陸上界の強化に欠かせない“ひと味”
STCI・GSPの多彩な活動をレポート

STCI・GSPとは?
 日本の陸上界がさらなる飛躍を遂げるためには、新たな強化メソッドが必要になっている。チームが一生懸命に選手を育てる、あるいは競技団体が方針を決めて予算をつける。そういった従来のスタイルが最重要であることは変わらないが、そこに"ひと味"をつけることで、選手・指導者の選択肢が増え、モチベーションも上がっていく。
 その役割を果たそうとしているのが上野敬裕代表の運営するNPO法人STCI(
湘南トラッククラブ・インターナショナル)であり、STCI事業の一環で柳原元氏(インプレスランニング社)が担当するGSP(グローバルサポートプロジェクト)である。
 STCIは陸上選手の指導はもとより、マネジメント会社として選手をサポートする。Bで紹介する川元奬(日大)の米国でのトレーニングなどのように、しっかりと受け入れ態勢やコーチの能力を見極めて斡旋している。また、選手のセカンドキャリアの支援をし、それと関連して人材斡旋業務も行う。若年層向けの陸上競技教室も開催する。
 そして国際陸連公認エージェント(代理人)の資格を持つ柳原氏が担当するGSPは、まさに"世界"との橋渡し役だ。@で紹介する山本亮(SGホールディングス)も、Dの日立物流グループの海外遠征も、"その選手にとってどんなレースが最適か"を考慮した提案を行っている。その上で海外の主催者と密に連絡を取り、日本選手にプラスとなるレースを準備してもらっている。
 また、豊富な海外とのコネクションを生かし、Cで紹介するように、新たな高地トレーニング拠点の開拓なども行っている。
 アメリカ在住でGSPの活動を行っている佐藤幹寛氏も、柳原氏と同じように国際陸連公認のエージェント資格を持ち、引退した赤羽有紀子さんの海外レース出場をサポートしていた。川元の海外トレーニングでも、現地チームとの橋渡し役を行うなどしている。
 普段は表に出てこない彼らの活動に、スポットを当ててみた。


@五輪選手の“さらなる世界への挑戦”とSTCI・GSP

山本が復帰マラソンにウィーンを選んだ理由
 SGホールディングス(以下SGH)の中野剛監督は冬の間、山本亮(SGH)のケガからの復帰戦をどの試合にするかを考えていた。そのときに相談したのが柳原氏である。
 山本は2012年のびわ湖マラソンで日本人トップとなってロンドン五輪に出場(40位)。2013年もびわ湖で2時間09分06秒の5位(日本人2位)となったが、その後距骨(きょこつ。くるぶしの下の部位)を疲労骨折し、昨シーズンのほとんどを棒に振った。半年近くブランクが生じたため、復帰戦をハイペースのマラソンにするのはリスクがあった。
2014年4月のウィーン・マラソンを
故障から復帰後の
初マラソンに選んだ山本と中野監督
<写真提供:STC I・GSP>
 中野監督は山本の意向も踏まえ、上野代表や柳原氏と相談して4月のウィーン・マラソンを選んだ。
「同時期のロンドンやロッテルダムのことは僕らも知っていましたが、ウィーンについては知りませんでした。どんなコースで、どんな顔ぶれになりそうかを教えてもらって決めたのですが、ペースメイクも大会主催者とこちらの希望を調整してくれて、中間点を1時間5分切りの設定にできた。そのときの山本は1km3分3〜5秒で行かせたい状態でしたね」
 現地には柳原氏が帯同したが、同氏はHonda陸上部でマネジャーを務めた経験がある。到着してすぐに軽く走れるような時間帯のフライトを選んだり、ホテル近くの練習コースの情報を入手したりと、柳原氏は常に先読みして段取りをしてくれたと中野剛監督は言う。
「コースの下見も主催者に特別に車を用意してもらい行うことができました。通常の参加の仕方では、そこまではできないのが普通ですね」
 山本はウィーンでは2時間10分59秒(6位)で走り、所期の目的に沿った走りでマラソンに復帰することができた。

