実績を挙げるSTCIのグローバルサポートプロジェクト
日本人エージェントとして陸上界に貢献を

写真は今年のカーディナル招待女子800mに出場した岸川朱里<写真提供:K.Nakajima>

  湘南トラッククラブインターナショナル(以下、STCI)。2009年に上野敬裕代表が創設したNPO法人で、その活動の柱の1つが翌年スタートしたグローバルサポートプロジェクト(以下、GSP)である。日本選手が海外試合に出場の際、出場交渉や現地でのサポート役を引き受ける。また、エチオピアとのパイプも太く、同国選手のマネージメントや実業団チームへの招聘も手伝う。さらに日本のトップ選手への包括的なサポートも積極的に展開。日本陸上界の発展に必要な触媒の役割を果たしている。そのGSP業務を担当する1人がIAAF国際陸連公認代理人(エージェント)の資格を持つ柳原元。GSP活動の具体的事例を踏まえながら、上野代表と柳原の陸上への熱い思いも紹介していく。

@海外に進出する日本選手の陰に

●驚きだった渡辺のダイヤモンドリーグ出場
 長距離界ではちょっとした驚きだった。2011年9月に渡辺和也(四国電力)が、ダイヤモンドリーグ(以下、DL)最終戦ブリュッセル大会の1万mに出場したのである。
 中距離選手だった渡辺は昨年、5000mで世界選手権に出場。5000mと1万mでロンドン五輪B標準を突破するなど大躍進を遂げた。しかし、12分台、26分台選手が当たり前のDL。同大会に出られるまでのレベルには達していなかった。
四国電力の松浦忠明監督は「ダメモトでいいから、とSTCIさんに当たってもらいました」と話す。松浦監督はスピードランナー育成にかけては日本でも有数の指導者だ。「9月後半にレベルの高い1万mを渡辺に経験させたかったんです」
 その思いを受け止めたのが上野と柳原だった。柳原は早速、同大会主催者と交渉を開始した。
 渡辺の出場交渉が成功した理由は「メールの書き方」だと柳原は言う。「写真や動画を添付。いかに相手の興味を引きつける文面にするか、ですね。渡辺選手の可能性、将来性などを強調しました。その結果、同大会ディレクターから直接、参加OKの回答が届いたのです」
 今年4月北米遠征での岸川朱里(長谷川体育施設)も同様のケース。カーディナル招待女子800mのエントリーメンバー内の自己記録は15
昨年のダイヤモンドリーグ・ブリュッセル大会1万mに
出場した渡辺(右端)<写真提供:STCI>

番目くらい。それだけで判断されれば2番目の組が妥当なライン。
 しかし、大会ディレクターと粘り強く交渉した甲斐もあり、何とか一番レベルの高い組に入れてもらうことに成功した。「アジア大会4位や日本選手権連覇(動画も添付)といった記録以外の実績を強調しましたね」と柳原。
 岸川のコーチでもある上野もまた「この時期、海外で複数の格上選手と質の高いレースを経験できた意味はすごく大きい」と言う。カーディナルの岸川は記録こそ自己ベストに届かなかったが同レース参加10名中7位と好走した。
 海外関係者とパイプがある柳原は、2011年に国際陸連公認代理人の資格を取得。「あの手この手を使いますよ」と舞台裏を明かす。「あの大会ならなんとかなりそうだ、という情報なども、エージェント同士の横のつながりで入手します」
 しかし、ハイレベルの試合に出場できても、好結果を残せるとは限らない。例えば、昨夏の欧州のレースに参加した岸川は2分4秒台と5秒台。悪くはなかったが、本音は自己記録に迫りたかった。DLの渡辺は全く歯が立たず、アキレス腱を痛めていたこともあり途中棄権に終わった。
 それでも選手サイドは後悔していない。上野はコーチの立場で「2分3秒の選手が欧州で走れたのですから、その経験を生かしていかないと」と自身に言い聞かせるように話した。
 渡辺を指導する松浦監督も同じ思いだ。
「世界選手権に出た選手は、そのままDLなどを転戦します。それが世界のスタンダード。そこで走れないようでは世界選手権に出ても、『速かった』『ペース変化につけなかった』で終わってしまう。そういった部分を肌で感じられたことは大きいですね」
 上野と柳原はGSPの業務を通じて、渡辺や松浦のように世界で戦う意思を持った選手・指導者をサポートしたい、一緒に進んで行きたいと考えている。

