スポーツ・ヤァ!010号(2001/1/18発売)
並走14.8kmの結末
エースの誤算もドラマに転じた「逆転の順大」


 高橋謙介(順大)は一度も振り返らなかった。振り返りたくなかった。
 2001年1月3日。2日間に渡る激闘を繰り広げてきた箱根駅伝も、残すところ2区間。勝負の行方が決まりそうな行程にさしかかっていた。
 沿道の人垣は東京大手町から箱根芦ノ湖畔まで、途切れることがない。トップを走る自分に沿道からものすごい声援が送られる。この応援があるからこそ、苦しいときでも頑張ることができる。自分への声援が終わり、しばらくすると後方で歓声が上がる。2位の選手に対してのものだ。気のせいか、その間隔が徐々に短くなってきている。いや、気のせいではない。
「区間新を狙っていました。そのためのラップタイムは全て頭に入れていましたし、最初の5`は14分20秒で、2年前に区間新で走ったときよりも速かった。詰められるようなペースじゃないんです。でも、後方の声援がだんだん近くなってくる。走っていても半信半疑でした」
 中継所を出るとき、2位は最大のライバルと目された駒大で27秒差。3位は中大。駒大の9区は3年生の高橋正仁で、前回10区で区間賞を取っているが、駒大内でも4〜5番目の選手と言われていた。対する高橋謙介は、紛れもなく順大のエースだ。
 7`地点。時計を見る。確かに予定通りのペースだ。そのとき、高橋謙介は選手の気配を真後ろに感じた。初めて振り返る。駒大の高橋正仁だった。そこから高橋同士、そしてキャプテン同士のデッドヒートが始まった。正仁は前に出ず、謙介の後ろか斜めやや後方にピッタリ着く。
「ものすごく動揺しました。なんで追いつかれたんだって、ずっと考えてしまった。相手は30秒差を一気に詰めてきたのですが、余裕があるみたいで、自分からスパートすることはできません。後ろに着かれるのがイヤで、ペースを落とすと向こうも落とす。イライラしてしまいました」
 そんな状態が延々と続いた。謙介が細かい揺さぶりで、何度か様子を見る。
「謙介さんは余裕がある。勝負をするなら1回に賭けるしかない」
 正仁はこう感じながら走っていた。最初から飛ばして追いついたのは、大八木弘明コーチの指示だった。だが、飛ばし過ぎてて後半潰れたら意味がないからと、余裕を持っての追走だったという。
 謙介が20`前後で1回、2回と仕掛けるが、正仁は動じない。逆に、21.7`で正仁が強烈にスパート。謙介は300bほど粘ったが、22`を過ぎから差は開く一方だった。9区の距離は23・0`。謙介にとって残り1`のなんと長かったことか。結局、最終10区へは駒大が17秒、距離にして約100bをリードして中継した。
「口にこそ出しませんでしたが、内心“勝った”と思いました」
 鶴見中継所で待機していた順大の10区、4年生の宮崎展仁は、6区の宮井将治が区間新の快走で、駒大に3分8秒差をつけたときにそう感じていた。
 宮井はこれまで、駅伝で好走したことがなかった。期待を裏切り続けてきたと言っていい。対する駒大の6区は、予想を覆して松下龍治(2年)が起用されていた。今や、2区の神屋伸行と並ぶ駒大のエース。大八木コーチが往路終了時点で順大との2分24秒差を、「逆転できない差ではない」と言えたのも、6区に松下、7区に揖斐祐治のエース2人を配置していたからだ。
 その6区で、宮井が区間新で駒大との差を広げた。宮崎にとっては4年間一緒に頑張ってきて、初めて見る宮井の快走だった。7区は3年生の坂井隆則が、揖斐と互角に渡り合った。順大の8区は4年生の榊枝広光。3000mSCでは学生トップランナーだが、長めの距離は苦手で箱根駅伝も初出場だ。ここで、駒大に一気に差を詰められた。だが、宮崎はまだ安心していられた。
「9区には謙介がいる。そこでまた差が広がって、自分のところには貯金ができてタスキが来るはず」
 宮崎は微塵も疑うことはなかった。8区の榊枝が27秒差まで詰め寄られながら、9区の謙介へのタスキリレーでガッツポーズを見せたのも、“少しでもリードして謙介に渡せば勝てる”と確信していたからに他ならない。それだけ、同学年のエースに寄せられる信頼は厚かったのだ。
 信頼の大きさゆえに、謙介からタスキを受けるとき、宮崎の心は予想外の展開に引きつっていた。
 10区の宮崎にタスキを渡した謙介は、電車でゴール地点の大手町に向かっていた。
「携帯テレビを見ていましたが、気持ちはまだパニくっていて、画面を見ていても頭に浮かぶのは“なんで?”という疑問だらけ。駅伝で追いつかれて、突き放された経験は初めてでした。調整も、トライアルもばっちりでしたから、どうして走れなかったのか、自分でもわかりません」
 後刻、沢木啓祐監督は「彼をもってしても、プレッシャーに勝てなかったということでしょう」と、エースの変調を語った。
 パニックに陥ったのは宮崎も同じだった。信頼していたエースが、200b近くあった差を逆転されてきたのだ。だが、宮崎は「自分がやるしかない」と、気持ちを切り換えられた。これまで謙介に頼ってきたが、こうなったら自分がやるしかない。
 宮崎は開き直った。「頼むぞ」とエースから託されたタスキを笑顔で受け取ると、3・4`付近で駒大に追いつくと、早くも6`から引き離し始めた。3年連続でこの区間を走る宮崎は、自分のリズムを信じた。駒大に追いつくためペースを上げたからと、下手に自重しなかったのがよかった。まさに、経験を生かした走りだった。
 2年前、順大が「駒大有利」の下馬評を覆して優勝したときも、9区・高橋謙介、10区・宮崎の布陣だった。
「あのときは勝てるとは思っていなくて、自分のところで逆転できて嬉しくて、宮崎にタスキを渡すときに“頼むぞ、落ち着いていけば大丈夫だ”と声をかけました。今回は、祈るような“頼むぞ”でした」
 中継後の謙介の落ち込み方は、半端ではなかった。もしも、そのまま順大が負けていたら、今後の競技人生においてトラウマとなったかもしれない。それを防いだのは、4年間苦楽をともにしてきた宮崎の走りと、気持ちとは裏腹に中継時に宮崎が見せた笑顔だった。
 ゴール後、謙介は平常心を保っていた。
「悔いは残ります。でも、今回の優勝はエースの走りではなく、みんなの力で勝ち取ったもの。優勝できてよかった」
 そんなエースをチームメートがねぎらい取り囲んだ。胴上げされた謙介の顔にようやく笑顔が広がった。