「マラソンは経験の競技」(中野監督)
 SGホールディングスとSTCI・GSPの接点ができたのは2011年から。中野監督と上野代表とのつながりもあって業務を依頼するようになった。山本がロンドン五輪で力を発揮できなかったとき、中野監督の気持ちはさらに強くなった。
「五輪前は山本自身も落ち着きがないところがあったし、私を含めてチームとしても、世界で戦う準備ができていませんでした」
 中野監督が世界戦略をイメージする際に、STCI・GSPの協力を得て海外経験を多く積むことも計算に入っていた。モスクワ世界陸上代表を僅差で逃したときには、次はベルリン・マラソンでハイペースに挑むプランを立てた。7月には1万mで28分13秒23の自己新を出すなど予定通りに進んでいたが、前述の疲労骨折のため半年近くレースから遠ざかってしまった。
 復帰過程でつまずくと、レベルを戻すのに時間がかかってしまう。そのときもSTCI・GSPと相談して、3月のリスボン・ハーフマラソンに強化の一環で出場。そして4月にウィーンでフルマラソンを走ったのである。
ウィーン・マラソンではレース前の記者会見にも出席した山本。山本の右が柳原氏。(右写真の)レースでは2時間10分59秒で6位<写真提供:STC I・GSP>
 中野監督は「大会によっては、山本クラスならフライト代やホテル代を持ってもらうことができます。交渉次第で遠征費用を抑えることができるし、事前に大会を説明できる資料を用意してもらえると、会社の理解も得やすくなります」と、STCI・GSPに業務を委託するメリットを話す。
 ウィーンでステップを踏んだ山本は、今年こそは、の思いで9月のベルリン・マラソンに挑戦したが、残念ながら2時間12分49秒の13位に終わった。それでも、中野監督の方針がブレることはない。
「マラソンは経験の競技だと思っています。アフリカ選手に能力でも勝てない、経験でも勝てない、となったら(五輪&世界陸上で)勝てるわけがありません」
 再びオリンピックの舞台に立ち、次こそは世界と戦うために、山本陣営がひるむことはない。STCI・GSPの協力を得ながら進んで行くつもりだ。

A海外大会主催者から見たGSP

「迅速で信頼できる対応をしてくれる」とベルリン・マラソン・ディレクター
 SGホールディングスの中野剛監督が、柳原氏のことを次のように話していたことがあった。
「柳原さんの人脈はスゴイですよ。どの大会に行っても関係者から、『ゲン』と下の名前で呼ばれています。色々な方面で、積極的にお付き合いをされているのだと思います」
 柳原氏は自身の交際の広さの理由を問われると、「情報を送ったりして、マメに連絡することですね。しつこく、でも、嫌われない程度に」と言って笑う。
 そんな相手の1人がベルリン・マラソン・レースディレクターのマーク・ミルデ氏である。ベルリン・マラソンはこれまで、人類初の2時間2分台(2時間02分57秒、Dennis Kipruto Kimetto=ケニア)を筆頭に世界記録を幾度となく誕生させた大会。日本人選手も男子の犬伏孝行、女子では高橋尚子、渋井陽子、野口みずきとベルリンで日本記録を更新してきた。
 柳原氏はここ数年、ベルリン・マラソンに選手とともに足を運んでいるし、ミルデ氏が来日すると必ず情報交換をしている。
ベルリン・マラソンのレースディレクターのミルデ氏。
世界最速マラソンを運営している
<写真提供:STC I・GSP>
 そのミルデ氏が柳原氏の印象を次のように語っている。
<柳原氏の仕事ぶりは?>「とても信頼できるエージェントです。彼は主催者との連絡が緻密で、選手のことも非常に気にかけている。コミュニケーション・スキルも(欧米のエージェントと比較しても)不満は全くありません。迅速で信頼できる対応をしてくれています」
<数年前まで日本人エージェントは実質的にいなかったが?>「日本人選手が日本人エージェントによってサポート、マネジメントされる。それは当然のことだと思います。これまで外国人エージェントも、日本人選手のために良い仕事をしてきました。しかし、それは外国人エージェントが独占すべきものでもない」
<主催者の立場から日本人エージェントに希望することは?>「現在多くの日本人選手が、日本で挙げている実績に比例した活躍を海外でしていないように思います。世界のランニングシーンに、ワールドクラスの選手を再びもたらしてくれることを望みます」

