陸上競技マガジン2002年9月号
陸マガFOCUS
小林史明
助走開眼から生まれた日本新・5m71

■5m71は小林にとって3回目の日本新であると同時に、この種目初の世界選手権A標準突破。3年ぶりの自己新でもある。記念すべき跳躍の、クリアした瞬間を思い出してもらった。
小林 クリアの時にバーが見えて“浮いてる! 跳べた!”と思いました。ポールの反発に上手く乗った跳躍で、浮きが5m40とかとは違いましたね。そういう時は空中でもがくわけでもなく、楽にクリアできます。落ちていくときに思わずガッツポーズをしていました。そしてマットの上でバク宙です。初めてやりました。日本選手権の頃からやってみようと考えていたんです。日体大の後輩たちにガッツポーズをして、写真を撮ってもらったりしたあとは、バーの高さを再計測するのを見ていました。あれで日本新じゃなくなったら、洒落じゃすまないですね。
■試技内容は別表の通り。5m40と、思い切った高さから跳び始めたのにはわけがあった。
小林 セビリア(99年世界選手権)と、その年の国体でトライしたことはあります(ともに記録無し)。今回は踏切脚のアキレス腱に不安があり、跳躍本数を抑えようという狙いでした。技術的にまとまっていて、心配がなかったこともあります。練習中に中助走で5m60を跳んでいましたから。
 5m60(世界選手権B標準)も3年ぶりの成功です。脚の状態も悪かったので嬉しかったですよ。でも、そこで“よし”とは思いませんでした。71まで跳びたくなりました。60は流れがよく、幅も出ていい跳躍でしたが、倒立してバーに向かっていく局面で狙いを上にすれば、もっといくと感じました。
■アップライト、使用ポールと握りの高さを別表にまとめたが、5m60の2回目から変えている。これは、どんな跳躍の違いを意味するのだろうか。
小林 5m60の1回目でポールが軟らかく(感じられるように)なったんです。ポールを17.1から16.5へと、硬いものに換えてもいけるだろうと判断しました。僕の場合、硬くするとテープ一巻き分(2cm)握りの位置を上げます。そうすると、同じようにポールも曲げられて、同じように反発をもらえる。そのためには、スピードやリズムが出て楽に助走ができて、突っ込みも楽にできてと、ポールを換えた時に正しい技術ができないとダメですね。60のときは踏み切り位置もちょっと入っていた(前過ぎた)ので、助走開始位置を10cm下げました。
■97年に5m61、99年に5m62と日本記録を更新したが、2000年、01年と5m40しか跳べなかった。今年4月の織田記念での5m50でさえ、過去3年間では最高記録だった。
小林 織田の1週間前に助走をガラッと変えたんです……

※この続きは8月12日発売の陸上競技マガジン9月号でご覧ください。