フルマラソンチャレンジBOOK 2
トップランナーの肖像A
佐藤敦之
スピードかスタミナか?
福岡国際マラソンで到達した結論は?

「意外と“スピード型”かもしれない」。北京五輪代表に大きく近づいた昨年12月の福岡国際マラソン。レース後の佐藤のコメントが印象に残った。長距離選手にはスピード型とスタミナ型の2つがある。だが、本当にどちらのタイプなのか、突き詰めて取り組まないとわからないことなのかもしれない。スピードとスタミナをキーワードに、佐藤に自身の成長を振り返ってもらった。

●福岡前に練習パターンを変更
 早大3年時に初マラソンで学生最高の2時間09分50秒で走りながら、その後の佐藤は殻を破れなかった。3度目のマラソンで2時間8分台を出したが、世界陸上では10位。中国電力の先輩である油谷繁が5位に入ったのに比べ、どこか力を出し切れていない部分があった。アテネ五輪代表を逃した後は、はっきりと低迷期に入った。克服の兆しが見えたのが07年2月の別大で2位になったとき。そして、12月の福岡国際マラソンで2時間07分13秒の日本歴代4位を記録した。日本選手2位に2分の大差をつける強さで、北京五輪代表に大きく近づいた。成功の要因の1つに、佐藤は練習法の変更を挙げた。
佐藤 以前はスタミナづくりのために、つなぎのジョッグを重視していました。尾方(剛・中国電力)さんや油谷さんがそのやり方で、結果も出していましたから。藤田(敦史・富士通)さんも2時間06分51秒(当時日本記録)を出したときに、月間1300kmを走っています。自分も以前はそのくらいの距離を走っていました。でも、自分の場合ジョッグも速く走るせいか、“つなぎも強化”のような練習になっていた。それが(05〜06年の)慢性疲労にもつながっていました。自分の持ち味を考えたり、これまでやってきた感覚で、その練習は違うかなと考えるようになったんです。案外スピード型かもしれないと。この1年ほどポイント練習の質を上げて、つなぎの練習を思い切って減らしました。3回だったジョッグを2回にしたり、1回にしたり。
 そう考えるにいたるには、多くの経験が必要だった。中途半端に新しい練習をかじることの繰り返しでは、そこまでの思いにはならなかっただろう。走り始めた小学生のとき以来、佐藤がつねに真剣に取り組んできたからこそ、今の考えが強固になった。
佐藤 小学校の頃は福島県の原町市に住んでいて、4年生の時に相馬野馬追マラソン(原町市の市民マラソン)2kmの部に優勝しました。その頃からですね、「長距離が自分には向いているのかな」と考え始めたのは。6年生のときは3位で、優勝したのが小川博之君(JAL GS)でした。小川君は夏のエスビー食品主催の全国大会に優勝していて、そういった情報も親父が仕入れてきて教えてくれるんです。親父が熱心で車で2時間かかりましたが、会津若松市で開催されていた鶴ヶ城マラソンにも出場していました。3つ上の兄が中学の全国大会に水泳で出場していたので、自分も全国大会に出たいとずっと思っていました。その頃の全日本中学選手権(全日中)は1500mが学年別で行われていて、参加標準記録が4分32秒0。小学生のときに1000mを3分09秒で走りましたから、本格的に練習をすれば狙えると思ったんです。

以下
●スピード練習中心だった中学時代
●スタミナ練習が多くなった高校時代
●大学3年時にマラソン学生記録も、4年時には慢性疲労に
●“型”にはめない考え方

と続きます

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