「日本人選手の紹介、交渉業務をやってくれるので大変助かっています」とチェコのモベリー女史

 柳原氏は2010年にネットワークを広げるため、ヨーロッパ各地を回っていた。そのときにプラハ在住のエージェント仲間から、ヤナ・モベリー女史を紹介された。
 モベリー女史はチェコで7つのロードレースを主催するランチェズ(Run Czech)社のスタッフ。9月に中部・関西両実業団連盟らが遠征したウスティ・ハーフマラソンや4月のプラハ・ハーフマラソン(IAAFゴールド・ラベル)、5月のプラハ・マラソン(同ゴールド)などのエリート部門を仕切る実務トップである。
チェコで7つのロードレースを運営する会社で
エリート部門を担当するモベリー女史
日本人選手の参加を望んでいる
<写真提供:STC I・GSP>
 以後、柳原氏とは何度も仕事をしている間柄だ。モベリー女史は柳原氏の印象を次のように話している。
<柳原氏の仕事ぶりは?>「参加選手に関する詳しい情報などを、早め早めにトスしてくれるので本当に助かっています。一方、欠場の可能性も状況を教えてくれる。参加メンバー、移動スケジュールや宿舎の要望なども早めに伝えてくれるので、計画が立てやすいですね。(特にアフリカ選手を抱える)欧米のエージェントは、レース数日前に急にキャンセルしてきたり、いきなり出たいと言ってきたり。ビザなどの事情もあるのでしょうが、当日までに来るか来ないか分からないこともあります」
<数年前まで日本人エージェントは実質的にいなかったが?>「柳原と知り合う(4年前)までは、日本選手の参加交渉を誰として良いか分からず困っていました。以前から日本のエリート選手に参加して欲しい希望はあったのですが、日本には対応してくれる窓口がなかった。今は日本人選手の紹介、交渉業務をやってくれるエージェントがいるので大変助かっています」
<主催者の立場から日本人エージェントに希望することは?>「ぜひ日本の(五輪&世界陸上代表クラスの)強い選手を我々の大会に参加させて欲しい。日本選手がトップ3に入ってくれたら大会も盛り上がると思っています。今はケニア、エチオピアがどのレースでも上位を独占していますが、エリートの部もより国際色豊かなレースにしたいのです」

 世界のロードレース市場で日本選手は間違いなく価値がある。柳原氏のようなエージェントの存在が、外国大会主催者と日本人選手を結びつけ、双方にメリットをもたらす。
 外国大会主催者からの柳原氏への信頼も、ますます厚くなっていきそうだ。

B学生ホープの海外初合宿とSTCI・GSP

川元が米国ニュージャージーを選んだ理由
 今年5月に日本人初の1分45秒台(1分45秒75)を出した川元奬(日大4年)と松井一樹コーチは、大学2年時のシーズン中に海外でのトレーニングが必要だと考え始めた。松井コーチは当時大学4年生で自身も1分49秒台の選手だったが、日大中距離ブロックのトレーニングを任されていた。上野代表は中距離選手(2010年アジア大会4位の岸川朱里・長谷川体育施設)の指導者でもあり、松井コーチとも親交があった。
 海外トレーニングの依頼をSTCI・GSPに持ちかけた理由を、松井コーチは次のように明かす。
「川元は横田さん(横田真人。当時の日本記録保持者)と一緒に練習をすると、レベルの高い練習ができたのです。川元よりも少し高いレベルの選手、それも海外の選手とトレーニングをしたいと考えました(当時の川元の自己記録は1分46秒89)。上野さんから3つのチームをリストアップしていただきましたが、ニュージャージーには1分45〜46秒台の選手が3〜4人がいたのです。コーチも上野さんが勧めてくれる人物だったので、そこに決めようと思いました」
 上野代表によるとニュージャージー・ニューヨーク トラッククラブ(以下NJ-NYTC)のF・ガグリアーノ氏は、オレゴントラッククラブのヘッドコーチだった人物。
「コーチングキャリアが豊富で、高校生からニック・シモンズといったアメリカ代表まで育てています。彼のコーチング、トレーニング理論は、当時の川元選手の課題克服を考えたとき、きっとマッチするだろうと思い、紹介しました。海外のコーチやチームを紹介するときは、単に有名だからという理由ではなく、そこに行く選手のレベルや特性、ビジョンなどを総合的に判断して決めるべきだと思います」
 2013年2月。海外経験の少ない師弟がアメリカに旅立った。
NJ-NYTCの練習最終日に選手、スタッフ全員と記念撮影。最前列左から3人目が川元、5人目が松井コーチ<写真提供:松井一樹コーチ>

