラソンの際、福岡に来日するコリル選手の評価が低いことを、某マラソン大会関係者と話をしていて、だったら寺田が盛り上げようと、コリル選手ネタでギャグを考えていました。福岡と言えば12月、12月と言えばクリスマス……メリー・コリルマスと考えていて、千葉で披露したのです。自分でもちょっと厳しいな、と思っていたら案の定、吉岡記者に酷評されました。
 WSTF(新宿の作業部屋)への帰路、このギャグを練り直しました。それが、メリー・コリスキマス。2時間4分台選手が初めて来日することを祝おう、という意図を盛り込んだハイレベルのギャグになったのです。WSTFに着くとさっそく吉岡記者に電話。
「それなら、わかります」
 と、お墨付きをもらいました。それで翌日も、中川・青葉両氏に聞いてもらったのです。

◆11月24日(月)
 気の早い話ですが、1カ月後はクリスマスイヴです。なんでまた、クリスマスなのか。それは、クリスマスといえば12月。12月と言えば福岡国際マラソン。その福岡国際マラソンにサミー・コリル選手が出場するからです。
 ご存じのように、コリル選手は2時間04分56秒の世界歴代2位の記録を持つランナー。テルガト選手の世界記録とは1秒の差しかありません(同じ03年ベルリンのレースで、ペースメーカーをやりながら出した記録です)。2時間4分台は世界で2人しか出していない記録で、その4分台ランナーが初来日するわけです。2時間5分台も2人しかいませんから、記録の価値を考えると、ものすごい選手が師走の博多を走るのです。
 マラソンは1レース毎の出来不出来の差が、一般種目に比べると大きい種目特性がありますから、コリル選手も絶対に好走するとは限りません。東京国際女子マラソンを見てもおわかりのように、五輪入賞者や世界選手権メダリストが、揃って負けてしまうこともありますから。
 と、釘を刺すことも忘れないわけですが、2時間4分台ランナーの来日を、素直に楽しみにしたいと思います。メリー・コリルキマス!

 という話を今日、上柚木(かみゆぎ)の陸上競技場でしたら受けました(実は昨日、ギャグを洗練する試練を経ていたのです)。話した相手は元早大マネジャーの中川さんと、元帝京大マネジャーの青葉さん。どちらが年上だったんだろう? 中川さんは、TBS佐藤文康アナ(今日もTBSのアナウンサーの方たちが数人、来ていらっしゃいました)の1学年後輩と言っていましたが。2人ともスポーツ関係メーカーの営業マンです。
 上柚木で何をしていたのかといえば、若手営業マンを相手に油を売っていたわけではもちろんなく、八王子ロングディスタンスの取材です。来日中のケン中村氏も、東京国際女子マラソン、国際千葉駅伝に続いて取材に来られました。ローマGL、ローザンヌSGPで一緒だったトヨタ自動車・安永コーチも来られています。コニカミノルタ・酒井勝充監督とは、フランクフルトで一緒にカレーを食べた仲(坪田&尾池選手が作ってくれました。エスビー食品製だったかどうかは不明)。寺田にとって上柚木は、とってもインターナショナルな雰囲気でした。
 競技開始は12:05。この、正時と5分差というのがいいですね。ギリギリで間に合いました。しかし、書きかけの原稿を移動中の電車で完成させられずに、男子1万mDレース中に執筆。残っていたのは締めの部分だけでしたし、すでに頭の中ではできていたので、12分で書き上げて送信しました。レースを見ながら作業をしました。

 1万mCレース中には、某週刊誌から電話取材を受けました(これも、レースを見ながら取材を受けていました)。高橋尚子選手の今後についての意見を求められました。野口みずき選手が五輪金メダル、渋井陽子選手が2時間19分台を出したことで、日本の女子長距離界全体が高橋選手の偉業を継承する体制になった、という話をしたと思います。それは、高橋選手が突出してすごいわけではなくなった、ととるべきではなく、改めて高橋選手のパイオニアぶりを評価すべきだ、とも。
 先方は、この冬に日本最高を出せるのか、年齢をどう考えるのか、という点に興味を持って、寺田に明確な答えをさせたかったらしいのです。この冬の日本最高は厳しいかもしれないけど、この後すぐに練習に入れれば、世界選手権代表になる基準はクリアできる、年齢の影響は個人差があるので結論は出せないが、女子マラソンのパイオニアだけに、我々が想像もできないことをやってしまう可能性もある、と答えておきました。

