OLYMPIAN 10月号
為末 大
原点

 陸上選手が競技を始めるときの動機は単純である。“速く走りたい”からか、あるいは“自分は速く走れそうだ”と感じるからだ。だが、徐々に、自分の特性が最も生かせる専門種目が決まってくると、その専門種目への愛着、あるいはその種目の選手としてのプライドが生じ、走り始めた頃の“より純粋な”気持ちを忘れてしまう。それは、選手としての進化なのかもしれないが…。
 為末大は人一倍、“速く走ること”への憧れが強かった。高校3年時の96年10月、地元広島国体で400mと400mHでジュニア日本新をマークした。自分の名前と「400m45.94 400mH49.09」の記録の横に「でも100mスプリンターだよ」の一文が添えられていた。為末は中学時代、100mと200mで全日中に優勝したバリバリのスプリンターだったのだ。
 同じ年の8月、シドニーで世界ジュニア選手権が行われた。為末は400mで4位、4×400mRで銀メダルの活躍を見せた。「4年後のシドニー五輪は大学4年生。狙うにはちょうどいい」。世界ジュニアの会場で、為末は4年後、再度シドニーのトラックを快走すると自らに誓いを立てたのだった。
 では、どの種目でオリンピックを狙うのか。世界ジュニアの2カ月後、広島国体の400mHに49秒09で圧勝したのは前述の通り。ジュニア日本記録を1秒以上も更新する大記録で、その年の世界ランキングでも33位。世界的に見てもレベルが高い記録だった。
 400mHは短距離・ハードル種目の中で、日本が世界に近い種目だ。前年の95年、イエテボリ世界選手権では山崎一彦(アディダスTC=当時)が7位に入賞した。その山崎と年末の陸連合宿で一緒になった為末は、“決勝は観客の声援が風になる”と聞かされた。「そう話してくれたときの山崎さんの目が、光り輝いているんですよ。ビームを発しているみたいに」(為末)。為末のシドニーに向けての種目は決まった。

 2000年、為末は4年前の誓いを実現し、シドニー五輪に出場した。直前に行われた壮行試合のスーパー陸上では、48秒47の自己新、学生新をマークして絶好調。決勝進出も決して夢ではなかった。為末のレースパターンは先行逃げ切り型。「8台目まで前に選手がいたレースは経験したことがない」と言い切る。シドニー五輪も例外ではなかった。だが、9台目のハードルに足を引っかけて転倒。ホームストレートに入ってきたときの突風が、小柄な為末には不運だった。
「すごく狙っていた試合があんな結果に終わって、ショックでした。世界ジュニアから4年間、ずっと目標にしていましたから、大きな脱力感を感じました」
 しかし、そのシドニー五輪で確実に何かが変わったと、為末は断言する。
「オリンピック前は“練習中に笑顔を見せちゃいけない”気持ちになっていましたし、練習法も“これじゃないとダメ”というのが何個かあって、変に凝り固まっていました。昔は単純に走ることを楽しめたのに、“こんなに楽しくないのはおかしい”って、オリンピックに裏切られたような気がして…」
 シドニー五輪の為末の走りには、明らかに力みがあった。前半はスーパー陸上よりもさらに速い入りで、転倒するまでに明らかに疲れ、減速していた。シドニーの反省から、為末は自分の気持ちに正直になることにした。

「冬の間、400mHは忘れて、最初は100mの練習とかやっていました。単純にスピードを出すのが楽しかった。以前は腿を上げるのはこのくらい、みたいに考えて練習していましたが、そんなのどうでもいい、と考えることができました」
 この気持ちをさらに強くしたのが、世界選手権前に行ったヨーロッパ遠征だった。8日間で4試合もこなす強行軍。それでも、為末は「楽しい」と言い続けていた。
「ヨーロッパを転戦することが夢だったんです。中学のときの“走れば楽しい”感覚を思い出しました。ここでは、たとえ負けても、誰も僕のことなんか知らないですから」
 そして世界選手権の決勝では、さらに自分の原点を思い出していた。
「さらに無欲になったっていうか、小学校で走り始めた頃の感覚に似ています。初めて全天候舗装のトラックに立って、“さあここで走ってみましょう”という時の気持ちです。そこで勝っても進学にも就職にも関係ない、誰に褒められるわけでもなく嬉しいんです」
 この気持ちが強すぎたのだろうか。決勝は「ただ、夢心地でした。声援も(山崎のようには)全然感じられませんでしたね。しんどい種目ですけど、幸せなレースでした。フワフワした感じで、失敗したときのレースだった」と言う。技術的には、47秒89と日本人初の48秒突破を果たした決勝よりも、48秒10の準決勝の方がよかったという。6台目と8台目で、明らかに失敗をしていた。

 為末の特徴は、小さい身長をカバーするハードリングと走りの技術にある。山崎は「空中の“さばき”がよく、着地位置を微妙に調整できるので、着地後の走りが乱れない。身体能力の高い為末だから可能になる」と、その能力を評価する。
 今後ヨーロッパで、今回の決勝と同じ顔ぶれでレース経験を積めば、“夢心地のレース”でも技術的な安定が望める。“速く走るのが楽しい”気持ちを取り戻した為末の走力は、今後も伸びていくだろう。そうなれば、今後の世界選手権、オリンピックでもメダル争いをする為末が見られるはずである。

為末大(ためすえ・だい)
1978年5月3日、広島県生まれ。五日市中3年時に100mと200mで全日中優勝。皆実高3年時に400mと400mHでジュニア日本新を樹立。400mでインターハイ優勝、世界ジュニア4位に。法大入学後は400mHが中心となり、大学2年時から日本インカレ3連勝。昨年、48秒47の学生新をマーク。今季はローザンヌGPで48秒38の自己新、世界選手権準決勝で48秒10の日本新、同決勝で47秒89と日本人初の47秒台をマークした。170cm、67kg。