陸上競技マガジン10月号別冊付録シドニー五輪パーフェクトガイド
日本代表選手にデータdeズームイン
1 チーム別人数
2 大学別人数
3 出身県別人数
4 学年別人数
5 高校時代の成績別人数


◆図1

 どこのチームが代表選手を多く送り出したのか……ミズノが昨年11月の1次発表で決まっていた室伏に、6月の3次発表で谷川、田端、渡辺、今井と続き、最後に7月の南部記念で2m28を跳んだキャプテンの吉田が加わり、総勢6人。
 戦前には早大が20年アムステルダム五輪に8人、36年ベルリン五輪にも8人を送り込んでいる。64年東京五輪ではリッカーが10人、東急が9人の代表を出している。だが、戦前は競技をできる環境を整えられるチームは数少なく、その中でも早大に集中する傾向があった。また、東京オリンピックは地元開催ということで、フルエントリーに近い形で大選手団を参加させた。
 戦前の早大と東京五輪を除けば、過去最多は52年ヘルシンキ五輪に5人を送り込んだ中大が最多である。同様に4人は60年ローマの旭化成とリッカー、84年ロスのエスビー食品の3例があるのみ。今回のミズノの6人が、いかにすごい数字かがわかる。
 なお、市川はJAL・AC、市橋は住友VISA・ACでの登録だが、練習は東京ランナーズ倶楽部でともに浜田安則コーチの指導を受けている。ここでは東京ランナーズ倶楽部を2人の所属チームとして扱った。

◆図2

 OBと現役を合わせて、どの大学から多く選手が出ているかを調べてみた。近年、インカレで圧倒的な力を見せている日大がトップで5人。短距離2人、跳躍2人、競歩1人とバランスもいい。次いで法大と筑波大が3人。法大は現役学生の為末と川畑の4年生コンビが6月に代表入りし、コーチ格の苅部も南部記念で滑り込んだ。全員が短距離。対する筑波大は全員が跳躍。筑波大の村木征人コーチは、跳躍の日本記録更新者を6人育てた実績があるのだ。順大は2人とも400 mH、東海大は2人とも短距離。もちろん、筑波大、順大、東海大は体育学部があって陸上部の人数も多く、どの種目も強いのだが、今回は上記のような特徴が出た。

◆図3

 出身高校のある県で、選手を区分してみた。ここでも、市川と市橋は高校の陸上部には所属していなかったため、出身中学のある県で扱った。
 埼玉と兵庫の4人が最多で、神奈川と徳島の3人が続く。埼玉は男子400 mHの2人と長距離の2人、兵庫は伊東、朝原、小坂田と短距離の強豪を3人も輩出している。さらに特徴的なのは徳島で、全員が長距離だ。面白いのは京都の高岡と志水の2人。同学年でともにトラックの長距離。さらには、2人ともオリンピック開催期間中に30歳の誕生日を迎える。

◆図4

 生まれた年度別に集計したものだ。一番多いのは74年度生まれで8人。高3のインターハイを宮崎で経験した選手たちだ。8人の内5人が、アトランタ五輪を経験している。前回は“若手”で経験を積めばよかったが、今回はある程度の結果が求められる年齢層だ。
 次に多いのは90年の仙台インターハイ組(72年度生まれ)と93年宇都宮インターハイ組(75年度生まれ)の6人。仙台組にはなんと、マラソン4選手が集中した。しかし、4人のうち誰もチャンピオンにはなっていない。山口は近畿予選で落ち、高橋も全国までは駒を進めたが800 mで予選落ち。夜、遊びに出かけ先生に見つかり、怒られたのが思い出だという。佐藤は8位に入賞しているが、犬伏は決勝進出者中“ブービー”の17位。「インターハイの結果が悪くて、大学ではなく実業団に進む決心をした」と振り返る。
 面白いのは宇都宮インターハイの走幅跳だ。優勝したのは走幅跳代表の渡辺ではなく、三段跳代表の杉林。渡辺は国体は2連覇したが、インターハイは勝てなかった。また、女子3000mは、85〜96年までインターハイ女子総合12連覇をなしとげた埼玉栄が、当時未勝利だった2つの種目の内の1つ。その3000mで田中が優勝したことで話題になり、その田中が埼玉栄高初のオリンピック選手となった。

◆図5

 今回の代表40選手の顔ぶれを見て、高校時代から強かった選手が多いと感じた。そこで、全選手の高校時代のインターハイ、国体(少年Aか少年共通)、高校リストの順位を調べてみた。すると、その3つのうちどれかで1位を取っている選手が過半数の24人に達した。
 3つの項目の内どれかで2〜3位を取っている選手は3人と少なく、4〜8位の“入賞レベル”が8人と多い。この8人は小坂田を除けば全員が長距離・競歩である。60位台の2人がともに女子マラソンというのも特徴的。
 長距離系の種目を除けば、高校時代に強かった選手が、やっぱり強いといえる。ただし、伊東は400 m、朝原は走幅跳で“1位”だったのであり、当時、伊東や朝原の今日の活躍を予想した人はいなかったはずだ。高校卒業後の“やり方”次第で、道は変わるものだろう。