低予算でのサポート
 STCI・GSPスタッフの佐藤氏がアメリカで2人を出迎え、ニューヨークの室内大会でNJ-NYTCのスタッフと選手たちに彼らを紹介。最初の1日だけ生活とトレーニングに必要なことを現地でレクチュアしたが、その後の日程は川元と松井コーチが自力で行った。
 上野代表がその理由を説明する。
「川元選手は今後の日本中距離界を背負って立つ逸材です。今後のことを考えると、ずっと側にいて何から何までサポートするのでなく、選手とコーチが主体性を持って取り組んだ方が、彼らの成長につながると考えました。また、学生ということで限られた予算内でやりくりする必要もありましたので、このような方法をとりました」
 実際のところ、川元と松井コーチは苦労をしたようだ。2人は積極的にコミュニケーションをとり、NJ-NYTCでの練習はなんとかなったが、別の練習場に行くときなど、バスや電車の乗り間違いは何度もあった。呼んだタクシーが来ず、寒空のなかで何時間か立ち往生したことも。だが、そうした"環境負荷"は、過去の日本のトップ選手たちも経験してきた。将来、世界と戦う際に必ず役に立つ。
 松井コーチは「予算面も含めて何もかも初めてのこと。戸惑った部分も多かったですし、上野さん、佐藤さんにはご迷惑をかけましたが、収穫は大きかったですね」と2年前の初海外トレーニングを振り返る。
 2週間という短期間ではあったが、2人の頑張りはNJ-NYTCチームでも認められた。今年のヨーロッパ遠征ではNJ-NYTCの選手に再会して旧交を温めるシーンもあったという。1年5カ月が過ぎていたが、松井コーチが帰国後もメールなどで連絡を取り、川元が日本記録を出したときの写真なども送っていたのだ。
 各チームや選手が置かれた状況下で、より彼らの成長に寄与できるような遠征サポートを心掛けている点もまたSTCI・GSPの特長である。
左写真は今年7月のヨーロッパ遠征(ベルギー)でNJ-NYTCのメンバーに再会したときの川元(左)と松井コーチ(右)<写真提供:松井一樹コーチ> 右写真はガグリアーノ・コーチ(右)とSTCI・上野代表<写真提供:STC I・GSP>

