ATELETE NEWS
大阪で初マラソン世界最高の渋井
監督の臨機応変指導法が要因?

20世紀日本女子マラソンの遺産を受け継いだメンタリティー

「2時間26分もかかったら、私、ゴールで暴れちゃいます」
「お笑い好きの清純派、ってとこですかね」(自分の性格について)
「イエーィ!」(ゴール後のお立ち台で観客に向かって)
「ケツの下…いえ、腿の裏です」(ラスト10kmでどこがきつくなったのかを質問されて)
 1月28日の大阪国際女子マラソンに初マラソン世界最高記録、2時間23分11秒で優勝した渋井陽子(三井海上)のコメントだ。豪快というか、奔放というか…。ちょっと古い言い方だが、いわばマラソン界の新人類。だが、それだからこそ、初マラソンに萎縮することなく、力を出し切れたのかもしれない。21世紀初のメジャーマラソンで、新世紀のヒロインを予感させる選手が出現した。
 しかし、彼女は確実に、日本女子マラソンの20世紀の遺産を受け継いでいる。
 渋井は栃木県の那須拓陽高出身。インターハイ3000m5位、全国高校駅伝1区3位と高3時にはすでに同年代でトップレベルの選手だった。三井海上には97年4月の入社。当時、日本の女子マラソンはすでに、有森裕子(リクルート)らがオリンピックや世界選手権でメダルを獲得していた。
 どうしても破れなかった記録を1人が破ると、続く選手が次々に現れる。現在の旭化成でいうなら、真内明のケースがそうだった。91年別大の森下広一以来サブテン・ランナーが途絶えてしまった同チームだが、97年びわ湖で真内が2時間09分23秒をマークすると、以後、9人の選手がサブテンのオンパレード。真内は旭化成内でも、特にトラックのスピードがあるなど特別な選手ではなかった。真内が普通の選手だったからこそ、他の選手が自分でもやれると考え始めたのだ。
 同様に、女子マラソンで世界と戦った有森や浅利純子(ダイハツ)らは、1万mや駅伝では国内でもトップレベルではなかった。
「入社当時から、いずれはマラソンをやりたいと思っていました」と渋井が考えたのも、自然な成り行きだった。99年、セビリア世界選手権で銀メダルの市橋有里(住友VISA・AC)は、渋井と僅か1学年違いの選手。世界はさらに近い感覚になったはずだ。
 そして1年前、シドニー五輪の選考レースとなった東京、大阪、名古屋の3レースは全て、2時間22分台がマークされた。名古屋では三井海上のチームメイト、土佐礼子が2時間24分36秒で、高橋尚子(積水化学)に次いで2位に。ボルダーでは積水化学の練習と一緒になることも多かった。
「マラソンをやると決めたのは昨年(6〜7月)のボルダー合宿。監督から来年の世界選手権はトラックかマラソン、どちらにしたいか聞かれて、マラソンと答えました」
「(大阪での)目標は優勝。初マラソン日本最高は最低の目標です」
「21世紀のマラソンは2時間21〜22分が当たり前」
「アレム(エチオピア)さんはシドニー五輪マラソン6位といっても、特に怖いとは思わなかった」
 まさに、20世紀の日本女子マラソンの実績を踏まえた上での自信であり、それを礎に飛躍しようとしているのが渋井といえよう。
 しかし、彼女の意識に直接あるのは、三井海上で練習をしてきた自信だ。渋井は土佐のマラソン練習(高地)に過去2回一緒に行き、その内容を目の当たりにしている。今回の渋井自身のマラソン練習では、40km走は平地でも高地でも、土佐のタイムより3分よかったという。
「土佐先輩に2回、2時間24分台を出させていますから、鈴木監督はすごいと思います」
 鈴木監督の印象を聞かれて、渋井はこう答えたことがあった。積水化学の小出義雄監督は、鈴木監督の高校(千葉県長生高)時代の恩師である。だが、市船橋高で小出監督の指導を受けた渡辺重治三井海上コーチは、「指導法はまったく違う」と言う。強いて似ている点として「予定していた練習を、当日になって変更する“勘”の部分」を挙げた。つまり、その日の選手の体調や表情を見て、ペースや本数、誰と一緒に走るかなどを瞬時に変更する。その臨機応変さがあればこそ、今回の大阪に向けて8日間も練習を中断(食中毒のような風邪のような症状)したにもかかわらず、その後の調整方法を変更して、レース当日に合わせることができたのだろう。
 渋井は高橋尚子と同じボルダーで練習をしたこともあるが、渋井自身は小出監督から直接指導を受けたこともなければ、アドバイスされたこともない。インタビューなどで小出監督のことを聞かれても、渋井は答えようがないから不機嫌になるのだ。
 三井海上と積水化学は、21世紀初のアテネ・オリンピックに向けて、協力するのではなく、切磋琢磨して日本女子マラソンのレベルを上げていくことになりそうだ。さし当たっては今年8月の世界選手権(カナダ・エドモントン)が目標となる。渋井は2月25日の横浜国際女子駅伝に向けて2月7日に昆明に渡り、3月以降は一度、春のトラックに合わせる。そして5月中旬からは本番までボルダーで合宿。その間、2回ほどエドモントンまで出向いて試走をする予定だ。