ATSUYAなメール
その13
2005年1月9日

まもなく震災から丸10年

わが親愛なる“おやしギャグ”の師匠、寺田辰朗さま
 
あけましておめでとうございます。
お元気でしょうか?
 
O原は元気です。
 
師匠宛てにじっくりと腰を落ち着けてメールを送るのは
久しぶりです。私の記憶が正しければ約2年ぶりです。
ということは、私が2年前の春に社会部に異動して以来、
ご無沙汰していたということです。4年ぶりに本社に戻ったところ、
阪神タイガースが18年ぶりに優勝し、須磨学園が高校駅伝で
初優勝を果たし、ヴィッセル神戸の親会社が楽天になり、
鳥インフルエンザが京都と兵庫を襲い、オリックスが近鉄と合併し、
台風23号が阪神・淡路大震災以来の被害を兵庫にもたらし、
報徳学園の鶴谷監督が勇退しました。その他、冗談では
済まないような数々の事件・事故が相次ぎ、翻弄されて
いる間に、2年もの長い歳月が過ぎていきました。兵庫の被災地
はあと1週間で震災から丸10年を迎えます。
 
その間、さまざまな陸上愛好家の方から「メールさぼっとったら
あかんで」「早くメール書かんか」と叱咤激励を受けたため、
重圧に弱い私は故郷・三木市の守護神・大宮八幡宮の
御守りと胃薬がなければパソコンの前に座れない体になって
しまいました。
 
しかし、陸上王国・兵庫の記者の1人として、ここで奮起せねば
いつまでたっても「ワイナイナ欠場の真相」に匹敵する名作を生み
出せないと思い、本日、帰宅後に妻のパソコンを勝手に使ってメ
ールを作成しています。
 
前置きが長くなりましたが、本当は面倒くさかっただけです。
ホームページは毎日、楽しみに拝見しています。
 
本日(1月9日)は、明石公園陸上競技場で都道府県対抗
駅伝に出場する男女の兵庫代表チームの合同練習がありました。
今年の女子駅伝は震災のあった1995年と同じ1月16日に
行われます。しかも震災から丸10年。マスコミはどうしても
震災に絡めて取り上げようとしてしまいます。当然、現地には数社
の報道陣が駆けつけ、震災に関連した話題がないかと話を聞き
ました。
 
私にとっても、震災と女子駅伝は切り離して考えることはできない
くらいに密接な関係にあります。
 
あのとき、兵庫代表は過去最悪の25位に沈み、私は辛口の
批評を交えながらも復活を期待する原稿を書きました。その夜、
私はスキー板を持って夜行列車に乗り、信州・白馬に向かいました。
当時は、女子駅伝が終わってからが陸上担当者の正月休みでした。
早朝、駅に降り立った私の耳に飛び込んできたのは「阪神高速が
倒れた」「神戸は壊滅的状態らしい」といった断片的な大地震の
情報でした。急いで宿に飛び込み、スイッチを入れたテレビには、
無残な神戸、阪神間の光景が映し出されていました。翌日、
キャンセル待ちの末にようやく羽田から広島への航空券を確保し、
広島からの新幹線で姫路まで戻りました。日付は1月19日に
なっていました。新幹線の中で乗客が読んでいたデイリースポーツ
の1面の見出しは「助けて!」でした。あとで分かったことですが、
私の書いた女子駅伝の原稿は、多くの読者に届いていませんでした。
 
10年は早かったのか、遅かったのか。
きょう、兵庫代表を率いる須磨学園の長谷川監督とは、
そんな話をしていました。
今年の女子チームには、震災を直接体験した選手はいません。
実業団選手は資生堂の加納選手(本日は欠席)だけの
若いチームに、無理やり「震災10年で思うことは」なんて
聞くのも失礼と思い、監督と雑談に興じました。
 
意見が一致したのは、今年のチーム構成が驚くほど10年前の
チームに似ているということです。当時は兵庫出身の実業団選手
が少なく(全国的にもそうだったのでしょうが)、中高生中心の布陣
でした。女子駅伝が創設されたころは、それでも入賞が当たり前
でしたが、だんだんとレベルアップに対応できなくなり、1995年の
ワースト25位につながった訳です。しかし翌年、兵庫は5位に
ジャンプアップします。1区30位からの見事なたすきリレーでした。
その後、中高生で耐え抜いた世代が卒業後も実業団などで
頑張り、里帰りしてチームの核になりました。いちいち名前は挙げ
ませんが、2001年に悲願の初優勝を飾り、
2003年、2004年と連覇を達成した兵庫を支えたのは、
まさにその当時の10代の選手たちでした。
 
復興に向かう10年は、兵庫の女子が上昇気流に乗った10年
でもありました。
 
長谷川監督に「震災の影響が大きかったのでは」と尋ねたところ、
「間違いないです」との答えが返ってきました。文字や言葉にすると
薄っぺらく感じますが、震災時の困難な状況を経験し、普通に
走られることに対する「感謝の気持ち」が芽生えたことが、兵庫
の飛躍の原動力となったと思うのです。今や全国有数の強豪校
となり、多くの卒業生が活躍している須磨学園ですが、震災の
あった年の全国高校駅伝で過去最高の5位入賞を経験した
メンバーのほとんどが、何らかのかたちで「日の丸」を背負っています。
駅伝では、多くの指導者が日常生活の大切さや「心」の持ちようの
必要性を説きます。本当にその通りだと思います。震災では多くの
ものを失いましたが、得たものも少なからずあったということなので
しょう。
 
兵庫の女子は2連勝中ですが、中高生主体ということもあって、
今回、3連覇を望むのは酷といえます。でも、手を抜かずに
全力を尽くせば、きっと優勝以上の財産が得られると思います。
すでに同様の経験を積んできた兵庫だからこそ、自信を持って
言えます。
 
監督と話すうちに、震災当時、私たち被災地に住む人間が受けた
有形無形の支援に対する感謝の気持ちがよみがえってきました。
警察や消防、自衛隊、ボランティアなど、本当に多くの人たちにお
世話になりました。私自身も、感謝の気持ちを忘れずに仕事に
取り組もうと決意を新たにした有意義な一日でした。
 
そんなこんなで、兵庫の被災地はまもなく10年の節目を迎えます。
檀れいの退団も決まりました。四捨五入すると40歳の寺田さん
に対し、O原は四捨五入しても30歳。気持ちを一新し、
兵庫国体に向けて走り出します。
 
今年もよろしくお願いします。
 
                  K新聞社社会部 O原A也


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