2005/3/6 びわ湖マラソン
日本人2位奥谷が世界選手権代表に
レース後のコメント
「走り込んだ距離には自信がありましたが、調整に入ってタイムを追えなかった」
「その状態でもまとめないと、次のマラソンでもまた、同じ失敗を繰り返すと思った」


●フィニッシュ時の感想
「何秒でゴールできるのか(後半もずっと)わからず、ただただ、このペースを落とさずに行くんだと頑張り続けていたので、やっと終わったという気持ちでした。初マラソンが24〜25kmから1人でしたが、今回は残り数人というところまで集団に残れました。苦しいところもありましたが、6年前よりも充実感がありました」
「2時間10分を切れると思ったのは残り2km地点。40km手前では、ここまで来て切られなかったら悔しいと思っていましたが、40kmであと8分かかっても切れると確信しました。あとは、1秒でも上積みしようと頑張りました」
●練習について
「去年の1月から9月中旬まで腰痛で練習ができず、マラソンを意識し始めたのはその後です。しかし、どうせやるならしっかりやりたいとと思って、走り込んだ距離だけは自信があります。でも、その結果、ちょっと詰めすぎてしまって、調整に入ってタイムを追えなかったり、途中でやめたり。1月は駅伝が2つ(ニューイヤー駅伝と全国都道府県対抗男子駅伝)あって、走った距離は950km。2月の調整時期も入っても、距離を重視していました」
●マラソンを“まとめること”への意欲
「2時間9分台を出せると思ってやって来られたのは、西脇工高の渡辺先生が……(渡辺先生との“約束”については陸マガ4月号に)」
「9月後半に本格的な練習に復帰しましたが、その時点では練習が積めていませんでした。年間を通して練習ができていないのは辛いのですが、でも、その状態でもまとめないと、次のマラソンでもまた、同じ失敗を繰り返すんじゃないかと思ったんです。残り少ないマラソンだから、なんとかしたいと思っていました」
「初マラソンのときのイメージで練習を積みました。そのときはガムシャラに、調整しないでも記録を出せました。そのときと遜色ない練習ができましたが、疲労の残り方が違いました。そういった状況でも絶対に出るんだ、目標(2時間9分台)を達成するんだ、走りきるんだという気持ちを持ち続けました」
●世界選手権に向けて
「移籍してきた小林(雅幸)の方が調子もよく、世界選手権へ意欲的でした。同期でお互いに移籍や故障を経験していて、話が理解し合えた相手です。僕も、それにつられたところもあるかもしれません。小林は結局、ケガをしてしまいましたが。もし選ばれたら、精一杯やるしかありません。一度、世界ハーフで失敗しているので、その借りを返したい。自分はハーフよりもマラソン向きですから」
「マラソンはスタートラインに立ったときの状態だと思うんです。今回は“やってやるぞ”でなく、“冷静にしっかり走ろう”でした。自然体で臨めたのがよかったとは思いますが、それよりも“自分は調子がいいんだ”と思ってスタートラインに立てれば、もっといい。今回のマラソン練習は、調整段階がイマイチでした。もう少し長い期間、しっかりと準備ができれば自信を持って臨めますし、そうしたらもう少し勝負もできると思います」

※この他のネタは陸マガ4月号

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