ウィグライプロ
スペシャル
第2回



横田真人
800mランナーの矜持





 7月上旬のベオグラード・ユニバーシアード男子800 mで、横田真人(慶大4年)は1分48秒08で4位。ラウンドを勝ち抜く戦いは、日本選手は必ずしも得意としていないが、横田は3本できっちりと力を発揮した。低迷が続く日本の中距離界で、久しぶりに明るい話題を海外から届けてくれたのである。快走の要因を明らかにするとともに、横田が世界との差をどのように縮めようとしているのかを探った。

@ユニバーシアード4位の真実
 中距離種目でラウンドを重ねる戦いは、体力的に日本選手には厳しいと言われていた。しかも、予選と決勝は記録的に横田よりも上の選手が多数いた。結果的に予選・準決勝と勝ち抜き、決勝では1分48秒08で4位。記録よりも順位が求められるチャンピオンシップで、しっかりと結果を残した。

横田 予選、準決勝とラストがキレていました。特に準決勝はスローで、400 m通過が57秒かかっていた。5〜6番目の通過だったと思います。ラスト150mから一気にまくって、残り70mで2位まで上がりました。怖かったのでマックスで走って、その結果、2周目を52秒8で上がったことがビデオの分析でわかりました。ラスト200 mは25秒3か4。ラスト100 mは12秒3で、どれも過去最速です(1分50秒07で2位)。

 スタッフの学連の先生たちからも、その時点で「よくやった」という言葉をかけてもらえた。だが横田自身は、決勝ではさらに上を狙う気持ちになっていた。

横田 ここまで来たら、8人同じレベルだと考えました。メダルだって狙えると。決勝の400 m通過は8番手。あまりゴチャゴチャするのが好きではないので、集団から1人分くらい開けていました。前の7人はヒジをぶつけたり、転びそうになったりしていた。これは行けるかもしれない、と思って走っていましたね。残り120mではまだ7〜8番。大外からまくってラスト60mくらいで5番手。オーストラリア選手を抜いたところまでは確かでしたが、その後は混戦でした。フィニッシュしたときは2位だと思ったんです。追い込んでいましたから。
 電光スクリーンの結果表示が2位まで出たところで走高跳の結果が出たり、次の4×100 mRが始まって、3位以下がなかなか出ませんでした。結局、優勝した選手に0.06秒差、3位の選手とは0.01秒差でした。メダルは目前でしたし、優勝も狙えたレースでしたから、かなり悔しかったですね。
ユニバーシアードではフィニッシュ前で激しく追い込んで4
位。写真からわかるようにメダリスト3人との差はごくわず
かだった<写真提供:横田真人選手>
 ユニバーシアードでは過去、中距離種目でも日本選手がメダルをとったことがあるが、横田の4位は近年では出色の成績である。確かにアメリカなど有力国の不参加もあったが、何が好成績を収めた原因だったと自己分析しているのだろうか。

横田 外国でのレースに慣れてきたことは大きかったと思います。飛行機の長時間移動や海外の気象、食事などにストレスを感じなくなりました。北京の世界ジュニア(2006年)では体調も悪かった。今回、気持ちに余裕があったとまでは言い切れませんが、外国選手と走ることに物怖じしなくなりました。スタートリスト記載の自己記録も1分44秒00の選手が2人いて、「信頼できないのでは」と良い意味で疑ってかかりましたね。
 3日連続で800 mを走るのは、このレベルでは初めてです。今回は予選後も余裕があって、準決勝もそこまで力を使い切った感じではありませんでした。さすがに、決勝のアップでは少しきつさを感じましたけど。僕は試合の時も機能性アミノ酸「グルタミン」を含んだウィグライプロを携行しています。ユニバーではレース前に2包、レース直後に1包、寝る前に2包摂っていました。特にきつい練習をしたときや、試合前の調整期には多く摂るようにしています。

 順位が重視されるチャンピオンシップだが、横田は記録を出すことも考えていたという。

横田 決勝に残ることが一番の目標で、準決勝で出し切ってもいいと考えていました。(準決勝で)あわよくば1分46秒台もと、記録も考えていたんです(世界選手権のB標準が1分46秒60、日本記録が1分46秒18)。決勝も、日本選手権のように前半からハイペースで入ることも考えましたね。最後まで世界選手権をあきらめたくなかったのです。今回、追加代表はないと聞いていましたが、それは出してみないとどう判断されるかわかりませんから。

 決勝の日は風が強く、記録はあきらめざるを得なかった。だが、ユニバーシアードは、個人的な思い入れも強かった。大会自体、国内レースよりも「格上」であるのは確か。そこで戦うことは、さらに上の世界で戦うことにつながる。

横田 世界選手権の代表になれませんでしたから、他の日本選手よりも懸ける思いは強かったと思います。それに2年前は、世界選手権よりもユニバーシアードを目標にしていたのに出られませんでした(※)。同世代の外国選手と戦うのは今回がラストチャンス。それが世界と戦うための1つのステップになる。どうしても決勝で戦いたいと思っていました。
※2007年は6月の日本インカレで敗れてユニバーシアード代表を逃したが、6月末の日本選手権で優勝。標準記録を破っていなかったが、地元枠で8月の大阪世界選手権に出場し、予選で1分47秒16の自己新(日本歴代5位)と健闘した。
3月の故障以後、補強をより丁寧に行うようになった
 横田はユニバーシアードを、800 mランナーとして総合的に成長するためのステップ、自分の力を示す場ととらえていたのだ。しかし、今季の流れは必ずしも万全ではなかった。3月に大きなケガをしてしまったからだ。

横田 左足首を捻挫して、トレーニングプランが大きく崩れてしまいました。朝練習中に転倒してしまったんです。3週間、走ることができませんでした。5月のレースまでは、接地で足首が潰れてしまっていた。“あー、使えてないな”と。ただ、あの状態で1分48秒台が3試合で出たことは良かったと思います。

 兵庫リレーカーニバルは口野武史(富士通)に敗れて2位(1分50秒23)、国際グランプリ大阪は日本人1位の4位(1分48秒00)、関東インカレはダニエル(日大)に敗れて2位(1分48秒61)。優勝したゴールデンゲームズinのべおかは、標準記録突破が目標だったが1分48秒13にとどまった。
 6月末の日本選手権は1分48秒53で優勝。標準記録は破れなかったが、前半400 mを51秒39というハイペースで入ることができた。後半で潰れる可能性もあったが、最後まで走りきって優勝した。


横田 ケガからの復帰の過程で、これまでやって来なかった補強を徹底してやりました。以前は治ったら走るという感じで、弱いところを補う取り組みがありませんでしたね。今回は足首のリハビリと同時に、腹筋や背筋を徹底して鍛えました。トレーナーの方に付いてもらって、かなりきついメニューをこなしましたよ。体つきが変わりましたから。ハムストリングや中臀筋の使い方を、しっかりとトレーニングできたと思います。
 その結果、日本選手権では走りに軸ができました。以前は肩でタイミングをとっていた走りでしたが、いまは、軸がしっかりして肩甲骨から腕を振れるようになりました。まだ、左の腕振りは改善点がありますが、左右差がなくなってきて、走りが安定しました。しっかりと乗れるようになりましたね。それが7月のユニバーシアードにつながって、ベオグラードで走れたのだと思います。
 痛みも出ないようになったので、練習も安定して積めると思っています。この夏にしっかりと練習で走れれば、秋が面白くなりそうです。

Aスピードを落とさず楽に走るに続く

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