スポーツニッポン2000年5月30日〜6月3日 5回連載
【NEW ウルトラZ】
2代目の伝統工芸
ハンマー投・室伏広治


第1回 新技術で着実に記録更新
第2回 1年かけ、やっとマスター
第3回 「遅いスイング」で回転速く
第4回 38歳の技を24歳で習得
第5回 “発想”にさらなる飛躍の予感


■第1回
 室伏が今月13日の国際グランプリ陸上大阪大会でマークした80m23は、日本人初の大台突破の快挙というだけでなく、昨年のセビリア世界陸上競技選手権の優勝記録に1cmと迫る価値の高いものだ。
 その日、室伏の競技後の第一声は「なかなか大変でした」だった。いったい“何が”大変だったのだろうか。
 室伏が初めて日本新をマークしたのが98年4月。父・重信氏の持っていた75m96を76m65と更新した。この快事すら、室伏にとって通過点に過ぎなかった。その
4カ月後、取り入れ始めた新たな技術が“倒れ込み”で、重信氏も驚くほど早くこつをつかんだ室伏は、10月に3試合で日本記録を更新。12月のバンコク・アジア大会では78m57まで記録を伸ばした。着実な記録の伸びに、80mはそう遠くない将来に現実のものとなる、誰もがそう思った。
 この技術は、各回転ごとに次の回転軸に向けてタイミングよく、背中を中心に後方へ倒れ込みを行うもので、重信氏が現役時代晩年に会得したものだ。通常、ハンマーの回転を大きくしようとすれば外側に大きくしようとするが、“倒れ込み”は瞬間的に内側に加速するイメージで行う。回転中に従来とは逆の感覚の動きをするわけで、フォームがばらばらになってしまう怖れすらあったが、「世界で誰もやっていない技術」(重信氏)を、室伏は数カ月でものにしたのだ。
 だが、翌99年のシーズンに入ると、記録の伸びが止まってしまった。97年のアテネ大会では決勝に進出した世界選手権も、75m18で予選落ち。「本当に自分の体になじんでくるには、まだ1〜2年はかかるでしょうが…」と前年に重信氏が話していた危惧が現実のものとなってしまった。        (寺田辰朗)
▼室伏重信:“アジアの鉄人”と言われ、オリンピックは72年ミュンヘン大会から4回連続代表、最高成績は8位。アジア大会は70年大会から5連勝。71年に日本人として初めて70m突破を果たして以降、84年まで日本記録を11回更新。日本選手権は優勝12回。現中京大教授、同陸上競技部監督。長女・由佳(広治の妹)は円盤投日本記録保持者。
■第2回
 99年前半は、78m台を2度投げていたのだから低迷とはいえないが、世界選手権の予選落ちと自己記録(=日本記録)を更新できないでいたことで、不満の残るシーズンだったことも確かだ。シーズンも押し詰まった10月の国体で79m17と、やっと記録を更新したとき、室伏にしては珍しくガッツポーズが派手だった。
「そう簡単に出せる記録じゃありませんからね」
 それまでは、98年終盤にものにしたと思われた“倒れ込み”の技術が、父・重信氏が危惧したように体になじんでいなかったのだ。この技術は単に(各回転ごとに次の回転軸に向けてタイミングよく、背中を中心に)後方へ倒れ込むだけでなく、ハンマー投のいくつかの重要な局面に大きな影響を及ぼしている。
 まず、倒れ込みを行うことで、回転軸とハンマーヘッドとの距離が大きくなり、回転半径が大きくなる。回転軸はおおよそ胸椎の部分となるが、厳密には回転中の重心が軸に当たるから、体のどの部分が軸とは具体的に言うことはできない。つまり、軸をどの位置に作れるかで、回転半径が違ってくるのだ。
 このほか、軸移動をスムーズにさせること、ヘッドの加速をうながすことが“倒れ込み”で可能になる。ハンマー投の動きは多くの技術が複合されてできるもので、1つの課題をクリアすれば、その次の課題に進むことができる、という単純なものではないのである。
「こうしたらいいんじゃないかというポイントがいくつもあって、工夫しながら投げる。投げていくうちに新たな課題が見つかることもあるし、練習の初めはよかった点が終わりの方で崩れてしまうこともある」