●意義のある学生の海外レース経験
 名城大女子駅伝部の選手たちは、欧州の試合の雰囲気を存分に感じていた。外国人選手とレースを走るだけではない。招待選手ということで大会本部の一流ホテルで外国人記者たちを前に会見にも出席。ロビーでは他の大会ディレクターやエージェントが行き交い、柳原が彼らと情報を交換する姿も刺激的に映る。
 名城大は学生女子長距離の強豪。05年には全日本大学駅伝で優勝している。ユニバーシアードにも5大会連続代表を輩出。一昨年秋のオランダ・ナイメーヘン15kmロードから、STCIと連携して海外遠征を行うようになった。今年3月のプラハ・ハーフで3回目である。米田勝朗監督は以前から海外遠征や合宿に積極的だったが、STCIとの連携でより充実した内容になったと感じている。
「モチベーションを高く維持するために、学生に刺激を与えるのが一番の狙い。ユニバーシアードで成績を出すための下準備、という位置付けで考えています。選手たちには将来は実業団で競技を続けてもらいたいので、早い段階で海外を経験して陸上競技の価値観をしっかりと持ってほしいのです。柳原さんから遠征のお話が来た時は、普通では行けないような金額でしたし、願ったりかなったりでした」
 海外遠征を通じて変わった選手の代表格が野村沙世(4月から第一生命)だという。09年、11年とユニバーシアードのハーフで連続3位。10年のナイメーヘン15kmでも"海外レース"を肌で感じた。翌年には大学の授業で英会話を選択。国際
▲今年3月のプラハ・ハーフマラソンに遠征し、
記者会見にも出席した名城大選手たち<写真提供:STCI>
▼一昨年のナイメーヘン15kmに出場した
野村沙世(現第一生命)<写真提供:STCI>
大会で力を発揮するためには、語学力も必要と認識している。
「海外遠征を通じて選手の意識や行動が変わり、成長する姿を見られるのは、この仕事の大きなやり甲斐のひとつ」と語る柳原。
 ナイメーヘンやプラハは、ダイヤモンドリーグの渡辺とは違い主催者が日本人選手の参加を求めているケース。STCIが国内窓口となり参加者を募る。柳原が主催者と交渉し、選手の実績に応じて渡航費や宿泊費の大半を主催者が負担するケースも珍しくない。
 柳原は遠征に帯同し、宿泊受け入れ対応、主催者と交渉時の通訳、練習・レース時のサポート、ドーピング検査対応などをこなす。「どの仕事も地味で目新しい業務ではありません」と柳原は謙遜するが、単なる旅行の添乗員や通訳ではない。柳原も上野も実業団チームのスタッフ経験が豊富なので、選手や指導者が欲していることが分かるのである。
 四国電力の松浦監督が、「彼らはかゆいところに手が届くんですよ」と話していた。こんなレベルの大会に出たい、遠征先の練習環境はどうかといった要望に素早く反応する。遠征前後の報告資料をSTCIが用意することもある。監督が大学や会社に遠征報告をする際に役立ててもうらおうという考えだ。

●日本人エージェントの誕生
 柳原がエージェントを志したのは、「それまでの経験を生かしたかったから」だという。
その始まりは学生時代にさかのぼる。
京産大陸上部時代、3年時から同部のマネージャーに。「恩師でもある伊東(輝雄)監督の下で選手サポートの仕事、そしてそれに関わる人の価値がいかに尊いものであるかを学びました」と当時を振り返る。
 卒業後は地元の百貨店に就職。しかしその後、94年にプライベートで米コロラド州ボルダーへ旅行。そこで大きな転機が訪れる。
 ボルダーはランナーの聖地とも言われ、世界のトップランナーたちが集うことでも有名。「こういう世界もあるのか」と、一種のカルチャーショックを受けた。
 そこで早野忠昭氏(現・東京マラソン事務局長)と知り合う。同氏は当時アシックス・ボルダーの責任者として、高地トレーニングで現地を訪れる日本の陸上選手やその関係者らをサポートする仕事を展開していた。翌年、柳原は会社を辞め、渡米。早野氏のアシスタントとしてそれらの業務を経験する中でチームのサポート、国際的な陸上ビジネスのことなど多くを学んだ。
 96年帰国後、陸上部マネージャーとしてHondaに入社。社内のフロント業務、海外遠征の企画運営、さらに
柳原とエチオピア現地スタッフのタイエ氏<写真提供:STCI>
チームが外国人選手採用を始めた2000年からは、彼らの採用、契約、サポート業務も担当した。最初は南アフリカ、そしてケニア、04年以降はエチオピア選手が継続して入社。
「一緒に仕事をしているうちに外国人選手の気質がわかってきました。特にエチオピア人は謙虚で真面目な選手が多く、競技にも一生懸命に取り組んでいましたし、彼らのサポートを通じて学ぶことは多かったです」
 そういった経験を通じてエチオピア人選手との信頼関係も徐々に深まっていったという。
その後、数年間は陸上から離れ会社の一般業務に就いていたが、STCIを立ち上げた上野に触発され、自身が陸上界で何ができるかを考えた結果、自然と今の流れになった。
現在は実業団マツダ所属のエチオピア人選手のサポート、エチオピア在住のマラソン選手のエージェントも務める。「エチオピア国内の業務は現地スタッフ、モゲス・タイエ氏の協力を得ながら展開しています。彼の尽力もあり現地の選手、エチオピア陸連、日本大使館等とも良好な関係を保てています」と柳原。
 国内の実業団チームから要望があれば、エチオピア選手を紹介し、選手、チームの双方をサポートする。その時は過去の経験も踏まえ「外国人選手を採用し、うまくチームの中で機能させていくには、こういう考え方も必要ですよ」といったアドバイスもしていく。
「そういった中で選手、チームの両者と強い信頼、協力関係を持てるよう、努めていきたいと思っています」
 エチオピア選手、実業団チーム双方にプラスとなる、そんな関係を築くための橋渡し役になりたいと、柳原は願っている。
 ちなみに柳原は2011年春に株式会社インプレスランニングを設立。グローバル・サポート・プロジェクト(GSP)業務の中でもこれらエチオピア関連業務と、さらにNPOの枠内に収まらない一部業務を(STCIと連携を取りながら)同社が受け持つ形を取っている。
Aエージェントが活躍できる時代に向けて につづく


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