 八王子ロングディスタンスの取材をしていないのか、と思われるかもしれませんが、さにあらず。女子5000mでは選手の話は聞きませんでしたが、天満屋・山内コーチから松岡理恵選手の状態を取材しました。男子1万mでは自己新を出した野口英盛選手をまず取材。今大会にはかつての順大クインテットのうち4人がエントリーしましたが、岩水嘉孝選手は欠場、奥田真一郎は途中棄権、坂井隆則選手は30分以上かかってしまいました。実業団で出遅れていた野口選手が、夏以降、絶好調になっているのです。
 もちろん、日本人トップの松宮隆行選手にも。同2位の浜野健選手も、すれ違い取材でしたが、調子がいいことを確認。今日は選手よりもむしろ、監督たちへの取材が多かったです。実業団駅伝公式ガイドで、監督たちの特集ページに原稿を書くのです。それと、陸マガの全日本実業団対抗駅伝展望記事用の取材も、ここで少しでも片づけておきたいところ。結局、何人でしょうか。少なくとも5人(亀鷹、岩瀬、福嶋、灰塚、酒井各監督)は、指導者たちに取材をしたと思います。えっ、大したことないですか。佐藤アナはもっとしている? かもしれません。


◇11月25日(木)
 昨日の日記で一部、誤解を招くような記述がありました。中川・青葉両氏が“油を売っていた”ようにも読めるとの指摘です。頭のいい人が読めば“油を売っている”のは寺田であって……おっと、それも違いますね。両氏を知っている人が読めば、油を売っているのが両氏であって……おっと、それも違います。とにかく、2人は真面目に仕事をしていたと思います。たぶん。

◇11月26日(金)
 320行の大作原稿の締め切り。200行の記事と、120行のインタビューです。全部書き終わらなかったのですが、明日の午前中には書き上げられるメドが立ったので、久しぶりに自宅に戻りました。明日は日体大で取材。自宅からの方がちょっと近いのです。


◆12月2日(木)
 ISHIRO化しつつある日記です(たまにドカンと書く、という意味)。それもいいかな、と思いつつも、やっぱり毎日書かないといけないでしょう。まとめて書くと、たまにテーマに一貫性を持たせられたりしてプラス面もあるのですが、新鮮さが失われるんですね。その日に書けばまだ、感動も残っている状態で書けることが多々あるような気がします。そのいい例が11月21日でしょう。東京国際女子マラソンを取材して、色んな人に合いましたから、絶対に面白いネタがあったはずなんですが、すでに半分、ネタの鮮度が褪せているんですよね。
 本日は自宅で仕事。まず、朝の9:50から電話取材。睡眠不足だったので、取材後に2時間ほど眠って、その後一気に170行の原稿を5時間ほどかけて書き上げました。ただ今、WSTF(新宿の作業部屋)に移動の車中です。明日は朝9:30の便で福岡に移動しますので、WSTFに泊まります。移動中にファミレスに寄って、日記を書けるところまで書く……つもりでしたが、洗濯をしないと福岡に行けないことを思いだし、WSTFに直行してコインランドリーに。コインランドリーにいると陸マガ・Y口君から電話。原稿が届いていないとのこと。久しぶりのメールトラブルです。Y口君のアドレスではなく、陸マガのアドレス宛に送信し直したら届きました。同じベースボール・マガジン社のサーバーなのに、何ででしょう?
 もう22:30。WSTFでは来週火曜日締め切りの500行原稿を少しでも進める予定ですが、ちょっと厳しくなってきました。福岡の予習をするのが精一杯でしょう。500行原稿は、機中と博多で進めましょう。


◆12月3日(金)
 福岡国際マラソン取材のため、空路、福岡に移動。羽田空港の第一ターミナルからの出発でしたが、12月から第2ターミナルができたため、全日空のカウンターがあった場所は布がかけてあるだけ。いつもとかなり違う雰囲気でした。
 昨晩は3時間ほど取材の予習(その結果が2時間睡眠)。といっても、資料の大半はコピーしただけか、データベースから印刷しただけ(ここまで持って行くにも、知識がないとできないんですね)。目を通すのは移動の最中になりました。
 資料に目を通したら、かなり多く、面白い事実に気づきました。羽田→福岡の空は充実した一時となりました。いくつかは明日(土曜日)、福岡国際マラソンの見どころ…というか、見どころじゃないですね。雑ネタでしょうか。とにかく、紹介できればと思っています。

