年末スペシャル
全日本実業団
ミキハウスのフィールド3選手が変えた動きとは?

 9月末の試合の記事が何故、年末に出るのか……それは、日本陸上界にとって記念すべき快挙が続いた2001年の掉尾を飾るにふさわしいと思ったからである。
 2001年の快挙といえば、エドモントン世界選手権における室伏広治(ミズノ)の男子ハンマー投銀メダル、為末大(法大)の男子400 mH銅メダル、土佐礼子(三井海上)の女子マラソン銀メダル、そして高橋尚子(積水化学)のベルリン・マラソンでの世界初の2時間20分突破などが、すぐに思いつく。
 これらの快挙があったなか、陸上界として見た場合、女子の日本記録が次々に出たことも2001年の特徴だったと思う。列挙してみると、以下の通り。

2001年に生まれた日本新記録
種目 記録 選手 所属 年月日 大会 場所
女子
100 m 11.36 二瓶秀子 福島大TC 2001/7/14 日本学生種目別選手権 北上
400 m 52.95 柿沼和恵 ミズノ 2001/5/24 東アジア 長居
800 m 2.02.23 西村美樹 東学大 2001/5/12 大阪GP 長居
マラソン 2.19.46. 高橋尚子 積水化学 2001/9/30 ベルリン ベルリン
400 mH 56.83 吉田真希子 福島大TC 2001/7/15 日本学生種目別選手権 北上
4×400 mR 3.33.06 日本 日本 2001/5/26 東アジア 長居
杉森美保 京セラ
柿沼和恵 ミズノ
信岡沙希重 ミズノ
吉田真希子 福島大TC
走高跳 1.96 今井美希 ミズノ 2001/9/15 スーパー 横浜国際
走幅跳 6.82 花岡麻帆 オフィス24 2001/6/10 日本選手権 国立
砲丸投 16.84 森 千夏 国士大 2001/6/9 日本選手権 国立
ハンマー投 64.43 綾 真澄 中京大 2001/10/16 みやぎ国体 利府
やり投 61.15 三宅貴子 ミキハウス 2001/5/6 水戸国際 水戸
七種競技 5862 中田有紀 東海デカスロン 2001/10/7 日本選抜混成 松任
男子
1万m 27.35.09 高岡寿成 カネボウ 2001/5/4 カージナル招待 スタンフォード大
110 mH 13.50 内藤真人 法大 2001/10/17 みやぎ国体 利府
400 mH 47.89 為末 大 法大 2001/8/10 世界選手権 エドモントン
ハンマー投 83.47 室伏広治 ミズノ 2001/7/14 土曜記録会 中京大
※複数回で多種目でも各種目の最高記録のみ

 細かく見れば、複数回日本新を出している選手もいる。また、400 mは日本人初の52秒台とか、400 mHは初の56秒台とか、100 mと七種競技は最終選考会後だったが世界選手権A&B標準突破だったとか、色々とそのすごさを補足することができるが、本稿はそれを紹介するためのページではないので省略する。
 とにもかくにも世界選手権&オリンピック実施22種目中、12種目で日本新が誕生しているのだ。これを快挙と言わずして、何と言おう。壮挙とか、日本陸上史に残る収穫とか、いろいろ言えるとは思うが。
 その先陣を切ったのが、5月6日の水戸国際で新規格になって初めて60mの大台をマークした、だけでなく、旧規格の日本記録をも上回った三宅貴子(ミキハウス)である。ということで、やっと金沢(全日本実業団)に話は移る。年末ということで許していただきたい。

 で、長らくWhat's new index に掲載していた「ミキハウス・フィールド勢3選手が変えた動きとは?」から、話を始めたい。すでに一度紹介しているが、世界選手権から帰国後、三宅は助走を変更した。クロスを7歩から5歩に変えたのである。世界選手権で外国勢のスピードを目の当たりにして、自分のスピードが助走最終局面で落ちていることを痛感したのだという。
 9月30日の全日本実業団に56m15の大会新で優勝後、その事情を説明した三宅との一問一答が以下の通り。

