ATSUYAなメール
その4
2001年12月22日
須磨学園飛躍についての検証と考察

寺田さま

お元気ですか? 毎日お忙しいことと思います。
先日は全日本実業団女子駅伝における
須磨女子高の記事をありがとうございました。
理事長に代わり、心からお礼申し上げます。

さて、「なぜ、須磨学園のOGは頑張っているのか」について、
私なりの意見を述べたいと思います。

長谷川重夫監督は中学時代、稲美中でした。ここは、加古川市(渋谷俊浩さんや
前田泰秀、堀江知佳、熊本剛、神屋伸行ら多数の名ランナーを輩出しており、
私は「世界で一番駅伝が強いまち」だと思っている。事実、西脇工高の主力
はこれまで、かなりの人数が加古川の人間だった)や私の故郷三木市などに囲まれた
加古郡にありますが、加古郡には稲美町と播磨町しかなく、のどこかな田舎です。
しかし、市外局番は神戸と同じ「078」です。

長谷川先生は野球部で、しかもワルでした。しかし、そこの陸上部の顧問が荻野卓先生
でした。明石の大蔵中で小鴨由水や村松明彦、川島姉妹、川瀬久人(駒大)らを育てた
人です。兵庫の中学陸上界でナンバーワン指導者といえば池野先生(現在は福田中)
だろうと思います。神陵台中、平野中などで中学王者を多数育てています。その池野先生と荻野先生
は大体大の同級生で親友。そして、池野先生の社高時代の顧問はあの渡辺公二さんでした。
不思議な縁です。長谷川さんは荻野先生にスリッパで頭を叩かれながら駅伝に駆り出され、
西脇工業に進みます。同期には、現在の西脇工業コーチの足立幸永先生がいます。日体大時代に
箱根でゴールテープも切っています。ちなみに足立先生も中町中時代は野球部でしたが、
東洋大姫路高校の練習を見て、「殺される」と思って陸上部を選びました。結果は、同じように
「殺される」ようなものでした。

長谷川さんの父親は地元の有力者でした。体が弱かった長谷川さんのために渡辺先生に頼み
込んで渡辺家を改築、下宿できるように取り計らいました。「生徒を引き取って育てる」
を始めるきっかけが長谷川さんの存在でした。記念大会枠で一度、都大路は経験しましたが、
初優勝は卒業後のことでした。国士大では体を壊し、箱根は走れず。
しかも、父親は浪費して財産を食いつぶした挙げ句に死去、長谷川家はすっからかんになったそうです。
「失うものがなくなったのはよかった」と長谷川さんは述懐しています。

大学卒業後、長谷川さんは指導者になりたくて、さまざまな私学の門をたたき、自分を売り込みましたが、
いずれも門前払い。講師や体育館勤務などを経て、無名の私学、須磨女子高校で顧問になりました。
砲丸投げの選手まで投入して臨んだ神戸地区の駅伝は最下位(ブービーだったかな?)。それでも、
翌年から都大路の試走を始めるなど、知らない人が見たら「狂ってる」と思われても仕方がないような
行動でした。

初めて「それなり」の選手を送ってもらったのが、松尾&岡本でした。とはいえ、岡本は短距離でしたが。
少なくとも、「中学でちゃんと陸上部にいた」のは、彼女たちの代だったと記憶しています。
県大会で少しずつ順位を上げ、私が神戸新聞社に入社した平成5年、記念大会枠で初の全国大会出場
を決めました。

その後の飛躍ぶりは説明の必要はないと思われます。あとは悲願の初優勝だけです。

では、なぜ同高の卒業生は活躍するのか。

長谷川さんの指導の基本は、渡辺イズムの継承です。陸マガ増刊の箱根駅伝特集で藤原正和もコメント
しているように、西脇工業の練習量はとても少ないです。午前、午後の総走距離は計20kmほどです。
須磨学園も同じように、見ていると眠たくなるような練習が多いです。しかし、両校に共通しているのは、
ハイレベルの選手が集まって行う10kmジョッグは、他校のインターバルトレーニングなどより明らかに
質が高いということでしょう。

駅伝の正選手はわずか5人。しかし、3000mの9分台選手は20人以上います。
決してタイムを重視した追い込んだ練習を行っているわけではありませんが、「9分台」を出させることによって、
選手に自信を植え付け、大学に進んでも、「それなりの選手でもそれなりに」感動が味わえるレベルまで持っていきます。
将来のため、そして「タイムを出せる楽しさ」を体験させるためです。

そして、西脇工業と違うのは、明るい「部風」でしょう。みんなにケーキを食べさせたり、カラオケに行ったり、
クリスマスのイベントをしたり。「なんといっても高校生の女の子。『ケーキを食うな』といっても、きっと
陰で食べる。だったら、たまには食べさせた方がいい」との考えで、「あれはダメ、これもダメ」といった
ことはあまり言いません。私は高校駅伝の開会式の日、クリスマスプレゼントとして毎年、ケーキを差し入れて
いましたが、堀江が主将のとき、「はい」といって渡したケーキを、横から2年生の大山(立命)が略奪していったこと
が忘れられません。みんな、本当によく笑い、そして悲壮感がないのが、須磨学園のいいところです。

都大路でのレース当日は、現役で活躍しているほとんどのOGが顔をそろえます。とてもいい雰囲気です。
これは、長谷川先生の人柄がすべてなのでしょう。中学顧問との関係を大事にし、頻繁に母校に帰らせる
のも特徴です。中学の先生の人気が高いのもそのためでしょう。

入社1年目からの付き合いのため、須磨学園は私にとっては特別な学校です。
R氏が西脇工業で、I氏が報徳で味わった「初の全国制覇」の美酒を体験したいため、
私は今年も京都へ行きます。「一緒に抱き合って泣いたもんや」という先輩記者と同じ
経験がいつになったらできるのか。「陸上王国」の地元記者の贅沢な悩みです。

お仕事頑張ってください。箱根までに、奥田や野口、新井らをテーマにした「彼らは大阪で開かれた
近畿中学駅伝経験世代だ」に関するレポートを送りたいと思っています。
2時間3分18秒の高校記録を樹立した奥田、中尾、清水将、藤井、神屋をはじめ、兵庫勢の
ピークをつくった選手が箱根で火花を散らす―と考えると、ウキウキします。

K新聞O原A也