 記者会見開始より早めに着いたので、関係者とひとしきり雑談。この雑談中から、ネタが拾えることが多々あるのです。14時から会見。代表質問は朝日新聞の小田邦彦記者。岡山出身の元ショットプッターです。会見の様子から尾方剛選手の自信というより、充実ぶりが伝わってきました。外国勢に関しては、コリル選手(メリー・コリルキマシタ)が“今後の目標”として世界記録を口にしていましたが、今回はどうでしょうか。タイス選手の自然体というか、落ち着いた雰囲気も印象に残りました。防府マラソンに2回勝っているヌグセ選手は、髪の毛が短いので寝ぐせが出ているのかどうか、わかりませんでした。
 会見後は某長距離チーム監督や記者たちと雑談。ここでも、将来的に役立つ情報が多かったですね。通りかかった尾方選手や、清水・大崎のNTTコンビとも二言,三言、立ち話をしました。
 移動中の資料から気づいたことの一部ですが、今大会は山梨学大OB対決が注目の的です。尾方剛(中国電力)、大崎悟史(NTT大阪)、尾池政利(大塚製薬)の3選手です。場所は福岡でも頭文字が全員O(オー)。レースの終盤、この3人が先頭で並ぼうものなら「オオオッ」と、テレビ視聴者が驚くことでしょう。ちなみに血液型は全員Oなんてことはなくて、尾方選手がB、大崎選手がO、尾池選手がAと綺麗にわかれました。それがなんだ、ということはないのですが。
 これも記事にする予定のネタと関係するのですが、大崎選手が今大会の選手相関関係図の中心ですね。
1)山梨学大トリオで学年的には真ん中で、尾方選手とも尾池選手とも在学時期が重なっている
2)清水康次選手がNTT西日本広島からNTT大阪の陸上競技部活動本格化に伴って異動し、大崎選手のコーチという立場に
3)梅木蔵雄選手とは過去4回連続で同じレースを走っている
4)ヌグセ選手とは防府マラソンで一緒に走っている
5)コリル選手とは03年ベルリンで一緒に走っている
 もう1つ2つ、ネタがあったかもしれませんが、思いつく範囲ではこのくらいでしょうか。思い出しました。
6)土佐礼子選手のフィアンセの村井啓一選手(NTT西日本愛媛)が今大会に出場しますが、大崎選手は元同僚

 会見の日本選手部分を記事にして、19時からISHIRO記者の従兄弟がオーナーシェフのイタリア料理屋で、何人かの記者の方たちと夕食。寝不足の影響が出ました。


◆12月4日(土)
 今日は仕事を頑張りました(昨日も、頑張りはしましたが)。
 10:45には大会本部のある西鉄グランドホテルに。練習に行く選手たちの表情を見たり、指導者の方たちの話を聞いたり。昼食も食べず、空き時間でこのサイト用に記事を書きました。
 そうこうしていると、偶然にもコリル選手がクリスマスツリーの前に。別に、メリー・コリルキマスと書いたからではないのですが、ツリーと一緒に写真を撮らせていただきました(ちょっとブレてしまいました。すいません)。
 佐川急便の星竜也選手と雑談。96年に2時間14分台を2回出した後、さあこれからという時期にマラソン歴に空白があるので理由を聞くと、97年に外反母趾の手術をしたとのことです。高校は京都商高、大学は愛知工大と、長距離というより野球の名門校を出た選手(京都商高は沢村栄治の出身校だそうです)。かの名作アニメ「巨人の星」も、再放送を見ていたとのこと。日頃はサブテン養成ギブスを身体に付けていますが、「明日は外して走ります」と話していました。
 18〜19時頃まである仕事をして、夜は21時頃まで西鉄ホテルで本サイトの原稿書き。泊まっているホテルに戻って、火曜日締め切りの500行原稿を150行ほど書き進めました。


ここが最新です
◆12月5日(日)
 福岡国際マラソン取材。
 地下鉄の赤坂駅から平和台競技場に向かっていると、三井住友海上社屋にこんな縦段幕が下がっていました。土佐選手の婚約者の村井啓一選手も今大会に出場されていましたが、これを見たのでしょうか。目標は2時間19分41秒だったとか。どうやら、渋井陽子選手をライバル視していたようです。
 写真を撮影していると、ミズノのKKコンビに声をかけられました。今クールの月9ドラマはスポーツメーカーが舞台なのですが(織田裕二と矢田あきこの世界陸上コンビが主演)、KKコンビは織田裕二以上の二枚目です(個人的な見解ですから、異論も出るでしょうけど)。さあ、誰でしょう?

 ここ数年、福岡は報道車に乗らせていただきましたが、今回はプレスルームでテレビ取材。乗らなかった理由は、去年の日記に書いているかな……と思って確認すると、去年も12月4日から10日まで日記が中断していました(この日記も9日に書いています)。やっぱり、例年、忙しいんですね。報道車に乗らない理由は、わかりやすく抽象的に言えば、○○の意識の差でしょうか。要するに、乗る魅力がないということ。でも、乗る記者がいなくなって、箱根駅伝のように報道車が出なくなってしまうのも避けたいですし。難しい問題です。
 レース結果は尾方剛選手の圧勝でした。2時間09分10秒という優勝記録を表面的に見て、大したことはないと判断したら大間違いでしょう。35km以降で2位以下につけたタイム差を見れば明らかです。35〜40kmで54秒、そしてすごいのが、40kmからフィニッシュまでの2.195kmで52秒もの差をつけているのです。残念ながら、過去のスプリットタイム表を、過去4年分しか持っていませんでした。現行コースとなった91年以降を全て持っていれば、この事実がどのくらいすごいか、取材のときに役立てたと思うのですが。
 やっぱり、データって重要です。と思って、ついつい資料準備に時間を使いすぎる傾向があるのですけど。確率でいえば、用意した資料を活用できないケースの方が圧倒的に多いのです。重要なのは、資料準備をする時間があるかどうかの判断を、バランスよくすることでしょうか。

