ランナーズ2000年10月号
【アスリートニュース】
犬伏孝行 練習の特徴とは?
「マラソンは集中したらダメ、頑張ったらダメ」と河野監督



●士別の朝
 北海道士別市。旭川から宗谷本線で1時間ほど北へ向かった人口約2万4000人の内陸の街。7月のある朝、1人黙々と走る犬伏孝行(大塚製薬)の姿があった。気温は20℃台半ば。今年で3回目となる、大塚製薬やNTT西日本など4チーム合同合宿中のひとコマだ。
 ペースはだいたい1km5分。最後は4分半にまで上がることもある。前日は40kmの距離走を行なっている。マラソンで失敗を繰り返していた頃の犬伏は、マラソンに向けて最も走り込むこの時期、朝練習は20〜40分ジョッグ、またはウォークということが多かった。ところがこの1〜2年、犬伏の朝練習は快調だ。この日も約60分のジョッグとなった。
 朝練習は質・量とも明らかに上がっている。犬伏のマラソン歴(表参照)を見れば一目瞭然だが、その前半は惨憺たる結果だった。だが、98年のボストン以降は順調。それが朝練習にも表れている。この変化の裏には、単に力がついたというだけでなく、練習の変化もあったのだ。
●40km走のタイム
 その前日、合宿参加のマラソン選手組は40km走を行ない、犬伏をはじめ5人ほどの選手が2時間23分台で走った。それほど速いタイムではない。しかし、そのことで翌日に残る疲労が少なくなる。
 犬伏もかつては、40km走を2時間14分台(冬場のレースの場合)と、今より速いペースで行っていた。当時、関西実業団連盟の合宿などで一緒になる積水化学のスタッフが、ダイエー時代の中山竹通の同僚だった。その練習法なども聞くことができた。
「中山さんや陸連合宿の練習から、いいものをピックアップして行っていたつもりですが、追い込んだ練習をした次の日の距離がガクッと落ちたり、試合の日まで疲労を残した感じがしていました」と犬伏は、その頃を述懐する。「とにかくマラソンで結果を出したかったので、なんでも欲張ってやってしまったのだと思います」
●変化の経緯
 97年12月の福岡で途中棄権に終わったときは、「マラソン練習がわからない」とこぼしていた河野匡監督だったが、その後、98年3月のびわ湖に出場する橋本忠幸にある練習を試してみた。橋本も犬伏と同じレースに出ることがあったが、そろって終盤で失速していた。その新しい練習法というのが、40km走のタイムを落とすこと。40km走などの負荷のかかる練習の翌日はジョッグにするのが普通だが、大塚製薬では40kmのペースを落とす代わりに、翌日、1km3分ペースのインターバルをきっちりこなした。
 橋本は当時のことを次のように語っている。「コーチ兼業になってからの最初のマラソンでしたが、それまでの練習の7割〜8割という感覚。しかし、月で距離を合計すると以前より多いのです。40kmのタイムを抑えることでインターバルにも余裕が出ますし、ジョッグも多く走るようになりました。翌日の朝練で、気分がよければ90分でも行きます」
 今回の合宿でも、犬伏は40km走の翌日に5000mのインターバルをこなしていた。40kmのペースを落としたといっても、それなりの疲労や筋肉痛はある。その状態でも、1km3分のレースペースで確実に走れるようにするのが狙いだ。
●河野監督の説くマラソン練習
「距離走の意味は何か、何を目的に行うのかを考えたら、2時間20分でも30分でも、その選手のマラソンのリズムになっていればいいのです。長い時間、筋肉を使っているのですから、ある意味、2時間10分の方が楽ともいえます。距離走の目的が時間を走ることなら、長い方がいいという考え方です。一番怖いのは、翌日に動かなくなることなんです。
 40kmを2時間20分なら、できない練習ではありません。1000m×10を3分を切るペースで行うのも、1万m29分のランナーなら難しくない。しかし、それを2日連続で行うときつくなります。そこで、疲労を残さないようにする作業が必要となりますが、それを繰り返し行うことで練習の積み重ねがちょっとずつでもできればいいのです。それができない選手が多いのだと思います。犬伏のすごいところはそれを当たり前のように続けられる集能力、試合につなげられる能力です。それは日本で一二(イチニ)かもしれません」
●北海道のどこかで
 河野監督はオリンピックを目前にした今でさえ「マラソンは集中したらダメ、頑張ったらダメ」と逆説的に説く。「大きく休むこともしない代わりに、大きな凹凸もつけない。少しずつ積み上げていくのがいいと思います」。それを実践する能力に秀でている犬伏も「オリンピックまで特に何事もなく流れてくれたらいい。練習は淡々と、故障しないでこなしていくのが一番です」と、その点を強調する。
 99年の東京から、徐々にこの練習法が増えていった。レースでは2時間12分台。「そのくらいの力しかなかった」と犬伏は言うが、河野監督は直前にひいた風邪の影響が大きかったと見て、ベルリンでも同じ方法を試みた。その結果が日本人初の2時間6分台。続く選考レースの東京で、セカンド記録日本最高の2時間8分16秒。
「犬伏は自信になったと思うし、僕は確信に近いものを手に入れた」と河野監督。だから、シドニー五輪に向けても、あえて新しいことは行わない(五輪後には高所トレーニングなども考えているという)。練習場所も、昨年のベルリン前とまったく同じ。北海道各地を転々としてこなしていく。
 毎朝、北海道のどこかで、淡々と走る犬伏の姿が見られるはずだ。

犬伏孝行のマラソン全成績
回数 順位 記録    年月日     大会
1 59 2時間25分16秒 1995. 3.19 びわ湖
2 途中棄権    1995.12. 3 福岡国際
3 途中棄権    1997.12. 7 福岡国際
4 10 2時間13分15秒 1998. 4.20 ボストン
5 7 2時間12分20秒 1999. 2.14 東京国際
6 2 2時間06分57秒 1999. 9.26 ベルリン
7 4 2時間08分16秒 2000. 2.13 東京国際