 “倒れ込み”の技術を導入したことで崩れていた動きを、まとまったものにするのに1シーズンを要したのである。そして、今年のシーズンは4月から78m台をを連発して、5月に80m23と日本人初の大台に乗せた。そこで前回紹介した「なかなか大変でした」の声が発せられたのである。       (寺田辰朗)
▼ハンマーの重量は16ポンド(7.26s)、ヘッドの直径は110〜130ミリ、その重心は球の中心から6ミリ以内という規定がある。長さは把手の内側から球の先まで117.5〜121.5cm。投てきを行うサークルは直径2m135。材質はコンクリートやアスファルトなどの堅固な材料で滑りやすくない材質で造る規定になっている。
■第3回
 現在、98年8月から取り組んできた“倒れ込み”の技術をものにしつつある室伏が、それ以前の2年間取り組んでいたのが“スイングの改良”だ。スイングとは、回転に入る前に両脚は固定したまま2回転ほど(比較的)ゆっくりとハンマーを回す予備動作。室伏の投てきを見ていると実にさりげなくスイングに入っているが、これが意外に記録に影響するのである。
 中京大4年生時点で73m82まで記録を伸ばしていた室伏を見て、父・重信氏は基本的なものが確立したと判断、父子は96年11月からスイングの改良に着手した。それまでの室伏はかなりのスピードでスイングを行い、その勢いで回転に入っていった。そのスピードを遅くし、スイングから回転に入る局面で、ハンマーヘッドがより右奥(右横のローポイント)から回転が始まるように改良した。
 ハンマーヘッドに力を積極的に加えられる局面は、地面に両脚がついている間である。片脚接地時、つまり回転している間は、ヘッドに加えられる力は小さい。すなわち、加速が小さい片脚局面の時間を短くしたほうが効率的ということ。これは、回転速度を速くすることにほかならない。
 回転の際に右奥からハンマーを移動させることができれば、力を加える距離が長くなる。それによって回転も楽になった。また、回転軸が確立されるのもスイングから回転に入った直後であり、回転半径もそこでおおむね決まってくる。“倒れ込み”もそうだったが、スイングもハンマー投の多くの局面に関わってくるのだ。
 ところで、この技術を導入する際、父子はいろいろ意見を出し合ったという。室伏は父親の言うことを鵜呑みにするのでなく、必ず自分なりに消化してから実行している。スイングの改良は、室伏も納得するのに時間はかからなかった。だが、“倒れ込み”の技術の場合は簡単ではなかった。高校時代に試してはどうかと、重信氏が持ちかけたことがあったが、当時の室伏には理解するだけの下地がなかった。2人は言い争いをしたこともあったという。
▼3回転と4回転:4回転を世界に広めたのは50〜60年代に活躍した日本選手たちだったが、欧米の選手は足(シューズ)のサイズが大きく、なかなか4回転に移行できなかった。室伏は4回転投法だが、重信氏は76年まで3回転で投げ、その後4回転に。現在では世界的にも4回転が主流だが、世界記録(86m74)保持者のセディフ(ソ連=当時)は3回転で、どちらが有利かは断定できない。5回転の選手も出てきている。
■第4回
「若い頃は父と、言い争いをしたこともありました。自分が話の聞き方をわかっていなかったんです。指導する側の書物はいろいろありますが、指導を受ける側がどうしたらいいかっていう書物は、ないんですよ」
 室伏は自分に非があった言い方をする。だが、そうとばかりも言い切れない。スポーツでは、高度な技術と感覚をコミュニケートしようとする場合、受け手のレベルがそれなりの基準にないと、理解することができない。仮に理屈ではわかっても、実感できないこともある。そうなると心の底から納得できない。
 “倒れ込み”によるさまざまな局面への技術的な影響を、若い室伏は理解することができず、父の記録を超えてからその狙い、効果がわかってきた。
 ここで、室伏の技術的な成長段階を振り返っておきたい。重信氏は次のように説明する。
