ウィグライプロ
スペシャル
第5回


阿見アスリートクラブ
トップ選手を育んだ
世代間育成システム


写真は2003年のチビ林ピック
のリレーに参加したとき。
左端が久貝でその右が楠康成
<写真提供:阿見AC>

A世界を目指せるシステム
@楽しさのなかで強くなるから
●「つねに自分を追い込める」
 阿見ACでは昨年、2人の全日中チャンピオンが誕生した。男子200mの大野晃祥と同800mの小林航央である。大野は小学6年時に入会した。小林は小学中学年まで入会、いったん退会して中学2年の夏まで野球部だったが、秋から阿見ACの練習に加わりめきめきと力を付けた。
 大野は阿見ACアワーズ2011でメンバーオブザイヤーを受賞するなど、"クラブの顔"的な選手に成長。小学生たちには憧れの選手。取材に行った日には、練習が始まる前に小学生たちに経験談を話していた。タイプ的には楠理事長の言う"自分で厳しさを求める"選手だろう。"いかに自分を追い込むか"という点に主眼を置いている。
「自分が速くなっても必ず、自分の上にもっと速い人がいました。高校生の山田(鐘平)先輩や、トップチームの志鎌(秀昭)さん、荒川(万里絵)さんたちです。阿見ACはつねに自分を追い込める環境です。世代間育成でコーチも変わりません。中学の部活よりもレベルが高い。僕はそういう場所の方が楽しい」


取材に行った2月上旬時点で故障中だった大野。真剣な表情
でリハビリ・トレーニングに取り組んでいた(写真左)。また、小
学生たちには笑顔で自身の経験を話していた(写真右)
 高い意識で取り組んでいる大野だが、ずっと全日中優勝を目標にやってきたわけでもなかった。楠理事長が説明してくれた。「大野が練習をしているなかで、これなら優勝できるかもしれない、となってきた。だったら優勝しちゃおうか、という感じで全日中を目指しました」
 大野は高校でも、阿見ACでの練習を継続していく。学校間の垣根がないのがクラブチームの利点だが、既存の育成システムや大会とのつながりを密接に持っていく。大野も楠康成や久貝と同じように、東洋大牛久高の選手として大会に出場する。
「環境を変えないのが一番良いという判断です。高校1年目は100mで10秒6台、200mで21秒5台を出すのが目標。インターハイで入賞できるように頑張っていきます」
 将来的には世界で戦う選手になりたいと目を輝かせる大野。今後も競技実績で阿見ACを引っ張っていく存在であり続けるだろう。

●トップ選手の雇用とその効果
 大野のコメントにも出てきたように、阿見ACにはトップチームとして、日本のトップ選手が在籍する。現在は男子走幅跳の志鎌秀昭だけだが、2010年までは女子短距離の荒川万里絵(現コーチ)もそうだった。
 荒川は2006年に阿見ACのトップ選手兼事務員として入社した。理事長の楠は知り合いから荒川コーチを紹介されたとき、200 mで国内4番目の記録を持つ選手が実業団入りできないことに驚かされたという。自身の現役時代には、そのレベルの選手なら実業団入りできた。「選手の雇用創出もクラブチームの重要な役目」と採用したが、その選手が「ウチのクラブに福を持ってきた」と言うまでの存在になるとは思っていなかった。
 トップ選手の役目は阿見ACの名前をアピールすること。そしてメンバーの目標であり続けること。荒川は日本選手権で入賞して役割を果たしいていたが、高校3年時と大学4年時にマークした24秒10の自己記録をなかなか更新できなかった。9年ぶりの自己新は2010年5月の東日本実業団。24秒07で優勝した。6月の日本選手権では24秒02にまで記録を縮めた。
「2009年から自分のトレーニング場所もクラブに移して、全ての練習を子どもたちと一緒に行うようにしました。久貝に突き上げられていましたし、大野とは横で競り合っていましたね。きつくても練習の途中で抜けたりできません。トップ選手は大人になると練習を"削いで"いきますが、私は1回削いだところに、貼れるものをパタパタ貼っていった感じです。最後の2年間は泥臭い練習に戻して自己記録を更新できました」
練習中の荒川万里絵コーチは、選手たちへ手取り足取りの指導をしていた
 荒川は惜しまれながらも2010年を最後に引退した。「その年から大野が強くなって勝てなくなりましたから」と笑う。だが現在も、コーチ兼事務員として阿見ACにはなくてはならない存在となっている。「むしろ、そちらの評価の方が高い」と楠理事長は言うくらいだ。
 短距離ブロックの練習メニューを立案し、グラウンドで指導する。取材に訪れた日も中学生の1人1人に、体幹を鍛えるメニューを手取り足取り教えていた。試合にも同行するし、治療にも付き添う。一番の功績はホームページや各種冊子・パンフレットの作成など、広報面を充実させたことだ。記事の執筆からデザインまで、すべてを1人でこなす。「情報の発信力が飛躍的に変わりましたね」と楠理事長。現場指導にとどまらず、クラブの運営面に新しい発想を持ち込んだのが荒川だった。