Q.今日の投てきを振り返ると?
三宅 世界選手権(大会前のぎっくり腰の影響で56m05で予選落ち)から帰国して、7歩クロスを5歩クロスに変えました。7歩だと最後にスピードが落ちるので、落ちない段階で投げようということです。
Q.世界選手権の何を見て変えようと?
三宅 世界選手権の決勝の外人選手を見ていて、最後投げきるまでスピードがあると感じたんです。私の7歩は、緩め気味のときに投げているように思えて。スピード感が全然違うんですから。
Q.日本にいるときから、ある程度は感じていた?
三宅 いえ、日本にいるときは、(7歩クロスで)ある程度記録を伸ばしたいと考えていました。(世界選手権で外国選手のスピードを目の当たりにして)前の投げでは距離が見えてくる部分を感じて、それ以上を狙うのなら変えるべきかな、と感じました。
Q.かなりの冒険では?
三宅 冒険は冒険ですが、その方がいいと判断しました。溝口(和洋コーチ)さんもそう思っていらしたらしくて、帰国してわたしが変えたいと言ったら、溝口さんも「最後はそうしたいと考えていた」とおっしゃって。基本的には7歩も5歩も一緒ですが、細かい部分では流れやクロスへの入り、リズムなど全然違います。

 クロスの歩数変更が、やり投選手にとって“どのくらい”の大きな変更なのか。基本的な部分を変更する一大事なのか、基本的というよりも補助的な部分なのか。ある選手はそれを「基本的」と言い、別の選手は「補助的」と言うだろう。選手によって位置づけが異なることが多いと思われる。しかし実際は、補助的と言った選手の方が、変更後に記録が大きく伸びることもあるかもしれない。
 三宅は「冒険といえば冒険」という表現を使っている。
 こういった選手の感覚を正確に表現・説明するのは、陸上報道に携わって年を経るにつれて「難しいなあ」と感じている。

 次に、同じ9月30日に行われた女子走高跳で、太田陽子(ミキハウス)が1m81で優勝。その際の記者会見で、やはり助走を変えたことを話していた。

Q.今日の試合について。
太田 気分転換に助走を変えたんです。今日、突然気が変わって…。助走の出だしで補助助走をつけたんです。
Q.今後もその助走を?
太田 気分が向いたら。
Q.変えてみようと思ったのはどの時点?
太田 練習でいつもの助走がよくなかったんです。気分転換にはいいかなと思って。なんか楽しくなかったので、別の助走にすれば楽しいかなって。

 この変更は、太田にとっては補助的な位置づけなのではないだろうか。実際、「補助助走」なのだし……という理屈は、どうかと思う。何十年も1つのスタイルを貫き通してやってきたベテラン選手が、補助助走を変えただけで長年破れなかった記録を破れた場合、その選手にとっては“補助的”な変更ではなく、とてつもなく大きな変更になるのかもしれない。
 太田の受け答えについてあと1点。「気が向いたら」とか「気分が向いたら」の“気分”という部分が、選手にとっては重要だと思われる。言葉にするといい加減のようにも聞こえるが、言い換えれば「なんとなく総合的に判断して」ということになるだろう。それを詳細に、細かく説明することの難しさが太田のコメントからわかる。もっとも、太田に直接聞いたら「本当に気分だけですよ」と言うかもしれないが…。

 この2人と同じ9月30日、高橋尚子がベルリンで日本最高を出したわけであるが、今年の日本陸上界にとって重要なのは、同じミキハウスのフィールド種目選手・杉林孝法の試技である。日本人2人目の17mジャンパーの杉林だが、その日は15m99(+0.4)に終わった。

Q.地元ですが、今日の目標は?
杉林 最低限、勝とうと。
Q.今日の跳躍を振り返ると?
杉林 あまり状態がよくなかったので、3本に1本、当たればいいかなというくらいでした。そんな中でも、最終的には勝つことが目標でした。記録を狙うことも考えていましたが、今の状態の中でできる限りのジャンプをしようと臨みました。後半はよくなってきそうな気配はありました。
Q.故障があるのですが?
杉林 ちょっとありまして、右足首なんです。あんまり状態がよくないのですが、跳べないことはありません。いいジャンプをすれば痛くありません。失敗したときに、痛いんです。元はといえば、すごい失敗をしたときに(日本選手権)やってしまった箇所です。最近の練習では、元から技術的な問題がありました。積極的に試合に出て、変えていこうということで出場しました。

 共同会見後に、そういえば「同じミキハウスの三宅、太田両選手が助走を変えていたが、杉林選手はどうなのだろう?」と、思いついた。スタンドの外ですれ違った際「2人は助走を変えたそうだけど、杉林君は?」と質問した。
「僕は助走スピードを落としました」
 との回答。「それが最善の策でした」ということである。