トレーニング方針変更に大きく影響
 川元はニュージャージーのトレーニングで、自身に足りない点に気づいた。4×400 mRのラップでは45秒台を出したこともあり、スピードでは1分45秒台の選手に優っていた。反対に1500mのタイムには差があったのだ。実際の練習でも1分46秒台の選手には勝てても、1分45秒台の2選手には先着できなかった。
「スピードは通用しましたが、長い距離の能力は不足していることが実感できました。そこを埋めたら1分45秒台も見えてくる。すでに2月の終わりでしたから、次の冬にそこに取り組むことにしました」
 帰国後の日本選手権で初優勝した川元は、1年後の冬期は「1500mブロック」(松井コーチ)というほど、以前よりも長い距離に取り組んだ。2月後半にふくらはぎを痛め、4月には後輩に負けたレースもあったが、5月3日の静岡国際に1分47秒24と当時のセカンド記録で優勝。
 手応えを得た川元は5月11日のゴールデングランプリ東京で、1分45秒75の日本新をマークした。記録だけでなく、世界陸上準決勝の実績を持つ外国勢を抑えて優勝している。
 NJ-NYTCでの経験が日本記録更新につながったのは間違いないが、継続的に海外でトレーニングを積むことに対して川元陣営は慎重だ。現地のトレーニングに合わせることはリスクも伴う。
「実現させるとしたら、昨年のように外国選手の力を借りたいタイミングでしょうね。当面は、試合を回って海外経験を積むことを考えています。海外でのトレーニングについては2020年までの流れで、どのタイミングが良いかを考えていきたい」
 そのタイミングが来たときは、そのときの川元に適したチームをSTCI・GSPに相談しながら、ということになるのだろう。

C新たな海外高地トレーニング拠点の開拓とSTCI・GSP

「2時間5〜6分台が見えた」と花田外部コーチ
 高地トレーニングを有効に活用することは、長距離種目の強化において重要なファクターになっている。その意味でSTCI・GSPは、極めて有益な高地トレーニング場所を米国ユタ州に発見した。ナイキ・オレゴンプロジェクトも活用している場所で、柳原氏が同プロジェクト・ヘッドコーチのサラザール氏から情報を得て、さらに現地協力スタッフも一緒に紹介してもらった街である。
 そこで今年7月に日立物流が、約10日間のトレーニングを行った。率いたのは花田勝彦外部コーチ(上武大駅伝部監督)で、筱嵜昌道と山岸宏貴、佐藤瞬(上武大4年)と倉田翔平(同)の4選手が参加。柳原氏も同行してサポートした。
芝生の上を走ることができるユタ州の高地トレーニング場所。倉田(左)と花田外部コーチ<写真提供:STC I・GSP>
 柳原氏によると街の特徴は以下のようになる。
 州都のソルトレークシティーから車で約40分の距離にある避暑地で、標高は宿泊施設が約2000m。ホテルの前はゴルフ場で、周辺も含めて芝生やクロスカントリーのコースを複数とることができる。こぢんまりとした街で、交通量が少ないのは大きなメリットだ。400 mトラックも宿舎近くと車で約30分の所(標高1400m)の2カ所を使用できる。
「これまで私が見てきた幾つかの海外高地トレ地は練習場所まで車での移動を伴うケースが多く、場所によっては時間がかかったり、交通量が多いルートだったりするなど、移動に時間を要する。安全面といった点でもこの地は多くの練習場所がジョッグないし車で短時間で移動できるので大変良い環境である」と柳原氏。
 花田外部コーチも「指導の幅も広がります」と、納得した表情で話す。
「今回は(視察の意味合いもあり)実質8日間でスピード練習は2回しかできませんでしたが、それでも手応えを感じられました。日本人が平地でやっているトレーニングを高地に上手く応用できれば、世界で一番強くなる。日本人でもマラソンの2時間5分台、1万mの26分台、5000mの12分台が無理ではないと実感できました」
 マラソンの日本記録(2時間06分16秒)は12年間、更新されていない。花田外部コーチは今回の高地トレーニングをベースとして、「3〜5年スパン」で取り組み目標を実現させたい意向だ。