●クラブチームのコーチング
 現在1人だけとなったトップチーム。志鎌秀昭は「クラブの斬り込み隊長です。自分の名前をどんどんアピールできるように頑張りますよ」と自身の役割を心得ている。
 ベスト記録は7m93。2008年の全日本実業団優勝者だが、8mジャンプが長年の課題となっている。2010年の終わりに踏切脚の左ヒザを痛め、昨年は肉離れを2度繰り返して7m54がシーズンベストと低迷した。しかし、この冬は「今までにないくらいに順調」だ。
「クラブ中心に練習を行うようになったことがプラスになっています。中学生や高校生にアドバイスもしますが、どうやったらできるようになるかを説明するには自分の感覚を鮮明にする必要がある。その過程に本質が含まれるので、自分にとっては大きいですね」
 8mを跳べばロンドン標準記録(B標準が8m10)も見えてくる。今年は勝負のシーズンとなりそうだ。
選手たちに笑顔でアドバイスをする志鎌。練習では先頭に立って走る
 その志鎌が阿見ACの特徴として、「コーチが1人ではない」ことを指摘していた。部活動の場合、大規模な名門校でもない限り指導者は1人だろう。選手に合わないケースも出てくる。阿見ACでは常勤の6人のほかにも、非常勤で14人のコーチがいる。「コーチ陣で意見を出し合って、その選手に合った方向に導けます」
 その好例が久貝瑞稀だった。小学生から中学生の段階では、現役時代は中距離選手(日本インカレ入賞)だった楠朱実コーチがおもに指導をして、前述のようにジュニアオリンピックで優勝もした。スプリント技術は荒川コーチもアドバイスをする。
 しかし、久貝は高校2年時の2010年にスランプに陥った。インターハイ茨城県予選で10台目をひっかけて転倒してから、自身のハードリングを見失った。そのときにコーチ役に加わったのが荒川勇希だった。荒川万里絵コーチの夫で、400 mHのインターハイ優勝者である。
「一番の原因はハードルへの恐怖心でしたから、楽しむことができる環境づくりを一番に考えました。指導者が注意しないといけないこともありますが、それよりも、彼女の気持ちが向くままを優先したんです。高3のシーズンに入るくらいから少しずつ、試合やハードルを跳ぶことが楽しみになってきました。技術的には身長がある分、インターバルでテンポアップできないことが課題です。そこを解決するメニューをやって、7月の茨城県選手権で13秒71を出してくれました」
 注目してほしいのは、久貝自身が阿見ACのメリットとして「自分をずっと見てくれて、理解してくれるコーチがたくさんいる」と話していることだ。コーチ陣がみんなが自分を指導してくれている、という意識なのである。また、スランプに陥った際、「もっと真剣に取り組まないといけない。そこで意識が変わりました」と話している。コーチ陣の熱意に感じるものもあったに違いない。

