森千夏記事一覧

寺田が陸上競技マガジンと、本サイトに書いた森千夏選手の記事です。
それとWEB上で読むことができる記事(全てスズキ陸上部サイトの記事ですが)もリンクさせてもらいました。


2001年
●寺田的陸上競技WEB 2001/6/9
日本選手権
女子砲丸投で16m84、森が大幅な日本記録更新!!
※本WEBサイト初の森選手記事。見出しが大きいです

2002年
●陸上競技マガジン2002年5月号
春に熱きアスリートたち 森 千夏
「中国選手と対等に戦える選手になりたい」
※初めて森選手に、じっくりとインタビューしたときの記事。翌年の世界選手権のB標準は17m20。2001年に16m84まで日本記録を伸ばしていましたが、当時はまだ世界選手権に届くのかこちらも半信半疑でした。それが、この年の室内で16m80を投げ、このインタビューをしたときには“やってくれそうだ”と感じ始めました。上海合宿や中国式の動きなどが話題の中心でした。

●寺田的陸上競技WEB 2002/7/21
南部記念 女子砲丸投で16m87の日本新 森千夏コメント
「3cmの日本新はイヤですね。練習では17mくらい行っているんですから」
※17mが現実的な目標となっていた頃。しかし、記録を目標にはするけど、試技に際しては意識しない。というポリシーがここでも明確に。

●陸上競技マガジン2002年12月号
アジア大会 close upD 森 千夏
「日本新は、あまりうれしくありません。メダルを目指していたから、かなり悔しい」
※この年の7月出した16m87日本記録を、アジア大会の4投目に豊永陽子選手に3cm更新されたが、6投目に森選手がさらに3cm上回る16m93をプットした。我々は日本新の応酬というところに目を奪われがちだが、森選手はアジアでの順位(このときは5位)を意識していた。

2003年
●陸上競技マガジン2003年5月号
旅立ちの春2003 森千夏・池田久美子
強力コンビがパリのフィールドに挑む
※新年度恒例の企画。ミズノ入社の末續慎吾&内藤真人の両選手、ニシスポーツ入社の沢野大地選手ら、同期の大物選手たちが一緒に取り上げられています。森選手は実業団選手としてスタートするにあたって「30歳を超えてもやるつもりです」と話しています。なんとか、それを実現させてほしいと思います。

●寺田的陸上競技WEB 2003/4/20
兵庫リレーカーニバル全体的な記事 仕入れたちょっとした情報を盛り込みつつ
女子砲丸投、森が17m53の日本新!! 男子砲丸投・野口が復帰戦で17m44 1500mでジュニアの三津谷が好走
※兵庫リレーカーニバル全体の記事。世界選手権のB標準突破が当たり前という状態になっていた頃

●陸上競技マガジン2003年11月号
日本記録インタビュー 女子砲丸投17m80=アテネ五輪B標準突破 森千夏
「18mではなく、18m55のアテネ五輪A標準が目標です」
※女子砲丸投初の世界選手権出場を果たしたが、パリでは16m86と力を出し切れなかった森選手。しかし、9月のアジア選手権で17m80と自身の日本記録を30cm近く更新して3位。前年のアジア大会よりも2つ順位を上げた。帰国直後のスーパー陸上のホテルでインタビューをしました。この頃はまだ、記録的な目標を最重視していましたが、“まとまった投げ”のときよりも“スピードの出た投げ”のときの方が記録がいいことを話しています。

◆スズキ陸上競技部サイト記事
日本新記録!砲丸投で世界に挑む森千夏とは?(2003.04.23)兵庫リレーカーニバルで17m53の日本新
春季サーキット参戦レポート全4戦(2003.04.20〜05.05)
中部実業団対抗(2003.05.10〜05.11)※4×100 mRを走る貴重な写真も
日本選手権(2003.06.06〜06.08)※世界選手権代表入り
静岡県選手権(2003.07.12〜13)
世界陸上パリ大会現地レポート 【2】森千夏、初の世界選手権で見えたものは・・・?(2003.08.28更新)
世界陸上2003パリ大会 総括レポート※パリ市街を歩く私服写真も
アジア選手権(2003.09.20〜09.23)17m80の日本新
わかふじ国体参戦レポート 森、1年4カ月ぶりの対日本選手敗戦
FACE(人物特集) 森千夏  Pioneer Spirit of women's Shot Put

2004年
●陸上競技マガジン2004年4月号
2004日本・中国対抗室内
森千夏 4年連続の室内日本新
※屋外の日本記録には届きませんでしたが、4年連続で室内日本記録を更新した日中対抗室内の記事。男子の野口安忠選手と2人で1本の形で、どちらかというと復活した野口選手が中心。

●陸上競技マガジン2004年6月号
静岡県西部選手権
森千夏  18m22 日本女子初、18mの大台突破
※18mの大台を突破したときの記事ということで、ある程度は歴史的な話を盛り込みました。女子砲丸投の日本記録変遷表から、大台を突破したパフォーマンスを抜粋して一覧表にして、その間に要した日数を計算しました。16m以降の日本記録は、全パフォーマンスを掲載。記事中では、03年までと目標に対する気持ちの部分のスタンスを変えています。結果だけを見るのでなく、より自身の技術に集中するようになりました。

●陸上競技マガジン2004年8月号
アテネ五輪代表インタビュー 森千夏  村上幸史
世界での好投期す スズキの投てきコンビ
※「女子砲丸投でオリンピックは無理と言われていた頃から、出場できると思って頑張ってきました」。森選手の強い思いが五輪代表という形に結びつきましたが、この直後から体調が優れなくなってしまいました。

●陸上競技マガジン2004年10月号
女子5選手の初五輪 森千夏ほか
伝統はアテネから始まる
※オリンピックに日本選手が初めて出場した女子の棒高跳とハンマー投、東京五輪以来40年ぶりの出場となった800m、砲丸投、七種競技。現地には行けませんでしたが、帰国後に選手たちにインタビューして書いた原稿です。ただ、森選手はこの頃すでに体調がすぐれず、取材ができませんでした。現地での共同取材コメントで構成しました。これが森選手について書いた最後の記事。中途半端な形で、書いた方も不完全燃焼という感じです。もう一度書かないと、こちらも収まりがつきません。

◆スズキ陸上競技部サイト
2004春季サーキット(2004.04.25〜05.08) 気持ちの持ち方を変えた森
日本選手権(2004.06.04〜06) 苦闘の末につかんだアテネ切符
アテネオリンピック 直前レポート  古代遺跡で“普通の”投てきをしたい森


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