大学指導者の思いを受け止めて
 花田外部コーチは現役時代、早大からエスビー食品で活躍した。高校時代は中距離ランナーだったが、早大で距離を伸ばして4年時には箱根駅伝の2区を走った。1996年アトランタと2000年シドニーと五輪2大会にトラックで出場したスピードランナーだった。しかしマラソンでは、負荷の大きいトレーニングをこなせず、2時間10分02秒がベストにとどまった。
 上武大も高校時代に実績を残した能力の高い選手は少ない。山岸も大学で地道に「作り上げて」(花田外部コーチ)ユニバーシアード・ハーフマラソン4位にまで成長させた。
「大学4年間では教えきれないこともあります。指導や練習の流れが高校と大学、大学と実業団で切れてしまうのもよくありません。普段のトレーニングは実業団でも、夏合宿などで以前の指導者がアドバイスできれば、また違ってくる。日立物流の協力を得られて、そういった方向の指導ができるようになりました」
 学生でも海外の経験をさせたいという花田外部コーチの希望を、以前から交流のあった柳原氏は理解していた。その第一歩が7月のユタ州でのトレーニングだった。
トラックも2カ所が利用できる。右(先頭)から筱嵜、佐藤、山岸<写真提供:STC I・GSP>
 花田外部コーチは「指導者は選手の一歩、二歩先の話をしないといけない」というのが持論だ。学生は箱根駅伝が最大目標の選手がほとんどだが、なかには光るものを持っている選手もいる。
「(箱根の)2区を区間何位で走ろう、山登りをこう走ろうと、具体的な目標をイメージさせれば、箱根に出ることは当たり前になります。それと同じことを世界でもやってみたい」
 佐藤は入学時は3000mSCがメイン種目で、陸上競技は大学までと考えていたが、花田外部コーチの目にはマラソンのセンスがあると映った。2年時に東京マラソンに出場させると2時間15分10秒(27位)で走り、今年2月の同マラソンでは2時間12分15秒(19位)までタイムを縮めた。「本人も"イケルかもしれない"という気持ちになったようです」
 花田外部コーチは指導者と選手がどういう話をするかが重要だという。試合でもトレーニングでも、海外に行くと、より意識を高く持つ話をしやすくなる。
「学生の指導をしていると目が世界に向きにくい部分もあるので、STCI・GSPには世界の情報をどんどん教えて欲しい。我々指導者のさらに一歩先を行っていただきたいと思います」
 日本は駅伝があるから、多くの選手が長距離を志す。指導者を雇用するにも駅伝が不可欠である。それによって選手層は厚くなり、1万mなら28分台の選手数は世界で一番多い。世界と戦う上で間違いなく、駅伝が日本の優位を築いている。
 その一方で強化が駅伝レベルで止まってしまう危険性も併せ持つ。花田外部コーチのように世界を目指す指導者と連携していくことで、STCI・GSPの取り組みが日本の潜在力を世界で開花させることになる。

D世界を目指す新興チームとSTCI・GSP

駅伝よりも"世界"
 米国ユタ州の合宿を行った日立物流。その狙いは世界で戦うことに他ならない。そのためのサポートをSTCI・GSPに依頼している。
 2012年4月に日立電線の部員を受け容れてスタートしたばかりのチームで、まだ日本代表は出していないが、チームの方針ははっきりしている。
 北口学監督が説明する。
「日立グループとして"スポーツコンソーシアム理念"を打ち出していて、(スポーツと通した)地域社会との交流および社会への貢献、(スポーツによる)従業員の連帯感と健全な体力・精神の発展促進、スポーツの普及促進および競技水準の向上、の3つを柱としています。サッカーならJリーグ(柏レイソル)、野球なら都市対抗野球、そしてバレーボールのVリーグと、国内リーグのトップチームが日立にはあり、世界で戦う選手を輩出することを目指しています。駅伝は国内の大会が頂点ですから、そこをトップと思ってやっていたらダメなのです」
 日立物流では選手が現役引退後も、会社に残って働きやすい環境が整っている。選手として実績を残すことで、セカンドキャリアにも自信を持って踏み出せる。
「社会に出てから数年も経つと、自分が競技をやっていたことを知らない人も多くなる。そのときに君はどんな成績だったの? という話題が必ず出ます。駅伝の何区で何番でした、と言っても、相手に伝わりにくい。日本選手権で何番でした、あのマラソンで何番でした、と言えるようにしたいのです。日本代表ならなお良いですね」