 競技場では共同会見に出席した上位3選手と澤木強化委員長、坂口泰監督、上窪隆夫監督を取材。その後、大会本部のある西鉄グランド・ホテルに徒歩で移動。閉会式前に日本人3位の迎忠一選手と、同4位の梅木蔵雄選手を取材。陸マガに書く記事は尾方選手だけとなったので、2人に取材したことはこのサイトで記事に……できればいいのですが。
 今日の記録が悪かったのは、風に尽きます。そこで、近年のマラソンで、今日と同じかそれ以上に風が強かったマラソンはどれか、関係者に取材しようと思っていると、大塚製薬・橋本忠幸コーチの姿が。犬伏孝行選手や岩佐敏弘選手だけでなく、女子の杉原愛選手のコーチとして、内外のマラソンを現地でつぶさに見続けてきたコーチです。さっそく質問すると、すぐに思い出したのが犬伏選手が出場したシドニー五輪。国内では、今年の北海道マラソンが強かったそうです。

 風が全てではありますが、だからこそ、ペースメーカーへの配慮も重要になったはず。その辺も少し、関係者に話を聞くことができました。以前、シカゴのペースメーカーが下手だったことを紹介しましたが、ペースメーカーがやってはいけないことの1つが“帳尻合わせ”。5km毎の関門の通過タイムを契約通りにするため、関門近くになってペースを上げ下げすることです。仮に、予定より遅いとわかっても、リズムを壊すことの方が結果的にマイナスとなります。
 今回、3人のペースメーカーにはその辺を、特に注意するように指示がしてあったようですね。向かい風から追い風に変わるところでは、今日のように風が強ければペースが大きく変わりますが、前の5kmのマイナス分を取り戻そうと一気に14分40秒〜50秒に上げたら、たぶん、記録はもっと悪くなったでしょう。大崎悟史選手は、15分05秒にペースが上がったとき、「14分50秒に上がったように体感した」と話していますから。強風の中で2時間09分29秒の世界選手権内定基準タイムを切れたのは、ペースメーカーがそれなりに貢献していたと思います。

 21時まで西鉄ホテルで本サイト用の記事を書き、徒歩10分の距離にある自分が泊まっているホテルに戻って、火曜日締め切りの500行原稿を書き進めたかったのですが、記事の視点を変えた方が面白いと気づき、かなりの修正作業。表面的な行数で言えば、50行くらいしか進みませんでした。明日の朝の取材の予習も、そこそこやって、記事の骨格がほぼ決められました。


◆12月6日(月)
 朝早くに尾方剛選手を取材。なかなか面白い話が聞けました。尾方選手の前には坂口泰監督にも。こちらも面白かったです。記事にする手応えもそこそこ感じられました。何を隠そう、この原稿(陸上競技マガジン)は本日が締め切り。行数は200行です。自分の宿泊ホテルにもどって11時にチェックアウト。地下鉄の赤坂駅近くのスタバで約1時間、1時間半前に取材した内容を読み返し、記事の構成を練りました。
 13時前に福岡空港に。15:30の便なのでチェックインは13:30からと言われてしまいました。約1時間半、空港のベンチで原稿書き。約40行書きました。原稿は全体の構成を考えながら書き進めますから、最初の方が筆が進むスピードが遅いのです。
 14:50にチェックインし、弁当を買ってベンチで昼食。
 機内で原稿は80行まで進行し、17時過ぎには羽田着。気持ちが乗っていたので、羽田空港で一気に書き上げました。21時頃だったと思います。
 WSTF(新宿の作業部屋)に戻って、福岡国際マラソンが現行コースとなった91年以降のスプリットをチェック。昨日、尾方選手が2位につけたタイム差が、35kmからフィニッシュまでの7.195km間は過去最大であることが判明しました。その辺のデータを、記事の冒頭に盛り込むことを想定して、原稿は書き進めてあったのです。最近の福岡は、終盤まで競り合いが続くことが多かったですから、こういった特徴があることは確信していました。
 フィニッシュまででは最大でしたが、35〜40kmでは92年のネゲレ選手が1分08秒で最大で、00年の藤田敦史選手が1分01秒で2番目、今回の尾方選手の54秒は3番目でした。つまり、40kmからの2.195kmがすごかったということです。



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