●実業団・大学との連携
 世代間育成の仕上げとして、最後に残っているのが「大学、実業団との連携」だと楠理事長は言う。コーチングスタッフが充実している阿見ACではあるが、世界を目指すとなると世界で戦うノウハウを持つ大学や実業団に選手を送り込む方が良い。そのときに阿見ACで成長した過程を理解してもらうことで、選手がさらに伸びていく。
 久貝瑞稀は4月から筑波大に進む。同大の谷川聡コーチは110 mHの日本記録保持者で、指導者としても日本代表を何人も育てている。荒川コーチ夫妻も筑波大出身で、久貝にすれば技術指導に違和感はないと思われる。
「まずはインカレで勝ちたいですね」と久貝は進学後の目標を話す。「高校で1番になれなかったので、大学では1番になりたい。記録は13秒00の日本記録を抜きたいです。それが夢かな」
 楠康成は小森コーポレーションに進む。「自分の中では800 mよりも5000mが好きなんです。実業団では長距離で勝負して、最終的にはアフリカ人に混ざって走りたい」。大学に進学しないのは、5000mで世界選手権やオリンピックという世界の舞台で戦うのが目標だからである。
「箱根駅伝への憧れもあります。テレビ的には一番スゴイ試合。でも、僕としては日の丸を背負う方が格好良いと思っているんです。箱根駅伝は日本人が活躍できる大会で、それに対して世界選手権やオリンピックは世界との差が大きい。世界で活躍できたら本当に格好良いですよね。先ほども言ったように僕は基本、自分が格好良いと思った方を選びます」



実業団入り後は距離を伸ばす楠康成。中距離に取り組んだ高校時代の記録は以下の通り
800 m:1分52秒27=2011年高校8位
1500m:3分52秒33=2011年高校12位
 楠康成が今、一番憧れているのはケネニサ・ベケレ(エチオピア)である。5000mと1万mの世界記録保持者で、2008年の北京五輪では両種目で金メダル。
 そのベケレほどではないが、小森コーポレーションのジョセファット・ダビリ(ケニア)も楠康成にとって格好良い存在だ。2007年の大阪世界選手権1万m5位と、ベケレと戦った選手だからだ。その選手が同じ茨城県にいるのだから一緒に練習したい。
 見ているところが普通の高校生とは違うのである。それは種目選択にも現れている。中学、高校と中距離に取り組んできたのは、5000mで世界と戦うためのスピードを、若いうちに身につけておくのが目的だった。昨年も10月までは800 mの練習に取り組み、それから長距離の練習を取り入れて1月の全国都道府県対抗男子駅伝1区(7km)に出場。区間29位だったが、そこまで走る800 m選手は他にいない。
「ヤクルトに入社したダニエル・ジェンガ(ケニア)を間近に見て、とてもかなわないと思いましたね」と楠理事長。「お尻の肉付きとか日本人とはまるで違う。日本人が彼らと戦うには、中距離選手を長距離に育て上げないと無理だと感じました」
 その長期戦略に基づき、阿見ACの世代間育成システムで育ってきたのが楠康成である。
 楠康夫理事長は「私がやりたいことは指導者になることではなく、組織作りであり、選手が育つシステムの構築です」と話す。グラウンドの片隅で遊び始めた子供が、知らず知らずのうちに本気で走り始め、やがては全国で戦うようになる。それがいずれ、世界で戦う道につながっていく。
 荒川万里絵コーチがこんなことを話してくれた。
「子供が目の前の目標を、一生懸命に追いかけたらオリンピックにたどりつく。その環境を提供するのが阿見ACなんです」
 大きなエネルギーを生み出す新たなスタイルを、阿見ACは提案している。 (了)



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