2001/7/14
日本新記録コメント(1)
二瓶秀子・女子100 m11秒36
『ホントにびっくり。“ごめんね香織”ですね』


「ビックリしました。ホントにびっくり。風がいい感じで応援してくれました。ラッキーですね。今年は追い風(参考)でばかり。競技をしている時間があまりないし、自己記録が去年出した11秒63なので、6台で終わりたくないと思っていました。予選が11秒4台(追い風参考)で、決勝はもう、行くしかないと。“風は走ったあとについてくる”と思って、最初から記録狙いでした。(0.3秒近い更新ですが?)どうしましょう。もうやめるかもしれません。
(走り自体は?)焦らず、自分のレースを心がけました。スタートは普通で、行ってもなく悪くもなく。中盤から後半は行ったと思いました。前半がまとまっていたから、後半が行けたのだと思います。
(ライバル不在でしたが?)それで、記録を狙わせてもらおうと、集中できました。『ごめんね、香織(坂上香織)』、ですね。きっと、『ずるい』と思っているでしょうね。
(世界選手権A標準ですが?)そんなもんですよ。出してしまって、私も困っています…大事にします。
(200 mの日本新の時と比べると?)あのときも出てしまったっていうか、あのときはあのときで嬉しかったんですが、今回は別の喜び、大人の喜びっていうんですか。あのときは教員3年目でしたが、川本先生に言われるままに練習して出した記録です。今回は、ある程度主張しているというか、先生に言われなくても、言われることがわかるようになって、不安がなくなって出した記録です。
(来年からは?)大学院が今年で終わりですから、あとは普通の教員に戻るつもりです。(以前も教員で記録を出しましたが?)終わると思っていたから頑張って来られた部分があります」

2001/7/14
日本新記録コメント(2)
室伏の83m47は今季世界1位、世界歴代7位、アジア新!!
『“練習”という位置づけで出場。“フォーム・動き”を確認でき、“可能性のある動き”として自信になった』

「今日の中京大記録会は、投てき練習を予定しており、あくまで『練習』という位置づけで出場した。世界陸上に向けてのスケジュールの中で競技会に参加したわけではなく『今の状態の確認』を行なった。
 出した記録に対しては評価していない。『フォーム・動き』を確認でき、『可能性のある動き』として自信になった。
 世界陸上までは、冬からずっとやってきたことを今までどおり、今までのやり方、方法でやっていき、本大会を迎えたい。本大会は大接戦になるでしょう。それを純粋に楽しみたい。そのために厳しいトレーニングを日々積んでいる」
(ミズノ発表のリリースを原文のまま転載)

2001/7/15
日本新記録コメント(3)
吉田が今季2度目の日本新、日本選手初の56秒台。しかし――
『0.03秒足りなかった!! 嬉しいけど、すごく残念』

「(記録を見た瞬間は?)0.03秒足りなかった!!、と思いました。嬉しいんですけど、世界選手権には出られなかった、って。(レースは)日本選手権でやったレースパターンを、もう1回やりました。課題があったんです。5台目まで16歩で行き、そのあと切り換えるんですが、そこで減速していました。今日は、リラックスしながら加速できたと思います。
(バックストレートの向かい風は?)昨日ほどではありませんでした。(昨日の400 mの)疲れはありましたが、疲れがあったから、足があったのかもしれません。本当は400 mH一本に賭けたかったんですが、しぶしぶ出ました。それが、昨日はそんなに調子がよくなかったのに自己新が出て、『あの条件で自己新なら、今日は』と思いました。
 今日は最後が追っていたので、歩数もうまくいきました。今日は、昨日の400 mの感じでラストを(上げて)走ることができました。前半は向かいでしたが、水壕から加速するイメージで。日本選手権では10台目を越えてから、後ろの2人に詰められたみたいなんです。前半が日本選手権くらいで、後半がいつものように行けたら、日本新は出ると思っていました。(100 mH優勝者の)茂木が『今日は引っ張ります』と言って、そのために出てくれました。5台目まで15歩で行ける子なんです。
(フィニッシュでは)57秒台と思っていたので、最初に56秒と見て嬉しかったんですが、隣の数字が0.03秒足りなくて…。ホント、世界選手権で走りたいと思っていたので、すごく残念です。世界選手権へは、これが最後のチャンスでしたから。外国選手と走れば、記録も出せるんですが」

2001/7/16
日本新記録コメント(番外)
朝原が10秒02の日本歴代2位!!

『ゴールでは10秒10前後かなと思いました。後悔しているのは…』


6月29日ローマ:10秒32(+0.2)で13位
7月2日ザグレブ:10秒32(+0.7)で3位
7月4日アルンヘム:10秒21(+1.6)で優勝
7月9日ニース:10秒39(−1.2)で4位
7月13日オスロ:10秒02(+2.0)で4位
  オスロ予選:10秒15(+1.6)で1位
「(6レーンしかないゴールデンリーグに出られたのは?)予選が3組みあって、10秒15でその組のトップになれたからです。1着+3が決勝に進む条件でした。調子はけっこう上がってきていて、オスロが最後の試合だったんですけど、一番いい記録を出せるよう調整していきました。
 その前のニースが、ウエイティング状態で、レース当日になって出られることになったんです。オスロに向けてウエイトをやっていた時に電話があったんです。(移動したその日のレースで)疲れはあったんですが、技術的にはいい感触でだいぶ自信になりました。
 オスロでは左横のレーンがモンゴメリーで、極力視界に入らないように、自分のレーンばかり見ていました。見るのは右側のノルウェー人だけ。左のボルドンとモンゴメリーは見ないように、と。一番左のバーナード・ウイリアムスだけは見えていましたけど。
 後悔しているのは、心の迷いがあったことです。スタートについて興奮してくると、僕、前のめりになっていってしまうんです。『ああー、もどそうか』と迷っているうちに、スタートしてしまいました。あと、極力、頭を下げている姿勢を維持しないといけないんですが、それを早く上げてしまった感じです。もうちょっと、無心で走れないといけませんね。
 ゴールでは10秒10前後かなと思いました。トップが(9秒)84で、自分が02と聞いてビックリです。レース後、背筋がギューッと縮まる感じで、ずっと水風呂につかってました。最近、1試合1レースというのが多かったですからね。これでタイムが悪かったら、ダルかった思います。
 しかし、10秒02は出来すぎ。力的には今、10秒10くらいかな。コーチともメールでやりとりをしていますが、映像を見てくれたらしく、『流れ的には10秒10だと言ってくれました。
 ここまで長かったです。2年間ずっとケガをしてしまい、取り戻すのに長くかかってしまいました。100 mはスピードが速い分、いざやってみるとできないことも多いのです」