「第一段階はハンマーを始めて1年から1年半、高校2年の終わり頃まででした。フットワークや回転の形を覚える時期です。それまで多少なりとも私が投げるのを見ていたせいか、飲み込みは早かったですよ」
 重信氏が86年にアジア大会5連勝を達成したとき、室伏は12歳だった。
「第2段階が大学4年までで、回転軸と回転面がしっかりできること。これが大変なことで、日本の選手のほとんどがここまでもできません」
 その次に“スイング”、そして“倒れ込み”と技術を改良してきた。ただ、これらは必ずしも重信氏の技術習得年代と一致しているわけではない。“倒れ込み”は重信氏が晩年に会得した技術であるが、室伏は24歳の時点で取り入れている。また、重信氏は71年に日本新を出してから9年間、記録が停滞した。その間につかんだ技術が室伏に伝えられ、その結果室伏は毎年自己記録を更新している。
 重信氏のベスト記録75m96は84年、38歳の時に出したものだが、「筋力的に一番よかったのは20歳代終盤」(重信氏)だったという。室伏はかねてから言っていた、「親父の記録は超えて当たり前」と。父親の技術を若くして受け継ぎ、発展させる使命感から発せられた言葉だ。
▼記録更新の足跡:成田高2年時(91年)に68m22(14ポンド=高校用重量)の高校新、3年時に73m52まで更新。一般用重量では66m30の高校最高。中京大1年時(93年)に68m00のジュニア日本新・学生新、4年時に学生記録を73m82まで更新。社会人2年目(98年)に76m65の日本新。ちなみに重信氏が学生時代は64m66がベストで、社会人4年目(71年)に初めて70m18の日本新。
■第5回
 室伏の試合中、重信氏は必ずサークルの真後ろ(スタンドかトラックの外側)でビデオ撮影をしている。「横や斜め前方からではダメなんです。真後ろからが一番、よくわかる。真正面からも撮れればいいんですけどね」。チェック項目の代表は回転軸だ。左右への傾き具合がよくわかるという。もちろん、それ以外にもさまざまな点をチェックし、試合後に室伏もビデオを見てその日の投てきを振り返る。しかし、今シーズンになって、室伏はビデオを見なくなったという。
 本来ビデオを見ることの意味は、自分のイメージと実際の動きが食い違っていないかを確認することだ。昨年は練習でも撮影をして、何度も見直していたという。それが今シーズンは、一度も見ていない。
「感覚的な部分を失いたくないんでしょうね。外見をチェックすることで、いい感覚を崩してしまうこともあります」と重信氏。室伏自身は、大阪(5月13日)での80mスローのあと、「広島(4月29日)、静岡(5月3日)と動きの面で反省する部分がありましたが、2〜3日前から直ってきました」と言っている。
 昨年まではビデオを見て修正してきた点を、今年の室伏は自分のイメージの中だけで修正できている。これは、さらなる飛躍の可能性を示唆していると言っていいかもしれない。
 父子は、異口同音に次のように言うのだ。
「スポーツは、自分でこういう動きをしたいと考えて、それを体で表現する。そのレベルの高い者が勝つ。最終的には“発想”で戦っているんだと思います」
 そして、次の重信氏のコメントが興味深い。
「私もまだ、いろんな選手の動きを見て、新しい発想ができますが、さらに上のレベルには、広治自身の“色”を出していくことで到達するものだと思います。スピードとかバネとか、世界の誰も持っていないものを広治は持っていますから」
 室伏はすでに重信氏の記録を4m以上上回っている。室伏にしかできない動きがあるはず。そこから重信氏が考えつかない“発想”をする可能性もあるのだ。                =この項終わり=
▼オリンピック:ハンマー投への日本選手出場は、84年ロサンゼルス大会の重信氏以来、16年ぶり。日本選手最高成績は、68年メキシコ大会の菅原武男(リッカー)の4位。72年ミュンヘン大会では重信氏が8位。前回アトランタ五輪では優勝記録が81m24、銅メダルが80m02、8位が77m38だった。シドニーでは9月23日に予選、同24日に決勝が行われる。