チームの強化方針を説明する日立物流・北口監督
 そのために海外高地トレーニングだけでなく、海外のレースにも積極的に参加している。松宮祐行が9月のケルン・マラソン(3位)に挑んだのもその1つ。柳原氏がいくつかの候補の中から選んだ大会だ。
 既述の米国ユタ州での合宿中にも、10kmのロードレースに出場した(デザートニュース・クラシック)。筱嵜が29分31秒2の4位と好走したのに対し、山岸は31分21秒2で6位と苦しんだ。
 結果を求めての出場ではなく、高地トレーニングの進め方や負荷のかけ方を確認するのが目的。タイムが良くても悪くても、レースに出場することでその後の方針を決められる。トレーニング状況に適したレースを柳原氏が素早くピックアップすることで、海外合宿をより効果的にしている。

柔軟性と細やか指導を効率的に実行する“組織で戦う”
 北口監督が目指している強化は、1人の強力なコーチによる指導ではなく、「組織で戦うこと」だ。能條学コーチにはスカウトと体幹トレーニングを担当させる。外部コーチにも協力を依頼する。選手が強くなったときに周囲が手柄を主張するのでなく、伸びたことは選手の頑張りであり、そこに色々なスタッフがサポートしていた、という強化システムを構築している。
「山岸にしても高校のエリート選手ではありませんから、成長できたのは花田君のテクニックがあったはずです。でも、そうした選手は4年間で教えきれないこともある。また、(就職して)新しい環境に適応が遅れる選手もいます。適材適所の人材配置で、組織として戦うことを目指しています」
 STCI・GSPを活用することも、北口監督の戦略に組み込まれている。
ユタ州の高地トレーニング場所でトレーニングを行ったメンバー。左から花田外部コーチ、倉田、山岸、佐藤、筱嵜<写真提供:STC I・GSP>
 米国ユタ州の高地トレーニングに関しては花田外部コーチが担当していくが、参加するのは上武大出身選手だけに限らない。7月に参加した筱嵜は日体大出身。トラックから距離を伸ばすよりも、ロードを中心としたアプローチをしたいと本人も考えていた。ユタ州の合宿が直結したと断定はできないが、8月の北海道マラソンは3位(2時間17分22秒)と結果も出している。
「新しい環境で練習したことが筱嵜には良かった」と北口監督は見ている。
「合宿なので時間的には余裕があります。でも、高地ということで、平地と同じことはできません。期間的にも短いですから。『自分で考えられないと意味がない合宿です』と筱嵜が話していましたが、その通りだと思います。ポイント練習のメニューをこなすなかで、自分の目的を考えて、それ以外の練習をどう組み立てられるか。行けば強くなる、というものではないと思います」
 高地トレーニングがすべての選手に合う保証があるわけではないが、日本の長距離界は先に述べたように記録が頭打ち状態になっている。それを打破するためには、「アクションを起こすことが重要」だと北口監督は考えた。その1つが花田外部コーチとSTCI・GSPへ業務委託をしての、米国ユタ州の高地トレーニングだったのだ。
 北口監督の考えと、花田外部コーチの指導技術。両者を組み合わせたSTCI・GSP。世界を目指す思いは3者とも一致している。
                         ◇
 紹介してきた@〜Dに共通しているのは、STCI・GSPの提供する情報が、選手と指導者の選択肢を増やしているということ。選手と指導者は自分たちに適したレースや環境を選択することで、走りやトレーニングに集中しやすくなる。日立物流のユタ州高地トレーニングのように、新たな挑戦の一歩も踏み出しやすくなる。川元のケースのように選手の成長のため、厳しい環境を勧めることもある。
 その判断はすべて、陸上競技への深い理解に裏打ちされている。上野代表も柳原氏も実業団チームのスタッフ経験者で、現場の欲していることが肌でわかっているのだろう。
「目先の利益でなく、選手、チーム、陸上界の将来を見据えて活動しています」(上野代表)
 そして、世界の情報を日本にもたらすのと同時に、日本から世界にはばたく選手の支援を惜しまない。
「グローバルな視点で考える人材を、陸上界に1人でも多く育てたい」(柳原氏)
 STCI・GSPと関わる"人"は、ますます増えていくに違いない。


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